Prabhasa Kshetra Mahatmya
Prabhasa Khanda366 Adhyayas8991 Shlokas

Prabhasa Kshetra Mahatmya

Prabhasa Kshetra Mahatmya

This section is centered on Prabhāsa-kṣetra, a coastal pilgrimage region in western India traditionally associated with Somnātha/Someśvara worship and a dense network of tīrthas. The text treats the landscape as a ritual field where travel (yātrā), bathing, and recitation function analogously to Vedic rites, while also embedding the site in a broader purāṇic memory-map through genealogies of teachers and narrators.

Adhyayas in Prabhasa Kshetra Mahatmya

366 chapters to explore.

Adhyaya 1

Adhyaya 1

प्रभासक्षेत्रमाहात्म्ये प्रस्तावना (Prologue: Invocation, Authority, and Eligibility)

第1章は、『スカンダ・プラーナ』におけるプラバーサ(Prabhāsa)資料の説話場面と、権威を支える伝承の系譜を確立する。ヴィヤーサ(Vyāsa)はプラーナの意義を知り教える根本の師として言及され、ナイミシャ(Naimiṣa)の聖仙たちはスータ(Sūta、ローマハルシャナ Romaharṣaṇa)に、プラバーサ聖域(kṣetra)のマーハートミャ(māhātmya)を語るよう請い、先行するブラーフミー(Brahmī)巡礼の伝統に触れたうえで、ヴァイシュナヴィー(Vaiṣṇavī)とラウドリー(Raudrī)の巡礼(yātrā)をとくに問う。 章頭にはソーメーシュヴァラ(Someśvara)を讃える招請偈と、純粋意識(cinmātra)への形而上の礼拝が置かれ、甘露(amṛta)と毒(viṣa)を対比する護持の主題が続く。スータはさらに、ハリ(Hari)をオームカーラ(Omkāra)の形として、超越にして遍在なる御方と讃え、これから語られるカター(kathā)が、整然と構成され、言葉に飾りがあり、聴く者を清めるべきことを述べる。 また倫理的指針として、ナースティカ(nāstika)には教えるべきでなく、信心深く安らかな適格者(adhikārin)のために誦されるべきだと示される。とりわけブラーフマナ(brāhmaṇa)の適格性が、人生儀礼の遂行能力と品行によって語られる。結びに、カイラーサ(Kailāsa)のシヴァ(Śiva)からスータに至る伝承の流れが語られ、この章段が伝統を担う記録として正統であることが確証される。

30 verses

Adhyaya 2

Adhyaya 2

Purāṇa-lakṣaṇa, Purāṇa-anuक्रम, and Upapurāṇa Enumeration (पुराणलक्षण–पुराणानुक्रम–उपपुराणनिर्देश)

第2章は技法的な問答として展開し、リシたちは kathā(語り・説話)の評価基準—その徴(しるし)、長所と欠点、そして権威ある著作を見分ける方法—を求める。スータは、ヴェーダとプラーナの原初の出現、もとは広大であったプラーナ群の観念、そしてヴィヤーサによる周期的な編纂と十八のマハープラーナへの分割を、簡潔な体系として説き示す。 続いて本章は主要なプラーナとウパプラーナを列挙し、しばしば概算の偈数と、dāna(写経・施与・付随儀礼)に関する規定を添えて、テキストの伝承を功徳の実践と結びつける。さらにプラーナの古典的「五相」定義(pañcalakṣaṇa:sarga、pratisarga、vaṃśa、manvantara、vaṃśānucarita)を明示し、三グナ(sāttvika/rājasa/tāmasa)志向による分類と、それぞれに対応する神格の強調を導入する。 結びでは、イティハーサ—プラーナの伝統を通じてヴェーダの意味を安定させる支えとしてプラーナを再確認し、スカンダ・プラーナ内部の七分構成の中にプラーバーシカ部の位置づけを示して、地名に根差す聖地地理へ読者を導く準備を整える。

107 verses

Adhyaya 3

Adhyaya 3

तीर्थविस्तरप्रश्नः प्रभासरहस्यप्रकाशश्च (Inquiry into the Spread of Tīrthas and the Revelation of Prabhāsa’s Secret)

第3章は、先の宇宙論的な話題に続き、聖仙たちがスータ(Sūta)に対し、ティールタ(tīrtha:聖地・巡礼地)を体系立てて説くよう求めるところから始まる。スータはカイラーサ(Kailāsa)での古い対話を想起し、デーヴィー(Devī)が壮麗な神々の集会を目撃し、長大な讃歌(stotra)によってシヴァ(Śiva)を讃嘆したことを語る。 シヴァは、シヴァとシャクティ(Śakti)が根源的に分離しないことを、儀礼上の役割、宇宙の機能、時間の単位、自然の諸力にまで及ぶ広大な同一宣言の連なりによって確証する。続いてデーヴィーは、カリ・ユガ(Kali Yuga)に苦しむ衆生にふさわしい実践的教えとして、ただ拝観(darśana)するだけで一切のティールタの果を得る聖地を問う。 シヴァはインド各地の主要な巡礼地を列挙したのち、プラバーサ(Prabhāsa)を秘されし至上のクシェートラ(kṣetra)として高く掲げる。本章はまた倫理的警告を含み、偽善的・暴力的、あるいは虚無に傾く旅人は約束された果報を得られず、クシェートラの力は意図的に守られていると示す。 終盤では神聖なるリンガ、ソメーシュヴァラ(Someśvara)が開示され、その宇宙生成の役割が説かれる。すなわち、世界の働きのために三つのシャクティ—イッチャー(icchā:意志)、ジュニャーナ(jñāna:智)、クリヤー(kriyā:行為)—が顕現するのである。結びの果報(phala)の宣言は、敬虔に聴聞する者に浄化と天界到達を約束する。

149 verses

Adhyaya 4

Adhyaya 4

प्रभासक्षेत्रप्रमाण-त्रिविधविभाग-श्रीसोमेश्वरमाहात्म्य (Prabhāsa: Measurements, Threefold Division, and the Somēśvara Discourse)

第4章は、女神デーヴィーと自在天イーシュヴァラとの、秩序立った神学的対話として展開する。デーヴィーは、プラバーサ(Prabhāsa)が諸ティールタ(tīrtha)の中でなぜ最勝なのか、またそこで行われる行為がなぜ尽きぬ功徳となるのかを詳しく問う。イーシュヴァラは、プラバーサは自らが特に प्रिय(愛しき)とする聖域クシェートラ(kṣetra)であり、常にそこに臨在すると答える。 続いて、聖地の三層構造—クシェートラ、ピータ(pīṭha)、ガルバグリハ(garbhagṛha)—を示し、奥へ進むほど果報が増大すると説く。境界と方位の標識を定め、内部をルドラ/ヴィシュヌ/ブラフマーの三分として、ティールタ数と巡礼(yātrā:Raudrī・Vaiṣṇavī・Brāhmī)を挙げ、さらにそれらをシャクティ(śakti)の三類—イッチャー(icchā)・クリヤー(kriyā)・ジュニャーナ(jñāna)—に対応させる。 本章は解脱の主張を強め、規律ある滞在と篤いバクティによる礼拝が、他の名高い巡礼地をも凌ぐと宣言する。教義の中心にはソーメーシュヴァラ(Somēśvara)とカーラバイラヴァ/カーラ―グニルドラ(Kālabhairava/Kālāgnirudra)が据えられ、守護の働き、浄化の理、そして『シャタルドリーヤ』(Śatarudriya)を範型的なシヴァ派儀礼文として重んじる。さらに、ヴィナーヤカ、ダンダパーニ、ガナ(gaṇa)などの守護者を列挙し、門口の神々への敬礼や、暦上重要な夜にギー供(例:ghṛta-kambala)を捧げるなど、巡礼作法を定める。

129 verses

Adhyaya 5

Adhyaya 5

प्रभासक्षेत्रस्य अतिविशेषमहिमा — The Supreme Eminence of Prabhāsa-kṣetra

第5章は神学的対話として展開する。スータの導入の後、デーヴィーはプラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)の偉大さをさらに詳しく語るよう求める。イーシュヴァラは由来と功徳を中心に説き、プラバーサを自らの最愛の聖域とし、そこで命を捨てるヨーギンや離欲の者に「最高の到達(para-gati)」を与える場であると断言する。 章は、マーラカンデーヤ、ドゥルヴァーサス、バラドヴァージャ、ヴァシシュタ、カシュヤパ、ナーラダ、ヴィシュヴァーミトラ等の名高いリシたちがこの地を去らず、常にリンガ(liṅga)を礼拝し続けることを列挙する。さらに、アグニ・ティールタ、ルドレーシュヴァラ、カンパルディーシャ、ラトネーシュヴァラ、アルカ・スタラ、シッデーシュヴァラ、マーラカンデーヤ、サラスヴァティー/ブラフマー・クンダなどの聖地で、ジャパと礼拝に励む大集会が数をもって描かれ、儀礼の密度と神聖さが強調される。 ファラシュルティ(功徳讃)として、「月を戴く」主をダルシャナするだけでヴェーダーンタが讃える全果を得、沐浴(snāna)と供養(pūjā)は祭祀の果(yajnaphala)を与え、ピンダ/シュラッダは祖霊の上昇を大いに増幅し、偶然に水に触れるだけでも効験があると説く。また、守護と障碍の働き(ヴィブフラマとサンブフラマというガナ、ヴィナーヤカ型のウパサルガと「十の過失」)を挙げ、障碍除去の法としてダンダパーニ(Daṇḍapāṇi)を信心をもって拝観することを勧める。結びでは、欲ある者も欲なき者も、あらゆるヴァルナがプラバーサで死すればシヴァの神聖界に至ると普遍化し、同時にマハーデーヴァの徳は言語を超えると宣言する。

45 verses

Adhyaya 6

Adhyaya 6

सोमेश्वरलिङ्गस्य परमार्थवर्णनम् (Theological Description of the Someshvara Liṅga at Prabhāsa)

第6章は、整然とした神学的対話として展開する。女神デーヴィーは先に語られた内容の非凡さを認め、宇宙に称えられる他のリンガを超えてソーメーシュヴァラの霊験が勝る理由、そしてプラバーサ・クシェートラの固有の力とは何かを問う。イーシュヴァラは、これから説く教えは至上の「秘義(ラハスヤ)」であると宣言し、プラバーサの大功徳(プラバーサ・マーハートミヤ)を、ティールタ、誓戒、誦持、瞑想、ヨーガのいずれにも勝る最上位に置く。 続いて叙述は、場所の讃嘆から、ソーメーシュヴァラ・リンガの形而上学的かつ否定的(アポファティック)な描写へと移る。リンガは不動・不滅・不変であり、恐れや穢れ、依存を離れ、概念の増殖を超えると説かれる。通常の賛美や言説を超越しつつも、悟りへ導く「知の灯明」として顕現する。章は、音声の形而上学(プラナヴァ/シャブダ・ブラフマン)、内的定位のイメージ(心蓮、ドヴァーダシャーンタ)、そして不二の語(ケーヴァラ、二元を離れる)を織り合わせる。 さらに、闇を超えた「偉大なるプルシャ(マハーン・プルシャ)」を知るというヴェーダ的な句が添えられ、ソーメーシュヴァラの全き偉大さは千年を費やしても言い尽くせないと認められる。結びの果報説(パラシュルティ)は包摂的で、いかなるヴァルナの者であれ、この章を読誦する者は罪を離れ、望む目的を成就すると説く。

41 verses

Adhyaya 7

Adhyaya 7

सोमेश्वरनाम-प्रभाव-वर्णनम् | Someshvara: Names Across Kalpas, Boon of Soma, and the Sacred Topography of Prabhāsa

第7章は、デーヴィーとシャンカラとの神学的対話として展開する。先の讃嘆を聞いたデーヴィーは、「ソーメーシュヴァラ/ソムナータ(Som(e)śvara/Somnātha)」という名の起源・不変性・時代による変化を問い、さらにリンガの過去と未来の名を尋ねる。イーシュヴァラは、リンガを循環宇宙論の中に位置づけ、ブラフマーの各時代ごとにリンガの名が異なることを説き、歴代ブラフマーの同一性に対応する名の連なりを列挙して、現今の「ソムナータ/ソーメーシュヴァラ」と未来の名「プラーナナータ」へと至らせる。 デーヴィーの記憶喪失は、多くのカルパを越えて繰り返されるアヴァターラによるものと説明され、シヴァは諸周期における彼女の名と姿を挙げて、存在・受肉・忘却をプラクリティと宇宙的機能に結びつける。続いて「ソムナータ」という名が固定して見える理由は、ソーマ/チャンドラの苦行(タパス)とリンガへの礼拝(この場面では猛々しい異名で呼ばれる)によって解かれ、「ソムナータ」の名がブラフマー周期を通じ、後代のすべての月の主にわたり名高くあるようにとの恩寵が語られる。 後半は聖地の地誌へ移り、シヴァはプラバーサの広がり、中心聖域、方位ごとの境界、海辺に近いリンガの位置を定める。聖なる円内で命終する者の救済果を宣言し、とりわけその地で悪をなすことへの戒めを示し、重罪者を抑止する守護統治者としてヴィグナナーヤカを紹介する。結びでは、ソーメーシュヴァラのリンガが殊に愛され、諸ティールタと諸リンガの合流点であり、信愛・憶念・規律ある誦持によって解脱へ導く器であると、いよいよ強く讃えられる。

105 verses

Adhyaya 8

Adhyaya 8

श्रीसोमेश्वरैश्वर्यवर्णनम् (Description of the Sovereign Powers of Śrī Someśvara)

第8章はデーヴィーとイーシュヴァラの対話として展開する。デーヴィーは、シュリー・ソメーシュヴァラの浄罪の大威徳と、三位の神学的枠組み(ブラフマー—ヴィシュヌ—イーシャ)を改めて説くよう願う。イーシュヴァラは、ソメーシュヴァラ・リンガに結びつく奇瑞を語り、無数の苦行のリシたちがリンガへ入り/融け合ったこと、さらにシッディ、ヴリッディ、トゥシュティ、リッディ、プシュティ、キールティ、シャーンティ、ラクシュミーといった繁栄と安定の力がそこから人格化して現れたと述べる。 続いて本章は、マントラ成就(mantra-siddhi)、ヨーガの成就、薬・錬金のラサ(rasa)、そしてガルダ伝承、ブータ・タントラ、ケーチャリー/アンタリー系の伝統などの専門知が、この聖所からの流出として列挙される。さらに、プラバーサのソメーシュヴァラにおいて諸ユガにわたり成就を得たシッダの諸集団(パーシュパタに関わる者を含む)が名指しで挙げられ、凡夫は不善業ゆえにこの地の価値を見抜けないことが示される。 その後、惑星の दोष、霊的攪乱、諸病といった苦患が、ソメーシュヴァラのダルシャナによって鎮められると詳述される。ソメーシュヴァラは「パシュチモー・バイラヴァ」「カーラーグニルドラ」などの尊称とも同定され、結びに「sarva-pātaka-nāśana(あらゆる罪を滅する者)」という凝縮された讃嘆によって、ティールタ神学の語法で総合的浄化の教えが再確認される。

29 verses

Adhyaya 9

Adhyaya 9

मुण्डमालारहस्यं तथा प्रभासक्षेत्रतत्त्वनिर्णयः (The Secret of the Skull-Garland and the Tattva-Doctrine of Prabhāsa)

第9章は、整然とした神学的対話として展開する。女神デーヴィーはプラバーサ(Prabhāsa)においてシャンカラ(Śaṅkara)に恭敬して呼びかけ、ソーメーシュヴァラ(Somēśvara)の名を挙げ、カーラーグニ(Kālāgni)を中心とする御姿の観想を喚起する。ついで、無始にして滅尽を超越する主が、いかにして髑髏の花鬘を帯びるのかという教義上の疑いを述べる。 イーシュヴァラは宇宙論によって答える。無数の劫の循環が相次ぐブラフマー(Brahmā)とヴィシュヌ(Viṣṇu)を生み、髑髏鬘は反復する創造と融解を統べる主権の徴であるという。さらにプラバーサにおけるシヴァ(Śiva)の相が聖像学的に説かれる。静謐で光輝き、始・中・終を超え、左にヴィシュヌ、右にブラフマーを配し、内にヴェーダを宿し、天体の光を眼とする—これにより女神の疑いは解かれる。 女神は長大な讃歌を捧げ、プラバーサの偉大さをより詳しく求めるとともに、なぜヴィシュヌがドヴァーラカー(Dvārakā)を去りプラバーサで終局を迎えるのかを問い、宇宙的機能と諸アヴァターラについて多くの設問を重ねる。スータ(Sūta)が場面を枠づけ、イーシュヴァラは「秘説」を語り始める。プラバーサは他のティールタ(tīrtha)に勝る霊験をもち、ブラフマー・ヴィシュヌ・ラウドラ(Raudra)の三タットヴァを独自に合一し、24/25/36というタットヴァ数を三尊の臨在に対応させて明示する。結びには果報の論理が広く説かれ、プラバーサでの死は身分や種を超えて、重罪を負う者にさえ高位の境地を与えるとされ、この聖域(クシェートラ)の浄化力が強調される。

62 verses

Adhyaya 10

Adhyaya 10

तत्त्वतीर्थ-निरूपणम् (Mapping of Tattva-Tīrthas and the Sanctity of Prabhāsa)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)が女神デーヴィー(Devī)に授ける教示として構成され、形而上の理をプラバーサ(Prabhāsa)のティールタ(tīrtha)巡礼の地図へと転化させる。冒頭で、宇宙の「部分」すなわち元素領域—地・水・テージャス(tejas:火/光輝)・風・空—を、それぞれの主宰神(ブラフマーBrahmā、ジャナールダナJanārdana、ルドラRudra、イーシュヴァラĪśvara、サダーシヴァSadāśiva)に結びつけ、各領域にあるティールタはその神の臨在に与ると説く。続いて、水・テージャス・風・空に対応するティールタ群(とりわけ八つ組)が列挙され、水の原理がナーラーヤナ(Nārāyaṇa)に殊に愛され、「ジャラシャーイー(Jalaśāyī:水に臥す者)」と称されることが教義的に明かされる。 要所としてバッルカー・ティールタ(Bhallukā-tīrtha)が示される。これは微妙で、シャーストラ(śāstra)に拠らねば見分け難いが、ただダルシャナ(darśana:拝観)するだけで、広大なリンガ(liṅga)礼拝に等しい果報を得るという。さらに本文は暦と天象へ及び、月ごとの行、月の第八日・第十四日、日食月食、そしてカールッティキー(Kārttikī)の時期に、プラバーサのリンガが特に礼拝されると述べる。また、サラスヴァティー川(Sarasvatī)と海の合流点に多くのティールタが集まるさまを描く。 その後、諸カルパ(kalpa)におけるこのクシェートラ(kṣetra)の別名が長く列挙され、形や尺度の異なる多数の副クシェートラの豊饒が語られる。結びでは、宇宙の溶解(pralaya)の後にも存続する聖域としてプラバーサを再確認し、聴聞と誦読が徳を浄めると讃える。ファラシュルティ(phalaśruti)は、この「ラウドラ(rauddra:威猛)」なる神聖譚を聞く者に、死後の高き帰趣を約束する。

58 verses

Adhyaya 11

Adhyaya 11

प्रभासक्षेत्रनिर्णयः — Cosmography of Bhārata and the Etiology of Prabhāsa

第11章は問答による神学的叙述として展開する。歓喜しつつもなお探究心を抱くデーヴィーは、プラバーサ・クシェートラについてさらに詳しい説明を求める。イーシュヴァラはまず宇宙地理の枠組みを示し、ジャンブードヴィーパとバーラタ・ヴァルシャの寸法と境界を説き、バーラタを福(puṇya)と罪(pāpa)が実際に働き果を結ぶ主要なカルマブーミ(karmabhūmi)として位置づける。続いて亀形(kūrma)モデルにより天体秩序を地理に重ね、ナクシャトラの群、ラーシの配置、グラハの支配をバーラタの「身体」に対応させる。これにより、グラハ/ナクシャトラの障りは相応の地域の障りとして現れ、鎮めのためにティールタ行が勧められるという診断原理が示される。 この聖なる地図の中でサウラーシュトラが定められ、プラバーサは海辺の殊勝な一画として示される。中央のピーṭヒカーには、イーシュヴァラがリンガの姿で住し、カイラーサよりも愛でられ、秘奥として守られるという。さらに「プラバーサ」の名について、光輝、諸光と諸ティールタの中の第一、太陽の臨在、失われた輝きの回復など複数の語源解釈が語られる。デーヴィーが現カルパにおける起源譚を問うと、イーシュヴァラは神話的因縁を語り始める。スーリヤの婚姻(ディヤウḥ/プラバーとプリティヴィー/ニクシュバー)、耐え難いテージャスに苦しむサンジュニャー、チャーヤーによる代替、ヤマとヤムナーらの誕生、真相の露見、そしてヴィシュヴァカルマンによる太陽光輝の「削減/緩和」である。結びとして、リク(ṛk)に満ちた性質(ṛk-maya)をもつ太陽の光明の一部がプラバーサに落ちたとされ、これが同地の比類なき聖性と名の由来を確立する。

221 verses

Adhyaya 12

Adhyaya 12

Yameśvarotpatti-varṇanam (Origin Account of Yameśvara)

本章はイーシュヴァラ(Īśvara)の説示として、語源解釈とティールタ(tīrtha)の権威付けとを併せ持つ。まず王(rājā)と王妃(rājñī)、および「影」(chāyā)に関わる語を、語根(dhātu)にもとづく派生で解き明かし、名と自己同一性が神学的意味を帯びることを示す。 ついで現代のマヌ(Manu)を系譜の中に位置づけ、法螺貝・円盤・棍棒を持つ(śaṅkha-cakra-gadā-dhara)というヴァイシュナヴァ的標識を備えた人物を提示する。同時にヤマ(Yama)は「hīna-pāda」として苦患を負う姿で語られ、儀礼的な救済を要する問題が立ち現れる。ヤマはプラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)へ赴き、長大な時をかけて苦行(tapas)を行い、リンガ(liṅga)を礼拝する。満悦したイーシュヴァラは多くの恩寵を授け、その地を永く「ヤメーシュヴァラ」(Yameśvara)と称する崇拝名を定める。末尾には果報の宣言(phalaśruti)として、ヤマ・ドヴィティーヤー(Yama-dvitīyā)の日にヤメーシュヴァラを拝すればヤマ・ローカ(Yama-loka)を見聞きすることを免れると説き、プラバーサ巡礼における救済的・暦的意義を明らかにする。

8 verses

Adhyaya 13

Adhyaya 13

Arka-sthala-prādurbhāva and Prabhāsa-kṣetra-tejas (Origin of Arkāsthala and the Radiant Sanctification of Prabhāsa)

本章はデーヴィーとイーシュヴァラの聖なる対話として語られる。デーヴィーは、太陽神が Śākadvīpa を運行中に、神聖なる「義父」のモチーフに結びつく剃刀のような刃によって「削がれ/切られ」たという先の出来事と、Prabhāsa に落ちた莫大な tejas(光輝の威力)がどうなったのかを問う。イーシュヴァラは、聞く者の罪を滅するとされる「卓越したスーリヤ・マーハートミヤ(Sūrya-māhātmya)」を説いて答える。太陽の原初の光輝の一分が Prabhāsa に落ち、場所の形(sthālākāra)を成し、初めは jāmbūnada の黄金色、のちにマーハートミヤの力で山のような姿となったという。そこに太陽神は衆生利益のため、arka 形の聖像として顕現する。 また、ユガごとの名称が示される。Kṛta では Hiraṇyagarbha、Tretā では Sūrya、Dvāpara では Savitā、Kali では Arkāsthala と呼ばれ、その降臨は第二のマヌ Svārociṣa の時代に定められる。続いて、tejas の塵(reṇu)が yojana の尺度で広がった範囲と、河川や海など名指しの境界によって聖域が描かれ、さらにより広い微細な光明圏が区別される。イーシュヴァラは自らの住処が tejas-maṇḍala の中心にあり、眼の中の瞳のようだと譬え、「Prabhāsa」という名が、太陽の tejas によって自邸が照らされるゆえに顕著となったと説く。 果報の宣説(phalaśruti)では、arka 形の太陽を拝観すれば罪を離れ、Sūrya-loka において高められると語られ、その巡礼者はあらゆる tīrtha で沐浴し、大供犠と大施を行った者に等しいとされる。さらに戒めとして、Arkāsthala において arka の葉の上で飲食することは強く非難され、重大な不浄を招くため避けよと命じられる。巡礼作法として、Arkabhāskara を初めて darśana する際、学識あるブラーフマナに水牛を施すこと、銅色/赤布や近くの火の隅との関わりが述べられる。加えて、Siddheśvara のリンガ(Kali に名高く、旧名 Jaigīṣavyeśvara)は見ただけで成就を与えるという。 終盤では、太陽の光輝に焼かれた羅刹に結びつく近隣の地下の開口が語られ、Kali にはヨーギニーと母神たちが守る「門」として残るとされる。Māgha 月の黒分第十四夜(kṛṣṇa caturdaśī)には、bali・花・upahāra を供えて siddhi を得る儀礼が示される。章は、教えを敬って聞き実践する者は命終に太陽の世界へ至るという救済の道筋を改めて確認して結ばれる。

35 verses

Adhyaya 14

Adhyaya 14

जैगीषव्यतपः–सिद्धेश्वरलिङ्गमाहात्म्य (Jaigīṣavya’s Austerities and the Glory of the Siddheśvara Liṅga)

本章はデーヴィーとイーシュヴァラの対話として構成され、太陽と結びつくプラバーサ(Prabhāsa)の聖性、地域の飾りと称されるアルカ・スタラ(Arka-sthala)の起源的地位、そして真言・作法・祭期など正しい礼拝規定の詳説が求められる。イーシュヴァラは、クリタ・ユガにおける古い先例を語って答える。 シャタカラーカ(Śatakalāka)の子である仙人ジャイギーシャヴヤ(Jaigīṣavya)はプラバーサに至り、計り知れぬ歳月をかけて段階的な苦行を行う。すなわち、空気のみで生き、水のみで生き、葉を食し、月の誓戒(lunar-vow)を周期的に守り、ついには厳烈な出離行と信愛(バクティ)によるリンガ礼拝に到達する。そこへシヴァ(Śiva)が顕現し、輪廻(saṃsāra)を断つ「知のヨーガ」を授け、さらに不慢・忍耐・自制という徳の支えを与え、ヨーガの自在と将来の神聖なる拝観(ダルシャナ)を約束する。 続いて、この聖地の功徳は諸ユガにわたり説き広げられる。カリ・ユガにはそのリンガがシッデーシュヴァラ(Siddheśvara)として名高く、ジャイギーシャヴヤの洞窟での礼拝とヨーガ修習は、速やかな変容、浄化、祖霊への利益をもたらすという。結びの果報讃(phalaśruti)は、シッダ・リンガ礼拝の功徳が比類なく大きいことを、宇宙的な比較表現によって宣言する。

32 verses

Adhyaya 15

Adhyaya 15

पापनाशनोत्पत्तिवर्णनम् | Origin Account of the Pāpa-nāśana Liṅga

本章は、「pāpa-hara/pāpa-nāśana(罪を除き滅するもの)」と称されるリンガについて、神学的・儀礼的要点を簡潔にまとめて説く。主宰神イーシュヴァラの神聖な声によって、リンガはプラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)の方位的な微地形の中に位置づけられ、シッダ・リンガ(Siddha-liṅga)の近くに正しく安置(pratiṣṭhita)されたこと、また太陽神スーリヤに結びつく黎明の象徴アルナ(Aruṇa)と関係することが語られる。さらに別伝として、スーリヤの御者が建立したとも述べられ、太陽的連関を強めつつ、礼拝の中心はあくまでシヴァのリンガであることが保たれる。 また本章は、礼拝の期日を明示する。チャイトラ月(Caitra)の白分(śukla pakṣa)第十三日トラヨーダシー(Trayodaśī)に、規定に則って(vidhivat)、信愛(bhaktyā)をもって供養すべきである。得られる果報は「プンダリーカ(Puṇḍarīka)」の功徳に比せられ、聖地文学(tīrtha)に典型的な功徳指標として示される。末尾の奥書により、本章が『プラバーサ・カーンダ』所収の第一「プラバーサ聖域讃(Prabhāsa-kṣetra-māhātmya)」第十五章であると確認される。

4 verses

Adhyaya 16

Adhyaya 16

पातालविवरमाहात्म्यं (Glory of the Pātāla Fissure near Arkasthala)

ĪśvaraはDevīに、PrabhāsaのArkasthala近傍にある大いなるpātāla-vivara(地下界へ通ずる裂け目)のマーハートミャ(霊験・功徳)を説く。章は由来譚から始まる。闇の状態において、太陽神Sūryaに敵対する無数の強大なrākṣasaが生じ、昇り来るDivākaraを嘲る。これに対し太陽は、dharmaに基づく正しき憤怒をもって応じ、視線の威光を増すと、rākṣasaは衰えた惑星のように天より落下する。落果や投石の譬えが示すのは、adharmaは必ず不安定となり崩れ去るという宇宙的道理である。 風に煽られ衝撃を受けた彼らは大地を破り、rasātalaへ沈み、ついにPrabhāsaへ至る。その墜落が、この裂け目の顕現・可視化と結び付けられる。Arkasthalaは「一切のsiddhi」を授ける神域として讃えられ、pātāla-vivaraはその傍らの大いなる霊跡とされる。時の流れで他の開口部が隠れたのに対し、ここだけは今も現れているという。ここはSūryaのtejasの「中分」で黄金の性質を帯び、Siddheśaに守護され、太陽祭の時に殊に霊験が増す。またBrāhmī・Hiraṇyā・海の合流であるtri-saṅgamaが説かれ、その果報はkoṭi-tīrthaに等しいとされる。 終わりに、Śrīmukha-dvāraという門での規定の礼拝が示される。caturdaśīの日に一年間、SunandāをはじめとするMātṛgaṇaを供養し、古式の供物(動物/食物)、花・香・灯明を捧げ、さらにbrāhmaṇaを饗応すればsiddhiが得られると約束される。このマーハートミャを聴聞することも、優れた人を災難と逆境から解き放つと語られる。

27 verses

Adhyaya 17

Adhyaya 17

Arkasthala-Sūryapūjāvidhi: Dantakāṣṭha, Snāna, Arghya, Mantra-nyāsa, and Phalaśruti (अर्कस्थल-सूर्यपूजाविधिः)

第17章は、イーシュヴァラがデーヴィーに対し、プラバーサのアルカスタラにおけるバースカラ/スーリヤ礼拝の作法(プージャー・ヴィディ)を説く、儀礼的かつ神学的な教説である。まず宇宙論的根拠が示され、アーディティヤは神々の中で根源的存在として、動く世界と動かぬ世界を保持し、創造し、融解する者と讃えられ、儀礼が宇宙秩序に基づくことが確立される。 続いて段階的な実修が述べられる。口・衣・身の清浄を整え、歯木(ダンタカーシュタ)について許可される木とその果、禁忌、坐法、歯を清める真言、用後の処理が詳説される。さらに加持された土と水による沐浴と、真言に沿った所作が示され、タルパナ、サンディヤー、太陽へのアルギャ奉献が説かれ、罪障の除去と功徳増大を強く約束する果報讃(ファラシュルティ)が添えられる。 拡大された入門手続を行えない者には「ヴェーダの道」(Veda-mārga)が示され、招請と礼拝のためのヴェーダ真言が列挙される。章はまた、曼荼羅に基づく安置と肢分ニヤーサ(アṅガ・ニヤーサ)、グラハと方位護神(ディクパーラ)の配置・供養、アーディティヤの相好を観ずるディヤーナを述べる。ついで像礼拝(ムールティ・プージャー)として、アビシェーカの諸供物と、聖紐・衣・香・塗香・灯明・アーラーティリカ等の次第供養、好まれる花・香・灯明と不適切な供物が示され、貪りと供物の不正な扱いへの戒めが語られる。結びに、ラーフと日食は「呑み込む」のではなく遮蔽であると説明し、伝授の秘儀性を守る規範と、聴聞・誦読の功徳が諸共同体に安寧、財福、護りをもたらすことが宣言される。

199 verses

Adhyaya 18

Adhyaya 18

चन्द्रोत्पत्तिवर्णनम् — Origin of the Moon and Śiva as Śaśibhūṣaṇa (Moon-adorned)

第18章は、スータ(Sūta)による枠物語の語りを引き続き述べる。プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)の偉大さを詳しく聞いたデーヴィーは、シャンカラ(Śaṅkara)の教えによって得た救済と認識の変容を語る。すなわち迷いと疑いが止み、心はプラバーサに安住し、タパス(苦行)が成就したという。 ついで彼女は、シヴァ(Śiva)の御頭に宿る月(candra)の起源と、その出現の時期を問う。イーシュヴァラ(Īśvara)は宇宙論的・暦法的な説明によって、物語をヴァラーハ・カルパ(Varāha Kalpa)および宇宙初期の段階に位置づけ、乳海攪拌(kṣīroda-manthana)により十四の宝が現れ、その一つとして月が光輝ある産物として生じたと説く。 シヴァは月を飾りとして戴くことを宣言し、さらに毒を飲む出来事(viṣa-pāna)と結びつけて、月飾りが解脱へ向かう象徴を帯びることを明かす。章末では、シヴァがそこに自現のリンガ(svayaṃbhū-liṅga)として常住し、あらゆる成就(siddhi)を授け、カルパのあいだ不滅であると確証される。

18 verses

Adhyaya 19

Adhyaya 19

कला-मान, सृष्टि-प्रलय-क्रम, तथा चन्द्र-लाञ्छन-कारण (Measures of Time, Creation–Dissolution Sequence, and the Cause of the Moon’s Mark)

第十九章は技法的な問答として展開する。女神デーヴィーが「なぜ月は常に満ちないのか」と問うと、イーシュヴァラは新月(amā)から満月(pūrṇimā)に至る月相を、十六のカラ/ティティ(ṣoḍaśa kalā/tithi)という時間構造として説き、祭式の時と天の運行とを結びつける。 続いて、時間の尺度が段階的に示される。truṭi・lava・nimeṣa・kāṣṭhā・kalā・muhūrtaから、昼夜・半月・月・ayana・年・yuga・manvantara・kalpaへと広がり、修行と儀礼の時間が宇宙的持続と連続していることが明らかにされる。さらに、生成・維持・融解を可能にする働きとして māyā/śakti が説かれ、起こったものは源へ還るという循環が断言される。 その後デーヴィーは、甘露(amṛta)に由来し信愛を受けるソーマ(月神)に、なぜ lāñchana(印)があるのかを尋ねる。イーシュヴァラはそれをダクシャ(Dakṣa)の呪詛の結果とし、無数の月・梵卵(brahmāṇḍa)・劫(kalpa)が生起しては消滅する壮大な反復の中に物語を置く。創造(sarga)と収滅(saṃhāra)を統べる唯一者は至上のイーシュヴァラのみであると示される。 終盤では、諸劫・諸マヌ期(manvantara)にわたる時間的配置が列挙され、過去の顕現に触れつつ、ヴィシュヌのアヴァターラの出現順—未来に正法を正す力として来たるカルキ(Kalki)を含む—が、宇宙時間に結びつくダルマ回復の理として概説される。

95 verses

Adhyaya 20

Adhyaya 20

दैत्यावतारक्रमः—सोमोत्पत्तिः—ओषधिनिर्माणं च (Order of Asura Incarnations, Soma’s Emergence, and the Origin of Plants)

本章では、イーシュヴァラがデーヴィーに、計り知れぬ時の流れの中でアスラ/ラークシャサに結びつく強大な王権がいかに交替してきたかを説き、ヒラニヤカシプとバリを象徴的な王として挙げ、支配と回復がユガの循環のごとく繰り返されてダルマが再興されることを示す。 続いて王統と系譜の話に移り、プララスティヤの系統、そしてクベーラやラーヴァナといった要人の誕生を語り、名の由来と同一性を明らかにするための特徴づけが添えられる。 さらに大きな転回として、アトリの苦行(tapas)に因むソーマ(チャンドラ)の出現、ソーマの「堕落」を宇宙がいかに扱ったか、ブラフマーの介入、そしてソーマが王位と祭儀上の威光に据えられる次第が、ラージャスーヤとダクシナー(dakṣiṇā)の授与を枠組みに語られる。 最後に、オーシャディ(薬草・植物、穀物、豆類)の起源を列挙し、ソーマが月光(jyotsnā)によって世界を養い、植生の主であることを示して、宇宙論を農耕生活と聖なる儀礼へと結びつける。

78 verses

Adhyaya 21

Adhyaya 21

Dakṣa-śāpa, Soma-kṣaya, and Prabhāsa-liṅga Upadeśa (दक्षशाप–सोमक्षय–प्रभासलिङ्गोपदेशः)

第21章は、女神(デーヴィー)と自在天(イーシュヴァラ)との神学的対話として展開し、系譜の叙述、倫理的因果、そして聖地への道標を一つに結ぶ。女神は、月神ソーマに現れた特別な徴(しるし)/状態とその原因を問う。自在天は、ダクシャの子孫と、娘たちがダルマ、カश्यパ、ソーマらに嫁いだことを語り、さらにダルマの妻と子、ヴァスたちとその後裔、サーディヤ、十二アーディティヤ、十一ルドラ、またヒラニヤカシプの系統など一部アスラの系譜を列挙して宇宙的秩序を示す。 物語はついで、ソーマが二十七宿(ナクシャトラ)を妻とし、とりわけローヒニーを偏愛したことへ移る。顧みられぬ他の妻たちはダクシャに訴え、ダクシャはソーマに公平を守れと戒める。ソーマは約束するが、再びローヒニーへの独占的執着に戻るため、ダクシャは呪詛を下す。すなわち消耗の病ヤクシュマーがソーマを捉え、光輝が次第に減衰(クシャヤ)するのである。 苦悩し輝きを失ったソーマが救いを求めると、ローヒニーは、まず呪いを発した権威にへりくだって帰依し、究極にはマハーデーヴァに身を委ねよと勧める。ソーマがダクシャに解除を願っても、ダクシャは通常の手段では覆せぬと告げ、シャンカラへの供養を指示する。さらに決定的な場所の教示として、ヴァルナの方角、海と湿地(アヌーパ)に近い地に、自ら顕現した強大なリンガがあり、光明と形相の徴を備えるという。そこへ信愛(バクティ)をもって詣で礼拝すれば、浄化と光輝の回復が得られる。こうして本章は、偏りの報いという教訓、系譜による宇宙の索引、そしてプラバーサ地方のリンガ崇拝という到達点を結び合わせる。

85 verses

Adhyaya 22

Adhyaya 22

कृतस्मरपर्वत-वर्णनम् तथा सोमशापानुग्रहः (Description of Mount Kṛtasmar(a) and Soma’s Curse–Boon Resolution)

第22章は、ソーマ(月神)が苦悩から回復へと至る道程を、プラバーサ(Prabhāsa)の祭祀的聖地空間の中で語る。ダクシャ(Dakṣa)の許しを得てもなお悲嘆に沈むソーマはプラバーサに到り、名高いクリタスマラ山(Kṛtasmar[a])を拝する。そこは吉祥の草木、鳥たち、天上の楽人、そして苦行者とヴェーダ通暁の人々の集いによって荘厳に描写される。 続いてソーマの信愛行が示される。海辺で「スパルシャ」(Sparśa=触れ合い/邂逅)に結びつくリンガ(liṅga)の近くを幾度も繞行し、専心して礼拝する。果実と根のみで長くタパス(苦行)を修し、シヴァ(Śiva)の超越的本質と多くの聖名を、宇宙の諸時代にわたる名号の次第を含めて整然と讃える讃歌を捧げる。満悦したシヴァは恩寵を与え、ソーマの衰えと増大は半月ごとに交互に起こるよう定め、ダクシャの呪言の効力を保ちつつ、その苛烈さを和らげる。 さらに、ブラーフマナの権威が宇宙の安定と祭儀の成就に不可欠であることを説く長い倫理的挿話が置かれる。章末では、海中に秘されたリンガとその奉安・ स्थापनाの指示が述べられ、「プラバーサ」とは、かつて光を失ったソーマに輝き(prabhā)が回復する地であると解説される。

114 verses

Adhyaya 23

Adhyaya 23

Somēśa-liṅga Pratiṣṭhā at Prabhāsa: Soma’s Yajña Preparations and Brahmā’s Consecration

第23章は、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)における儀礼と由緒の連なりを語る。ソーマ(チャンドラ)は、シャンブーより最上のリンガ(liṅga)を授かり、敬虔と驚嘆をもってプラバーサに住み定める。彼は天工ヴィシュヴァカルマン(Viśvakarman/Tvaṣṭṛ)にリンガの守護と正しい安置地の選定を託し、自らは月界チャンドラローカ(Candraloka)へ戻って大規模なヤジュニャ(yajña)の資具を動員する。大臣ヘーマガルバ(Hemagarbha)は諸準備を統括し、祭火を携えるバラモンを招集し、車乗と豊かな供施を整え、デーヴァ、ダーナヴァ、ヤクシャ、ガンダルヴァ、ラークシャサ、七島の王たち、さらに地下界の住人にまで及ぶ総招請を布告する。 プラバーサでは、マンダパ(maṇḍapa)、ユーパ(yūpa)、多数のクンダ(kuṇḍa)など儀礼施設が迅速に築かれ、薪サミド、クシャ草、花、ギー、乳、そして金製の祭器といった定式の供物が潤沢に備えられ、聖なる祝祭のような盛観となる。ヘーマガルバは準備完了をソーマとブラフマー(Brahmā)に報告する。ブラフマーは聖仙たちとともに来臨し、ブリハスパティ(Bṛhaspati)を祭司(purohita)として伴い、諸劫(kalpa)にわたりプラバーサで果たす自らの反復する役割と名の異同を説き、過去の瑕疵を正し回復するため、バラモンにプラティシュター(pratiṣṭhā)への助力を命じる。 続いて儀礼の精緻な設計が進む。複数のマンダパの配置、祭官(ṛtvij)職の任命、ローヒニー(Rohiṇī)を妃(patnī)としてソーマにディークシャー(dīkṣā)を授け、ヴェーダ諸学派に応じて真言誦持(japa)を配分し、方位ごとに規定の幾何でクンダを築き、旗幟(dhvaja)と聖樹を立てる。頂点においてブラフマーは地中に入りリンガを顕現させ、ブラフマ・シラー(brahma-śilā)上に安置し、マントラ・ニヤーサ(mantra-nyāsa)を施してソーメーシャ(Somēśa)の安立を成就する。煙なき火、天鼓、花雨という吉兆が現れ、続いて豊かなダクシナー(dakṣiṇā)と王者の施与・土地寄進が行われ、ソーマは以後、安置された神を日に三度礼拝し続ける。

135 verses

Adhyaya 24

Adhyaya 24

सोमनाथलिङ्गप्रतिष्ठा, दर्शनफलप्रशंसा, पुष्पविधान, तथा सोमवारव्रतप्रस्तावना (Somnātha Liṅga स्थापना, merits of darśana, floral regulations, and the prelude to the Monday-vrata)

本章はデーヴィーとイーシュヴァラの対話として展開し、ソムナータ(Somnātha)・リンガを聖なる年代記の中(トレーター・ユガの文脈)に位置づけ、その権威をソーマ(Soma)のタパス(苦行)と不断の礼拝によって確立する。ソーマはシヴァ(Śiva)を、知の自己・ヨーガの自己・ティールタの自己・ヤジュニャの自己など多くの尊名で讃嘆し、シヴァはリンガにおける永遠の近接という恩寵を授け、地名「プラバーサ(Prabhāsa)」と神名「ソムナータ」の由来を正式に示す。 続いて功徳(phala)の教説が整然と説かれ、ソムナータのダルシャナ(拝観)は大いなる苦行・布施・巡礼・主要儀礼に等しい、あるいはそれを超えるとされ、クシェートラにおける信愛(bhakti)の邂逅が最上として称揚される。また供養に用いるべき花葉と避けるべき花葉が、鮮度、夜昼の規定、禁忌を含めて技術的に列挙される。 ソーマの癒やしの後には、プラーサーダ群を中心とする寺院都市の造営と諸施与が語られる。さらに、シヴァのニルマーリヤ(供物の残り)を扱うことによる不浄を婆羅門たちが憂慮し、ナーラダが回想するガウリー—シャンカラ対話を通じて、信愛、グナに基づく性向、そして究極におけるシヴァとハリ(ヴィシュヌ)の不二の関係が説き明かされる。章末は、決定的な修行としてのソーマヴァーラ・ヴラタ(毎週月曜の誓戒)へと移り、ガンダルヴァの一家の逸話を導入して、ソムナータ礼拝による治癒の処方が示される。

181 verses

Adhyaya 25

Adhyaya 25

सोमवारव्रतविधानम् — The Ordinance of the Monday Vow (Somavāra-vrata)

本章は対話形式で説かれる儀礼・神学の教示である。イーシュヴァラ(Īśvara)は、バヴァ(Bhava=シヴァ Śiva)を歓ばせたいガンダルヴァを示し、ソーマヴァーラ・ヴラタ(Somavāra-vrata、月曜の誓戒)について問わせる。聖仙ゴーシュリンガ(Gośṛṅga)はこの誓戒を万人に利益あるものと讃え、その由来を語る。すなわち、ダクシャ(Dakṣa)の呪いで病を得たソーマ(Soma)が、久しく禅定してシヴァを礼拝すると、シヴァは満悦し、太陽・月・山々が存する限り存続するリンガ(liṅga)の建立を許し、ソーマは病より解放され、光輝を回復した。 続いて実修の手順が示される。白分(明半月)の月曜を選び、浄めを行い、荘厳したカラシャ(kalaśa)と儀礼の場を設け、ウマー(Umā)とともにソーメーシュヴァラ(Someśvara)および方位の諸相を礼拝する。白い花と定められた食物・果実を供え、ウマーと合一し多面多臂なるシヴァを讃嘆する名指しのマントラを誦する。さらに月曜ごとの連続修行(歯木ダンタカーシュタ dantakāṣṭha の選択、供物、ダルバ草 darbha の上に臥す等の夜の戒め、時に徹夜)を説き、九日目のウッディヤーパナ(udhyāpana)で円満となる。そこではマンダパ(maṇḍapa)、クンダ(kuṇḍa)、蓮華のマンダラ、八方のカラシャ、金像、ホーマ(homa)、師への布施(guru-dāna)、ブラーフマナへの供養と施与(衣・牛)を行う。功徳讃(phalāśruti)は病の除去、繁栄、家系の利益、シヴァ界(Śiva-loka)到達を約し、結びにガンダルヴァがプラバーサ/ソーメーシュヴァラで誓戒を修して加護を得る。

60 verses

Adhyaya 26

Adhyaya 26

गन्धर्वेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Gandharveśvara Māhātmya (Description of the Glory of Gandharveśvara)

本章は、シヴァ派の教誨的な語り口で、ある土地の霊地成立譚を示す。イーシュヴァラは、ガンダルヴァのガナヴァーハナが恩寵(ブーン)を得て「kṛtārtha(成就した者)」となり、信愛(バクティ)に整えられてリンガを建立したことを語る。そのリンガはガンダルヴェーシュヴァラと名づけられ、ガンダルヴァに関わる果報・利益を授ける者(gāndharva-phala-dāyaka)として明言される。 リンガの所在は聖なる座標で定められ、ソーメーシャの北、ダンダパーニの近くとされる。さらに儀礼地理に結びついた実践の要点として、ヴァルナに属する区画(varuṇa-bhāga)において、五つの弓の「パンチャカ」の中にあると描写される場所で、月の第五日(pañcamī)に礼拝すれば、礼拝者は苦悩・災厄を免れると説かれる。末尾の奥書は、本章が八万一千頌から成る『スカンダ・マハープラーナ』の第七プラバーサ・カーンダ、およびプラバーサ聖域功徳(Prabhāsa-kṣetra-māhātmya)に属することを示し、巡礼地図の一結節点として位置づける。

2 verses

Adhyaya 27

Adhyaya 27

गन्धर्वसेनेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Gandharvasenīśvara: Account of the Shrine’s Greatness

本章では、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに語り、ガウリーの近くにガンダルヴァセーナー(Gandharvasenā)が建立したリンガを説く。これをヴィマレーシュヴァラ(Vimaleśvara)と名づけ、あらゆる病を滅する御力(sarva-roga-vināśana)を具えると讃える。 また聖地の地勢における道標として、「弓三つ分」(dhanuṣāṃ tritaye)の距離と、東方の区画(pūrvavibhāga)という方位が示され、巡礼の案内となる。信敬の作法は礼拝供養(pūjayitvā)としてほのめかされ、実修の時機は第三ティティ(tṛtīyā tithi)と定められる。 果報の宣説(phalaśruti)によれば、これを行ずる女性は不運(daurbhāgya)から解き放たれ、望みを成就し、子・孫による家系の継続と、社会的・宗教的な प्रतिष्ठा(pratiṣṭhā:名望の確立)を得る。結びに、この教えは聞くだけで罪を滅する(pātaka-nāśana)ヴラタ(vrata)の物語であると位置づけられ、トレーター・ユガ(Tretā-yuga)の時代枠に置かれて、プラーナの権威を時代の重層によって確証し、コロフォン風に締めくくられる。

5 verses

Adhyaya 28

Adhyaya 28

Somnātha-yātrāvidhi, Tīrthānugamana-nyāya, and Dāna–Upavāsa Regulations (सौमनाथयात्राविधिः)

第28章は、女神がソーマナータ(Somnātha)への巡礼について、適切な時期・方法・守るべき規律を精確に説くよう自在天(Īśvara)に請うところから始まる。自在天は、内なる決意が起こるなら季節を問わずヤートラーを行ってよいと答え、成就の因はバーヴァ(信心の意・心の向き)にあると強調する。続いて準備の行として、心中でルドラに礼拝すること、状況に応じてシュラーダ(śrāddha)を修すること、プラダクシナー(pradakṣiṇā)、沈黙または言葉の節制、食の規律、そして怒り・貪り・迷妄・嫉み等の過失を捨てることが説かれる。 さらに本章は、カリ・ユガにおいてティールターヌガマナ(tīrthānugamana:聖地巡礼、特に徒歩)がある種の祭式に勝るとする重要な教説を掲げ、プラバ―サ(Prabhāsa)を諸ティールタの中で比類なきものと讃える。功徳は、旅の仕方と誠実さ(徒歩か乗り物か)、苦行の度合い(ビクシャーに基づく節制)、および倫理的清浄さによって段階づけられる。また、不正な受施(pratigraha)やヴェーダ学の商業化といった堕落した行いを戒める。 加えて、ヴァルナ/アーシュラマに応じた断食規定、偽善的巡礼への警告、プラバ―サにおける月のティティ(tithi)に沿った布施(dāna)暦が示される。結びに、真言に乏しい者や貧しい巡礼者であってもプラバ―サで命終すればシヴァの界に至ると確言し、一般的なティールタ沐浴(tīrtha-snāna)の真言次第を授け、到着後まずどのティールタで沐浴すべきかという次章の話題へ導く。

128 verses

Adhyaya 29

Adhyaya 29

Agnitīrtha–Padmaka Tīrtha Vidhi and the Ocean’s Curse–Boon Narrative (अग्नितीर्थ–पद्मकतीर्थविधिः सागरशापवरकथा)

本章は相互に結びつく二つの展開から成る。(一)儀礼の地図と作法:イーシュヴァラは巡礼者を吉祥なる海辺のアグニティールタへ導き、さらにソムナータの南にあるパドマカ・ティールタを、世に名高い罪滅ぼしの聖地として示す。沐浴とヴァパナム(髪を切る/剃るなどの儀礼)について、シャンカラを心に観想し、定められた場所に髪を納め、再びスナーナを行い、信をもってタルパナを修するという手順が説かれる。男女や家住者としての制約も区別され、マントラなく海に触れること、祭時を外すこと、定法に背くことが戒められる。さらに海へ近づくためのマントラ形と、金の腕輪(カンカナ)を海に供える作法が示される。 (二)由来を語る神学:デーヴィーは、海が諸河の帰着であり、ヴィシュヌとラクシュミーに結びつくにもかかわらず、なぜ「ドーシャ(過失)」を負いうるのかと問う。イーシュヴァラは古譚を語る—プラバーサでの長大な祭祀の後、ダクシナーを求めるバラモンに脅かされたデーヴァたちは海に身を隠したが、海は隠された肉をバラモンに与えたため、定められた条件を除き「触れてはならず/飲んではならぬ」ものとして呪われた。ブラフマーは救済の枠組みを調え、パルヴァの時、河川合流点、セートゥバンダ、選ばれたティールタでは海との接触が浄化となり大いなる功徳を生むと定め、海は宝玉で償う。章末では、金の壺のような場所で水を「飲む」海底火ヴァーダヴァーナラの地勢が示され、アグニティールタは護られた至高の秘奥として讃えられ、その名を聞くだけでも重罪人が清められると結ばれる。

96 verses

Adhyaya 30

Adhyaya 30

सोमेश्वरपूजामाहात्म्यवर्णनम् | Someshvara Worship: Procedure and Merits

本章は、女神(Devī)の問いに対する自在天(Īśvara)の答えとして、アグニ・ティールタで沐浴した後、巡礼者が障りなく旅を成就するための作法を説く。まず、規定(vidhāna)に従って沐浴し、大海(mahodadhi)へアルギャ(arghya)を捧げ、香・花・衣・塗香で供養する。次に、力に応じて金の装身具または金の腕輪を聖水に投じ、祖霊にタルパナ(tarpaṇa)を行う。 続いてカパルディン(Kapardin、シヴァ)に詣で、ガナ(gaṇa)に関わる真言でアルギャを捧げる。真言の受持についても示され、シュードラ(Śūdra)に許される八音節真言への言及もある。その後、ソメーシュヴァラ(Som(e)śvara)を拝し、アビシェーカ(abhiṣeka)を修して、シャタルドリヤ(Śatarudriya)などルドラ讃歌を誦する。乳・凝乳・ギー・蜂蜜・甘蔗汁での多種の沐浴供養と、クンクマ、樟脳、ベチバー、麝香、白檀の塗香が説かれる。 さらに、薫香、衣の供献、ナイヴェーディヤ(naivedya)、アーラーティ(ārātrika)、音楽と舞踊、そしてダルマに基づく観想と誦読が勧められる。二度生まれの者、苦行者、貧者、盲者、困窮者への布施、ならびにソメーシュヴァラを拝した日(tithi)に結びつく断食(upavāsa)の規律が示される。功徳として、人生の諸段階の罪障の浄化、家系の向上、貧困と不運からの解放、そしてカリ・ユガの道徳的困難の中でいっそう深まる信愛(bhakti)が宣言される。

21 verses

Adhyaya 31

Adhyaya 31

वडवानलोत्पत्तिवृत्तान्ते दधीचिमहर्षये सर्वदेवकृतस्वस्वशस्त्रसमर्पणवर्णनम् (Origin Account of the Vādavānala and the Devas’ Deposition of Weapons with Maharṣi Dadhīci)

本章はデーヴィーとイーシュヴァラの対話として展開し、(1) 先に説かれた「サ・カーラ・パンチャカ」の因、(2) 聖域(クシェートラ)におけるサラスヴァティーの存在と顕現、(3) ヴァーダヴァーナラのモチーフの起源と時期、これら三点の因果を問い明かす。イーシュヴァラは、サラスヴァティーがプラバーサにおいて浄化の働きとして現れ、五つの名—ヒラニヤー、ヴァジュリニー、ニャング、カピラー、サラスヴァティー—によって語られると答える。 続いて由来譚へ移る。ソーマに関わる因縁によってデーヴァとアスラの争いが鎮まり、チャンドラはブラフマーの命によりターラーを返す。諸天は地上を見下ろし、天界のごときアーシュラマ—大聖ダディーチの名高い庵—を目にする。そこは季節の花々と芳香の草木に満ちていた。 敬虔な思いから、彼らは人のように慎み深く近づき、アルギャ/パードゥヤの礼でもてなされて着座する。インドラは武器を安全に預けたいと願い、聖仙に保管を請う。ダディーチは当初、天界へ戻るよう勧めるが、インドラは非常の時に必ず取り戻せねばならぬと強く求める。ダディーチは承諾し、戦時には返還すると誓う。インドラはその真実語を信じ、武器を託して去る。 結びの果報偈(パラシュルティ)は、この物語を規律ある専心で聴く者は戦いに勝利し、立派な子を得、さらにダルマとアルタと名声を得ると説く。

19 verses

Adhyaya 32

Adhyaya 32

दधीच्यस्थि-शस्त्रनिर्माणम्, पिप्पलादोत्पत्तिः, वाडवाग्नि-प्रसंगः (Dadhīci’s Bones and the Making of Divine Weapons; Birth of Pippalāda; The Vāḍava Fire Episode)

第32章は、苦行者の伝記、神々の統治のはからい、そして業(カルマ)の因果を、連鎖する挿話として描き出す。神々が去った後、婆羅門の聖仙ダディーチ(Dadhīci)は苦行を続け、北方へ移って河畔のアーシュラマに住む。侍女スバドラ(Subhadrā)は沐浴の折、捨てられた腰布に付いた精を知らずに触れ、のちに懐妊を知る。恥じてアシュヴァッタ(aśvattha)の林で出産し、見知らぬ相手に条件付きの呪詛を告げる。 その頃、ローカパーラたちとインドラは、預けていた武器の返還を求めてダディーチのもとへ来る。ダディーチは武器の威力を自らに取り込んだと語り、自身の骨から武器を造るよう提案する。世界護持の神命のため、彼は自ら進んで身を捨てる。神々は五頭の天牛スラビー(Surabhī)を招いて遺骸を清めさせるが、争いからサラスヴァティー(Sarasvatī)への呪いが生じ、祭儀における「不浄」規定の由来が語られる。続いてヴィシュヴァカルマン(Viśvakarman)がダディーチの骨より、金剛杵(vajra)、法輪(cakra)、三叉戟(śūla)など守護神の武器を作り上げる。 後にスバドラは子が生きているのを見いだし、少年はそれが業の必然であると言い、アシュヴァッタの樹液に養われたゆえ「ピッパラーダ(Pippalāda)」と名づけられる。父が武器のために殺されたと知ると、復讐を誓い、タパスによって破滅のクリティヤー(kṛtyā)を生じさせる。彼の腿からはヴァーダヴァ火(Vāḍava)に結びつく炎の存在が現れる。デーヴァたちが救いを求めると、ヴィシュヌ(Viṣṇu)が「一人ずつ食らう」という手順で災厄を調伏し、滅世の怒りを統御された宇宙秩序へと転じる。結びに、敬虔に聴聞する者は罪過への恐れを離れ、智慧と解脱を助けられると功徳が説かれる。

126 verses

Adhyaya 33

Adhyaya 33

वाडवानल-नयनम् तथा पञ्चस्रोता-सरस्वती-प्रादुर्भावः (Transport of the Vāḍava Fire and the Manifestation of Five-Stream Sarasvatī)

本章は、デーヴィーが先の出来事の経緯を問うことから始まり、イーシュヴァラが語る。宇宙の秩序を脅かすほど猛威をふるうヴァーダヴァ火(Vāḍava)を、神々は封じて移送せねばならなかった。ヴィシュヌは策をめぐらし、サラスヴァティーを火を運ぶ「乗り物そのもの」(yāna-bhūtā)として任じ、河川の女神たちに協力を求めるが、ガンガーらはその破壊力に耐えられないと告げる。父の命なくしては動かぬという孝と儀礼上の制約に従うサラスヴァティーは、ブラフマーの許可を得て地下の道を進むこととなり、火により疲弊したとき地上に prācī として顕現し、聖地ティールタ(tīrtha)への門を開くと説かれる。 続いてサラスヴァティーの旅が描かれる。吉祥の出立、伴侶・同行の象徴、ヒマラヤの地から河の姿で現れること、そして地下を流れては地上に姿を見せるという反復が語られる。プラバーサ(Prabhāsa)では四人のリシ(Harina、Vajra、Nyaṅku、Kapila)が登場し、慈悲と功徳成就のためにサラスヴァティーは pañca-srotas(五流)となって五つの名(Harīṇī、Vajriṇī、Nyaṅku、Kapilā、Sarasvatī)を得る。さらに、重い罪を各流の水に対応させ、定めに従って沐浴・飲用すれば深い pāpa を浄め得るという浄化の規定が示される。 また、山の存在 Kṛtasmarā が行く手を阻み婚姻を迫るが、サラスヴァティーは火を持たせる方便を用い、触れた山は焼き滅ぼされる。その山の石が柔らかくなり、家庭の祠を造る石材として用いられる由来も語られる。最後に海辺でヴァーダヴァ火が願いを授け、ヴィシュヌの助言によりサラスヴァティーは火が「針の口」(sūcī-mukha)となって水を飲みつつ神々を呑み尽くさぬよう願う。章末の功徳譚(phalaśruti)は、これを聞き誦する者が高い霊的成就を得ると約束する。

103 verses

Adhyaya 34

Adhyaya 34

वडवानल-निबन्धनम् (Containment of the Vaḍavānala) — Sarasvatī, the Ocean, and Prabhāsa’s Tīrtha-Order

ĪśvaraはDevīに、聖地プラバーサ(Prabhāsa)に結び付く神学的逸話を語る。サラスヴァティー(Sarasvatī)は、ヴァダヴァーナラ(Vaḍavānala、海底の破壊的な火)に関わる恩寵を得て、神の指示に従いプラバーサへ赴き、大海を招き出す。大海は神々しい美と従者を伴って現れ、サラスヴァティーは彼を万有の原初の支えとして讃え、諸天の目的のためヴァダヴァ火を受け入れるよう請う。 大海は熟慮して承諾し火を受け取るが、炎の激化に水中の生類は恐怖する。そこへヴィシュヌ(Viṣṇu、アチュタ/ダイティヤスーダナ)が来臨し、水の生き物を慰撫し、ヴァルナ/大海に命じてヴァダヴァーナラを深淵へ投じさせる。火は深水に留まり海を「飲む」かのように働くが、制御された封じ込めである。大海が水の枯渇を憂えると、ヴィシュヌは水を無尽蔵とし、宇宙の均衡を安定させる。 続いて行法が地に定められる。サラスヴァティーは名ある経路から海に入り、アルギャ(arghya)を捧げ、アルギェーシュヴァラ(Arghyeśvara)を स्थापितし、南東のソーメーシャ(Somēśa)の近くに立つと説かれる。章末はアグニティールタ(Agnitīrtha)での巡礼作法—沐浴、礼拝、夫婦への衣食の施与、マハーデーヴァ(Mahādeva)礼拝—を示し、チャークシュシャとヴァイヴァスヴァタのマヌ期に触れ、さらにこの物語を聞く功徳として罪障の滅除と福徳・名声の増大を宣言する。

37 verses

Adhyaya 35

Adhyaya 35

Ādhyāya 35 — Oūrva, Vāḍavāgni, and Sarasvatī’s Tīrtha-Route to Prabhāsa (और्व-वाडवाग्नि-सरस्वतीतीर्थमार्गः)

本章は神学的対話として展開し、デーヴィーが現マヌヴァンタラにおけるバーラガヴァの聖者ウールヴァ(Oūrva)の起源を問う。イーシュヴァラは暴力と報復の由来譚を語る。富を求めるクシャトリヤがブラーフマナを殺害し、ただ一人の女性が胎児を腿(ūru)に隠して守ったため、そこからウールヴァが出現する。ウールヴァは苦行(tapas)より生じた猛火—ラウドラ・ウールヴァ/ヴァーダヴァ火(Raudra Oūrva/Vāḍava)—を生み、世界を焼き尽くしかねず、神々はブラフマーに救いを求める。 ブラフマーはウールヴァを鎮め、その火を世界ではなく大海へ向けよと命じる。サラスヴァティーは金の器に納められた聖別の火を運ぶ役を負い、その旅は詳細なティールタ巡礼路となる。彼女はヒマラヤから西方の地を行き、たびたび姿を隠し(antardhāna)、名ある井戸や聖地に再び現れる—ガンダルヴァ・クーパ(Gandharva-kūpa)をはじめ、イーシュヴァラの諸所、サンガマ(合流点)、森、渡し場、儀礼の要所が連なっていく。 ついに海辺でサラスヴァティーはヴァーダヴァ火を塩の海へ放つ。アグニは恩寵を授けるが、指輪を介した命令により海を干上がらせぬよう制止される。章末は果報讃(phalaśruti)として、プラーチー・サラスヴァティー(Prācī Sarasvatī)の稀有さと威力、アグニ・ティールタの功徳、そして罪を滅する「ラウドリー・ヤートラー(Raudrī yātrā)」の礼拝次第—サラスヴァティー、カパルディン/シヴァ、ケーダーラ、ビーमेーシュヴァラ、バイラヴェーシュヴァラ、チャṇḍīーシュヴァラ、ソーメーシュヴァラ、ナヴァグラハ、ルドラ・エーカーダシャ、幼子の姿のブラフマー—を示して結ぶ。

120 verses

Adhyaya 36

Adhyaya 36

Prācī Sarasvatī Māhātmya and Prāyaścitta of Arjuna at Prabhāsa (प्राचीसरस्वतीमाहात्म्यं तथा पार्थस्य प्रायश्चित्तकथा)

本章は対話として構成され、女神デーヴィーが、プラバ―サ(Prabhāsa)におけるプラーチー・サラスヴァティー(Prācī Sarasvatī)の稀有さと、他に勝る浄罪の力について問い、クルクシェートラやプシュカラとの比較も示される。イーシュヴァラ(シヴァ)はプラバ―サの霊験の高さを認め、この河を過失と罪垢を除くものとして讃える。飲用や沐浴は厳密な時刻の制限なく行え、さらにその水に与る獣類さえ功徳により高められると説く。 続いてスータの語りにより一つの譬例が語られる。バーラタ戦後、アルジュナ(キリーティン、ナラ=ナーラーヤナに結び付く)は、親族殺しの業の重さゆえに社会的・道徳的に排斥される。クリシュナは彼をガヤーやガンガー、プシュカラへではなく、プラーチー・サラスヴァティーの地へ導く。アルジュナは三夜の斎戒(トリラートラ・ウパヴァーサ)と一日三度の沐浴を修し、積もった罪から解放され、ユディシュティラらに再び迎え入れられて和合する。 章はさらに儀礼と倫理の指針を広げ、北岸近くでの死は「再来せず」と語られ、苦行が称揚される。またこのティールタでの布施(ダーナ)と祖霊供養(シュラーダ)は、施主と祖先に増大した果報をもたらし、幾代にもわたる救済を約すとされる。結びに、サラスヴァティーが諸河の中で最勝であり、現世の安らぎと死後の福楽の源であることが重ねて宣言される。

58 verses

Adhyaya 37

Adhyaya 37

कंकणमाहात्म्यवर्णनम् / Theological Account of the Bracelet Rite

第37章は対話形式で展開し、女神がイーシュヴァラに、プラバーサにおいてソーメーシュヴァラに結びつけて「カンカナ(腕輪)」を海へ投じる儀礼の理由と霊験を問う。女神はマントラ、ヴィディ(作法)、時期、そして先例となる物語を詳しく求める。 イーシュヴァラはプラーナ的な譬話で答える。ブリハドラタ王と徳高い王妃インドゥマティーが聖仙カンヴァを歓待し、ダルマの説示の後、カンヴァは王妃の前生を明かす。彼女はかつて貧しいアービーリーの女で、五人の夫とともにソーメーシュヴァラへ赴き、海で沐浴中に波に呑まれて黄金の腕輪を失い、その後に死して王家に再生したという。 カンヴァは、今生の繁栄は大いなる誓戒(vrata)や苦行(tapas)、布施(dāna)によるのではなく、腕輪の出来事とそのティールタの場所固有の果報に由来すると説く。こうして腕輪儀礼の「果」が知られ、ソーメーシュヴァラの塩の海で沐浴した後に毎年行われ、罪を滅する(pāpa-nāśana)とともに一切の願いを授ける(sarva-kāma-prada)と讃えられる。

29 verses

Adhyaya 38

Adhyaya 38

Kaparddī-Vināyaka as Prabhāsa-kṣetra Protector and the Vighnamardana Stotra (कपर्द्दी-विनायकः प्रभासक्षेत्ररक्षकः तथा विघ्नमर्दनस्तोत्रम्)

本章はデーヴィーとイーシュヴァラの対話として展開し、プラバーサ・クシェートラでソーメーシュヴァラに近づく前に、まずカパルッディー(ヴィナーヤカ/ガネーシャの一形態)を礼拝すべき理由を明らかにする。イーシュヴァラは、ソーメーシュヴァラがプラバーサ地方に स्थापितされたサダーシヴァのリンガ形であると示し、カパルッディーが障碍を統御するヴィグネーシュヴァラとして最上位にあることを説く。さらに、ユガごとの化現の体系として、クリタにヘーランバ、トレーターにヴィグナマルダナ、ドヴァーパラにランボーダラ、カリにカパルッディーが挙げられる。 続いて危機譚が語られる。人々が通常の儀礼を経ずともソーメーシュヴァラのダルシャナだけで天界の境地を得るため、デーヴァたちは自らの位が揺らぎ、祭祀の秩序が乱れることを憂える。デーヴァたちの請願を受け、デーヴィーが身を圧して生じた「マラ」から、四臂で象面のヴィナーヤカが現れ、迷妄のままソーメーシュヴァラへ向かう者に障碍を起こして、正しい意図と倫理的成熟を保たせる役目を担う。デーヴィーは彼をプラバーサ・クシェートラの守護者に任じ、家族や財への執着、あるいは病によって旅立つ者を妨げ、堅固な者のみが進めるよう命じる。 本章はまた、カパルッディーに捧げるヴィグナマルダナ・ストートラを伝え、赤い供物による礼拝とチャトゥルティーの遵守を説く。結びには功徳(パラ)が示され、障碍を支配する力、定められた期間内の成就、そしてカパルッディーの恩寵による最終的なソーメーシュヴァラのダルシャナが約束される。さらに「カパルッディー」の名は、彼の「カパルダ(髻のような)に似た形」と結びつけて解釈される。

59 verses

Adhyaya 39

Adhyaya 39

Kedāra (Vṛddhi/Kalpa) Liṅga Māhātmya and Śivarātri Jāgaraṇa: The Narrative of King Śaśabindu

本章は、イーシュヴァラがマハーデーヴィーに説く教理を、巡礼と儀礼の行程としてまとめたものである。まずプラバーサにあるケーダーラのリンガが示される。これは自現(svayaṃbhū)でシヴァに愛され、ビーਮੇーシュヴァラの近くに鎮まる。前のユガではルドレーシュヴァラと呼ばれ、ムレッチャとの接触を恐れて隠没・沈潜したのち、地上では「ケーダーラ」として知られるようになったという。 ついで修行法が説かれる。塩の海で沐浴し、さらにパドマカのティールタ/クンダで沐浴してから、ルドレーシャとケーダーラを礼拝する。とりわけチャトゥルダシーの日と、シヴァラートリに一夜を通して目覚めて守夜する(ekaprajāgara)ことが、最上の功徳として強調される。長い説話では、王シャシャビンドゥが明半月のチャトゥルダシーにプラバーサへ来て、仙人たちがジャパとホーマに励むのを見、ソムナータを礼拝し、ケーダーラへ赴いてジャーガラナを行う。チャヤヴァナ、ヤージュニャヴァルキヤ、ナーラダ、ジャイミニらに問われると、王は前生を語る。飢饉の折にシュードラとしてラーマ・サラスで蓮を摘み、売れずにいたところ、遊女アナンガヴァティーが導く वृद्ध/ルドレーシュヴァラ・リンガのシヴァラートリ守夜に遭遇し、食が得られぬままの「意図せぬ斎戒」、沐浴、蓮の供養、夜通しの守夜によって来世の王権を得、因縁の記憶も保ったのである。 結びに果報(phala)が述べられ、このリンガの礼拝は重罪を滅し、人の目的の全てを授けるとされる。同じ守夜の功徳により、アナンガヴァティーもまた昇ってアプサラスとなった。

58 verses

Adhyaya 40

Adhyaya 40

भीमेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् / Chapter 40: The Māhātmya (Sacred Account) of Bhīmeśvara

第40章はシヴァとデーヴィーの聖なる対話として構成され、シュヴェータケートゥに始まり後にビーマセーナへと結び付く、霊験あらたかなリンガの起源・命名・功徳を説く。イーシュヴァラはまずデーヴィーに、シュヴェータケートゥが建立し、かつてビーマが礼拝した大いに効験ある霊場を示す。それはケーダレーシュヴァラの近くにあり、巡礼者は乳による灌頂(アビシェーカ)など、定められた順序の作法に従って供養することで、巡礼の果報と来世の善趣を得るとされる。 デーヴィーが「シュヴェータケートゥのリンガはいかにして名付けられ、なぜビーメーシュヴァラと呼ばれるのか」と因縁を問うと、イーシュヴァラは語る。トレーター・ユガにおいて王仙シュヴェータケートゥは、プラバーサの吉祥なる海辺で多年にわたり、季節を通じて厳しい苦行(タパス)を修し、ついにシヴァより恩寵を授かった。彼は退かぬ信愛(バクティ)と、その地へのシヴァの常住を願い、シヴァがこれを許したため、リンガはシュヴェータケートゥヴィーシュヴァラとして知られるようになった。 カリ・ユガには、ビーマセーナが兄弟とともにティールタ巡礼の途上で来臨し、そのリンガを礼拝したことから、名はビーメーシャ/ビーメーシュヴァラへと改めて称えられる。章末では浄罪の力が宣言され、ただ一度の拝観と敬礼だけでも、多生にわたり積もった罪を含む数多の罪障が滅すると説かれる。

17 verses

Adhyaya 41

Adhyaya 41

भैरवेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् / The Māhātmya of Bhairaveśvara

本章は、イーシュヴァラが語る、東方に建立されサラスヴァティーに結びつき、海辺に近い強大なリンガの由来を述べる。破壊的な「ヴァダヴァーナラ」(vaḍavānala・海底の火)が災厄となったとき、女神はリンガを海の近くへ移し、正しい作法により礼拝を行い、その火を引き受けて大海へ投じ、諸天の安寧を成就した。 デーヴァたちは法式に則って歓喜し、法螺貝と太鼓が鳴り、花雨が降る。そして神々とアスラでさえ困難な業を成したとして、女神に尊称「Devamātā」(神々の母)を授ける。さらにイーシュヴァラは、女神がこの吉祥なるリンガを建立し、サラスヴァティーが最上の河で罪を滅するものと讃えられるゆえに、このリンガが「バイラヴァ」(Bhairaveśvara)として名高くなると説く。 結びに実践の教えが示される。とりわけマハーナヴァミー(Mahānavamī)に如法の沐浴をしてサラスヴァティーとバイラヴェーシュヴァラを礼拝すれば、言語の過失(vāg-doṣa)が除かれる。また乳による灌頂(アビシェーカ)と「アゴーラ」真言をもってリンガを供養すれば、巡礼の果報(yātrā-phala)を完全に得る。

10 verses

Adhyaya 42

Adhyaya 42

चण्डीशमाहात्म्यवर्णनम् (Chandīśa Shrine-Glory and Ritual Protocols)

本章は、プラバーサ・クシェートラにおいてチャンディーシャ(Chandīśa)に近づき礼拝する方法を、イーシュヴァラがデーヴィーに説く。聖所の所在は、ソーメーシャ/イーシャの方域(dig-bhāga)の近くで、ダンダパーニ(Daṇḍapāṇi)の住処から南へ遠からぬ所という、方角と近接の標識によって示される。さらに、チャンダー(Chandā)と一団のガナ(gaṇa)が苛烈な苦行(tapas)を成し、かつて安置し供養したことにより、名高いチャンデーシュヴァラ・リンガ(Chandēśvara liṅga)が顕れたと語って、霊験の権威を確立する。 続いて、プージャーの次第が整然と列挙される。乳・凝乳・ギーによるアビシェーカ(abhiṣeka)、蜂蜜・甘蔗汁・サフランの塗布、樟脳・ウシーラ(uśīra)・麝香精・白檀などの香油、花、香とアグル(aguru)、力に応じた布の供え、供物(naivedya、特にパラマーンナ)と灯明、そして二生者(dvijāti)への布施/ダクシナーである。 また場所に即した功徳が説かれる。南を向いて捧げた施与はチャンディーシャのため尽きぬ果報となり、チャンディーシャの南で行うシュラッダ(śrāddha)は祖霊を久しく満足させる。さらに、北行期(uttarāyaṇa)に「ギーの毛布」(ghṛta-kambala)を供える行は、苛酷な再生を避ける因となる。結びに、シューリン(Śūlin)への巡礼と信愛は罪障を滅する贖罪であり、ニルマーリヤ(nirmālya)に関わる過失や不注意の摂食、その他業から生じた瑕疵より衆生を解き放つと教える。

12 verses

Adhyaya 43

Adhyaya 43

आदित्येश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Adityeśvara Māhātmya (Chapter on the Glory of Adityeśvara)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに授ける方位に基づく巡礼の教えを述べ、求道者をソーメーシャの西、「七つの弓」の距離にある、太陽神スーリヤが安置したリンガへと導く。そのリンガはアーディティエーシュヴァラと名づけられ、あらゆる罪を滅する者(sarva-pātaka-nāśana)として讃えられる。 さらにトレーター・ユガの記憶が語られ、海(samudra)が長きにわたり宝玉をもってこのリンガを礼拝したとされ、聖地の権威が神話的時間に根づけられる。ここから別名ラトネーシュヴァラ「宝玉の主」が説明される。儀礼は、パンチャームリタ(pañcāmṛta)で沐浴し、五つの宝石で供養し、ついで作法(vidhi)に従って王者の供物(rājopacāra)を捧げる順序である。 果報(phala)として、その礼拝はメール・ダーナ(Meru-dāna)に等しく、祭祀と布施の総果にも比せられ、父系・母系の祖霊をも高めると説く。ラトネーシュヴァラを拝見するだけで、幼少・青年・壮年・老年の罪が洗い清められるとも強調される。さらに牛施(dhenu-dāna)をこの地で讃えることが勧められ、前十代・後十代の救済が約束される。正しくリンガを礼拝した後、神の右側でシャタルドリーヤ(Śatarudrīya)を誦する者は再生しないとされ、結びに、専心して聴聞すること自体が業の束縛からの解放であると示される。

11 verses

Adhyaya 44

Adhyaya 44

Someshvara-māhātmya-varṇanam (Glorification and Ritual Protocol of Someshvara)

第44章は、イーシュヴァラ(Īśvara)が説く教義・儀礼の規定章であり、礼拝の巡礼順序を示す。まずアーディティエーシャ(Ādityeśa)を敬礼し、その後ソーメーシュヴァラ(Someshvara)へ赴いて、五支のバクティ(pañcāṅga)を重んじつつ正式の礼拝を行う。 本文は身体をもって示す恭敬を強調する。すなわち、八支をもっての全身礼拝(sāṣṭāṅga praṇipāta)、右繞の周行(pradakṣiṇā)、そして幾度も繰り返す観想的な拝観(punar-punaḥ darśana)である。さらに、リンガが太陽と月の原理(sūrya–candra)を統合するものと示され、寺院礼拝によって供犠の意図を象徴的に成就させる、アグニーシュオーマ(agnīṣoma)志向の行として位置づけられる。 続いて巡礼は、近くのウマー女神(Umādevī)へ、さらに別の霊場ダイティヤスーダナ(Daityasūdana)へと及び、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)における連関した聖なる回路を明らかにする。末尾の奥書は、本章が『プラバーサ篇』(Prabhāsa Khaṇḍa)所収『プラバーサ聖域功徳』(Prabhāsakṣetramāhātmya)中の「ソーメーシュヴァラ功徳」叙述の第44章であると告げる。

5 verses

Adhyaya 45

Adhyaya 45

अङ्गारेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Aṅgāreśvara Māhātmya: The Glory of the Aṅgāreśvara Shrine)

本章においてイーシュヴァラ(シヴァ)は、プラバーサの聖域におけるアṅガーレーシュヴァラ霊地の起源と、祭式の霊験を語る。三城(トリプラ)を焼き尽くそうとした折、シヴァの激しい憤怒が燃え上がり、三つの眼から流れ出た涙が地上に落ちて「大地の子」ブーミスータとなり、ボーマ/マンガラ(火星)として顕現したと説かれる。 幼きボーマはプラバーサへ赴き、シャンカラに向けて長きタパス(苦行)を修し、ついにシヴァを歓喜させて恩寵を得る。ボーマがグラハトヴァ(惑星としての位)を願うと、シヴァはこれを認め、さらにその地で信心深く礼拝する帰依者を守護するとの誓願を宣言する。 また本章は供物とホーマの作法を示す。赤い花を供え、蜂蜜とギーを混ぜた供献を豊かに、定められた一ラク(十万)回捧げ、慎み深くパンチャ・ウパチャーラ(五種供養)を行うべきだという。結びの果報説(ファラシュルティ)では、この簡略なマーハートミヤを聴聞すれば罪が滅し健康が授かると述べ、珊瑚(ヴィドルマ)などの布施が望む果をもたらすこと、そしてボーマが諸グラハの中で天の乗り物に輝く姿が讃えられる。

12 verses

Adhyaya 46

Adhyaya 46

बुधेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Budheśvara Māhātmya (The Glory of Budheśvara Liṅga)

イーシュヴァラはデーヴィーに、北方にある大いなる力のリンガ、ブデーシュヴァラ(Budheśvara)へ赴くよう教示する。このリンガは、ただダールシャナ(darśana、敬虔なる拝観)するだけで一切の罪を滅すると讃えられる。 物語は、この聖地の建立をブダ(Budha/水星神)に帰し、その権威を確立する。ブダはサダーシヴァ(Sadāśiva)への長き苦行と礼拝を、四つのユガにも比すべき期間(「万年に等しい四年」)続け、ついにシヴァを直に拝する。主は歓喜し、ブダにグラハ(graha、惑星の統御者)の位を授ける。 このリンガを如法に供養し、とりわけブダに結びつくサウミヤーシュタミー(Saumyāṣṭamī、月の第八日)に礼拝すれば、その果報はラージャスーヤ(Rājasūya)祭儀に等しいと説かれる。さらに果報偈(phalaśruti)は、不運・家門の凶運・望むものとの離別・敵への恐怖から守護されると約し、敬意をもってこのマーハートミヤを聴聞する者は「最高の境地」(parama pada)へ導かれると結ぶ。

8 verses

Adhyaya 47

Adhyaya 47

वृहस्पतीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Bṛhaspatīśvara (Guru-associated Liṅga)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィーに授ける教えとして語られ、巡礼者の注意を、東方の区域にあってウマー(Umā)と結びつき、アーグネーヤ(Āgneya、南東)方位の範囲に属する一つのリンガへと導く。そのリンガは、デーヴァーチャーリヤ(Devācārya)によって安置された偉大な聖標であり、グル(Guru)たるブリハスパティ(Bṛhaspati)と深く関わるものと示される。 本文は模範的な礼拝の次第を説く。長期にわたりリンガへ揺るぎないバクティを捧げれば、得難い願いさえ成就し、その後、諸デーヴァの間で尊崇を受け、īśvara-jñāna(主宰の智、主権の知)を得るという。続いて巡礼の実際へ移り、ブリハスパティが造ったリンガをダルシャナ(darśana、拝観)するだけでも不幸を防ぐ護りとなり、とりわけブリハスパティに帰せられる苦患の治療となると説く。 儀礼の時機として、白分十四日(Śukla Caturdaśī)が木曜日に当たることが強調され、礼拝は王者の供養(rājopacāra)を伴う正式な作法でも、清らかな信心のみでもよいとされる。大量のパンチャームリタ(pañcāmṛta)による沐浴は、「三つの負債」(ṛṇa-traya)—母への負い、父への負い、そしてグルへの負い—を解き、浄化と心の無対(nirdvandva)、そして解脱へ導くという。結びの果報偈(phalaśruti)は、信をもって聴聞することがグルを喜ばせると簡潔に述べる。

11 verses

Adhyaya 48

Adhyaya 48

Śukreśvara-māhātmya (Glory of the Liṅga Established by Śukra)

第48章は、Prabhāsa-kṣetraにおける一地方霊場の由来を語る。ĪśvaraはDevīに、Śukra(Bhārgava)が建立したリンガについて説き、それが西方の指標Vibhūtīśvaraの近くにあると示す。ここでは、darśana(拝観)とsparśa(恭しく触れること)によってpāpa-haraṇa、すなわち罪垢の除去が成就すると強調される。 物語は、ŚukraがRudraの感化と苛烈なtapas(苦行)によりsaṃjīvanī-vidyāを得た経緯を回想する。ある時Śaṃbhuは神意のためにŚukraを呑み込み、Śukraは神体の内にあっても苦行を続け、ついにMahādevaが満足して解放する—これが名号と霊験の由来として語られる。 続いて修法が示される。心を定めてリンガを礼拝し、Mṛtyuñjaya真言を一lakh回ジャパし、pañcāmṛta-abhiṣekaを施し、香花のpūjāを捧げよという。果報として、死にまつわる恐怖からの護り、罪の解脱、所願成就、さらにaiśvarya/maṇimā等のsiddhiに似た繁栄が、堅固な信愛に応じて授けられると説かれる。

12 verses

Adhyaya 49

Adhyaya 49

Śanaiścaraiśvara (Saurīśvara) Māhātmya and Daśaratha’s Śani-stotra | शनैश्चरैश्वरमाहात्म्यं तथा दशरथकृतशनीस्तोत्रम्

本章は、イーシュヴァラとデーヴィーの対話によるシヴァ派神学の説示として構成され、まずプラバーサの聖域における重要なリンガ聖所「Śanaiścaraiśvara/Saurīśvara」の所在を示す。そこに安置されるリンガは「mahāprabhā(大いなる光輝)」の力の中心と讃えられ、重い罪業と恐怖を鎮めると説かれる。また、シャニ(Śani)の高い地位はシャンブ(Śambhu)への帰依に由来すると結び付けられる。 続いて土曜日の守持として、規定された礼拝法が述べられる。śamīの葉と供物(tila、māṣa、guḍa、odana)を捧げ、さらに布施(dāna)として相応しい受者に黒い牡牛を施すべきことが示される。物語の核心は、占星上の危機—シャニがローヒニー(Rohiṇī)へ近づき、「śakaṭa-bheda(車の破断)」の凶兆により旱魃と飢饉が恐れられる—に対するダシャラタ王の応答である。解決困難と告げられながらも、王は大胆に介入し、星辰の界へ赴いて武器のごとき姿勢でシャニに対峙し、勇気と苦行によって恩寵を引き出す。 ダシャラタは、シャニがローヒニーを害さず、「śakaṭa」の凶兆を破らず、十二年の飢饉を起こさぬよう願い、シャニはこれを許す。本章はさらにダシャラタ作のシャニ讃歌(stotra)を伝え、シャニの畏るべき形相と、王権を授けも奪いもする力を詳しく称揚する。シャニは条件付きの保証として、礼拝し合掌してこの讃歌を誦する者はシャニの災厄のみならず、出生星宿・lagna・daśā/antardaśāなど要所の時期における他の惑星障害からも守られると告げる。結びの功徳説(phalāśruti)では、土曜の朝の誦持と信心の想念が、グラハ由来の苦を除き、目的を成就させると説かれる。

61 verses

Adhyaya 50

Adhyaya 50

राह्वीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Rāhvīśvara Māhātmya (The Glory of Rāhu-established Īśvara)

本章は聖地に結びついた神学的説示であり、イーシュヴァラ(マハーデーヴァ)がデーヴィーに対し、ラーフ(スヴァバーヌ/サイṃヒケーヤ)が建立した強大なリンガの功徳を語る。祠の所在は方位と地勢によって示され、ヴァヤヴ்ய(北西)にあって、マンガラーの近く、アジャーデーヴィーの北、さらに「ダヌス(弓)」と呼ばれる七つの標識の近辺とされる。 由来譚では、猛きアスラであるスヴァバーヌが、マハーデーヴァを歓喜させるため千年にわたりタパス(苦行)を修したと説かれる。その精進の力により、マハーデーヴァは「世界の灯」(ジャガッディーパ)としてリンガの姿に顕現し、安置された。 果報讃(パラシュルティ)は明確で、信をもって正しく礼拝しダルシャナを得るなら、ブラフマハティヤに類する重罪さえも消滅すると述べる。さらに、失明・難聴・失語、病、貧困からの解放という現世利益が与えられ、その後に繁栄、美、目的成就、そして神々のような享楽が得られる。結語は、本章が『スカンダ・プラーナ』プラバーサ・カーンダの「プラバーサ聖域功徳譚」に属することを示す。

9 verses

Adhyaya 51

Adhyaya 51

केत्वीश्वरमाहात्म्यवर्णन (Ketu-linga / Ketvīśvara Māhātmya Description)

本章は、プラバーサ(Prabhāsa)の聖域におけるケートゥリンガ(Ketuliṅga/Ketvīśvara)の地勢と祭式を、イーシュヴァラが説き明かす。まず聖所の位置を、ラーフヴィーシャーナの北、マンガラーの南といった相対的地理によって示し、さらに「弓矢一射の距離」という測りを添えて巡礼の道しるべとする。 次いでケートゥを、鮮やかな相貌の徴を備えた畏るべきグラハとして描写し、百の天界年に及ぶ苦行ののち、シヴァの恩寵を得て多くのグラハを統べる権能を授かる由来を語る。章は、ケートゥの不吉な昇起の時や激しい惑星障碍の時にこそ、正しい作法により花・香・薫香・種々のナイヴェーディヤを供えてケートゥリンガを信愛をもって礼拝すべきことを定める。その功徳は明白で、惑星の苦厄を鎮め、罪を滅するとされる。さらに、九つのグラハ・リンガと総計十四のアーヤタナという体系の中に本聖所を位置づけ、常のダルシャナが障碍への恐れを除き、家門の安寧を支えると宣言する。

17 verses

Adhyaya 52

Adhyaya 52

सिद्धेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् / The Glorification of Siddheśvara

イーシュヴァラはデーヴィーに「五つのシッダ・リンガ」を説き、そのダルシャナ(darśana)が人の巡礼を成就させる(yātrā-siddhi)と告げる。続いて本章はシッデーシュヴァラの所在を方位によって示し、ソーメーシャ(Somēśa)の近く、指定された区画にあり、ある地標に対して東方の区域に位置すると述べる。 敬虔に近づくこと(abhigamana)と礼拝供養(arcana)は大いに霊験あらたかで、アニマー(aṇimā)をはじめ諸シッディを授け、また罪業を離れてシッダ・ローカ(Siddha-loka)に至らせると讃えられる。さらに教義的要点として、成就を妨げる内なる「ヴィグナ(vighna)」—欲、怒り、恐れ、貪り、執着、嫉み、偽り、怠惰、眠り、迷妄、我慢—が列挙され、シッデーシュヴァラへの礼拝が聖域(kṣetra)に住む者・訪れる者のこれらの障りを融かすと説かれる。結びに、この物語を聴聞することは罪滅(pāpa-nāśana)であり、バクティ(bhakti)によって正当な目的を授けると確言する。

8 verses

Adhyaya 53

Adhyaya 53

कपिलेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Kapileśvara Māhātmya—Account of the Glory of Kapileśvara)

本章はシヴァとデーヴィーの対話として語られ、巡礼者に対し、行程で示された地点から東へさほど遠くない所にあるカピレーシュヴァラ(Kapileśvara)の尊きリンガへ赴くよう導く。そこは「大いなる威力」(mahāprabhāva)を具えると讃えられ、ただ拝観(darśana)するだけで罪過と不善の穢れが滅すると明言される。 この聖地の由来は、王仙カピラがここで苦行を修し、マハーデーヴァをこの地に安置・建立(pratiṣṭhā)して最高の成就(siddhi)を得たことに基づく。さらに、このリンガには常に神々の近接・臨在(deva-sānnidhya)があると説かれ、社の儀礼効験が恒久であることが強調される。 また暦の規定として、白分の十四日(śukla-caturdaśī)に、戒律を守る信者が万界の安寧のため、ソーマ/ソーメーシャ(Soma/Someśa)をカピレーシュヴァラとして七度拝観すれば、牛施(go-dāna)に等しい果報を得るという。最後に布施の作法が添えられ、このティールタ(tīrtha)で心を一つにして「ティラ・デーヌ」(tila-dhenu:胡麻で作る象徴の牛)を施す者は、胡麻の粒数に等しいユガの間、天界に住するとの功徳(phalaśruti)が示される。

6 verses

Adhyaya 54

Adhyaya 54

गन्धर्वेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Gandharveśvara (Ghanavāheśvara Liṅga)

イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバーサ・クシェートラにおける一地方霊地の由来と功徳を語り、ダンダパーニの住処の北にある「すぐれたガンダルヴェーシュヴァラ」へ巡礼者を導く。物語の中心はガンダルヴァ王ガナヴァーハと、その娘ガンダルヴァセーナーである。娘は自らの美貌を誇って慢心したため、シカṇḍィンとそのガナに呪詛されるが、のちにゴーシュリンガ仙が、月神ソーマ/シヴァへの信と月曜の誓戒(ソーマヴァーラ・ヴラタ)に結びつく恩寵と救済を授ける。 聖域で厳しいタパスを行った後、ガナヴァーハはリンガを建立し、娘もまた同地にリンガを建立する。経文はこの礼拝対象を「ガナヴァーヘーシュヴァラ」と名づけ、ダンダパーニの近くで慎み深く供養するなら、清浄で戒律を守る帰依者はガンダルヴァ界(ガンダルヴァ・ローカ)に到ると説く。続くファラシュルティでは、この地が罪を滅し功徳を増す「第三の」力として讃えられ、アグニ・ティールタでの沐浴と、ガンダルヴァに崇敬されるリンガの礼拝が称揚される。さらに、ウッタラーヤナの到来と結びつけてニルヴァーナ成就が特に語られ、このマーハートミャを聴聞し敬う者は大いなる恐怖から解き放たれるという。

10 verses

Adhyaya 55

Adhyaya 55

Vimaleśvara-māhātmya (विमलेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Vimaleśvara

イーシュヴァラは女神に、ヴィマレーシュヴァラへ赴くよう教示する。その聖地は遠からず、ガウリーとの関わりと、ナイリッティヤ(南西)の方角に照らして位置づけられる。そこは「pāpa-praṇāśana(罪滅ぼしの場)」として称えられ、男女を問わず、身体の衰えに苦しむ者にさえ罪障を除く力があると説かれる。 成就の方法として、信愛を伴う礼拝供養(bhakti-yukta arcana)が示され、それにより苦悩は止み、「nirmala(清浄)」の境地に至ると語られる。さらに、ガンダルヴァ軍(Gandharva-senā)とヴィマーラー(Vimalā)に結びつく由来譚が述べられ、このリンガが地上でヴィマレーシュヴァラと名高い理由が明かされる。章末では本説話をマーハートミヤ連続の第四段と定め、あらゆる罪を滅する威徳を強調して締めくくる。

6 verses

Adhyaya 56

Adhyaya 56

धनदेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Dhanadeśvara Māhātmya (Glory of Dhanadeśvara)

イーシュヴァラは、名高い成就のリンガである「ダナデーシュヴァラ」を説く。それは「ブラフマーの南西」に位置し、内的な座標として「弓」の尺度の第十六に当たる所と示され、ラフリンガ(Rahuliṅga)という別の聖所の近くにあるという。これを建立したのはダナダ(クベーラ)であり、彼は激しいタパスを行い、正しい作法に従ってリンガを安置し、長きにわたり礼拝供養したと語られる。 シヴァの恩寵によって、ダナダは高位を得てアラカー(Alakā)の主となる。過去の因縁を思い起こし、シヴァラートリ(Śivarātri)とプラバーサ聖域(Prabhāsa)の霊験を悟った彼は再びその地に赴き、場所の比類なき力を体感し、苦行と信愛によってシャンカラ(Śaṅkara)の顕現の臨在をいっそう確証する。 章末は実践的な信仰指針で結ばれる。pañcopacāra(五種供養)と芳香の供物による礼拝は、家系に久遠の繁栄をもたらし、不敗の力を授け、敵の驕りを鎮め、さらにこの物語を慎み深く聴聞し敬う者に貧困が起こらぬと説かれる。

10 verses

Adhyaya 57

Adhyaya 57

वरारोहामाहात्म्यवर्णनम् / The Māhātmya of Varārohā (Umā as Icchā-Śakti) at Somēśvara

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに授ける神学的教示として構成され、聖なるリンガの説示を踏まえつつ、シャクティの三相—イッチャー(意志)、クリヤー(行為)、ジュニャーナ(智・知識)—を明らかにする。さらに儀礼の次第として、定められたリンガを各自の力に応じて礼拝した後、三つのシャクティを礼拝すべきことが説かれる。イッチャー・シャクティはプラバーサ聖域において「ヴァラーローハー」として、ソーメーシュヴァラの地に結び付けられ、誓願の起源譚によって讃えられる。 伝承では、ソーマに捨てられた二十六人の妻たちが、吉祥なるプラバーサの野で苦行を行う。そこへガウリー/パールヴァティーが顕現し、恩寵を授け、女性の不運を和らげるための救済的な宗教実践を स्थापितする。この行はマーガ月の第三日(トリティーヤー)に修される「ガウリー・ヴラタ」と名づけられ、ダルシャナと礼拝を伴い、「十六」の布施・供物—果実、食物、調理された供養—を定め、さらに夫婦を敬うことを勧める。果報の章は、不吉の除去、繁栄、願望成就を約し、ソーメーシュヴァラにおけるヴァラーローハー女神の礼拝が罪と貧困を滅すると結ぶ。

22 verses

Adhyaya 58

Adhyaya 58

अजापालेश्वरीमाहात्म्यवर्णनम् | Ajāpāleśvarī Māhātmya (Glorification of Ajāpāleśvarī)

Īśvaraは、Prabhāsaに安立し諸天を悦ばせる、kriyātmikā(働きとして顕れる有効なる神力)という第二のŚaktiの相を説く。SomēśaとVāyuの間の区域には、ヨーギニーたちが礼拝する聖座(pīṭha)があり、重要な地下界の裂け目(pātāla-vivara)の近くで、隠された宝蔵(nidhi)、天上の霊薬、rasāyanaが篤信の者に授けられると語られる。女神はBhairavīと同定される。 物語はTretā-yugaへ移り、病に苦しむ王AjāpālaがBhairavīを五百年にわたり礼拝する。Devīは満足し、身体のあらゆる病を除き給うと、病は山羊の姿となって王の身より出て行く。王はそれらを守護せよと命じられ、ここに「Ajāpāla」の称号が立ち、女神は四つのyugaの間「Ajāpāleśvarī」と称される。 続いて儀礼と暦日の規定が示される。aṣṭamīとcaturdaśīの礼拝は繁栄をいよいよ増大させる。Ashvayuk-śukla-aṣṭamīには、Somēśvaraを中心として三度のpradakṣiṇāを行い、沐浴の後、女神を別に礼拝すれば、三年間、恐れと悲嘆を離れると約束される。また不妊・病・不運に悩む女性には、女神の御前でnavamīの誓戒を修するよう勧められる。 終盤では王統譜と政治神話が語られ、太陽王統に連なるAjāpālaは強大な王となる。Rāvaṇaが諸神を屈服させた折、Ajāpālaは「Jvara」(擬人化された熱病)を遣わしてRāvaṇaを悩ませ、退却させる。結びに、Ajāpāleśvarīが病を鎮め障碍を破る力を讃え、gandha・dhūpa・装身具・衣を供えて礼拝すべきこと、そしてこの物語が苦悩と罪垢を総じて軽減することが宣言される。

51 verses

Adhyaya 59

Adhyaya 59

अजादेवीमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Ajā Devī (Chapter 59)

本章は、シヴァとデーヴィーの神学的対話として構成され、形而上の教説を、プラバーサ(Prabhāsa)の聖地地理と儀礼功徳へと結びつける。イーシュヴァラは「第三の知の力」(ジュニャーナ・シャクティ)を説き、シヴァの霊威に満ちてプラバーサに住し、貧困を除くものと讃える。デーヴィーはシヴァの諸面の教えを問い、第六の面の名と、そこからアジャー・デーヴィーがいかに生起するかを尋ねる。 イーシュヴァラは秘説を明かす。かつて七つの面があり、そのうち「アジャーの面」はブラフマーに、「ピチュの面」はヴィシュヌに結びつくため、現世のシヴァはパンチャヴァクトラ(五面)として顕れるという。アジャーの面より、アジャー・デーヴィーはアンダースラとの激戦に際して出現し、剣と盾を執り、獅子に乗り、無数の神力に随伴される。逃げる魔族は南海へ、さらにプラバーサの地へ追い詰められ、滅ぼされたのち、デーヴィーはそのクシェートラの神聖を認め、ソーメーシャ近く、サウリーシャとの関係において方位も明確に定められた場所に鎮座する。 続いて果報(パラシュルティ)が説かれる。拝観(ダルシャナ)は七生にわたり吉祥の徳を授け、音楽・舞踊の奉納は一族の不運を断ち、赤い灯芯のギー灯明は灯芯の糸数に応じて長く吉祥をもたらす。読誦・聴聞は、とりわけ月の第三日(トリティーヤー)に行えば所願成就となる。結びに、これらのシャクティへの礼拝をソーメーシャ礼拝の前行として示し、巡礼の完全な果を求める者に勧める。

20 verses

Adhyaya 60

Adhyaya 60

मङ्गलामाहात्म्यवर्णनम् (Mangalā Devī Māhātmya: Account of the Glory of Mangalā)

本章は、女神(Devī)と自在天(Īśvara)との問答によって進む神学的対話として構成される。まずĪśvaraは、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)を巡礼してその功徳を求める者に関わる三柱の「ドゥーティー」(dūtī:守護する女性の力)—マンガラー(Mangalā)、ヴィシャーラ―クシー(Viśālākṣī)、チャトヴァラ・デーヴィー(Catvara-devī)—を挙げる。ついで女神が、彼女らの鎮座の場所と礼拝の方法を詳しく問うと、Īśvaraは三柱をシャクティ(śakti)の顕現として位置づけ、マンガラーをブラーフミー(Brāhmī)、ヴィシャーラ―クシーをヴァイシュナヴィー(Vaiṣṇavī)、チャトヴァラ・デーヴィーをラウドリー・シャクティ(Raudrī-śakti)と説く。 マンガラーの所在は、アジャーデーヴィー(Ajādevī)の北、ラーフヴィーシャ(Rāhvīśa)の南にほど近いと示される。さらにその名の由来として、ソーマデーヴァ(Somadeva)がソーメーシュヴァラ(Somēśvara)で行った儀礼に結びつけ、マンガラーがブラフマー(Brahmā)ら諸神に吉祥を授けたゆえに「サルヴァ・マーṅガリヤ・ダーイニー(Sarva-māṅgalya-dāyinī)」—あらゆる吉祥を与える御方—と讃えられる。 また実践的な果報(phala)として、第三日(tṛtīyā)の礼拝は不吉と悲嘆を滅するものとされる。功徳を積む行として、夫婦への施食(dampatī-bhojana)、衣とともに果物を施すこと、そして浄化のために澄ましバター(ghṛta)を pṛṣad とともに摂ることが勧められる。結びに、マンガラーのマーハートミヤは一切の罪を滅する力(sarva-pātaka-nāśana)として要約される。

12 verses

Adhyaya 61

Adhyaya 61

ललितोमाविशालाक्षी-माहात्म्यवर्णनम् (Lalitā-Umā and Viśālākṣī: Account of the Sacred Greatness)

Īśvaraは、東方の区域にあるŚrīdaittyasūdanaの祠の近く、その地を護るkṣetra-dūtī(聖域の守護使)として、Vaiṣṇavīの性格を帯びた女神について説き明かす。本章は、Viṣṇuに圧されて南方へ移った強大なダイティヤたちが、さまざまな神武器をもって長き戦いを続けた争乱を回想する。 彼らを鎮めることの困難を見たViṣṇuは、Mahāmāyāと称される光輝の力、Bhairavī-Śaktiを招請する。女神はただちに顕現し、Viṣṇuを見たとき、その眼が霊視のうちに大きく広がったためViśālākṣī(広き眼の女神)と名づけられ、敵対勢力を滅する者としてその地に安置される。 さらにこの顕現は、SomēśvaraとDaittyasūdanaに関わるUmā-dvaya(ウマーの二重の礼拝)と結び付けられ、巡礼の順序として「まずSomēśvara、次にŚrīdaittyasūdana」と定められる。暦に基づく作法として、Māgha月の第三月日(tithi)に礼拝することが示され、代々の無子を免れて家系が続くこと、日々礼拝する者に健康・安楽・吉祥が保たれることが説かれる。結びのphala-śrutiは、この物語を聴くことが罪過を除き、ダルマの成長を助けると告げる。

13 verses

Adhyaya 62

Adhyaya 62

चत्वरादेवी-माहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Catvarā Devī (the Crossroads Goddess)

第62章は、神学と聖地地理を兼ねた簡潔な教示である。イーシュヴァラは、ラリターに対して東方に位置し、距離がdaśa-dhanvantaraと定められた、神に愛される第三のcatvara(辻/中庭の結節点)を説く。そこでイーシュヴァラは、聖域の守護(kṣetra-rakṣā)のため、Kṣetra-dūtī、Mahāraudrī、Rudraśaktiと称される強大な護りの女神を安置した。 女神の姿は寺院の細部よりも働きによって示される。無数のbhūtaを従え、荒れた家々、庭園、宮殿、楼塔、道、あらゆる辻を巡り、夜にはkṣetraの中心を巡察する。Mahānavamīの日には、男女を問わず正しい作法により多様な供物で女神を礼拝すべきことが説かれる。果報の宣説(phalaśruti)によれば、このmāhātmyaは罪を滅し繁栄をもたらし、女神が喜べば望む目的を授ける。さらに巡礼の実践として、yātrāの果を求める者はその地で夫婦一組に食事を施す(dampatyoḥ-bhojana)べきだと付記される。

8 verses

Adhyaya 63

Adhyaya 63

भैरवेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Bhairaveśvara (Chapter 63)

第63章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに授ける導きを語り、ヨーゲーシュヴァリー(Yogēśvarī)の南方ほど近い所にあるバイラヴェーシュヴァラ(Bhairaveśvara)の霊廟へ向かうよう示す。そこに立つリンガは、あらゆる罪を滅し、天上の繁栄と威徳(divyaiśvarya)を授けるものとして讃えられる。 この聖地の権威は先行する神話に基づく。デーヴィーが魔族滅尽のために行動を起こした時、彼女はバイラヴァ(Bhairava)を召し、使者(dūta)として任じた。これによりデーヴィーはシヴァドゥーティー(Śivadūtī)と呼ばれ、後にヨーゲーシュヴァリーとも称され、女神の尊称と土地の名が結び付けられる。 バイラヴァがその地で使者の務めを受けたゆえに、リンガはバイラヴェーシュヴァラとして名高くなった。さらに、リンガはバイラヴァによって建立され、デーヴァ(deva)とダイティヤ(daitya)の双方に礼拝されたと説かれ、諸界にわたる聖性の承認が示される。果報の宣説(phalaśruti)として、カルッティカー月(Kārttikā)に規定どおり信愛をもって礼拝する者、または六か月間絶えず供養する者は、望む果を得るとされる。

6 verses

Adhyaya 64

Adhyaya 64

लक्ष्मीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Lakṣmīśvara Māhātmya (Account of the Glory of Lakṣmīśvara)

本章では、イーシュヴァラがプラバーサ(Prabhāsa)の地の東方にある一つの霊場を説く。そこは五つのダヌ(dhanu)の距離にあり、「ラクシュミーシュヴァラ」(Lakṣmīśvara)と名づけられ、貧困と不運の流れを滅する所(dāridrya-augha-vināśana)として讃えられる。 由来も語られる。敵対する勢力であるダイティヤ(daityas)が討たれた後、女神ラクシュミーがその地へ迎えられ、女神自らの奉献・灌頂の行為によって「ラクシュミーシュヴァラ」という神名が स्थापित(確立)されたという。 さらに実践の教えとして、シュリーパンチャミー(Śrīpañcamī)の日に、規定の作法(vidhānataḥ)に従ってこの神を信愛の礼拝で供養すべきことが示される。果報の宣言(phalaśruti)では、礼拝者はラクシュミーの恩寵から離れず、その加護が「一つのマンヴァンタラ(manvantara)の間」続くと説かれる。

4 verses

Adhyaya 65

Adhyaya 65

वाडवेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Vāḍaveśvara Liṅga — Description of its Māhātmya

本章は簡潔なシヴァ派の教示であり、イーシュヴァラがデーヴィーに語り、巡礼者をヴァーダヴェーシュヴァラ・リンガ(Vāḍaveśvara-liṅga)へ導く。場所はプラバーサ・クシェートラの聖なる地勢によって示され、ラクシュミーシャの北、ヴィシャーラークシーの南にあると定められ、巡礼のための小さな道標となる。 また由来が説かれる。カーマ(Kṛtasmarā)が焼き尽くされた時、ヴァーダヴァーの火によって一つの山が平らにされ、その折にヴァーダヴァがこのリンガを安置したため、ここは「大いなる力」を宿す地となった。作法として、規定に従って礼拝し、シャンカラに十度の沐浴・灌頂(繰り返しのアビシェーカ)を行うべきことが示される。さらに布施の規定として、その地でヴェーダに通じたブラーフマナにダディ(凝乳・ヨーグルト)を供養する。果報はアグニ・ローカへの到達と、巡礼の功徳が正しく円満に成就することだと、明確な功徳讃(phalaśruti)として結ばれる。

5 verses

Adhyaya 66

Adhyaya 66

अर्घ्येश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Arghyeśvara Māhātmya—Account of the Glory of Arghyeśvara)

イーシュヴァラは、プラバーサ・クシェートラのうちを進み、ヴィシャーラークシーの北方で程近い場所にある、強大なリンガ「アルギェーシュヴァラ」へ至ることを説く。このリンガは霊験あらたかで、デーヴァやガンダルヴァにより礼拝されると讃えられる。 物語は、ヴァーダヴァーナラ(海底の火)を帯びると描かれるデーヴィーの来臨を想起する。彼女はプラバーサに到り、大海(マホーダディ)を見て、定められた作法(ヴィディ)に従い、まず海にアルギャ(供水)を捧げる。ついで大いなるリンガを安置(プラティシュターパヤ)し、しかるべき供養を行ったのち、儀礼の沐浴のため海へ入る。 本文は名号の由来を神学的に解き明かす。すなわち、先にアルギャを捧げ、その後に主を建立したゆえに、このリンガはアルギェーシャ/アルギェーシュヴァラと呼ばれ、明確に「罪を滅する者」(pāpa-praṇāśana)と示される。さらに、パンチャームリタでリンガを灌ぎ、規定どおり礼拝する者は七生にわたりヴィディヤーを得て、シャーストラに通じた師となり、疑いを断つ知者となると説く。末尾のコロフォンは、本章がプラバーサ・カーンダの第66章であることを告げる。

7 verses

Adhyaya 67

Adhyaya 67

कामेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Kāmeśvara Liṅga Māhātmya (Description of the Glory of Kāmeśvara)

本章は、シヴァがデーヴィーに授ける教示として、プラバーサ・クシェートラにある「カーメーシュヴァラ」という名のマハーリンガの所在と功徳を示す。イーシュヴァラは巡礼者に「マハーリンガ・カーメーシュヴァラ」へ赴くよう命じ、そこはかつてカーマが礼拝した霊所であり、「ダイティヤスーダナ」の西、弓七張ほどの距離内にあると説く。 説話は、カーマがシヴァの第三の眼の火によって焼かれた出来事を想起させる。のちにカーマはマヘーシュヴァラを千年にわたり篤く供養し、欲望と創造に関わる力(kāmanā-sarga)を再び得るが、同時に「アナンガ(無身)」としての記憶も保つ。此のリンガは世に名高く、あらゆる罪を除き、望む果報を授けるとされる。 また特定の行法として、マーダヴァ月(ヴァイシャーカ)白分の第十三日(シュクラ・トラヨーダシー)に、正しい作法(vidhāna)に従ってカーメーシュヴァラを礼拝すべきことが説かれる。その果はプラーナ的功徳語で述べられ、繁栄と、女性における願い/魅力の増進が示される。

6 verses

Adhyaya 68

Adhyaya 68

गौरीतपोवनमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Gaurī’s Forest of Austerity

本章はシヴァとデーヴィーの対話として構成され、プラバーサにある「ガウリーの苦行の森」の霊験を讃える。イーシュヴァラはソメーシャの東に位置する強大な聖域を示し、デーヴィーの前生の苦行を語る。かつて肌が黒く、密かに「カーリー」と呼ばれていた彼女は、誓戒(vrata)の理により、タパス(苦行)によって「ガウリー」となることを決意する。彼女はプラバーサへ赴き、リンガを建立して礼拝し、それは後に「ガウリーシュヴァラ」として知られる。さらに、片足立ち、夏の五火(pañcāgni)、雨に身をさらすこと、冬に水中で休むことなどの厳しい苦行を行い、その果として身は白く輝くようになる—規律ある信愛が変容を生むことを儀礼的に語り示すのである。 続いてシヴァは一連の恩寵を授け、デーヴィーは果報(phalaśruti)を宣言する。そこで彼女を拝見する者は吉祥なる子宝と婚姻・家系の繁栄を得、音楽と舞踊を供養する者は不運が除かれ、まずリンガを礼拝し次いで女神を礼拝する者は最高の成就に至る。章はまた、ブラーフマナへの布施、子のない者のための椰子の供物、赤い灯芯を用いたギーの灯明による長久の吉祥などを定め、近くのティールタでの沐浴が罪を滅し、シュラッダが祖霊を益し、夜の徹夜と信愛の奉納を勧める。結びに、季節の移ろいを越えてその地に神威が常住すること、そして本章の読誦・聴聞—とりわけ月の第三日、女神の御前において—が尽きぬ吉祥の源であることを讃える。

29 verses

Adhyaya 69

Adhyaya 69

गौरीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (The Glory of Gaurīśvara Liṅga)

本章は、女神デーヴィーと主イーシュヴァラの神学的対話として構成され、「ガウリーシュヴァラ」リンガの所在と、その礼拝によって得られる果(プハラ)を明らかにする。デーヴィーが名高いリンガはどこに安置され、崇拝すればいかなる功徳が生じるのかと問うと、イーシュヴァラはこれを罪を滅するマーハートミヤ(pāpanāśana)として説き、ガウリーに結びつく著名な苦行林(tapo-vana)を、ダヌス(dhanus)で測られる円環状の聖域として描写する。 その聖地において女神は片足での苦行(ekapādā)を行う姿で語られ、リンガの位置も方角によって示される。すなわち、やや北にあり、イーシャーナ(Īśāna、北東)方位に沿って安置され、距離の目印も添えられる。続いて儀礼の効験が説かれ、信愛(bhakti)をもって礼拝し、とりわけクリシュナーシュタミー(Kṛṣṇāṣṭamī)に供養する者は罪から解放されるという。 また、儀礼の一環として正しい布施が勧められる。ゴー・ダーナ(go-dāna、牛の施与)、相応しいブラーフマナへの黄金の施与、そして何よりアンナ・ダーナ(anna-dāna、食の施し)が過失を鎮めるとされる。結びには、リンガを拝観するだけのダルシャナ(darśana)によってさえ、重罪の者もパーパ(pāpa)から解き放たれるという強い贖罪の約束が示される。

8 verses

Adhyaya 70

Adhyaya 70

वरुणेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Varuṇeśvara Māhātmya—Account of the Glory of Varuṇeśvara)

本章は神々の対話に織り込まれた聖地案内である。イーシュヴァラは女神に告げ、南東(アーグネーヤ)方位、ガウリーの苦行林にある名高いヴァルネーシュヴァラ・リンガへ向かうよう導き、距離の目印として約二十ダヌを示す。 物語は聖所の由来を宇宙的事件によって語る。かつてクンバジャ(アガスティヤ)が海を「飲み干した」ため、水の主ヴァルナは怒りと熱に苦しんだ。プラーバーシカ・クシェートラが厳しいタパスにふさわしいと悟ったヴァルナは、難行のタパスを修し、力あるマハーリンガを建立して、ユタに及ぶ歳月、篤いバクティで礼拝した。満悦したシヴァは自らのガンガーの水で空になった海を満たし、諸々の恩寵を授けた。以来、海は常に満ち、リンガはヴァルネーシュヴァラと称される。 続いて功徳(パラシュルティ)と儀礼が説かれる。ヴァルネーシュヴァラをただダルシャナするだけで、あらゆるティールタの果報が得られるという。月の第八日と第十四日には、凝乳でリンガを沐浴させることがヴェーダ的卓越に結びつくとされ、救済の功徳は多様な身分や身体の状態にまで広げられる。 そこで行う沐浴、ジャパ、バリ、ホーマ、プージャー、ストートラの詠唱、奉納の舞は、いずれもアクシャヤ(不滅)と宣言される。巡礼の果と天界の目的を求める者には、金の蓮や真珠などの布施が勧められる。

13 verses

Adhyaya 71

Adhyaya 71

उषेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Uṣeśvara Liṅga

本章は、プラバーサ・クシェートラの聖域にある一つのリンガを示す。ヴァルネーシャ(Varuṇeśa)の南方、弓三張ほどの距離に位置すると説かれる。その建立は、ヴァルナ(Varuṇa)の妃ウシャー(Uṣā)に帰せられ、夫にまつわる悲嘆に沈みつつ、きわめて苛烈な苦行を修して成し遂げたと語られる。 このリンガはウシェーシュヴァラ(Uṣeśvara)と名づけられ、あらゆる霊的成就(シッディ)を授けるものとして讃えられ、成就を求める者により崇敬される。果報の宣説(ファラ・シュルティ)によれば、信愛をもって礼拝すれば罪は滅し、重い罪障を負う者でさえ最高の境地へ導かれうる。さらに女性に特有の功徳として、夫婦の吉祥と良縁(サウバギャ)をもたらし、苦しみと不運を除くと説く。

6 verses

Adhyaya 72

Adhyaya 72

Jalavāsa Gaṇapati Māhātmya (The Glory of Gaṇeśa ‘Dwelling in Water’)

本章は、イーシュヴァラに帰せられる簡潔な神学・儀礼の教示である。信者は同じ聖地において、ヴィグネーシャのダルシャナ(聖なる拝観)を得るべきことが説かれ、そこでは神は「ジャラヴァーサス」—「水に住まう」ガネーシャ—として示される。このダルシャナは、障碍を滅し、あらゆる事業の成就(sarva-kārya-prasiddhi)をもたらすと讃えられる。 由来として、ヴァルナが水に由来する供物(jalajaiḥ)をもって篤いバクティで礼拝し、苦行(tapas)が妨げなく進むこと(tapo-nirvighna-hetu)を願ったと語られる。儀礼の規定は明確で、月の第四日(caturthī)にタルパナ(tarpaṇa)を行い、香、花、モーダカ(modaka)を供えて礼拝する。供物は「信愛と力に応じて」(yathā-bhakti-anusāreṇa)捧げることが、ガナーディパの歓喜の要であると強調される。

4 verses

Adhyaya 73

Adhyaya 73

कुमारेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Kumāreśvara Māhātmya (Account of the Glory of Kumāreśvara)

本章は、シヴァとデーヴィーの神学的対話として構成され、同時にプラバーサ・クシェートラ内の小さな巡礼行程(道案内)ともなっている。イーシュヴァラはデーヴィーをクマーレーシュヴァラの聖所へ導き、そこに安置されるリンガは、重大な罪障(mahāpātaka)を滅する力をもつ極めて霊験あらたかなものとして讃えられる。さらに、ヴァルナおよびナイリタの方角、そしてガウリー・タポーヴァナという目印を挙げて位置を示し、聖地の地勢を辿れる形で描き出す。 由来として、このリンガは六面神シャṇムカ(クマーラ/スカンダ)が大いなるタパス(苦行)を修した後に建立したと説かれ、ゆえにその名と権威が確立されたと語られる。続いて功徳の比較が示され、定められた作法(vidhi)に則ってクマーレーシュヴァラを一日正しく礼拝するだけで、他所で数か月にわたり礼拝して得る功徳に等しいと強調される。 また倫理的条件として、欲(kāma)・怒り(krodha)・貪り(lobha)・執着(rāga)・嫉み(matsara)を捨て、たとえ一度の礼拝であっても梵行(brahmacarya)という禁欲的節制を受け入れるべきだと説く。結びに、正しい礼拝こそが巡礼の正当な果(yātrā-phala)を授けると断言する。

8 verses

Adhyaya 74

Adhyaya 74

Śākalyeśvara-liṅga Māhātmya (शाकल्येश्वरलिङ्गमाहात्म्य) — The Glory of Śākalyeśvara and Its Four Yuga-Names

ĪśvaraはMahādevīに、定められた方角と距離の標に従い、卓越した聖所であるŚākalyeśvaraのリンガへ赴くよう教示する。本章はこのリンガを「sarvakāmadam(あらゆる願いを成就させるもの)」と讃え、その霊験を崇拝の系譜によって裏づける。すなわち王仙Śākalyaが大いなる苦行(tapas)を修し、Mahādevaを歓喜させ、満悦した神がリンガの姿として顕現/安置されたのである。 果報の宣説(phalaśruti)では、この神をただ拝見(darśana)するだけで七生に積もった罪が、日の出に闇が消えるように溶け去ると説く。続いて儀礼の時と作法が示され、特にAṣṭamīとCaturdaśīに乳でŚivaを灌沐(abhiṣeka)し、香・花などを順次に供えて礼拝すること、また巡礼の完全な果を求める者には黄金の布施が勧められる。 さらに四つのユガに応じた名が列挙される。KṛtaではBhairaveśvara、TretāではSāvarṇikeśvara(Sāvarṇi Manuに結びつく)、DvāparaではGālavēśvara(賢者Gālavaに結びつく)、KaliではŚākalyeśvara(ムニŚākalyaがaṇimā等のsiddhiを得たことに結びつく)である。聖域kṣetraの浄域は半径十八dhanuと定められ、その内にいる小さな生き物でさえ解脱の縁を得るとされる。当地の水はSarasvatīに等しいと聖別され、拝観の功徳は大規模なヴェーダ祭祀の果に比せられる。 またSoma-parvanにリンガの傍らで一か月修する行として、Aghora-japaとギーによる火供(ghee-homa)が説かれ、重罪の者にも「uttamā siddhi(最上の成就)」が約束される。リンガは「kāmika」とも称され、Aghoraが神の面相でありBhairavaの臨在が顕著であるため、かつてBhairaveśvaraの名が広まり、今のKaliの世ではŚākalyeśvaraと呼ばれる所以が明かされる。

20 verses

Adhyaya 75

Adhyaya 75

कलकलेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Kalakaleśvara (Origin, Worship, and Merits)

第75章は聖地に結びついた神学的説示であり、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに、プラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)にあるリンガ、Śākalakaleśvara/カラカレーシュヴァラ(Kalakaleśvara)について教える。相対的な所在と、pāpa(罪)を滅する霊験が語られ、さらにユガごとの「四つの名」(nāma-catuṣṭaya)が整然と示される。同一のリンガが、クリタでは Kāmeśvara、トレーターでは Pulahēśvara、ドヴァーパラでは Siddhinātha、カリでは Nāradeśa と呼ばれ、Kalakaleśa/Kalakaleśvara も音に基づく語源で説明される。 第一の命名譚では、女神サラスヴァティー(Sarasvatī)が海に至ったときに起こった「kalakala」という騒がしい響きと、天界の歓喜が名の由来とされる。第二の譚は社会倫理的で、ナーラダ(Nārada)がリンガ近くで厳しいタパスを行い、Pauṇḍarīka-yajña を修し、多くのリシ(ṛṣi)を招く。そこへ地元のブラーフマナがダクシナー(dakṣiṇā)を求めて来ると、彼は争いを誘うために財宝を投げ、乱闘が起こり、学識あるが貧しいブラーフマナたちがこれを諫める—この騒音と争い(kalakala)こそが Kalakaleśvara の名の因縁となる。 結びの果報(phalaśruti)として、リンガを沐浴させ三度のプラダクシナー(pradakṣiṇā)を行えばルドラローカ(Rudraloka)に至り、香と花で供養し、相応しい受者に黄金を施せば「至上の境地」を得ると説かれる。

24 verses

Adhyaya 76

Adhyaya 76

Lakuleśvara-nāma Liṅgadvaya Māhātmya (near Kalakaleśvara) — Glory of the Twin Liṅgas established by Lakulīśa

第76章は、イーシュヴァラ(Īśvara)の説示として枠づけられた、神学・儀礼に関する簡潔な告知である。ソーメーシュヴァラ(Someshvara)に連なる聖域のうち、デーヴァデーヴァ(Devadeva)の近くに、きわめて功徳の大きい二つのリンガがあると示し、それらはラクリーシャ(Lakulīśa)によって安置・建立(pratiṣṭhita)されたと説く。この双祠は「ラクレーシュヴァラ」(Lakuleśvara)と名づけられ、ダルシャナ(darśana)の対象として最上(anuttama)と讃えられる。 さらに、ただ拝観するだけで、生死の輪廻の境に及ぶまでの罪が浄められるという清浄の功徳が付される。バードラパダ月(Bhādrapada)の白分十四日(Śukla Caturdaśī)には、断食(upavāsa)と夜通しの覚醒(prajāgara)を行うべきことが定められる。儀礼の次第は、まず具現のラクリーシャ(mūrtimant)を礼拝し、次いで二つのリンガをそれぞれ正しい作法により、順次の讃歌と真言(stuti-mantra)をもって供養する。結びの果報(phalaśruti)として、マヘーシュヴァラ(Maheśvara)の住まう「至上の境地」に到達すると宣言され、解脱の締めくくりとなる。

6 verses

Adhyaya 77

Adhyaya 77

उत्तंकेश्वरमाहात्म्य वर्णनम् | The Māhātmya of Uttankeśvara (Description of Uttankeśvara’s Sanctity)

イーシュヴァラはマハーデーヴィーに語り、優れた聖地として讃えられるウッタンケーシュヴァラへの巡礼を導く。社は先に示された地点の南にあり、遠からぬ所にあると説かれ、プラバーサ・クシェートラ内での行程に基づく道案内が示される。 この霊廟の स्थापना(建立)は、大いなる魂をもつ帰依者ウッタンカによるもので、彼が自らバクティ(信愛)によって स्थापितしたとされる。巡礼者は心を静め、よく集中してダルシャナ(拝観)し、スパルシャナ(触礼)を行ったのち、作法にかなって(vidhivat)信心深く供養・礼拝すべきである。そうすれば一切の穢れと罪過から解放されると約束される。末尾の奥書は、これが『スカンダ・マハープラーナ』プラバーサ・カーンダ所収、ウッタンケーシュヴァラのマーハートミヤを説く第七十七章であると示す。

3 verses

Adhyaya 78

Adhyaya 78

वैश्वानरेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Glory of Vaiśvānareśvara)

イーシュヴァラはマハーデーヴィーに、東南(āgneya)の方角に鎮まる神ヴァイシュヴァーナレーシュヴァラのもとへ赴くよう教示する。その御座所は「五つの弓の内」という測られた範囲にあると説かれ、ダールシャナ(拝観)とスパルシャ(触れること)の双方によって罪垢を滅する pāpa-ghna の神として讃えられる。 続いて教訓譚が語られる。かつて一羽の鸚鵡(śuka)が宮殿に巣を作り、伴侶と長く住んだ。二羽は明確な信愛ゆえではなく巣の場所への執着から、しばしばプラダクシナー(pradakṣiṇā、右繞)を行い、やがて死を迎える。しかしその霊地の効験により、前生を憶える jātismara として再生し、ローパームドラーとアガスティヤとして名声を得た。前の身を思い出したアガスティヤは偈(gāthā)を唱え、「火の主ヴァフニーシャ(Vahnīśa)を正しく右繞し拝する者は、かつての我がごとく名声を得る」と省察する。 章末には作法が示される。ギーで神を沐浴させ(ghṛta-snāna)、規定に従って礼拝し、信をもって相応しいバラモンに黄金を施すなら、巡礼の果報を余すところなく得る。帰依者はヴァフニ・ローカ(Vahni-loka)に至り、朽ちぬ時のあいだ歓喜すると説かれる。結語は本章がプラバーサ・カーンダのこの部の第78章であると記す。

11 verses

Adhyaya 79

Adhyaya 79

लकुलीश्वरमाहात्म्य (The Māhātmya of Lakulīśvara)

本章はイーシュヴァラが説き、プラバーサ・クシェートラにおける尊崇の御存在として、ラクリーシャ/ラクリーーシュヴァラ(Lakulīśa/Lakulīśvara)へ心を向けさせる。経文は神の所在を西方に定め、距離を「dhanusāṃ saptake」として示し、その御姿を静謐で慈恵に満ちたものとして讃える。とりわけ pāpa-ghna――あらゆる衆生の罪を滅する御方――と明言し、この大いなる聖域における降臨・顕現の主題と結びつける。 続いてラクリーシャの苦行者・導師としての相が描かれる。激しい tapas を修し、弟子に dīkṣā(灌頂・入門)を授け、Nyāya や Vaiśeṣika を含む諸 śāstra を繰り返し教授して、ついに parā siddhi(至上の成就)へと至らしめる。章末では実践の規定が示され、信者は正しく礼拝すべきこと、カールッティカ月(Kārttika)およびウッタラーヤナ(Uttarāyaṇa)の時期に功徳がいっそう増すこと、さらに相応しいバラモンに対して vidyā-dāna――学知の施与・教授――を行うべきことが勧められる。果報として、智慧と富に恵まれた繁栄するバラモン家系に、吉祥なる再生を重ねると説かれる。

7 verses

Adhyaya 80

Adhyaya 80

Gautameśvara-māhātmya (गौतमेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of the Gautameśvara Liṅga

本章は、自在神(Īśvara)が女神(Devī)に説く形で語られる、簡潔な聖地讃(マハートミヤ)である。罪を滅するリンガ「ガウタメーシュヴァラ」が東方にあると示し、西方の「ダイティヤ・スーダナ」に結びつく標識を手がかりに位置を述べ、さらに「五ダヌ(dhanu)以内」という距離の規定を与える。この霊廟は一切の願いを成就させる(sarva-kāma-da)と讃えられる。 由来として、マドラ国王シャーリヤ(Śalya)が激しい苦行(tapas)を行い、マヘーシュヴァラを歓喜させたことにより、この礼拝が興ったと語られる。章はこれを普遍化し、同様に法に則って敬虔に礼拝する者は、最高の成就(siddhi)を得ると説く。 暦に基づく作法として、チャイトラ月(Caitra)白分の十四日には、乳でリンガを沐浴供養(snāpana)し、香水と最上の花で規定に従い信愛(bhakti)をもって礼拝すべきだという。その功徳はアシュヴァメーダに等しく、さらにこのリンガをただ拝見するだけで、言葉・心・行いによる罪が滅すると結ばれる。

7 verses

Adhyaya 81

Adhyaya 81

श्रीदैत्यसूदनमाहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Śrī Daityasūdana)

本章は対話形式の神学的説示であり、イーシュヴァラがデーヴィーに、プラバーサ・クシェートラの比類なき聖性を説く。そこはヴァイシュナヴァの儀礼領域で、「ヤヴァ・アーカーラ」(大麦粒の形)をなし、四方の境界が明確に定められている。さらに、この地の不滅性と卓越した霊験が示され、クシェートラ内での死、布施、供養、真言誦持、苦行、ブラーフマナへの施食などは、七カルパに及ぶ尽きぬ功徳(アクシャヤ)をもたらすと語られる。 続いて実践の型が挙げられる。信愛をもっての断食(ウパヴァーサ)、チャクラーティールタでの沐浴、カールッティカ月のドヴァーダシーにおける黄金の布施、灯明供養、パンチャームリタによる灌頂(アビシェーカ)、エーカーダシーの夜の徹夜礼拝(ジャーガラ)と信愛の芸能、そしてチャートゥルマーシャの遵守である。 やがて名号の由来譚へ移り、神々が過去のアヴァターラの功業を讃えると、ヴィシュヌはダーナヴァを滅ぼすと誓い、プラバーサまで追撃して円盤(チャクラ)で殲滅し、「ダイティヤスーダナ」の称号を確立する。結びには果報の宣言があり、この地で神を拝見し礼拝する者は罪障が滅し、吉祥なる人生の果を得ると保証される。

53 verses

Adhyaya 82

Adhyaya 82

चक्रतीर्थोत्पत्तिवृत्तान्तमाहात्म्यवर्णनम् (Origin and Glory of Cakratīrtha)

本章は対話として展開する。デーヴィーはイーシュヴァラに「チャクラティールタ(Cakratīrtha)」の意味・所在・霊験を問う。イーシュヴァラは、神々と阿修羅の戦いに由来する古譚を語る。すなわち、ハリ(ヴィシュヌ)が魔族を討った後、血に染まったスダルシャナ・チャクラをある特定の場所で洗い清め、その浄めの行為が地を聖別してティールタ成立の因縁となったという。 続いて、このティールタの内なる豊饒が説かれる。無数の従属ティールタがここに宿り、エーカーダシーの日、また日食・月食の時には儀礼の力がいっそう増大する。ここで沐浴すれば、あらゆるティールタで沐浴した総果を得、ここでの布施は量り知れぬ功徳をもたらすとされる。さらに、この地は一定の範囲をもつヴィシュヌの聖域(Viṣṇu-kṣetra)と定められる。 また、カルパごとの異名として Koṭitīrtha、Śrīnidhāna、Śatadhāra、Cakratīrtha が挙げられ、ここで行う苦行、ヴェーダ学習、アグニホートラの遵守、シュラーダ、そして贖罪的誓戒(prāyaścitta)などは他所に比して功徳が倍増すると強調される。結びの果報讃(phalāśruti)では、罪を滅し願いを成就させる霊地であり、卑賤とされる出生の境遇にまで恩恵が及び、ここで命終する者には高き帰趣が約束されると説かれる。

18 verses

Adhyaya 83

Adhyaya 83

योगेश्वरीमाहात्म्यवर्णनम् (Yogeśvarī Māhātmya—Account of Yogeśvarī’s Glory)

ĪśvaraはMahādevīに、プラバーサ聖域の東に鎮座する女神Yogeśvarīの起源と祭儀上の意義を語る。変身の力と支配力で三界を脅かす阿修羅Mahiṣaに対し、Brahmāは比類なき乙女を創り、彼女は厳しい苦行に入る。Nāradaはその美に心を奪われるが、乙女の貞女の誓願ゆえに拒まれ、Mahiṣaのもとへ赴いて彼女のことを告げる。 Mahiṣaは苦行の乙女に婚姻を強いるが、乙女は笑い、その息から武器を持つ女形が現れて阿修羅軍を滅ぼす。Mahiṣaが自ら襲いかかると、決戦において女神は彼を制圧し、ついには斬首して討ち取る。諸天は讃歌をもって彼女を称え、彼女を宇宙的な力—vidyā/avidyā、勝利、護り—として認め、このkṣetraに永住して礼拝者に恩寵を授けるよう請願する。 続いてĀśvina月白分の祭礼が定められる。Navamīに断食して拝観すれば罪が滅し、朝の読誦は無畏をもたらす。また夜には、加持された聖剣(khaḍga)を、真言・仮屋・護摩・行列・徹夜・供物・方位神や霊へのbali、さらに王の戦車でYogeśvarīを巡る周回など、詳細な作法で供養する。結びに、修行者—とりわけ当地に住むBrāhmaṇa—への守護が約され、この祭りが障碍を除く吉祥の共同儀礼であると示される。

61 verses

Adhyaya 84

Adhyaya 84

आदिनारायणमाहात्म्यवर्णनम् (Glorification and Narrative Account of Ādinārāyaṇa)

イーシュヴァラはデーヴィーに、東方に坐すアーディナーラーヤナ・ハリのもとへ赴くよう教示する。彼は一切の罪を滅する者であり、聖なる「パードゥカー・アーサナ(聖履の座)」に安住すると説かれる。続いてクリタ・ユガの物語が語られる。アスラのメーガヴァーハナは、「戦いにおいてヴィシュヌのパードゥカーによってのみ死ぬ」という恩寵によりほとんど無敵となり、長きにわたり世界を苦しめ、リシたちのアーシュラマを破壊した。 追われたリシたちは、ガルダ旗を掲げるケーシャヴァ(ヴィシュヌ)に帰依し、宇宙の根源としての因果、衆生を救う力、御名と想念の浄化力を讃える長大な讃歌を捧げる。ヴィシュヌは顕現して事情を問う。彼らが「宇宙に無畏を回復するため、魔を除いてほしい」と願うと、ヴィシュヌはメーガヴァーハナを召し、吉祥なるパードゥカーで胸(心臓)を打って滅し、その地にパードゥカーの座として留まる。 さらに功徳が示される。この御姿をエーカーダシーに礼拝すれば、アシュヴァメーダに等しい大いなる祭祀の果報を得、信心のダルシャナは大施与(大量の牛の布施など)に比せられる。カリ・ユガにおいては、心にアーディナーラーヤナを安置する者は苦が軽減し霊益が増すと保証され、エーカーダシーの沐浴と礼拝、特に日曜日と重なる場合は「バヴァ・バンダナ(生死の束縛)」から解放すると説く。結びのパラシュルティは、この章を聞くことが罪を除き貧困を滅すると宣言する。

31 verses

Adhyaya 85

Adhyaya 85

सांनिहित्य-माहात्म्य-वर्णन (Glorification of the Sānnidhya Tīrtha)

本章は女神(デーヴィー)と自在神(イーシュヴァラ)の対話として構成され、サーンニヒティヤ(Sānnidhya)ティールタの起源・所在・儀礼的効験が説かれる。聖水は大いなる流れが河の姿を取ったものと描写され、女神は、クルクシェートラに結びつく尊きマハーナディーがいかにして此処に現前するのか、また沐浴や関連の作法がいかなる果報をもたらすのかを問う。自在神は、このティールタは吉祥にして、見ること・触れることによってさえ罪を滅すると述べ、アーディナーラーヤナから西方の所定の距離に位置すると示す。 続いて物語は歴史的・神学的事件へと結びつく。ジャラーサンダを恐れたヴィシュヌはヤーダヴァ族をプラバ―サへ移し、住処を得るため大海に請い願う。パルヴァの時の蝕(ラーフが太陽を捉える時)に、ヴィシュヌはヤーダヴァらを慰め、三昧に入り、地を破って吉祥なる水流(śubhā vāridhārā)を湧出させ、儀礼の沐浴を可能にする。ヤーダヴァらが蝕の最中に沐浴すると、クルクシェートラ巡礼の全果を得ると説かれる。 さらに功徳増上の規定が示される。蝕の時に此処で沐浴すればアグニシュトーマ祭の全果を得、六味を備えた食でブラーフマナを供養すれば功徳は倍増する。ホーマと真言のジャパは、供物・誦持の一つ一つに対し「クロール倍」の果を生むとされる。黄金の布施と、アーディデーヴァ・ジャナールダナへの礼拝が勧められ、末尾の果報章(パラシュルティ)として、信をもってこの説話を聴く者の罪が除かれると結ばれる。

20 verses

Adhyaya 86

Adhyaya 86

पाण्डवेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Pāṇḍaveśvara Māhātmya (Account of the Glory of Pāṇḍaveśvara)

本章は、聖域の南方区画に著名なリンガ「パーンダヴェーシュヴァラ」が鎮座することを示し、その स्थापना(安置)が五人のパーンダヴァによって順次になされたと説く。物語は、彼らが身を隠して森に住み、密かに移動していた時期に置かれ、巡礼の機縁によってプラバーサ・クシェートラへ至る。暦上のソーマパルヴァンの日、彼らは水辺の岸において、司祭たちの立会いのもとリンガを奉献し、聖別して स्थापितする。 聖仙マールカンデーヤをはじめ、名高いブラーフマナの祭官(ṛtvij)が नियुक्तされ、ヴェーダ誦唱を伴うアビシェーカが行われ、儀礼の布施(牛の施与を含む)も捧げられる。正しく स्थापितされたリンガに満悦した賢仙たちは、正式なファラシュルティを宣言する――このパーンダヴァ奉 स्थापितのリンガを礼拝する者は、神々や非人の諸類の間においてさえ尊崇され、信心の礼拝はアシュヴァメーダに等しい功徳をもたらす。 さらに、サンニヒター・クンダでの沐浴とパーンダヴェーシュヴァラ礼拝、とりわけマーガ月を通じた修行が功徳を結び、究極にはプルショーत्तマとの崇高な神学的同一視へ至ると説かれる。単なるダルシャナ(拝観)でさえ罪滅を幾重にも増すとされ、リンガは明確にヴァイシュナヴァの相として描写され、シヴァ聖所の文脈における宗派的融和を示している。

10 verses

Adhyaya 87

Adhyaya 87

Bhūteśvara Māhātmya and the Sequential Worship of the Eleven Rudras (एकादशरुद्र-यात्रा)

第87章は、プラバーサ(Prabhāsa)を舞台とする十一ルドラ巡礼(yātrā)のための、技法的で整然とした儀礼次第を示す。イーシュヴァラは、信敬(śraddhā)をもって巡礼を成就した者は、サンクラーンティ(saṅkrānti)、アヤナの転換、日月食、その他の吉祥なるティティ(tithi)などの聖なる時に、定められた順序で十一ルドラを礼拝すべきだと説く。さらに、古い呼称(Ajāikapāda、Ahirbudhnya、Virūpākṣa 等)と、カリ・ユガにおける呼称(Bhūteśa、Nīlarudra、Kapālī、Vṛṣavāhana、Tryambaka、Ghora、Mahākāla、Bhairava、Mṛtyuñjaya、Kāmeśa、Yogeśa)という、対応する二組の名が列挙される。 デーヴィーは、十一リンガ(liṅga)の順次礼拝、マントラ、時刻、場所ごとの相違について、より詳しい手順を求める。これに対しイーシュヴァラは解釈の枠組みを示し、十のルドラを十のヴァーユ(vāyu:prāṇa、apāna、samāna、udāna、vyāna、nāga、kūrma、kṛkala、devadatta、dhanañjaya)に配当し、第十一をアートマン(ātman)とすることで、外なる多様な儀礼を内なる生理・形而上のモデルへと結びつける。 実践の道程はソーマナータ(Somanātha)から始まり、第一の霊地はブーテーシュヴァラ(Bhūteśvara)とされ、ソーメーシュヴァラ(Somēśvara)が本初神(ādi-deva)として讃えられる。王者の供養(rājopacāra)、五甘露(pañcāmṛta)による灌頂、サディヨージャータ(Sadyōjāta)の句による礼拝の後、周行と五体投地が勧められる。章末では「ブーテーシュヴァラ」を25タットヴァ(25-tattva)の枠組みによって bhūta-jāla を統べる主と解し、タットヴァの知が解脱に通じ、ブーテーシャルドラ(Bhūteśarudra)への礼拝が不滅の解放をもたらすと説く。

25 verses

Adhyaya 88

Adhyaya 88

नीलरुद्रमाहात्म्यवर्णनम् | Nīlarudra Māhātmya (Glory of Nīlarudra)

第88章は、イーシュヴァラがマハーデーヴィーに授ける聖地の指示を述べ、巡礼者をニーラルドラ(Nīlarudra)の祠へ導く。そこは「第二のニーラルドラ」と称され、位置はブーテーシャ(Bhūteśa)の北、弓(dhanuṣ)に関わる伝統的距離標「十六分の一」の尺度によって明確に示される。 儀礼の中心は礼拝次第である。まずマハーリンガ(mahāliṅga)を儀式的に沐浴させ、イーシャ・マントラ(Īśa-mantra)による真言のプージャーを行い、クムダとウトパラの花を供え、その後プラダクシナー(pradakṣiṇā)とナマスカーラ(namaskāra)を修する。果報(phala)として、その功徳はラージャスーヤ(Rājasūya)に比肩すると説かれ、さらに完全なヤートラーの果を望む者には牡牛(vṛṣa)の布施(dāna)が求められる。 末尾では「ニーラルドラ」の名の由来が語られる。かつて神は、黒い眼膏の色を帯びたダイティヤ、アーンタカ(Āntaka)を討ち、そのゆえに「ニーラルドラ」と記憶され、また女性たちの嘆き(rodana)とも結び付けられるという。このマーハートミヤは罪を滅するものとして讃えられ、ダルシャナを願う者は信(śraddhā)をもって聴聞し受持すべきだと結ばれる。

7 verses

Adhyaya 89

Adhyaya 89

कपालीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Kapālīśvara (Kāpālika Rudra Shrine)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに説く神学的講説として構成され、プラバーサ・クシェートラにおけるルドラの列挙の中で、カパーリーシュヴァラ(Kapālīśvara)を「第三のルドラ」と同定する。シヴァは、ブラフマーの第五の頭を断った神話を語り、その後、頭蓋(kapāla)が自らの手に貼り付いたことが、髑髏を帯する者カパーリカの由来であると示す。 シヴァは、そのカパーラを携えてプラバーサに来臨し、クシェートラの中央に長く留まり、計り知れぬ歳月にわたりリンガを礼拝し続けたと述べる。かくして、場所とリンガは神の長期の修行・奉持によって聖別される。さらに巡礼者のための位置情報として、祠はブデーシュヴァラの西にあり、「七つの弓の距離」(dhanuṣāṃ saptake)という基準で示される。 守護については、シヴァが三叉戟を持つ護衛者と多数のガナ(gaṇa)を任じ、害意ある傾向から聖地を守らせる。実践規定として、専一の信をもって供養すること、ヴェーダに通じたブラーフマナへ黄金を布施すること、タトプルシャ(Tatpuruṣa)に結びつく真言の作法が説かれる。果報(phala)として、リンガを拝見するだけで生来積もった罪が滅し、触れることと見ることの霊験が重ねて強調される。結びに、プラバーサのカパーリー(第三ルドラ)の罪滅ぼしのマーハートミャが簡潔にまとめられる。

11 verses

Adhyaya 90

Adhyaya 90

वृषभेश्वर-माहात्म्यवर्णनम् (Narration of the Māhātmya of Vṛṣabheśvara Liṅga)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに、神々に愛され吉祥なるルドラの霊場「ヴリシャベーシュヴァラ・カルパ・リンガ」のマーハートミャ(霊験)を説く。説示は諸カルパの連なりによって権威づけられ、同一のリンガが、帰依者と成就の果に応じて異名を得ることが語られる。すなわち、先のカルパではブラフマーが久しく礼拝し衆生創造が起こったゆえ「ブラフメーシュヴァラ」。次のカルパではラィヴァタ王がその威力により勝利と繁栄を得て「ラィヴァテーシュヴァラ」。第三のカルパではダルマが牡牛(シヴァの乗り物)の姿で供養し、近接/合一の約束を受けて「ヴリシャベーシュヴァラ」。第四のヴァラーハ・カルパではイクシュヴァーク王が三時(朝昼夕)の規律ある礼拝により王権と系譜を得て、「イクシュヴァークヴィーシュヴァラ」と称される。 さらに本章は、クシェートラの方位ごとの広がりをダヌ(dhanu)単位で示し、そこでの沐浴、ジャパ、バリ、ホーマ、プージャー、ストートラは不滅の功徳となると断言する。強い果報讃(phalaśruti)として、ブラフマチャリヤを守りつつリンガ近くで徹夜し奉愛の諸芸を捧げること、ブラーフマナへの施食、特定の月日—とりわけマーガ月黒分十四夜(Māgha kṛṣṇa-caturdaśī)およびアシュタミー/チャトゥルダシー—の礼拝が大福徳を生み、「八つのティールタ」(バイラヴァ、ケーダーラ、プシュカラ、ドルティジャンガマ、ヴァーラーナシー、クルクシェートラ、マハーカーラ、ナイミシャ)に等しいと説く。 また新月(アマーヴァスヤー)における祖霊供養のピンダ・ダーナ、リンガをダディ(凝乳)、クシーラ(乳)、グリタ(酥油)、パンチャガヴャ、クシャ水、香料で沐浴させる作法が示され、重罪の浄化とヴェーダ的威徳の成就が約束される。結びに、このマーハートミャを聴聞することは学識ある者にも無学の者にも等しく利益をもたらすと確言する。

38 verses

Adhyaya 91

Adhyaya 91

त्र्यंबकेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Trimbakeśvara: Account of the Shrine’s Glory

イーシュヴァラ(Īśvara)はデーヴィーに、不滅のトリヤンバケーシュヴァラ(Tr̥yambakeśvara)へ赴くよう教示する。そこはルドラのうち第五とされ、原初の神的形相として讃えられる。本章は聖地の地理を精密に示し、サーンバプラ(Sāmbapura)の近くに位置し、先の時代(ユガ)に関わるシカーンディーシュヴァラ(Śikhāṇḍīśvara)への言及があり、さらに隣接するカパーリカー・スターナ(Kapālikā-sthāna)では、リンガ形のカパーレーシュヴァラ(Kapāleśvara)がダルシャナ(darśana:拝観)とスパルシャナ(sparśana:聖なる触礼)によって罪過を除くと説かれる。トリヤンバケーシュヴァラは北東に、測られた距離をもって置かれ、万有を益し、望む果を授ける者とされる。 グル(Guru)という聖仙は厳しいタパス(tapas)を修し、神聖な規定に従ってトリヤンバカ・マントラを誦し、日に三度シャンカラ(Śaṅkara)を礼拝する。シヴァ(Śiva)の恩寵により彼は天界の主権を得て、聖地の名を確立した。ついで果報(phala)が述べられ、近づくこと、供養、マントラ・ジャパによって罪が滅し、ヴァーマデーヴァ(Vāmadeva)マントラを伴う信愛により過失から解放されるという。さらにチャイトラ月白分十四日(Caitra-śukla-caturdaśī)の夜、徹夜してプージャー(pūjā)、讃嘆、誦読を行うことが殊勝の効験をもつとされる。結びに、巡礼の満願を求める者は牛を布施すべしと命じ、このマーハートミャ(māhātmya)は福徳(puṇya)を生み、罪(pāpa)を滅するものとして締めくくられる。

15 verses

Adhyaya 92

Adhyaya 92

अघोरेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Aghoreśvara Liṅga Māhātmya (Glorification of Aghoreśvara)

本章は、イーシュヴァラがアゴーレーシュヴァラ・リンガの功徳を簡潔に説く。アゴーレーシュヴァラは「第六のリンガ」とされ、その「面」(ヴァクトラ)としてバイラヴァが結び付けられる。霊地はトリヤンバケーシュヴァラに近く、カリの時代の穢れを除き、功徳を生む要所として讃えられる。 ここでは、バクティをもって沐浴し礼拝するという段階的な修行が示され、その果報はメール・ダーナなどの大施に等しいと語られる。また、ダクシナームールティの作法で捧げた供物はアクシャヤ(尽きぬ功徳)となるとされる。 さらに祖霊供養の領域が加わり、アゴーレーシュヴァラの南でシュラーダを行えば祖先は長く満足し、その功徳はガヤーの典型的儀礼、さらにはアシュヴァメーダをも上回ると高く掲げられる。巡礼の施し(ヤートラー・ダーナ)も、わずかな黄金であっても尊いと称えられ、ソーマーシュタミーに近辺でブラフマクールチャの行を修して大いなる贖罪(プラーヤシュチッタ)を得よと説く。結びに、このマーハートミャを聴聞することが罪を滅し、目的を成就させると述べる。

10 verses

Adhyaya 93

Adhyaya 93

महाकालेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Narration of the Māhātmya of Mahākāleśvara)

Īśvara は Devī に、Aghoreśa のやや北、vāyavya(北西)方位に面して鎮まる Mahākāleśvara のリンガへ進む道を説き、そこを罪を滅する霊地として讃える。本章はユガに結びつく名号の由来を語り、Kṛtayuga には Citrāṅgadeśvara と記憶され、Kali には Mahākāleśvara として称揚されるという。さらに Rudra は kāla-rūpa(時の姿)であり、太陽さえ呑み込む宇宙原理として描かれ、宇宙論と聖所の神学が結び合わされる。 儀礼の規定として、黎明に六音節の真言で礼拝すること、Kṛṣṇāṣṭamī には特別の守戒を行い、ギー(ghee)を混ぜた guggulu を正しく執り行う夜の作法で供えることが説かれる。Bhairava は諸々の過失を広く赦すとされる。布施はとりわけ dhenu-dāna(牛の施与)が重んじられ、祖先の系譜を高めるという。また神の南側で Śatarudrīya を誦して父系・母系の両系統を利益することが勧められる。さらに北の至(冬至の時節)に ghṛta-kambala(ギーの毛布)を供える法が挙げられ、苛烈な再生の報いを和らげると約束される。phalaśruti は、繁栄・不運の消滅・生々世々にわたる信愛の増長を説き、聖地の名声を Citrāṅgada の古き礼拝に結びつけて結ぶ。

15 verses

Adhyaya 94

Adhyaya 94

भैरवेश्वरमाहात्म्य (Bhairaveśvara—Glory of the Shrine)

第94章は、プラバーサ・クシェートラにおけるバイラヴェーシュヴァラの神学的・儀礼的性格を簡潔に示す。イーシュヴァラはデーヴィーに、至高のバイラヴェーシュヴァラ霊廟へ赴くよう教示し、その所在を「火の隅(アグニコーナ)」に近い方位のしるしや、測り得る距離の言及によって具体的に描写する。リンガは、あらゆる願いを成就させ、貧困と不運を除くものとして讃えられる。 また名号の由来が語られる。古い時代にはチャンデーシュヴァラ(Caṇḍeśvara)と呼ばれ、チャンダ(Caṇḍa)というガナが長きにわたり礼拝したことにより、その呼称が記憶として定着したという。章はダルシャナ(拝観)と触礼を重視し、心を鎮めてリンガを見、触れることが罪を浄め、生死輪廻の枠から解き放つと説く。さらに暦に基づくヴラタとして、バードラパダ月のクリシュナ・チャトゥルダシーに断食し、夜通し覚醒して祈る(プラジャーガラ)なら、マヘーシュヴァラの最高の住処に至るとされる。 言葉と心の過失、行為による罪も、リンガを拝することで滅すると述べられる。巡礼の作法は布施の教えで締めくくられ、ゴマ、黄金、衣を学識ある受者に施して不浄を除き、旅の果報を確かなものとする。最後にバイラヴァは宇宙論的に解釈され、世界の溶解(プララヤ)に際してルドラがバイラヴァの姿を取り、世界を「引き収める」ゆえに、この霊廟名は宇宙的機能に根ざすと示される。結びの功徳説(パラシュルティ)は、このマーハートミャを聴聞するだけでも重罪からの解脱が得られると宣言する。

10 verses

Adhyaya 95

Adhyaya 95

मृत्युञ्जयमाहात्म्यवर्णनम् / The Glory of Mṛtyuñjayeśvara (Mṛtyuñjaya Liṅga)

第95章は、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)にある特別なリンガ、ムリティユンジャイェーシュヴァラ(Mṛtyuñjaya Liṅga)の功徳を、イーシュヴァラが教示する章である。まず方角の標識と距離(dhanu の数)によって祠の所在を示し、ただ拝見し触れるだけで罪障を滅する pāpa-ghna の霊地であると讃える。 続いて由来が語られる。遠い昔のユガにこの地はナンディーシュヴァラと呼ばれ、ガナ(シヴァの眷属)のナンディンが厳しい苦行を行い、マハー・リンガを建立して常に礼拝した。マハー・ムリティユンジャヤ・マントラとして知られる真言を不断に誦持したため、シヴァは歓喜し、gaṇeśatva(眷属としての位)、sāmīpya(聖なる近接)と解脱を示す恩寵を授けた。 また本章はリンガ供養の次第を定める。乳・凝乳・ギー・蜂蜜・甘蔗汁による灌頂(abhiṣeka)、クンクマの塗布、香(樟脳・uśīra・麝香精)、白檀と花の奉献、dhūpa と aguru の薫香、力に応じた衣の供え、灯明を伴う供食(naivedya)、そして最後の礼拝・五体投地である。結びに、ヴェーダに通じたブラーフマナへの黄金布施を説き、正しく行えば「生の果」を得、あらゆる pāpa が尽き、願いが成就すると phalaśruti が宣言する。

15 verses

Adhyaya 96

Adhyaya 96

कामेश्वर–रतीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Kameśvara and Ratīśvara: Etiology and Merits of Worship

本章は、女神デーヴィーとイーシュヴァラとの問答による神学的説示として構成される。イーシュヴァラは、ラティーシュヴァラがカーメーシュヴァラの北方にあることを方角と距離の標識で示し、ただ拝観(darśana)し供養するだけで七生の罪障が滅し、家の不和・破綻が避けられるという功徳を説く。 女神がその聖地の起源と「ラティーシュヴァラ」の名の由来を問うと、イーシュヴァラは縁起譚を語る。トリプラーリ(シヴァ)によってカーマ(マナシジャ)が焼かれた後、ラティーはその地で長大な苦行を行い、親指の先に立ち続けるほどの精進の末、地中からマーヘーシュヴァラのリンガが出現する。無形の声はリンガを礼拝せよと告げ、カーマとの再会を約束する。ラティーの激しい礼拝によりカーマは復帰し、そのリンガはカーメーシュヴァラとして知られるようになる。さらにラティーは、後世の礼拝者もリンガの恩寵によって所願成就と吉祥の帰趣を得ると述べる。結びに、チャイトラ月の白分十三日に礼拝することが最上で、吉祥と欲願成就をもたらすと、淡々とした果報讃(phalāśruti)の調子で記される。

17 verses

Adhyaya 97

Adhyaya 97

योगेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Yogeśvara Liṅga)

ĪśvaraはMahādevīに、Prabhāsa-kṣetraの定められた方位(Vāyuの区域、Kāmeśaの近く、「七つの弓」の範囲)に在す、きわめて霊験あらたかなリンガ「Yogeśvara」について説く。これは大いなる威力(mahāprabhāva)を具え、ただdarśana(敬虔なる拝観)するだけで罪を滅すると明言される。古い時代には「Gaṇeśvara」と呼ばれ、その由来として、PrabhāsaをMāheśvaraの聖域と知った無数の強大なgaṇaが来集し、ヨーガの規律をもって千の天年にわたり厳しいtapasを修したことが語られる。 Vṛṣadhvaja(Śiva)は彼らのṣaḍaṅga-yogaを嘉し、リンガに「Yogeśvara」の名を授け、ヨーガの果を与えるものと定めた。正しい儀軌とbhaktiによってYogeśaを礼拝する者はyoga-siddhiと天界の歓喜を得るとされ、その礼拝は、黄金のMeruや全大地を施すに等しいという誇張的譬えをもって、いかなる豪奢な布施にも勝ると讃えられる。さらに果報を円満にするため、牡牛の布施(vṛṣabha-dāna)も説かれる。 続いてPrabhāsaに住する「十一のRudra」が挙げられ、聖地の果を求める者は常に彼らを供養し敬うべきだと示される。Rudra-ekādaśaの物語を聴聞すればこのkṣetraの功徳を全きまま得る一方、彼らを知らぬことは咎められる。最後に、Someśvaraを礼拝した後にŚatarudrīyaを誦すべしと総括され、これにより一切のRudraの功徳を得るという。教えは「秘義」(rahasya)と呼ばれ、罪を鎮め功徳を増すものとして結ばれる。

13 verses

Adhyaya 98

Adhyaya 98

पृथ्वीश्वर-माहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Pṛthvīśvara and the Origin of Candreśvara)

本章は対話形式で、女神(デーヴィー)が、あるリンガがなぜ「プリトヴィーシュヴァラ」と呼ばれ、後に「チャンドレーシュヴァラ」として知られるのかを問いかける。イーシュヴァラは、罪を滅し浄める物語として答え、宇宙的時間の枠組みの中で、このリンガが古のユガやマンヴァンタラ以来名高く、プラバーサ地方に方位と距離の標識を伴って鎮座すると説く。 続いて、ダイティヤの重圧に苦しむ大地が牝牛の姿となって彷徨い、プラバーサ・クシェートラに至る危機が語られる。大地はリンガ建立を誓い、百年にわたり厳しい苦行を行う。ルドラは歓喜し、ヴィシュヌがダイティヤを除くと保証し、そのリンガがダリトリー/プリトヴィーシュヴァラとして世に称えられると宣言する。果報讃(パラシュルティ)では、バードラパダ月黒分第三日(kṛṣṇa tṛtīyā)の礼拝が巨大な祭祀功徳に等しく、周辺一帯が解脱の地であり、そこにおける不慮の死さえ「最高の境地」へ導くと述べられる。 第二の筋はヴァラーハ・カルパに移り、ダクシャの呪いで病を得た月が地上に落ち、海辺のプラバーサに至ってプリトヴィーシュヴァラを千年礼拝する。月は輝きと清浄を回復し、リンガは「チャンドレーシュヴァラ」と呼ばれるようになる。結びに、このマーハートミャを聴聞することは穢れを除き、健康を支えると説かれる。

31 verses

Adhyaya 99

Adhyaya 99

Cakradhara–Daṇḍapāṇi Māhātmya (Establishment of Cakradhara near Somēśa and the Pacification of Kṛtyā)

イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバーサにおいてチャクラダーラ(円盤を執るヴィシュヌ)とダンダパーニ(シヴァ派の守護者)が並び立つ由来を説く地縁譚を語る。物語は、迷妄の王パウンḍラカ・ヴァースデーヴァがヴィシュヌの徽章をまね、クリシュナに対してチャクラなどの標章を捨てよと挑むところから始まる。ヴィシュヌは鋭い逆転で応じ、カーシーにてチャクラを「捨てる」—すなわちそれを用いて偽りの主張者を討ち、僭称を暴く—と宣言する。 ヴィシュヌはパウンḍラカとカーシー王(カーシラージャ)を滅ぼす。カーシラージャの子はシャンカラを祈り、破壊のクリティヤー(kṛtyā)を授かってドヴァーラカーへ迫る。ヴィシュヌはスダルシャナを放ってこれを鎮め、クリティヤーはカーシーへ逃れてシャンカラの庇護を求める。シャンカラの介入により神武の対立は危険に高まり、やがてヴィシュヌがソーメーシャ/カーラバイラヴァ近くのプラバーサに至ると、ダンダパーニは自制を勧める。さらにチャクラを放てば広く害が及ぶというのである。ヴィシュヌはその戒めを受け入れ、ダンダパーニの傍らにチャクラダーラとして留まる。 章末には礼拝の作法と功徳の宣説(phalaśruti)が示され、まずダンダパーニを敬い、次いでハリ(ヴィシュヌ)を礼拝する者は「罪の鎧」から解き放たれ、吉祥の境地に至ると説く。さらに障碍除去と解脱に向かう功徳のため、特定の月日と斎戒が重んじられる。

43 verses

Adhyaya 100

Adhyaya 100

सांबाय दुर्वाससा शापप्रदानवर्णनम् — Durvāsas’ Curse upon Sāmba and the Origin-Frame of Sāmbāditya

本章はシヴァとデーヴィーの聖なる対話であり、プラバーサ巡礼の枠組みの中で「サーンバーディティヤ(Sāmbāditya)功徳譚」の糸口を開く。イーシュヴァラはデーヴィーに北方およびヴァーヤヴィヤ(北西)の区域を示し、サーンバが建立した太陽神スーリヤの顕現としてサーンバーディティヤを紹介する。さらに、ミトラヴァナとムンディーラを含む三つの主要な太陽聖地が挙げられ、第三の拠点としてプラバーサクシェートラが示される。 続いて物語は地理から道徳的因果へ移る。デーヴィーが「サーンバとは誰か、なぜ都市が彼の名を負うのか」と問うと、イーシュヴァラは、サーンバはヴァースデーヴァの強大な子(ここではアーディティヤの系譜に結び付けて語られる)で、ジャンバヴァティーより生まれ、父の呪いによってクシュタ(癩病)を患ったと告げる。 その由来として、聖仙ドゥルヴァーサがドヴァーラヴァティーに来訪した折、若さと容姿を誇るサーンバが、苦行者の質素な姿を不敬な身振りと態度で嘲ったことが語られる。侮辱に憤ったドゥルヴァーサは「まもなく癩病が汝を捉える」と呪詛を宣する。本章は苦行者への謙虚を教訓として示し、のちにサーンバが太陽礼拝に帰依し、人々の利益のため自らの都市にスーリヤの聖なる臨在を確立する伏線となる。

18 verses

Adhyaya 101

Adhyaya 101

सांबादित्यमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Sāmba-Āditya (Sun Worship at Prabhāsa)

本章は、行為とその報い(カルマ)、そして信愛による救済を結びつける神学的・倫理的挿話である。ナーラダはドヴァーラヴァティーを訪れ、ヤーダヴァ族の宮廷の様相を見届けるが、サーンバの不遜が物語の引き金となる。ナーラダは、酒に酔い社会的状況に巻き込まれると注意が散りやすいという主題を挑みかけ、クリシュナは省察しつつ、出来事が試練のように展開していく。 遊興の外出の折、ナーラダはサーンバをクリシュナと内宮の女性たちの前に呼び出す。動揺して自制を失い(酩酊がそれを増幅し)、秩序が乱れると、クリシュナは注意の逸れ、社会的脆弱さ、怠慢の業の代価を戒めるための呪詛を下す。ある女性たちは約束された行き先から堕し、のちに盗賊に捕らえられると語られる一方、主要な王妃たちはその堅固さゆえに守られる。サーンバもまた癩病を受け、物語は贖罪へと向かう。 サーンバはプラバーサで厳しい苦行を行い、スーリヤ(太陽神)を安置して定められた讃歌により礼拝し、癒やしの恩寵と行動上の制約を授かる。さらに本章は、スーリヤの十二名、月に配当される十二アーディティヤ、そして誓戒(ヴラタ)の次第—とくにマーガ月の白分第五日から第七日にかけて—を示し、カラヴィーラの花と赤檀などの供物、作法、ブラーフマナへの供養、得られる功徳を列挙する。結びの功徳讃(パラシュルティ)は、この物語を聴聞すれば罪が滅し、健康が授けられると告げる。

75 verses

Adhyaya 102

Adhyaya 102

कंटकशोधिनीदेवीमाहात्म्य (Glory of the Goddess Kaṇṭakaśodhinī)

本章は、カṇṭakaśodhinī(「棘・障碍を除く女神」)というデーヴィーに関する、ティールタ(聖地巡礼)志向の簡潔な教示を説く。まず聖所の所在が方位によって示され、信者は北方の区域にある女神のもとへ、「二ダヌス」(弓の長さを基準とする古い距離単位)ほど進むよう命じられる。女神は守護と武威の称号で讃えられ、マヒーṣaghṇī(牛魔を討つ者)、偉大な身体を具え、ブラフマーおよびデーヴァリシたちに礼拝される存在として、プラーナ的信仰の高位に置かれる。 続いて神話的根拠が語られる。諸時代にわたり、女神は「棘」と呼ばれるもの—すなわち神々を悩ます悪魔的勢力devakantaka—を浄め、取り除く。儀礼は暦日に定められ、アーシュヴァユジャ月の白分(明半月)の第九日ナヴァミーに、パシュ(獣の供物)と花の供献、上質の灯明と香をもって礼拝すべきだと説く。果報の宣言(phalaśruti)によれば、礼拝者は一年のあいだ敵を免れ、真実の帰依をもって女神を拝すれば、特別の参詣であれ日常の参拝であれ、女神は子を守るように護ってくださる。結びでは、この短いマーハートミヤは罪を滅し、聞くこと自体が最上の守護となると示される。

6 verses

Adhyaya 103

Adhyaya 103

कपालेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Kapāleśvara (Origin and Merit of the Shrine)

第103章は、プラバーサ・クシェートラにおけるカパーレーシュヴァラの聖性と名の由来を説く起源譚である。イーシュヴァラはデーヴィーに、北方にある至高のカパーレーシュヴァラへ赴くべきこと、そこは神々にも崇敬される霊地であることを語る。 物語はダクシャの祭祀へ移り、婆羅門たちは、塵にまみれ頭蓋(カパーラ)を携える苦行者を見て、祭場にふさわしくないとして儀礼的憤りのうちに追放する。その者—暗にシャンカラ—は笑い、頭蓋を供犠の場へ投げ入れて姿を消す。ところが頭蓋は捨てても捨てても繰り返し現れ、賢者たちは驚嘆し、これはマハーデーヴァ以外に成し得ぬ奇瑞と悟る。彼らは讃歌と火供をもって鎮め、シャタルドリーヤの誦唱を含む供養を行うと、シヴァが直々に顕現する。 願いを選べと告げられた婆羅門たちは、無数の頭蓋が再現するこの地に、シヴァが「カパーレーシュヴァラ」と名づくリンガとして常住することを願う。シヴァはこれを許し、祭祀は再開され、同所をダルシャナする功徳はアシュヴァメーダの果報に等しく、前生の罪をも含め諸罪を滅すると説かれる。さらにマヌヴァンタラにより名が変わること(後にはタットヴェーシュヴァラ)を述べ、シヴァが変装の姿を取って地を聖化したことを重ねて示す。

28 verses

Adhyaya 104

Adhyaya 104

कोटीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Kotīśvara Liṅga: Account of its Sacred Greatness

イーシュヴァラはデーヴィーに、方角に従う巡礼の順序を説く。求道者はまず尊きコーティーシュヴァラ(Kotīśvara)へ赴き、その北方はまたコーティーシャ(Koṭīśa)とも呼ばれる。 この地の霊威は、カパーレーシュヴァラ(Kapāleśvara)近くの古い出来事に基づく。灰を身に塗り、もつれた髪を結い、ムンジャ草の帯を締め、自己を制し怒りを克服した、シヴァに帰依するバラモンのパーシュパタ行者たちが、四方にわたり聖域(kṣetra)を遍歴しつつ、深い苦行(tapas)を修した。彼らは「コーティ」(koṭi、クロール)に及ぶ数で真言誦持(mantra-japa)に励み、正しくカパーレーシャの傍らにリンガを建立して、信愛(bhakti)をもって礼拝した。 満悦したマハーデーヴァは彼らに解脱(mukti)を授け、コーティの聖仙(ṛṣi)がそこで成就(siddhi)を得たゆえに、そのリンガは世に「コーティーシュヴァラ」として名高くなった。さらに功徳の等価が示される。コーティーシュヴァラを篤く礼拝すればコーティ回の真言誦持の果を得、ここでヴェーダに通じたバラモンへ黄金を施せばコーティ回の護摩(homa)に等しい果があり、この巡礼は正しく実りあるものと確証される。

10 verses

Adhyaya 105

Adhyaya 105

ब्रह्ममाहात्म्यवर्णनम् (Brahmā-Māhātmya: Theological Discourse on Brahmā’s Sanctity at Prabhāsa)

イーシュヴァラは、プラバーサ・クシェートラの内に「秘され、すぐれた聖地」を示し、万物を浄める力があると説く。さらに、その聖域に顕現する尊き神々の臨在を列挙し、ただダールシャナ(darśana:敬虔なる拝観)するだけで、出生に由来する重い穢れや大罪の汚れから解放されると断言する。 デーヴィーは、他所では老相として語られるブラフマーが、ここでは「童子の姿」(bāla-rūpī)と呼ばれる理由を問い、所在・時期・礼拝の規則と巡礼の順序を尋ねる。イーシュヴァラは、ソームナータ(Somnātha)に対してイーシャーニャ(Īśānya:北東)の方角にブラフマーの至高の座があり、ブラフマーは八歳の姿で来臨して厳しいタパスを修し、壮大な儀礼のもとソームナータのリンガ(liṅga)の建立・安置に参与したと語る。続いて、トゥルティからムフールタに至る時間単位、月年の構造、ユガとマンヴァンタラの尺度、マヌとインドラの名、そしてブラフマーの「一月」を成すカルパの一覧が説かれ、現行のカルパはヴァラーハ(Varāha)であると示される。結びでは、ブラフマー–ヴィシュヌ–ルドラの三位一体的統合と、アドヴァイタに寄る宣言――神力は働きにより分かれるが究極には一つ――が述べられ、正しいヤートラーの果を求める者はまずブラフマーを敬い、宗派的対立を避けよと教える。

74 verses

Adhyaya 106

Adhyaya 106

ब्राह्मणप्रशंसा-वर्णनम् (Praise of Brahmins and Conduct in Prabhāsa-kṣetra)

本章は神学的な問答として構成される。女神デーヴィーは、プラバーサにおいて童子の姿のピターマハ(ブラフマー)として顕現する不二のブラフマンを、いかに礼拝すべきか、いかなるマントラと儀礼規則が適用されるかを問う。さらに、そのクシェートラに住するバラモンの諸類型と、居住がいかに聖地の果(クシェートラ・パラ)をもたらすかを尋ねる。 イーシュヴァラは、礼拝を社会倫理に根ざす祭式の論理として言い換えて答える。バラモンは地上における神性の直接の顕現であり、彼らを敬うことは神像などの形相を敬うのと同等、あるいは文脈によってはそれ以上に勝ると説かれる。貧者・病者・身体の不自由な者を含め、バラモンを試すこと、侮辱すること、害することを厳しく戒め、暴力や屈辱に対する重大な悪果を示す。食物と飲水の施与が、尊崇の中心的な方法として強調される。 続いて、クシェートラ在住のバラモンの生活様式/生計(ヴリッティ)を、名を持つ複数の区分として挙げ、誓戒・苦行・糧の得方などの簡潔な行相を示す。結びに、プラバーサにおいて規律を守りヴェーダに携わるバラモンこそが童子相ピターマハの正しい礼拝者であり、重大な罪過により排除された者はその礼拝に近づくべきでないと述べる。

73 verses

Adhyaya 107

Adhyaya 107

बालरूपी-ब्रह्मपूजाविधानम्, रथयात्रा-विधिः, नामशत-स्तोत्र-माहात्म्यम् (Bālarūpī Brahmā Worship Procedure, Chariot-Festival Protocol, and the Merit of the Hundred Names)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)の教示として構成された、作法と教理の手引きである。まず信愛(bhakti)を、心によるもの(mānasī)、言葉によるもの(vācikī)、身体によるもの(kāyikī)の三種に分け、さらに世俗的(laukikī)、ヴェーダ的(vaidikī)、内観・霊性的(ādhyātmikī)という志向の差異を説く。 続いて、プラバ―サ(Prabhāsa)における童子形の梵天(Bālarūpī Brahmā)礼拝の次第を詳述する。ティールタ(tīrtha)での沐浴、五牛産(pañcagavya)と五甘露(pañcāmṛta)による灌頂と真言の誦出、身体各所に配するニャーサ(nyāsa)、供物の浄化、花・香・灯明・ナイヴェーディヤ(naivedya)の作法、さらにヴェーダ諸部と抽象的徳目をも敬礼の対象として讃える。 また、カールッティカ月(Kārttika)、とりわけ満月(Pūrṇimā)前後のラタ・ヤートラー(ratha-yātrā)を示し、共同体の役割、儀礼上の注意、参加者と拝観者に約束される果報を述べる。地名に結び付いた梵天の名号・顕現の長い列挙が神学的地理の索引として挿入され、続く果報章(phalāśruti)では、名百頌の誦読と正しい遵守が過失を除き大いなる功徳をもたらすと説かれ、プラバ―サにおける蓮華会(Padmaka-yoga)など稀有な暦上の吉会も強調される。結びに、土地施与を含む布施(dāna)と、大祭期に住するバラモン(brāhmaṇa)たちの誦読実践が勧められる。

119 verses

Adhyaya 108

Adhyaya 108

प्रत्यूषेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् / The Māhātmya of Pratyūṣeśvara

イーシュヴァラはデーヴィーに、ソムナータ/イーシャーナ方位の区域に、定められた距離を隔てて鎮まるヴァスたちの卓越したリンガへ赴くよう教示する。そのリンガは四面を具え、神々に愛され、「プラティユーシェーシュヴァラ」と名づけられる。大罪を除く力があり、ただダルシャナ(聖なる拝観)するだけで七生に積もった罪が滅すると説かれる。 デーヴィーが「プラティユーシャとは誰か、リンガはいかに建立されたのか」と問うと、イーシュヴァラは系譜を語る。ブラフマーの子ダクシャは娘たち(ヴィシュヴァーを含む)をダルマと結び、ヴィシュヴァーは八人の子—八ヴァス(アーパ、ドゥルヴァ、ソーマ、ダラ、アナラ、アニラ、プラティユーシャ、プラバ―サ)—を生んだ。 子を望んだプラティユーシャはプラバ―サへ赴き、そこが願いを成就させる聖地(クシェートラ)であると悟ってマハーデーヴァを安置し、百の天年にわたり心を一つにして苦行(タパス)と禅定を修した。満悦したマハーデーヴァは、最勝のヨーギンと讃えられる子デーヴァラを授け、ゆえにそのリンガは「プラティユーシェーシュヴァラ」として知られるようになった。 本章はまた実践的な功徳を示す。子なき者がここで礼拝すれば家系の継続を得、黎明(プラティユーシャ)の礼拝を堅固な信愛で行えば、ブラフマ殺(ブラフマハティヤー)に関わるものを含む重罪さえ滅すると説く。巡礼の果を円満に求める者には牡牛の布施(ヴリシャ・ダーナ)を勧め、さらにマーガ月黒分十四日の夜の徹夜(ジャーガラナ)は、あらゆる布施と供犠の果に等しいとされる。

17 verses

Adhyaya 109

Adhyaya 109

अनिलेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Anileśvara Māhātmya—Description of the Glory of Anileśvara)

イーシュヴァラはマハーデーヴィーに、卓越した聖地アニレーシュヴァラへ進むべきことを説く。そこは北方にあり、距離は三ダヌス(dhanus)と精密に示され、ティールタの地誌に特有の測定的記述がなされる。当地のリンガは「大いなる威力」(mahāprabhāva)を具え、ダールシャナ(darśana)すなわち拝観するだけで罪を滅する(pāpa-nāśana)と明言される。 物語はアニラをヴァス(Vasu)と結び、第五のヴァスであると語る。アニラはマハーデーヴァを礼拝し、シヴァを眼前に顕現させ(pratyakṣīkṛta)、正しいシュラッダー(śraddhā)をもってリンガを建立した。さらに副次の果として、イーシャ(Īśa)の力により、アニラの子マノージャヴァは強健かつ迅速となり、その動きは追跡しがたいほどになる—神恩の実例である。 この姿/聖地を拝する者には守護と吉祥が説かれ、苦患から解放され、障りや貧困がないとされる。供養の作法も簡潔に示され、リンガの上に花一輪を捧げれば、幸福・福運・美が約束される。章末のファラシュルティ(phalāśruti)は、この罪滅のマーハートミヤを聴聞し随喜する者は、諸願が成就すると結ぶ。

8 verses

Adhyaya 110

Adhyaya 110

प्रभासेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Prabhāseśvara (Installation, Austerity, and Pilgrimage Observance)

イーシュヴァラはデーヴィーに、ガウリー・タपोवनから西へ進み、至高の聖地プラバ―セーシュヴァラへ赴くよう教示する。その所在は「弓七張の距離」以内と定められ、そこにある大リンガは第八のヴァスであるプラバ―サによって स्थापितされたものだと示される。 章はついで、プラバ―サが子孫を望んだことを動機として、マハーリンガを安置し、「アーグネーイー」と呼ばれる苦行を天界の百年にわたり修したことを語る。ルドラはその誠に満足し、願いの恩寵を授ける。系譜の挿話では、ブーヴァナー(ブリハスパティの妹)がプラバ―サの妃であること、またその系統が宇宙の工匠・創造者ヴィシュヴァカルマン、さらに強大な力で名高いタクシャカと結び付けられる。 結びに巡礼者の作法が説かれる。マーガ月の月齢十四日に海の合流点で沐浴し、シャタルドリーヤをジャパとして誦し、節制して(地に臥し断食し)、リンガをパンチャームリタで沐浴させ、規定に従って礼拝し、望むなら牡牛を布施する。これにより罪垢が浄められ、あらゆる繁栄が得られると説かれる。

14 verses

Adhyaya 111

Adhyaya 111

रामेश्वरक्षेत्रमाहात्म्यवर्णन — Rāmeśvara Kṣetra Māhātmya (at Puṣkara)

イーシュヴァラはデーヴィーに、プシュカラ近くの「アシュタプシュカラ」と名づけられたクンダを中心とする地方のマーハートミャを語る。無規律な者には到達し難いが、罪を滅する霊験が讃えられ、そこにはラーマが建立したとされる「ラーメーシュヴァラ」リンガがある。ひたすら礼拝するだけで贖罪となり、ブラフマ殺し(brahmahatyā)の大罪さえ解かれると説かれる。 デーヴィーが、ラーマがシーターとラクシュマナを伴っていかに来訪し、いかにリンガを安置したかを詳しく求めると、イーシュヴァラはラーマの生涯背景—ラーヴァナ滅尽のために生まれ、後に仙人の呪いによって森へ追放されたこと—を述べ、旅の途上でプラバーサに至ったと語る。休息の後、ラーマはダシャラタを夢に見て婆羅門に相談し、夢は祖霊からの知らせであるとして、プシュカラのティールタでシュラーダ(śrāddha)を行うよう勧められる。ラーマは相応しい婆羅門を招き、ラクシュマナに果実採集を命じ、シーターは供物を整える。 儀礼の最中、シーターは父方の祖先が婆羅門の中に「臨在」するのを幻視し、慎み深く席を外す。彼女の不在にラーマは一時怒るが、理由を聞いて理解し、この出来事がプシュカラ近傍にラーメーシュヴァラ・リンガが建立される因縁として結ばれる。章末の果報説(phalaśruti)では、信愛(bhakti)の礼拝が至上の境地をもたらし、ドヴァーダシー(dvādaśī)やチャトゥルティー/シャシュティー(caturthī/ṣaṣṭhī)に関わる特定の合日に行うシュラーダは無量の功徳であり、祖霊の満足は十二年続き、馬の布施はアシュヴァメーダ(Aśvamedha)に等しいと説く。

44 verses

Adhyaya 112

Adhyaya 112

लक्ष्मणेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Lakṣmaṇeśvara Māhātmya—Account of the Glory of Lakṣmaṇeśvara)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに対し旅程の指示のように説き、ラーメーシャ(Rāmeśa)の東、距離三十ダヌス(dhanus)と明示された霊験あらたかな聖地ラクシュマネーシュヴァラ(Lakṣmaṇeśvara)へ赴くよう導く。そこにあるリンガは、巡礼の途上でラクシュマナ(Lakṣmaṇa)が安置したものとされ、大罪を滅し、諸天に礼拝されると讃えられる。 また、信愛(bhakti)の作法として、舞踊・歌・器楽による供養、さらにホーマ(homa)とジャパ(japa)を行い、行者が三昧(samādhi)に安住することで、究竟の「paramā gati(最高の帰趣)」に至ると約束する。布施(dāna)の規定も示され、香や花などを順次供え神を敬った後、相応しいドヴィジャ(dvija)に食物・水・黄金を施すべきだと説く。暦の上では、マーガ月(Māgha)の暗半月十四日クリシュナ・チャトゥルダシー(kṛṣṇa-caturdaśī)を特に重んじ、この日の沐浴・施与・ジャパはアクシャヤ(akṣaya)として不滅の果報をもたらすと宣言する。末尾のコロフォンは、本章がプラバーサ・カーンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)およびプラバーサ聖域讃(Prabhāsakṣetramāhātmya)の枠内にあることを示す。

6 verses

Adhyaya 113

Adhyaya 113

जानकीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Jānakīśvara Māhātmya: Account of the Glory of Jānakīśvara)

この章でイーシュヴァラ(シヴァ)はデーヴィーに語り、ラーメーシャ/ラーメーシャーナの近く、西南(naiṛta)の方角にある卓越したリンガ「ジャーナキーシュヴァラ」へ心を向けるよう示す。そこは一切衆生の罪を滅する pāpa-hara の霊地であり、ジャーナキー(シーター)がとりわけ篤く礼拝したリンガであると説かれる。 また名号の由来が述べられる。もとは「ヴァシシュテーシャ」と呼ばれ、トレーター・ユガには「ジャーナキーシャ」として名高くなった。さらに六万のヴァーラキリヤ仙がそこで siddhi を成就したことにより、「シッデーシュヴァラ」の称号を得たという。カリ・ユガにおいては強大な「ユガ・リンガ(双リンガ)」とされ、その拝見だけで不運から生じる苦悩を信者が離れると語られる。 章は男女を問わず行える信愛のプージャーを定め、リンガの沐浴・灌水などを勧める。さらに高い修法として、プシュカラ・ティールタで沐浴した後、行儀と食を整えて一か月連続で礼拝すれば、日々の功徳はアシュヴァメーダをも上回ると約束される。加えて、マーガ月の第三日(tithi)に女性が礼拝すれば、悲嘆と不幸がその家系に至るまで除かれると示される。結びの果報(phalaśruti)は、このマーハートミヤを聴聞することが罪を滅し、吉祥を授けると宣言する。

10 verses

Adhyaya 114

Adhyaya 114

वामनस्वामिमाहात्म्यवर्णनम् | Vāmana-Svāmin Māhātmya (Glorification of Vāmana Svāmin)

Īśvara は Devī に、罪を滅し(pāpa-praṇāśana)、あらゆる重罪をも破る(sarva-pātaka-nāśana)と讃えられる Viṣṇu の聖地、Vāmana Svāmin へ赴くよう教示する。本章はその tīrtha を Puṣkara の南西方近くに位置づけ、Prajāpati に連なる聖なる合流点としてその霊威を示す。 ここでは Viṣṇu が Bali を縛した神話が語られ、「三歩」の歩みが描かれる。第一歩は右足をこの地に置き、第二歩は Meru 山頂に、第三歩は天空に及ぶ。宇宙の境界が破られると水が湧き出し、それはガンガー Gaṅgā にほかならず、Viṣṇu の足跡より生じたゆえに Viṣṇupadī と呼ばれる。さらに Puṣkara の名は「空」と「水」の意から説かれ、清浄と神聖が言葉の上でも確立される。 儀礼の果報も明示される。沐浴して Hari の足跡を拝すれば Hari の至上の住処に至り、piṇḍa の供養は祖霊を久しく満足させる。また、戒律を守る brāhmaṇa に履物を施すことは、Viṣṇu の世界において名誉ある移動を得る功徳として称揚される。Vasiṣṭha に帰せられる gāthā が引かれ、この tīrtha の浄化の理がいっそう確証される。

12 verses

Adhyaya 115

Adhyaya 115

Puṣkareśvaramāhātmya-varṇana (Glorification of Puṣkareśvara)

イーシュヴァラはマハーデーヴィーに、プラバーサ・クシェートラにおける巡礼の順序を説く。まず卓越したプシュカレーシュヴァラへ赴き、次いでその南に位置するジャーナキーシュヴァラへ向かうべきである。 説示は、プシュカレーシュヴァラ・リンガが甚だ霊験あらたかであり、模範的な礼拝によって権威づけられていることを示す。すなわちブラフマーの子ブラフマプトラと聖仙サナトクマーラが、定められた作法に従い、黄金のプシュカラ花をもって供養したことにより、この聖地の名と名声の由来が明かされる。 さらに本章は儀礼の功徳の要点を述べる。ガンダ(香)やプシュパ(花)などを捧げ、順序正しく如法に信愛(バクティ)をもって礼拝するなら、それはプシュカリー・ヤートラーを成就したものと数えられる。果報として、この地はサルヴァ・パータカ・ナーシャナ――「一切の罪を滅するもの」として名高く、巡礼を倫理的浄化と規律ある信愛の行程として示している。

5 verses

Adhyaya 116

Adhyaya 116

शंखोदककुण्डेश्वरीगौरीमाहात्म्य (Glory of Śaṅkhodaka Kuṇḍa and Kuṇḍeśvarī/Gaurī)

ĪśvaraはDevīに語り、クンデーシュヴァリー(Kuṇḍeśvarī)と名づけられる女神の聖地に注意を向けさせる。そこはサウバーギャ(saubhāgya:吉祥の幸運)を授け、罪と貧困を除く所と讃えられる。本文は方角と距離の標識によって社の位置を明確に示し、さらに近くの水域として、あらゆる罪(pāpaka)を滅するとされるシャンコーダカ・クンダ(Śaṅkhodaka Kuṇḍa)を紹介する。 由来譚によれば、かつてヴィシュヌ(Viṣṇu)はシャンカ(Śaṅkha)という者を討ち、その巨大な法螺貝のような身体をプラバーサ(Prabhāsa)へ運んで洗い清め、霊験あらたかなティールタ(tīrtha)を स्थापितした。法螺の音に誘われて女神が来臨し理由を問うたことから、クンダに結びつく女神として「クンデーシュヴァリー」、法螺に結びつく水として「シャンコーダカ」という名が生まれた。 次いで暦の教えが示される。マーガ月(Māgha)の第三日(tṛtīyā)に礼拝すれば、男女を問わず信者はガウリーの位・住処(gaurīpada)に到るという。さらに巡礼の果報を求める者のため、布施の作法として、夫婦(dampatī)に食を施し、衣(kañcuka)を贈り、ガウリーの顕現とみなされる女性(gourīṇī)に供食することが勧められる。

11 verses

Adhyaya 117

Adhyaya 117

भूतनाथेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Bhūtanātheśvara)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィー(Mahādevī)に説く形で示される、シヴァ派聖地の讃嘆である。まず巡礼者のための方位・儀礼的な手引きとして、クンデーシュヴァリー(Kuṇḍeśvarī)の Īśa-bhāga 近くにあるブータナーテーシュヴァラ=ハラ(Bhūtanātheśvara–Hara)へ向かうべきこと、そして「弓二十張の間隔」という距離標が示される。 次に、このリンガは無始無終(anādi-nidhana)であり、カルパ・リンガ(Kalpa-liṅga)と称されること、またユガに応じて名が変わることが説かれる。トレーター(Tretā)ではヴィーラバドラエーシュヴァリー(Vīrabhadreśvarī)と記憶され、カリ(Kali)ではブーテーシュヴァラ/ブータナーテーシュヴァラ(Bhūteśvara/Bhūtanātheśvara)として知られる。さらに、ドヴァーパラ(Dvāpara)の転機に無数の bhūta がこのリンガの力によって最高の成就を得たため、地上の聖所がその名を帯びたという由来が語られる。 また、クリシュナ・チャトゥルダシー(Kṛṣṇa-caturdaśī)の夜の専修が定められる。まずシャンカラ(Śaṅkara)を礼拝し、南を向いてアゴーラ(Aghora)を供養し、自己制御・無畏・禅定の集中を保てば、世間において得られるいかなるシッディ(siddhi)も成就すると約束される。加えて、ティラー(tilā=胡麻)と黄金の布施、祖霊(pitṛ)への piṇḍa 供養により preta の境遇から解放されると勧め、信をもってこの功徳を読誦・聴聞すれば罪の集積が滅し、清浄が助長されると結ぶ。

9 verses

Adhyaya 118

Adhyaya 118

गोप्यादित्यमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Gopyāditya (Sun consecrated by the Gopīs)

イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバーサ(Prabhāsa)の地にある名高い太陽神の聖地「ゴーピャーディティヤ(Gopyāditya)」へ赴くよう教示する。方角と距離の目印によって所在が示され、この地は罪を滅する力(pāpa-nāśana)と吉祥を授ける霊験の場として讃えられる。 続いて由来が語られる。クリシュナ(Kṛṣṇa)はヤーダヴァ族(Yādava)とともにプラバーサに到来し、ゴーピー(gopī)たちとクリシュナの息子たちも同席する。長い滞在の間に、人々は名をそれぞれに持つシヴァ・リンガ(Śiva-liṅga)を数多く建立し、幡や宮殿のような建造物、象徴的標識に満ちた社寺密集の聖域が形づくられる。 本文は「主要な」十六人のゴーピーを名指しし、彼女らを月相に対応する śakti/kala(力・分霊)として解釈する。クリシュナはジャナールダナ/パラマートマン(Janārdana/Paramātman)として説かれ、ゴーピーはその神力として位置づけられる。ナーラダ(Nārada)らの聖仙と土地の人々とともに、ゴーピーたちは正しい pratiṣṭhā(安置・開眼)の作法で太陽神像を奉安し、布施が続き、神は「ゴーピャーディティヤ」として名声を得て、福徳を与え罪を除く。 後半は実践規定である。ゴーピャーディティヤへの信愛は苦行や豊かな供養を伴う祭祀に等しい果報をもたらすとされ、マーガ月第七日(Māgha-saptamī)の朝の礼拝が勧められ、祖霊の利益にもなるという。さらに、油に触れることや青・赤の衣の着用などの禁忌と、その贖罪法が示され、修行者を守る倫理・儀礼の柵として説かれる。

39 verses

Adhyaya 119

Adhyaya 119

बलातिबलदैत्यघ्नीमाहात्म्यवर्णनम् (Māhātmya of the Goddess who Slays Bala and Atibala)

本章は整然とした神学的対話として展開する。デーヴィーは、ある土地の女神がなぜ「バラーティバラ・ダイティヤグニー(Bālātibala-daityaghnī:バラとアティバラを滅する者)」として名高いのかを問い、全容を求める。イーシュヴァラは浄化の伝承を語る。すなわち、ラクタースラ(Raktāsura)の子バラとアティバラが率いる強大なアスラの系統がデーヴァを征服し、名指しの将軍たちと大軍を背景に苛烈な支配を打ち立てたのである。 デーヴァとデーヴァリシ(devarṣi)は大女神に帰依し、シャークタ・シャイヴァ・ヴァイシュナヴァの諸伝統にまたがる聖号を列挙する長大なストートラを捧げ、彼女を宇宙の力であり避難処であると讃える。女神は獅子に乗り、多臂で武器を執る畏怖すべき戦闘の姿として顕現し、天地を揺るがす戦いののち、アスラの軍勢を「容易く」滅して秩序を回復する。 この勝利はプラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)へと結び付けられる。アンビカー(Ambikā)はそこに住し、バラとアティバラの滅者として知られ、六十四のヨーギニー(yoginī)の眷属と結縁する。デーヴィーの求めによりイーシュヴァラはヨーギニーの名を列挙し、実践の指針で締めくくる。すなわち、チャンディカー(Caṇḍikā)を信愛(バクティ)をもって讃え、特定の月日(とりわけチャトゥルダシー、アシュタミー、ナヴァミー)に斎戒と規定に則った礼拝を行い、繁栄と護りのために祭礼を修すること。末尾に、このマーハートミヤは罪を滅し、プラバーサの女神に帰依する者にとって「一切の目的を成就する」(sarvārtha-sādhaka)と宣言される。

71 verses

Adhyaya 120

Adhyaya 120

गोपीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Gopīśvara Māhātmya (Account of the Glory of Gopīśvara)

本章はシヴァ派の神学的説示として語られ、イーシュヴァラがマハーデーヴィーに告げて、巡礼者を北方にある「ゴーピーシュヴァラ」聖所へ導く。そこは「比類なき」霊地と称され、位置の手掛かりとして「三つの弓ほどの距離」が示される。聖所は罪と穢れを鎮め除く(pāpa-śamana)力をもつと讃えられ、ゴーピーたちが神像を安置・奉建した(pratiṣṭhita)という स्थापना譚によって、その地における神威の正統性が確立される。 続いて、簡潔な儀礼が定められる。子を得る目的(putra-hetu)でマハーデーヴァ/マヘーシュヴァラを礼拝すべきであり、主は人々の望む目的をことごとく授け、とりわけ子孫の継続を授ける者(santati-prada)として知られるという。さらに暦の規定として、チャイトラ月の白分第三日(Caitra-śukla-tṛtīyā)に香、花、供物をもって礼拝すれば、願いの果が得られると説く。結語では、これはプラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)におけるゴーピーシュヴァラの浄化の功徳(māhātmya)を簡略に示したものであると締めくくられる。

5 verses

Adhyaya 121

Adhyaya 121

जामदग्न्येश्वरमाहात्म्य (Glory of Jāmadagnyēśvara Liṅga)

本章は、プラバーサ聖域(Prabhāsakṣetra)における「ジャーマダグニェーシュヴァラ・リンガ」の起源と功徳を説く、シヴァ派の聖地縁起である。イーシュヴァラはラーメーシュヴァラへ至る巡礼の次第を示し、それがラーマ・ジャーマダグニャ(パラシュラーマ)によって建立されたと語る。またゴーピーシュヴァラとの位置関係と距離の標識を挙げ、罪を滅する霊験あらたかなリンガの所在を明らかにする。 物語は、父の命に従って母を殺めたというパラシュラーマの深刻な倫理的危機を想起させ、悔恨と贖いによってジャーマダグニを鎮め、ついにレーヌカーを蘇生させる恩寵を得るに至る。さらに彼は、恩寵を得た後もプラバーサで比類なき苦行(タパス)を修し、マハーデーヴァ(シャンカラ)を安置して神の歓喜と所願成就を受け、マヘーシュヴァラがその地に常住すると説かれる。 続いて、クシャトリヤ討伐の戦役、クルクシェートラやパンチャナダに言及する祭式行、祖霊への務めの完遂、そして大地をブラーフマナに施すことが要約される。果報章(phalaśruti)は、このリンガの礼拝が罪人すら諸過失から解放し、ウマーの主(Umāpati)の界へ導くと宣言し、また暗半月の第十四日(チャトゥルダシー)に徹夜して斎戒すれば、アシュヴァメーダに等しい果と天界の歓喜を得ると説く。

14 verses

Adhyaya 122

Adhyaya 122

चित्राङ्गदेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Citrāṅgadeśvara

本章は簡潔な教示であり、イーシュヴァラ(シヴァ)がデーヴィーに語りかけ、プラバーサ・クシェートラにある「チトラーンガデーシュヴァラ」(Citrāṅgadeśvara)というリンガへ注意を向けさせる。経文は巡礼のための道標も示し、そのリンガは南西の方角にあり、距離はおよそ二十「弓」(弓を単位とする)と説かれる。 この霊廟の起源は、ガンダルヴァの主チトラーンガダ(Citrāṅgada)に帰せられる。彼はその地の清浄さを悟り、厳しい苦行を修してマヘーシュヴァラを歓喜させ、リンガを安置した。続いて功徳が述べられ、「バーヴァ」(bhāva:信敬のこもった意志)をもって礼拝する者はガンダルヴァ界に至り、ガンダルヴァたちと交わるとされる。 さらに日取りの規定として、白分十三日(śukla-trayodaśī)には作法に従ってシヴァを沐浴させ、種々の花・香料・薫香を順に供えて礼拝すべきことが説かれる。その果報は、正しい手順と内なる真心に基づく、あらゆる願いの成就である。

5 verses

Adhyaya 123

Adhyaya 123

रावणेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Rāvaṇeśvara (Foundation Narrative of the Rāvaṇeśvara Liṅga)

イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバーサの聖域に結びつく神学的説示として、ラーヴァネーシュヴァラの起源と功徳の枠組みを語る。三界征服を志すラーヴァナはプシュパカ・ヴィマーナで飛行するが、機体は忽ち空中で動かなくなり、クシェートラに固有の制約が示される。彼がプラハスタを偵察に遣わすと、ソーメーシュヴァラ(シヴァ)が群れなすデーヴァに讃嘆され、ヴァーラキリヤ系の賢仙にも似た苦行者共同体に侍されているのを見て、シヴァの無比の臨在ゆえヴィマーナは通過できないと報告する。 ラーヴァナは降下して信愛(バクティ)をもって供物を捧げ礼拝するが、土地の人々は恐れて逃げ去り、神前は空寂のようになる。そこへ無形の声が倫理的戒めを告げる――神のヤートラー(巡礼)の季節を妨げてはならず、遠方から来るドヴィジャーティの巡礼者を危険にさらしてはならない。さらに、ソーメーシュヴァラをただ拝観(ダルシャナ)するだけで、幼少・青年・老年に積もった過失が「洗い清められる」と説く。 やがてラーヴァナはラーヴァネーシュヴァラのリンガを建立し、断食(ウパヴァーサ)と音楽を伴う夜の徹夜供養を行い、恩寵を得る。すなわち、シヴァがその地に常住し、世俗の威勢が増し、このリンガを礼拝する者は打ち負かされ難く、シッディを成就するという約束である。ラーヴァナは野望を抱いて去るが、本章は聖所を神聖化し、儀礼の果報の理を定める。

26 verses

Adhyaya 124

Adhyaya 124

सौभाग्येश्वरीमाहात्म्यवर्णनम् (Glory of Saubhāgyeśvarī / The Saubhāgya-Granting Gaurī Shrine)

本章はシヴァとデーヴィーの対話として語られ、西方にある聖地へと聴き手を導く。そこではガウリーがサウバーギェーシュヴァリー(Saubhāgyeśvarī)として礼拝され、saubhāgya――夫婦の吉祥、婚姻の福徳、安寧を授けると説かれる。聖地は方角や周辺状況の手掛かりで示され、ラーヴァナに結びつく「ラーヴァネーシャ(Rāvaṇeśa)」の名、さらに「五つの弓の一群」という地名的な細部が挙げられる。 続いて由来譚として、アルンダティーがsaubhāgyaを願い、ガウリーへの篤い礼拝のもと、その地で厳しいタパス(tapas)を修して女神の威力により最高の成就を得たと語られる。暦注としては、マーガ月(Māgha)白分の第三日(tṛtīyā)が殊勝の時とされる。果報の宣説(phalaśruti)は明確で、信愛(bhakti)をもってこの神格を礼拝する者はsaubhāgyaを得、しかもその保証は未来の生にまで及ぶという。

5 verses

Adhyaya 125

Adhyaya 125

पौलोमीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Paulomīśvara Māhātmya (Glorification of the Paulomīśvara Liṅga)

本章は、イーシュヴァラが聖地の方位・距離などの地勢と礼拝作法を示す形で語られ、神々に愛される尊きリンガ「マハーリンガ」へと人々を導く。そこは定められた方角と間隔の地にあり、リンガは kāma-prada(願いを授けるもの)、sarva-pātaka-nāśana(重い罪垢を滅するもの)と讃えられる。名はパウローミーシュヴァラ(Paulomīśvara)で、パウローミーが建立したと伝えられる。 神話の背景として、ターラカ(Tāraka)との争いで神々が敗れ、インドラが憂いと恐れに沈む。インドラーニー(Indrāṇī)はインドラの勝利を願い、シャンブ(Śambhu)を敬虔に供養する。するとマハーデーヴァは、六つの顔をもつ強大な御子シャṇムカ(Ṣaṇmukha)が出現してターラカを討つと予言する。さらに、このリンガを礼拝する者はシヴァのガナ(gaṇa)となり、主の近くに至ると約束される。結びに、インドラがその地に住して悲嘆と恐怖から解放され、霊廟が儀礼の避難所であり功徳の田であることが強調される。

10 verses

Adhyaya 126

Adhyaya 126

Śāṇḍilyeśvara-māhātmya (Glory of Śāṇḍilyeśvara)

イーシュヴァラはデーヴィーに、尊き「シャーンディリイェーシュヴァラ」リンガへ赴くよう教え、ブラフマーの西方の区画との関係と距離の目印を示す。このリンガはきわめて霊験あらたかで、ただ darśana(聖なる拝観)するだけで pāpa-nāśana、すなわち罪垢を滅し清めると説かれる。 章はまた、梵仙シャーンディリヤを紹介する。彼はブラフマーの御者であり、苦行に励む光輝ある聖者、智に安住し自制を備える者である。彼はプラバーサに来て激しい tapas を修し、ソーメーシャの北に大リンガを建立して百の天年にわたり自ら供養し、ついに所願を成就して満ち足りる。ナンディーシュヴァラの恩寵により、シャーンディリヤは aṇimā などのヨーガの成就を授かる。さらに経文は、シャーンディリイェーシュヴァラを拝観する者は直ちに清浄となり、幼少・青年・老年に犯した罪が、故意であれ無意であれ、この darśana によって滅尽すると宣言する。

8 verses

Adhyaya 127

Adhyaya 127

Kṣemakareśvara-liṅga Māhātmya (क्षेमंकरॆश्वरलिङ्गमाहात्म्य) — Glory of Kṣemeśvara/Kṣemakareśvara

本章は神学的かつ聖地地理的な簡潔な教示であり、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィー(Devī)に語り、クシェーメーシュヴァラ(Kṣemeśvara、またクシェーマカレーシュヴァラのマーハートミヤとしても説かれる)という卓越したリンガへ注意を向けさせる。聖所の位置は関係的な指標で示され、カパーレーシャ(Kapāleśa)に対して北の隅にあり、同地に結びつく拝観・儀礼の範囲内で、「十五の弓」の距離にあるとされる。このリンガは mahāprabhāva(大いなる霊験)を具え、sarva-pātaka-nāśana(あらゆる罪障を滅する者)と明言される。 続いて由来譚が語られる。強大な王クシェーマムールティ(Kṣemamūrti)がそこで長くタパス(苦行)を修し、篤い信愛と一心の誓願によってリンガを建立したという。これをダルシャナ(拝観)するだけで、kṣema(安穏・吉祥の安定)が訪れ、事業は成就し、望む目的は生々にわたり栄え、saubhāgya(福運)を得る。さらに、ただ見ることが百頭の牛を施す功徳に等しいと説き、クシェートラの果を求める者は常にこのリンガに帰依すべきだと勧めて結ぶ。

8 verses

Adhyaya 128

Adhyaya 128

सागरादित्यमाहात्म्यवर्णनम् | Sāgarāditya Māhātmya (Glory of Sāgara’s Solar Shrine)

Īśvara は Devī に、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)にある名高い太陽神の霊像地「サーガラーディティヤ(Sāgarāditya)」の功徳を説き、近隣の聖所との方位関係(バイラヴェーシャの西、南方/アグネーヤ方位でカーメーシャの近く等)によってその所在を示す。さらに、プラーナに名高いサガラ王がそこでスーリヤを礼拝したという王者の先例を挙げ、海の広大さとその名をもって、この地の神話的・歴史的な響きを際立たせる。 続いて実践の教えとして、マーガ月の白分に行う斎戒が説かれる。自制と清浄を保ち、第六日に断食し、神の近くで眠り、第七日の朝に起きて信愛(バクティ)をもって礼拝し、施しに偽りなくブラーフマナを供養することが定められる。教理面では、スーリヤが三界の基盤であり至上の神理であると讃えられ、季節に応じた色相・形相として太陽を観想する瞑想も示される。 最後に、千名誦の代わりとなる秘密で清浄な二十一の名号から成る短い讃歌(スタヴァ)が授けられ、黎明と黄昏に誦することで罪障の解脱、繁栄、そして太陽界への到達が得られると説く。さらに、このマーハートミヤを聴聞するだけでも苦悩が和らぎ、大罪が滅すると結ばれる。

25 verses

Adhyaya 129

Adhyaya 129

उग्रसेनेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् / The Māhātmya of Ugraseneśvara (formerly Akṣamāleśvara)

第129章は、プラバーサ(Prabhāsa)にある一つのリンガをめぐる聖地讃仰(マーハートミャ)を説き、その起源・改名・救済の名声を明らかにする。イーシュヴァラは、海と太陽に近い方隅で距離も示してその場所を指し示し、罪を鎮める「ユガリンガ(yugaliṅga)」であると告げる。もとはアクシャマーレーシュヴァラ(Akṣamāleśvara)と呼ばれ、後にウグラセーネーシュヴァラ(Ugraseneśvara)として世に知られる。デーヴィーが旧名の由来を問うと、イーシュヴァラは非常時のダルマ(āpaddharma)の物語を語る。 飢饉の折、飢えたリシたちは穀物を蓄えたアンティヤジャ(antyaja、チャンダーラ Caṇḍāla)の家を訪ねるが、下位の者の食を受け取り口にすることには清浄の禁忌があった。アンティヤジャは規範と恐るべき結果を説く一方、リシたちはアジーガルタ、バラドヴァージャ、ヴィシュヴァーミトラ、ヴァーマデーヴァの先例を挙げ、命を保つための受食を正当化する。やがて条件付きの取り決めとして、ヴァシシュタはその娘アクシャマーラー(Akṣamālā)との婚姻を受け入れ、彼女は徳行と聖仙たちとの交わりによりアルンダティー(Arundhatī)として認められていく。 プラバーサで彼女は林の中にリンガを見いだし、宿縁の想起と不断の礼拝によって、それが過失を除く霊験の場として顕彰される。ドヴァーパラからカリへの移行期には、アンダーースラの子ウグラセーナが同じリンガを十四年礼拝して子カンサ(Kaṃsa)を得、以後この聖所はウグラセーネーシュヴァラと呼ばれる。結びに功徳が説かれ、ただ拝観(ダルシャナ)や触れるだけでも重罪が軽減され、バードラパダ月のリシ・パンチャミーに礼拝すれば地獄趣への恐れから解放されるという。また牛・食物・水などの布施が浄化と死後の安寧のために推奨される。

54 verses

Adhyaya 130

Adhyaya 130

पाशुपतेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Pāśupateśvara (and Anādīśa) at Prabhāsa

本章は対話形式で、プラバーサ(Prabhāsa)におけるパーシュパタ(Pāśupata)系の聖所ネットワークと、サントーシェーシュヴァラ/アナーディーシャ/パーシュパテーシュヴァラと呼ばれるリンガのマーハートミャを体系的に説く。イーシュヴァラは他のプラバーサの聖跡との位置関係を示し、この聖所はダルシャナ(拝観)だけで罪を滅し願いを成就させ、成就の地(siddhi-sthāna)であり、徳と霊性の病に苦しむ者への「薬」となると讃える。リンガに結び付く成就した聖仙たちの名が挙げられ、近くの森シュリームカ(Śrīmukha)はラクシュミーの住処として、ヨーガ行者にふさわしい場と描かれる。 デーヴィーは、パーシュパタのヨーガと誓戒(vrata)、神の呼称の由来、儀礼的な尊崇の作法、そしてヨーギンが肉身のまま天界の境地に至る物語について問いただす。続いて、ナンディケーシュヴァラが苦行者たちをカイラーサ(Kailāsa)へ招集する使命を帯び、蓮の茎(padma-nāla)の逸話が語られる。ヨーギンたちはヨーガの力で微細身となって茎の中へ入り、その内部を旅して、成就と「自在の移動」(svacchanda-gati)を示す。デーヴィーの反応から呪いの主題が現れるが、やがて鎮められ、由来譚として、落ちた茎がリンガ「マハーナーラ」(Mahānāla)となり、カリ・ユガにはドゥルヴェーシュヴァラ(Dhruveśvara)と結び付く一方、主たる聖所はアナーディーシャ/パーシュパテーシュヴァラであると確証される。 章末は功徳(phala)を述べ、礼拝—とりわけマーガ月(Māgha)に絶え間なく捧げる信愛—は供犠や布施に等しい果をもたらすとする。ここは成就と解脱(mokṣa)の拠点とされ、聖灰(bhasma)の作法やパーシュパタの身分標識に関する儀礼・倫理上の注意も添えられる。

83 verses

Adhyaya 131

Adhyaya 131

ध्रुवेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Dhruveśvara Māhātmya (The Glory and Origin Account of Dhruveśvara)

本章は神学的対話として展開する。シュリー・デーヴィーが、「ナーレーシュヴァラ」と呼ばれるリンガが、なぜ「ドゥルヴェーシュヴァラ」とも理解されるのかを問うと、イーシュヴァラはその起源と栄光(マーハートミヤ)を語る。ウッターナパーダ王の子ドゥルヴァは、卓越した聖地プラバーサ・クシェートラに至り、苛烈な苦行を修し、マハーデーヴァを安立して、千の天年にわたり揺るぎない信愛(バクティ)で礼拝した。 続いてイーシュヴァラは、ドゥルヴァの讃歌(ストートラ)を伝える。そこでは「taṃ śaṃkaraṃ śaraṇadaṃ śaraṇaṃ vrajāmi(そのシャンカラ、帰依を与える御方に、我は帰依する)」という帰依句が反復され、シヴァの宇宙的主権と神話的偉業が称えられる。果報の宣説(ファラシュルティ)として、清浄と心の規律をもってこの讃歌を誦すれば、シヴァ・ローカに至ると説かれる。 シヴァは満悦し、ドゥルヴァに神眼を授け、宇宙の大いなる位階に及ぶ恩寵を申し出るが、ドゥルヴァは地位の報いを退け、ただ純粋なバクティと、安立したリンガにおけるシヴァの恒常の臨在を願う。イーシュヴァラはこれを成就と認め、ドゥルヴァの「不動」の座を至上の住処に結びつけ、特定の月日(シュラーヴァナ月の新月アマーヴァーシャー、またはアーシュヴァユジャ月の満月パウルナマーシー)にリンガを礼拝する法を示し、馬祭アシュヴァメーダに等しい功徳と、礼拝者・聴聞者に現世と来世の多様な果を約束する。

23 verses

Adhyaya 132

Adhyaya 132

सिद्धलक्ष्मीमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Siddhalakṣmī (Prabhāsa)

本章では、Īśvara が Devī に語り、Prabhāsa 近辺の Somēśa/Īśa 方位区に鎮まる卓越したヴァイシュナヴィーのシャクティへと注意を向けさせる。そこなる pīṭha の主宰神は Siddhalakṣmī と名づけられ、Prabhāsa は宇宙秩序における「第一の pīṭha」として讃えられる。地上と空中のヨーギニーたちが Bhairava とともに自在に往来し、pīṭha の霊威が神話的に描き出される。 続いて、Jālaṃdhara、Kāmarūpa、Śrīmad-Rudra-Nṛsiṃha、Ratnavīrya、Kāśmīra など主要 pīṭha の目録が示され、これらを知ることが真言に通達する者(mantravit)の資質と結び付けられる。さらに、Saurāṣṭra にある「支え/基盤」の pīṭha として Mahodaya が挙げられ、Kāmarūpa に類する知がそこでもなお働くと説かれる。その pīṭha において女神は Mahālakṣmī としても讃嘆され、罪を鎮め、吉祥の成就を授けるとされる。 儀礼の教示として、Śrīpañcamī に香と花をもって礼拝すれば alakṣmī(不運)への恐れが除かれるという。Mahālakṣmī の臨在の近くで北面し、dīkṣā と沐浴の浄めを経て lakṣa-japa を修し、さらに tri-madhu と śrīphala を用いて十分の一の火供(daśāṃśa-homa)を行うことが定められる。phalaśruti は、Lakṣmī が顕現して現世と来世に望む siddhi を授けると述べ、tṛtīyā・aṣṭamī・caturdaśī もまた殊に霊験あらたかな時日として示す。

13 verses

Adhyaya 133

Adhyaya 133

महाकालीमाहात्म्यवर्णनम् | Mahākālī Māhātmya (Glorification of Mahākālī)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに対し、強大なる女神の顕現「マハーカーリー」について説き示す形で語られる。マハーカーリーは、地下界パーターラへ通じる裂け目(pātāla-vivara)を備えた大いなる聖座(pīṭha)に鎮座し、苦悩を鎮め、怨讐を滅する御方として讃えられる。 ついで儀礼と戒めの道が示される。クリシュナーシュタミー(Kṛṣṇāṣṭamī)の夜、定められた作法により、香・花・薫香・供物、ならびにバリ(bali)をもって礼拝すべきことが説かれる。女性を中心とする誓戒(vrata)も述べられ、専心の意で行い、白分(明半月)に一年間規律正しく供養し、規定に従って果実をブラーフマナ(brāhmaṇa)に施すよう命じられる。 また食の禁制として、ガウリー誓戒(Gaurī-vrata)を保つ間は夜に特定の豆類・穀類を避けるべきことが挙げられる。果報の宣説(phalaśruti)では、家門の繁栄、財と穀の不減、そして多生にわたる不運の解消が約束される。章末は、この地を真言成就(mantra-siddhi)を授ける聖座として示し、アーシュヴィナ月(Āśvina)白分九日には夜を徹して守夜し、心を静めて夜のジャパ(japa)を行い、所願成就を求めよと勧めて結ぶ。

11 verses

Adhyaya 134

Adhyaya 134

पुष्करावर्तकानदीमाहात्म्यवर्णनम् (Māhātmya of the Puṣkarāvartakā River)

イーシュヴァラはデーヴィーに、ブラフマクンダ(Brahmakuṇḍa)の北方ほど近い所にある「プシュカラーヴァルタカー河」(Puṣkarāvartakā)を説き、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)における重要な祭儀の結節点として定める。章中の挿話は、ソーマ(Soma)の古い供犠の場面を想起させ、ソムナータ(Somnātha)の建立と旧来の約束に関わってブラフマー(Brahmā)がプラバーサへ来臨したことを語る。 儀礼の時刻を正しくするための配慮が起こる。ブラフマーはサンディヤー(sandhyā)を修するためプシュカラ(Puṣkara)へ向かうと理解され、天時を量る者・暦に通じた者(daiva-cintaka/daivajña)は「今この瞬間こそ吉祥、逸してはならぬ」と強調する。ブラフマーは心を一点に凝らし、河岸にプシュカラの多様な顕現を生じさせ、三つのアーヴァルタ(āvarta:河の曲がり/渦)—上・中・下—を現して、三重の聖なる地勢を成就させる。 ブラフマーはこの河を「プシュカラーヴァルタカー」と名づけ、自らの恩寵によって世に名高くなると宣言する。さらに功徳が示され、そこで沐浴し、信心をもって祖霊へのピトリ・タルパナ(pitṛ-tarpaṇa)を捧げれば「トリ・プシュカラ」(Tri-Puṣkara)に等しい福徳を得るという。加えて、シュラーヴァナ月(Śrāvaṇa)白分の第三日を吉日として挙げ、祖先がきわめて長く満ち足りると約束する。

14 verses

Adhyaya 135

Adhyaya 135

दुःखान्तकारिणी–लागौरीमाहात्म्य (Duhkhāntakāriṇī / Lāgaurī Māhātmya) — Śītalā as the Ender of Afflictions

本章は、守護の女神の神学的・儀礼的な姿を示す。ドヴァーパラ・ユガにおいては彼女はシータラー(Śītalā)として知られ、カリ・ユガにおいてはカリドゥフカーンタカーリニー(Kaliduḥkhāntakāriṇī)—「カリの苦しみを終わらせる御方」—として再認される。イーシュヴァラはプラバーサにおける女神の臨在を語り、幼児の病や発疹・水疱の噴出(visphoṭa)を鎮め、付随する乱れを静めるための実践的な信愛作法を説く。 経文は次第を定める。すなわち、聖所にてデーヴィーを拝観し、鎮静のために masūra(レンズ豆)を砕いて量を整えた供物を備え、子どもたちの安寧を願ってシータラーの御前に供える。さらに śrāddha を修し、ブラーフマナ(brāhmaṇa)に食を施すなどの随伴儀礼も行う。 また、樟脳・花・麝香・白檀といった芳香の供養、ならびに naivedya として ghṛta-pāyasa(ギー入り乳粥)を供えることが説かれる。結びには、夫婦が供えた品を身に着ける(paridhāpana)よう教示される。とりわけ白分第九日(śukla-navamī)に聖なるビルヴァの花輪を捧げれば、「一切の成就」(sarva-siddhi)を得るとされ、これが本章の儀礼的頂点と果報である。

8 verses

Adhyaya 136

Adhyaya 136

लोमशेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Lomaśeśvara)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに授ける教えとして語られ、彼女(ひいては巡礼者)に、名高い聖地ローマシェーシュヴァラ(Lomaśeśvara)へ進むよう導く。そこはドゥフカーンタカーリニー(Duḥkhāntakāriṇī)と呼ばれる地の東方にあり、「七つの弓の射程」(七重の弓程)と称される一帯の中に位置するとされる。 物語によれば、聖仙ローマシャ(Lomaśa)はきわめて苛烈な苦行を修し、洞窟の中に大いなるリンガ(mahāliṅga)を建立した。続いて宇宙的な長寿の主題が示され、インドラ(Indra)の数は身体の毛髪の数に比せられ、インドラたちが次々に滅するにつれて毛髪もそれに応じて抜け落ちるという。イーシュヴァラの恩寵により、ローマシャは驚くべき長命を得て、多くのブラフマー(Brahmā)の寿量を超えて生き永らえる。 章末は信愛の果報を説く。ローマシャが敬ったリンガをバクティ(bhakti)をもって礼拝する者は、長寿を得、病を離れ、安楽にして幸福に住するという。

7 verses

Adhyaya 137

Adhyaya 137

कंकालभैरवक्षेत्रपालमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Kaṅkāla Bhairava as Kṣetrapāla

本章は、イーシュヴァラにより権威づけられた語り口で、聖域の卓越した守護者を示す。すなわち、カンカーラ・バイラヴァ(Kaṅkāla Bhairava)であり、バイラヴァによってクシェートラ(kṣetra)を護り、性向の歪んだ者たちの害意を抑え、または退けるためのクシェートラパーラ(kṣetrapāla)として任命されたと説かれる。 続いて礼拝の期日が定められる。シュラーヴァナ月(Śrāvaṇa)の白分第五日、ならびにアーシュヴィナ月(Āśvina)の白分第八日である。供物は基本として、バリ(bali)と花を信敬をもって捧げる。約束される功徳は実際的な護りであり、クシェートラ内に住む信者は障碍が除かれ(nirvighna)、わが子を慈しむような守護を受ける。かくして本章は、地方の儀礼規定(時日+供物+バクティ)を、巡礼空間を守る守護神の制度としての聖地地理へと組み込んでいる。

4 verses

Adhyaya 138

Adhyaya 138

Tṛṇabindvīśvara Māhātmya (तृणबिन्द्वीश्वरमाहात्म्य) — Glory of the Shrine of Tṛṇabindvīśvara

本章は、シヴァ派の啓示的語り口(「イーシュヴァラ曰く」)によって、トリナビンドゥヴィーシュヴァラ(Tṛṇabindvīśvara)の霊廟をプラバーサ聖域(Prabhāsa kṣetra)の西方に位置づけ、そこが「五ダヌス」の範囲内にあると説く。これにより本章は、聖地の所在を示し、その霊験を宣揚する小さなマーハートミヤとして機能する。 続いて、その聖性の由来は聖仙トリナビンドゥ(Tṛṇabindu)の苦行譚によって明かされる。彼は多年にわたり厳しいタパスを行い、月ごとの規律として、クシャ草(kuśa)の先から「水一滴」だけを飲むという節制を守った。イーシュヴァラへの不断の礼拝と奉仕によって、彼は吉祥なるプラバーシカの地において「最高のシッディ」を得たとされ、これが霊廟の威徳を裏づけ、苦行と信愛をもって聖地の力を顕す倫理的範型を示している。

4 verses

Adhyaya 139

Adhyaya 139

चित्रादित्यमाहात्म्यवर्णनम् / The Māhātmya of Citrāditya (and the Stotra of the 68 Names of Sūrya)

イーシュヴァラは、ブラフマクンダ(Brahmakuṇḍa)の近くにあるチトラーディティヤへ赴くべきだと説く。そこは貧困を滅する霊験で知られる聖地である。由来として、衆生の福利を願う法にかなったカーヤスタのミトラに、子のチトラと娘のチトラーがいた。ミトラの死後、妻がサティとして身を焼いたのち、二人は仙人たちに守られ、やがてプラバーサ地方で苦行に励む。 チトラはバー スカラ(スーリヤ)を安置して供物を捧げ、伝統により授けられた讃歌を唱える。その讃歌は、スーリヤをインド各地の聖地に結びつける六十八の秘儀的名号を列挙する。これらの名を誦し、また聴聞する功徳として、罪障の消滅、望み(王権・財宝・子宝・安楽)の成就、病の癒やし、束縛からの解放が説かれる。満悦したスーリヤは行為と知の成熟を授け、さらにダルマラージャはチトラを、世界の行いを記す宇宙の記録官チトラグプタ(Citragupta)に任ずる。章末には、特に月の第七日に行う礼拝法と、馬・鞘付きの剣・ブラーフマナへの黄金の布施によって巡礼の功徳を得ることが示される。

44 verses

Adhyaya 140

Adhyaya 140

चित्रपथानदीमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of the Citrāpathā River

本章は、プラバーサ・クシェートラにおけるチトラーパター河(Citrāpathā)のマーハートミヤ(聖威)を語り、その儀礼的効力を明らかにする。デーヴィーは、チトラーディティヤ(Citrāditya)に関わる位置にあるブラフマクーンダ(Brahmakūṇḍa)近くの河へ赴くよう教示される。 続いて伝説が説かれる。名をチトラ(Citra)という者が、ヤマの命によりヤマドゥータ(Yamadūta)に連れ去られる。これを知った姉妹は悲嘆のあまり河チトラー(Citrā)となり、親族を求めて海へと流れ入る。のちに二度生まれの者(dvija)たちが、その河をチトラーパターと名づけたという。 経文は功徳を宣言する。そこで沐浴(snāna)し、チトラーディティヤを拝観(darśana)する者は、太陽神ディヴァーカラ(Divākara)に結びつく至上の境地を得る。カリ・ユガには河が隠れ、稀に、とりわけ雨季にのみ現れるとされるが、ひとたび見える時は、ただ見ること自体が確証となり、暦の時期に依らない。 またこの地は祖霊界(pitṛ-loka)とも結ばれる。天上の祖先は河の出現を見て歓喜し、子孫のシュラッダ(śrāddha)を待ち望み、それによって久しい満足を得る。結びに、罪(pāpa)の滅除と祖先の歓喜(pitṛ-prīti)のため、ここでの沐浴と śrāddha を勧め、チトラーパター河がプラバーサの聖地地理における功徳生成の要素であることを確言する。

15 verses

Adhyaya 141

Adhyaya 141

कपर्दिचिन्तामणिमाहात्म्यवर्णनम् (Kapardī–Chintāmaṇi Māhātmya: Description of the Sacred Efficacy)

第141章は、イーシュヴァラ(Īśvara)による簡潔な神学的・儀礼的教示を述べる。まず巡礼者に聖地の方位が示され、カパルディー(Kapardī)が安置される場所へ赴き、さらにその近く北方の地へ進むべきことが説かれる。そこには「Chintitārthaprada(思念した目的を授ける者)」と称される神があり、願いを成就させる宝珠チンターマニ(Chintāmaṇi)の第二の如き存在として讃えられる。 次に、時日と作法が定められる。月の第四日(caturthī)に、ことにアṅガーラカ(Aṅgāraka、火曜日)と重なる時、信者は神に沐浴・灌頂(snāna)を行い、完全なプージャー(pūjā)を修し、吉祥なるナイヴェーディヤ(naivedya)の供物を種々捧げるべきである。結びに、この行は障碍の王ヴィグナラージャ(Vighnarāja、ガネーシャ)を満悦させ、規律ある実践によって「一切の願い」が成就すると約束される。

3 verses

Adhyaya 142

Adhyaya 142

चित्रेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Citreśvara Māhātmya—Account of the Glory of Citreśvara)

本章では、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに語り、名高いリンガ「チトレーシュヴァラ」(Citreśvara)へと注意を向けさせる。その所在は土地の目印に基づき、「弓七つ分」の距離で、アーグネーヤ方(āgneya、南東)にあると説かれる。さらにこのリンガは mahāprabhāva(大いなる威力)を具え、sarva-pātaka-nāśana(あらゆる罪を滅する者)であると明言される。 チトレーシュヴァラへの供養・礼拝(pūjā)は守護の行として示され、信者は naraka(地獄)への恐れから解き放たれる。罪はチトラ(すなわちCitreśvara)によって「拭い清められる」(mārjayati)ものとして描かれ、不断の帰依が浄化として働くことが示唆される。結びに、全力を尽くしてチトレーシャを礼拝せよと勧め、果報の宣言(phalaśruti)として、罪に重く覆われた者でさえ地獄を見ないと説く。

4 verses

Adhyaya 143

Adhyaya 143

विचित्रेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Vicitreśvara

イーシュヴァラはマハーデーヴィーに、ヴィチトレーシュヴァラへの巡礼の道を説く。そこにあるのは卓越したリンガであり、その所在は、当地の東方区域で、東南(āgneya)の方位にわずかに入った地点、弓十張ほどの距離として明確に示される。 続いて由来が語られる。大リンガは、ヤマの「書記」(lekhaka)と呼ばれるヴィチトラが、きわめて苛烈な苦行(suduścara tapas)を成就して建立したという。本章は功徳を簡潔に宣言する。礼拝を伴ってリンガを拝観(darśana)するだけで一切の罪過が除かれ、しかも正しい作法(vidhāna)に則って供養すれば、信者は苦しみに悩まされない。

4 verses

Adhyaya 144

Adhyaya 144

पुष्करकुण्डमाहात्म्य (Puṣkara-kuṇḍa Māhātmya) — The Glory of Puṣkara Pond

Īśvara は Mahādevī に「第三の大いなる Puṣkara」へ進むよう教え、その東方区画、Īśāna の方角に近い所に、Puṣkara の名で記憶される小さな池があると示す。この tīrtha の権威は原型的先例に基づく。正午に Brahmā がそこで礼拝し、また「三界の母」と称される Sandhyā が、建立・安立(pratiṣṭhā)と結び付けられて語られる。 定められる中心の作法は、満月日(pūrṇamāsī)に心を静めてそこで沐浴する者は、「Ādi-Puṣkara」における正しく円満な沐浴を成就したものと見なされる、というものである。さらに付随する倫理行として、あらゆる過失を除くために金の布施(hiraṇya-dāna)を行うべきことが明言される。 結びの phalaśruti は、これが簡潔な māhātmya であると示し、聴聞するだけで罪を滅し、望む目的を授けると説く。かくして本章は、儀礼の指針であると同時に、聖典を聴く功徳をもたらす章として位置づけられる。

6 verses

Adhyaya 145

Adhyaya 145

गजकुंभोदरमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Gajakumbhodara: Vighneśa at the Kuṇḍa)

第145章は、プラバーサ・クシェートラにおけるヴィグネーシャ(ガネーシャ)を中心に据えた、簡潔で要点の定まった神学的・儀礼的な告知である。イーシュヴァラは、土地に根差す尊像「ガジャクンボーダラ」を示し、象の相を備える姿として描写し、障碍を除き、非義を滅する御方として讃える。 続いて特定の行法が説かれる。巡礼者は月の第四日(チャトゥルティー)に、関わりのクンダ(聖池)で沐浴し、慎み整えた心(プラヤタートマー)をもって、バクティ(信愛)により神を礼拝すべきである。正しい信愛と時宜にかなう儀礼は神を満悦させ(トゥシュヤティ)、その結果として障碍が解け、吉祥の果が熟すことが示唆される。 末尾のコロフォンは、本章が『スカンダ・プラーナ』の編纂に属することを明らかにし、題名を「ガジャクンボーダラ・マーハートミヤ(功徳譚)の叙述」と定める。

3 verses

Adhyaya 146

Adhyaya 146

यमेश्वर-प्रतिष्ठा तथा पापविमोचन-उपदेशः (Yameśvara Installation and Guidance on Release from Demerit)

本章は、ダルマラージャであるヤマ(Yama)が、チャーヤー(Chāyā)に関わる呪いのために苦しみ、片足を失って痛悩する次第を語る。ヤマはプラバーサ聖地(Prabhāsa-kṣetra)で苦行(tapas)を修し、シヴァ(Śiva/Śūlin)のリンガ(liṅga)を建立して「ヤメーシュヴァラ」(Yameśvara)と名づける。 シヴァは直に顕現し、願いを求めよと告げる。ヤマは失われた足の回復を願い、さらに、このリンガを信愛をもって拝観(darśana)する者がパーパ・ヴィモーチャナ(pāpa-vimocana)—罪障の解脱—を得るようにと請う。シヴァはこれを許し去り、ヤマは癒えて天界へ帰還する。 続いて巡礼の実践が示される。バートリ・ドヴィティーヤー(Bhātr̥-dvitīyā)の合時には池で沐浴し、社近くのヤメーシュヴァラを拝観すべきである。またヤマに向け、器に入れた胡麻(tila-pātra)、灯明(dīpa)、牛(gāḥ)、黄金(kāñcana)を供えることが説かれ、あらゆる罪(sarva-pātaka)からの解放が約束される。教旨は倫理的で、裁きは信愛・苦行・正しい儀礼によって和らげられ、因果の法を否定せずに恐れを鎮めると示す。

11 verses

Adhyaya 147

Adhyaya 147

ब्रह्मकुण्डमाहात्म्य (Brahmakuṇḍa Māhātmya) — The Glory of Brahmakuṇḍa at Prabhāsa

本章はシヴァとデーヴィーの聖なる対話として語られる。イーシュヴァラはデーヴィーを、プラバーサにあるブラフマクンダ(Brahmakuṇḍa)へ導き、ブラフマーが創出した比類なきティールタ(tīrtha)であると讃える。その起源は、ソーマ/シャシャーンカ(Soma/Śaśāṅka)がソムナータ(Somnātha)を स्थापित した時代に置かれ、奉安のために諸デーヴァが集会したと説かれる。 स्थापना を示す自生の徴を求められたブラフマーは、深い禅定とタパス(tapas)によって、天界・地上・地下界のあらゆるティールタをこの地へ集め、ゆえに「ブラフマクンダ」と名づけられた。 続いて儀礼の効用と果報が列挙される。ここでの沐浴と祖霊供養(pitṛ-tarpaṇa)はアグニシュトーマ(Agniṣṭoma)に等しい功徳を与え、天界を自在に往来する福をもたらすという。学識あるブラーフマナへの布施は罪障の除去に勧められ、サラスヴァティーが満月日(pūrṇimā)と朔後一日(pratipad)に沐浴すると語られて、暦日に宿る神聖が示される。クンダの水は成就の霊薬(siddha-rasāyana)として、多彩な色と芳香を現す奇瑞(kautuka)とされるが、その効験はマハーデーヴァの御満悦に依存すると明かされる。 また、器の準備・加熱・反復浸潤といった実践手順に加え、長期の行として、数年にわたる沐浴(snāna)とマントラ誦持(mantra-japa)、さらにヒラニェーシャ、守護神クシェートラパーラ、バイラヴェーシュヴァラへの礼拝が説かれ、健康・長寿・弁才・学識の成就が約束される。結びには、周回礼拝(pradakṣiṇā)による功徳、供養(pūjā)による願成就、そして信心をもって聴聞する者は罪を離れブラフマローカ(Brahmaloka)へ昇るという果報讃(phalaśruti)が述べられる。

79 verses

Adhyaya 148

Adhyaya 148

Kūpa–Kuṇḍala-janma-kathā and Śivarātri-phala (The Well of Kundala and the Fruit of Śivarātri)

本章は、シヴァと女神(デーヴィー)との神学的対話として語られる。まず、ブラフマクンダ(Brahmakunda)の北、ブラフマティールタ(Brahmatīrtha)近くにある一つの井戸(kūpa)を示し、その強大な浄化力を説く。そこで沐浴すれば盗みの罪過が解かれるとされ、さらにシヴァラートリ(Śivarātri)を、暴力的に殺された者や道徳的な咎を負う者のために、piṇḍadāna などの儀礼を行う特別の時として勧める。 女神が「なぜその地が名高くなったのか」と問うと、イーシュヴァラ(Īśvara)は由来譚を語る。正しい王スダルシャナ(Sudarśana)は、プラバーサ(Prabhāsa)でのシヴァラートリの徹夜の功徳に結びつく前世を思い出す。前世で語り手は盗賊であり、共同の徹夜が行われる夜に悪事を企てたが王の衛兵に討たれ、遺骸はブラフマティールタの北に葬られた。意図せずシヴァラートリの「目覚め」と聖地(kṣetra)の威力に触れたため、盗賊は転換の果報を得て、ついにスダルシャナ王として再生する。 さらに、黄金の発見という目に見える徴が人々の確証を生み、Citrāpathā 川の出現/命名へとつながる。シュラーヴァナ月(Śrāvaṇa)にその井戸で沐浴し、規定に従って śrāddha を行い、Citrāditya を礼拝すれば、シヴァの界で名誉を得るという。結びの phalaśruti は、この章を誦し、また聴聞する者に、浄化とルドラ界(Rudra-loka)での尊崇を約束する。

53 verses

Adhyaya 149

Adhyaya 149

Bhairaveśvara at Brahmakuṇḍa (भैरवेश्वर-ब्रह्मकुण्ड-माहात्म्यम्)

Īśvara は Devī に語り、巡礼して求道する者を、Brahmakuṇḍa の Īśāna(北東)方位に鎮まる尊き顕現・Bhairaveśvara へと導く。そこに坐す神は、罪を滅し、聖地(tīrtha)を守護する者として讃えられ、四面(caturvaktra)の相により、護りの臨在と儀礼的権威を示す。 本章は巡礼の基本作法を説く。まず大いなる kuṇḍa にて沐浴し、ついで五種の供養(fivefold upacāra)により、信心をもって礼拝し、諸感官を慎む。続く phalaśruti は力強く、礼拝者は過去と未来の系譜を「渡らせ救う」(tārayet)とされ、信者には損失や破滅が及ばぬと保証される。報いは天界の譬え—光り輝く vimāna、太陽のごとき光明の中を絶えず巡ること、神々のような享楽—として語られ、さらに、この四面の liṅga を拝見するだけでも一切の罪から解放されると結ばれる。

6 verses

Adhyaya 150

Adhyaya 150

ब्रह्मकुण्डसमीपस्थ-ब्रह्मेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Glory of Brahmeśvara near Brahma-kuṇḍa)

本章は、イーシュヴァラの教示として、先に定められたブラフマ・クンダ(Brahma-kuṇḍa)の南にあるシヴァ派の霊廟「ブラフメーシュヴァラ(Brahmeśvara)」の功徳を説く。そこは三界に名高く、シヴァのガナ(gaṇa)たちに守護されると宣言され、プラバーサ(Prabhāsa)の巡礼体系の中でその権威が確立される。 続いて厳密な作法が示される。巡礼者はブラフメーシュヴァラに近づき、その地で沐浴し—とりわけチャトゥルダシー(caturdaśī)、さらに新月日アマーヴァーシャー(amāvāsyā)において殊勝である—規定に従ってシュラーダ(śrāddha)を行い、その後にブラフメーシュヴァラを礼拝する。 またダーナ(dāna)として、ブラーフマナ(brāhmaṇa)に黄金を施すことが、シャンカラ(Śaṅkara)を喜ばせる行いとして勧められる。結びの果報は、これらの遵行が「生の果」(janma-phala)、大いなる名声(vipulā kīrti)、そしてブラフマー(Brahmā)の恩寵に結びつく歓喜をもたらすと述べ、儀礼・布施・成就を一つの教えとして統合している。

5 verses

Adhyaya 151

Adhyaya 151

Sāvitrīśvara-bhairava-māhātmya (सावित्रीश्वरभैरवमाहात्म्य)

第151章は、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)におけるブラフマー・クンダ(Brahma-kuṇḍa)周辺に焦点を当てたティールタ功徳譚(tīrtha-māhātmya)である。イーシュヴァラ(Īśvara)は、その地の南方、ブラフマー・クンダ近くに第三のバイラヴァ(Bhairava)が鎮まること、そしてサーヴィトリー(Sāvitrī)がシヴァ派(Śaiva)の聖なる स्थापना(設置)と結びつくことを語る。 物語では、サーヴィトリーが節制と厳しい規律をもって苦行と信愛を修し、シャンカラ(Śaṅkara)を歓喜させるさまが描かれる。満悦したシヴァ(Śiva)は、儀礼の規定とその果報として恩寵を授ける。すなわち、クンダで沐浴し、満月日(pūrṇimā)に「わがリンガ(liṅga)」を、香と花を定められた順序で供えて礼拝する者は、望む吉祥を得る。 功徳偈(phalaśruti)は救済を強調し、重い罪を負う者でさえ過失から解き放たれ、牡牛旗の主ヴリシャバドヴァジャ(Vṛṣabhadhvaja、シヴァ)の加護のもと目的が成就すると説く。章末ではシヴァが姿を隠し、サーヴィトリーはシヴァの聖なる臨在を स्थापितしたのちブラフマー界(Brahma-loka)へ赴き、識別ある聴聞者もまた過失から解放されると結ばれる。

9 verses

Adhyaya 152

Adhyaya 152

नारदेश्वरभैरवप्रादुर्भावः (Naradeśvara Bhairava: Origin and Merit)

イーシュヴァラは、バイラヴァの顕現が次々に現れる次第を説き、ブラフメーシャの西方に位置する第四のバイラヴァ聖地を、弓の長さによる精密な距離表示とともに示す。そこには聖仙ナーラダが建立したリンガ「ナラデーシュヴァラ」があり、あらゆる罪を滅し、望む成就を授けるとされる。 挿話によれば、かつてブラフマローカにいたナーラダは、女神サラスヴァティーに結びつく光輝くヴィーナーを見いだす。好奇心から正しい作法を欠いて奏でたところ、発した音—七つのスヴァラ(音階)—が「堕ちたブラーフマナ」と語られる。ブラフマーはこれを無知による演奏の過失と断じ、七人のブラーフマナを害するに等しい重罪であるとして、直ちにプラバーサへ巡礼し、バイラヴァを供養して浄化を得よと命じる。 ナーラダはブラフマクンダに至り、百の天年にわたりバイラヴァを礼拝して清浄となり、歌の妙技を得る。章末は「ナラデーシュヴァラ・バイラヴァ」を大過を滅する世界に名高いリンガとして称え、無知のままヴィーナーや音を扱う者はそこで清めを受けるべきだと説く。さらに、マーガ月には食を慎み、一日三度礼拝するという行が示され、信者は歓喜に満ちた吉祥なる天界の境地に至ると結ばれる。

15 verses

Adhyaya 153

Adhyaya 153

Hiraṇyeśvara-māhātmya (हिरण्येश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Hiraṇyeśvara near Brahmakuṇḍa

ĪśvaraはDevīに、Brahmakuṇḍaの北西にある至高のリンガ、Hiraṇyeśvaraの所在と救済の功徳を語る。そこはKṛtasmarā、Agnitīrtha、Yameśvara、さらに北方の海域に近く、Brahmakuṇḍa周辺の聖域群の一部として、名高い「五人のBhairava」にも言及される。 Brahmāはリンガの東側で激しい苦行(tapas)を行い、すぐれた祭祀(yajña)を開始した。devaとṛṣiたちは定められた分け前を求めて集まったが、dakṣiṇā(祭官への謝礼・供物)が不足し、儀礼が完遂できない危機に陥る。BrahmāがMahādevaに祈願すると、神意によりSarasvatīが諸神の安寧のために招かれ、「kāñcana-vāhinī(黄金を運ぶ流れ)」となる。西へ流れるその水は無数の金の蓮華を生じ、Agnitīrthaに至るまで一帯を満たした。 Brahmāは金の蓮華をdakṣiṇāとして祭官に分け与え、yajñaを成就させ、残りの蓮華を地中に納めてその上にリンガを安置したため、Hiraṇyeśvaraと名づけられ、神聖な金蓮華によって礼拝されるという。さらにtīrthaの相として、Brahmakuṇḍaの水は多彩に見え、沈んだ金蓮華のゆえに一瞬黄金のようになると説かれる。結びのphalaśrutiでは、Hiraṇyeśvaraを拝することは罪過を除き貧困を払うこと、Māgha caturdaśīの礼拝は宇宙全体を敬うに等しいこと、信心をもって聴聞・誦読すればdevalokaに至り罪から解放されることが讃えられる。

30 verses

Adhyaya 154

Adhyaya 154

गायत्रीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Glory of Gayatrīśvara Liṅga)

イーシュヴァラ(Īśvara)はデーヴィーに語り、巡礼者を罪を解くリンガ(pāpa-vimocana)へと導く。それはヒラニェーシュヴァラ(Hiraṇyeśvara)の地、ヴァーヤヴャ(Vāyavya)方位にあり、「弓三張の距離(dhanuṣāṃ tritaye)」に位置すると説かれる。衆生はダルシャナ(darśana:拝観)とスパルシャナ(sparśana:恭しく触れること)のいずれによっても罪を滅し得る、pāpaghna の霊験を受ける。 本章はこれを、ガーヤトリー(Gāyatrī)真言の威力と伝統によって建立された「アーディ・リンガ(ādi-liṅga)」と明かす。修行者、とりわけシュチ(śuci:儀礼的清浄)となったブラーフマナがそこに至りガーヤトリー・ジャパを行えば、不正な受施であるドゥシュプラティグラハ(duṣpratigraha)の過失から解放される。さらに、ジェーシュタ月(Jyeṣṭha)の満月に夫婦一組へ食を施し、力に応じて衣を与える者は不運(daurbhāgya)を免れ、パウルナマーシー(Paurṇamāsī)に香・花・供物をもって礼拝する者は七生にわたり「ブラーフマニャ(brāhmaṇya)」を得るという。結びに、この説話はブラフマー・クンダ(Brahma-kuṇḍa)の恩寵により示された「精髄の中の精髄(sārāt sāratara)」であると結ばれる。

7 verses

Adhyaya 155

Adhyaya 155

Ratneśvara-māhātmya (रतनॆश्वरमाहात्म्य) — Sudarśana Kṣetra and the Merit of Ratnakuṇḍa Worship

本章は神学的対話として構成され、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィー(Devī)に語り、巡礼者をも含めて比類なき霊地ラトネーシュヴァラ(Ratneśvara)へと導く。そこでは、力強く至高のヴィシュヌ(Viṣṇu)がタパス(tapas)を修し、あらゆる願いを成就させるリンガ(liṅga)を建立したと説かれる。 ついで実践の要が示される。ラトナクンダ(Ratnakuṇḍa)で沐浴し、供物を欠かさず、篤いバクティ(信愛)をもって絶えず神を礼拝すれば、求める果報が得られるという。さらに、無量の光輝をもつクリシュナ(Kṛṣṇa)がここで厳しい苦行を行い、あらゆるダイティヤ(daitya)を滅するスダルシャナ・チャクラ(Sudarśana-cakra)を得たと述べ、地の威徳を確かなものとする。 イーシュヴァラはこのクシェートラ(kṣetra)が常に愛しい地であり、世界が融解する時(プララヤ)にもなお自らがそこに常住すると宣言する。霊域は「スダルシャナ」と名づけられ、その境界は三十六ダンヴァンタラ(dhanvantara)と定められる。さらに救済の広がりとして、卑しいと見なされる者であってもその範囲内で命終すれば最高の境地に至り、またヴィシュヌに黄金のガルダ(Garuḍa)と黄色の衣を施すダーナ(dāna)は巡礼と同等の功徳を与えると説かれる。

8 verses

Adhyaya 156

Adhyaya 156

गरुडेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Garudeśvara Māhātmya—Account of the Glory of Garudeśvara)

本章は、ラトネーシュヴァラ・マーハートミャの流れの中に置かれた簡潔なティールタ(聖地)指示であり、イーシュヴァラがデーヴィーに告げる。ラトネーシュヴァラの北方、距離をダヌス単位で示した地点に、ヴァイナテーヤ(ガルダ)に結びつくリンガがあり、「ヴァイナテーヤ・プラティシュティタ」と称されると説く。 プラーナの定型に従い、ガルダはその地をヴィシュヌ信仰(ヴァイシュナヴァ)的性格の場所と見定め、罪を滅するリンガを建立した。イーシュヴァラは、月の第五日(パンチャミー)に作法どおり(ヴィダーナタハ)礼拝することを定め、さらに、パンチャームリタでリンガを沐浴させ儀礼的に供養する者は、七生にわたり蛇毒の害を免れ、あらゆる功徳を得て天界の歓楽を享受すると説く。

5 verses

Adhyaya 157

Adhyaya 157

सत्यभामेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Satyabhāmeśvara Māhātmya (Account of the Glory of Satyabhāmeśvara)

イーシュヴァラは女神マハーデーヴィーに語り、吉祥なるサティヤバーメーシュヴァラの霊地への巡礼を勧める。その所在は、ラトネーシュヴァラの南、弓一張りの長さほどの距離にあると示され、あらゆる罪を鎮め除く所(sarva-pāpa-praśamana)として讃えられる。 このティールタはヴァイシュナヴァの聖地として語られ、そこでの沐浴は罪障を滅する(pātaka-nāśana)と説かれる。また、この社は、クリシュナの妃であり、美と高貴さ(rūpa–audārya)を具えたサティヤバーマーによって建立されたと述べられる。 さらに、月暦マ―ガ月の第三日(トリティーヤー)に礼拝すべきことが示され、男女を問わず、バクティをもってプージャーを行えば罪より解放されると約束される。果報の教え(phalaśruti)として、不運・悲しみ・憂い・障碍に悩む者はそれらから解き放たれ、「サティヤバーマーに結ばれた者」(satyabhāmānvitā)となり、創建の聖徳に信敬をもって相応するという。

6 verses

Adhyaya 158

Adhyaya 158

अनंगेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Māhātmya of Anangeśvara: Narrative of the Shrine’s Glory)

第158章は、イーシュヴァラが旅程案内のように説き、聴き手をアナンゲーシュヴァラへ導く。そこはラトネーシュヴァラの前方、「弓矢の射程ほど」の距離にあるとされる。当地のリンガはカーマデーヴァ(ヴィシュヌの子とも称される)によって建立されたと語られ、この聖地はヴァイシュナヴァの系譜に結びつく場として、カリ・ユガにおいて道徳的な穢れを除く特別の霊験を持つと描かれる。 果報(phala)は明確である。アナンゲーシュヴァラを拝し供養する者は、カーマデーヴァのような魅力と美しさ、社交の愛敬を得、その福徳は一族にも及び、不運や「吉祥に欠ける」と見なされる状態を和らげるという。さらに暦に基づく行として、アナンガ・トラヨーダシーの日にヴラタ(誓戒)をもって特別供養することが定められ、「生の成就」(janma-sāphalya)の因とされる。 巡礼の倫理は、徳あるブラーフマナへのシャイヤー・ダーナ(寝台の布施)を勧めることで完結する。受者がヴィシュヌの信奉者(Viṣṇu-bhakta)であれば功徳はいっそう増すとされ、聖地参詣が、規範ある布施と受者の相応しさに結び付けられている。

7 verses

Adhyaya 159

Adhyaya 159

रत्नकुण्ड-माहात्म्य (Ratnakuṇḍa Māhātmya) / The Glory of Ratna-Kuṇḍa near Ratneśvara

ĪśvaraはMahādevīに、Ratneśvaraの南方にあり、古来の尺度で「七つの弓の距離」とされる卓越した水の聖地Ratnakuṇḍaを説く。このクンダは重い罪過を浄めると讃えられ、その建立はViṣṇuによるとされる。さらにKṛṣṇaが地上と天界の無数のtīrtha(聖地)を集めてここに納め、神聖な従者gaṇaが守護するため、カリ・ユガには規律なき者が近づき難いと語られる。 続いて儀礼の規定が示され、正しい作法に従って沐浴すれば、供犠の果報が増大し、Aśvamedhaの功徳が倍加すると説く。Ekādaśīは祖霊にpiṇḍaを供える要の時とされ、尽きぬ満足が約束される。また堅固な信を条件として、夜の覚醒・徹夜(jāgaraṇa)を行えば望む成就を得ると教える。 布施(dāna)としては黄色の衣と乳牛を施し、Viṣṇuに奉献して巡礼の果を円満にせよと勧める。最後にユガごとの名称が挙げられ、KṛtaではHemakuṇḍa、TretāではRaupya、DvāparaではCakrakuṇḍa、KaliではRatnakuṇḍaと呼ばれるという。さらに地下にGaṅgāの流れがあるため、ここでの沐浴はあらゆるtīrthaでの沐浴に等しいと結ばれる。

11 verses

Adhyaya 160

Adhyaya 160

रैवंतकराजभट्टारकमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Raivanta Rājabhaṭṭāraka

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに対し、プラバーサ・クシェートラにおける巡礼と礼拝の順序を説き、中心としてライヴァンタ・ラージャバッタ―ラカを讃える。彼は太陽神スーリヤの子で、馬に乗り、大いなる力を備え、サーヴィトリーの近く、聖域の内にあって南西(ナイリタ)の方角に向いて鎮座すると語られる。 また、ダルシャナとプージャーの功徳として、ただ拝見するだけであらゆる災厄から解放されると示される。さらに、日曜日が月の第七日(サプタミー)に当たる日に礼拝すべしと定め、その功徳により、礼拝者の家系にさえ貧困が起こらないと約束される。 結びに、障りなくクシェートラに住し、馬の増益など王者・世間の目的をも成就するため、全力を尽くして礼拝せよと勧め、信愛が解脱の利益と世間的な儀礼効用の双方をもたらすことを明らかにする。

5 verses

Adhyaya 161

Adhyaya 161

अनन्तेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Ananteśvara Māhātmya (Glorification of Ananteśvara)

本章は、プラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)におけるイーシュヴァラ(Īśvara)の方位の示しを述べ、言及された聖所の南に、弓の長さで測るほどの近距離としてアナンテーシュヴァラ(Ananteśvara)の所在を定める。リンガは「アナンテーシュヴァラ」と名づけられ、アナンタ(Ananta)によって स्थापितされたもの、またナーガ王と結びつくものと説かれ、ナーガの守護がこの地の神聖さに織り込まれる。 礼拝の規定として、パールグナ月(Phālguna)の白分(śukla-pakṣa)第五日(pañcamī)に、食と感官を慎み制する修行者は、五供(pañcopacāra)の作法で供養すべきだと示される。続く果報説(phalaśruti)では、蛇咬からの守護と、毒が一定期間進行しないことが約束され、規律ある実践への宗教的・倫理的勧奨となっている。 さらに「アナンタの誓戒」(Ananta-vrata)の実修が説かれ、蜂蜜と甘い乳粥(madhu-pāyasa)を供え、蜂蜜を混ぜたパーヤサでバラモンを供養することが指示される。布施(dāna)と歓待が、聖所礼拝の不可欠な延長として位置づけられるのである。

7 verses

Adhyaya 162

Adhyaya 162

Aṣṭakuleśvara-māhātmya (अष्टकुलेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Aṣṭakuleśvara Liṅga

本章は、シヴァがデーヴィーに授ける教示として語られ、プラバーサの聖域網の中にアシュタクレーシュヴァラ・リンガの所在を定める。方位によって示され、言及された地点より南にあり、ラクシュマネーシャの祠の東に位置すると説かれる。 アシュタクレーシュヴァラは「一切の罪を鎮める者」(sarva-pāpa-praśamana)であり、「大毒」(mahā-viṣa)の危難を含む苛烈な苦患を滅するものと讃えられる。シッダやガンダルヴァといった超人的存在が礼拝することにより霊験が裏づけられ、望む目的を授ける(vāñchitārtha-prada)とも述べられる。さらに、黒分第八日クリシュナ・アシュタミーに、定められた作法(vidhānataḥ)に従って供養すべきことが示される。功徳の宣言は、重罪からの解放と、死後にナーガ界(Nāga-loka)で尊崇を得るという果報を約束する。

4 verses

Adhyaya 163

Adhyaya 163

नासत्येश्वराश्विनेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Nāsatyeśvara and Aśvineśvara)

本章は「イーシュヴァラ曰く」という形で、求道者に対し、示された基点の東方にある聖所へ向かうよう導く。そこには「ナーサティエーシュヴァラ」と名づけられたリンガがあり、戒律と儀礼に関わる汚れである kalmaṣa を大いに除き、参詣者を清めるものとして讃えられる。 末尾の奥書は、本章が八万一千頌から成る『スカンダ・プラーナ』の第七部「プラバーサ・カーンダ」、第一小区分「プラバーサ聖域功徳譚(Prabhāsakṣetramāhātmya)」に属し、主題を「ナーサティエーシュヴァラとアシュヴィネーシュヴァラのマーハートミャ叙述」と定める。ゆえに本章は、巡礼の方角、聖所の名号、浄化の約束を簡潔に結ぶ、典型的な聖地功徳文学(sthāla-māhātmya)の小単位となっている。

2 verses

Adhyaya 164

Adhyaya 164

अश्विनेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Aśvineśvara)

Īśvara は Devī に向かい、東方へ進んで尊崇される聖地アシュヴィネーシュヴァラ(Aśvineśvara)へ赴くよう命じる。その場所は「五つの弓の内」(五弓の範囲)という距離の標識の中にあると説かれ、そこで礼拝すれば大いなる罪の集積を鎮め(mahāpāpaugha-śamana)、望む成就を授ける(sarva-kāma-da)と讃えられる。 本章は治癒の趣を強く帯び、リンガへのダルシャナ(darśana)はあらゆる病を鎮める(sarva-roga-praśamana)とされ、病に悩む者への大いなる霊薬の地として描かれる。さらに、マーガ月(Māgha)の第二月日(dvitīyā)にダルシャナを得ることは難得であり、その稀少さゆえにいっそう吉祥であると示される。 結びに、そこには「太陽の子」(Sūrya-putra)が建立した二つのリンガ(liṅga-dvaya)があると明かされる。自らを律する者(saṃyata-ātmā)は、まさにその日にダルシャナを行うべきだと勧められ、信愛と時節と自己統御が一つの巡礼の教えとして統合される。

6 verses

Adhyaya 165

Adhyaya 165

Savitrī’s Departure to Prabhāsa and the Ritual-Political Crisis of Brahmā’s Yajña (सावित्री-गायत्री-विवादः प्रभासप्रवेशश्च)

本章はシヴァとデーヴィーの対話として構成され、サーヴィトリーがなぜプラバーサ・クシェートラと結び付けられるのか、また祭式の切迫がいかに倫理的・神学的緊張を生むかを説く。シヴァは、ブラフマーがプシュカラに大規模なヤジュニャを定め、ディークシャとホーマには必ずパトニー(儀礼上の伴侶)が要ることを語る。家の務めで遅れたサーヴィトリーが不在の間、インドラは相応しい牧女を迎え、彼女はガーヤトリーとなって、祭式は進められる。 やがてサーヴィトリーは他の女神たちと到来し、会衆の前でブラフマーを詰問して一連のシャーパ(呪詛)を宣する。ブラフマーには年一度の限定的礼拝(特にカールティキー期)を、インドラには将来の屈辱と束縛を、ヴィシュヌには人間としての化身における配偶者離別の苦を、ルドラにはダルヴァナ事件での争いを、さらにアグニや諸祭官にも及び、欲望に駆られた行為と手続き上の便宜を批判する。続いてヴィシュヌがサーヴィトリーに正式な讃歌(ストゥティ)を捧げると、彼女は相殺する恩寵を授けてヤジュニャの成就を許し、ガーヤトリーはジャパ、プラーナーヤーマ、ダーナ、そして祭式の過失を和らげる功徳を、とりわけプラバーサとプシュカラにおいて保証する。 章末ではサーヴィトリーの住処をソーメーシュヴァラ近くのプラバーサに定め、地域の行として、半月にわたる礼拝、パーンドゥ・クーパでの沐浴とパーンダヴァが建立した五つのリンガのダルシャナ、さらにジェーシュタ月満月にサーヴィトリーの聖地近くでブラフマ・スークタを誦することを説く。その果報として、罪障の解脱と最高境地の獲得が示される。

172 verses

Adhyaya 166

Adhyaya 166

सावित्रीव्रतविधि–पूजनप्रकार–उद्यापनादिकथनम् (Sāvitrī-vrata: procedure, worship method, and concluding observances)

本章はデーヴィーとイーシュヴァラの対話として構成され、まずプラバーサにおけるサーヴィトリーの伝承を語り、ついでその物語を儀礼の技法書として整える。デーヴィーがサーヴィトリー誓戒(Sāvitrī-vrata)の由来(itihāsa)と功徳を問うと、イーシュヴァラは、王アシュヴァパティがプラバーサ巡礼の折にサーヴィトリー聖地(Sāvitrī-sthala)で誓戒を修し、神の恩寵を得て娘を授かり、その名をサーヴィトリーと定めたことを説く。続いてサーヴィトリーとサティヤヴァーンの物語が要約される。ナーラダの「近く死が来る」との警告にもかかわらず彼を選び、森へ同行し、ヤマに対峙して、デュマツェーナの視力と王国の回復、父と自身への子孫の授与、そして夫の命の返還という恩寵を得る。 後半は規定篇であり、ジェーシュタ月の十三日から三夜の斎戒・ニヤマを行うこと、沐浴の作法、パーンドゥクーパの特別な功徳、満月に芥子を混ぜた水で沐浴する利益が示される。金・土・木でサーヴィトリー像を作り赤布をまとわせて施与し、真言により礼拝すること(ヴィーナーと書を持つ女神として讃え、アヴァイダヴャ—寡婦とならぬ守護、夫婦の吉祥—を祈る)、夜通しの守夜に読誦と音楽を伴うこと、さらにブラフマーとサーヴィトリーを「婚礼」の形で礼拝する儀が説かれる。供食の順序(夫婦やバラモンへの饗応)、食の禁忌(酸味とアルカリ性を避け甘味を重んじる)、布施と送別の敬礼、そして家内で密やかに行うシュラーダ(śrāddha)の要素も組み込まれる。結びでは、ウッディヤーパナとして本儀が浄化と功徳増大をもたらし、女性の婚姻の吉祥を守護し、実践する者はもとより作法を聞く者にも広い現世利益が約束されると宣言される。

135 verses

Adhyaya 167

Adhyaya 167

भूतमातृकामाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Bhūtamātṛkā: Origin, Residence, and Worship Protocols)

第167章は、イーシュヴァラとデーヴィーの神学的対話として語られる。デーヴィーは、「ブータマーター(Bhūtamātā)」の称賛に伴って、人々が公衆の場で乱れ、恍惚・憑依にも似た振る舞いを見せるのを見て、それが聖典に根拠あるのか、プラバーサ(Prabhāsa)の住民はいかに礼拝すべきか、彼女がなぜそこへ来たのか、そして主要な祭礼はいつ行うべきかを問う。イーシュヴァラは起源譚で答える。神話的な時の間隙に、デーヴィーの身体からの流出(霊力の発現)より、髑髏の花鬘と武の標章を帯びた恐るべき女形が生じ、ブラフマ・ラークシャシー型の同伴者や巨大な眷属を従えて現れたという。イーシュヴァラはその働きと制約(とりわけ夜に勢いを得ること)を定め、サウラーシュトラのプラバーサを長久の住処として、星辰と地勢の目印を示して指定する。 続いて章は実践倫理へ移り、ブータ/ピーシャーチャを招く家と社会の条件—リンガ供養(liṅgārcana)、ジャパ、ホーマの怠り、清浄の欠如、日々の務めの放棄、絶えぬ家庭不和—を列挙し、神名が唱えられ儀礼秩序が保たれる家は守護されると説く。暦の規定として、ヴァイシャーカ月のプラティパダーからチャトゥルダシーまで礼拝し、文に述べるとおり新月/十四日(amāvasyā/caturdaśī)に結びつく大いなる斎行を行う。供物は花・香・シンドゥーラ・首紐などで、樹下(シッダ・ヴァタの趣)で神に水を注ぎ、施食の作法を行い、滑稽さと教訓を兼ねた街頭の演目(preraṇī–prekṣaṇī)も伴う。果報の章句(phalaśruti)は、規律ある信愛でブータマーターを敬う者に、子どもの守護、家門の安寧、悩ます存在からの解放、そして諸々の吉祥を約束する。

123 verses

Adhyaya 168

Adhyaya 168

Śālakaṭaṅkaṭā Devī Māhātmya (शालकटंकटा देवी माहात्म्यम्) — Glory of the Goddess Śālakaṭaṅkaṭā

本章は、プラーバーシカ(Prābhāsika)の聖域に坐す女神 Śālakaṭaṅkaṭā を讃える、特定霊地のマーハートミヤであり、イーシュヴァラ(Īśvara)の宣説として信者をその御前へ導く。経文は巡礼の微細な地理を示し、女神をサーヴィトリー(Sāvitrī)の南、ライヴァター(Raivatā)の東に位置づけ、既知の巡礼格子へと結びつける。 女神は大罪を除き、あらゆる苦を滅する守護者として称えられ、ガンダルヴァ(gandharva)にも礼拝される。きらめく牙(sphurad-daṃṣṭrā)を備えた畏怖すべき相として描かれ、その安置はポウラースティヤ(Poulastya)に結び付けられる。また “mahiṣaghnī”(水牛の魔を討つ者)という主題を含め、強大な敵を討ち滅ぼす力が語られる。 さらに暦の規定として、マーガ月(Māgha)の月の第十四日(caturdaśī)に礼拝すれば、繁栄・知慧・家系の継続が得られると説く。終わりに布施を重んじる作法が示され、paśu-pradāna と bali・pūjā・upahāra の供献によって女神を満悦させれば、怨敵から解放されるという果報(phalaśruti)が本章の要旨となる。

6 verses

Adhyaya 169

Adhyaya 169

Vaivasvateśvara-māhātmya (Glorification of Vaivasvateśvara)

本章は、イーシュヴァラとデーヴィーの聖なる対話として示され、プラバーサ・クシェートラにおける儀礼の巡礼行程を語る。イーシュヴァラはデーヴィーに、女神の方位区の南方にあり、距離がダヌ(dhanu)の単位で示される「ヴァイヴァスヴァテーシュヴァラ」リンガへ進むよう命じる。 このリンガはヴァイヴァスヴァタ・マヌによって安置(pratiṣṭhā)されたとされ、あらゆる願いを成就させるもの(sarva-kāma-da)として讃えられる。社の近くには、神々が掘り開いたと伝えられる霊水の場デーヴァカータ(devakhāta)があり、礼拝前の沐浴の地となる。続いて、沐浴の後、規定(vidhi)に従い五供(pañcopacāra)で pūjā を行い、信愛と感官の制御(jite-indriya)をもって勤めるべきことが説かれる。最後に、アゴーラの作法(aghora-vidhi)による讃歌(stotra)の誦唱が定められ、悉地(siddhi)獲得が約束される。章末は、プラバーサ・カーンダおよびプラバーサクシェートラ・マーハートミャに属する旨の奥書で締めくくられる。

4 verses

Adhyaya 170

Adhyaya 170

Mātṛgaṇa–Balādevī Māhātmya (Glorification of the Mother-Hosts and Balādevī)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィー(Mahādevī)に授ける教示として語られ、識別ある修行者(sudhī)に、母神群(mātṛgaṇa)の在処へ赴き、近くに鎮まるバラーデーヴィー(Balādevī)を礼拝するよう導く。 要点は暦と作法にある。シュラーヴァナ月(Śrāvaṇa)のシュラーヴァニー(Śrāvaṇī)の行において、バラーデーヴィーを供養し、パーヤサ(pāyasa:甘い乳粥)、蜂蜜(madhu)、天なる花(puṣpa)を捧げるべきだと説く。結びの果報説(phalaśruti)は簡潔で、礼拝が成就すれば、信者の一年は安楽と健やかさに満ち、スカ(sukha:安楽・幸福)を得ると示される。

4 verses

Adhyaya 171

Adhyaya 171

दशरथेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Daśaratheśvara Māhātmya—Account of the Glory of Daśaratheśvara)

イーシュヴァラ(Śiva)はデーヴィーに語り、近くの女神の聖地エーカッラヴィーリカー(Ekallavīrikā)へ注意を向けさせたのち、プラバ―サ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)における由来譚を説き明かす。ここでは聖地の清浄さと、正しい信仰行によって得られる功徳が讃えられる。 太陽王統の王ダシャラタ(Daśaratha)はプラバ―サに至り、厳しいタパス(tapas)を修する。彼はリンガ(liṅga)を建立し、シャンカラ(Śaṅkara)を礼拝して御心を満たし、強大な子を授け給えと祈願する。神はラーマ(Rāma)と名づけられる子を授け、その名声は三界に遍く、天界の衆、諸神、ダイティヤ/アスラ、そしてヴァールミーキ(Vālmīki)を含む聖仙たちがその栄光を歌うという。 章末には作法の教示と果報(phalaśruti)が示される。このリンガの威力により王は大いなる名声を得、同様に、カールッティカ月(Kārttika)に、ことにカールッティカーの斎行(Kārttikā observance)の日、正しい次第に従い灯明供養と供物をもって礼拝する者もまた、ヤシャス(yaśas)—誉れと名聞—を得る。場所(プラバ―サ)、聖物(リンガ)、時(カールッティカ)、果(名声)が一つに結ばれて語られる。

7 verses

Adhyaya 172

Adhyaya 172

भरतेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (The Glory of Bharateśvara Liṅga)

イーシュヴァラはデーヴィーに、やや北方にある「バラテーシュヴァラ」と名づけられたリンガへ赴くよう教示する。続いて本章はその由来を語る。アグニードラの子として名高いバラタ王は、この聖域(クシェートラ)で苛烈なタパスを修し、子孫を求めてマハーデーヴァを安置(プラティシュター)した。喜んだシャンカラは、八人の王子と一人の名高い王女を授ける。 バラタ王は国土を九つに分けて子らに与え、それに応じたドヴィーパが、インドラドヴィーパ、カシェル、タームラヴァルナ、ガバスティマーン、ナーガドヴィーパ、サウムヤ、ガーンダルヴァ、チャールナ等と名づけられる。第九は王女に結びつき「クマーリヤー」と呼ばれる。経文は、八つのドヴィーパは海に没し、クマーリヤーの名のドヴィーパのみが残ったと述べ、さらに南北の長さと幅をヨージャナで示して、神話的分割を地理的叙述へ結びつける。 バラタ王の祭祀的威徳は、多くのアシュヴァメーダ(馬祀)と、ガンガー・ヤムナー流域での名声によって確証され、イーシュヴァラの恩寵により天界で歓喜すると語られる。果報章(パラシュルティ)は、バラタが安置したリンガを礼拝すれば一切の供犠と布施の果を得、カールッティカ月にクリッティカー・ヨーガのもとで拝観(ダルシャナ)すれば、苛烈な地獄を夢にさえ見ないと宣言する。

16 verses

Adhyaya 173

Adhyaya 173

कुशकादिलिङ्गचतुष्टयमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of the Four Liṅgas beginning with Kuśakeśvara

シヴァ派の神学的対話において、イーシュヴァラ(Īśvara)はデーヴィーに、サーヴィトリー(Sāvitrī)の西方にある同一の地に四つのリンガ(liṅga)が集まること、そしてそれらを巡る簡潔な巡礼の道筋を説く。経文は方位のしるしを示し、東に二つ、西に二つが置かれ、それぞれ定められた向きに面していると述べる。四リンガの名は順に、クシャケーシュヴァラ(Kuśakeśvara)、ガルゲーシュヴァラ(Gargeśvara)、プシュカレーシュヴァラ(Puṣkareśvara)、マイトレイェーシュヴァラ(Maitreyēśvara)である。 本章は功徳(phala)を明かし、バクティ(bhakti)と自制をもってこれらを拝観(darśana)する者は罪障を離れ、シヴァの崇高なる住処に至ると説く。さらに実践的な成就として、白分(明半月)の第十四日—とりわけヴァイシャーカ月(Vaiśākha)—に、努めて沐浴し、ブラーフマナ(brāhmaṇa)に食を施し、力に応じて黄金と衣を布施すべきことが加えられる。これらの務めを満たしてこそ巡礼(yātrā)は「完成」とされ、拝観と暦の遵守、そして社会的ダルマが結び合わされる。

7 verses

Adhyaya 174

Adhyaya 174

कुन्तीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Kuntīśvara Liṅga: The Glory of the Shrine

イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバ―サ・クシェートラにある卓越したリンガ「クンティーシュヴァラ」について説き示す。そこは東方の区画に位置し、「カータ(khāta)」と呼ばれる掘り下げられた窪地に安置されていると描写される。聖所の権威は建立の記憶によって支えられ、クンティーがこのリンガを奉安・建立(pratiṣṭhita)したこと、またパーンダヴァたちがかつてクンティーに伴われ巡礼の途上でプラバ―サに到来したことが想起される。 続いてファラシュルティ(功徳の宣説)へ移り、このリンガはあらゆる罪への恐れを除くものとして讃えられ、とりわけカールッティカ月の礼拝が重視される。その時にプージャーを行う信者は望む目的を成就し、ルドラの界において尊崇を受けるという。最後に、言葉・心・行為による罪が、このリンガをただダルシャナ(拝観)するだけでも滅すると述べ、拝観と礼拝とが巡礼倫理の中で相補う解脱の手段であることを示す。

6 verses

Adhyaya 175

Adhyaya 175

अर्कस्थलमाहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Arkasthala / the Sun-site)

本章は、イーシュヴァラがマハーデーヴィーに授ける簡潔な教示であり、アルカスタラ(Arkasthala「太陽の地」)という功徳深い聖地へと心を向けさせる。そこは先の基準点からアーグネーヤ方(Āgneya、南東)に位置し、「sarva-pātaka-nāśana(あらゆる罪を滅する者)」として讃えられる。ダールシャナ(darśana:拝観・参詣)するだけで憂いが離れ、貧困は七生にわたり起こらないと説かれる。 さらに健康面の利益として、クシュタ(kuṣṭha:皮膚病)が強く滅されることが述べられ、ダールシャナの功徳は、クルクシェートラで百頭の牛を布施する果報に等しいなど、至高の施与に比せられる。実践としては、三河合流のティールタ(tri-saṅgama tīrtha)で七回の日曜日に沐浴し、バラモンに食を施し、雌水牛(mahiṣī)を布施することが定められる。結びのファラシュルティ(phalaśruti)は、千の天年にわたり天界に住して尊崇を受けるという長大な天福を示し、聖地・儀礼・布施を一つの巡礼規範として結び合わせている。

6 verses

Adhyaya 176

Adhyaya 176

सिद्धेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Siddheśvara Māhātmya—Description of the Glory of Siddheśvara)

このアドヒヤーヤでは、Īśvara が Mahādevī に語り、Arkasthala の近く、Āgneya(南東)の方角にある「Siddheśvara」と名づけられたリンガを示す。その名の由来として、ūrdhva-retas(清浄を守り欲を制する)なる聖仙 ṛṣi が一万八千人、このリンガに関わって siddhi を成就したため、「Siddheśvara」と呼ばれるのだと説かれる。 章末には、倫理と儀礼の修行法が示される。信者は沐浴し、bhakti をもって礼拝し、upavāsa(断食)を行い、諸感官を制し、規定に従って pūjā を修し、ブラーフマナに dakṣiṇā を施すべきである。果報の宣言(phalaśruti)として、あらゆる願いの成就(sarva-kāma-samṛddhi)と最高の境地(parama pada)への到達が約束される。

3 verses

Adhyaya 177

Adhyaya 177

Lakulīśa-māhātmya (लकुलीशमाहात्म्य) — Glory of Lakulīśa in the Eastern Quarter of Prabhāsa

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに告げる、簡潔なシヴァ派の神学的告知として示される。そこではラクリーシャ(Lakulīśa)が具身の存在(mūrtimān)として、プラバーサ聖域(Prabhāsa kṣetra)の東方に位置づけられ、かつての苛烈な苦行(ghora tapas)によって高地(sthala-upari)に स्थापित(建立)されたと説かれる。 その地は罪を鎮め清めるため(pāpa-śamana)に明確に向けられた霊地である。続いて暦の条件が示され、カールッティキー月(Kārttikī)に、特にクリッティカー星宿が合するクリッティカー・ヨーガ(kṛttikā-yoga)の時に礼拝すれば、格別の承認と名誉を得るという。 その果報は社会的かつ宇宙的な承認であり、礼拝者は天(deva)や阿修羅(asura)を含むあらゆる存在の間で尊敬に値する者となる。章末にはコロフォンが置かれ、『スカンダ・プラーナ』のプラバーサ・カーンダ、およびプラバーサ聖域功徳譚(Prabhāsakṣetramāhātmya)中の位置が示される。

4 verses

Adhyaya 178

Adhyaya 178

Bhārgaveśvara Māhātmya (Glorification of Bhārgaveśvara)

本章では、イーシュヴァラがデーヴィーに語り、プラバーサ・クシェートラにおける巡礼者の進むべき道を示す。信者は南方の地へ赴き、「バールガヴェーシュヴァラ」と名づけられた聖祠のある場所に至るよう教えられる。 バールガヴェーシュヴァラは、一切の罪を滅する霊地(sarva-pāpa-praṇāśana)として讃えられる。さらに、礼拝の要諦として、天上の花と供物をもって神を敬い奉ること(divya-puṣpa-upahāraka)が説かれる。その功徳により、礼拝者は「kṛta-kṛtya」—宗教的目的を成就した者—となり、あらゆる願いの成就によって繁栄する(sarva-kāmaiḥ samṛddhimān)と示される。

3 verses

Adhyaya 179

Adhyaya 179

माण्डव्येश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Māṇḍavyeśvara Māhātmya (Glorification of Māṇḍavyeśvara)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィー(Mahādevī)に授ける簡潔な神学的教示として語られる。罪および重大罪(mahāpātaka)を滅する霊験をもつ聖リンガ「マーンダヴィエーシュヴァラ」(Māṇḍavyeśvara)の所在が示され、シッデーシャ(Siddheśa)より南東/南の隅へ「弓三張」(dhanuṣ-tritaya)の距離という、巡礼のための目印が与えられる。 さらに、時を定めた修行が説かれる。マーガ月(Māgha)の月日第十四日(caturdaśī)に、供養(pūjā)を行い、徹夜の覚醒(jāgaraṇa)を守るべきである。功徳の結語(phalāśruti)として、規律と信愛(bhakti)をもって実践する者は、もはや死すべき世に再生しないと約束される。章末の奥書は、プラバ―サ・カーンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)およびプラバ―サ聖地讃(Prabhāsakṣetramāhātmya)中の位置を明記する。

3 verses

Adhyaya 180

Adhyaya 180

Puṣpadanteśvara Māhātmya (पुष्पदन्तेश्वर-माहात्म्यम्) — The Glory of Puṣpadanteśvara

本章(Īśvara uvāca)において主は、巡礼者に対し、吉祥なる神域「プシュパダンテーシュヴァラ(Puṣpadanteśvara)」を拝観するよう導く。ここでプシュパダンテーシュヴァラは、シャンカラ(Śaṅkara)と結びつくガネーシャ(Gaṇeśa)として示され、シヴァ派的臨在への近接によって霊地の権威が裏づけられる。 また、この地で厳しい苦行(tapas)が行われ、その成就としてリンガ(liṅga)が安置・建立(pratiṣṭhā)されたと説く。功徳の宣説(phalaśruti)は明確であり、ただその聖なる安置をダルシャナ(darśana)—拝して見る—するだけで、再生と輪廻の束縛(janma-saṃsāra-bandhana)から解放されるという。さらに現世での願望成就と、来世における利益・福徳も約束される。

4 verses

Adhyaya 181

Adhyaya 181

Kṣetrapāleśvara-māhātmya (The Glory of Kṣetrapāleśvara)

イーシュヴァラはマハーデーヴィーに、東方の遠からぬ地でシッデーシュヴァラの近くにある、殊勝なる霊場クシェートラパーレーシュヴァラの功徳を説く。本文は巡礼の実践的指針を示し、そこへ赴き、月日であるシュクラ・パンチャミーにダルシャナ(darśana)を得て、次第に則って礼拝すべきことを告げる。 供養は香と花を捧げ、敬虔な心で整然とプージャーを行う。章の儀礼的・倫理的要諦は布施に結実し、力に応じて多様な食をもってブラーフマナたちに施食し、個の信愛(pūjā)と共同体のダルマ(dāna/annadāna)とを結び合わせる。 末尾の奥書は、本章が『スカンダ・マハープラーナ』第七プラバーサ・カーンダ所収「プラバーサクシェートラマーハートミャ」の第181章であると示し、聖地地理の体系的叙述の一環であることを明らかにする。

4 verses

Adhyaya 182

Adhyaya 182

वसुनन्दा-मातृगण-श्रीमुख-विवर-माहात्म्य (Vasunandā Mothers and the Śrīmukha Cleft: Sacred Significance)

プラバーサ・カーンダの第182章は、プラバーサ・クシェートラにおけるきわめて局所的な聖地地誌の教えを説く。巡礼者は、南側でアルカ・スタラ(arka に結びつく地)に近く、さほど遠くない場所にある、「ヴァスナンダー」を首名とする母神群(mātṛgaṇa)を拝観すべきだと導かれる。 続いて暦に即した厳密な行法が定められる。アーシュヴァユジャ月の白分(śukla-pakṣa)ナヴァミー(第九日)に、戒律と節制を備えた信者は、正しい作法(vidhi)に従い、心を静め意志を定めて母神たちを礼拝せよという。得られる果報は「サムリッディ」(繁栄・豊穣)であり、無規律な者には得難いとされる。 さらに章は近隣の微小聖所へと注意を移す。「シュリームカ」に結びつく聖なる裂け目/洞口(vivara)で、彼がそのような裂け目を好むと描写される。成就(siddhi)を求める者は同じ日にここも礼拝すべきである。結語は、本章がプラバーサ・クシェートラ・マーハートミャにおける「ヴァスナンダー母神群とシュリームカ・ヴィヴァラ」の功徳讃であると示す。

6 verses

Adhyaya 183

Adhyaya 183

त्रिसंगममाहात्म्यवर्णनम् | The Glory of Trisaṅgama (Threefold Confluence)

第183章は、イーシュヴァラが女神デーヴィーに、ミシュラ・ティールタと呼ばれる至高の聖地を説く章である。そこはトリサンガマ(Trisaṅgama)として名高く、サラスヴァティー川・ヒラニヤー川・大海の三つが合流する地とされる。神々にとってさえ稀有な霊地であり、諸ティールタの中でも最上、とりわけ太陽の祭日(スーリヤ・パルヴァン)には、その儀礼の効験がクルクシェートラをも凌ぐと讃えられる。 本章は功徳増大の教えを示し、そこでの沐浴・布施・ジャパ(真言の反復)が「コーティ(千万)倍」に実ると述べる。また、マンキーシュヴァラに結びつくリンガを中心に、そこへ至る区間に無数のティールタが存在するという近接の神学が語られる。さらに、社会的に蔑まれがちな者であっても天界の果報を得るとされ、聖地の変容力が強調される。 正しい「ヤートラーの果」を求める者には、着古した衣・黄金・牝牛をブラーフマナに施し、暗半月の第十四日に祖霊供養を行うことが勧められる。結びに、トリサンガマは大罪を滅する地で、特にヴァイシャーカ月に霊験が深いとし、罪障の除去と祖霊歓喜のために牡牛放逐の儀(ヴリショートサルガ)を推奨する。

11 verses

Adhyaya 184

Adhyaya 184

मंकीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Mankīśvara Māhātmya (Account of the Glory of Mankīśvara)

イーシュヴァラはデーヴィーに語り、トリサンガマ(Trisaṅgama)の近くにある名高い霊地マンキーシュヴァラ(Mankīśvara)へ心を向けよと示す。そこは罪を除き、巡礼者を清める場として讃えられる。 本章は名号の由来を説く。苦行者の中で最勝とされる聖仙マンキーは、プラバーサ(Prabhāsa)がシャンカラに愛される大いなる聖域であると悟り、根・塊茎・果実のみで身を支え、厳しいタパスを長く修した。やがて彼はマハーデーヴァをリンガの姿として安置(pratiṣṭhāpya)する。喜んだマハーデーヴァが恩寵を授けると、聖仙は「我が名を標とするリンガとして、計り知れぬ時のあいだ此処に留まり給え」と願う。シヴァはこれを許し、姿を秘して常住し、そのリンガは以来マンキーシュヴァラと呼ばれる。 また、吉日と簡略な作法も示される。マーガ月(Māgha)の月日(tithi)第十三または第十四に、五つのウパチャーラ(upacāra)で礼拝すれば所願が成就する。ヤートラー(yātrā)の果を全うしたい巡礼者は、この地でゴー・ダーナ(go-dāna、牛の施与)を行うべきだと説かれる。

8 verses

Adhyaya 185

Adhyaya 185

Devamātā Sarasvatī in Gaurī-Form at the Nairṛta Quarter (Worship, Feeding, and Golden Sandal Dāna)

本章は、プラバーサ聖域(Prabhāsa kṣetra)におけるデーヴァマーター・サラスヴァティーの局地的顕現について、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィーに授ける教示を述べる。女神は「デーヴァマーター」(諸天の母)と称され、世にサラスヴァティーの名で讃えられ、ナイリタ(nairṛta、南西)の方角に鎮まり、ガウリーの姿(Gaurī-rūpa)を現す。さらに、pādukāsana の坐法で座し、「vaḍavā」のイメージに結びつく相が語られる。 その名号の由来として、諸天が vaḍavānala の火への恐れから、母が子を守るように護られるゆえ、学匠たちが「デーヴァマーター」の称を確証すると説く。次いで暦の規定が示され、マーガ月(Māgha)の第三日(tṛtīyā)に、戒律を守る男子、または慎み深い徳ある女子が女神を礼拝すれば、望む目的を得るとされる。 また饗応・施食の功徳として、pāyasa(甘い乳粥)に砂糖などを添えて夫婦一組に供養すれば、大規模な「ガウリー施食」の儀に等しい果報があるという。章末は布施(dāna)の教えで結ばれ、この地において、行い正しいバラモンに黄金の履物(suvarṇa-pādukā)を施すべきことが命じられる。

6 verses

Adhyaya 186

Adhyaya 186

Nāgasthāna-māhātmya (Glory of the Nāga Station at Tri-saṅgama)

イーシュヴァラはデーヴィーに、マンキーシャの西にある尊きナーガスターナへ赴くよう説く。そこは三つの流れの合流(トリ・サンガマ)に結びつき、罪を滅する大いなる霊験の地と讃えられる。本章にはバラバドラの伝承が織り込まれ、クリシュナの逝去を聞いた彼がプラバーサに来て、このクシェートラの比類なき力とヤーダヴァ族の滅亡を悟り、離欲の道に入るさまが語られる。 バラバドラはシェーシャ・ナーガの姿となって身を離れ、至上のトリ・サンガマのティールタに至る。そこで「扉」のように思われるパーターラへの巨大な開口を見、アナンタの住まう界へ速やかに入る。ナーガの形で入ったゆえにその地はナーガスターナと呼ばれ、身を捨てた場所はナーガラーディティヤの東にあるシェーシャスターナとして名高い。 教示として、トリ・サンガマでの沐浴、ナーガスターナの礼拝、月の第五日(パンチャミー)に食を慎んで斎戒すること、シュラッダの実修、そして力に応じてバラモンへダクシナーを施すことが説かれる。果報は苦悩からの解放とルドラ・ローカへの到達であり、さらにシェーシャ・ナーガに捧げた蜂蜜入りの甘い米飯などでバラモンを供養すれば、「クロール」に等しい施食の功徳を得るとされ、ダーナ(布施)の尊さが強調される。

12 verses

Adhyaya 187

Adhyaya 187

प्रभासपञ्चकमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of the Five Prabhāsas

本章はシヴァとデーヴィーの神学的対話として構成される。まずイーシュヴァラは、巡礼回路「プラバーサ・パンチャカ(五つのプラバーサ)」を挙げ、相互に結びつく五つのティールタ—プラバーサ(主たる聖地)、ヴリッダ・プラバーサ、ジャラ・プラバーサ、そして火葬地とバイラヴァの境域に関わるクリタ・スマラ・プラバーサ—を示す。信心をもって順に参詣すれば、老いと死を超えた「不還(ふげん)」の境地に至ると説かれる。続いて儀礼の要目が述べられ、プラバーサでの海水沐浴、とりわけ新月(アマーヴァーシャー)および前後の月日(チャトゥルダシー/パンチャダシー)での実践、夜を通じた斎戒、力に応じたブラーフマナへの施食、さらに布施—特に牛と黄金—が巡礼功徳の倫理として示される。 デーヴィーは「世に知られるのは一つのプラバーサなのに、なぜ五つと言うのか」と問い、これに答えて由来譚が語られる。神姿で遊行するシヴァがダールカの森に入ると、家々の秩序が乱れたとして仙人たちが憤り、呪いによってシヴァのリンガが落下する。すると大地震、海の増水、山の亀裂など宇宙的動揺が起こる。神々はブラフマー、ついでヴィシュヌを訪ね、最後にシヴァに近づくが、シヴァは呪いに抗するのではなく、落ちたリンガそのものを礼拝せよと命じる。神々はリンガをプラバーサに運び安置して供養し、その救済力を宣言する。末尾では、インドラの覆い/妨げにより人々の天界到達が減ったことが触れられ、プラバーサの「マホーダヤ」が万罪を浄め、願いを成就させると簡潔に讃えられる。

47 verses

Adhyaya 188

Adhyaya 188

Rudreśvaramāhātmya (Glorification of Rudreśvara)

本章は、プラバーサ・クシェートラにおける巡礼の簡潔な行程指示を示す。イーシュヴァラはデーヴィーに語り、地上に自生(svayaṃbhū)として現れたリンガ「ルドレーシュヴァラ」が安立する特定の地点へ進むよう命じる。聖所はアーディ・プラバーサを基準に、弓三張分の距離として明確に示され、儀礼的地理の精密さが強調される。 続いて、その聖性の由来が説かれる。ルドラは禅観(dhyāna)に入り、自らのテージャス(tejas)をそこに「置き/注いだ」ため、この地の霊威は人の造営ではなく神の臨在に根ざすとされる。章末の果報説(phalaśruti)では、ルドレーシュヴァラを拝観(darśana)し供養(pūjā)する者は一切の罪が滅し、望む目的を成就すると讃えられる。

4 verses

Adhyaya 189

Adhyaya 189

कर्ममोटीमाहात्म्यवर्णनम् — Karmamoṭī Māhātmya (Glorification of Karmamoṭī)

『プラバーサ・カンダ』第189章は、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)における特定の聖地を、簡潔にして要点深く説く。イーシュヴァラは、西方の「遠からぬ」所に、チャンディカー(Caṇḍikā)とカルマモーティー(Karmamoṭī)が並び坐し、無数(koṭi-saṃyutā)と称されるヨーギニーの大集会を伴う社殿群があると示す。 その地はまた、三つのピīṭhaから成る「ピīṭha-traya」として語られ、太初より存し、三界にわたり崇敬される根源の霊地である。ゆえに、場所は明確に定められつつも、その権威は一地方を超えて広く及ぶとされる。 さらに本章は暦に即した行を定める。月の第九日ナヴァミー(Navamī)に、女神の座(Devī-pīṭha)とヨーギニーの臨在を、完全なる供養として礼拝(saṃpūjya)すべきである。果報の宣説(phalaśruti)によれば、行者は望む目的をことごとく成就し、天界において天女に愛される者となる—正しい時と場にかなう礼拝がもたらす、スヴァルガ(svarga)に向かう功徳と吉祥の成就である。

3 verses

Adhyaya 190

Adhyaya 190

मोक्षस्वामिमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Mokṣasvāmin (Liberation-Granting Hari)

イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバーサ地方の主たる聖域から遠からぬ南西(ナイリッタ)区画に鎮まる、解脱を授けるハリの御姿「モークシャスヴァーミン」について説き示す。本章は規律ある行として、エーカーダシーの日に食を節する者(jitāhāra)が礼拝を修し、とりわけマーガ月にそれを重んずべきことを述べる。 約束される果報は、アグニシュトーマ祭の功徳に等しいと讃えられる。さらに同地での苦行として、断食(anaśana)やチャンドラーイヤナ(Cāndrāyaṇa)などの誓戒は、他のティールタをはるかに超える増益(koṭi-guṇa)をもたらし、望む成就を授けると説かれる。末尾のコロフォンは、本章が『スカンダ・プラーナ』プラバーサ・カンダおよびプラバーサ聖域讃(Prabhāsakṣetramāhātmya)に属することを示す。

4 verses

Adhyaya 191

Adhyaya 191

अजीगर्तेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Ajeegarteśvara Māhātmya (Glorification of Ajeegarteśvara)

本章は、プラバーサ巡礼行程の中に置かれた簡潔な教示である。イーシュヴァラ(シヴァ)はデーヴィーに語り、チャンドラヴァーピー(聖なる水源)の近く、さらに別の聖地の目印にも近い場所に鎮まる、ハラ(シヴァ)の一相アジーガルテーシュヴァラへ進むよう導く。 儀礼の順序は最小限である。すなわち、聖所に近づき、関わりの水でスナーナ(沐浴による浄化)を行い、リンガを礼拝すること。果報の宣言(phalaśruti)によれば、沐浴後のリンガ供養は恐るべき重罪(ghora-pātaka)を解き放ち、ついにはシヴァパダ(シヴァの至高の境地)を得させる。章はこのように、場所・行為・救済の約束を結ぶ定型の信愛作法を示す。

3 verses

Adhyaya 192

Adhyaya 192

Viśvakarmeśvara-māhātmya (विश्वकर्मेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Viśvakarmeśvara

本章は神学的な説示として構成され、イーシュヴァラがデーヴィーに語りかけ、彼女(ひいては巡礼する読者)を、ヴィシュヴァカルマンによって奉安・開眼されたリンガへと導く。聖所はモークシャスヴァーミンの北にあり、「mahāprabhāva(大いなる霊験)」を具えるものとして讃えられる。 本文は距離の標識によって位置を明確にし、そのリンガが「五ダヌシュ」の範囲にあると述べ、巡礼行程の論理を強める。続いてダルシャナ(拝観)を中心とする功徳が説かれ、正しくリンガを拝する者は巡礼の果報を得、言葉による罪(vācika)と心による罪(mānasa)がその聖なる一見によって滅するとされる。章末の奥書は、本章が八万一千頌から成る『スカンダ・マハープラーナ』のうち、プラバーサ・カンダ、第一プラバーサクシェートラマーハートミヤに属し、章名を「ヴィシュヴァカルメーシュヴァラ・マーハートミヤ」とすることを示す。

4 verses

Adhyaya 193

Adhyaya 193

Yameśvara-māhātmya-varṇanam (Glorification of Yameśvara)

本章は、イーシュヴァラがマハーデーヴィーに直接説き示す神学的対話として構成される。プラバーサ・クシェートラにおける巡礼の歩みが教示され、巡礼者は「アヌッタマ(無上・比類なき)」と讃えられるヤメーシュヴァラへ進むべきだと説かれる。 聖所の位置も、儀礼と道案内の指標として明確に示される。ヤメーシュヴァラは遠からず、ナイリタ(南西)の方角にあるという。功徳は簡潔に宣言され、ただダルシャナ(聖なる拝観)するだけで罪が鎮まり滅する(パーパ・シャマナ)とされ、さらに一切の願いの果(サルヴァ・カーマ・パラ・プラダ)を授けると語られる。 章末の奥書は、これが八万一千頌から成る『スカンダ・マハープラーナ』に属し、第七巻プラバーサ・カンダ、第一のプラバーサ・クシェートラ・マーハートミヤに収められ、「ヤメーシュヴァラのマーハートミヤの叙述」と名づけられることを示す。

3 verses

Adhyaya 194

Adhyaya 194

अमरेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Amareśvara Māhātmya—Description of the Glory of Amareśvara)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィー(Mahādevī)に対し、「神々によって安置された」と説かれるリンガ(liṅga)について教示する。聖地の prabhāva(霊験・威徳)を知ることは、あらゆる罪の滅尽と浄化に結びつくと明言される。 続いて実践規範が示される。リンガに関して激しい苦行(ugra tapas)を修し、そのダルシャナ(darśana)を得た巡礼者は kṛtakṛtya、すなわち宗教的務めを成就した者となるという。さらに布施の作法として、ヴェーダに通達したバラモンに対する go-dāna(牛の施与)を勧め、正しく捧げられた施しが巡礼の果報(yātrā-phala)をいっそう強め増大させると説く。

4 verses

Adhyaya 195

Adhyaya 195

वृद्धप्रभासमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Vṛddha Prabhāsa (Origin and Merit)

本章はシヴァ派の教説としての対話形式で説かれる。イーシュヴァラは、戒律を守る巡礼者はアーディ・プラバーサの南にあるヴリッダ・プラバーサ(Vṛddha Prabhāsa)へ赴くべきだと教える。そこには「チャトゥルムカ」(caturmukha・四面)の名で讃えられる霊験あらたかなリンガがあり、ただ拝見するだけで罪を滅するとされる。シュリー・デーヴィーは、その名の由来と、見ること・讃嘆すること・礼拝することの功徳を問う。 イーシュヴァラは、遠い昔のマヌヴァンタラとトレーター・ユガの時代の因縁を語る。北から来たリシたちはプラバーサでダルシャナ(darśana)を得ようとしたが、シヴァのリンガは隠されていた(インドラのヴァジュラに関わるという)。彼らはダルシャナなくして帰郷せぬと誓い、季節を越えて長くタパス(tapas)を修し、ブラフマチャリヤ(brahmacarya)や暑寒を耐える苦行など厳しい規律を守り、ついには老境に至る。揺るがぬ志がただダルシャナのみを求めるものと知ったシャンカラ(Śaṅkara)は慈悲をもって自らのリンガを顕し、それは大地が裂けて出現したと説かれる。リシたちはダルシャナを得て天界へ昇り、インドラが再び隠そうとしても、この地は「老い(vṛddha-bhāva)のうちにダルシャナを得た」ゆえにヴリッダ・プラバーサと呼ばれるようになった。 結びの功徳説(phalaśruti)では、信愛をもってこの聖地を拝する功徳はラージャスーヤ祭・アシュヴァメーダ祭に等しいとされる。巡礼の果を円満に求める者には、ブラーフマナに牡牛(ukṣā)を布施することが勧められる。

21 verses

Adhyaya 196

Adhyaya 196

जलप्रभासमाहात्म्यवर्णनम् | Jala-Prabhāsa: The Māhātmya of the Water-Prabhāsa Tīrtha

イーシュヴァラはデーヴィーを、ヴリッダ・プラバーサ(Vṛddha-Prabhāsa)の南にある「水に स्थापितされた」プラバーサの聖地へ導き、その“ウッタマ”(最上)のマーハートミャを説き明かす。物語の中心はジャーマダグニャ・ラーマ(Jāmadagnya Rāma、パラシュラーマ Paraśurāma)である。彼はクシャトリヤを大量に討った後、深い内的苦悩と罪への嫌悪(ghṛṇā)に苛まれ、長年にわたり厳しい苦行とマハーデーヴァへの礼拝を重ねて救いを求める。 やがてシヴァが顕現して願いを授けようとし、ラーマはシヴァ自身のリンガの拝観(liṅga-darśana)を願う。そのリンガは、恐れたインドラが金剛杵(vajra)で幾度も覆い隠すと語られる。シヴァはその形での直接の拝観を許さず、代わりに対治の道を示す――聖なる水中から現れるリンガに近づき、触れること(sparśana)によって、ラーマの苦悩と罪障は除かれるという。すると大いなるリンガが水より出現し、その地はジャラ・プラバーサ(Jala-Prabhāsa)と呼ばれる。 結びには果報讃(phalaśruti)が述べられ、このティールタに触れるだけでシヴァ界(Śiva-loka)に至り、そこで戒行正しい一人のブラーフマナに食を施すことは、ウマーと共にあるシヴァに供養するのと等しいとされる。本章は、罪を鎮める(pāpa-upaśamanī)とともに、あらゆる願いの果を与える(sarvakāma-phalapradā)聖なる説話として讃えられる。

17 verses

Adhyaya 197

Adhyaya 197

जमदग्नीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Jamadagniśvara: Account of the Sacred Merit

本章では、イーシュヴァラがデーヴィーに対し、ヴリッダ=プラバーサ(Vṛddha-Prabhāsa)近くに鎮まるシヴァ、ジャマダグニ―シュヴァラ(Jamadagniśvara)への巡礼を説く。聖所は聖仙ジャマダグニによって建立された「一切の罪を鎮め滅する浄化の場」(sarva-pāpa-upaśamana)と讃えられ、ただ御神体を拝観するダルシャナ(darśana)だけで、プラーナ的倫理語彙にいう「三つの負債」(ṛṇa-traya)から解放されると語られる。 続いて、ニダーナ=ヴァーピー(Nidhāna-vāpī)という特別な水場が示され、そこでの沐浴(snāna)と供養・礼拝(pūjā)により、財(dhana)と望む目的の成就が得られると定められる。池の名と名声は、古えにパーンダヴァ(Pāṇḍava)が埋蔵の宝(nidhāna)を回収した因縁に結び付けられ、この地は「三界に崇敬される」と高められる。 結びの果報説(phalāśruti)では、ここでの沐浴が不運を吉運へと転じ、願いを授けると述べ、聖地ごとの儀礼効験に基づく巡礼の道筋を改めて確証する。

6 verses

Adhyaya 198

Adhyaya 198

Pañcama-prabhāsa-kṣetra-māhātmya: Mahāprabhāsa, Tejas-udbhava, and the Spārśa-liṅga Tradition

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィーに語りかける対話として構成され、ジャラプラバーサ(Jalaprabhāsa)の南にある至高の聖地マハープラバーサ(Mahāprabhāsa)へと注意を向ける。そこはヤマ(Yama)の道を遮る地と説かれ、守護と解脱の力を示す。 続いて起源譚が語られる。トレーター・ユガ(Tretā-yuga)には、神々しい光を放つスパールシャ・リンガ(Spārśa-liṅga、「触れるリンガ」)があり、触れるだけで解放を授けると記憶されていた。後の時代、恐れに駆られたインドラ(Indra)が来て、ヴァジュラ(vajra)のような障碍でリンガを覆い、抑え込むが、激烈な熱・テージャス(uṣmā/tejas)が制御不能に噴出し、炎の先端をもつ巨大なリンガの姿へと広がって、煙と火で三界を揺るがす。神々とヴェーダに通じたリシ(ṛṣi)たちは、月冠のシヴァ(Śiva、Śaśiśekhara)を讃嘆し、この自ら燃え立つ光輝を鎮め、創造が崩壊して溶滅に至らぬよう懇願する。 テージャスは五つの流れに分かれ、大地を破って五重のプラバーサとして顕現する。出口の道には石の門が設けられ、裂け目が封じられると煙は鎮まり、諸世界は安定を回復し、光輝はその地に留まる。シヴァの促しにより神々はそこにリンガを安置し、テージャスが「憩う」ゆえに、その地はマハープラバーサとして名高くなる。結びに功徳が示され、種々の花で信心深く供養すれば不滅の最高境地を得、ただ拝見するだけでも罪を離れて願いが成就し、さらに布施(dāna)として、戒律あるブラーフマナに黄金を、二度生まれの者に如法の牛施を行えば「生の果」を得て、ラージャスーヤ(Rājasūya)とアシュヴァメーダ(Aśvamedha)に比せられる福徳を得ると説く。

19 verses

Adhyaya 199

Adhyaya 199

दक्षयज्ञविध्वंसनम् (Destruction/Disruption of Dakṣa’s Sacrifice) and the Etiology of Kṛtasmaradeva

本章は、ティールタ案内の枠組みの中に置かれた、シヴァとデーヴィーの神学的対話である。イーシュヴァラはデーヴィーを南方へ導き、サラスヴァティー河の心地よい岸辺にある霊廟を示し、罪を浄めると讃えられる自現(svayaṃbhūta)の神、クリタスマラデーヴァ(Kṛtasmaradeva)の名を告げる。 カーマが焼き尽くされた後、ラティーは嘆き悲しむが、シヴァは神の恩寵によって将来回復があると慰める。デーヴィーが「なぜカーマは焼かれ、いかに再生したのか」と問うと、シヴァはダクシャの大供犠(yajña)の因縁を語る。ダクシャが娘たちを嫁がせ、神々と聖仙が供犠に集う一方、頭蓋鉢(kapāla)や灰などの苦行の徴ゆえにシヴァが排除され、サティーが憤激してヨーガの苦行により自ら身を解き放つ。 シヴァはヴィーラバドラ率いる猛きガナたちを遣わして儀礼を破り、神々との戦いが起こる。ヴィシュヌのスダルシャナは呑み込まれ、ヴィーラバドラはルドラの加護により不死身となる。シヴァが三叉戟を携えて進むと神々は退き、バラモンたちはルドラ真言で護摩(homa)を修して守ろうとするが、供犠は打ち倒される。供犠は鹿の姿で逃れ、天に星のような形として今なお見えるとされ、物語に宇宙的標識を残す。

60 verses

Adhyaya 200

Adhyaya 200

कामकुण्डमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Kāma Kuṇḍa

シヴァとデーヴィーの神学的対話の中で、本章は祭祀の場が乱された後の余波を語り、阿修羅ターラカ(Tāraka)を秩序を揺るがす存在として示す。彼はデーヴァたちを打ち破り、スヴァルガから追放したため、デーヴァたちはブラフマーに救いを求める。ブラフマーは、この危機を鎮め得るのはシャンカラ(Śaṅkara)のエネルギーのみであり、ヒマーラヤに生まれる女神とシヴァの将来の合一から、ターラカ滅尽の担い手が生まれると告げる。 その合一を促すため、カーマデーヴァはヴァサンタ(Vasantā)とともに遣わされるが、シヴァに近づいたとき、第三の眼から放たれた火によってカーマは焼き尽くされる。シヴァは吉祥なるプラーバーシカ・クシェートラ(Prābhāsika-kṣetra)に鎮まり、その地を出来事の聖なる記念として聖別する。ラティーは嘆き悲しむが、無形の声が、カーマは無身の姿(アナンガ Ananga)として再び現れ、宇宙の連続性を保つと慰める。 デーヴァたちが「カーマなき創造の乱れ」を問うと、シヴァは、カーマは身体なくしても働くと明かし、地上にリンガが現れてこの因縁の徴となる。本文はこれを「クリタスムラー」(Kṛtasmarā)の名号と結び、のちにスカンダが誕生してターラカを討つことへと連ねる。結びに、クリタスムラーの南に「カーマ・クンダ」(Kāma Kuṇḍa)という池があると示し、そこでの沐浴と、ヴェーダに通じたブラーフマナへの規定の布施(サトウキビ、黄金、牛、布)を勧め、不吉や災いの状態からの解放という功徳を説く。

34 verses

Adhyaya 201

Adhyaya 201

कालभैरवस्मशानमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Kālabhairava’s Great Cremation-Ground)

本章は、シヴァ派(Śaiva)の神学的説示として、イーシュヴァラ(Śiva)がプラバーサ(Prabhāsa)における特定の霊地を示す。そこは、カーラバイラヴァ(Kālabhairava)に結びつく大いなる火葬地(śmaśāna)と、その近くのブラフマー・クンダ(Brahma-kuṇḍa)である。章の中心は、この場所に固有の救済力を説く点にある。 シヴァは、そこで死ぬ者、あるいはそこで荼毘に付される者は—不利な状況や「時ならぬ死」(kāla-viparyaya)であっても—解脱(mokṣa)に至ると宣言する。その約束は、本文の倫理的分類で重罪人とされる者にまで及ぶ。さらに、霊験はマンキーシュヴァラ(Maṅkīśvara)の臨在と、「kṛtasmaratā」(神の想起に安住すること)の状態に結びつけられ、この火葬地は「apunarbhava-dāyaka」—再生を断つ恩恵を授ける領域—として讃えられる。 また、暦法・天文学的な結節点である「viṣuva」が、この地の儀礼的価値を測る重要な時標として言及される。結びに、シヴァはこの愛するクシェートラ(kṣetra)への尽きぬ執着と親愛を告げ、修辞上、本節ではアヴィムクタ(Avimukta)よりもなお愛しい地として示される。

6 verses

Adhyaya 202

Adhyaya 202

रामेश्वरमाहात्म्य — Rāmeśvara at Prabhāsa and the Pratiloma Sarasvatī Purification

イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバーサにおけるサラスヴァティー河近くのラーメーシュヴァラの所在と、その霊験を説き明かす。物語は、バラバドラ(ラーマ/ハラーユダ)がパーンダヴァとカウラヴァの争いに与せずドヴァーラカーへ帰り、酔いに任せて森の遊楽林へ迷い入るところから始まる。そこで学識あるバラモンたちがスータの誦読を聴いているのを見て、怒りのままにスータを打ち倒し、のちにそれがブラフマ殺し(brahma-hatyā)に等しい穢れを招くと悟って、法と身に及ぶ報いを嘆く。 本章はプラーヤシュチッタ(prāyaścitta)の理を示し、故意と過失の区別、贖罪の段階、そしてヴラタ(誓戒・斎行)の役割を説く。無形の声はラーマにプラバーサへ赴くよう告げ、五つの流れをもつプラティローマー・サラスヴァティーが五大罪を滅するものとして讃えられ、他のティールタでは及ばぬとされる。ラーマは巡礼の作法を行い、布施をなし、河と海の合流点で沐浴し、偉大なリンガを建立して礼拝し、ついに清浄を得る。 結びに果報が語られる。ラーメーシュヴァラのリンガを礼拝すれば罪は除かれ、月の第八日(アシュタミー)にブラフマ・クールチャ(brahma-kūrcha)の作法で斎行すれば、アシュヴァメーダ(Aśvamedha)に等しい功徳を得る。巡礼の果を円満に求める者には、沐浴・礼拝・牛の施与が勧められる。

74 verses

Adhyaya 203

Adhyaya 203

मंकीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Mankīśvara Māhātmya (Glory of the Mankīśvara Liṅga)

イーシュヴァラはデーヴィーに、マンキーシュヴァラの聖所への巡礼の道筋を語る。そこはラーメーシャの北、デーヴァマートリの地の近くにあり、さらにアルカ・スタラやクリタ・スマラからの方角も示される。このリンガは、古くにマンキーという名のバラモンが建立したとされ、彼は身体が曲がった者(kubja)でありながら、長きにわたり苦行(tapas)と儀礼を怠らず、シヴァへのバクティに生きた。 多年の礼拝にもかかわらず、マンキーは主の満足を得られぬと嘆き、老年に至るまでジャパ(japa)とディヤーナ(dhyāna)をいっそう深める。ついにシヴァが顕現し、実際の障りを説く—マンキーは枝に手が届かず、他の修行者のように多くの花を集められない。しかし、バクティをもって捧げる一輪の花でさえ、供犠に等しい円満な功徳をもたらす。さらに、リンガの右にブラフマー、左にヴィシュヌ、中央にシヴァが立つという儀礼的図式が示され、リンガ礼拝が三神一体(トリムールティ)を統合して礼敬することだと明かされる。 好まれる供物として、ビルヴァ、シャミー、カラヴィーラ、マーラティー、ウンマッタカ、チャンパカ、アショーカ、カフラーラなど香り高い花々が列挙される。マンキーは、ここで沐浴し、たとえ水を注ぐだけでも、このリンガに供える者があらゆる礼拝の果報を得るように、また近くに天上と地上の樹々が備わるようにと願う。シヴァはこれを許し、すべてのナーガが集うゆえにこの地をナーガ・スターナと呼ぶと宣言して姿を消す。マンキーは身を捨ててシヴァの界に至る。章末の果報説(phalaśruti)は、信をもってこの物語を聞く者の罪が滅することを告げる。

27 verses

Adhyaya 204

Adhyaya 204

Sarasvatī-māhātmya and the Ritual Order of Dāna–Śrāddha at Prabhāsa (सरस्वतीमाहात्म्यं दानश्राद्धविधिक्रमश्च)

本章は問答形式の神学的対話として展開する。女神はイーシュヴァラに、サラスヴァティーのマーハートミヤ(霊験・功徳)を詳しく語るよう求め、さらにプラバーサ巡礼の作法について、ムカ・ドヴァーラ(「口の門」)から入る功徳、沐浴と布施(ダーナ)の果報、他所での入水の結果、そしてシュラーダ(祖霊供養)の正しい次第—規則・マントラ・執行者の資格・供物の食物・推奨される施与—を問いただす。 イーシュヴァラはダーナとシュラーダの手順を秩序立てて説くことを約し、続いて重ね重ねの讃嘆によってサラスヴァティーの聖性を高める。サラスヴァティーの水は殊勝の功徳をもたらし、海と交わるときは神々にとってさえ稀有であると宣言され、世の安楽を与え憂いを除く川として描かれる。とりわけヴァイシャーカ月やソーマに関わる行のような、暦上の稀なる好機が強調される。 プラバーサにおけるサラスヴァティーへの到達は、他の苦行や贖罪を凌ぐとされる。果報(パラ)については強く述べられ、サラスヴァティーの水に留まる者はヴィシュヌ・ローカに長く住するといい、プラバーサでサラスヴァティーを見出せぬ者は霊的に鈍い者に等しいと比喩される。さらに彼女は美と知の象徴として、広大な学知と清浄な識別智に喩えられる。 サラスヴァティーが名高い諸河と海に合流するサンガマは、最高のティールタとして示される。そこでの沐浴と布施は大いなる祭祀に匹敵する功徳を生み、サラスヴァティーの水により清められる者は幸いにして尊ばれるべき者と称えられる。

23 verses

Adhyaya 205

Adhyaya 205

श्राद्धविधि-काल- पात्र- ब्राह्मणपरीक्षा (Śrāddha: timing, requisites, and examination of eligible Brāhmaṇas)

第205章は、女神デーヴィーが主宰神イーシュヴァラに、祖霊供養であるシュラーダ(śrāddha)の功徳ある作法を問う、神学的・儀礼的対話として展開する。とりわけ一日のうちの正しい時刻と、プラバーサ/サラスヴァティーの聖地(ティールタ)における実践が説かれる。イーシュヴァラは日中のムフールタ(muhūrta)を定め、正午前後のクタパ時(kutapa-kāla)を最も霊験あらたかな時とし、夕刻の執行を戒める。 また、護持と浄化のための要具として、クシャ/ダルバ草(kuśa/darbha)と黒胡麻(tila)を中心に挙げ、スヴァダーの住処の時(svadhā-bhavana)という観念を示す。さらに、シュラーダの三つの「浄化者」(dauhitra・kutapa・tila)を讃え、清浄、無瞋、拙速を離れることなどの徳目を重んじる。 続いて財の清浄度を śukla/śambala/kṛṣṇa に分類し、不正に得た資財で供物をなすと、祖霊ではなく不吉なる存在が満足を受けると論じる。章の大半は受供者の資格規定であり、学徳と規律を備えたバラモン(Brāhmaṇa)を推奨する一方、行為・職業・道徳的欠陥によって排除される者(apāṅkteya)を広く列挙する。結びに、受供者の選定を誤れば儀礼の果が損なわれると重ねて説く。

88 verses

Adhyaya 206

Adhyaya 206

Śrāddha-vidhi-varṇana (श्राद्धविधिवर्णन) — Procedural Discourse on Śrāddha

本章は、イーシュヴァラが説くシュラーダ(śrāddha)の技法的解説であり、とりわけパールヴァナ(pārvaṇa)の枠組みに重点が置かれる。招請の作法、資格と着座の定め、清浄に関する制約、ムフールタ(muhūrta)の分類に基づく時刻選定、さらに器・薪(samidh)・花・供食・儀礼草の選択が詳述される。 また、倫理的戒めとして、不適切な共食や手順の過失が祖霊の受納を無効にすることが警告される。ジャパ(japa)や食事、ピトリ・カーリヤ(pitr̥-kārya)など特定行為における沈黙の規律、デーヴァ儀礼とピトリ儀礼の方位規則、いくつかの欠陥に対する実際的な補救も示される。 さらに、吉凶の材料目録(samidh に適する木、受け入れるべき/避けるべき花と食物)、シュラーダを行うべきでない地域の言及、malamāsa/adhimāsa(閏月)制約や月の数え方など暦法上の整理がなされる。結びには「サプタールチス(saptārcis)」讃歌を含むマントラ群と功徳(phala)が掲げられ、正しく誦し正しく修すれば浄化と社会・儀礼上の正当性を得、富・記憶力・健康などの利益がもたらされる、とくにプラバーサ(Prabhāsa)のサラスヴァティーと海の合流地での実践が勝れると説く。

125 verses

Adhyaya 207

Adhyaya 207

पात्रापात्रविचारवर्णनम् | Discernment of Worthy and Unworthy Recipients (Pātra–Apātra Vicāra)

本章は、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)を舞台に、イーシュヴァラ(Īśvara)によって説かれる規範的な神学的教説である。冒頭では、シュラーダ(śrāddha)に関わる施与を順に挙げ、その果報を示し、ピトリ(pitṛs:祖霊)への供養の尊さを強調する。とりわけサラスヴァティー(Sarasvatī)の聖なる近辺で、ただ一人のドヴィジャ(dvija)に食を施すことが、格別の功徳とされる。 続いて pātra–apātra(受けるに足る者/足らぬ者)の倫理・法的分類が展開され、儀礼の怠慢への警告、土地の盗奪や不正利得の糾弾が語られる。さらに「ヴェーダ売買」(veda-vikraya)すなわちヴェーダ教授の商業化を厳しく批判し、その諸形態と業(カルマ)の帰結を列挙する。同時に、清浄規定や不適切な生業、非難される源からの食物・財の摂取や受領の危険など、社会・儀礼上の境界も明確にされる。 終盤では dāna(布施)の教えが体系的に示され、施物の価値比較、相応しい受者(śrotriya・guṇavān・śīlavān)を選ぶ必然、誤った施与が功徳を失わせ得るという原則が説かれる。結びに、真実語・不殺生(アヒンサー)・奉仕・節度ある摂取といった徳目の段階的倫理を再確認し、食物、灯明、香、衣、寝具などの施与がもたらす果報を述べ、儀礼の実際と道徳訓戒を一つに統合する。

85 verses

Adhyaya 208

Adhyaya 208

दानपात्रब्राह्मणमाहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Proper Giving, Worthy Recipients, and Brāhmaṇa Eligibility)

本章は体系的な神学的説示であり、女神デーヴィーがイーシュヴァラに、布施(ダーナ)について「何を、誰に、いつ・どこで、受者の条件はいかに」と精密な分類を求める。イーシュヴァラは「実りなき生」と「実りなき施与」を善き生と対比し、十六の大施(マハーダーナ)を正典として示し、牛・黄金・土地・衣服・穀物・調度付きの家など主要な施物を列挙する。 続いて、意図と財の由来の倫理が説かれる。驕り、恐れ、怒り、誇示からの布施は果報が遅れ、または減ずるが、清浄な心とダルマにかなう正当な取得財からの布施は、時宜にかなって利益をもたらす。さらに、受者にふさわしい「器」(パートラ)の条件として、学識、ヨーガの規律、沈静、プラーナ知識、慈悲、真実、清浄、自制が詳述される。 牛の布施については、望ましい資質を定め、欠陥のある牛や不正に得た牛を与えることを禁じ、誤った施与の悪果を警告する。断食、パーラナ(断食明け)、シュラーダ(祖霊供養)の時刻に関する暦上の注意や、資財や適格受者が乏しい場合に応じたシュラーダの方法も示される。最後に、読誦者・師を敬い、敵意ある者や不敬の聴衆には伝授しないことを命じ、正しい聴聞と護持供養を儀礼成就の一部として位置づける。

53 verses

Adhyaya 209

Adhyaya 209

मार्कण्डेयेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Māhātmya of Mārkaṇḍeyeśvara (Foundation and Merit Narrative)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに語る二部構成の教説である。第一部では聖地巡礼の指示が示され、デーヴィーは北方、サーヴィトリー(Sāvitrī)の東方域の近くにある名高いマールカンデーヤエーシュヴァラ(Mārkaṇḍeyeśvara)へ赴くよう告げられる。そのクシェートラの霊威は、蓮生者パドマヨーニ(Padmayoni、すなわち梵天ブラフマー)の恩寵により、プラーナ的意味で不老不死となった聖仙マールカンデーヤに由来する。彼はその地の卓越を悟り、シヴァ・リンガ(Śiva-liṅga)を建立し、蓮華坐(padmāsana)で長きディヤーナ(dhyāna)に入った。悠久の時の循環ののち、風塵により寺院は埋もれるが、目覚めた聖仙は掘り起こして大門を再び開き、礼拝を復興させる。さらに、信をもって牛旗の主ヴリシャバドヴァジャ(Vṛṣabhadhvaja、シヴァ)を礼拝する者は、マヘーシュヴァラの住まう至高の境地に至ると功徳が説かれる。 第二部では、死が普遍であるのにマールカンデーヤが「不死」と称される理由をデーヴィーが問う。イーシュヴァラは先のカルパを語る。ブリグ(Bhṛgu)の子ムリカンドゥ(Mṛkaṇḍu)に徳ある子が生まれるが、寿命は六か月と定められていた。父はウパナヤナ(upanayana)を行い、日々の恭敬の礼拝を教える。巡礼の途上で七聖サプタリシ(Saptarṣi)が「長寿」を祝福するが、短命を見て自らの言葉が虚しくなることを恐れ、少年ブラフマチャーリン(brahmacārin)を梵天のもとへ連れて行く。梵天は特別の宿命を認め、少年はマールカンデーヤとなり、梵天に等しい寿量を得て、カルパの始めと終わりに伴侶となると告げる。章末は父の安堵と感謝のバクティで結ばれ、敬虔な規律、神の認可、そして一時隠れても聖地が礼拝可能であり続けることが強調される。

45 verses

Adhyaya 210

Adhyaya 210

Pulastyēśvaramāhātmya (The Glory of Pulastyēśvara) | पुलस्त्येश्वरमाहात्म्यम्

本章は、イーシュヴァラがマハーデーヴィーに説く神学的教示としてまとめられた、簡潔なティールタ(聖地)案内である。巡礼者は、プラバーサの聖なる地図の中で方位と距離の指標によって位置づけられた、最上(uttama)の霊廟プラスタイェーシュヴァラ(Pulastyēśvara)へ赴くよう導かれる。 また、信仰実践の順序が示される。まずダルシャナ(聖なる拝観)を行い、次いで「ヴィダーナタḥ」すなわち正しい作法に従ってプージャーを修する。結びの果報説(phalaśruti)では、礼拝者は七生にわたり積んだ罪から解放されると断言され、「ここに疑いはない」(nātra saṃśayaḥ)と確証される。

3 verses

Adhyaya 211

Adhyaya 211

पुलहेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Pulahēśvara Māhātmya (Glorification of Pulahēśvara)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに授ける神学的教示として語られ、プラバーサ(Prabhāsa)の聖域にある「プラヘーシュヴァラ」(Pulahēśvara)という霊廟の所在を示す。場所はナイリタ(naiṛta、南西方位)への方角と、「ダヌシュ」(dhanuṣ)の尺度による距離の目印によって特定される。 イーシュヴァラは、バクティ(bhakti、信愛)にもとづいてプラヘーシュヴァラを礼拝することを定め、さらにヒランヤ・ダーナ(hiranya-dāna、黄金または財の布施)を行うことで、巡礼の功徳たる「ヤートラー・パラ」(yātrā-phala、巡礼の果)が成就すると説く。すなわち本章は、ティールタの位置づけ、簡略な信愛のプージャー(pūjā)、そして布施をもって巡礼功徳を正式に完成させるという教えを一つにまとめている。 末尾のコロフォンは、これが『スカンダ・プラーナ』(Skanda Purāṇa)中のプラバーサ・カーンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)に属し、「プラバーサクシェートラ・マーハートミヤ」(Prabhāsakṣetramāhātmya)第211章としてプラヘーシュヴァラを讃える章であることを明記する。

3 verses

Adhyaya 212

Adhyaya 212

Kratvīśvaramāhātmya (क्रत्वीश्वरमाहात्म्यम्) — The Glory of Kratvīśvara

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに対し、プラバーサ・カーンダにある「クラトヴィーシュヴァラ」聖所について説示する記録である。その所在は、プラヒーシュヴァラよりナイリタ(南西)方へ八ダヌシャの間隔と、巡礼のために明確に示される。 クラトヴィーシュヴァラは「マハークラトゥ・パラ(mahākratu-phala)」—偉大なヴェーダ祭式に等しい果報—を授けると讃えられ、ティールタにおけるダルシャナ(敬虔なる拝観)によってその功徳が得られると説かれる。この神を一目見る者はパウンダリーカ祭の果を得、七生にわたり貧困から守られ、さらにその地では苦が起こらないと保証される。

3 verses

Adhyaya 213

Adhyaya 213

Kaśyapeśvara Māhātmya (काश्यपेश्वरमाहात्म्य) — Glory of the Kaśyapeśvara Shrine

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに語りかける対話として説かれる、簡潔なシヴァ派の聖地讃(māhātmya)である。カシュヤペーシュヴァラ(Kaśyapeśvara)の霊地は、東方の区域(pūrvadigbhāga)にあり、「弓十六張り分の距離」(dhanuḥ-ṣoḍaśa-kāntara)という測定表現で示され、巡礼の道しるべとなる。 続いてダルシャナ(darśana:聖なる拝観)の功徳が述べられ、この地を見た者は繁栄と子孫を得るという。さらに「一切の罪」を負う者でさえ罪より解放されると断言され、その果報の宣言(phalaśruti)は「疑いなし」と確定的に語られる。末尾のコロフォンは、本章が『スカンダ・プラーナ』のプラバ―サ・カーンダおよびプラバ―サクシェートラ・マーハートミャに属することを示す。

3 verses

Adhyaya 214

Adhyaya 214

कौशिकेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Narrative of the Glory of Kauśikeśvara

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)による神学的説示として語られ、カウシケーシュヴァラ(Kauśikeśvara)の霊地が、カシュヤペーシュヴァラ(Kaśyapeśvara)から見て īśāna(北東)の方角に、八つの「ダヌス」(弓を基準とする距離)ほど離れて位置すると示す。そこは浄化の力を備え、特に大罪を滅する所(mahāpātaka-nāśana)として讃えられる。 名の由来として短い縁起が説かれる。カウシカ(Kauśika)は、ヴァシシュタ(Vasiṣṭha)の子らを殺すという越法の罪を負ったのち、その地にリンガ(liṅga)を建立し、安置と礼拝によって罪より解放された。結びの果報(phalaśruti)として、リンガをダルシャナ(darśana、拝観)しプージャー(pūjā、供養・礼拝)する者は、望む果(vāñchita-phala)を得ると述べられる。

4 verses

Adhyaya 215

Adhyaya 215

कुमारेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् / The Māhātmya of Kumāreśvara

イーシュヴァラはデーヴィーに、マーラカンデーシュヴァラの南方ほど近い所にあるクマーレーシュヴァラの霊廟へ向かうよう告げる。そこは聖なる地勢の中で、スヴァーミー(篤信の帰依者)が建立したリンガとして知られる。本章はこの地を贖罪の要所として示し、カールッティケーヤに結びつく厳しい苦行が、越えた欲望から生じる罪、ことに他人の配偶者に関わる過失を滅する手段であると説く。 範例として、ある帰依者がリンガを安置し、離欲によって穢れから解放され、「カウマーラ」すなわち若々しい清浄を新たに回復したと語られる。さらにスマーリーの例が挙げられ、祖先を殺すという重罪の後にここで礼拝し、父祖・祖霊への暴虐の罪から解き放たれたとされる。 また神前の井戸が記され、そこで沐浴しスヴァーミー建立のリンガを供養すれば、過失を離れて大いなる神都スヴァーミープラへ至ると説かれる。終わりに布施の規定として、スヴァーミーの名において高純度のシャータカウムバ金で作られた「タームラチューダ」の品を二度生まれ(ドヴィジャーティ)に施せば、巡礼と同等の果報を得ると示される。

8 verses

Adhyaya 216

Adhyaya 216

Gautameśvara-māhātmya (गौतमेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Gautameśvara Liṅga

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに説く、簡潔なシヴァ派のティールタ(聖地)譚である。マールカンデーシュヴァラの北方、十五ダヌス(伝統的距離単位)の所に、「ガウタメーシュヴァラ」と名づけられた卓越したリンガがあると示される。 この霊廟は贖罪の場として語られる。師(グル)を殺してしまった罪と悲嘆に苦しむ聖仙ガウタマは、そこでリンガをプラティシュター(安置・建立)し、その道徳的重荷から解放されたという。 さらに巡礼者のための功徳の作法が定められる。定法に従って河で沐浴し、儀礼にかなってリンガを礼拝し、カピラー(黄褐色の牝牛)をダーナ(布施)として捧げること。これにより五大罪(パンチャ・パータカ)から解き放たれると説かれ、悔悟と正しい儀礼行為と聖なる浄化とを結ぶ霊地として讃えられる。

4 verses

Adhyaya 217

Adhyaya 217

Devarājeśvara-māhātmya (Glorification of Devarājeśvara)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに説く、聖地の功徳を簡潔に讃える説示である。デーヴァラージェーシュヴァラの所在が示され、ガウタメーシュヴァラの西方近く、十六ダヌ(弓に由来する古い距離単位)ほどの所に鎮座すると語られる。 続いて因果の次第が述べられる。リンガを建立すること(sthāpanā)により、その行者はパーパ(pāpa=罪・穢れ)から解放される。さらに後世の修行者への規範として、心を静め一境に集めた心(samāhita-manas)でそのリンガを礼拝する者は、人としての身に由来する諸罪(mānava-sambhūta pātakāni)からも解脱すると教える。 章末の奥書は、本章が『スカンダ・マハープラーナ』八万一千偈のうち、第七部プラバーサ・カーンダ、第一節「プラバーサ聖域功徳譚」に属し、第217章であることを明かす。

3 verses

Adhyaya 218

Adhyaya 218

Mānaveśvara Māhātmya (The Glory of Mānaveśvara) | मानवेश्वरमाहात्म्य

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)による簡潔な神学的教示として語られる。プラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)にある特別なリンガが紹介され、それはマヌ(Manu)によって安置・奉献された「マーナヴァ・リンガ(Mānava-liṅga)」と名づけられる。 物語の筋は懺悔に基づく。自らの子を殺したことから生じた罪過に苦しむマヌは、その地を pāpa-hara(罪を除く所)と悟り、灌頂・奉安の儀礼によってそこにイーシュヴァラを勧請し建立する。その結果、彼はその道徳的重荷から解放されたと説かれる。 さらに功徳は一般化され、人間の信者がこのマーナヴァ・リンガを礼拝すれば諸罪より解脱すると述べられる。章末の奥書は、本章が『スカンダ・マハープラーナ』のプラバーサ・カンダ、プラバーサクシェートラ・マーハートミヤに属し、「マーナヴェーシュヴァラ・マーハートミヤ」を説く第218章であることを示す。

4 verses

Adhyaya 219

Adhyaya 219

मार्कण्डेयेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Mārkaṇḍeyeśvara and associated liṅgas near Mārkaṇḍeya’s āśrama)

本章はシヴァ派の教誨章であり、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィー(Devī)に向かって、マールカンデーヤ(Mārkaṇḍeya)のアーシュラマ近く、アーグネーヤ(南東)方にある地域的な聖地群を示す。まず名高い祠「グハーリンガ」(Guhāliṅga)—別名「ニーラカンタ」(Nīlakaṇṭha)—を挙げ、かつてヴィシュヌ(Viṣṇu)が礼拝したと伝えられ、「あらゆる罪の残滓を滅する者」と讃える。 続いて、バクティ(bhakti)による礼拝が、富、子孫、家畜、心の満足といった具体的果報をもたらすと説き、目に見える修行者の庵や洞窟を列挙する。そこにはリンガに結びつく場所が多い。さらに重要な規定として、マールカンデーヤの近くにリンガを安置・建立すれば、広大な家系・一族が高められると述べ、その行為を社会的に波及する宗教的手段として位置づける。 神学的枠組みは普遍化され、「諸世界は悉くシヴァの形であり、万有はシヴァに安立する」と宣言する。ゆえに繁栄を求める学識ある者はシヴァを礼拝すべきだという。神々・王・人間の例証により、リンガ礼拝とリンガ建立を常道として示し、「シヴァの光輝」によって重大な罪さえも救済され得ると説く。インドラがヴリトラ(Vṛtra)後に、太陽神が合流点で、アハリヤー(Ahalyā)が回復したことなどの短い由来譚を証拠として挙げ、結びにプラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)の要諦をマールカンデーヤのアーシュラマとの関係において重ねて確認する。

22 verses

Adhyaya 220

Adhyaya 220

वृषध्वजेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Vṛṣadhvajeśvara Māhātmya (Glorification of Vṛṣadhvajeśvara)

本章は、イーシュヴァラが女神に授けるシヴァ派(Śaiva)の神学的教説である。巡礼者は、三界に礼拝される(triloka-pūjita)と称され、プラバーサ(Prabhāsa)の聖域地図において南方に位置づけられる神格ヴリシャドヴァジェーシュヴァラ(Vṛṣadhvajeśvara)へと導かれる。続いて形而上学的説明に移り、シヴァは akṣara・avyakta(不滅・未顕現)であり、彼を超える原理はなく、ヨーガによって到達され、手足・眼・頭・口があらゆる所にあるという語りで遍在の宇宙的存在として示される。 さらに、プṛトゥ、マルッタ、バラタ、シャシャビンドゥ、ガヤ、シビ、ラーマ、アンバリーシャ、マーンダートリ、ディリー パ、バギーラタ、スホートラ、ランティデーヴァ、ヤヤーティ、サガラ等の王たちが列挙され、先例として、彼らがプラバーサに依り、供犠(yajña)をもってヴリシャドヴァジェーシュヴァラを礼拝し、天界に至ったことが語られる。章はまた、輪廻(saṃsāra)の反復—生・死・苦悩・老い—を強調して修徳と苦行の切迫を説き、無常で頼りない世にあってシヴァ礼拝(Śiva-arcana)こそ「精髄」であると勧める。 堅固なバクティ(bhakti)は繁栄をもたらす力として讃えられ、如意宝(cintāmaṇi)や如意樹(kalpadruma)に譬えられる豊かさ、さらには財神クベーラ(Kubera)さえ従者のように得ると説く。儀礼の簡素さも尊ばれ、五輪の花の供養でさえ十回の馬祭(aśvamedha)の果報に等しいとされる。最後に、ヴリシャドヴァジャ近くで牡牛を施すという特定の布施が、罪障の滅除と巡礼の円満な功徳を求める者のために定められる。

14 verses

Adhyaya 221

Adhyaya 221

ऋणमोचनमाहात्म्यवर्णनम् (R̥ṇamocana Māhātmya—Theological Account of Debt-Release at Prabhāsa)

本章は、イーシュヴァラの説示として、プラバーサにある聖なる結節点を語り、その中心に「ऋणमोचन(リナモーチャナ)」と名づけられた神格/リンガがあると述べる。リナモーチャナをダルシャナ(darśana、敬虔なる拝観)すれば、母系・父系の系譜から生じた負債、すなわち祖霊への ऋṇa(負い目)が消滅すると宣言される。 続いて、ピトリ(Pitṛs、祖霊)たちがプラバーサで長くタパス(苦行)を行い、信愛をもってリンガを建立したことが語られる。満悦したマハーデーヴァは顕現し、願いを求めよと告げる。ピトリたちは、神々・リシ・人間の諸階層にわたる衆生のため、宗教的に効力ある恒久の vṛtti(支え/手段)を願い、信をもって来る者が祖霊の負債と道徳的汚れから解放されること、さらに蛇・火・毒などによる不慮の死を遂げた祖先や、sapīṇḍīkaraṇa、ekoddiṣṭa/ṣoḍaśa の供献、vṛṣotsarga、あるいは śauca(浄め)が欠けて葬送儀礼が不完全であった祖先でさえ、ここで鎮め奉ればより高き帰趣を得ることを求める。 マヘーシュヴァラは、祖霊への信愛(pitṛ-bhakti)を持つ人が聖水で沐浴(snāna)し、pitṛ-tarpaṇa(祖霊への供水)を行えば、重罪であっても直ちに救済を得ると答え、自らを varapradā(願いを授ける者)と示す。要諦として、ピトリが स्थापितしたリンガへの礼拝と沐浴が祖霊の負債解放に結びつき、ダルシャナによって ऋṇa から解かれるゆえに「リナモーチャナ」と呼ばれると語られる。さらに、頭上に黄金を置いてから沐浴する儀礼は百頭の牛を布施する功徳に等しいとされ、結びに、その地で力を尽くして śrāddha(祖霊供養)を行い、神々に愛されるピトリ・リンガを礼拝せよと勧める。

18 verses

Adhyaya 222

Adhyaya 222

रुक्मवतीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Rukmavatīśvara Māhātmya (Account of the Glory of Rukmavatīśvara)

本章は「イーシュヴァラ曰く」という神聖な直説として語られる、簡潔な神学・儀礼の告知である。ルクマヴァティーが建立したリンガを示し、その威徳を讃える。すなわち、あらゆる不安を鎮め、罪を除き、求める果報を授ける普遍の鎮静力をもつと説く。 続いて、巡礼の実践手順が定められる。関係するマハーティールタで沐浴し、次にリンガへ細心の注意と敬虔心をもってサンプラーヴァナ/アビシェーカ(灌沐・沐浴供養)を行う。儀礼の後には、経典の規範に従い、財をブラーフマナ(brāhmaṇa)へ布施(ダーナ)することが勧められる。 このように本章は、聖地(ティールタ)、聖像(リンガ)、行為(スナーナとアビシェーカ)、そして布施という社会倫理的秩序(ダーナ)を一つの救済論理へ結び合わせる。規律ある信愛(バクティ)と正しい施しによって、過失は清められ、目的は成就すると示される。

3 verses

Adhyaya 223

Adhyaya 223

Puruṣottama-tīrtha and Pretatīrtha (Gātrotsarga) Māhātmya — पुरुषोत्तमतीर्थ-प्रेततीर्थ(गात्रोत्सर्ग)माहात्म्य

イーシュヴァラはデーヴィーに、三界で崇敬されるリンガと、その傍らのティールタへ近づく作法を説く。後にその聖地は「ガートローツァルガ(Gātrotsarga)」と呼ばれ、クリタ・ユガには「プレータティールタ(Pretatīrtha)」と称されたという。聖域の内なる地勢は Ṛṇamocana と Pāpamocana の近くにあると示され、そこでの死、あるいは儀礼としての沐浴・入水が、罪過の赦しと穢れの消滅をもたらすと宣言される。 続いて本章はヴァイシュナヴァの臨在を語る。プルショーッタマ(Puruṣottama)がそこに住し、ナーラーヤナ(Nārāyaṇa)、バラバドラ(Balabhadra)、ルクミニー(Rukmiṇī)への礼拝は「三種の罪」からの解放に結びつく。さらにシュラーダ(śrāddha)とピンダ(piṇḍa)の供養は、祖霊をプレータの境遇から救い、長く満足を与えると讃えられる。 枠物語では、聖仙ガウタマ(Gautama)が、聖域への立ち入りを禁じられた恐ろしい五体のプレータに出会う。彼らは自らの名が前世の悪行に由来する道徳的な「呼び名」であると明かし(乞いを拒む、裏切る、害をなす密告、施しの怠慢など)、プレータの不浄な食の由来と、プレータに生まれる因(虚言・盗み・牛やブラーフマナへの暴力・中傷・水の汚染・祭儀の怠り)を列挙する。併せて、巡礼・神礼拝・ブラーフマナへの敬虔・聖典聴聞・学者への奉仕がそれを防ぐと説く。ガウタマは各々に応じたシュラーダを修して解放し、第五の「パリュシタ(Paryuṣita)」には北行期(uttarāyaṇa、北至の時)に追加のシュラーダが必要となる。解放された者は、この地が Pretatīrtha として名高くなり、そこでシュラーダを行う者の子孫はプレータの存在に堕ちないと加護を授ける。結びの功徳説(phalaśruti)は、聴聞と参詣が大いなる祭祀に等しい福徳をもたらすと告げる。

88 verses

Adhyaya 224

Adhyaya 224

इन्द्रेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Indreśvara Māhātmya: The Glory of Indra’s Liṅga)

本章は神学的・儀礼的な物語として、イーシュヴァラがデーヴィーに語り、プルショーッタマの南にインドラが建立したリンガを示す。そのリンガは「パーパモーチャナ(Pāpamocana、罪を解く者)」と称される。インドラがヴリトラ(Vṛtra)を討った後、ブラフマハティヤー(brahmahatyā)に似た穢れの重荷を負い、身体の変色と悪臭として現れ、生命力と光輝を損なったことが語られる。 聖仙や神々、ナーラダ(Nārada)らは、罪を除く聖地(pāpa-hara kṣetra)であるプラバーサ(Prabhāsa)へ赴くようインドラに勧める。インドラはそこで三叉戟を持つ主のリンガを安置し、香・芳香・塗香をもって礼拝すると、贖罪の効験として悪臭と変色が消え、姿は優れたものとなる。さらにインドラは、後世の信者もこのリンガを信愛(バクティ)をもって礼拝すれば、ブラフマハティヤーのような重罪さえ滅すると説く。章末では、ヴェーダに通じたバラモンへの牛の布施(ゴー・ダーナ)と、その地でのシュラッダ(śrāddha)を、同罪に関わる苦患を除く助行として勧めて締めくくる。

11 verses

Adhyaya 225

Adhyaya 225

Narakeśvara-darśana and the Catalogue of Narakas (Ethical-Theological Discourse)

イーシュヴァラは、北方にあるナラケーシュヴァラ(Narakeśvara)に結びつく聖地を示し、罪を滅するリンガとして讃える。ついでマトゥラーの譬話を語る。アガスティヤ系統(ゴートラ)の婆羅門デーヴァシャルマンは貧苦に悩み、ヤマの使者が別人の同名者を連行しようとして起こした官僚的誤りに巻き込まれる。ヤマは誤りを正し、自らをダルマ王(Dharma-rāja)として宣言する――傷を負っていても定められた時より早く死は来ず、いかなる存在も「時ならぬ死」を迎えない。 婆羅門は、目に見える地獄界(ナラカ)の数と、そこへ導く業の因を技術的に説くよう求める。ヤマはナラカを列挙し(数は二十一とされる)、信義の裏切り、偽証、苛烈で欺く言葉、姦通、盗み、誓戒(ヴラタ)を守る者への加害、牛への暴力、神々(デーヴァ)と婆羅門への敵意、寺院/婆羅門の財の横領など、社会・宗教的な罪過に結びつけて示す。 教説は予防的救済へと結実する。すなわち、プラバーサ(Prabhāsa)に至り、信愛(バクティ)をもってナラケーシュヴァラを拝観する者は、地獄を見ないとヤマは言う。このリンガはヤマがシヴァへの信愛(Śiva-bhakti)によって建立したもので、守秘すべき教えとして護持される。章末には儀礼の指針と果報(phalaśruti)が述べられ、生涯の礼拝は「最高の到達」をもたらし、アーシュヴァユジャ月の黒分十四日(Kṛṣṇa Caturdaśī)のシュラッダーは馬祭(Aśvamedha)に等しい功徳を与え、黒鹿の皮をヴェーダ通暁の婆羅門に施せば、胡麻(ティラ)の粒数に応じた天界の栄誉を得るという。

47 verses

Adhyaya 226

Adhyaya 226

मेघेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Meghēśvara Māhātmya (Glorification of Meghēśvara)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)が「メーゲーシュヴァラ」(Meghēśvara)という霊廟について授ける教えを述べる。そこはクシェートラ(kṣetra)の前方部、ナイリタ方(nairṛta、南西)に位置し、罪を解く地(pāpa-mocana)であり、重い罪過をことごとく滅する所(sarva-pātaka-nāśana)として讃えられる。 続いて、共同体が直面する現実の危機—旱魃、すなわち雨が降らぬことへの恐れ(anāvṛṣṭi-bhaya)—が語られ、その鎮静のための作法が示される。学識あるブラーフマナたちがシャーンティ(śānti)の儀礼を執り行い、さらに水(udaka)によって大地をヴァールニー(vāruṇī)の法、すなわちヴァルナ(Varuṇa)に結びつく形で灌頂・加持する。これは雨を招き、秩序を回復するための儀式である。 また、「雲とともに स्थापितされた」リンガが常に礼拝されるところでは、旱魃への恐れは起こらないと断言される。かくしてメーゲーシュヴァラは、規律ある信愛によって自然と社会の安定を守る、神学的な保証として示される。

4 verses

Adhyaya 227

Adhyaya 227

बलभद्रेश्वरमाहात्म्य (Glory of Balabhadreśvara Liṅga)

本章では、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに、バラバドラ(Balabhadra)が正しい作法(vidhinā)により建立したリンガへ赴くよう教示する。そのリンガは大罪を除くもの(mahāpāpa-hara)と讃えられ、偉大な霊的成就の果(mahāsiddhi-phala)を授ける「マハーリンガ」(mahāliṅga)として、罪の浄化(pāpa-śuddhi)のために説かれる。 さらに、香と花など(gandha-puṣpādi)を順次供えて礼拝するという信愛の作法が定められる。第三のレーヴァティー・ヨーガ(Revati-yoga)に当たる時にこれを行えば、行者は「ヨーゲーシャ・パダ」(yogeśa-pada)という高きヨーガの境位に至るとされる。末尾の奥書は、これが『スカンダ・マハープラーナ』プラバーサ・カーンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)中、第一部「プラバーサ聖地功徳」(Prabhāsakṣetramāhātmya)の第227章であることを示す。

4 verses

Adhyaya 228

Adhyaya 228

भैरवेश-मातृस्थान-विधानम् | Rite of Bhairaveśa at the Supreme Mothers’ Shrine

第228章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィー(Mahādevī)に授ける教示として、卓越した「マートリ・スターナ」(mātṛ-sthāna=母神たちの聖域)を示し、それがバイラヴェーシャ(Bhairaveśa)と呼ばれ、「一切の恐怖を滅する者」(sarva-bhaya-vināśana)として讃えられることを説く。ここは信者にとって霊験あらたかな帰依の拠り所である。 続いて暦に基づく儀礼の時が定められる。黒分(kṛṣṇa-pakṣa)のチャトゥルダシー(caturdaśī)ティティの日、自己を律し心を制する修行者(yatātmavān)は、ガンダ(gandha=香)、プシュパ(puṣpa=花)、そして最上のバリ供(bali、tathā uttamaiḥ)をもって礼拝を行うべきだとされる。 章末は確約で結ばれる。ヨーギニーたちと母神たちは、この地上で帰依者を「子のように」守護する。かくして本章は、聖地固有の作法、恐れの除去という宗教目的、そして有効な礼拝の前提としての自制という倫理理想を一つに織り合わせている。

3 verses

Adhyaya 229

Adhyaya 229

गंगामाहात्म्यवर्णनम् (Gaṅgā-māhātmya: Discourse on the Glory of the Gaṅgā at Prabhāsa)

第229章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィー(Mahādevī)に授ける教えを述べ、イーシャーニャ方(Īśānya、北東)に在る「三道を行く」ガンガー(tripathagāminī)へと注意を向けさせる。そこにあるガンガーはスヴァヤンブー(svayaṃbhū、自ら顕れたもの)と讃えられ、またヴィシュヌ(Viṣṇu)が大地の奥より引き上げた聖なる流れとして語られ、ヤーダヴァ(Yādava)に関わる救済と、万有の罪を鎮め清める目的が明示される。 続いて儀礼と倫理の次第が示される。此処での沐浴(snāna)は、積み重ねた功徳の縁によって得られるものであってもよく、さらに正しい作法(vidhāna)に則ってシュラーダ(śrāddha)を修すれば、為したこと・為さなかったことのいずれにも悔いのない境地が得られるという。功徳の比較として、宇宙全体(brahmāṇḍa)を施すほどの福徳が、カールッティキー(Kārttikī)の時にジャーフナヴィー(Jāhnavī)の水で沐浴する功徳に等しいと説かれる。 最後に、カリ・ユガ(Kali-yuga)にはこのようなダルシャナ(darśana)を得ることがいよいよ難しくなると述べ、ゆえにプラバーサ(Prabhāsa)におけるガンガー/ジャーフナヴィーの水での沐浴と布施(snāna–dāna)の尊さが一層強調される。

6 verses

Adhyaya 230

Adhyaya 230

गणपतिमाहात्म्यवर्णनम् | Gaṇapati-Māhātmya (Account of Gaṇeśa’s Glory in Prabhāsa)

イーシュヴァラはデーヴィーに、諸神に愛され、イーシュヴァラ自らの任命によってプラバーサ(Prabhāsa)に鎮座するガナパティ(Gaṇapati)について説き示す。本文はこの神をガンガー(Gaṅgā)河の南側に位置づけ、聖域(kṣetra)を守護するために常に働く存在として描写する。 暦に基づく作法として、マーガ月(Māgha)の黒分(暗半月)第十四日であるクリシュナ・チャトゥルダシー(kṛṣṇa-caturdaśī)に礼拝すべきことが定められる。供物の次第は簡潔な儀礼語で示され、神聖なモーダカ(modaka)をナイヴェーディヤ(naivedya)として捧げ、花・香などのウパチャーラ(upacāra)を順序正しく行う。 得られる果報は実際的で守護的であり、礼拝者には障碍(vighna)が起こらないと宣言される。ただしその保証は、聖域に留まり住することを条件として明確に結び付けられている。章末の奥書により、本章はプラバーサ・カンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)第一部「プラバーサ聖域功徳」(Prabhāsakṣetramāhātmya)の第230章、「ガナパティ功徳讃説」(Gaṇapati-māhātmya-varṇana)であると示される。

4 verses

Adhyaya 231

Adhyaya 231

जांबवतीतीर्थमाहात्म्यम् / The Māhātmya of the Jāmbavatī Tīrtha

イーシュヴァラはデーヴィーに語り、ジャーンバヴァティー川に結びつく一処へ注意を向けさせる。その川は、プラーナ文献においてヴィシュヌの愛妃として記憶されるジャーンバヴァティーその人と同一視される。章は対話として展開し、ジャーンバヴァティーがアルジュナに近況を問うと、アルジュナは悲嘆に沈みつつ、バラデーヴァやサーティヤキーを含む著名なヤーダヴァの人々、さらにヤーダヴァ共同体全体に及んだ破局的結末を語り、それを道徳的・歴史的断絶として示す。 夫の死を聞いたジャーンバヴァティーはガンガー河畔で自己焼身を行い、火葬の灰を集める。ついで神話的変容によって川そのものとなり、海へと流れ下って、その水脈をティールタ(聖なる渡処)として聖別する。さらに功徳が説かれ、信心をもってそこで沐浴する女性は—その家系の女性に至るまで—寡婦の苦を受けないとされ、男女を問わず全力で沐浴修行する者は最高の帰趣(paramā gati)を得ると約束される。

9 verses

Adhyaya 232

Adhyaya 232

Pāṇḍava-kūpa-pratiṣṭhā and Vaiṣṇava-sānnidhya at Prabhāsa (पाण्डवकूप-प्रसङ्गः)

第232章は、イーシュヴァラが語る「聖地の権威付け」の神学的説示であり、プラバーサ(Prabhāsa)の霊威を確立する。森の遍歴の途上、パーンダヴァたちはプラバーサに到り、アーシュラマ(āśrama)の近くに心静かにしばらく滞在する。だが多くのブラーフマナをもてなすにあたり、水場が遠いことが儀礼上の支障となる。そこでドラウパディーの促しにより、彼らはアーシュラマの傍らに井戸(kūpa)を掘り、水を得て奉仕と法務を整える。 ついでクリシュナ(Kṛṣṇa)がドヴァーラカー(Dvārakā)からヤーダヴァの一行、すなわちプラデュムナやサーンバらを伴って来臨する。儀礼的な問答が交わされ、クリシュナはユディシュティラ(Yudhiṣṭhira)に望む恩寵を問う。ユディシュティラは、その井戸におけるクリシュナの常住の近接(nitya-sānnidhya)を願い、さらにバクティによる救済を宣言する—信愛をもってそこで沐浴する者は、クリシュナの恩寵によりヴァイシュナヴァの境地に至る、と。イーシュヴァラはその願いを認可し、クリシュナは去ってゆく。 章末は果報の教示(phalaśruti)で結ばれる。そこにてシュラーダ(śrāddha)を修すればアシュヴァメーダに等しい功徳を得、タルパナと沐浴(snāna)も行に応じた利益をもたらす。とりわけジェーシュタ月(Jyeṣṭha)の満月にサーヴィトリー(Savitrī)を礼拝すれば「最高の境地」に至り、巡礼の果を円満に求める者にはゴー・ダーナ(牛の布施)が勧められる。

20 verses

Adhyaya 233

Adhyaya 233

पाण्डवेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Pandaveśvara Māhātmya—Account of the Glory of Pāṇḍaveśvara)

本章は簡潔な神学的教示として構成され、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに対し、プラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)に確立された五つのリンガ(liṅga)の群について語る。これらのリンガは大いなる心をもつパーンダヴァ(Pāṇḍavas)によって安置・奉献(pratiṣṭhita)されたと述べられ、聖所を叙事詩的系譜の記憶に結びつけ、その崇拝の正統性を強める。 続いて果報の宣言(phalaśruti)が明示される。すなわち、信愛(bhakti)をもってこれらのリンガを礼拝する者は、罪(pātaka)から解き放たれる。主題の中心は、確証された聖地における信愛を帯びたリンガ供養(liṅga-pūjā)の救済力であり、パーンダヴァとの結びつきは長い物語ではなく、聖史としての権威付けを担う。

3 verses

Adhyaya 234

Adhyaya 234

दशाश्वमेधिकतीर्थमाहात्म्य (Māhātmya of the Daśāśvamedhika Tīrtha)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィー(Devī)に、ダシャーシュヴァメーディカ(Daśāśvamedhika)と名づけられたティールタ(聖地)の出現と功徳を語る地霊讃歎である。冒頭、巡礼者は「三界に名高い」場所へ導かれ、そこは重罪をも滅する所と説かれる。王バラタ(Bharata)はその地で十回の馬供犠アシュヴァメーダ(aśvamedha)を修し、比類なき霊地であると悟る。供犠の供養に満足した諸天は恩寵を申し出、バラタは「ここで沐浴する信者が、十回のアシュヴァメーダに等しい吉祥の果報を得るように」と願う。 諸天はその名と名声が地上に定まることを認め、イーシュヴァラは以後この地が広くダシャーシュヴァメーディカとして知られ、罪障滅除に有効であると宣言する。聖地はĀindraとVāruṇaの標識の間に位置し、シヴァの聖域(Śiva-kṣetra)であり、巨大なティールタ群の一拠点とも示される。果報説(phalaśruti)は死後にも及び、ここで命終すればシヴァ界で歓喜を得、非人の生にある者すら高位へ至るという。祖霊へのティラ・ウダカ(tila-udaka)の供養は、宇宙融解に至るまでピトリ(pitṛ)を満足させる。さらに、ブラフマー(Brahmā)の先行供犠、インドラ(Indra)がここでの礼拝により天帝位(devarāja)を得たこと、カルタヴィールヤ(Kartavīrya)の百回の供犠が回想され、ここで死する者にはアプナルバヴァ(apunarbhava:不再生)が約され、牡牛放施ヴリショーツァルガ(vṛṣotsarga)によって牛の毛の数に応じた天上の昇栄が説かれて結ばれる。

16 verses

Adhyaya 235

Adhyaya 235

Śatamedhādi Liṅgatraya Māhātmya (Glory of the Three Liṅgas: Śatamedha, Sahasramedha, Koṭimedha)

このアドヒャーヤにおいて、イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバーサ・クシェートラに鎮座する「比類なき三つのリンガ」を拝観するよう教示する。三リンガはそれぞれ祭祀に由来する称号を帯び、方位に従って安置される。南のリンガはŚatamedhaと名づけられ、百回の供犠(yajña)に等しい果報を授け、かつてカールタヴィールヤが百の祭祀を行ったことに結び付けられる。その建立は一切の罪(pāpa)の重荷を滅すると説かれる。 中央のリンガはKoṭimedhaとして名高く、梵天(Brahmā)が無数(koṭi)の勝れた祭祀を修し、マハーデーヴァを「世界の利益者たるŚaṅkara」として स्थापितしたことに由来する。北のリンガはSahasrakratu(Sahasramedha)で、シャクラ/インドラ(Śakra/Indra)が千の儀礼を行い、大神のリンガを諸天の根源神として安置したと語られる。 さらに、香(gandha)と花(puṣpa)による供養、五甘露(pañcāmṛta)と水による灌頂(abhiṣeka)が述べられ、信者はリンガの名に応じた功徳果を得ると断言される。巡礼の果を円満に求める者には牛施(go-dāna)が勧められ、終わりに「千万のティールタ(tīrtha)」がそこに宿り、中央の三リンガの聖域は普遍の罪滅ぼしであると結ばれる。

9 verses

Adhyaya 236

Adhyaya 236

दुर्वासादित्यमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Durvāsā-Āditya (Sūrya) at Prabhāsa

第236章は、プラバーサ・クシェートラにおける「ドゥルヴァーサー=アーディティヤ」(スーリヤ、太陽神)の聖地の建立と、その霊験が称揚される次第を語る。冒頭、巡礼者は「ドゥルヴァーサー=アーディティヤ」祠へ赴くよう教示され、そこでは聖仙ドゥルヴァーサスが、厳しい自制と太陽神へのウパーサナーをもって千年の苦行を修した。スーリヤが顕現して恩寵を授けると、ドゥルヴァーサスは「大地が存する限り、この地に常住し、聖地の名声を高め、安置された御像の近くに常に臨在してほしい」と願い、スーリヤはこれを許す。 続いてスーリヤは、河としてのヤムナーと、法王ヤマ(ダルマラージャ)を招き、クシェートラの聖なる秩序に参与させる。彼らには守護と規制の役割が与えられ、とりわけ信者と家住のブラーフマナを護ることが強調される。物語はまた、ヤムナーが地下の流路を通って現れること、クンダ(聖池)や「ドゥンドゥビ」/クシェートラパーラとの関わり、沐浴と祖霊供養の果報を示して、聖地の地勢を具体化する。 後半では、暦に基づく行法が定められる。たとえばマーガ月白分第七日にドゥルヴァーサー=アルカを礼拝すること、マーダヴァ月に沐浴してスーリヤ・プージャーを行うこと、祠の近くでスーリヤの千名を誦することなどである。功徳譚(パラシュルティ)は、功徳の増大、重罪の軽減、所願成就、守護、健康の利益、繁栄を説き、最後に聖域の範囲(半ガヴユーティ)と、スーリヤへの信愛(バクティ)を欠く者の除外を述べて章を結ぶ。

34 verses

Adhyaya 237

Adhyaya 237

यादवस्थलोत्पत्तौ वज्रेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Origin of Yādava-sthala and the Māhātmya of Vajreśvara

本章はシヴァとデーヴィーの聖なる対話として構成され、叙事詩後日譚をプラバーサの在地的な聖地地図へと結晶させる。イーシュヴァラはデーヴィーに「ヤーダヴァ・スタラ」を示し、そこが夥しいヤーダヴァ軍勢の滅亡の地であると告げる。デーヴィーが、ヴァースデーヴァの眼前でヴリシュニ族・アンダカ族・ボージャ族がなぜ滅ぼされたのかを問うと、イーシュヴァラは呪詛の次第を語る。サーンバが変装してヴィシュヴァーミトラ、カンヴァ、ナーラダらの仙人を嘲ったため、怒った仙人たちは、サーンバが一族滅亡のための鉄のムシャラ(棍棒)を「産み出す」と宣告する。言葉の上ではラーマとジャナールダナが直ちに免れるかのように触れられるが、なおカ―ラ(時・運命)の不可避の勅命が示される。ムシャラは生じ、粉に砕かれて海へ捨てられるが、ドヴァーラカーには社会秩序の転倒、怪音、獣の異変、祭儀の失敗、恐ろしい夢など不吉な兆しが増え、ダルマへの警告となる。 やがてクリシュナはプラバーサへの巡礼を命じる。ヤーダヴァたちは到着するが、酔いの中で内なる敵意が激化し、サーティヤキとクリタヴァルマンを中心に争いが勃発、ついには葦が金剛(ヴァジュラ)のような棍棒へと変じて相討ちとなる。これは仙人の呪いによるブラフマ・ダンダ(梵罰)とカ―ラの働きと解される。火葬地と骨の堆積が景観に刻まれ、ここは「ヤーダヴァ・スタラ」と呼ばれる。後段では生き残った後嗣ヴァジュラがプラバーサに来てヴァジュレーシュヴァラ・リンガを建立し、ナーラダの導きのもと苦行(タパス)によって成就(シッディ)を得る。結びに、ジャーンバヴァティーの水での沐浴、ヴァジュレーシュヴァラ礼拝、バラモンへの施食、六角(シャトコーナ)を象徴する供物などの作法と功徳が説かれ、千頭の牛を施すに等しい大いなる巡礼果が約束される。

103 verses

Adhyaya 238

Adhyaya 238

Hiraṇyā-nadī-māhātmya (हिरण्यानदीमाहात्म्य) — The Glory of the Hiraṇyā River

本章は、イーシュヴァラがヒラニヤー河について説く教えを示す。ヒラニヤーは、罪を滅して浄める聖水(pāpanāśinī)であり、功徳を生み(puṇyā)、あらゆる願いを成就させ(sarvakāmapradā)、貧困を断つ(dāridryāntakāriṇī)と讃えられる。 章は簡潔な巡礼の作法を述べる。すなわち河へ赴き、定められた法により沐浴し(vidhānena snāna)、祖霊のために piṇḍodaka の儀礼を行い、さらに節度ある布施と歓待を実践すること。正しく行えば、不滅の世界(akṣayān lokān)に至り、祖先も罪より引き上げられると説く。 また功徳の等価の趣旨として、相応しいバラモン(brāhmaṇa)一人に食を施すことが、多くの二度生まれ(dvija)に施すのに等しいと譬え、意図・受者の資格・儀礼の文脈を重んじる。さらに、ヴェーダに通じたバラモンへ「黄金の車」の布施(hemaratha-dāna)を行い、シヴァに奉献すべきことを説き、その果報は広大な巡礼(yātrā)の功徳に比せられる。

5 verses

Adhyaya 239

Adhyaya 239

नागरादित्यमाहात्म्यम् | The Māhātmya of Nāgarāditya (Nagarabhāskara)

イーシュヴァラはデーヴィーに、聖なる水ヒラニヤーの近くに鎮まる太陽神像ナーガラーディティヤ/ナーガラバースカラの霊験を語る。まず由来として、ヤーダヴァ族の王サトラージットがバースカラ(太陽神)を歓喜させるため大誓願と苦行を修し、日々黄金を生むシヤマンタカ宝珠を授かることが述べられる。さらに願いを選べと言われたサトラージットは、太陽神がその地の庵に常住することを求め、光輝く御像が安置され、婆羅門と町人が護持を命じられたため、社は「ナーガラーディティヤ」と称されるようになった。 ついで果報讃(phalaśruti)として、ナーガラールカをただ拝観(darśana)するだけでプラヤーガにおける大施与に等しいと説かれる。この神は貧困・憂い・病を除く者、諸患の真の「医王」と讃えられる。作法としてはヒラニヤーの水で沐浴し、御像を礼拝し、太陽の遷移サンクラマナに結びつく白分の सप्तमी(サプタミー)を守ることが示され、その時あらゆる儀礼の功徳は倍増するとされる。章末には、ヴィカルタナ、ヴィヴァスヴァーン、マールタンḍa、バースカラ、ラヴィ等、太陽の二十一名を挙げる短い讃歌が「スタヴァラージャ」として掲げられ、身体の健康を増すと説く。黎明と黄昏に誦する者は所願を得、ついにはバースカラの住処に至るという。

33 verses

Adhyaya 240

Adhyaya 240

बलभद्र-सुभद्रा-कृष्ण-माहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Balabhadra, Subhadrā, and Kṛṣṇa)

本章は「イーシュヴァラ曰く(Īśvara uvāca)」という主宰神の語り口で説かれ、バラバドラ、スバドラ、そしてクリシュナの三尊へと心を向けて礼拝するよう導く。三尊は霊験あらたかとされ、とりわけクリシュナは「sarva-pātaka-nāśana(あらゆる罪を滅する者)」と明言され、その功徳が讃えられる。 さらに本章はカルパ(宇宙周期)の時間枠に基づいて聖地の由来を示す。過去のカルパにおいてハリがこの地で身を捨てたこと、そして現カルパにおいても同様の「gātrotsarga(身体の放棄)」が記憶されていることが語られる。結びとして、ナーガラーディティヤ(Nāgarāditya)の臨在(saṃnidhi)のもとで三尊に pūjā を捧げる者は svarga-gāmin、すなわち天界へ赴く者と宣示される。

4 verses

Adhyaya 241

Adhyaya 241

शेषमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Śeṣa at Mitra-vana)

第241章は、イーシュヴァラがプラバーサ・クシェートラにある聖所を説示する。そこはバラバドラに結びつき、蛇身のシェーシャ(Śeṣa)と同一視される。聖地はミトラ・ヴァナ(Mitra-vana)にあり、広さは二 gavyūti とされ、神話的な「パーターラの道」(pātāla-path)を経て到達する三合流(tri-saṅgama)のティールタと結び付けられる。社はリンガ形(liṅgākāra)で、偉大な光輝(mahāprabha)を放ち、レヴァティー(Revatī)とともに「シェーシャ」として名高い。 続いて土地の伝承が語られる。織工(kaulika)である成就者ジャラー(Jarā)は、物語の言い回しでは「ヴィシュヌを殺した者」と呼ばれつつも、この地で融解・帰滅(laya)を得た。その後、この場所は広く「シェーシャ」の名で知られるようになった。さらに本章は、チャイトラ月の白分十三日(Caitra-śukla-trayodaśī)に礼拝を行うことを定め、子孫繁栄、家畜の増益など家門の安泰と、一年の福祉を約束する。また、子どもを masūrikā や visphoṭaka のような発疹性の病から守る功徳も述べられる。 最後に、この聖地がさまざまな社会集団に親しまれていること、そしてシェーシャは動物・花・多様なバリ(bali)などの供物によって速やかに歓喜し、積み重なった罪を滅するという教義が示される。

9 verses

Adhyaya 242

Adhyaya 242

कुमारीमाहात्म्यवर्णनम् (Kumārī Māhātmya—The Glory of the Maiden Goddess)

イーシュヴァラはマハーデーヴィーに、乙女神デーヴィー・クマーリカーの近傍で起こった守護の物語を語り、東方を聖地の地理的手掛かりとして示す。遠い劫(ラタンタラ・カルパ)に、大阿修羅ルルが世を震え上がらせ、デーヴァやガンダルヴァを乱し、苦行者とダルマの実践者を殺して、スヴァーディヤーヤやヴァシャットの唱和、ヤジュニャの祝祭までも衰えさせ、地上は荒廃する。 デーヴァと大リシたちが討伐の方策を議すと、彼らの身体からの共同の発露(汗)より、蓮華眼の神聖な乙女が顕現する。彼女は使命を問い、危機を鎮めるよう委ねられ、笑いによってパーシャとアンクシャを携える侍女たちを生じさせ、戦いでルルの軍勢を潰走させる。ルルは闇の(ターマシーな)幻惑を放つが、デーヴィーは迷わず、シャクティで彼を貫く。彼が海へ逃れると追って海中へ入り、剣で首を断ち、皮と断首を帯びるチャールマ・ムンダ・ダーラーとして現れる。 光り輝く多様な眷属を伴ってプラバーサへ帰還すると、驚嘆したデーヴァたちは彼女をチャームンダー、カーララートリー、マハーマーヤー、マハーカーリー/カーリカーなど、猛威にして守護の御名で讃嘆する。デーヴィーは恩寵を授け、デーヴァたちはこのクシェートラに常住し、彼女のストートラが誦する者に福を与え、由来をバクティをもって聴く者が浄化と最高の到達(パラー・ガティ)を得るよう願う。実践として、白分(明るい半月)に、とりわけアーシュヴィナ月のナヴァミーに礼拝することが吉祥と説かれ、結びにデーヴィーはそこに留まり、敵を退けたデーヴァたちは天界へ帰る。

34 verses

Adhyaya 243

Adhyaya 243

मंत्रावलिक्षेत्रपालमाहात्म्यवर्णनम् / The Māhātmya of the Mantrāvalī Kṣetrapāla

本章では、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに対し、イーシャーナ方(Īśāna、北東)に坐す強大なクシェートラパーラ(kṣetrapāla、聖域の守護神)へ近づき礼拝する作法を説く。守護神はマントラマーラー(mantramālā、真言の連なり・真言の花鬘)で荘厳され、黄金の岸辺(hiraṇya-taṭa)の近くに護りのために立ち、ヒーラカ・クシェートラ(hīraka-kṣetra)という、宝石・金剛のごとき地として名づけられた区域を守ると描写される。 ついで経文は暦に基づく儀礼を定める。暗半月(kṛṣṇa-pakṣa)の第十三日トラヨーダシー(trayodaśī)に、行者は香、花、供物、そしてバリ(bali、儀礼的供献)をもってクシェートラパーラを敬うべきである。結びの果報説(phalaśruti)は、正しく礼拝すればその神はサルヴァ・カーマ・プラダ(sarva-kāma-prada、あらゆる願いを授ける者)となると述べ、ティールタ(tīrtha)実践の倫理にかなう守護と成就の信仰として位置づける。

5 verses

Adhyaya 244

Adhyaya 244

Vicitreśvaramāhātmya (विचित्रेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Vicitreśvara

イーシュヴァラはデーヴィーに、ヒラニヤー・ティーラの岸辺に鎮まる名高き霊地ヴィチトレーシュヴァラへ赴くよう教示する。そこは大罪(mahāpātaka)を滅する所(nāśana)として讃えられ、プラバーサ・クシェートラの巡礼規範の中で清浄と功徳の拠り所とされる。 本章はその起源を、ヤマに関わる書記ヴィチトラに帰す。彼が苛烈な苦行(tapas)を修した結果、猛々しく威厳あるリンガ(liṅga、mahāraudra)がその地に建立されたという。 果報の宣言(phalaśruti)には明確に説かれる――このリンガを拝観(darśana)する者は、ヤマの界を見ない。ゆえにここでのダルシャナは、災厄を退け、解脱へ導く聖なる行として、プラバーサ巡礼の倫理に位置づけられる。

4 verses

Adhyaya 245

Adhyaya 245

ब्रह्मेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Brahmeśvara Māhātmya (Account of the Glory of Brahmeśvara)

本章は神聖なる教示として語られる。イーシュヴァラ(Īśvara)はデーヴィーに告げ、彼女(ひいては巡礼者)に、同じ聖域内の特定の霊場へ進むよう導く。その地はサラスヴァティー川(Sarasvatī)の岸にあり、パールナーディティヤ(Pārṇāditya)に関わる地標の近く/上方、かつその西方という方位で示される。 そこには、太古にブラフマー(Brahmā)が建立した著名なリンガがあり、「ブラフメーシュヴァラ」(Brahmeśvara)と名づけられている。その功徳は明確で、あらゆる罪を滅する(sarva-pātaka-nāśana)と讃えられる。月の第二日、ドヴィティーヤー(dvitīyā)には、そこで沐浴し、断食(upavāsa)を守り、諸根を制し(jitendriya)、神々の主を「ブラフメーシュヴァラ」の名で礼拝すべきだと説く。 さらに祖霊への務めとして、タルパナ(tarpaṇa)を捧げ、シュラーダ(śrāddha)を行い、永遠に揺るがぬ境地/住処(śāśvataṃ padam)を得ることが示される。

4 verses

Adhyaya 246

Adhyaya 246

Piṅgā-nadī-māhātmya (Glorification of the Piṅgā River)

イーシュヴァラはデーヴィーに、罪を滅する河ピンガー(Piṅgā)へ赴くよう教える。そこはリシ・ティールタ(Ṛṣi-tīrtha)の西にあり、海へと注ぐピンガリー(Piṅgalī)として讃えられる。功徳は儀礼の段階に従って説かれ、ただ見ること(sandarśana)だけで大いなる祖霊供養に等しく、沐浴(snāna)でその功徳は倍となり、タルパナ(tarpaṇa)で四倍となる。さらにシュラーダ(śrāddha)を修すれば、その果は量り知れないとされる。 名の由来は古い逸話で示される。ソーメーシュヴァラ(Somēśvara)のダルシャナを求めて来た仙人たちは、南方的で肌が黒く、姿も整わぬと描写されるが、河の近くの勝れたアーシュラマで沐浴すると、容貌が美へと変じ、「カーマ・サドリシャ」(理想の魅力に比すべき姿)となる。驚いた彼らは、「ピンガトヴァ」(黄金がかった褐色の性質)を得たゆえに、この河は今後ピンガーと呼ばれるべきだと宣言する。 また社会的・倫理的な約束として、最高の信愛(バクティ)をもってここで沐浴する者の家系には、醜い子孫が生じないと説かれる。章末では仙人たちが河岸に散在してティールタを建立し、ヤジュニョーパヴィータ(yajñopavīta)のみを身につけるほどの簡素な苦行をもって、規律ある臨在と儀礼的命名によって聖性が確立されることを示す。

10 verses

Adhyaya 247

Adhyaya 247

पिंगलादित्य–पिंगादेवी–शुक्रेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Māhātmya of Piṅgalāditya, Piṅgā Devī, and Śukreśvara)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに語りかける神学的対話として構成され、プラバーサ・クシェートラにおけるダルシャナ(聖なる拝観)の対象地を列挙し、各種の行法とその果報を明示する。まず巡礼者は、その地に現前する罪滅ぼしの力をもつスーリヤ(太陽神)を拝観すべきことが説かれ、太陽のダルシャナが浄化の行として確立される。 次いで、ピンガラー・デーヴィーはパールヴァティーの姿を帯びた顕現であると示され、女神礼拝が同一の聖なる巡礼の環に組み込まれる。さらに月の第三日(トリティーヤー)に特別の断食が規定され、これを行う者は所願成就し、財富や子孫といった世間的吉祥も得ると説かれる。最後にシュクレーシュヴァラ(特定のリンガ/聖所)が紹介され、その拝観は一切の罪過(sarva-pātaka)から解放すると讃えられ、正しい巡礼—拝観・断食・信愛(バクティ)—がクシェートラにおける倫理的・儀礼的な成就の技法であることが強調される。

4 verses

Adhyaya 248

Adhyaya 248

Brahmeśvara-māhātmya (ब्रह्मेश्वरमाहात्म्य) — Origin and Merit of the Brahmeśvara Liṅga

Īśvara は Mahādevī に、先に述べられ Brahmā が礼拝した聖地へ赴くよう教示する。その地は Sarasvatī 河の岸にあり、Parnāditya の西方に位置する。続いて由来譚が語られる。Brahmā が四種の衆生の総体を創造する以前、類別しがたいほど非凡な一人の女性が現れ、プラーナ文献に通有の美の徴によって描写される。 欲に覆われた Brahmā は彼女に性的結合を乞うが、その過失の即時の果として第五の首が落ち、驢馬の首のようになったとされ、行為はただちに道徳的罪過として示される。自らの「娘」への欲心という重大さ(物語上の越境)を悟った Brahmā は、tīrtha への沐浴なくして身と徳の清浄は得られないと聞き、浄化を求めて Prabhāsa に赴く。 Sarasvatī で沐浴したのち、Brahmā は Śiva(Devadeva Śūlin)の liṅga を建立し、穢れを離れて故郷へ帰る。章末の phalaśruti は、Sarasvatī に浴しその liṅga を拝観する者は一切の罪を離れ Brahmaloka で尊崇されること、さらに Caitra 月の白分第十四日に拝すれば Maheśvara に結びつく至上の境位に到ることを説く。

13 verses

Adhyaya 249

Adhyaya 249

संगमेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Sangameśvara Māhātmya (Glory of the Lord of the Confluence)

Īśvara は Devī に、罪を滅する神として「Saṅgameśvara(サンガメーシュヴァラ)」へ赴くよう教示する。この神は「Golaka」とも称される。物語は、Sarasvatī と Piṅgā の二河が合流する saṅgama の聖地を示し、そこで修行する成就の仙人 Uddālaka を紹介する。 Uddālaka が激しい苦行(tapas)に没頭していると、眼前に liṅga が顕現し、信愛(bhakti)が霊的に証印される。ついで無形の声(aśarīriṇī vāk)が、その地に神が永く常住することを告げ、合流点に liṅga が現れたゆえに社名を「Saṅgameśvara」と定める。 本章は果報(phala)を説く。名高い合流点で沐浴し、Saṅgameśvara を拝観する者は最高の境地に至る。Uddālaka は絶えず liṅga を礼拝し、命終に Maheśvara の住処へ到達して、聖地への帰依が解脱へ結ばれる模範として物語は結ばれる。

9 verses

Adhyaya 250

Adhyaya 250

Gaṅgeśvara Māhātmya (गंगेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Gaṅgeśvara Liṅga

イーシュヴァラはデーヴィーに語り、三界に名高い「ガンゲーシュヴァラ」リンガに心を向けよと示す。それはサンガメーシュヴァラの西に鎮座すると説かれる。物語は神話的・歴史的な一刻を回想する。決定的な時に、ヴィシュヌ(本文ではプラバヴィシュヌ/プラバヴァヴィシュヌ等の称号でも呼ばれる)が灌頂(アビシェーカ)のためにガンガーを招いたのである。 その後ガンガーは、リシたちが往来し、無数のリンガと苦行者のアーシュラマが満ちる、きわめて功徳深い聖域(クシェートラ)を目にする。シヴァへの信愛(シヴァ・バクティ)に基づき、ガンガーはそこでリンガを建立した。章は果報を宣言する。ここをただ拝観(ダルシャナ)するだけでガンガー沐浴の果が得られ、人は千回のアシュヴァメーダ祭に等しい功徳を得るという。

6 verses

Adhyaya 251

Adhyaya 251

Śaṅkarāditya-māhātmya (The Glory of Śaṅkarāditya)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)とデーヴィー(Devī)の簡潔な対話として語られ、巡礼者に「Śaṅkarāditya」と名づけられた霊廟を礼拝するよう導く。その聖所は Gaṅgeśvara の東にあり、Śaṅkara によって建立されたと説かれる。吉祥の修法時は、白分(śukla pakṣa)の第六日(ṣaṣṭhī)である。 作法として、銅の器(tāmra-pātra)にて arghya を捧げ、赤檀(rakta-candana)と赤い花(rakta-puṣpa)を用いて整え、心を一境にして(samāhita)行うべきことが示される。得られる功徳は超越と世間の安穏を併せ持ち、礼拝者は Divākara(太陽)に結びつく最上の境地に至り、上位の成就(parā siddhi)を得て、貧困(daridratā)に陥らないと約束される。章末では、その聖域(kṣetra)において力を尽くし、あらゆる願いの果を授ける者(sarva-kāma-phala-prada)として Śaṅkarāditya を崇敬せよと勧めて結ぶ。

5 verses

Adhyaya 252

Adhyaya 252

शङ्करनाथमाहात्म्यवर्णनम् (Śaṅkaranātha Māhātmya—Account of the Glory of Śaṅkaranātha)

イーシュヴァラはデーヴィーに語り、巡礼の次第を、三界に名高く罪を滅するものと讃えられるリンガ「シャンカラナータ」へと導く。 本章は、このリンガの安置をバーヌ(太陽神)の功徳に帰し、彼が大いなる苦行(タパス)を修めて聖所を建立し、聖標を据えたと説く。続いて、簡潔な倫理・儀礼の実践が示される――断食してマハーデーヴァを礼拝し、バラモンに食を施し、感官を制してシュラッダーを行い、力に応じて黄金と衣を布施すること。 結びに果報(パラ)が明言され、これを修する者は至上の住処に到達すると、章の神学的論理の中で決定的な結論として示される。

4 verses

Adhyaya 253

Adhyaya 253

गुफेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Gufeśvara Shrine-Māhātmya (Description of the Glory of Gufeśvara)

本章は神聖なる教示として語られ、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィーに向けて、巡礼の行程を名高い聖所グフェーシュヴァラ(Gufeśvara)へ導く。そこはヒラニヤー(Hiranyā)の北方に位置し、「比類なき」地であり、明確に「一切の罪を滅する者」と讃えられる。 教義上の要点は、ダルシャナ(darśana:聖なる拝観)が人を変容させる行為であることにある。グフェーシュヴァラにて神をただ見るだけで、最も重い罪業さえ除かれ、「殺害が幾千万(クロール)にも及ぶ罪をも払い去る」とする誇張的な果報讃(phalaśruti)で示される。ゆえに本章は、プラバ―サ聖域(Prabhāsa-kṣetra)の聖地地図における簡潔な要所として、聖所の特定と位置づけを行い、強い浄罪の宣言によってその救済的価値を刻印する、ティールタ・マーハートミヤの定型にかなう内容となっている。

2 verses

Adhyaya 254

Adhyaya 254

घण्टेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Ghanteśvara Shrine-Māhātmya (Description of the Glory of Ghanteśvara)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)の教示として語られる簡潔なマーハートミヤである。プラバーサ(Prabhāsa)に「ガンテーシュヴァラ」(Ghanteśvara)と呼ばれる聖なる臨在があることを示し、彼は「一切の罪を滅する者」(sarva-pātaka-nāśana)として、デーヴァにもダーナヴァにも等しく礼拝されるべき存在と説かれる。 この霊廟はリシ(ṛṣi)やシッダ(siddha)にも崇敬され、望む果報を授ける(vāñchitārtha-phala-prada)と讃えられる。さらに暦の規定として、月の第八日(aṣṭamī)が月曜日(Soma-vāra)に当たる日に、信者がガンテーシュヴァラを供養礼拝すれば、所願を得て罪より解き放たれると述べる。末尾のコロフォンは、これが『スカンダ・プラーナ』プラバーサ・カーンダ、プラバーサ聖地功徳章に属し、第254章であることを明記する。

3 verses

Adhyaya 255

Adhyaya 255

ऋषितीर्थमाहात्म्य (The Māhātmya of Ṛṣi-tīrtha / Rishi Tirtha)

イーシュヴァラは、プラバ―サ近辺の名高いティールタ、とりわけ多くの大聖仙に結びつく西方の地を説く。物語は、アンギラス、ガウタマ、アガスティヤ、ヴィシュヴァーミトラ、アルンダティーを伴うヴァシシュタ、ブリグ、カシュヤパ、ナーラダ、パルヴァタ等のṛṣiを列挙し、彼らが制御と専心の禅定による驚くべき苦行を行い、永遠のブラフマー界を求めるさまを語る。 やがて大旱魃と飢饉が起こり、ウパリチャラ王は穀物と財宝を施し、「布施を受けることはブラーフマナの非難なき生業である」と主張する。だが聖仙たちは、王の贈与に潜む倫理的危険と、貪欲による霊性の衰退を挙げて拒み、蓄積(sañcaya)と渇愛(tṛṣṇā)を教理的に批判し、知足と不当な庇護を受けぬことを讃える。 王の使者はウドゥンバラ樹の傍らに「金胎」の宝を撒くが、聖仙たちは再び退けて去る。彼らは蓮に満ちた大湖に至り、沐浴して蓮の茎(bīsa)を糧とする。遍歴の苦行者シュノームカがbīsaを奪い、ダルマの問いを引き起こすと、聖仙たちは盗人の道徳的堕落を定める誓い/呪詛を交わす。するとシュノームカはプランダラ(インドラ)として正体を現し、無貪こそ不滅の世界の基であると称賛する。 最後に聖仙たちは、この地の作法を求める。ここに来て清浄を保ち、三夜断食し、沐浴し、祖霊にタルパナを捧げ、シュラーダを営む者は、あらゆるティールタに等しい功徳を得て下趣を免れ、神々の同伴を享受すると説かれる。

67 verses

Adhyaya 256

Adhyaya 256

नन्दादित्यमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Nandāditya)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに語る神聖な説示として構成され、プラバーサ・クシェートラにおける太陽神の霊廟建立を正当化する。冒頭、ナンダ王が安置した太陽の御姿「ナンダーディティヤ」に近づき礼拝すべきことが命じられる。ナンダは民の安寧をもたらす模範の王として讃えられるが、業(カルマ)の転変により重い癩病に苦しむ。 原因を求めて物語は過去へ遡る。ヴィシュヌより授かった天のヴィマーナで旅するナンダは、天界のマーナサローヴァラに至り、稀有なる「ブラフマー生まれの蓮華」を見いだす。その中には親指ほどの光輝くプルシャが宿っていた。名声欲に駆られ蓮華を奪わせようとした瞬間、恐るべき轟音が起こり、王はたちまち病に冒される。聖仙ヴァシシュタは、蓮華は比類なく神聖であり、衆目に誇示しようとする意図が徳に背く過失であること、内なる神は太陽原理(プラディヨータナ/スーリヤ)であることを説く。 ヴァシシュタはプラバーサにてバースカラ(太陽神)を鎮め奉るよう処方する。ナンダはナンダーディティヤを建立し供物を捧げて礼拝すると、スーリヤは即座に癒しを授け、久しくそこに留まると約し、日曜に当たるサプタミーに御神像を拝する者は最高の境地に至ると告げる。章末は功徳譚(ファラシュルティ)として、このティールタでの沐浴、シュラーダ、布施—とりわけカピラー牛やギーの牛の施与—が量り知れぬ福徳を生み、解脱への助縁となると結ぶ。

41 verses

Adhyaya 257

Adhyaya 257

त्रितकूपमाहात्म्य (Glory of the Trita Well)

ĪśvaraはDevīに、サウラーシュトラの学識ある人物アートレーヤと、その三人の子—エカタ、ドヴィタ、そして末子トリタ—の物語を語る。アートレーヤ没後、徳高くヴェーダに通じたトリタが家を率い、ヤジュニャ(yajña)を企てて博識の祭官を招き、諸神を招請する。供養の報酬であるダクシナー(dakṣiṇā)を得るため、兄たちとともにプラバーサ(Prabhāsa)へ向かい牛を集めるが、その学徳ゆえに道中で厚いもてなしと贈り物を受ける。 しかし兄たちは嫉妬に駆られて謀り、恐ろしい虎が現れて牛が散ると、乾ききった不気味な井戸のそばで機を見てトリタを水のない穴へ投げ込み、牛の群れを連れて去ってしまう。井戸の底でトリタは絶望せず、「マーナサ・ヤジュニャ」(mānasa-yajña、心中の供犠)を修し、スークタ(sūkta)を誦し、砂による象徴的なホーマを捧げる。彼のシュラッダー(śraddhā)に満足したデーヴァたちは、サラスヴァティー(Sarasvatī)に井戸を水で満たさせて救い出し、その地はトリタクーパ(Tritakūpa)と呼ばれるようになった。 章末では、清浄を保ってこのティールタ(tīrtha)で沐浴すること、ピトリ・タルパナ(pitṛ-tarpaṇa)を行うこと、そして胡麻(tila)を黄金とともに施すことが称賛される。ここはアグニシュヴァッタやバルヒシャドを含む祖霊(pitṛ)に愛され、ただ拝見するだけでも生涯の罪が滅すると説かれ、巡礼者に福祉のための沐浴が勧められる。

36 verses

Adhyaya 258

Adhyaya 258

शशापानतीर्थप्रादुर्भावः (Origin of the Śaśāpāna Tīrtha) / The Emergence of Shashapana Tirtha

イーシュヴァラはデーヴィーに、記憶される「シャシャーパーナ」の地の南にある、罪を滅するティールタの起源を語る。海の攪拌によって神々がアムリタを得たのち、その雫が夥しく地上に落ちた。渇いた兎(śaśaka)が水に入り、その水溜まりがアムリタに浸されていたため、兎はその霊水と結びつき、非凡な境地を得る。 人間が落ちたアムリタを飲んで不死となることを恐れ、神々は不安のうちに思案する。狩人の攻撃で傷つき動けなくなった月(ニシャーナータ/チャンドラ)はアムリタを求め、神々は「多くのアムリタがそこに落ちた」として、その水溜まりの水を飲むよう導く。チャンドラは「兎とともに」その水を飲み、養われて光輝を増し、兎もまたアムリタに触れた徴として目に見える形で残る。 その後、神々が干上がった盆地を掘り起こすと再び水が湧き、チャンドラが兎に結びつく水を飲んだことから、その地は「シャシャーパーナ(兎とともに/兎を介して飲む)」と名づけられる。章末の功徳説(phalaśruti)では、ここで沐浴する信者はマヘーシュヴァラに連なる最高の帰趣を得、バラモンに食を施す者はあらゆる祭祀の果報を得るという。さらに後にサラスヴァティーがヴァダヴァーグニとともに来臨してティールタをいっそう清め、全力で沐浴すべきとの教えを重ねて示す。

25 verses

Adhyaya 259

Adhyaya 259

पर्णादित्यमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Parnāditya (Sun Shrine) on the Prācī Sarasvatī

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィーに授ける教えとして語られ、巡礼者をプラーチー・サラスヴァティー(Prācī Sarasvatī)北岸の太陽神聖所「パルナーディティヤ(Parnāditya)」へと導く。続いて回想譚が述べられる。トレーター・ユガ(Tretā-yuga)に、パルナーダ(Parnāda)という名のバラモンがプラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)に来て、昼夜絶えぬ信愛をもって厳しい苦行(tapas)を行った。 彼は香、花鬘、塗香などを供え、ヴェーダにかなう讃歌と賛嘆によってスーリヤ(Sūrya)を礼拝する。満悦した太陽神は顕現して恩寵を申し出る。信者は第一に、神の直接の臨在を拝する稀有のダルシャナ(darśana)を願い、第二に、太陽神がその地に永く鎮座することを請う。スーリヤはこれを許し、太陽界への到達を約して退く。 章末は巡礼の作法と功徳(phala)を示す。バードラパダ月(Bhādrapada)の第六日(ṣaṣṭhī)に沐浴し、パルナーディティヤを拝観すれば苦患を防ぐという。そのダルシャナの功徳は、プラヤーガ(Prayāga)で正しく百頭の牛を施す果報に等しいとされる。さらに、重い病に苦しみながらパルナーディティヤを知らぬ者は分別を欠くと描かれ、知に裏打ちされた巡礼と信愛の大切さが強調される。

12 verses

Adhyaya 260

Adhyaya 260

Siddheśvara-māhātmya (Glorification of Siddheśvara)

イーシュヴァラ(シヴァ)はデーヴィーに語り、当地の西方に在す至高の神相シッデーシュヴァラ(Siddheśvara)へ向かうよう導く。そこは本来、神聖なる成就者シッダ(siddha)たちによって स्थापित(建立)された霊地であり、彼らはあらゆる事業におけるシッディ(siddhi)成就を願って、リンガ(liṅga)を灌頂し奉安して供養した。 彼らの激しいタパス(tapas、苦行)を見たシヴァは歓喜し、アニマー(aṇimā)をはじめとする種々の超常の力とアイシュヴァリヤ(aiśvarya、自在の威徳)を授け、さらにその地に常住して近く臨在する(nitya-sānidhya)と宣言する。 また時日の教えとして、チャイトラ月(Caitra)の白分第十四日(śukla-caturdaśī)にその地でシヴァを礼拝する者は、シヴァの恩寵により最高の境地に至ると説かれる。物語の末にシヴァは姿を隠すが、シッダたちは礼拝を続け、シッデーシュヴァラへの篤い帰依は驚くべき成就と望む果報をもたらすゆえ、常に敬い奉るべしと勧められる。

8 verses

Adhyaya 261

Adhyaya 261

न्यंकुमतीमाहात्म्यवर्णनम् | Nyankumatī River Māhātmya (Glorification of the Nyankumatī)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに説く神学的教説として語られ、彼女をニャンクマティー河(Nyankumatī)へと導く。そこは、聖域の鎮静(kṣetra-śānti)のために、シャンブ(Śambhu)が聖なる「マリヤーダー」(maryādā:境界と秩序)のもとに定めた川であると述べられる。 続いて、あらゆる罪を滅する力をもつ南方の霊地が示され、正しい沐浴(snāna)の後にシュラーダ(śrāddha)を行えば、祖霊が地獄的境遇から解放されると説かれる。 さらに暦の規定として、ヴァイシャーカ月(Vaiśākha)の白分(明半月)・第三日(śukla-tṛtīyā)に沐浴し、胡麻、ダルバ草(darbha)、水をもってタルパナ(tarpaṇa)を捧げるべきだとする。そのシュラーダはガンガー(Gaṅgā)での施行に等しい功徳を得ると讃えられ、聖地の地理、儀礼の正確さ、祖先救済の果報を一つに結ぶ簡潔なティールタ作法となっている。

4 verses

Adhyaya 262

Adhyaya 262

वराहस्वामिमाहात्म्यवर्णनम् (Varāha Svāmī Māhātmya—Account of the Glory of Varāha Svāmī)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィー(Mahādevī)に授ける簡潔な神学的教示として語られる。教えは巡礼の道案内と儀礼の指針を兼ね、ゴーシュパダ(Goṣpada)の南にあるヴァラーハ・スヴァーミー(Varāha Svāmī)の聖祠へ赴くべきこと、そこが「pāpa-praṇāśana(罪の滅尽の地)」として称えられることを示す。 さらに、功徳が最も顕著となる時日として、白分(śukla pakṣa)のエーカーダシー(Ekādaśī)にプージャー(pūjā)を行うことが勧められる。果報(phalāśruti)は明確で、信奉者は一切のpāpaka(罪垢)から解放され、「ヴィシュヌ・パダ(Viṣṇu-pada)」すなわちヴィシュヌに結びつく救済の境地に至ると説かれ、場所・時・行為・果を一つに結ぶ章となっている。

3 verses

Adhyaya 263

Adhyaya 263

छायालिङ्गमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Chāyā-liṅga (Shadow Liṅga)

本章では、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに語り、チャーヤー・リンガ(Chāyā-liṅga、影のリンガ)と呼ばれる特別なリンガへ注意を向けさせる。聖地はニャンク(ム)アティー(Nyanku(m)atī)の北方にあると方位で示され、聖性が辿り得る地理の中に刻まれる。 内容はマーハートミヤ(māhātmya)の定型に従い、(1)聖所の名と所在を明かし、(2)その比類なき霊験と「大いなる果報」を宣言し、(3)信者がダールシャナ(darśana、敬虔なる拝観)を得てリンガを拝すれば浄化されると説く。さらに対照として、重い罪業に覆われた者はそれを見得ないとされ、見えること自体が儀礼であると同時に道徳的・霊的な資格であることが示される。 末尾のコロフォンは、本章が『スカンダ・プラーナ』(Skanda Purāṇa)のプラバーサ・カーンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)およびプラバーサ聖域マーハートミヤ(Prabhāsakṣetra-māhātmya)の連なりに属し、「チャーヤー・リンガのマーハートミヤ」の叙述であると記す。

3 verses

Adhyaya 264

Adhyaya 264

नंदिनीगुफामाहात्म्यवर्णनम् / The Māhātmya (Sacred Account) of Nandinī Cave

本章は、イーシュヴァラとデーヴィーによる簡潔なシヴァ派の対話として語られ、イーシュヴァラはプラバーサ・クシェートラにあるナンディニーの洞窟を、本来的に浄化力を備え罪障を滅する場(pātaka-nāśinī)として説く。そこは功徳あるリシ(ṛṣi)やシッダ(siddha)たちの住処・集会所とされ、この区分の儀礼的聖地の中で特に聖別された地点として位置づけられる。 教えの中心はダルシャナ(darśana、聖なる拝観)にある。そこへ赴き洞窟を拝する者は一切の罪から解放され、贖罪と自制の誓戒として知られるチャンドラーイヤナ(Cāndrāyaṇa)を修したのと同等の果報を得るという。ゆえに本章は、聖地の特定、成就者との結びつきによる聖性の保証、そして巡礼拝観を正式な懺悔儀礼に等置する果報宣説(phalāśruti)を示す。

3 verses

Adhyaya 265

Adhyaya 265

कनकनन्दामाहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Goddess Kanakanandā)

本章は、簡潔なシヴァ派・シャークタ派(Śaiva-Śākta)的教示として語られる。主イーシュヴァラ(Īśvara)はマハーデーヴィーに告げ、イーシャーニャ方(Īśānya、北東)に鎮まる女神カナカナンダー(Kanakanandā)の聖地へと注意を向けさせる。 内容は巡礼の行程と作法に即しており、祠の所在を示し、女神を「一切の願いの果を授ける者」(sarva-kāma-phala-pradā)として讃える。さらに、チャイトラ月(Caitra)の白分第三日(Śukla tṛtīyā)に、規定に従って(vidhānataḥ)ヤートラー(yātrā)を行うべきことが定められる。 主題は、場所(kṣetra)・時(tithi/māsa)・規範にかなう信修(vidhi)を結び合わせるというプラーナ的統合であり、巡礼実践の倫理的指針となる。果報(phalāśruti)は明確で、正しく行じる巡礼者は所願成就(sarva-kāma-avāpti)を得ると説かれる。

3 verses

Adhyaya 266

Adhyaya 266

Kumbhīśvara Māhātmya (कुम्भीश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Kumbhīśvara

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィーに授ける教えとして語られ、シャラバスターナ(Śarabhasthāna)の東方ほど近い地にある霊廟クンビーシュヴァラ(Kumbhīśvara)へと注意を向けさせる。そこは「比類なき」聖所と讃えられ、プラバーサ(Prabhāsa)の巡礼地の網の目の中に位置づけられて、その地勢と意義が示される。 続いて簡潔な果報(phalaśruti)が述べられる。すなわち、クンビーシュヴァラをただ拝観すること(darśana)だけで、人は一切の罪(sarva-pātaka)から解き放たれるという。聖なる地理が、浄化と解脱へ導く倫理的・儀礼的な道として提示されている。 末尾の奥書は、本章が八万一千頌から成る『スカンダ・マハープラーナ』(Skanda Mahāpurāṇa)のプラバーサ・カンダ、第一「プラバーサクシェートラ・マーハートミャ」に属し、第266章であることを明記する。

2 verses

Adhyaya 267

Adhyaya 267

गङ्गापथ-गङ्गेश्वर-माहात्म्यवर्णनम् | Glory of Gaṅgāpatha and Gaṅgeśvara

第267章は、シヴァ派の対話の中に織り込まれた簡潔なティールタ(聖地)教示である。イーシュヴァラはデーヴィーに語り、聖地「ガンガーパタ(Gaṅgāpatha)」へと注意を向けさせる。そこには大いなる流れのガンガーがあり、シヴァの顕現として「ガンゲーシュヴァラ(Gaṅgeśvara)」が鎮まると説かれる。 ガンガーは「海へ赴く者」(samudragāminī)、「罪を滅する者」(pāpanāśinī)として讃えられ、地上では「ウッターナー(Uttānā)」の名で名高く、三界を飾るものとされる。行法として、そこで沐浴し、ガンゲーシャ(Gaṅgeśa)を礼拝供養すべきことが示される。果報(phalaśruti)によれば、信者は重罪から解放され、無数のアシュヴァメーダ(Aśvamedha)に等しい功徳を得る。末尾の奥書は、本章が『スカンダ・マハープラーナ』プラバーサ・カンダ、プラバーサ聖域讃(Prabhāsakṣetramāhātmya)に属し、ガンガーパタとガンゲーシュヴァラの功徳を述べることを示す。

4 verses

Adhyaya 268

Adhyaya 268

चमसोद्भेदमाहात्म्य (Camasodbheda Māhātmya: The Glory of the Camasodbheda Tīrtha)

このアドヒヤーヤでは、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに語り、巡礼者を「チャマソードベーダ」(Camasodbheda)という卓越したティールタ(聖地)へ導く。地名の由来として、ブラフマー(Brahmā)が長期のサトラ(satra、延長された祭式)を修し、デーヴァたちと大リシたちが「チャマス」(camas、儀礼の杯)でソーマ(soma)を飲んだため、地上でこの地がCamasodbhedaと呼ばれるようになったと説かれる。 続いて儀礼の順序が示される。まずこの聖地に結びつくサラスヴァティー(Sarasvatī)で沐浴し、その後、祖霊に捧げるピンダダーナ(piṇḍadāna)を行う。得られる功徳(phalavāda)は「ガヤー一倶胝に等しい」(gayā-koṭi-guṇa)と讃えられ、とりわけヴァイシャーカ月(Vaiśākha)が最上の時節として強調される。章末には、Prabhāsa KhaṇḍaおよびPrabhāsakṣetramāhātmyaに属することを示すコロフォンが置かれる。

4 verses

Adhyaya 269

Adhyaya 269

विदुराश्रम-माहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Vidura’s Hermitage)

本章では、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィーに語り、重要な聖地としてヴィドゥラの大アーシュラマへ注意を向けさせる。そこでは、法そのものの化身(dharmamūrtimān)と称されるヴィドゥラが、「ラウドラ(raudra)」の相を帯びた苛烈な苦行を修したと説かれる。 この地の神聖さは、シヴァ派の根本行為である、トリブヴァネーシュヴァラ(Tribhuvaneśvara)と名づけられたマハーデーヴァ・リンガの建立・安置(pratiṣṭhā)に結びつけられる。信者がそのリンガをダルシャナ(darśana)すれば、望む成就を得、罪の鎮静(pāpopaśānti)にも至るという。さらにこの地はヴィドゥラーッターラカ(Vidurāṭṭālaka)と呼ばれ、ガナやガンダルヴァに随侍される「十二の聖所」(dvādaśasthānaka)の複合聖域で、大いなる功徳なくして到達し難い。加えて雨が降らないという特異な徴が、その卓越したクシェートラ性を示す。

5 verses

Adhyaya 270

Adhyaya 270

Prācī Sarasvatī–Maṅkīśvara Māhātmya (प्राचीसरस्वतीमंकीश्वरमाहात्म्य)

本章はシヴァ派の神学的説示として構成され、自在天イーシュヴァラ(シヴァ)が女神デーヴィーに、プラーチー・サラスヴァティー河の流れゆく地に鎮座するリンガ、すなわちマンキーシュヴァラについて教示する。前半は起源譚である。苦行者の聖仙マンカナカは、節制した食と学修を守りつつ長くタパスを修めるが、手から偶然、植物の樹液のような液が滲み出たのを見て、非凡なシッディを得たと誤認し、歓喜して舞い踊る。その舞は宇宙を揺るがし—山々は移り、海はかき乱され、河は流路を変え、天体は配列を失う—ため、インドラをはじめブラフマーとヴィシュヌを伴う神々は、三城破壊者トリプラーンタカ(シヴァ)に鎮めを請う。シヴァはバラモンの姿で近づき事情を問い、拇指から聖灰を生じさせるという、より勝れた奇瑞を示して苦行者の思い上がりを正し、秩序を回復する。マンカナカはシヴァの至上を悟り、「この出来事でタパスが損なわれぬように」と願うと、シヴァはむしろタパスの増進を許し、その地に恒久の臨在を定める。 後半はティールタの作法(tīrtha-vidhi)と功徳の宣説(phalaśruti)へ移る。プラーチー・サラスヴァティーは殊勝の功徳をもつ聖河として讃えられ、とりわけプラバ―サにおいて卓絶すると説かれる。北岸での死は再来を断つ(本文の救済的語りの中で)とされ、アシュヴァメーダに比すべき大いなる功徳を得るという。規定と果報が列挙され、戒律を守って沐浴すれば最高のシッディと梵天の最上位に至り、わずかな黄金でも相応しいバラモンに施せばメール山に等しい果を生む。シュラッダは多世代に益し、ピンダ供養とタルパナを一度行うだけでも祖霊を不利な境遇から引き上げ、食施(anna-dāna)はモークシャへの道と結び付けられる。凝乳や毛織の覆いなどの施与にはそれぞれ特定のローカ到達が説かれ、不浄を除くための沐浴は牛施(go-dāna)の果に等しいとされる。さらに黒分(kṛṣṇa-pakṣa)十四日(caturdaśī)の沐浴が重視され、この河は功徳なき者には稀で近づき難いと述べ、クルクシェートラ、プラバ―サ、プシュカルも言及される。結びに、シヴァは臨在を स्थापितして退き、ヴィシュヌの言として、ダルマの子に他の名高いティールタよりもプラーチー・サラスヴァティーを選ぶべしと勧める一偈が挿入される。

47 verses

Adhyaya 271

Adhyaya 271

Jvāleśvara Māhātmya (ज्वालेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of the Jvāleśvara Liṅga

本章は、プラバーサ(Prabhāsa)の中心聖域の近くに鎮座する「ジュヴァーレーシュヴァラ(Jvāleśvara)」というリンガの由来を説く。イーシュヴァラ(シヴァ)は、トリプラを滅した者トリプラーリ(Tripurāri)としてのシヴァに結びつくパーシュパタの武器(Pāśupata、śara/astra の神威)が、まさにその地点に投下され、燃え立つ光輝の力として顕れたゆえに、このリンガが「ジュヴァーレーシュヴァラ」と記憶されるのだと語る。 物語は、神話的な戦いと神学の出来事を、恒久の礼拝標識へと結びつけ、神話を聖地の地理へと転じさせる。実践の教えは簡潔で、ただこのリンガをダルシャナ(darśana、敬虔なる拝観)するだけで清浄が得られ、人は一切の罪(pāpaka)から解き放たれるという。章の冒頭と結びは、これが『スカンダ・マハープラーナ』のプラバーサ・カーンダ、第一のプラバーサクシェートラ・マーハートミヤに属し、正式に第271章であることを示す。

3 verses

Adhyaya 272

Adhyaya 272

त्रिपुरलिंगत्रयमाहात्म्यम् | The Māhātmya of the Three Tripura Liṅgas

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)による神学的説示として語られる。巡礼者に対し、同じ聖域のうち、女神の御前(devyāḥ saṃnidhi)に近い東方(prācī)の地点を拝観するよう導く。そこには三つのリンガ(liṅga-traya)があり、「大いなる心」をもつトリプラの者たち—ヴィディユンマーリー(Vidyunmālī)、ターラカ(Tāraka)、カポーラ(Kapola)—に属すると示される。 教えの要は、方位と場所(東方)、聖所の同定(三リンガ)、そして倫理・儀礼的な果報を結びつける点にある。すなわち、安置されたリンガをただダルシャナ(darśana)として拝見するだけで、罪(pāpa)から解き放たれる(pāpaiḥ pramucyate)と説く。結語(コロフォン)は、本章が八万一千頌から成る『スカンダ・マハープラーナ』のうち、第七プラバーサ・カーンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)、第一部「Prabhāsakṣetramāhātmya」に属し、題目を「トリプラ三リンガのマーハートミャ」と記す。

3 verses

Adhyaya 273

Adhyaya 273

शंडतीर्थ-उत्पत्ति तथा कपालमोचन-लिङ्गमाहात्म्य (Origin of Śaṇḍa-tīrtha and the Kapālamocana Liṅga)

イーシュヴァラ(シヴァ)はデーヴィーに語り、Śaṇḍa-tīrtha に心を向けよと示す。そこは比類なき霊地であり、あらゆる罪を鎮め、望む果報を授けるという。続いて由来譚が説かれる。昔、ブラフマーは五つの頭を有していたが、ある因縁によりイーシュヴァラがその一つを断ち、流れた血と諸々の異瑞が土地を聖別し、巨大な椰子(パルミラ)が生い茂って、椰子林として記憶されるようになった。 その後、頭蓋(kapāla)がイーシュヴァラの手に付着し、御身と乗牛ナンディンの身体は黒ずんだ。過失を憂えて巡礼するも、どこでも重荷は除かれず、ついにプラバーサ(Prabhāsa)に至り、東面するサラスヴァティーを拝する。ナンディンが沐浴すると即座に白くなり、同時にイーシュヴァラも殺害の罪(hatyā)から解放される。その瞬間、kapāla は手から落ち、そこに「カパーラモーチャナ」リンガの霊験が स्थापितされた。 さらに本章は、プラーチー・デーヴィー(サラスヴァティー)近くでの śrāddha 供養を定め、祖霊が広く満足すると説く。とりわけĀśvayuja 月の暗半(Kṛṣṇa-pakṣa)十四日(Caturdaśī)に、作法を守り、相応しい受者を選び、食物・黄金・凝乳・毛布などを施すなら功徳は大きい。Śaṇḍa-tīrtha の名は、牛が白く変じた出来事に基づくと明かされる。

13 verses

Adhyaya 274

Adhyaya 274

Sūryaprācī-māhātmya (Glory of Sūryaprācī)

本章は、プラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)における一つのティールタ(tīrtha)について、簡潔に教示する。イーシュヴァラ(Īśvara)はマハーデーヴィー(Mahādevī)に語り、彼女に—ひいては巡礼者に—光り輝き大いなる霊験をもつスーリヤプラーチー(Sūryaprācī)へ進むよう導く。 この聖地は「一切の罪を鎮める」浄化の場として讃えられ、また規律ある巡礼というプラーナ的倫理のもとで、正当な願いの果報を授ける場所とも説かれる。要となる儀礼はティールタでの沐浴(snāna)であり、その功徳として pañca-pātaka(五大重罪)からの解放が約束される。章末の記載は、これが『スカンダ・マハープラーナ』(Skanda Mahāpurāṇa)プラバーサ・カンダの「スーリヤプラーチーのマーハートミャ(māhātmya)」であることを示す。

3 verses

Adhyaya 275

Adhyaya 275

त्रिनेत्रेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Trinetreśvara (Three-Eyed Śiva)

本章は、Ṛṣi-tīrtha 近くのティールタに結びつく、三つの眼をもつシヴァの相トリネートレーシュヴァラ(Trinetreśvara)の霊地と作法を簡潔に説く。イーシュヴァラはマハーデーヴィーに語り、巡礼者に対し、Nyanku-matī の河岸の北にある、古来リシたちが礼拝してきた場所で三眼の神に近づき奉拝せよと示す。そこは水が水晶のように澄み、魚のイメージに結びつく特異な水のしるしがティールタの特徴として語られる。 教義・儀礼上の要点は浄化であり、そこで沐浴すれば brahmahatyā(梵殺の大罪)という罪類から解放されると説かれる。さらに暦に基づくヴラタが定められ、Bhādrapada 月の暗半(kṛṣṇa-pakṣa)の第十四日(caturdaśī)には断食し、夜通しの覚醒(夜の守り)を行うべきだという。翌朝には śrāddha を修し、正しい次第に従ってシヴァを供養する。 果報偈(phalaśruti)は、如法に実践する者がルドラ界(Rudra-loka)に長く住する功徳を、定型的な巨大な期間で約束する。こうして本章は、ティールタ修行と誓戒・礼拝の正しい遂行を、死後の報いへと結びつけるシヴァ派の救済枠組みの中に位置づけている。

5 verses

Adhyaya 276

Adhyaya 276

Devikā-tīra Umāpati-māhātmya (देविकायामुमापतिमाहात्म्यवर्णनम्) — The Glory of Umāpati at the Devikā Riverbank

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに授ける教えとして、Ṛṣi-tīrtha へ向かう巡礼の歩みと、デーヴィカー(Devikā)河畔に結びつく至高の聖域(kṣetra)を説く。成就者の森 Mahāsiddhivana は、花咲く樹々と果樹の多様さ、鳥のさえずり、獣たち、洞窟と山々によって荘厳に描かれ、さらにデーヴァ、アスラ、シッダ、ヤクシャ、ガンダルヴァ、ナーガ、アプサラスが集う多種多界の大会衆へと広がる。彼らは讃嘆、舞踊、音楽、花雨、瞑想、歓喜の身振りをもって信愛(bhakti)を捧げ、この地を儀礼の聖なる景観として顕す。 ついでイーシュヴァラは、恒久の神聖な座として「ウマー・パティーシュヴァラ(Umāpatīśvara)」を示し、諸ユガ・諸カルパ・諸マンヴァンタラにわたり常住すると宣言し、デーヴィカーの吉祥なる岸への特別な愛着を語る。儀礼の時として、プシュヤ月の新月日(amāvāsyā)に śrāddha(祖霊供養)を行うことを定め、功徳説(phalāśruti)は供物の功徳が朽ちず、拝観(darśana)によって「千の brahmahatyā」を含む重罪さえ滅し得ると力強く述べる。さらに牛・土地・黄金・衣の布施(dāna)を勧め、ここで祖霊儀礼を行う者を殊勝の功徳者として讃える。末尾では、神々が沐浴のために集ったゆえに川は「Devikā」と呼ばれ、ゆえに pāpa-nāśinī(罪を滅するもの)であると語源を示す。

18 verses

Adhyaya 277

Adhyaya 277

Bhūdhara–Yajñavarāha Māhātmya (भूधरयज्ञवराहमाहात्म्य)

本章は、デーヴィカー河の岸にある聖地を示し、そこではブーダラ(Bhūdhara)を拝して参詣すべきこと、またその名が神話と祭式の理により説明されることを説く。大地を持ち上げた神なる猪ヴァラーハ(Varāha)が想起され、この地は長大なヤジュニャ(yajña、供犠)の寓意として解釈される。 続いて、ヴァラーハの身体をヴェーダ祭式の諸要素に対応させる称号が列挙される。ヴェーダは足、ユーパ(yūpa、祭柱)は牙、スルヴァ/スルチ(sruva/sruc)は口と面、アグニ(Agni)は舌、ダルバ草(darbha)は毛髪、ブラフマン(Brahman)は頭とされ、宇宙論とヤジュニャの構造が一体化して語られる。後半では、プシュヤ月、アマーヴァーシャー(新月)、エーカーダシー、季節の状況、そして太陽がカンヤー(Kanyā、乙女宮)へ入る時などの暦の標に基づき、祖霊ピトリ(Pitṛ)へのシュラーダ(śrāddha)の作法を規定する。ジャガリーを加えたパーヤサ(乳粥)とハヴィスを供え、祖霊を迎える浄化の祈請と、ギー、凝乳、乳など各食物のマントラを唱え、学識あるヴィプラを饗し、ピンダ供養(piṇḍa-dāna)を行う。功徳の宣言は、ここで正しく修したシュラーダが祖先を長い宇宙的期間満足させ、ガヤー(Gayā)へ赴かずともガヤー・シュラーダに等しい果報を与えるとして、この地の救済力を讃える。

13 verses

Adhyaya 278

Adhyaya 278

देविकामाहात्म्य–मूलस्थानमाहात्म्यवर्णनम् (Devikā Māhātmya and the Glory of Mūlasthāna/Sūryakṣetra)

本章はシヴァとデーヴィーの聖なる対話として展開する。イーシュヴァラは、デーヴィカー川の心地よい岸辺近くにある名高い霊地へ注意を向けさせ、そこがバースカラ(スーリヤ、太陽神)と結びつく場であると説く。デーヴィーは、ヴァールミーキがいかにして「シッダ(成就者)」となったのか、また七聖仙がなぜ奪われたのかを問う。 イーシュヴァラは、ブラーフマナの家系に生まれた男(物語枠ではヴァイシャーカ/ヴィシャーカと呼ばれる)が、老いた両親と家を養うため盗みに走った過去を語る。巡礼中の七聖仙に出会うと彼は脅して財を取ろうとするが、聖仙たちは泰然としている。そこでアンギラスは道徳的問いを投げかける――不義によって得た富の業(カルマ)の重荷を、誰が分かち合うのか。盗人が両親、さらに妻に尋ねても、彼らは罪の分担を拒み、「行為の果は行為者のみが受ける」という業の理を明言する。これが契機となり、彼は出離を志して懺悔し、暴力的な生から退く方法を求める。 七聖仙は四音節の真言「झाटघोट」を授け、師(グル)に随い一心にジャパすれば罪を滅し解脱をもたらすと示す。長きにわたる唱念と没入により彼は不動の境地に至り、時が過ぎて身体は蟻塚(ヴァルミーカ)に覆われる。聖仙たちが再来して蟻塚を掘り起こし、その成就を認めて「ヴァールミーキ」と名づけ、霊感に満ちた言葉によって『ラーマーヤナ』を著すと予告する。 続いて聖地の由来が確立される。ニンバ樹の根元には土地神としてスーリヤが住し、その地はスーリヤクシェートラ、またムーラスターnaと呼ばれる。巡礼の功徳として、沐浴(スナーナ)、胡麻水によるタルパナ、シュラーダによる祖霊の向上が説かれ、動物でさえ水に触れれば利益を得るという。さらに特定の暦日に行う儀礼が皮膚病の一部を和らげるとも述べられる。章末は、神のダルシャナとこの物語の聴聞が大きな過失を除く手段であると勧めて結ぶ。

80 verses

Adhyaya 279

Adhyaya 279

च्यवनादित्यमाहात्म्य—सूर्याष्टोत्तरशतनाम-माहात्म्यवर्णनम् (Cāvanāditya Māhātmya—The Glory of Sūrya’s 108 Names)

本章は、聖地の物語の中に礼拝儀礼の教えを織り込んだものである。イーシュヴァラはデーヴィーに語り、信者を、ヒラニヤー(Hiraṇyā)の東方にある尊き太陽の霊地「チャーヴァナールカ」(Cāvanārka)へと導く。そこは聖仙チャーヴァナ(Cyavana)によって स्थापितされたと説かれる。 そして月の第七日(サプタミー saptamī)に、清浄を保ち、定められた作法に従って一心にスーリヤ(Sūrya)を讃え、アシュトーッタラシャタ・ナーマ(aṣṭottaraśata-nāma)すなわち108の御名を誦することが規定される。長大な名号は、時間の単位(kalā、kāṣṭhā、muhūrta、pakṣa、māsa、ahorātra、saṃvatsara)、諸神(インドラ、ヴァルナ、ブラフマー、ルドラ、ヴィシュヌ、スカンダ、ヤマ)や、保持・発光・闇を払う・世界の主宰といった宇宙的機能によって、スーリヤの遍満性を示す。 さらに伝授の系譜が明かされる。賛歌はシャクラ(Śakra)が説き、ナーラダ(Nārada)が受け、ダウミヤ(Dhaumya)を経てユディシュティラ(Yudhiṣṭhira)に至り、彼は望む目的を成就したという。結びの功徳説(phalaśruti)は、日々—とりわけ日の出に—誦持すれば、富と宝玉、子孫、記憶と知性の増進、憂いの消滅、そして意願の成就が得られると、戒律ある信愛の正当な果として讃える。

22 verses

Adhyaya 280

Adhyaya 280

च्यवनेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Cyavaneśvara

第280章はシヴァとデーヴィーの聖なる対話であり、プラバーサ・クシェートラに鎮まるリンガ「チャヴァネーシュヴァラ」を紹介し、「sarva-pātaka-nāśana(あらゆる罪障を滅する者)」として讃える。続いて、バールガヴァ族の聖仙チャヴァナの由来が語られる。彼はプラバーサに来て厳しいタパスを修し、やがて「sthāṇu(柱のように)」不動となり、蟻塚や蔓草、蟻に覆われてしまう。 シャリヤーティ王は大勢の従者と娘スカンニャーを伴い巡礼に訪れる。仲間と歩くうち、スカンニャーは蟻塚に出会い、聖仙の眼を光る物と誤って棘で突き刺してしまう。チャヴァナの怒りは王軍への罰となって現れ、排泄機能の閉塞として描かれる重い苦患が起こり、原因究明と告白へと至る。スカンニャーが過ちを認め、王が赦しを乞うと、チャヴァナはスカンニャーを妻として与えることを条件に赦し、王は同意する。章末は、戒律と歓待と信愛をもって苦行の夫に仕えるスカンニャーの模範的奉仕を讃え、聖地の功徳を「責任・償い・誠実な奉仕」という倫理の教えへ結びつける。

36 verses

Adhyaya 281

Adhyaya 281

च्यवनेश्वर-माहात्म्यवर्णनम् (Chyavaneśvara Māhātmya—Narration of the Glory of Chyavana’s Lord/Shrine)

イーシュヴァラは、シャリヤーティ王の娘であり聖仙チャヴァナ(Cyavana)の妻であるスカンニャー(Sukanyā)を中心とする逸話を語る。天界の医神アシュヴィニー双神(Aśvinīkumāra、ナースティヤ)は森で彼女に出会い、その美貌を讃えつつ、老いたチャヴァナの無力さを挙げて夫を捨てるよう誘う。しかしスカンニャーは夫婦の貞節とダルマを堅く守り、きっぱりと拒む。 そこでアシュヴィンは救済策を示す。チャヴァナを若く端正な姿に回復させ、その後でスカンニャーが三者の中から夫を選べるようにするという。彼女が提案をチャヴァナに伝えると、聖仙は同意する。チャヴァナとアシュヴィンは儀礼の池(サラス)の水に入り、ほどなくして見分けがつかぬほど同じく若く輝く姿で現れる。スカンニャーは識別の智慧によって正しくチャヴァナを選び、正夫として定める。 満足したチャヴァナは、アシュヴィンの願いを叶えると約束する。彼らは、インドラに拒まれていたとされるソーマ飲用の資格と、ヤジュニャ(yajña)における供分の受領を求める。チャヴァナは聖仙の権威によりその権利を認め、アシュヴィンは喜んで去る。こうしてチャヴァナとスカンニャーは回復した家庭生活を享受し、貞節、ダルマにかなう癒やし、そして儀礼的地位を調停する聖者の力が示される。

26 verses

Adhyaya 282

Adhyaya 282

Chyavanena Nāsatyayajñabhāga-pratirodhaka-vajra-mocanodyata-śakra-nāśāya Kṛtyodbhava-Madonāma-mahāsurotpatti-varṇanam (Chyavaneśvara Māhātmya)

本章は、バールガヴァ系の聖仙チヤヴァナのアーシュラマにおいて起こる、祭式と神学をめぐる対立を語る。チヤヴァナが若々しい力と繁栄を取り戻したと聞いたシャリヤーティ王は、従者を伴って訪れ、厚く敬われて迎えられる。チヤヴァナは王のためにヤジュニャ(yajña)を執行すると申し出て、模範的な祭場が整えられる。 ソーマの分配の際、チヤヴァナはアシュヴィン双神(Aśvin/ナースティヤ)に捧げるソーマ・グラハを取る。インドラは、アシュヴィンは医師であり人間界を行き来する従者のような存在だから、他のデーヴァと同様にソーマを受ける資格はないと異議を唱える。チヤヴァナはこれを厳しく退け、アシュヴィンの神格と慈恵を確言し、警告にもかかわらず供献を続ける。インドラがヴァジュラで打とうとすると、チヤヴァナは苦行力(タパス)によってその腕を動かぬように封じる。 さらにチヤヴァナは真言による供物を行ってクリティヤー(kṛtyā)を生じさせ、タパスから「マダ(Mada)」と名づけられた恐るべき存在が現れる。宇宙を覆うほどの巨体として誇張され、世界を包む咆哮とともに、インドラを呑み込まんとして突進する。ここには、祭式における分配の権利、執行者の権威、そして神々の強圧が越えてはならぬ倫理的限界が、聖なる供犠の場において示される。

26 verses

Adhyaya 283

Adhyaya 283

च्यवनेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Chyavaneśvara (Glory of the Chyavana-installed Liṅga)

本章は、プラバーサ・クシェートラにおける「チヤヴァネーシュヴァラ」リンガの由来と、礼拝の規範を説く。イーシュヴァラの御言葉として語られ、対峙の場面では、シャクラ(インドラ)が恐るべき威容の前に怯え、バールガヴァの聖仙チヤヴァナが決断力ある苦行の権威として立ち現れる。 また、アシュヴィン双神とソーマの資格がチヤヴァナの行為によって定まったことを述べ、その成就は偶然ではなく、聖仙の威力を顕現(prakāśana)させ、スカンニヤーとその家系に不朽の名声を打ち立てるために配されたものだと強調する。チヤヴァナはこの森深い聖域でスカンニヤーと遊楽(vijahāra)し、自ら罪を滅するリンガを安置したとされる。 儀礼の教えは明確で、このリンガを正しく供養すれば、アシュヴァメーダに等しい果報を得る。さらに、ヴァイカーナサおよびヴァーラキリヤの聖者たちが訪れるチャンドラマス・ティールタを挙げ、満月日(pauṇamāsī)、とりわけアシュヴィン月には規定に従ってシュラーダを行い、ブラーフマナたちに別々に施食すべきことを説き、「コーティ・ティールタ」の功徳を得るとする。結びの功徳讃(phalaśruti)は、この罪滅ぼしの物語を聴聞する者が、幾度もの生にわたり積んだ罪から解き放たれると告げる。

15 verses

Adhyaya 284

Adhyaya 284

सुकन्यासरोमाहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Sukanyā-saras)

このアドヒヤーヤでは、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィーに語り、プラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)にある名高き湖、スカンニャー・サラス(Sukanyā-saras)へと注意を向けさせる。経は、スカンニャー、聖仙チャヤヴァナ(Cyavana)、そしてアシュヴィン双神(Aśvin twins)の周知の逸話をこの地に結びつけ、アシュヴィンたちがチャヤヴァナと共にここで沐浴し、ティールタの霊威によって変容が起こり、チャヤヴァナがアシュヴィンに比肩する姿を得たと説く。 さらに地名の由来が示される。湖での沐浴の功徳力(saras-snāna-prabhāva)によりスカンニャーの願いが成就したため、この湖は「カンヤー・サラス」(Kanyā-saras)として記憶されるのである。末尾にはファラシュルティ(phalaśruti)風の功徳説が続き、とりわけ女性がここで沐浴すること、特に月の第三日(tṛtīyā)に行うことが強調される。そこでは、長大な輪廻にわたり家の乱れから守られ、貧困・障害・失明を帯びた配偶者を避け得ると、ティールタ遵奉に結びつく伝統的な果報として語られる。

4 verses

Adhyaya 285

Adhyaya 285

अगस्त्याश्रम-गंगेश्वर-माहात्म्यवर्णनम् (Agastya’s Āśrama and the Glory of Gaṅgeśvara)

本章は、ティールタ巡礼の道行きの中に織り込まれた、シヴァとデーヴィーの神学的対話として語られる。イーシュヴァラはデーヴィーに、ニャンクー・マティー川とその聖なる結節点を示す。すなわち、名高いティールタ「ゴーシュパダ」でガヤー・シュラッダ(祖霊供養)を行い、ヴァラーハを拝観し、ハリの住処へ進み、母神群(マートリ)を敬い、川と海の合流点で沐浴するのである。 物語はさらに東へ移り、ニャンクー・マティーの心地よい岸辺にあるアガスティヤの神聖なアーシュラマへ至る。そこは明確に「飢えを除く所」(kṣudhā-hara)であり、罪を滅する地と称される。デーヴィーが、なぜヴァーターピが征服されたのか、何がアガスティヤの怒りを招いたのかを問うと、イーシュヴァラはイルヴァラとヴァーターピの逸話を語る。欺きの饗応によって二人の阿修羅の兄弟が婆羅門を幾度も殺し、婆羅門たちはアガスティヤに救護を求めたのである。 プラバーサにおいてアガスティヤは阿修羅に対峙し、牡羊の姿に調理されたヴァーターピを食して復活の策を断ち、イルヴァラを灰に帰す。さらに、取り戻され財宝に満ちたその地を婆羅門に与えたため、地名は「飢えの除去」と結び付けられる。だが魔を食すことは特別の不浄を生むとされ、アガスティヤを清めるためにガンガーが招かれ、そこに鎮座して「ガンゲーシュヴァラ」の霊廟が名づけられる。結びに、ガンゲーシュヴァラを拝し、沐浴(スナーナ)、布施(ダーナ)、誦念(ジャパ)を行えば、「禁じられた摂食」から生じる罪を解脱すると宣言され、聖地・儀礼・憶念による贖罪が強調される。

34 verses

Adhyaya 286

Adhyaya 286

बालार्कमाहात्म्यवर्णन (Bālārka Māhātmya — Account of the Glory of Bālārka)

本章は、プラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)巡礼の道行きの中で、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに授ける教えとして語られる。イーシュヴァラは巡礼者を、罪を滅する地(pāpa-nāśana)と讃えられるバラールカ(Bālārka)へ導き、それがアガスティヤ(Agastya)のアーシュラマ(āśrama)の北方、さほど遠くない所にあると示す。 続いて名の由来が説かれる。古の時代、太陽神アルカ(Arka)が「幼子/若き姿」(bāla)となってそこで苦行(tapas)を修したため、この地はバラールカと呼ばれるという。さらに日曜日(ravivāra)にダルシャナ(darśana)して拝する功徳(phala)が述べられ、拝観者はクシュタ(kuṣṭha:皮膚病の一類)に悩まされず、子どもが病から受ける苦しみも起こらないとされる。聖地の方位案内、名称神学、暦に結びつく健康の果報が一つにまとめられている。

4 verses

Adhyaya 287

Adhyaya 287

अजापालेश्वरीमाहात्म्यम् | Ajāpāleśvarī Māhātmya (Glory of Ajāpāleśvarī)

イーシュヴァラ(Īśvara)はデーヴィーに語り、アガスティヤの地(Agastya-sthāna)から遠くない所にある、きわめて吉祥なる霊場アジャーパーレーシュヴァリー(Ajāpāleśvarī)へ心を向けよと示す。この聖地は、罪を滅し病を鎮める力をもつ場として讃えられる。 物語は、その建立をラグ族(Raghu)の名高い王アジャーパラ(Ajāpāla)に帰し、王が女神を罪と病の除去者として篤く礼拝したことを述べる。由来譚として、王が「山羊の形」(ajā-rūpa)に喩えられる諸病の治めや軽減に関わり、ゆえに自らの名を冠して女神を安置し、罪を破する常住の威徳としたと説かれる。 章末の簡潔な果報説(phalaśruti)では、月の第三日(tṛtīyā)に正しい作法で信心をもって供養すれば、力・知恵・名声・学識・福運が得られるという。かくして本章は、聖地の位置、王の護持、そしてティティ(tithi)に基づく礼拝の時機を結び合わせた教示的マーハートミヤとなっている。

5 verses

Adhyaya 288

Adhyaya 288

बालार्कमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Bālārka (the ‘Child-Sun’ Shrine)

イーシュヴァラ(Śiva)は女神デーヴィーに語り、巡礼の道案内の形で、バ―ラーディティヤ/バ―ラールカ(Bālāditya/Bālārka)と呼ばれる聖地への行程を示す。そこはアガスティヤ(Agastya)の住処の東にあり、距離の目印(gavyūti)によって定められている。章はまた、サパーティカー(Sapāṭikā)に関わる地を含む周辺の地名や土地の特徴を挙げ、この社の名声を明らかにする。 続いて由来譚が説かれる。聖仙ヴィシュヴァーミトラ(Viśvāmitra)はこの地でヴィディヤー(Vidyā—聖なる学知)を礼拝し、三つのリンガを建立し、太陽神の相であるラヴィ(Ravi)を安置する。厳格なサーダナによって太陽よりシッディ(siddhi)を得たのち、神はバ―ラーディティヤ/バ―ラールカとして広く知られるようになる。 結びには明確な果報(phalaśruti)が示される。罪を奪い去る者と讃えられるこのバースカラ(Bhāskara)をダルシャナ(darśana)する人は、生ある限り貧困に悩まされないとされ、プラバーサ(Prabhāsa)巡礼における拝観の功徳が強調される。

6 verses

Adhyaya 289

Adhyaya 289

पातालगंगेश्वर–विश्वामित्रेश्वर–बालेश्वर लिङ्गत्रयमाहात्म्य (Glory of the Three Liṅgas: Pātāla-Gaṅgeśvara, Viśvāmitreśvara, and Bāleśvara)

このアディヤーヤでは、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに語り、南方の近い距離(gav-yūti の尺度)にある浄化の聖地を示す。そこにはガンガー(Gaṅgā)の顕現があり、pātāla-gāminī(地下界へと下り、または地下界と結ばれる流れ)と称され、さらに pāpa-nāśinī(罪を滅するもの)として明言される。 物語はこの地を大聖仙ヴィシュヴァーミトラ(Viśvāmitra)に結びつけ、彼が儀礼の沐浴(snāna)のためにガンガーを招来したと述べる。そこで沐浴する者は一切の罪から解放されるという。続いて三つのリンガ—ガンゲーシュヴァラ(Gaṅgeśvara)、ヴィシュヴァーミトレーシュヴァラ(Viśvāmitreśvara)、バーレーシュヴァラ(Bāleśvara)—の功徳が挙げられ、これらをダルシャナ(darśana:信心をもって拝観)すれば、望みが成就し目的が満たされると説かれる。

4 verses

Adhyaya 290

Adhyaya 290

Kuberanagarotpatti and Kubera-sthāpita Somanātha Māhātmya (Origin of Kuberanagara and the Glory of the Somanātha Liṅga Installed by Kubera)

本章はシヴァとデーヴィーの対話として語られる。シヴァは、かつてクベーラがダナダ(財宝の主)の位を得た「すぐれた」地に注意を向けさせる。デーヴィーは、いかにして一人のブラーフマナが盗人のような姿に堕しながら、のちにクベーラとなり得たのかと問う。シヴァは、プラバーサのニャンク・マティー河畔に住んだブラーフマナ、デーヴァシャルマンの前生を説く。彼は家の営みに執着したのち、貪欲ゆえに家を捨て富を求め、妻は徳に定まらぬ者として描かれる。逆縁のもとに生まれた子ドゥフサハは、やがて悪徳に染まり、世から見放される。 ドゥフサハはシヴァ寺院で盗みを企てるが、消えかけた灯火と芯に関わる行為によって、知らずして灯明供養(ディーパ・セーヴァ)に似た奉仕をなしてしまう。寺の奉仕者に見つかり恐れて逃げ、のちに衛兵の手で惨死する。彼はガンダーラにて悪名高い王スドゥルムカとして再生するが、なお倫理は損なわれつつも、家伝のリンガを真言なく習慣的に礼拝し、しばしば灯明を供える。狩猟の折、前世の薫習(プールヴァ・サンスカーラ)に導かれてプラバーサに至り、ニャンク・マティー河畔の戦いで討たれるが、シヴァ礼拝により罪は滅したと説かれる。 その後、彼は光輝あるヴァイシュラヴァナ(クベーラ)として生まれ、ニャンク・マティーの近くにリンガを建立し、マハーデーヴァに長大な讃歌(ストートラ)を捧げる。シヴァは顕現して、友誼、方位護持神(ディクパーラ)の位、そして財宝の主権を授け、その地がクベーラナガラとして名高くなると宣言する。西に स्थापितされたリンガはソーマナータ(ここではウーマーナータに結び付けられる)として記憶される。結びの果報説(パラシュルティ)では、シュリーパンチャミーに規定どおり礼拝すれば、七代にわたり揺るがぬラクシュミー(繁栄)を得ると説かれる。

41 verses

Adhyaya 291

Adhyaya 291

भद्रकालीमाहात्म्यवर्णनम् (Bhadrakālī Māhātmya Description)

本章は簡潔な神学的告知であり、イーシュヴァラが「カウベーラ・サンジュニャカ(Kaubera-sañjñaka)」と呼ばれる、クベーラの名に結び付く地の北方に、バドラカーリー(Bhadrakālī)の霊場があることを示す。バドラカーリーは、信者の望む目的を授ける者(vāñchitārtha-pradāyinī)として讃えられる。 また彼女は、ダクシャの祭祀(Dakṣa-yajña)を破壊する物語と明確に結び付けられ、ヴィーラバドラ(Vīrabhadra)を伴い、ダクシャの供犠を滅する働き手として描かれる。続いて暦に基づく指示が説かれ、チャイトラ月(Caitra)の第三月日(tṛtīyā)に女神を礼拝することが勧められる。 さらに果報(phala)として、チャームンダー(Cāmuṇḍā)の諸相を広く崇敬する者には、サウバ―ギャ(saubhāgya:吉運)、ヴィジャヤ(vijaya:勝利)、そしてラクシュミー(Lakṣmī:繁栄・福徳)の臨在が約束される。本章は、神話的権威を特定の場所と日取りに結び、物語の記憶を実践的な礼拝指針へと転化する、地域的な儀礼目録として機能している。

4 verses

Adhyaya 292

Adhyaya 292

भद्रकालीबालार्कमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Bhadrakālī and Bālārka (Solar Installation)

本章は、イーシュヴァラが、カウラヴァ・サンジュニャカ(Kaurava-sañjñaka)と呼ばれる地を越えた北方の一聖地について語る。そこにおいて女神バドラカーリー(Bhadrakālī)は厳しい苦行(tapas)を修し、その後、至上の信愛をもってラヴィ/スーリヤ(Ravi/Sūrya)を安置・建立した(saṃsthāpayāmāsa)。 また儀礼の時として、日曜日(ravivāra)と月の第七日(saptamī)が重なる日を示し、赤い花や赤い塗香・塗油などの供物を勧める。果報の宣説(phalāśruti)では、信愛による礼拝は「一倶胝の祭祀の果」(koṭi-yajña-phala)に等しい功徳を与え、ヴァータとピッタに由来する病やその他の重い病からの解放に結びつくと説かれる。 結びに、巡礼の功徳を円満に求める者は、その地で馬を施すアシュヴァ・ダーナ(aśva-dāna)を行うべきだと命じ、聖地礼拝・吉日遵守・布施が一体となる倫理的儀礼の道を示している。

5 verses

Adhyaya 293

Adhyaya 293

कुबेरस्थानोत्पत्तौ कुबेरमाहात्म्यवर्णनम् (Origin of Kubera’s Station and its Māhātmya)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)による神学的説示として構成され、クベーラに結びつく特定の聖所を説き明かす。「クベーラ・スターナ(Kubera-sthāna)」は聖域の図式においてナイリッティヤ(nairṛtya、南西)の方角に位置づけられ、クベーラがそこに自ら顕現して一切の貧窮を滅する者(sarva-dāridrya-nāśana)であると宣言される。 続いて、実践すべき信愛行が示される。パーンチャミーのティティ(pañcamī tithi)に、ガンダ(gandha、香)とプシュパ(puṣpa、花)とアヌレーパナ(anulepana、香油などの塗布)をもって礼拝せよ、と説く。その地はマカラ(makara)の象徴に結びつく八つのニダーナ(nidhāna、宝蔵・宝庫)で荘厳されていると描写される。 儀礼の時機・供物・場所に宿る神威を結び合わせ、ファラシュルティ(phalaśruti)は果報として、障りなく(nirvighna)比類なき財宝を得ること(nidhāna-prāpti)を約束する。ゆえに本章は、方位・クベーラの富の象徴・目的志向の功徳を一体として示す簡潔な聖地儀礼の章である。

3 verses

Adhyaya 294

Adhyaya 294

Ajogandheśvara-māhātmya (अजोगन्धेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Ajogandheśvara at Puṣkara

本章はシヴァとデーヴィーの対話として語られる。イーシュヴァラは、クベーラの方位の東にある聖なるプシュカラを示し、卓越したティールタ(聖地)であると説く。デーヴィーは、悪行をなし魚を殺す漁師(kaivarta)が、いかにして霊的成就を得たのかを詳しく尋ねる。 シヴァは過去の出来事を語る。寒いマーガ月、その漁師は濡れた漁網を携えてプシュカラの地に入り、蔓草や樹木に覆われたシヴァ派の寺院建築(プラーサーダ)を見た。暖を求めて楼上に登り、旗竿の頂に網を広げて日光で乾かしたが、昏迷・不注意のために落下し、シヴァのクシェートラ内で突然死した。やがて網は掛かったまま残り、寺の旗を縛るかのようにして吉祥となった。その「旗のマーハートミヤ」により、彼はアヴァンティの王として再生し、名をリタドヴァジャと称して統治し、広く旅し、王の歓楽を享受した。 後に前生を憶える者(jāti-smara)となった王は、プラバーサ・クシェートラへ帰り、アジョーガンダに関わる聖域を建立・修復し、クンダの近くに大リンガ「アジョーガンデーシュヴァラ」を安置し、長期にわたり信愛(バクティ)をもって礼拝した。さらに経文は巡礼の作法を示す。プシュカラ西方のクンダ(pāpataskara)で沐浴し、ブラフマーの古い祭祀を想起し、諸ティールタを招請し、アジョーガンデーシュヴァラ・リンガを安置・供養し、徳高いブラーフマナに黄金の蓮華を施すべし。果報の宣言(phalaśruti)によれば、香(gandha)・花・アクシャタをもって正しく礼拝する者は、七生にわたり積んだ罪さえ解脱すると説かれる。

19 verses

Adhyaya 295

Adhyaya 295

चन्द्रोदकतीर्थमाहात्म्य–इन्द्रेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Glory of Candrodaka Tīrtha and the Indreśvara Shrine)

イーシュヴァラはデーヴィーに、イーシャーナ(北東)方にある聖なる一帯を説く。gavyūtiで測られる距離に、月の池カンドラサラスとカンドローダカの水に結ばれた、すぐれたインドラの座(Indra-sthāna)があるという。その水は jarā(老い・衰え)と dāridrya(貧困)を和らげる霊験を持ち、ティールタの現れは月の満ち欠けに従って、月が満ちれば増し、欠ければ減るが、罪の世(pāpa-yuga)においてもなお感得できると語られる。 続いて果報(phala)の保証が示され、そこで沐浴することは決定的な贖罪であり、重い罪を負う者であっても多く思案せずに行えるとされる。さらに、アハリヤーの件とガウタマの呪いに結びつく重大な道徳的危機に対し、インドラがかつて豊かな布施を伴う礼拝を行い、シヴァを千年にわたり安置したことが回想される。その安置された御姿はインドレーシュヴァラと名づけられ、あらゆる過失を滅する者として讃えられる。 章末には巡礼の次第が述べられる。まずカンドラティールタで沐浴し、供物によって pitṛ(祖霊)と神々を満たし、インドレーシュヴァラを礼拝すれば、疑いなく罪より解き放たれる。

8 verses

Adhyaya 296

Adhyaya 296

ऋषितोयानदीमाहात्म्यवर्णन (Māhātmya of the Ṛṣitoyā River)

本章は、イーシュヴァラが聖地デーヴァクーラ(Devakula)について神学的に説示する。そこはアーグネーヤ(東南)の方角にあり、距離は gavyūti によって測られる。デーヴァクーラの霊威は、太古にデーヴァとリシたちが集会したこと、さらに先にリンガ(liṅga)が स्थापितされたことに基づき、その由来から権威ある名を得たと語られる。 続いて物語は西へ移り、賢者に愛される川「リシトーヤー」Ṛṣitoyā を讃える。彼女は一切の罪を洗い去るとされ、巡礼者が正しく沐浴し、ピトリ(pitṛ:祖霊)へ供養を行えば、祖先に長く満足をもたらすと説かれる。 また布施の規範として、アーシャーダ月(Āṣāḍha)の新月日に黄金・アジナ(ajina:獣皮)・カンバラ(kambala:毛布)を施すと、その功徳は満月まで増大し、最大で十六倍に至るという。結びの果報説(phalaśruti)は、この聖なる地勢における行いによって、七生にわたり積んだ罪さえも解脱されると宣言する。

8 verses

Adhyaya 297

Adhyaya 297

ऋषितोयामाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Ṛṣitoyā at Mahodaya)

デーヴィーはイーシュヴァラに、聖なる水「リシトーヤー(Ṛṣitoyā)」の起源と名声、そしてそれがいかにして吉祥なるデーヴァダールヴァナ(Devadāruvana)へ至ったのかを問う。イーシュヴァラは語る。多くの苦行のリシ(ṛṣi)たちは、土地の水が大河のように儀礼の歓喜をもたらさないことに不満を抱き、ブラフマローカ(Brahmaloka)へ赴いて、創造・維持・融解の主としてブラフマー(Brahmā)を讃嘆する讃歌を捧げた。 彼らが罪を滅し、灌頂沐浴(abhiṣeka)にふさわしい河を願うと、ブラフマーはガンガー(Gaṅgā)、ヤムナー(Yamunā)、サラスヴァティー(Sarasvatī)など具身の河神たちを見渡し、カマンダル(kamaṇḍalu)に集め、聖仙への慈悲によって地上へ放った。その水は地上で「Ṛṣitoyā」と呼ばれ、リシに愛され、あらゆる pāpa(罪垢)を除くと説かれる。やがてデーヴァダールヴァナに到り、ヴェーダに通じた賢者たちに導かれて海へと向かう。 本章はまた、Ṛṣitoyāが広く近づき得る一方で、マホーダヤ(Mahodaya)、マハーティールタ(Mahātīrtha)、ムーラチャーンディーイーシャ(Mūlacāṇḍīśa)近辺の三処では得難いことを示す。さらに、流れの時刻的同等(朝はガンガー、夕はヤムナー、正午はサラスヴァティー等)を掲げて沐浴とシュラッダ(śrāddha)の作法を整え、結びに簡潔な功徳(phala)として、罪を除き望む果を授けると述べる。

36 verses

Adhyaya 298

Adhyaya 298

गुप्तप्रयागमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Gupta-Prayāga (Hidden Prayāga)

本章は対話形式である。パールヴァティーは、サンガーレーシュヴァラの聖所近く、プラバーサの地において、ティールタの王プラヤーガと、ガンガー・ヤムナー・サラスヴァティーの三河がいかにして存在するのかを問いただす。イーシュヴァラは、かつてリンガに関わる出来事に連なる神々の大会で、数知れぬティールタが集まった折、プラヤーガがその中に身を隠したため「グプタ(秘された)」と呼ばれるようになった、と説く。 続いて聖地の地勢が詳述される。西にブラフマー・クンダ、東にヴァイシュナヴァ・クンダ、中央にルドラ/シヴァ・クンダという三つの主要沐浴池があり、第四の区域として「トリ・サンガマ」が示される。そこではガンガーとヤムナーが合流し、サラスヴァティーは微細で目に見えぬ流れとして両者の間に秘されると語られる。さらに暦に基づく時期と、段階的な浄化の理が示され、順次の沐浴が心・言葉・身体・関係・秘めた過失・付随の過失を除き、反復の沐浴とクンダ・アビシェーカが大いなる穢れをも洗い清めると讃えられる。 また、マートリ(母神たち)を供物で敬うこと、特にクリシュナ・パクシャのチャトゥルダシーに捧げて、多くの眷属による恐れを和らげるべきことが説かれる。祖霊供養(シュラッダ)は父系・母系双方の家系を高めると称えられ、巡礼者が旅の果報を全うするためには雄牛の施与が勧められる。結びの果報説(パラシュルティ)では、このマーハートミヤを聴聞し確信する者はシャンカラの住処へと導かれると述べられる。

34 verses

Adhyaya 299

Adhyaya 299

माधवमाहात्म्यवर्णनम् | Mādhava Māhātmya (Glorification of Mādhava at Prabhāsa)

イーシュヴァラは、プラバーサ(Prabhāsa)の聖域内でやや南に位置するマーダヴァ(Mādhava)の霊廟を説き、その御像が法螺貝・円盤・棍棒(śaṅkha-cakra-gadā)を執る相であることを示す。 本章は、白分(明半月)のエーカーダシーに行うべき厳正な行法を定める。すなわち、断食(upavāsa)し、諸根を制御し(jitendriya)、白檀や香、花、塗香をもって礼拝する者は、「最上の住処」—再生を離れる境地(apunarbhava)—に至ると説かれる。 さらに梵天(Brahmā)に帰せられる偈(gāthā)が証として挙げられ、ヴィシュヌクンダ(Viṣṇukuṇḍa)で沐浴しマーダヴァを礼拝することが、ハリ(Hari)が「ただ独り」現前する界への直道であり、究竟の帰依であると結ぶ。末尾の果報説では、このヴァイシュナヴァのマーハートミヤが一切の目的を成就させ、あらゆる罪を滅する、と簡潔に宣言される。

5 verses

Adhyaya 300

Adhyaya 300

संगालेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Sangāleśvara Māhātmya—Account of the Glory of Sangāleśvara)

本章は、プラバーサ・クシェートラの北方、ヴァーヤヴィヤ(北西)の方位にサンガーレーシュヴァラのリンガを安置し、明確に「一切の罪を滅するもの(sarva-pātaka-nāśana)」と讃える。イーシュヴァラは、ブラフマー、ヴィシュヌ、インドラ(シャクラ)および諸ローカパーラが、アーディティヤとヴァスと共にそこでリンガ供養を行ったことを語り、さらに、神々の集会が集まり礼拝を स्थापितしたゆえに、地上ではこの霊廟がサンガーレーシュヴァラと呼ばれるべきだと命名の由来を示す。 続いて功徳が列挙される。サンガーレーシュヴァラを礼拝する人は家系に繁栄を得、とりわけ貧困が退くとされ、ただダルシャナ(聖なる拝観)するだけでも、クルクシェートラで千頭の牛を施す果報に等しいという。さらに、アマーヴァーシャー(新月日)に沐浴し、怒りなくシュラーダ(śrāddha)を修すれば、祖霊が長く満足すると説く。 このクシェートラの範囲は周囲「半クロ―シャ」と定められ、願いを成就し罪を滅する地とされる。ここで命終する者は「上」でも「中」でも高き境地に至り、断食して死に至る者はパラメーシュヴァラに融け入ると語られる。暴死・事故死・自死・蛇咬・不浄のままの死など、儀礼上問題視される死であっても、この大福徳(mahāpuṇya)のティールタにおいてはアプナルバヴァ(再生なき境地)を得うると再解釈される。最後に、十六のシュラーダ、ヴリショーツァルガ、そしてブラーフマナへの正しい供食を解脱の縁として結び、結語の果報讃(phalaśruti)として、このマーハートミヤを聴聞すれば罪・憂い・悲嘆が除かれると締めくくる。

17 verses

Adhyaya 301

Adhyaya 301

Siddheśvara-māhātmya (Glory of Siddheśvara)

本章は、イーシュヴァラとデーヴィーの簡潔な神学的対話として構成され、プラバーサの聖地群の中でシッデーシュヴァラを最勝のリンガ所として位置づけ、その近接関係と方位を示す。続いてリンガ建立の由来が語られ、神々が速やかに「サンガーレーシュヴァラ」と名づけられたシヴァ・リンガを灌頂安置し、その後シッダたちの衆がシッデーシュヴァラを建立して、あらゆる成就を授ける者として讃嘆したと述べる。 シヴァの授与する恩寵として、来訪して規定に従い沐浴し、シッダナータを礼拝し、ジャパを修する者—とりわけシャタルドリーヤ、アゴーラ真言、そしてマヘーシュヴァラに捧げるガーヤトリー—は、六か月のうちにシッディとアニマー等の力を得るという。さらに暦による強調として、アーシュヴァユジャ月の暗半月チャトゥルダシーの大夜には、無畏で堅固な修行者が成功を得るとされる。結びのファラシュルティは、この物語が罪を滅し、あらゆる願いの果を授けると明言する。

11 verses

Adhyaya 302

Adhyaya 302

गन्धर्वेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Gandharveśvara—Account of the Shrine’s Glory

イーシュヴァラはデーヴィーに語り、また巡礼する読者をも導いて、プラバーサ・クシェートラにある名高い霊地「ガンダルヴェーシュヴァラ」へ進むよう命じる。本章は道しるべも示し、リンガは北方の区画(uttara-dik-bhāga)にあり、距離は五ダヌス(dhanus)であると説いて、聖域内の小さな行程として示す。 さらに、ダールシャナ(darśana:聖所を拝見すること)は身体の変容をもたらし、見た者は「ルーパヴァーン」(rūpavān)—美と魅力を備える者—となると述べられる。リンガはガンダルヴァたち(Gandharvas)によって स्थापितされたとされ、その由来が清浄に讃えられる。儀礼は簡潔でありながら完備しており、沐浴(snātvā)の後、正しく一度だけ供養・礼拝する(sampūjayet sakṛt)ことが勧められる。果報の宣説(phalaśruti)として、あらゆる願いの成就(sarvān kāmān avāpnoti)と、吉祥なる「ラクタカンタ」(raktakaṇṭha:赤き喉)の相を得ると約束される。

3 verses

Adhyaya 303

Adhyaya 303

Sangāleśvara–Uttareśvara Māhātmya (संगालेश्वरमाहात्म्य–उत्तरेश्वरमाहात्म्यवर्णनम्)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに告げ、北方へ進んで「最勝の神格」に至るべきことを説く。その礼拝は大罪(mahāpātaka)を滅するものとして讃えられる。さらに、その神格の西方に、シェーシャ(Śeṣa)を首とするナーガたちが厳しい苦行(tapas)の後に建立した、いっそう優れたリンガ(liṅga)があると示される。 主題は守護の信仰である。ナーガに崇敬されるその神を礼拝する者は、生涯にわたり毒の害を受けず、蛇たちも好意的となって害を加えないという。ゆえに人々は、そのリンガを力の限り供養し礼拝すべきだと勧められる。 終わりに、西方の功徳きわめて大なるガンガー(Gaṅgā)の河岸には、リシ(ṛṣi)たちが多くのリンガを安置したことが語られる。それらを拝観(darśana)し供養(pūjā)することは一切の罪を解き、千回のアシュヴァメーダ(Aśvamedha)祭に等しい功徳をもたらすと、果報讃(phalaśruti)として示される。

7 verses

Adhyaya 304

Adhyaya 304

गंगामाहात्म्यवर्णनम् (Gaṅgā-Māhātmya near Saṅgāleśvara)

本章は入れ子の対話として語られる。スータ(Sūta)が物語の枠を示し、イーシュヴァラ(Īśvara)がパールヴァティー(Pārvatī)に、プラバーサ(Prabhāsa)のサンガーレーシュヴァラ(Saṅgāleśvara)近くでガンガー女神(Gaṅgā、三道を行く者トリパタガーミニー Tripathagāminī)が現れる由来を説く。パールヴァティーは、ガンガーがいかにしてそこへ至ったのか、また三つ目の魚(trinetra-matsya)がいるのはなぜか、という二つの不思議を問う。 イーシュヴァラは因縁譚を語る。マハーデーヴァ(Mahādeva)に関わる呪詛の出来事に連なった仙人たちは悔悟し、サンガーレーシュヴァラにおいて厳しいタパス(tapas)と礼拝を続けた。その揺るがぬ信愛(bhakti)により、世のための示現(nidarśana)として「三つ目」の印が授けられる。喜んだシヴァ(Śiva)は、灌頂沐浴の儀(abhiṣeka)のためにガンガーを招く願いを許し、ガンガーは魚を伴ってただちに顕現する。仙人たちがそれを見たとき、魚たちもまた神の恩寵により「三つ目」となる。 さらに修行と果報が示される。このクンダ(kuṇḍa)で沐浴すれば五大罪(pañca-pātaka)から解放される。また新月日(amāvāsyā)に沐浴し、金・牛・衣・胡麻をバラモン(brāhmaṇa)に施す者は、シヴァの慈恩の象徴として「三つ目」となると説かれる。結びに、この物語を聴聞すること自体が功徳であり、望む果を授けると讃えられる。

35 verses

Adhyaya 305

Adhyaya 305

Nārada-Āditya Māhātmya (Glory of Nāradaāditya)

本章はシヴァとデーヴィーの神学的対話として構成され、まずプラバーサ地方に「ナーラダーディティヤ(Nāradaāditya)」と名づけられた太陽神の霊地があることを示し、その救済的効能として老い(jarā)と貧困(dāridrya)を除く力を説く。デーヴィーは、聖仙ナーラダがいかにして老いに悩まされ得たのかと問う。 シヴァはドヴァーラヴァティーでの出来事を語る。クリシュナの子サーンバ(Sāmba)が相応の敬意を示さず、ナーラダに戒められると、サーンバは苦行生活を批判し、怒りに任せてナーラダをjarāに従属させる呪いをかけた。苦しむナーラダは清浄で人里離れた地に退き、「あらゆる貧困を滅する者」と讃えられる美しいスーリヤ(Sūrya)像を安置し、太陽をヴェーダの姿(Ṛk/Sāman)、清らかな光、遍在する原因、闇を払う者として讃嘆するストートラを次々に捧げる。 満悦したスーリヤは顕現して恩寵を授け、ナーラダは若々しい身体を取り戻す。さらに公的利益として、日曜日が月の第七日(ravivāra-saptamī)に当たる日に太陽をダルシャナする者は、病への恐れから解放されると説かれる。章末は、この霊地が罪(pāpa)を滅する力を持つことを果報説(phalāśruti)として確証して締めくくる。

27 verses

Adhyaya 306

Adhyaya 306

सांबादित्यमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Sāmbāditya: Sāmba’s Sun-Worship at Prabhāsa)

イーシュヴァラは、プラバーサ(Prabhāsa)地方北部にある罪滅ぼしの霊地サーンバーディティヤ(Sāmbāditya)を中心に、地に根差した神学的説示を語る。伝承によれば、ジャーンバヴァティー(Jāmbavatī)の子サーンバ(Sāmba)は、父の怒りによる呪いを受け、救いを求めてヴィシュヌ(Viṣṇu)を礼拝する。ヴィシュヌは彼に、プラバーサ・クシェートラのうち、リシトーヤー(Ṛṣitoyā)川の美しい岸辺に近く、バラモンにより荘厳されたブラフマバ―ガ(Brahmabhāga)へ赴くよう命じ、そこで太陽神スーリヤ(Sūrya)として恩寵を授けると約束する。 サーンバは吉祥の地に到り、バー スカラ(Bhāskara)を多くの讃歌で称え、さらにナーラダ(Nārada)が苦行するリシトーヤーの岸へ導かれる。土地のバラモンたちはブラフマバ―ガの聖性を証し、彼の志を認めたため、サーンバは定期の礼拝とタパス(tapas)に励む。ヴィシュヌは神々の役割—ルドラ(Rudra)は主権を、ヴィシュヌは解脱(mokṣa)を、インドラ(Indra)は天界を与え、水・土・灰は浄化し、アグニ(Agni)は変容させ、ガネーシャ(Gaṇeśa)は障碍を除く—を省みて、ディヴァーカラ(Divākara)に固有の最高の賜物はアーローギャ(ārogya)、すなわち健康であると結ぶ。 古い呪いが通常の恩恵を妨げるため、ヴィシュヌはスーリヤとして顕現し、サーンバを清めて癩病(らい)から解放する。サーンバがその地への恒久の神臨を願うと、スーリヤはこれを許し、誓戒(vrata)を定める—サプタミー(Saptamī)が日曜日に当たるとき、断食し夜通し覚醒して礼拝せよ。経文は、信者の家系に癩病や罪に由来する病が起こらず、また信心の沐浴、日曜のサーンバーディティヤ礼拝、近くの罪滅ぼしのクンダ(kuṇḍa)でのシュラーダ(śrāddha)とバラモン供養により、健康・富・子孫・願望成就、そして太陽界スーリヤ・ローカ(Sūrya-loka)での名誉が得られると約束する。

30 verses

Adhyaya 307

Adhyaya 307

अपरनारायणमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Apara-Nārāyaṇa)

本章は、イーシュヴァラが、先に述べられたサーンバーディティヤより「やや東」にあるアパラ・ナーラーヤナという聖所(神の顕現)を説く。そこでは神格が太陽相のヴィシュヌとして示され、スーリヤはヴィシュヌの本体(Viṣṇu-svarūpa)であると語られる。主が衆生に恩寵を授けるため「別の/さらに先の」姿(apara)を取るゆえに、「アパラ」の名が生じたと明かされる。 続いて由来説明から実践規定へ移り、その地でプンダリーカークシャ(Puṇḍarīkākṣa)を作法どおり(vidhānataḥ)礼拝すべきこと、特にパールグナ月の白分(śukla)エーカーダシーに行うことが勧められる。果報の宣言は明確で、罪障の滅尽と、望む目的の悉皆成就が約束される。

5 verses

Adhyaya 308

Adhyaya 308

मूलचण्डीशोत्पत्तिमाहात्म्यवर्णनम् (Origin-Glory of Mūla-Caṇḍīśa and the Taptodaka Kuṇḍa)

本章でイーシュヴァラはデーヴィーに、ムーラ・チャンディーシャ(Mūla-Caṇḍīśa)と呼ばれるリンガが三界に名高くなった由来を語る。かつてデーヴァダーるヴァナにおいて、イーシュヴァラは挑発的な托鉢の苦行者(Ḍiṇḍi)に姿を変え、仙人たちを動揺させた。怒った仙人たちは呪詛を放ち、顕著なリンガは落下する。瑞相が失われたことに苦しむ仙人たちはブラフマーに導きを求め、クベーラのアーシュラマ近くで象の姿をとるルドラのもとへ行くよう命じられる。 道中、ガウリーは慈悲をもってゴーラサ(gōrasa、乳)を与え、優れた沐浴の場を整える。そこは湯のように温まる水に結びつき、タプトーダカ(Taptodaka)と名づけられ、疲労を除くとされる。やがて仙人たちはルドラに会い、讃嘆と謝罪によって和解し、衆生の安寧回復を願う。ルドラはこれを許し、リンガは再び高く掲げられ、再建立される(「ウンナタ=高く上げられた」の観念に連なる)。 さらに果報の宣説(phalāśruti)が示され、ムーラ・チャンディーシャを拝観(darśana)する功徳は大規模な水利事業をも凌ぐと説かれ、定められた布施(dāna)も勧められる。タプトーダカで沐浴してから礼拝することは、霊験と世俗的な王権の吉兆を授けるとプラーナ的語法で語られる。結びに、名の由来としてチャンディーシャは「チャンディーの主」、ムーラは「落下した場所の根本リンガ」であると明かし、サンガメーシュヴァラ、クンディカー、タプトーダカ等のティールタを列挙する。

69 verses

Adhyaya 309

Adhyaya 309

Caturmukha-Vināyaka Māhātmya (Glory of Four-Faced Vināyaka)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィー(Mahādevī)に授ける、儀礼と聖地案内を兼ねた簡潔な教示である。巡礼者は、尊きヴィナー ヤカの霊地「チャトゥルムカ(Caturmukha、四面)」へ赴くよう導かれ、その所在はチャンディーシャ(Caṇḍīśa)の北、イーシャーナ方位(Īśāna、北東の象限)へ四ダヌスの距離と明示される。 続いて礼拝の作法が説かれる。精進と慎み(prayatna)をもってプージャー(pūjā)を行い、香(gandha)、花(puṣpa)、食供(bhakṣya・bhojya)を捧げ、特にモーダカ(modaka)を供えるべきだという。さらに、月の第四日(caturthī)に礼拝することが成就(siddhi)をもたらし、障碍(vighna)を除いて、信仰の目的を円満に成し遂げさせると示される。

4 verses

Adhyaya 310

Adhyaya 310

कलंबेश्वरमाहात्म्य (Kalambeśvara Māhātmya) — The Glory of Kalambeśvara

本章はイーシュヴァラ(Īśvara)の御言葉として、プラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)におけるカランベーシュヴァラ(Kalambeśvara)霊廟の所在を示す。方位の標としてそれは vāyavya(北西)の区画にあり、距離は「弓二張分」(dhanus-dvitaya)と説かれ、聖なる地理の中に位置づけられる。 教えの中心は、聖地と行法の結びつきである。カランベーシュヴァラを darśana(拝観)し、pūjā(供養・礼拝)するだけで、あらゆる kilbiṣa(道徳的な穢れ)が清められ、ここは一切の罪を滅する者(sarva-pātaka-nāśana)として讃えられる。さらに、Somavāra(月曜日)と Amāvāsyā(新月日)が重なる時は、殊に功徳が増すと明示される。 儀礼に添えられる倫理の指針として、功徳の果を求める者は、もてなしによる dāna(布施)を行い、その地で vipra(バラモン)に bhojana(食事)を施すべきだと説く。章末は、プラバーサ・カーンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)の「プラバーサ・クシェートラ・マーハートミャ」中の「カランベーシュヴァラ・マーハートミャ」であると結語する。

3 verses

Adhyaya 311

Adhyaya 311

गोपालस्वामिहरिमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Gopāla-svāmin Hari)

本章は、神学的対話として示される簡潔な教示である。イーシュヴァラはマハーデーヴィーに、ハリ「ゴーパーラ・スヴァーミン」の聖祠へ赴くよう命じ、その所在を明確に示す。すなわち、チャンディーシャより東方へ、二十ダヌ(弓を基準とする度量)離れた所にあるという。 続いてプラーナ的定型により、その救済的功徳が説かれる。そこでのダルシャナ(拝観)とプージャー(供養)は一切の罪を鎮め、貧困の波を打ち砕く。とりわけマーガ月には礼拝が勧められ、プージャーとジャーガラナ(夜の徹夜の守夜)が明言される。これらを行う者は「至上の境地」(paraṃ padam)を得るとされ、聖祠は地理的な巡礼地であると同時に、規律ある信愛行の道として位置づけられる。

3 verses

Adhyaya 312

Adhyaya 312

Bakulsvāmi-Sūrya Māhātmya (बकुलस्वामिमाहात्म्यवर्णनम्) — The Glory of Bakulsvāmin as Sūrya

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)の説示として、聖地の所在と儀礼の規定を簡潔に示す。まず、スーリヤ(Sūrya)と同一視されるバクルスヴァーミン(Bakulsvāmin)の祠が北方の区域にあり、「八つの弓」の距離に位置すると述べ、その太陽の御姿をダルシャナ(darśana)することが憂いと苦患を滅する(duḥkha-nāśana)と讃える。 次に特別な行法が説かれる。日曜日(ravivāra)が太陰暦第七日(saptamī)と重なるとき、信者は夜通しの覚醒・徹夜の守り(jāgaraṇa)を行うべきである。得られる果報(phala)は、望みの成就と、スーリヤ界(Sūrya-loka)における名誉と高揚である。末尾の奥書は、これが『スカンダ・マハープラーナ』(Skanda Mahāpurāṇa)のプラバーサ・カーンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)、プラバーサ聖域功徳(Prabhāsakṣetramāhātmya)に属し、章名を「バクルスヴァーミン功徳譚」とすることを示す。

3 verses

Adhyaya 313

Adhyaya 313

उत्तरार्कमाहात्म्यवर्णनम् (Uttarārka Māhātmya—Description of the Glory of Uttarārka)

本章は、主宰神イーシュヴァラの御宣言(Īśvara uvāca)として権威ある神学的教示の形で語られ、プラバーサ・カーンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)に属する名指しの聖地支所「Uttarārka」を示す。そこは vāyavya(北西)の方位区画にあり、距離は十六 dhanu と明記される。叙述は規定的で、場所の特定・命名とともに、具体の修法を結びつける。 この地は「sadyah pratyaya-kāraka」、すなわち修行者に即時の確証をもたらす霊験の地として讃えられる。さらに、ニンバ(Neem)に関わる第七日の誓戒・儀礼である Nimba-saptamī を行えば、「あらゆる病からの解放」という果報が得られると説き、プラーナ文献に典型的な phalaśruti(功徳の宣示)として癒しと安寧を約束する。

2 verses

Adhyaya 314

Adhyaya 314

ऋषितीर्थसंगममाहात्म्यवर्णनम् (Glorification of the Ṛṣi-tīrtha Confluence)

イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに語りかける対話の中で、本章は海辺にある霊験あらたかな巡礼地「リシ・ティールタ(Ṛṣi-tīrtha)」を示す。そこはデーヴァクーラに関わる地域(devakulāgneiyyāṃ gavyūtyāṃ)に属し、至上の美と強い霊力を備えると讃えられる。特に、聖仙リシたちが石のような姿(pāṣāṇākṛtayaḥ)で現存し、人々が今なお「見る」ことができるとされ、この地が一切の罪を滅すると明言される。 続いて暦と作法が説かれる。ジェーシュタ月(Jyeṣṭha)の新月日アマーヴァーシャー(amāvāsyā)に、信敬(śraddhā)ある者は沐浴し、とりわけ祖霊への供養であるピンダ・ダーナ(piṇḍa-dāna)を行うべきである。リシトーヤ(Ṛṣitoya)の水の合流点での沐浴とシュラーダ(śrāddha)は稀有で大いなる功徳をもたらす行として称えられ、さらに牛の施与ゴー・プラダーナ(go-pradāna)と、力に応じたブラーフマナ(brāhmaṇa)への施食が勧められ、巡礼が布施と儀礼的もてなしに結びつけられる。

5 verses

Adhyaya 315

Adhyaya 315

मरुदार्यादेवीमाहात्म्यवर्णनम् (Mārudāryā Devī Māhātmya—Glorification of the Goddess Mārudāryā)

本章は、シヴァとデーヴィーの対話に織り込まれた、簡潔な聖地(kṣetra)指示である。イーシュヴァラはマハーデーヴィーに、西方へ半クロ―シャ(krośa)の距離にある光輝く地「マールダーリヤー(Mārudāryā)」へ赴くよう告げる。そこに坐す女神はマルット(Maruts)により礼拝され、「あらゆる望みの果」(sarva-kāma-phala)を授けると説かれる。 続いて教えは暦と作法へ移り、修行者はとりわけマハーナヴァミー(Mahānavamī)に、またサプタミー(Saptamī)にも、香や花などの供物(gandha-puṣpa-ādi)をもって慎み深く礼拝すべきことが示される。場所(どこ)・時(いつ)・方法(いかに)という三要素—聖なる地理、ヴラタの暦、プージャーの規定—を結び、所願成就と功徳獲得へ導く、統御された信愛の道が語られている。

3 verses

Adhyaya 316

Adhyaya 316

क्षेमादित्यमाहात्म्यवर्णनम् / The Māhātmya of Kṣemāditya (Solar Shrine of Welfare)

本章は簡潔なティールタ(聖地)案内であり、福祉の太陽神としての「クシェーマーディティヤ(Kṣemāditya)」の神像安置所を、デーヴァクラーラ(Devakula)との位置関係において示す。距離は pañca-gavyūti と測定され、聖域はシャンバラ・スターナ(Śambara-sthāna)の内または近辺にあると説かれる。 また、ダルシャナ(拝観)の功徳として、神を拝する者は kṣemārtha-siddhi――安寧と福利に向かう成就――を得ると宣言される。さらに時日の規定があり、月の第七日(saptamī)が日曜日(ravivāra)と重なる日にプージャー(pūjā)を行えば、それは sarva-kāma-da(諸願成就)であるとされる。結びに、この教えはデーヴァクラーラのティールタに根差す指示としてまとめられ、場所・作法・時機・果報が示される。

4 verses

Adhyaya 317

Adhyaya 317

कंटकशोषिणीमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Goddess Kaṇṭakaśoṣiṇī)

イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバーサの特定の聖地(方位の目印によって示される)に結びつく女神の起源を語る。清められた河岸には高徳のリシたちが集い、ヴェーダの大供犠(ヤジュニャ)を荘厳に執り行う。ヴェーダ誦唱の響き、儀礼音楽、香の薫り、供物、そして学識ある祭官たちが、場を神聖に満たしている。 そこへ幻力(マーヤー)に長けた強大なダイティヤが現れ、供犠を乱そうとして人々は恐怖に駆られ散り散りとなる。しかしアドヴァリュ(adhvaryu)は動じず儀礼を守り、護りの供献を行う。するとその聖なる行為から光輝くシャクティが顕現し、武具を帯びた威容で妨害者を滅ぼし、祭儀の秩序を回復する。 賢仙たちは女神を讃え、女神は恩寵(願いを叶える賜物)を授ける。彼らは苦行者と供犠の安寧のため、その地に永住して守護することを願い、女神は「カンタカショーシニー(Kaṇṭakaśoṣiṇī)」—「棘/苦厄を乾かし尽くす者」、すなわち害ある力を鎮める者—の名を受ける。章末には月の第八日または第九日に礼拝すべき作法が示され、羅刹(rākṣasa)やピシャーチャ(piśāca)への恐れから解放され、最高のシッディ(成就)を得ると説かれる。

24 verses

Adhyaya 318

Adhyaya 318

ब्रह्मेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Brahmeśvara Liṅga: Account of Its Sacred Efficacy

本章は、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)の地誌的叙述の中に挿入された、簡潔な神学的告知である。イーシュヴァラは、基準となる地点から「東方、ほど近い所」に、罪を滅し軽減する力(pāpa-kṣaya)を備えた霊験あらたかなリンガがあると説く。そのリンガはブラフメーシュヴァラ(Brahmeśvara)と名づけられ、ブラーフマナたちによって建立されたとされ、正統な安置・奉献(pratiṣṭhā)の系譜を示す。 儀礼の順序も示唆される。まず聖なる水場であるṚṣitoya-jalaにて沐浴し、その後にリンガを礼拝してプージャーを行うのである。得られる功徳は社会宗教的かつ認識的に語られ、礼拝者はヴェーダを知る者(veda-vid)となり、相応しいブラーフマナとなって、精神の鈍重・惰性であるjāḍya-bhāvaから解放される。かくして本章は、方位(東)、儀礼の次第(沐浴→礼拝)、そして浄罪と智慧の変容を告げる果報讃(phalaśruti)を結び合わせている。

3 verses

Adhyaya 319

Adhyaya 319

उन्नतस्थानमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Unnata-Sthāna (The ‘Elevated Place’)

イーシュヴァラとデーヴィーの対話において、シヴァはデーヴィーを Ṛṣitoyā 河の岸辺に近い北方の吉祥なる地へ導き、「ウンナタ(高き所)」と呼ばれる聖地を示す。デーヴィーはその名の語源、シヴァがブラーフマナたちにその地を「強いて」施与した事情、そして境界の広がりを問う。シヴァは「ウンナタ」と称される理由を重層的に説く――(i) マホーダヤにおいてリンガが「高く現れた」こと、(ii) プラバーサに結びつく「高き門」の存在、(iii) 仙人(ṛṣi)たちの卓越したタパスとヴィディヤーによってこの地が最上となったこと、である。 続いて物語が語られる。無数の苦行者が長きにわたり修行し、シヴァは托鉢僧として現れて見抜かれるが、ついには根本のリンガ、ムーラチャンディーシャのみが顕現する。そのダルシャナを得た者は天界へ昇り、さらに多くが集まる。するとインドラ(Śatakratu)がヴァジュラでリンガを覆い、他の仙人の拝観を妨げた。シヴァは怒れる仙人を鎮め、天界の無常を示し、火供(agnihotra)・祭祀(yajña)・祖霊供養(pitṛ-pūjā)・客人歓待・ヴェーダ学習が続く壮麗な居住地を受け入れるよう教え、命終に解脱を授けると恩寵を約す。 ヴィシュヴァカルマンが召されて造営に当たるが、在家者はリンガ直近の区域に恒常的に住むべきではないと告げる。そこでシヴァは Ṛṣitoyā 河畔のウンナタに建設を命じる。章は「ナグナハラ」を含む広い聖域を方位標と八ヨージャナの尺度で定め、カリ・ユガの守護を宣言する――マハーカーラは守護者、ウンナタはヴィグナラージャ/ガナナータとして富を授け、ドゥルガーディティヤは健康を授け、ブラフマーは諸目的と解脱を授ける。結びにスタラケーシュヴァラが स्थापितされ、ユガごとの社殿の描写と、マーガ月の月齢十四日に夜通しの覚醒(jāgara)を伴う特別な行が説かれる。

71 verses

Adhyaya 320

Adhyaya 320

लिंगद्वयमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of the Pair of Liṅgas

イーシュヴァラからデーヴィーへの神学的対話として、本章は聖域の南東近辺に、きわめて功徳の大きい一対のリンガ(liṅga)があることを示す。これらはヴィシュヴァカルマン(Viśvakarmā)の स्थापनाによるとされ、都市建設のためにトヴァシュトリ(Tvaṣṭṛ)が来臨した物語と結び付けられる。すなわち、まずマハーデーヴァ(Mahādeva)を安置し、その後に都が築かれ、リンガが(再) स्थापनाされることで、都市の秩序と聖なる象徴が相互に支え合うことが強調される。 続いて起源譚から実践の教示へ移り、あらゆる事業の始めと終わり(karmādau/karmānte)にこのリンガの対を礼拝すべきこと、とりわけ旅立ちや婚礼行列の場で行えば直ちに効験があることが説かれる。最後に、香り高い供物、甘露(amṛta)のごとき液体、種々のナイヴェーディヤ(naivedya)という供養の基準が示され、形式にとどまらぬ、慎みと意図を備えた帰依の倫理として位置づけられる。

6 verses

Adhyaya 321

Adhyaya 321

उन्नतस्थाने ब्रह्ममाहात्म्यवर्णनम् (The Glorification of Brahmā at Unnata-sthāna)

本章はシヴァとデーヴィーの対話として語られる。イーシュヴァラは、人々の罪を滅する秘奥にして最上の聖地を告げ、さらに高所「ウンナタ・スターナ」に結びつくブラフマーのマーハートミャ(霊威・功徳)を説く。デーヴィーは、ここでブラフマーが「幼子の姿」とされるのはなぜか、他所では老相として描かれるではないかと問い、聖地の所在、ブラフマーがそこに現れる理由、そして礼拝の作法と時機を尋ねる。 イーシュヴァラは、ブラフマーの主要な座はリシトーヤ川の近くにあり、プラバーサには三尊を礼拝する地勢があると示す。すなわち、吉祥なる河岸にブラフマー、アグニティールタにルドラ、そして快いライヴァタカ丘にハリ(ダーモーダラ)が鎮まるという。物語では、ソーマがブラフマーに請願し、ブラフマーは八歳の童子としてウンナタ・スターナに来臨したと語られ、ただダルシャナ(聖なる拝観)するだけで罪より解き放たれるとされる。 続いて、いかなる神、師、知、苦行もブラフマーに比肩しないという教義的讃嘆が述べられ、世の苦患からの解脱はピターマハへの信愛(バクティ)に依ると結ばれる。終わりに、まずブラフマ・クンダで沐浴し、花や香などの供物をもって童子形のブラフマーを礼拝せよと教示する。

17 verses

Adhyaya 322

Adhyaya 322

दुर्गादित्यमाहात्म्यवर्णनम् (Durgāditya Māhātmya—Account of the Glory of Durgāditya)

本章は神学的対話として語られ、イーシュヴァラがマハーデーヴィーに、南方にある聖地「ドゥルガーディティヤ」を説く。そこは一切の罪を除く霊験の地とされる。由来譚によれば、苦を滅する女神ドゥルガーが憂いに悩まされたとき、救済を求めてスーリヤ(太陽神)を長き苦行(タパス)によって供養し、祈願した。 やがてディヴァーカラ(太陽神)が現れ、願いを授ける。ドゥルガーが自らの苦悩の滅尽を求めると、スーリヤは予告する――ほどなくしてバガヴァーン・トリプラーンタカ(シヴァ)が、高く吉祥なる場所に勝れたリンガを建立するであろう。さらに、その地における太陽神の名は「ドゥルガーディティヤ」となると宣し、姿を消す。 結びに実践の規定が示される。サプタミー(第七日)が日曜日に当たるとき、「ドゥルガーディティヤ」を礼拝すべきである。功徳の宣説(パラシュルティ)として、この礼拝により諸々の苦患が鎮まり、クシュタ(kuṣṭha)を含む皮膚病が退くと説かれる。

8 verses

Adhyaya 323

Adhyaya 323

Kṣemeśvara Māhātmya (क्षेमेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Kṣemeśvara

シヴァとデーヴィーの教示的対話において、イーシュヴァラはデーヴィーの注意を、先に述べられた聖所の「南」にあり、Ṛṣitoya川の岸辺に建つ霊廟へと向けさせる。そこはクシェーメーシュヴァラ(Kṣemeśvara)と同定され、名の変遷も語り継がれる――かつてはブーティーシュヴァラ(Bhūtīśvara)と呼ばれ、カリの時代にはクシェーメーシャ/クシェーメーシュヴァラとして宣言される。 本章の実践的教えは簡潔で巡礼に重きがある。すなわち、この神格をダルシャナ(darśana、聖なる拝観)し、続いてプージャー(pūjā、供養礼拝)を捧げるだけで、信者はあらゆるkilbiṣa(道徳的・儀礼的な穢れ)から解放されると説かれる。末尾の奥書は、本章を『スカンダ・マハープラーナ』八万一千頌本の第七部(Prabhāsa Khaṇḍa)、第一小区分(Prabhāsakṣetramāhātmya)に属する「Kṣemeśvaramāhātmya-varṇana」として位置づける。

4 verses

Adhyaya 324

Adhyaya 324

गणनाथमाहात्म्यवर्णनम् (Glorification and Ritual Protocol of Gaṇanātha/Vināyaka at Prabhāsa)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに対し、プラバーサ(Prabhāsa)の北方域、特にヴァーヤヴィヤ(vāyavya・北西)の小区画にあるヴィナー ヤカ(Vināyaka/ガナナータ Gaṇanātha)の霊地について説示する記録である。そこに坐すヴィナー ヤカは「一切のシッディ(成就)」を授ける者として讃えられる。 また本文は、その同一性を融和的に語る。かつて財宝主ダナダ(Dhanada/クベーラ)に関わる伴侶として知られた存在が、今はガナナータの姿で現れ、宝蔵(ニディ nidhis)を守護し、衆生に成功を与えるために在るという。 儀礼は暦に即して簡潔に示される。月の第四日(チャトゥルティー caturthī)が火曜日(バウマ・ヴァーラ bhauma-vāra)と重なる時、バクシャ(bhakṣya)、ボージャ(bhojya)などの食供とモーダカ(modaka)を供えて礼拝すべきである。結びの果報宣説(phalāśruti)は、正しく礼拝すれば確実な成就(ドゥルヴァ・シッディ dhruva-siddhi)を得ると断言する。

4 verses

Adhyaya 325

Adhyaya 325

उन्नतस्वामिमाहात्म्यवर्णनम् (Uṇṇatasvāmi Māhātmya—Description of the Glory of Unnatasvāmi)

本章では、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに、聖仙により清められた水(ṛṣi-toya)に縁ある美しい河岸に鎮まる、卓越したヴィナーヤカ(Vināyaka)の霊場へ進むべきことを説く。そこに顕れる神はガネーシャ/ガナナータ(Gaṇeśa/Gaṇanātha)として、神々の眷属ガナの統率者であり、トリプラ(Tripura)を滅する宇宙的威力と同一視され、シヴァ派(Śaiva)の神学的枠組みの中でその尊位が高く示される。 聖像の相も明示される。プラバーサ(Prabhāsa)の大いなる聖域において、神は高貴なる象形(gaja-rūpa)として住し、数知れぬガナに囲まれている。実践の教えとして、巡礼者は旅路の障りを除くために力を尽くして礼拝し、日々、花や香などを供えることが勧められる。 さらに本章は、月の第四日であるチャトゥルティー(caturthī)に共同の修法を定める。都の人々は国土安穏(rāṣṭra-kṣema)と成就(siddhi)のため、チャトゥルティーごとに大祭(mahotsava)を繰り返し執り行うべきである。

5 verses

Adhyaya 326

Adhyaya 326

Mahākāla-māhātmya (महाकालमाहात्म्य) — The Glory of Mahākāleśvara

本章は、プラバーサ(Prabhāsa)の聖なる巡礼行程におけるイーシュヴァラ(Īśvara)の方角の教示を説く。信者は北方の霊地へ進み、そこに鎮まるマハーカーレーシュヴァラ(Mahākāleśvara)を拝し、彼が至上の守護者、sarva-rakṣā-kara(あらゆる護りを成す者)であると讃えられる。 また本章は、ルドラ(Rudra)の相を帯びるバイラヴァ(Bhairava)を、この祠に結びつく都邑/集落の主護神として示し、霊験を護持のシヴァ派(Śaiva)神学へと結びつける。儀礼の定めとして、ダールシャ(darśa・新月)とプールニマー(pūrṇimā・満月)には「大供養」(mahā-pūjā)を整えて行うべきことが説かれ、暦に従う規律が巡礼の徳目となる。果報(phalaśruti)によれば、マホーダヤ(mahodaya)と呼ばれる吉時に沐浴し、ついでマハーカーラ(Mahākāla)を拝観(ダルシャナ)する者は、世俗の繁栄を得て富み、誇張して「七千の生」に及ぶほど長くその果が続くとされ、信と遵行を励ます。

4 verses

Adhyaya 327

Adhyaya 327

महोदयमाहात्म्यवर्णनम् | The Glorification of Mahodaya Tīrtha

本章は、自在神(Īśvara)がマホーダヤ(Mahodaya)というティールタ(tīrtha)について授ける教えを述べる。マホーダヤはイーシャーナ方(北東)にあり、巡礼者はそこへ赴き、規定の作法(vidhi)に従って沐浴し、祖霊(pitṛ)と諸神へのタルパナ(tarpaṇa)を行うべきことが説かれる。 経文は、マホーダヤの特別な霊験として、倫理的に微妙な取引に関わった者、とりわけ「施物を受け取ることから生じる過失」(pratigraha-kṛta doṣa)を除く力を挙げ、修行者には恐れが起こらないと宣言する。また、二度生まれ(dvija)に大いなる歓喜を与える場であると同時に、感官の対象に執着する者や贈与受領に絡め取られた者にまで、解脱へ向かう約束が及ぶと語る。 地勢の守護として、マハーカーラ(Mahākāla)の北には母神たち(Mātṛs)が配されて聖地を護り、沐浴後には彼女らを礼拝すべきだと付言される。結びに、マホーダヤはアビシェーカ(abhiṣeka)によって罪を滅し解脱を授けると讃えられ、その範囲はおよそ半クロ―シャ(krośa)と示され、中心部は聖仙たちに永く愛される霊域として称揚される。

7 verses

Adhyaya 328

Adhyaya 328

संगमेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् / Description of the Glory of Saṅgameśvara

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)によって示される簡潔な神学・儀礼の指針として語られる。サンガメーシュヴァラ(Saṅgameśvara)は罪を滅するシヴァ派の聖地であり、ヴァーヤヴィヤ(vāyavya:北西)の方位に位置し、リシ(ṛṣi)たちが集う会合の地として、その権威と神聖さが確立される。 さらに近くの東方には、クンディカー(Kuṇḍikā)という聖なる池があり、パーパ・ナーシニー(pāpa-nāśinī:罪を除くもの)として称えられ、サラスヴァティー(Sarasvatī)の臨在と結び付けられる。女神は火の威力(vaḍavānala)を伴って来臨すると描かれ、場の霊威をいっそう高める。修行の順序は、まずクンディカーで沐浴し、次にサンガメーシュヴァラを礼拝すること。果報(phalaśruti)として、幾多の生にわたり繁栄と愛する子に離別せず、また生から死に至るまでの諸罪が一切除かれると説かれ、倫理的浄化と信愛(バクティ)の確立が約束される。

5 verses

Adhyaya 329

Adhyaya 329

उन्नतविनायकमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Unnata-Vināyaka (the Exalted Gaṇeśa)

本章はイーシュヴァラ(Īśvara)の説示として、プラバーサ(Prabhāsa)の地に名高い霊地「ウッタマスターナ」(Uttamasthāna)を示し、言及された神聖な区画の北方に位置すること、また距離が土地の度量で定められていることを述べる。 さらに北へ、定められた間隔(十二ダヌ)に「ウンナタ・ヴィグナラージャ」(Unnata Vighnarāja)が鎮座し、尊きガネーシャ(Gaṇeśa)として一切の障碍を滅する者(sarva-pratyūha-nāśana)と讃えられる。月の第四日(caturthī)に香料・果物・甘味の供物をもって礼拝すべきことが説かれ、その果報として所願成就(vāñchita-kāma)と「三界にわたる勝利」が、功徳宣説(phalaśruti)として確約される。

4 verses

Adhyaya 330

Adhyaya 330

तलस्वामिमाहात्म्यवर्णनम् | The Glory of Taptodaka-Talāsvāmin (Talāsvāmi Māhātmya)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)の神学的説示として語られ、高所の目印の北方およそ三ヨージャナにある聖地を示す。そこは、熱力を帯びた水「タプトーダカ(Taptodaka)」と、神格タラーズヴァーミン(Talāsvāmin)に結び付けられている。 続いて、古の神話的戦いが回想される。ダイティヤ(daitya)の中の首領と描かれるタラーズヴァーミンは、長き抗争の末、ヴィシュヌ(Viṣṇu)によって討たれたという。この記憶は巡礼の規定へと転じ、修行者はタプタクンダ(Taptakuṇḍa)で沐浴し、タラーズヴァーミンを礼拝し、さらに祖霊への供養であるピンダ・プラダーナ(piṇḍa-pradāna)を行うべきだと説かれる。 果報(phala)は増大した功徳として讃えられ、「コーティ・ヤートラー(koṭi-yātrā)」の果に等しい、すなわち計り知れぬ巡礼功徳に比せられる。かくして本章は、場所の指示、神話による正当化、儀礼手順を一つに結び、参照可能なティールタ(tīrtha)の単位として確立する。

4 verses

Adhyaya 331

Adhyaya 331

कालमेघमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Kāla-Megha)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィーに対し、尊崇される霊地「カーラ・メーガ」(Kāla-Megha)の功徳(マーハートミャ)を説く形で語られる。信者はカーラ・メーガへ赴くべきことが示され、東方にはクシェートラパ(kṣetrapa:その地を守護し主宰する力)がリンガ(liṅga)の姿として顕現していると明かされる。 さらに月暦に基づく礼拝が定められ、リンガはバリ供(bali)をもって、とりわけアシュタミー(aṣṭamī:八日目)またはチャトゥルダシー(caturdaśī:十四日目)に供養されるべきだと説かれる。果報は簡潔に述べられ、その神は望む目的を授ける者(vāñchitārtha-prada)であり、カリの時代における「願いを叶える樹」と称され、後代においても規範ある信愛によって霊的利益が得られることを示す。章末の奥書は、これが『スカンダ・マハープラーナ』プラバーサ・カーンダ所収「プラバーサ聖域讃」第一部の第331章であると記す。

3 verses

Adhyaya 332

Adhyaya 332

रुक्मिणीमाहात्म्यवर्णनम् | Rukmiṇī Māhātmya (Glorification of Rukmiṇī and the Hot-Water Kuṇḍa)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)による神学的教示として語られ、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)における相互に結び付いた二つの聖なる要素を示す。(1) 南方の定められた距離にある温水のクンダ(taptodaka-kuṇḍa)群、(2) 東方の所定の間隔に安置される女神ルクミニー(Rukmiṇī)の聖位である。 説示は、この温水クンダを浄化の場と定め、極重の罪さえ滅し得ると明言する。すなわち「koṭi-hatyā-vināśana(無数の殺罪の滅尽)」の力が説かれる。儀礼は順序立てて示され、まず温水クンダでスナーナ(snāna、聖なる沐浴)を行い、次にルクミニー女神へサンプリージャー(saṃpūjā、完全な供養・礼拝)を捧げる。女神は一切の罪を除き、吉祥を授ける御方として讃えられる。 果報の章句(phalaśruti)では、家の安定に関わる社会倫理的な功徳が語られる。女性にとっては、家庭の破綻(gṛha-bhaṅga)が七生にわたり起こらないとされ、聖地・儀礼・信愛(バクティ)に結ばれた巡礼の功徳が示される。

4 verses

Adhyaya 333

Adhyaya 333

मधुमत्यां पिङ्गेश्वर-भद्रा-सङ्गम-माहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Pingeshvara and the Bhadrā Confluence at Madhumatī)

イーシュヴァラは、プラバーサ・クシェートラにおける聖地の連なりを、バドラ―川と海岸の近さに即して説き明かす。とりわけ「ドゥルヴァーセーシュヴァラ」と名づけられた著名なリンガが挙げられ、強い罪障浄化の力と安楽をもたらす果報が讃えられる。新月日(アマーヴァーシャー)に沐浴し、祖霊にピンダを供えることにより、祖先が広く満足すると説かれる。 また、多くのリンガがリシたちによって安置されたこと、巡礼者はそれらを拝見し、触れ、礼拝することで過失から解き放たれることが述べられる。さらにクシェートラの境界地として、周縁の地「マドゥマティー」と、南西方の「カンダガタ」が示される。 海辺には「ピンゲーシュヴァラ」が立ち、七つの井戸が言及され、祭日の折には祖先の「手」が見えると伝えられてシュラッダの霊験が強調される。ここでのシュラッダはガヤーをも超えて功徳が倍増すると称えられる。最後にバドラ―の合流点(東西の枠組みで示される)が定められ、その功徳はガンガー=サーガラの聖性に等しいとして、土地の地理が全インド的な儀礼価値へと結び合わされる。

12 verses

Adhyaya 334

Adhyaya 334

तलस्वामिमाहात्म्यवर्णनम् (Talasvāmi Māhātmya: Origin Legend and Pilgrimage Rite)

本章は神学的対話として構成され、女神デーヴィーがイーシュヴァラに、先に語られた「ターラの墜落」と、タラースヴァーミーが顕著となる理由を問う。イーシュヴァラは秘説の起源譚を明かす。猛きダーナヴァのマヘーンドラが長き苦行を行い、諸天を征服して破滅的な決闘を求めたとき、ルドラの具現した火焔の力から「ターラ」という存在が生まれ、ルドラ・ヴィールヤによりマヘーンドラを打ち倒す。勝利の舞は三界を震わせ、闇を招き、衆生を恐怖に陥れる。 諸天がルドラに救いを乞うと、ルドラはターラを自らの「子」として不可侵と告げ、プラバーサの地、タプトーダカ・クンダとストゥティスヴァーミーの名に結びつく聖所の近くに坐すフリシーケーシャ(ヴィシュヌ)へ導く。ヴィシュヌはターラとマッラ・ユッダ(組み討ち)で戦うが疲労し、タプトーダカの湯の熱を戻して疲れを除くようルドラに請う。ルドラは第三の眼でクンダを熱し、ヴィシュヌは沐浴して力を回復、ついにターラを打ち破る。ところがターラは笑い、たとえ不浄な意図であってもヴィシュヌの「至上の境地」を得たと語る。ヴィシュヌが恩寵を許すと、ターラは名声の永続と、マールガシールシャ月の白分エーカーダシーに信愛をもってヴィシュヌを拝する者の罪滅を願う。 結びに、このティールタの威力—罪障の滅尽、疲労の除去、重罪さえも贖い得ること—が説かれ、ナーラーヤナの臨在と、シヴァ系の護域神クシェートラパーラ「カーラ・メーガ」の存在が述べられる。さらに巡礼作法として、ヴィシュヌをタラースヴァーミーとして憶念し、マントラ(サハスラシールシャを含む)を誦し、沐浴・アルギャ供・香花衣によるプージャー、塗香等、ナイヴェーディヤ、法の聴聞、夜の守夜、適格なヴェーダのブラーフマナへの施与(牡牛・黄金・布)、断食、そしてルクミニーへの礼拝が定められる。ファラシュルティは、タラースヴァーミーのダルシャナとクンダでの沐浴が大祭に等しい功徳となり、祖霊を高め、多生にわたる利益をもたらすと讃える。

74 verses

Adhyaya 335

Adhyaya 335

शंखावर्त्ततीर्थमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Śaṅkhāvartta Tīrtha)

第335章は、イーシュヴァラがデーヴィーに授ける地勢に即した精確な導きを述べる。巡礼者は西へ向かい、Nyankumatī川の吉祥なる河岸に至り、さらに南へ進んで「大いなる」ティールタ、Śaṅkhāvarttaに到るべきである。そこには像を帯びた特異な石(citrāṅkitā śilā)があり、自ずから顕現する臨在(svayaṃbhū)に結びつく。それは「赤き胎をもつ」(raktagarbhā)と称され、たとえ「切られ」ても赤みの徴がなお見えるという—聖性が大地の相のうちに持続することを示す物質的しるしである。 本章はこの地をヴィシュヌの聖域(Viṣṇu-kṣetra)と定め、その起源を古い逸話に結びつける。すなわちヴィシュヌが、ヴェーダを奪う者(vedāpahārī)とされる「Śaṅkha」を討ったという。さらに水域は「法螺貝(śaṅkha)の形」をなすと説かれ、形態そのものがティールタの名と権威の由来となる。 果報(phala)の宣言として、ここで沐浴すれば brahmahatyā(婆羅門殺しの重罪)の重荷から解放され、シュードラでさえも次々の生においてブラーフマナとして生まれるに至ると語られる。行程は続き、そこから東へ Rudragayā に赴くべきであり、巡礼の果を全うしたい者は、そこで牛の布施(godāna)を行うよう教えられる。こうして浄化と功徳と正しい施与が、一つの聖なる道程に統合される。

7 verses

Adhyaya 336

Adhyaya 336

गोष्पदतीर्थमाहात्म्यवर्णनम् (The Glory of Goṣpada Tīrtha)

本章は、イーシュヴァラとデーヴィーの神学的対話として、プラバーサに秘されながらも甚だ霊験あらたかな巡礼地「ゴーシュパダ・ティールタ」の功徳を説く。そこはニャンクー・マティー河系の周辺にあり、祖霊の解放に関わる「プレータ・シラー(preta-śilā)」の石とも結び付けられる。ゴーシュパダでのシュラーダ(śrāddha)の果報は「ガヤーの七倍」と称され、プṛトゥ王がシュラーダを修して、罪深きヴェーナ王を悪しき生から引き上げた譚が例として示される。デーヴィーが起源・作法・真言・適格な司祭を問うと、イーシュヴァラはこれを信者のみに授けるべき秘義(ラハスヤ)として位置づける。 続いて儀礼の道筋が整然と述べられる。梵行(brahmacarya)・清浄(śauca)・正信(āstikya)を保ち、ナースティカとの交わりを避け、シュラーダの供物を整え、ニャンクー・マティーで沐浴し、神々と祖霊(pitṛ)にトリパナ(tṛpaṇa)を捧げる。アグニシュヴァッタ、バルヒシャド、ソーマパ等の祖霊神を招く真言が挙げられ、既知・未知の祖先のみならず、死後の困難な境涯にある者や非人の生にある者にまで及ぶピンダ供(piṇḍa)が説かれる。供物はパーヤサ、蜂蜜、サクトゥ、ピシュタカ、チャル、穀物、根菜・果実などで、牛施(go-dāna)や灯明施(dīpa-dāna)等の布施、右繞(pradakṣiṇā)、謝礼(dakṣiṇā)、ピンダの水中沈入も定められる。 長いイティハーサ(itihāsa)では、ヴェーナの不法な統治、仙人たちによる誅殺、ニシャーダとプṛトゥの出現、プṛトゥの王権と「大地を乳する」主題が語られる。プṛトゥがヴェーナ救済を願うと、通常のティールタは罪の重さゆえに退くが、天界の教示によりプラバーサ、とりわけゴーシュパダへ赴き、そこで儀礼が成就してヴェーナは解脱を得る。結びに、時日の制約が少ないこと、吉祥の機会が列挙されること、そしてこの秘義は誠実な修行者にのみ伝えるべきことが重ねて示される。

270 verses

Adhyaya 337

Adhyaya 337

न्यंकुमतीमाहात्म्ये नारायणगृहमाहात्म्यवर्णनम् | Narāyaṇa-gṛha: Glory and Observances near Nyankumatī

イーシュヴァラはデーヴィーに語り、巡礼者を至上の霊地「ナーラーヤナ・グリハ」(Narāyaṇa-gṛha)へ導く。それは「ゴーシュパダ」(Goṣpada)と呼ばれる地の南、吉祥なる海辺にあり、罪を滅するものと讃えられる「ニャンクマティー」(Nyankumatī)の近くに位置する。説示は、ケーシャヴァ(ハリ)が宇宙周期を超えてそこに恒常に住する(kalpāntara-sthāyī)ゆえ、この「御住まい」が世に名高いことを明かす。 ハリは、法に敵対する勢力を滅したのち、苛烈なカリの時代に祖霊を扶け高めるため、また休息のためにこの「家」に留まるという。さらに四つのユガに応じた御名が示される—クリタではジャナールダナ、トレーターではマドゥスーダナ、ドヴァーパラではプンダリーカークシャ、カリではナーラーヤナ—この地が四時代を貫くダルマの秩序の安定した拠点であることを示す。 実践の教えとして、エーカーダシーの日に断食(nirāhāra)して神を拝観する者は、ハリの「尽きることなき」至高の境地を観得すると説かれる。巡礼に伴う作法として沐浴とシュラーダ(śrāddha)も定められ、模範的なブラーフマナに黄色の衣を布施(dāna)するよう命じる。結びの功徳説(phalāśruti)は、この物語を聞き、また誦することが善趣(sadgati)という吉祥なる霊的成就をもたらすと告げる。

10 verses

Adhyaya 338

Adhyaya 338

Jāleśvara-liṅga-prādurbhāvaḥ (Origin and Glory of Jāleśvara at the Devikā Riverbank)

Īśvaraは、Devikā川の岸辺にある尊崇すべきリンガ「Jāleśvara」を説く。これはナーガの乙女たちに礼拝され、光輝に満ち、ただ想起するだけでさえ重罪ブラフマハティヤー(brahmahatyā)を滅すると語られる。Devīは、その名の由来と、この聖地に結ばれる功徳を問う。 Īśvaraは古いイティハーサを語る。賢者ĀpastambaがPrabhāsaで苦行に励んでいたとき、漁民が大網を投じ、知らずに水中で禅定する賢者を引き上げてしまう。彼らは深く悔い、赦しを乞う。Āpastambaは慈悲と、苦しむ衆生を利する倫理を思惟し、自らの功徳が他者を益し、彼らの過ちが自分に帰するよう願う。王Nābhāgaが大臣と祭司を伴って来訪し、賢者の「価値」を金銭で償おうとするが、賢者は世俗の尺度を退ける。賢者Lomashaは、相応の代価は牛であると勧め、Āpastambaはこれを受け、牛の神聖、浄化のpañcagavya、そして牛を護り日々敬う宗教的義務を讃える。漁民が牛を捧げると、賢者は彼らが水から引き上げた魚とともに天界へ昇るよう祝福し、意図と福利の大切さを示す。Nābhāgaは聖者との交わりの価値を称え、王の驕りを戒める教えを受け、稀なる恩寵としてダルマの智慧を求める。 最後にĪśvaraは、このリンガが賢者によって建立され、賢者が網(jāla)に落ちたことから「Jāleśvara」と名づけられたと結ぶ。章末には巡礼の作法として、Jāleśvaraでの沐浴と礼拝、māhātmyaの聴聞、供養が説かれ、特にCaitra月白分第十三日(Śukla Trayodaśī)のpiṇḍa-dānaと、ヴェーダに通じたブラーフマナへのgo-dānaが大いなる功徳とされる。

75 verses

Adhyaya 339

Adhyaya 339

Huṁkāra-kūpa Māhātmya (The Glory of the Well Filled by the Huṁkāra)

イーシュヴァラはマハーデーヴィーに、デーヴィカー河の心地よい岸辺にある名高い井戸の由来を語る。そこは「三界に聞こえた」(triloka-viśruta)と称され、河畔に住む聖仙タンディー(Taṇḍī)は、揺るぎないシヴァへの信愛(Śiva-bhakti)をもって苦行(tapas)に励んでいた。 あるとき、盲目で老いた鹿が、水のない深い穴に落ちてしまう。聖仙は慈悲に動かされつつも出家者の節制を保ち、「フーンカーラ」(huṁkāra)の音を幾度も発した。その音声の威力により穴は水で満ち、鹿は苦労して脱出する。やがて鹿は人の姿となり、この行為に現れた業の果報に驚いて聖仙に問いかける。 変身した者は、鹿身に堕ちて再び人身を得たのは他ならぬこのティールタ(tīrtha)の霊験によると語る。聖仙がさらに「フーンカーラ」を唱えると、井戸は以前のように再び満ちた。彼は沐浴(snāna)と祖霊への供水(pitṛ-tarpaṇa)を行い、ここを最勝のティールタと悟って、より高き境地(parā gati)に至った。 果報の教え(phalaśruti)によれば、今なおそこで「フーンカーラ」をなせば水流が湧き出るという。たとえかつて罪に染まっていた者でも、信をもって参詣すれば地上で再び人として生まれない。沐浴して清浄となり、シュラッダ(śrāddha)を修する者は一切の罪を離れ、祖霊界(pitṛloka)で尊ばれ、過去と未来を含む七代の家系を高めると説かれる。

14 verses

Adhyaya 340

Adhyaya 340

चण्डीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Caṇḍīśvara)

第340章は簡潔な教示であり、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに語り、特定の聖所であるチャンディーシュヴァラ(Caṇḍīśvara)へ心を向けるよう導く。そこは大リンガ(mahāliṅga)と称され、あらゆる罪過を滅する力(sarva-pātaka-nāśana)を具えると説かれる。 続いて暦に基づく儀礼が示される。カールッティカ月(Kārttika)の白分(śukla)の第十四日(śukla-caturdaśī)に、修行者は断食(upavāsa)を行い、夜通しの覚醒・夜伽(prajāgara)を修すべきである。章末は果報を告げるファラシュルティ(phalaśruti)として、この遵守によりマヘーシュヴァラ(Maheśvara)に結びつく「最高の境地」に至ると約束し、道徳的浄化と解脱への志を併せて示す。末尾の奥書は本章が『スカンダ・プラーナ』プラバーサ・カンダ、プラバーサクシェートラ・マーハートミヤ中の第340章であることを記す。

3 verses

Adhyaya 341

Adhyaya 341

आशापूरविघ्नराजमाहात्म्यवर्णनम् (The Māhātmya of Āśāpūra Vighnarāja)

本章は、イーシュヴァラが「アーシャープーラ・ヴィグナラージャ」という聖所について神学的に説き明かす。聖所はヴァーヤヴィヤ(北西)の方角にあり、「アカルマシャ(穢れなき清浄)」で「ヴィグナ・ナーシャナ(障碍を滅する者)」と讃えられる。さらに「アーシャープーラカ(希望・願望を満たす者)」の名は、信徒の願いを成就させる働きに由来すると示される。 その霊験は礼拝譚によって裏づけられる。ラーマ、シーター、ラクシュマナがそこでガネーシャ/ヴィグネーシャを礼拝し、望む目的を得たと語られる。またチャンドラ(月神)もガナーディパを礼拝して所願の恩恵を受け、とりわけクシュタ(皮膚病)の悉くを滅して癒やす果報が明言される。 儀礼の規定として、バードラパダ月の白分(シュクラ)の第四日(チャトゥルティー)に神を供養し、モーダカ(甘菓)をもってブラーフマナに施食すべきことが説かれる。果(phala)は、ヴィグナラージャの恩寵により所願成就が得られるというもの。結びに、イーシュヴァラがこの神をクシェートラの守護と旅人の障碍除去のために任命したと述べられる。

7 verses

Adhyaya 342

Adhyaya 342

Chandreśvara–Kalākuṇḍa Tīrtha Māhātmya (चंद्रेश्वरकलाकुण्डतीर्थमाहात्म्य)

第342章は、イーシュヴァラ(Īśvara)が特定の地に関して授ける教示を述べ、罪を除くリンガ(pāpa-hara liṅga)が、ソーマ/チャンドラ(Soma/Candra、月)によって自ら顕現し建立されたものとして、南—ナイリッティヤ(南—南西)方向のほど近い所にあると示す。さらに近隣の聖なる水域として、アムリタ・クンダ(Amṛta-kuṇḍa)、別名カーラー・クンダ(Kalā-kuṇḍa)を挙げる。 本章の要点は儀礼の順序であり、まずクンダで沐浴(snāna)を行い、その後に「チャンドレーシャ/チャンドレーシュヴァラ」(Candreśa/Chandreśvara)を礼拝すべきだと説く。得られる果報は苦行の尺度で明示され、礼拝者は千年のタパス(tapas)に等しい功徳を得るという。またチャンドラが築いた池(taḍāga)にも触れ、その広がりは弓十六張分、チャンドレーシャに対して東西方向に位置すると述べ、巡礼者が辿れる聖地の地図としての性格を強める。結語は本章をプラバーサ・カンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)中のプラバーサクシェートラ・マーハートミヤに置き、アシャープーラー・マーハートミヤの主題流に属すると示す。

5 verses

Adhyaya 343

Adhyaya 343

कपिलधाराकपिलेश्वरमाहात्म्ये कपिलाषष्ठीव्रतविधानमाहात्म्यवर्णनम् (Kapiladhārā–Kapileśvara Māhātmya and the Procedure/Glory of the Kapilā-Ṣaṣṭhī Vrata)

本章はシヴァとデーヴィーの対話として構成される。まず、方位と諸ティールタ(聖地)への言及によってカピレーシュヴァラとカピラ・クシェートラの所在を示し、ついで聖仙カピラの長き苦行(タパス)と、その地にマヘーシュヴァラが स्थापितされたという神話的先例によって、霊地の権威を確立する。 さらに、海と結びつく聖なる水流「カピラダーラー」が説かれ、功徳ある者にのみ感得されるとされる。中心となる教えは「カピラー・シャシュティーの誓戒(vrata)」であり、稀有な暦の合致によって期日が定まる。作法は段階的に、沐浴(クシェートラ内または太陽に縁ある場所)、ジャパ、定められた供物でスーリヤにアルギャを捧げ、プラダクシナー(右繞)を行い、カピレーシュヴァラ近くで礼拝する。 続いて布施の規定として、クンバ(聖壺)の設えと太陽の象徴を整え、ヴェーダに通じたブラーフマナへ施与することが説かれる。結びの果報讃(phalaśruti)は、積もる罪過の浄化と比類なき功徳を約し、その大いなる果を大祭祀や諸聖地での多様な布施に比して称揚する。

34 verses

Adhyaya 344

Adhyaya 344

जरद्गवेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Jaradgaveśvara Māhātmya (Glorification of Jaradgaveśvara)

本章は、プラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)の枠内で、主イーシュヴァラ(Īśvara)が女神デーヴィー(Devī)に聖地の道筋を示すことを語る。巡礼者は、罪を滅するリンガ「ジャラドガヴェーシュヴァラ」(Jaradgaveśvara)へ導かれ、これはジャラドガヴァ(Jaradgava)が建立し、カピレーシュヴァラ(Kapileśvara)との方位関係によって所在が示される。ここを礼拝すれば、梵殺罪(brahmahatyā)を含む重罪とそれに連なる過失が除かれると宣言される。 同じ地には河の女神アṃシュマティー(Aṃśumatī)も在し、作法に従って沐浴し、その後にピンダ・ダーナ(piṇḍa-dāna:祖霊への供物)を行うよう定められる。功徳として祖先は長く満足し、さらにヴェーダに通じたブラーフマナに牡牛(vṛṣabha)を施すことが勧められる。 信愛の行として、香(gandha)と花(puṣpa)の供養、パンチャームリタ(pañcāmṛta)による灌頂、グッグル(guggulu)の薫香が説かれ、絶えざる讃嘆・礼拝・周回(pradakṣiṇā)が伴う。多様な食をもってブラーフマナを饗する社会的・儀礼的徳も示され、功徳が幾重にも増すと称えられる。なおこのティールタは、クリタ・ユガではシッダホーダカ(Siddhodaka)、カリ・ユガではジャラドガヴェーシュヴァラ・ティールタと呼ばれる。

8 verses

Adhyaya 345

Adhyaya 345

नलेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् (Naleśvara Māhātmya—Account of the Glory of Naleśvara)

本章は、プラバーサ(Prabhāsa)聖域における霊地讃(māhātmya)を簡潔に述べる。ハーṭケーシュヴァラ(Hāṭakeśvara)と呼ばれるリンガが語られ、その東方区画にナレーシュヴァラ(Naleśvara)という祠があると示される。イーシュヴァラ(Īśvara)はデーヴィーに向かい、方角と具体的な距離の目安を説いて、聖域内での所在を明らかにする。 また、ナレーシュヴァラはナラ王(Nala)と妃ダマヤンティー(Damayantī)によって建立されたとされ、模範的な王妃王の二人がこのクシェートラの卓越を認めたことにより霊験の権威が裏づけられる。続く果報説(phalaśruti)では、正しい作法によりリンガを拝観し供養する者はカリ時代の諸患(“kali” afflictions)から解放され、さらに賽(さい)・賭博(dyūta)における勝利をも約束されると説かれ、この祠への信敬に結びつく特異な現世利益が示される。

4 verses

Adhyaya 346

Adhyaya 346

कर्कोटकार्कमाहात्म्यवर्णनम् — Karkoṭakārka Māhātmya (Account of the Glory of the ‘Karkoṭaka Sun’)

本章はイーシュヴァラ(Īśvara)の教示として語られ、プラバーサ・クシェートラ(Prabhāsa-kṣetra)のアーグネーヤ(Āgneya、南東)方位に、「カルコータカ・ラヴィ」(Karkoṭaka-ravi)と名づけられる太陽の聖なる顕現があることを示す。説示は、この姿をダルシャナ(darśana、敬虔なる拝観)するだけで諸神すべてが歓喜し、一つの局地的な顕現が汎神的な承認の結節点となると宣言する。 続いて簡潔な儀礼が定められる。月の第七日サプタミー(saptamī)が日曜日ラヴィヴァーラ(ravivāra)と重なる時、規定(vidhi)に従って礼拝し、ドゥーパ(dhūpa、薫香)、ガンダ(gandha、香料)、アヌレーパナ(anulepana、塗香・香油)を供えるべきだという。教義的・倫理的な要点は実践的な浄化であり、正しい時と正しい供物によって「サルヴァ・キルビシャ」(sarva-kilbiṣa)—あらゆる道徳的・儀礼的な穢れ—から解放されると説く。 章末の奥書は、本章が八万一千頌から成る『スカンダ・マハープラーナ』(Skanda Mahāpurāṇa)に属し、第七のプラバーサ・カンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)、『プラバーサ・クシェートラ・マーハートミヤ』(Prabhāsakṣetramāhātmya)中の第346章であることを示している。

3 verses

Adhyaya 347

Adhyaya 347

हाटकेश्वरमाहात्म्यम् (Hāṭakeśvara Māhātmya: The Glory of Hatakeśvara Liṅga and Agastya’s Āśrama)

イーシュヴァラはデーヴィーに、ナレーシュヴァラの近く、アガスティヤがかつて苦行を修したアガスティヤームラ・ヴァナ(Agastyāmra-vana)の林苑に寄り添って鎮まる、ハーṭケーシュヴァラ・リンガ(Hāṭakeśvara-liṅga)の所在と霊験を語る。ついで物語は、その由来を説く因縁譚へと移る。 ヴィシュヌが猛きカーラケーヤ(Kālakeya)ダイティヤを滅した後、残党は海に潜み、夜ごとプラバーサ(Prabhāsa)地方を襲って修行者を喰らい、ヤジュニャとダーナの風儀を乱したため、スヴァーディヤーヤ(svādhyāya)、ヴァシャṭの唱和(vaṣaṭ-kāra)、儀礼の継続といったダルマの標が崩れ落ちた。憂えた神々はブラフマーに救いを求め、ブラフマーはそれがカーラケーヤの所業であると示し、プラバーサのアガスティヤを頼るよう命じる。 アガスティヤは海辺に赴き、ガンドゥーシャ(gandūṣa)—一口含むほど—のごとく大海を飲み干してダイティヤを露わにし、これを討ち破らせた。幾ばくかはパーターラへ逃れた。海を元に戻すよう請われると、聖者は水が「老い/不浄」となったと告げ、後にバーギーラタ(Bhāgīratha)がガンガー(Gaṅgā)を導いて再び満たすと予言する。章末では、アガスティヤのアーシュラマ(āśrama)とハーṭケーシュヴァラの近くでの礼拝と沐浴が高き霊果を授け、日々の供養や季節・アヤナの供養、シュラーダなどの功徳が具体的に説かれる。さらに、信をもってこの功徳譚を聴聞する者は、昼夜に犯した罪よりただちに解き放たれると結ぶ。

52 verses

Adhyaya 348

Adhyaya 348

नारदेश्वरीमाहात्म्यवर्णनम् | Nāradeśvarī Māhātmya (Glorification of Nāradeśvarī)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)の説示として枠づけられた、簡潔で規範的なティールタ(tīrtha)巡礼の教えを示す。マハーデーヴィー(Mahādevī)を敬う帰依者に対し、西方へ進んでナーラデーシュヴァリー(Nāradeśvarī)の聖所に至るべきことを命じ、その至近の臨在(sānnidhya)は一切の不運を滅するもの(sarva-daurbhāgya-nāśinī)として讃えられる。 さらに特定の信仰実践が説かれる。女性が月の第三日であるトリティーヤー(tṛtīyā)に、心を静めて女神を礼拝するなら、守護の功徳が確立され、その家系において女性が不運の印を帯びることがなくなるという。章全体は小さなマーハートミヤ(māhātmya)として、(1) 行くべき場所、(2) 儀礼の時、(3) 果報—不運(daurbhāgya)の除去と予防—を示し、プラバーサ聖域讃(Prabhāsakṣetramāhātmya)中の「ナーラデーシュヴァリー・マーハートミヤ」であることを結語で明かして終わる。

3 verses

Adhyaya 349

Adhyaya 349

मन्त्रविभूषणागौरी-माहात्म्यवर्णनम् (Glorification of Mantravibhūṣaṇā Gaurī)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに授ける教えとして語られ、ビーメーシュヴァラの近辺に鎮まる特別な女神相「デーヴィー・マントラヴィブーシャナー」へと注意を向けさせる。さらに、この女神はかつてソーマ(月神)によって先に礼拝されたと説かれ、聖地の所在と信仰の系譜とが結び合わされる。 内容の中心は儀礼と暦に関する規定である。シュラーヴァナ月(Śrāvaṇa)に、正しい作法に従って、特に白分(śukla-pakṣa)の第三日(tṛtīyā)にこの女神を礼拝する女性は、あらゆる悲しみから解放されるとされる。かくして本章は、ビーメーシュヴァラ近傍という地勢、ソーマの先行礼拝、そしてヴラタの時期を簡潔に統合し、その功徳の果(phala)を示す。

3 verses

Adhyaya 350

Adhyaya 350

दुर्गकूटगणपतिमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Durgakūṭa Gaṇapati (Glorification Narrative)

本章は、イーシュヴァラの御言葉として語り起こされ、まずドゥルガクータカ(Durgakūṭaka)におけるヴィシュヴェーシャ(Viśveśa)の所在を微細な地誌として示す。すなわち、バッラティールタ(Bhallatīrtha)の東、ヨーギニー・チャクラ(Yoginīcakra)の南に位置すると説き、巡礼者が敬虔に聖地へ至る道標となる。 続いて模範譚として、ビーマ(Bhīma)がこの神格を正しく供養して成就したことを挙げ、規定に従って礼拝すれば、ドゥルガクータ・ガナパティは「sarvakāmaprada(諸願成就を授ける者)」であると確証する。供養の時は、パールグナ月(Phālguna)の白分(śukla pakṣa)、月の第四日(caturthī)と定め、供物は香・花・水という簡潔なものを示す。功徳の結びとして、礼拝者は疑いなく一年のあいだ障りなき生活(nirvighna)を得ると述べ、正しい時と正しい供物が確かな果を結ぶというプラーナ的倫理を明らかにする。

4 verses

Adhyaya 351

Adhyaya 351

कौरवेश्वरीमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of Kauraveśvarī (Protectress of the Kṣetra)

本章は、イーシュヴァラがマハーデーヴィーに対し、女神カウラヴェーシュヴァリーのもとへ赴くよう教示するところから語られる。女神の名は、かつての供養・礼拝(ārādhanā)によってクルクシェートラと結び付けられ、聖なるクシェートラを守護する力として讃えられる。また、ビーマがこの地の護持の務めを担った後に女神を礼拝したことも想起される。 さらに、時日の規定として、マハーナヴァミーの日に精励して礼拝することがとりわけ大きな功徳をもたらすと説かれる。加えて、もてなしと儀礼的布施(ダーナ)の作法が示され、食は特に夫婦に施し、神々の供物にふさわしい上質の食と、丁寧に調えた甘味を添えるべきだとされる。これらにより女神は歓喜し、讃嘆されるとき、信者を我が子のように守護すると語られる。

4 verses

Adhyaya 352

Adhyaya 352

सुपर्णेलामाहात्म्यवर्णनम् (Supārṇelā Māhātmya—Account of the Glory of Supārṇelā)

イーシュヴァラはデーヴィーに向かい、スパールネーラー(Supārṇelā)と、それに結びつくバイラヴィーの聖地へ至るための方角に即した巡礼の指示を説く。そこはドゥルガー・クータ(Durga-kūṭa)の南、定められた距離にあるとされる。さらに由来として、かつてガルダ(スパールナ)がパーターラ(Pātāla)から甘露アムリタ(amṛta)を持ち上げ、ナーガたちの前でその地に放ったこと、ナーガが見守り護持したため、この地が世に「スパールネーラー」として名高くなったことが語られる。 その大地はスパールナが स्थापितした「イラー(Ilā)」と同定され、「スパールネーラー」という名が罪(pāpa)を滅する力と明確に結びつけられる。実践としては、スパールナ・クンダ(Supārṇa-kuṇḍa)で沐浴し、聖地で礼拝供養し、布施と施食(dāna/anna-dāna)によってブラーフマナをもてなすことが勧められる。果報の説示(phala-śruti)は具体的で、致命的な危難からの守護、そして家庭の吉祥—女性が「ジーヴァ・ヴァツァー」(jīva-vatsā:子が生き長らえる)となり、子孫によって飾られる—が、正しい巡礼の徳として示される。

6 verses

Adhyaya 353

Adhyaya 353

भल्लतीर्थमाहात्म्यवर्णनम् | Bhallatīrtha Māhātmya (Glorification of Bhallatīrtha)

イーシュヴァラはデーヴィーに語り、ミトラヴァナの林に近い西方の地、バッラー・ティールタの近くにある名高き聖地「バッラティールタ」を示す。本章はここをヴァイシュナヴァの「アーディ・クシェートラ」と定め、ヴィシュヌが諸ユガを通じて特別に常住すること、また衆生利益のために聖なるガンガーが顕現していることを讃える。 儀礼の時機が重んじられる。ドヴァーダシーの日(エーカーダシーの戒律に連なるものとして)、巡礼者は規定に従って沐浴し、相応しいブラーフマナにダーナを施し、信心をもって祖霊供養(ピトリ・タルパナ/シュラーダ)を行い、ヴィシュヌを礼拝し、夜を徹して覚醒し、灯明の布施を捧げるべきだと説かれる。これらは罪を浄め、功徳を生む行として示される。 続いて名の由来譚が語られる。ヤーダヴァ族が退いた後、ヴァースデーヴァは海辺で禅定に入るが、猟師ジャラーはヴィシュヌの足を鹿と誤り、「バッラ」と呼ばれる矢を放つ。神聖なる御姿と悟って赦しを乞うと、ヴィシュヌはそれが旧い呪いの終結を成就する出来事であると告げ、猟師に昇天を授け、さらにこの地に来て拝し、バクティを修する者はヴィシュヌの界に至ると約束する。聖地名は矢の事件に由来し、また先の宇宙周期では「ハリクシェートラ」とも呼ばれたとされる。 章末では倫理的な線引きがなされ、ヴァイシュナヴァの戒行、とりわけエーカーダシーの節制を怠ることが戒められる一方、バッラティールタ近くでのドヴァーダシー礼拝は家を護る功徳として称揚される。巡礼の果を全うしたい者には、衣や牛などを上首のブラーフマナに施すことが勧められる。

34 verses

Adhyaya 354

Adhyaya 354

Kardamālā-tīrtha Māhātmya and the Varāha Uplift of Earth (कर्दमालतीर्थमाहात्म्यं तथा वाराहोद्धारकथा)

本章は、イーシュヴァラがデーヴィーに対し、三界に名高く一切の罪(pāpa)を滅するというティールタ「カルダマーラー(Kardamālā)」の功徳を説く神学的説示として語られる。まず宇宙の溶解(プララヤ、エーカールナヴァ)の情景が示され、地は水に沈み、天の光も滅びに入ったかのようである。そのときジャナールダナ(ヴィシュヌ)はヴァラーハ(聖なる猪)の姿を取り、牙に地を載せて持ち上げ、元の座へと戻して世界秩序を回復する。続いてヴィシュヌは、この地に規律ある恒久の臨在を保つと宣言する。 このティールタの霊験は祖霊儀礼と結び付けられる。カルダマーラーでのタルパナ(tarpaṇa)はピトリ(祖霊)を一劫のあいだ満足させ、また青菜・根・果実といった簡素な供物で行うシュラッダ(śrāddha)でさえ、あらゆるティールタでのシュラッダに等しいとされる。果報讃(phalāśruti)は、沐浴とダルシャナ(darśana)が高き帰趣をもたらし、下劣な再生から解き放つと説く。さらに奇瑞として、狩人に追われた鹿の群れがカルダマーラーに入るや直ちに人身を得、狩人たちも武器を捨てて沐浴し、罪より解放される。 デーヴィーが起源と境界を問うと、イーシュヴァラは「秘説」を明かす。ヴァラーハはヤジュニャ(yajña)の象徴的身体として長く描写され、ヴェーダの肢節と儀礼の諸要素がその身を成すとされる。牙先(daṃṣṭrāgra)がプラバーサ(Prabhāsa)の野で泥にまみれたゆえに「カルダマーラー」と名づけられたという。さらに大池(mahākuṇḍa)と、広大なガンガー灌頂(Gaṅgā-abhiṣeka)に比せられる水源が語られ、ヴィシュヌの聖域の広さが定められる。結びには、猪形を拝する功徳の大きさと、カリ・ユガにおいてこの「サウカラ・クシェートラ(Saukara kṣetra)」による解脱が殊勝であることが強く宣言される。

32 verses

Adhyaya 355

Adhyaya 355

Guptēśvara-māhātmya (गुप्तेश्वरमाहात्म्य) — The Glory of Guptēśvara

イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバーサ・クシェートラのデーヴァグプテーシュヴァラへ赴くよう諭し、その所在が西—北西の方角にあると示す。本章はこの霊地を、ソーマ(月神)の伝承の中に位置づける。ソーマは、癩に似た皮膚病(kūṣṭha)と身体の衰耗(kṣaya)による恥を抱き、身を隠して苦行に入ったのである。 千の天年に及ぶ長き修行ののち、シヴァは直に顕現し、満悦してソーマの消耗を取り除き、病から解放した。ソーマはその報恩として大いなるリンガ(liṅga)を建立し、神々もアスラも等しくこれを崇敬した。 「グプテーシュヴァラ」の名は、ソーマが隠れて(gupta)行じた苦行に由来すると説かれる。経文はこのリンガの治癒力を宣言し、見るだけでも触れるだけでも皮膚病を除くという。さらに月曜日(Somavāra)の礼拝を重んじ、礼拝者の家系には癩をもって生まれる者が出ないと約束する。末尾の奥書は、本章がプラバーサ・カンダ所収「プラバーサ・クシェートラ・マーハートミヤ」の「グプテーシュヴァラ・マーハートミヤ」であると示す。

7 verses

Adhyaya 356

Adhyaya 356

बहुसुवर्णेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Bahusuvarṇeśvara Māhātmya (Glory of Bahusuvarṇeśvara)

イーシュヴァラは女神に、プラバーサの聖域の東方(hiraṇyā-pūrva-dik-bhāga)にあるバフスヴァルナカ/バフスヴァルネーシュヴァラと呼ばれる神格・リンガへ赴くよう教示する。本章は、その地の霊威の由来を古き先例に求め、ダルマプトラがそこで極めて困難なヤジュニャ(祭祀)を修し、バフスヴァルナという強大なリンガを建立したと語る。 そのリンガはさらに「サルヴェーシュヴァラ」とも同定され、あらゆる供犠の果報を授ける者(sarva-kratu-phala-da)と讃えられる。またサラスヴァティーの水との結びつきにより、儀礼的にも円満であると説かれる。そこで沐浴し、ピンダダーナを捧げれば、無数の祖霊の系譜(kula-koṭi)が救い上げられ、ルドラの界において名誉を得るという。サダーシヴァは、規定に従い香と花をもって信愛の礼拝を行えば、「コーティ(千万・億)倍の礼拝」の果(koṭi-pūjā-phala)を得ると確言する。

6 verses

Adhyaya 357

Adhyaya 357

शृंगेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Śṛṅgeśvara Māhātmya (Account of the Glory of Śṛṅgeśvara)

本章は「Īśvara uvāca(イーシュヴァラ曰く)」により始まり、主イーシュヴァラが女神デーヴィーに、Śukastḥāna(シュカの地)の近くにある聖地・Śṛṅgeśvara(シュリンゲーシュヴァラ)へ赴くよう導く。そこは「anuttama(無上・比類なき)」と讃えられ、到着したならばその地で沐浴の浄め(snāna)を行い、規定の作法に従って(vidhivat pūjā)Śṛṅgeśaを礼拝すべきことが説かれる。 主題は、正しい巡礼の実践が道徳的・霊的な浄化に直結するというプラーナ的教えである。聖地は「sarva-pātaka-nāśana(一切の罪を滅するもの)」と称され、得られる果報は諸罪からの解放であると約束される。その先例として、聖仙Ṛṣyaśṛṅga(リシャシュリンガ)がかつて浄化され解脱したことが模範として挙げられる。章末の記載により、本章は『スカンダ・マハープラーナ』第七部プラバーサ・カーンダ、第一分篇プラバーサクシェートラ・マーハートミヤに属する第357章「Śṛṅgeśvaramāhātmyavarṇana」であると示される。

3 verses

Adhyaya 358

Adhyaya 358

कोटीश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Description of the Māhātmya of Koṭīśvara

本章は、コーティーシュヴァラ(Koṭīśvara)大リンガ(Mahāliṅga)を中心とする聖地の簡潔な所在説明と、功徳の宣説(phalaśruti)である。冒頭「Īśvara uvāca(自在天曰く)」として、コーティナガラ(Koṭinagara)がイーシャーナ方(Īśāna、北東)にあること、そしてコーティーシュヴァラのリンガがその南方に一ヨージャナほど離れて鎮座することが示される。 修行の手順として、規定に従って沐浴し(vidhānena snātvā)、次いでリンガを礼拝供養する(liṅga-pūjā)ことが説かれる。その果報は二つで、あらゆる罪障からの解放(sarva-pātaka-mukti)と、「コーティ・ヤジュニャ(koṭi-yajña)」すなわち一クロールの祭祀に等しい功徳(koṭi-yajña-phala)を得ると約束される。章末の記載により、本章が『スカンダ・プラーナ』Prabhāsa Khaṇḍa、Prabhāsakṣetramāhātmya 部に属し、コーティーシュヴァラ・マーハートミャの叙述であることが明らかにされる。

3 verses

Adhyaya 359

Adhyaya 359

Nārāyaṇa-tīrtha-māhātmya (Glory of Nārāyaṇa Tīrtha)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィー(Mahādevī)に授ける教えとして語られ、巡礼者に「ナーラーヤナ」(Nārāyaṇa)というティールタ(tīrtha)へ進むよう導く。さらに、場所の手掛かりが明確に示され、そのティールタのイーシャーナ方(Īśāna、北東)に「シャーンディリヤー」(Śāṇḍilyā)と呼ばれるヴァーピー(vāpī、階段井戸/池)があるという。 儀礼の順序は手続きとして述べられる。すなわち、規定(vidhi)に従ってそこで沐浴し、その後、聖仙シャーンディリヤ(Ṛṣi Śāṇḍilya)を礼拝する。暦の要点として「リシ・パンチャミー」(Ṛṣi-pañcamī)が挙げられ、夫への誓いを守るパティヴラター(pativratā)の女性が(不)接触に関する戒めを守れば、ラジョー・ドーシャ(rajo-doṣa、月事に関わる儀礼的不浄)への恐れが必ず除かれると説く。末尾のコロフォンは、本章が『スカンダ・プラーナ』プラバーサ・カーンダに属し、「ナーラーヤナ・ティールタ・マーハートミヤ」(Nārāyaṇa-tīrtha-māhātmya)であることを示す。

3 verses

Adhyaya 360

Adhyaya 360

Śṛṅgāreśvara Māhātmya (Glory of Śṛṅgāreśvara at Śṛṅgasara)

本章では、イーシュヴァラ(Īśvara)がマハーデーヴィーに語り、シュリンガサラ(Śṛṅgasara)という聖地へと注意を向けさせる。そこには常住の神聖リンガがあり、シュリンガーレーシュヴァラ(Śṛṅgāreśvara)と称される。この地の霊威は、古き神話的出来事に結び付けられ、ハリ(Hari)がゴーピー(gopīs)を伴ってそこで śṛṅgāra を行ったことが、社の異名の由来であると説かれる。 続いて実践的な信仰指針が示される。定められた作法(vidhāna)に従い、この場所でバヴァ(Bhava、すなわちシヴァ)を礼拝することは、積もり重なった罪の群れを滅する(pāpaugha-nāśana)と讃えられる。結びの果報説(phalaśruti)では、貧困と悲嘆に悩む帰依者はもはやそのような境遇に再び遭わないと明言され、この聖地が救済の礼拝と倫理・儀礼の遵守のために正統に認められた拠り所であることが示される。

4 verses

Adhyaya 361

Adhyaya 361

मार्कण्डेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | The Glory of Mārkaṇḍeśvara (Narrative Description)

第361章は、イーシュヴァラ(Īśvara)とデーヴィー(Devī)の対話の中に、ティールタ(tīrtha)に関する簡潔な巡礼指針を織り込んで説く。求道者はヒラニヤータタ(Hiranyātaṭa)へ進み、かつて成就仙(siddha-rṣi)と縁のあった「ガティカー・スターナ」(Ghaṭikāsthāna)という特定の地点を訪れるべきだと示される。 さらに、その地の霊験はムリカṇḍु(Mṛkaṇḍu)のヨーガ成就に由来すると語られる。彼はディヤーナ・ヨーガ(dhyāna-yoga)によって、ナーḍī(nāḍī)一単位のうちに果を得たとされ、その場所にリンガ(liṅga)を建立した。リンガは「マーラカṇḍェーシュヴァラ」(Mārkaṇḍeśvara)と名づけられ、ただ拝観(darśana)し供養(pūjā)するだけで、あらゆる罪の鎮静・消滅(sarva-pāpa-upaśamana)が成就すると強調される。本章は、内なる苦行としての瞑想と、名ある聖所での万人に開かれた信愛の礼拝とを結び、プラバーサ聖域(Prabhāsa-kṣetra)の微細な地図を実践的な巡礼行程として示している。

3 verses

Adhyaya 362

Adhyaya 362

Koṭihrada–Maṇḍūkeśvara Māhātmya (कोटिह्रद-मण्डूकेश्वरमाहात्म्य)

イーシュヴァラはデーヴィーに、プラバーサ・クシェートラにおける順次の巡礼の道筋を説く。まず巡礼者はマンドゥーケーシュヴァラへ導かれ、マーンドゥーキヤーヤナとの縁により建立されたリンガが示される。 次いで、隣接する聖なる水域としてコーティフラダが名指され、そこを主宰する姿としてコーティーシュヴァラ・シヴァが語られる。さらに、その地にはマートリガナ(母神の群)が鎮まり、望む果報を授けるとされる。作法は、コーティフラダのティールタで沐浴し、リンガを礼拝し、またマートリたちをも礼拝すること;その功徳によりドゥフカとショーカ、すなわち苦悩と悲嘆から解放されると説かれる。 続いて東へ一ヨージャナの近隣にあるトリタクーパが示され、清浄であらゆる罪を滅する所と讃えられる。多くのティールタの霊験が、ある意味でそこに集まり「安住する」とも述べられる。末尾の記載により、本章はプラバーサ・カーンダの当該部における第362章である。

5 verses

Adhyaya 363

Adhyaya 363

एकादशरुद्रलिङ्गमाहात्म्यवर्णनम् | The Māhātmya of the Eleven Rudra-Liṅgas

本章では、イーシュヴァラ(Īśvara)がデーヴィーに告げ、巡礼者への指針として、Goṣpadaと呼ばれる地の北へ進み、名高い聖地Valāyaへ赴くよう導く。距離は二つのgav-yūtiと示され、実際の巡礼行程の尺度となっている。 そこでは「十一のルドラ」が、それぞれの場所に結びつくリンガ(sthāna-liṅga)によって示される。AjāikapādやAhirbudhnyaなどの名が例として挙げられ、定型のルドラ名簿が地方の社に具現していることを示唆する。要点は作法であり、これらのリンガを規定どおり(vidhivat)礼拝すれば、一切の罪(sarva-pātaka)から清められると説かれる。 末尾の奥書は、八万一千頌の『スカンダ・マハープラーナ』、Prabhāsa Khaṇḍa、Prabhāsakṣetramāhātmya部、第363章であることを伝える。

3 verses

Adhyaya 364

Adhyaya 364

Hiraṇya-taṭa–Tuṇḍapura–Gharghara-hrada–Kandeśvara Māhātmya (हिरण्यातुण्डपुर-घर्घरह्रद-कन्देश्वर माहात्म्यम्)

イーシュヴァラ(シヴァ)はマハーデーヴィーに語り、ヒラニヤ・タタ(Hiraṇya-taṭa)の一地点へ至る行程を示す。そこにはトゥンḍプラ(Tuṇḍapura)があり、ガルガラ・フラダ(Gharghara-hrada)と呼ばれる聖なる水域に結び付いている。さらに、その地を主宰する神はカンデーシュヴァラ(Kandeśvara)であると明かされる。 シヴァは神話的記憶によって聖地の権威を確立する。すなわち、そこで自らのジャター(jaṭā)が結ばれたと述べ、その出来事がティールタ(tīrtha)の霊験を定めたのである。ゆえに信者はその地に赴き、聖所で沐浴(snāna)し、正しい作法でカンデーシュヴァラに礼拝供養(pūjā)を捧げるべきだと示される。 約束される果報は倫理的かつ解脱的である。恐るべき重罪(ghora-pātaka)から解き放たれ、吉祥なる「śāsana」を得る—それは神の勅令と護り、あるいはプラーナ文脈における公認の加護・祝福として理解される。

3 verses

Adhyaya 365

Adhyaya 365

संवर्तेश्वरमाहात्म्यवर्णनम् | Saṃvarteśvara Māhātmya (Glorification of Saṃvarteśvara)

本章は、イーシュヴァラ(Īśvara)が女神デーヴィーに授ける教えとして語られ、巡礼者・求道者を「uttama(最上・卓越)」と讃えられるサンヴァルテーシュヴァラ(Saṃvarteśvara)の霊廟へ導く。方位も明確に示され、サンヴァルテーシュヴァラはインドレーシュヴァラ(Indreśvara)の西、アルカバースカラ(Arkabhāskara)の東に位置すると説かれ、周辺の聖地との連関の中に置かれる。 続いて、最小限の儀礼次第が定められる。まずマハーデーヴァ(Mahādeva)をダルシャナ(darśana)し、次にプシュカリニー(puṣkariṇī)の水で沐浴(snāna)するのである。果報(phalaśruti)として、これを行う者は十回のアシュヴァメーダ(aśvamedha)祭祀に等しい功徳を得ると宣言され、地方の巡礼行が至高の功徳へと高められる。章末は『スカンダ・プラーナ』における位置づけを示し、プラバーサ・カンダ(Prabhāsa Khaṇḍa)、『プラバーサ聖域功徳』第一部の第365章、「サンヴァルテーシュヴァラ・マーハートミャ・ヴァルナナ」と記される。

3 verses

Adhyaya 366

Adhyaya 366

प्रकीर्णस्थानलिङ्गमाहात्म्यवर्णनम् — Discourse on the Māhātmya of Liṅgas in Dispersed Sacred Sites

イーシュヴァラはマハーデーヴィーに、ヒラニヤーの北方へ進み、成就の地(シッディ・スターナ)と呼ばれる、完成した聖仙たちの住処へ向かうよう教示する。続いて章は、数によって聖地を描く「聖なる地図」へ移り、リンガは無量であると認めつつも要所の数を示す—ある一群には百余の著名なリンガ、ヴァジュリニー河岸に十九、ニャンクマティー河岸に千二百余、カピラー河岸に六十の優れたリンガ、そしてサラスヴァティーに結びつくものは数え尽くせない。 さらにプラバ―サは、サラスヴァティーの五つの流れ(pañca-srotas)によって定義され、その流路が十二ヨージャナに及ぶ聖域を画定すると説かれる。池や井戸の各所に水が湧き、その水は「サーラスヴァタ」と認識すべきで、飲むことが讃えられる。正しい信(シュラッダー)をもってこの地域のどこで沐浴しても、サーラスヴァタ・スナーナの果報が得られるという。 結びに「スパルシャ・リンガ」はシュリー・ソーメーシャであると示され、クシェートラの中心となるいかなるリンガも、ソーメーシャとして知って礼拝するなら、それはソーメーシャそのものへの礼拝に等しいと宣言される—散在する霊場を一つのシヴァ的指標のもとに統合する教義的結節である。

11 verses

FAQs about Prabhasa Kshetra Mahatmya

Prabhāsa is presented as a spiritually efficacious kṣetra where tīrtha-contact, devotion, and disciplined listening to purāṇic discourse are said to remove fear of saṃsāra and confer elevated destinies.

Merits are framed in yajña-like terms: purification, removal of sins, freedom from afflictions, and attainment of higher states—often conditioned by faith (śraddhā), tranquility, and proper eligibility.

The opening chapter emphasizes transmission-legends (Śiva → Pārvatī → Nandin → Kumāra → Vyāsa → Sūta) and the Naimiṣa inquiry setting, establishing Prabhāsa’s māhātmya within an authoritative purāṇic lineage.