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मण्डल 5
The Family Book of Atri
『リグ・ヴェーダ』第5マンダラは「家族書」の第五巻であり、伝統的にアトリ(Atri)系統の聖仙に帰せられる。初期リグ・ヴェーダの中で、家族=学派としての統一された声を示す巻である。讃歌は主要神格に広く及ぶが、とりわけアグニとインドラが中心であり、同時に、神々の医療者・救済者であるアシュヴィン双神への顕著な讃美群を保存している。本巻は古風な語法と、簡潔で定型句に富む凝縮した文体によって重んじられ、より古い言い回しや、継承された詩的構造をしばしば伝えている。
Sukta 5.1
この讃歌は黎明にアグニを呼び覚まし、家の火・祭火として、その火舌が立ちのぼり、光輝が天へと流れ向かうさまを描く。彼は霊感に満ちたホートリ(Hotṛ)としてリタ(Ṛta、宇宙の秩序)を支え、天と地を広げ、酥油によって絶えず清められると讃えられる。かくして祭主の讃歌は、彼のうちに広大な黄金の光となって確立される。
Sukta 5.2
この讃歌は、隠れつつも常に顕れる火としてのアグニを讃える。すなわち、秘められた場所に幼子のように潜むが、人の営みと祭儀においては明らかに見える火である。さらに、賢明なるホートリ(Hotṛ)としてのアグニに呼びかけ、シュナḥシェーパを解き放ったように衆生の束縛を解き、聖なる座を整え供物を捧げる礼拝者に、守護と安寧、そして確かな住まいを授けるよう祈願する。
Sukta 5.3
この讃歌は、多面の神威としてのアグニを讃える。彼は点火されると、ヴァルナの主権的秩序、ミトラの調和、そしてインドラの勝利の武威を体現する。詠み手は、罪過、敵意ある言葉、秘かまたは公然の害から祭主を守り、呪詛を退け、正しい歩み(yāma)を回復して、ヴァス(善と繁栄)へと導くようアグニに願う。
Sukta 5.4
このĀtreya(アトリ)伝承の讃歌は、アグニをヴァスパティ(vasupati、財宝の主)として、また祭祀を統べる王権の力として讃える。アドヴァラ(adhvara)の祭儀において喜びをもって招かれる。詩はアグニに、vāja(勝利の活力と充溢)をいよいよ増大させ、人間同士の争いのただ中で勝利を確かなものとし、礼拝者のうちに「快き世界の間」(syona loka)を据え、さらに広い繁栄――子ら、力、牛群、安寧――を打ち立てるよう祈願する。
Sukta 5.5
この讃歌は、澄ましバター(ギー)によってジャータヴェーダスなるアグニを燃え立たせ、供物を運び、祭主の生に正しい秩序(ṛta)を呼び覚ます光明の知者として讃える。内容は具体的な供献の行為から、より広い宇宙的調和へと展開し、とりわけ「ṛtaの母」とされる夜と暁の律動を描き、最後にsvāhā(スヴァーハー)の句を重ねて、供えを複数の神々へ、ついにはすべての神々へと拡げて結ぶ。
Sukta 5.6
この讃歌は、アグニを真の「住処」(astam)であり宝蔵として讃える。あらゆる養う力、迅速なエネルギー、勝利の強さは自然に彼へと向かう。詩人は、祭儀の中でそれらの力を駆り立て燃え立たせ、歌う者たちに絶えざる増大(iṣ)――とりわけ英雄の力と、馬のような俊速――をもたらすようアグニに願う。
Sukta 5.7
この讃歌は、人々の中で最も強く最も望ましい神力としてアグニを招き、祭祀者に意志(iṣ)と讃歌(stoma)を一つにして、供犠が正しく導かれるよう促す。アグニは万物を確立する者、甘美と広がる豊穣をもたらす者として讃えられ、またその力によって敵対する勢力(dasyu)を打ち破り、真の力を獲得すると歌われる。
Sukta 5.8
この讃歌はアグニを讃える。ṛta(宇宙の秩序・真理)を求める者たちによって点火される永遠に古い火、輝く家の主として秩序を打ち立て、祭祀を運ぶ者である。歌い手の献敬を受け入れ、明るい薪で烈しく燃え上がり、増大する力によって人間が地上の障害を乗り越えるのを助けよと祈る。
Sukta 5.9
この讃歌は、供物を受け取り、人間の祭儀の道に沿ってそれを神々へ運ぶ全知の火、ジャータヴェーダス(Jātavedas)としてアグニを招請する。アグニの慈恵ある導きと富を授ける力を讃える一方、制御を失えば焼き尽くしかねない、御し難い力をも併せて認める。祈りは、争いの中での勝利を伴う繁栄、成長、そして守護の希求へと結実する。
Sukta 5.10
この短いアグニ讃歌は、火の祭司に「ojishtha dyumna」――最も強大な光明の力――をもたらし、勝利・富・力(vāja)へと開かれた道を据えるよう願う。霊感に満ちた言葉でアグニを飾る者たちを讃え、彼らが内なる熱力(śuṣma)によって広い名声を呼び覚ますことを語る。結びでは、アグニをアṅギラス(Aṅgiras)かつホートリ(Hotṛ)として招き、争いのただ中で万事を征する富と成長を授けよと祈る。
Sukta 5.11
この短いアグニ讃歌は、彼を人々の目覚めた守護者として、またバラタ族を正しい道へ導く光輝ある祭司的力として描く。アグニが「すべての家」に遍在すること、神々の使者であり供物を運ぶ者であることを強調し、さらにアンギラサたちが古くに、摩擦して掻き出される隠れた火として彼を見いだしたという由来を語る。
Sukta 5.12
この短いトリシュトゥブ(Triṣṭubh)韻律のアグニ讃歌は、聖仙の「よく浄化された」言葉を供物として捧げ、アグニを、広大で真理を担う雄牛(vṛṣan)として讃え、祭儀においてṛta(宇宙の正序/真理の秩序)を確立し守護する者として描く。詩は、敵対する力を縛るのは誰か、虚偽からアグニの取り分を守るのは誰か、「言葉」を安全に保つのは誰かと問う。そこには、正しく整えられた祭儀、節度ある言語、そして神的守護が相まって勝利を確かなものとし、祭主に安定した住まいをもたらすという含意がある。
Sukta 5.13
アトリのこの短いアグニ讃歌は、歌によって呼び覚まされる火を讃え、選ばれたホートリ(Hotṛ)として祭儀を広く、効力あるものにする者として描く。讃美(arc-)は、点火・守護・「多彩な」繁栄を引き寄せることと繰り返し結び付けられ、アグニが祭礼に神々を集める中枢であることが示される。
Sukta 5.14
アトリのこの短いアグニ讃歌は、讃美と薪のくべによって火を目覚めさせ、祭主の供物を神々の集会へ運ばせるよう呼びかける。アグニは新生の光として称えられ、闇と敵対する力を征し、「牛/光線」、水々、そして輝く天界を取り戻す者であり、ギー、讃歌、そして正しい意志によって力を増す。
Sukta 5.15
この短いアグニ讃歌は、火神を賢明で太古の聖見者として、また富と安定を支える者として讃える。彼はギーによって点火され、ギーによっていっそう清められ明らかとなる。詩は、祭儀の循環の中で常に新たに生まれるアグニを描き、敵意を払い退ける猛き守護者として示す。さらに、洞窟に隠れた「歩み(足跡)」として大いなる豊穣を呼び覚まし、アトリを闇を越えて導く者として語る。
Sukta 5.16
この短いヴァシシュタの讃歌は、輝きつつ常に増し広がる炎としてのアグニを讃える。人々は彼を「前方」に据え、信頼できる友であり導き手として仰ぐ。讃歌は、共同体のために力を集め、争いの中で守護し、vārya(望ましい豊穣)をもたらし、svasti(安寧・福祉)の確かな拠り所を打ち立てるようアグニに願う。
Sukta 5.17
ヴァシシュタのこの短いアグニ讃歌は、よく整えられた祭儀によって、死すべき礼拝者を「より力ある」神なる助け手へと近づけ、アグニを守護者・導き手・増益者として讃える。アグニは、炎を衣としてまとい、霊感に満ちた言葉に駆り立てられるという、光輝にして宇宙的なイメージで描かれ、詩人は彼に、望む善を守り、安寧を授け、争いの中で力のためにいよいよ燃え上がるよう祈り求める。
Sukta 5.18
この短い讃歌は、夜明けにアグニをアティティ(客)――火と供物によって人の住まいへ迎え入れられる神聖な「客人」――として讃える。アグニは、不死にして人の供物を喜ぶ者、戦車のごとく損なわれずに前進する者として呼びかけられ、また寛大な施主の名声と繁栄を増し広げる者として称えられる。
Sukta 5.19
この短いアグニ讃歌は、「母」の内に秘められた火の誕生を観想する――覆いの中に隠され、のちに明確な姿となって現れる。アグニの光り輝き生命を呼び覚ます力が共同体と繁栄を増し広げることを讃え、さらに、風と灰の中を進む光線/炎としての躍動する戯れを喚起し、行為へ向けてその諸力を研ぎ澄ますさまを描く。
Sukta 5.20
アトリの聖賢によるこの簡潔なアグニ讃歌は、真に「聞くに値する」富、しかも神々にかなう富を授ける者としてアグニを招請する。ここではアグニが、古来より祭儀において最前に立つホートリ(Hotṛ)として選ばれ、dakṣa(正しい技と識別の力)を完成させ、祭主をṛta(宇宙の秩序/正法)に根ざした繁栄、光(牛=光線)、そして英雄的な力へと導く。
Sukta 5.21
この短いアグニ讃歌は、火を「人の作法に従って」(manuṣvat)呼び起こし、祭火が正しく据えられ、点ぜられて、礼拝を神々へ運び届けるよう願う。アグニは諸神が一致して選んだ使者(dūta)として讃えられ、さらに明るく燃え上がり、「ṛtaの胎」—増大と繁栄を支える秩序ある真理—に座を占めよと促される。
Sukta 5.22
この短いアトリの讃歌は、浄める炎であり祭儀に愛されるホートリ(Hotṛ)としてのアグニを招き、詩人たちの霊感ある言葉を見分けて受け入れるよう願う。アグニは、識別する心を備えた選ばれし神的守護者として描かれ、アトリの系譜がストーマ(stoma)とギーラー(gīra)によってアグニを「増し」飾り立てる者であることが強調される。目的は典礼的かつ信愛的であり、アグニの臨在を燃え立たせ、その助けを確かなものとし、明るい導きのもとで祭祀が進むようにすることである。
Sukta 5.23
この短いアグニ讃歌は、火神に「sahantama」――敵対する力に向かって押し進み、これを制する、最も征服的で光輝ある富(rayi、dyumna)をもたらすよう願う。アグニは万民に求められる愛しきホートリ(Hotṛ)として描かれ、結びでは、礼拝者の家々で明るく燃え立ち、繁栄と守護を授けよと直接祈りかける。
Sukta 5.24
この短いアグニ讃歌は守護を願う祈りである。詩人はアグニに、祭祀者たちに最も近い臨在(antama)となり、揺るがぬ避難所・護り(varūthya)となるよう求める。アグニに目覚めて呼び声を聞き、その守護の力を広げ、敵意ある企てから共同体を救い出すことを祈願する。結びでは、聖なる務めに携わる仲間に、アグニの恩寵と吉祥な安寧がもたらされるよう願う。
Sukta 5.25
この讃歌は、誠実に供犠する者に富・名声・健やかな子孫を授け、また敵対する力から礼拝者を守る神的助力者としてアグニを讃える。アグニは真実なるもの、先見者より生まれた力として招請され、危険な水を渡る舟のように、信奉者を怨恨と敵意の彼方へと「渡し運ぶ」。全体の目的は、祭儀の成就と祝福の獲得であると同時に、反対勢力を越えて安全に通過するための護りにある。
Sukta 5.26
この讃歌は、輝ける浄化者にして神々の祭司であるアグニを招請する。アグニの「舌」は供物を運び、諸神を祭儀へと呼び集める。詩はアグニに、神聖なバルヒス(barhis、儀礼の座)に神々を着座させ、ソーマを搾る祭主に力と英雄的活力(suvīrya)をもたらすよう願う。結びでは招きが全神的な集会へと広がり、マルット、アシュヴィン双神、ミトラ、ヴァルナ、そしてすべての神々が呼ばれ、周到に整えられた完全な祭儀が示される。
Sukta 5.27
この短い讃歌は、ヴィシュヴァーナラとしてのアグニ――普遍の火であり王者的な威力の主――を讃え、世に繁栄と正しい秩序を顕現させる者として描く。詩は施主(トリ・アルナ)の文脈によってアグニの偉大さを際立たせ、讃歌の効験を祭祀の言葉(ṛc/vāc)に結びつけ、さらに馬祭(Aśvamedha)の場とも連関させる。結びではインドラ=アグニを共に招き、クシャトラ(kṣatra、主権的武威)を支え守るよう祈願する。
Sukta 5.28
この短い讃歌は、点火されて天に届く炎としてのアグニを讃える。その輝きは、東から到来し、あらゆる望ましい贈り物を携えるウーシャス(曙)と出会う。曙光に照らされて世界が目覚めることと、祭儀が目覚めることとを結びつけ、礼拝者にアグニをhavyavāhana――供物を神々へ確実に運ぶ担い手――として選び取るよう促す。
Sukta 5.29
この讃歌は、堅固にして全知なるマルトたちの導き手としてのインドラを讃え、世界の秩序を整える力と、妨げの原型たる「蛇」(アヒ)に対する決定的勝利を歌う。詩は「三」のモティーフ――アリヤマンの掟、光り輝く諸界、流れ/水――を繰り返し用い、インドラの勝利を宇宙秩序の回復、そして生命を与える水と光の解放として枠づける。結びに、詩人は新たに練り上げたブラフマン(讃歌の技)をインドラに捧げ、その祈りをよく仕立てた衣と精巧に組まれた戦車に喩える。
Sukta 5.30
この讃歌は、迅速に来臨しソーマを愛する英雄インドラを讃える。彼は呼びかけに応じて現れ、敵対する力を打ち砕き、とりわけ光・牛・繁栄を妨げるダシュユの勢力を滅ぼす。讃美は生々しい戦闘の情景と織り合わされ、インドラが進軍して戦い、隠された「牛」(富/光)を顕わにするさまが描かれる。結びでは、詩人が具体的な獲得と祭儀に現れた勝利のしるしを想起して終える。
Sukta 5.31
この讃歌は、戦車に乗り抗しがたい力としてのインドラを讃える。彼は道を切り開き、「群れ」(富と諸力)を整え、先頭に立って安全に導く。アヒ/ヴリトラおよびシュシュナの欺きの幻力(māyā)に対する決定的勝利を想起し、インドラが障碍を打ち砕き、ダシュユを追い払い、信奉者のうちに力を確立することを強調する。祈りは守護の祝福に結ばれる――インドラを喜ぶ者が害から守られ、オージャス(ojas、生命力)を授かるように。
Sukta 5.32
この讃歌は、障碍を打ち破る者としてのインドラを讃える。彼は山を裂き、堰き止められた水を解き放ち、生命を与える流れを抑え込むダーナヴァを打ち倒す。インドラの抗しがたいヴァジュラの威力は、宇宙的行為としてṛta(正しい秩序)を回復し、聖見者とその共同体に繁栄をもたらすと歌われる。結びでは省察的に、brahman(聖なる言葉/祭儀)に身を捧げる者が、季節にかなった寛大な施与をなすインドラを、なぜ抑えようとするのかと問う。
Sukta 5.33
アトリのこの讃歌は、インドラの比類なき力と戦いに勝たせる加護を讃え、彼が「善き思い」(sumati)を呼び覚まし、勝利の力を祭主たちにもたらすよう祈願する。さらに、蛇を打ち砕くインドラの威力と、慈しみ深い富の授与を想起し、繁栄を神に導かれた「集め入れ」として、牛が安全な囲いへ入ってゆく姿になぞらえて描く。
Sukta 5.34
RV 5.34はアトリ系の讃歌で、ソーマの圧搾によってインドラを招き、彼をaj01tabatru(「敵意として生まれざる者」)およびbrahma-v01has(「聖なる言葉を担う者」)として讃える。規律を守り供物を捧げる圧搾者と、圧搾しない者とを対比しつつ、インドラを宇宙秩序を動かし、妨げる力を鎮め、祭儀を勝利と増大へと推し進める力として描く。
Sukta 5.35
アトリ系統のこのインドラ讃歌は、神に最も「効力ある決意」(kratu)を能動的な助けとしてもたらし、それを祭主たちの競争や日々の闘いにおける勝利の力へと転化するよう求める。また、敵対的で不和の衝動を押し伏せ、歌い手たちの戦車――彼らの前進を象徴するもの――を守護し、彼らの讃美と名声が「天において」、すなわち真理の光明の領域に確立されるよう祈願する。
Sukta 5.36
この讃歌は、切迫したソーマ招請であり、財宝を知り授ける者インドラに、搾り場へ来て、よく整えられたソーマを飲むよう促す。詩人は、搾り石や、搾り出され乳で調えられたソーマといった生き生きした祭儀のイメージで呼びかけを強め、インドラに「左と右」の両方からの富を乞い願う。結びでは、インドラの若々しい力と、マルット(風神群)との結びつきが讃えられる。
Sukta 5.37
この短いインドラ讃歌は、「インドラのためにソーマを搾る者」を讃える。その祭主は太陽の輝きとともに進み、曙光たちはその祭儀のために確かな道を開く。勝利する戦車の力をもつインドラは多くの勢力を自らの周りに集め、この歌は、太陽とアグニの恩寵を得たソーマの施与者に、円満――平時の安寧と、戦時の勝利――を約束する。
Sukta 5.38
この短いインドラ讃歌は、彼の施与の広大さと、守護の力が遠くまで及ぶことを讃え、礼拝者たちの「dyumnā」――光輝ある力、勝利のエネルギー――を増し加えるよう願う。さらに、信奉者のために天と動く地の野を支配するインドラの激しい威力(śuṣma)を想起し、結びに、彼の庇護(śarman)のうちに安らかに住み、その助けによって堅く守られることを請い求める。
Sukta 5.39
この短いアトリのインドラ讃歌は、勝利の力をもつ神に、惜しみなく「輝きあふれる」富と力を注ぎ出し、「両手で」繁栄をもたらすよう嘆願する。そこでは、堅固なものさえ屈せしめるとされるインドラの施与への意志(prarādhyam)が強調され、結びではアトリ族が自覚的に行う聖別された讃美――言葉を光り輝かせ、ブラフマンを担う力として立ち上げる行為――へと至る。
Sukta 5.40
この讃歌は、ソーマの主にして至高のヴリトラ殺しであるインドラに、搾り出されたソーマのもとへ速やかに来臨し、勝利の力で祭主を強めるよう祈請する。ついで名高いアトリの物語が語られる。悪魔スヴァルバーヌが闇でスーリヤを覆い、諸世界は混乱に陥るが、アトリたちは洞察とマントラの力によって隠された太陽を取り戻し、光と秩序を回復する。
Sukta 5.41
RV 5.41は射程の広い祈願歌で、冒頭ではṛta(宇宙秩序・正しい秩序)の守護者としてミトラ=ヴァルナに呼びかけ、祭主を守り、力・繁栄・安全な道行きを確かなものにするよう願う。詩が進むにつれて祈りはほとんど「万力」への招請へと広がり、他の神々や自然の守護者(水、植物、天、森、山々など)にも呼びかけて、癒し・防護・安寧を求める。結びでは、養いに満ちた豊穣が礼拝者に注がれるようにという簡潔な願いで締めくくられる。
Sukta 5.42
RV 5.42は、護りと繁栄を広く願う讃歌であり、「平安をもたらす」祈りをアーディティヤ神群――とりわけヴァルナ、ミトラ、バガ、アディティ――に捧げ、正しい秩序(リタ)の確立、道中の安全、安寧を求める。さらに、同盟する神々(とくにマルットやアシュヴィン双神)にも呼びかけ、敵対する力を退け、祭主と共同体に富と力、そして「不死」にも比せられる吉祥をもたらすよう願う。
Sukta 5.43
RV 5.43は、諸神(Viśve Devāḥ)への広範な招請であり、彼らを滋養し歓喜をもたらす力として思い描き、豊穣の「乳と蜜」を祭主の生に注ぎ入れるものとして讃える。讃歌は主要な助力神々(とりわけプーシャン Pūṣan とヴァーユ Vāyu)を辿り、末尾でアシュヴィン双神(Aśvins)に結ぶ。そこではrayi(充溢・富の充実)、vāja(実効の力と勝利)、導き、守護、そして「不死」の吉祥なる幸運が祈願される。
Sukta 5.44
この讃歌は、最も古く、しかも常に新たに更新される祭司の力としてのアグニを讃える。彼はバルヒス(barhis)の座に坐し、「太陽の諸世界を見出す者」(svàr-vid)であり、霊感に満ちた言葉によって引き出され、「乳を搾る」ように呼び出される。詩は、伝統的な祭式の作法に従うアグニへの招請から始まり、やがて彼を、欺きの力を打ち破る光輝ある守護者として描き、最後にアグニが目覚めたことを宣言する。そしてṚk(詩頌)とSāman(歌詠)とソーマ(Soma)が皆、友として、住まいの伴侶としての彼に合流すると結ぶ。
Sukta 5.45
このアトリ伝承の讃歌は、闇を破って「扉を開き」人々の道を拓き、祭主を天界(svarga)/光へと上昇させる光輝の力として、黎明—太陽の複合神格を讃える。詩は繰り返しdhī(霊感に満ちた知性)を、隠された「牛/光」を解き放ち、ナヴァグヴァ(Navagvas)が通過を成し遂げ、礼拝者が神的加護を得て苦難から自由となるための、働き手となる力として中心に据える。
Sukta 5.46
この讃歌はアートレーヤ(Ātreya)伝統に属し、祭主の旅路のために、導き・護り・正しい運行(ṛta)をもたらす協調した力としてヴィシュヴェ・デーヴァー(Viśve Devāḥ)を招請する。冒頭では、内なる「知者」(vidvān)が駿馬のように自らを轡に繋ぎ、道をまっすぐ先導するという鮮烈な比喩が示される。続いてマルット、ブリハスパティ、プーシャン、アーディティヤ神群へと呼びかけが広がり、最後にデーヴァパトニー(神々の妃たち)を目覚めさせて、神的リズムを動き出させる。
Sukta 5.47
この短いアトリの讃歌は、しばしばウシャス(曙)や大いなる母なる原理のイメージで読まれる、神秘的な女性の宇宙的力を呼びかける。その力は「目覚め」、ピトリ(父祖・祖霊)を祭儀の座へと招き寄せる。ついで詩は、数や「光の牝牛」といった凝縮された宇宙論的な謎へ移り、世界が秩序立って孕み、生み出されるさまを語る。結びには、ミトラ=ヴァルナ、アグニ、そして広大な天のもとで、安寧と確かな足場、そして安全な通行を祈願する。
Sukta 5.48
この短い讃歌は、「幻力をもつ者」(māyinī/māyin)という形成の力を観想する。すなわち、雲の中に水を集め、広大な領域を押し広げる力であり、また雷霆を帯びて昼と夜を秩序づける力でもある。結びでは、ヴァルナ(Varuṇa)を、麗しく衣をまとう四面の威力として名指しし、その広がりは測り知れないという。そこから、分配する神バガ(Bhaga)と、駆り立てる神サヴィトリ(Savitṛ)が、望ましい富を授ける。
Sukta 5.49
この短い讃歌は、生命を増し育てる宝を分かち与える神としてサヴィトリとバガを求め、またアシュヴィン双神を日々の伴侶・助け手として招く。さらに複数の神々への共同の讃嘆へと広がり、吉祥な日々を生み、障碍を取り除く力を称える。結びには、より広い道を願い、天と地の支えが保たれるよう祈る。
Sukta 5.50
この短いアトリの讃歌は、神を「導き手(Netṛ)」として招き、正しい道へ人を導き、友情と守護を与え、rayi(実質的な富・資財)とdyumna(光輝の力)を増し加えるよう祈る。そこには、導き手の伴侶を選び取るという個人的希求と、儀礼・社会的な祈願――客人が歓待され、patnīs(支える配偶神力)を敬い、道から敵意を追い払うこと――が結び合わされている。讃歌は、行路を安全に操り、福祉(svasti)へと向かわせる「車の主」に結びついた平安の祝福(śam)で締めくくられる。
Sukta 5.51
この讃歌は招請の賛歌であり、祭司の火としてのアグニを讃える。アグニは諸神をソーマ搾りの祭へと招き、供物が正しく運ばれるようにする。詩は、ミトラ=ヴァルナ、ソーマ、ヴィシュヌ、そしてヴィシュヴェ・デーヴァーハ(万神)における同心の一致(sajūḥ)を繰り返し強調し、祭儀が一つの調和した行為となることを願う。結びは祝福の調子となり、太陽と月のように安全で秩序ある道を求め、施し、知り、安寧のうちに再び結び合う共同体を祈り願う。
Sukta 5.52
この讃歌は、若き嵐の神々マルトたちへの力強い招請である。彼らのまっすぐで欺きなき栄光、轟く威力、障碍を砕き豊饒を解き放つ迅速な戦車を讃える。彼らに祭儀へ来臨し、歌い手の名声と護りを強め、rādhas(恩寵・賜物)として牛・馬・勝利の活力を授けるよう乞う。イメージは、宇宙的な嵐の働き(雲・石・河)と、礼拝者の内に燃え起こる熱情と勇気の覚醒との間を往還する。
Sukta 5.53
RV 5.53は、嵐の軍勢マルット(Maruts)を力強く讃える讃歌である。彼らの戦車に乗った疾走、雷鳴のごとき輝き、そして生命を育む雨を称える。詩人は、彼らが河川や諸地方を妨げなく渡り進み、正しき指導者スダーサ(Sudāsa)と歩調を合わせ、祭主の共同体に守護・力・吉祥なる恩寵を授けるよう祈り招く。
Sukta 5.54
RV 5.54 はアトリ系の讃歌であり、稲妻のごとく輝き、山々を揺るがす嵐の軍勢としてのマルットたちを招請する。彼らの雷鳴の進軍は障碍を払い、世界に活力を与える。詩人はその遠くまで及ぶ威力—太陽の運行のように迅速な力—を讃え、敵対する力との闘いにおいて、守護の臨在、勝利の勢い、そして真理にかなう助力を願い求める。
Sukta 5.55
この讃歌は、光り輝き武装の整った嵐の神々マルト(Maruts)を讃える。彼らはよく轭された駿馬に乗って迅速に駆け、戦車は吉祥なる道を進む。詩は彼らに、敵意と害を払いのけ、祭祀者をより善きもの(vasyaḥ)へ導き、供物を受け入れて共同体に豊かな富(rayi)と安寧をもたらすよう祈願する。
Sukta 5.56
この讃歌は、インドラの嵐の軍勢であるマルトたちを、光輝く天から人間の共同体へと招き下ろす。媒介者としてアグニが呼ばれ、彼らの降下を導き、その臨在を祭儀において有効なものとして成立させる。詩は彼らの緊密な一致、輝き、そして抗しがたい前進の力を讃え、彼らの来臨によって、祭主に豊穣と正しい衝動、寛大な幸運が解き放たれるよう祈願する。
Sukta 5.57
アトリのこの讃歌は、ルドラの子で「インドラに授けられた者」と呼ばれるマルトたちを、黄金の戦車に乗り、統一された輝きのうちに来臨して安寧を授けよと招く。彼らの嵐のごとき光輝の力と、曇りなき寛大な贈与を讃え、ṛta(宇宙秩序)の守護者として、真実を聞き取り、歌い手の祈りを高める者として描く。
Sukta 5.58
RV 5.58は、アトリによるマルット(マルーツ)への力強い讃歌である。彼らは一つに結ばれた嵐の軍勢として、つねに新たに甦り、迅速に乗り進み、不死の秩序のうちに主権的に立つ。詩はその激しい威力と「真理を聴く」徳を讃え、ついでその力を祈願へと転じる――マルットが慈しみを示し、祭主を富ませ、礼拝者の内なる「広がり」をṛta(宇宙の正しい秩序)にかなって増大させよ、と。
Sukta 5.59
この讃歌は、畏るべき嵐の群れとしてのマルットたちを讃える。彼らの疾走する来臨は大地を震わせ、秩序だった鳥のような飛翔は天の稜線を渡ってゆく。さらに、その美と武の輝き、迅速な駿馬、そして山にまとわる雲塊を解き放って雨を降らせ、生命と祭儀のための空間を広げる力が称えられる。
Sukta 5.60
この讃歌は、識別にすぐれ正しく座す祭司としてのアグニを招き、礼拝者の業を「選り分け」て完成させる者として称える。ついでマルトたちを儀礼へと引き入れ、勝利の戦車のごとく讃歌を前へ運ぶ躍動の力として描く。祭儀の秩序(アグニ)と嵐の霊感(マルト)のあいだを往還しつつ、結びは共なるソーマ飲みへ至る。すなわちヴァイシュヴァーナラなるアグニが、光り輝く前天においてマルトの群れとともに歓び、繁栄と正しい衝動、そして供犠の成就を確かなものとする。
Sukta 5.61
この讃歌は、最も遠い境から来臨する勇壮な群れとしてマルトたちに呼びかけ、その正体を問いつつ、守護の臨在を招き入れる。彼らの疾風・嵐のごとき迅速な力、豊穣(牛、力、養いの「流れ」)を授ける能力、そして歌い手が障碍を越えて向こう岸へ渡るのを助ける同盟者としての役割を称える。結びでは、光り輝く「牝牛」(光線/富)に沿って進む豊かな戦車の道という広いヴェーダ的主題に触れ、マルトの贈与が宇宙の秩序に根差すことを示す。
Sukta 5.62
この讃歌は、ṛta(宇宙秩序)を支える双神ミトラとヴァルナを讃える。その主権は、太陽の運行と諸世界の瑕なき統治に最も明らかに現れる。詠み手は二神に、途切れぬ守護で祭祀者を護り、霊感に満ちた知性を広げ、正しく光り輝く支配によって勝利と安寧を授けるよう祈願する。
Sukta 5.63
この讃歌は、宇宙秩序(Ṛta)の警醒なる守護者としてのミトラとヴァルナを讃え、彼らが最高天に座して真実の法と聖なる規定を保持することを歌う。さらに、その統治を目に見える宇宙の働き——とりわけ太陽の運行と雨の降下——に結びつけ、神的秩序が、彼らに嘉する者にとっての養い・繁栄・道徳的安定として現れることを示す。
Sukta 5.64
この短い讃歌は、ミトラとヴァルナをともに、守護する主権者として招き、彼らが囲いの境界のように祭者を取り巻き、天の広い光輝のうちに生命を護ることを願う。よく整えられた讃美を受け入れ、供犠の火が点ぜられるとき、搾られたソーマのもとへ速やかに来臨し、施主と歌い手に恩寵を広げ給えと祈る。全体として、宇宙秩序(ṛta)、社会的調和、そして祭儀の切迫した現在性を凝縮し、守りと正しい住まい(正しく生き住むこと)を求める簡潔な祈りとなっている。
Sukta 5.65
このミトラ=ヴァルナへの短い讃歌は、ṛta(宇宙秩序)を支えるアーディティヤたちに、霊感ある言葉と正しい導きを求める。苦難から抜け出す「広い道」を開くミトラの力を讃え、神聖な二神が結び合って人々を導き、堅固な囲いの内で聖見者と施主を守るよう祈願する。
Sukta 5.66
アトリのこの短い讃歌はミトラ=ヴァルナを招請し、とりわけヴァルナをṛta-peśas――「ṛta(宇宙秩序)をその姿/衣としてまとう者」――として強調する。詩は、死すべき礼拝者に彼らの遠見の導きへ目覚め、正しく供犠し、守護と明晰さを受け、内なる主権(svarājya)へと向かうことを促す。各詩節でこの二神は、kaviのような予見の賢者として讃えられ、そのketu(光輝のしるし)によって人々を照らし、驚異の力によってダクシャ(Dakṣa)とṛtaを保持すると歌われる。
Sukta 5.67
この短い讃歌は、アーディティヤ神群――とりわけヴァルナ、ミトラ、アリヤマン――を讃える。彼らは全知にしてṛta(宇宙秩序)を保持する者であり、その広大な法令は真の主権(kṣatra)と守護を授ける。彼らが定められた法(vrata)のもとに揺るぎなく運行し、害から人間を護る力をもつことが強調され、アトリの聖見者の霊感に満ちた思念(mati)は礼拝において彼らへと迫り向かう。
Sukta 5.68
この短い讃歌は、ミトラとヴァルナを、ṛta――広大な宇宙の真理・秩序を支え保つ偉大な主権者(mahi-kṣatrau)として讃える。彼らが祭祀者に地上と天上の双方の豊穣を授ける力を与えるよう祈り、雨、流れる水、養いによる働きを通して、充溢のための「広大な基盤」を築くさまを描く。
Sukta 5.69
この短いアトリの讃歌は、ミトラとヴァルナを、三つの光明の界を支え、揺るぎない宇宙の誓戒(vratāni)を執行するアーディティヤとして讃える。神聖なる法を守護し、統治と共同体から曲がった、あるいは迷妄の助言を取り除き、家族と後代のために安寧、繁栄(rāyí)、そして平和を授けるよう二神に願い求める。
Sukta 5.70
この簡潔なアヌシュトゥブ韻律の讃歌は、ミトラ=ヴァルナを現前する助け手として招き、秩序正しく光り輝く善き導き(sumati)によって、礼拝者を傷、困難、そして内なる障碍から渡らせてくれるよう願う。守護と実効ある防護の力、さらにダシュユの勢力(闇と無秩序)への勝利を求め、結びにおいては身体と生命力に害を及ぼすいかなる災厄(yakṣa)からも免れさせたまえと祈る。
Sukta 5.71
この短いガーヤトリー讃歌は、ミトラとヴァルナを、害する力を退け、アドヴァラ(無害の祭儀)の正しい道を支える守護者として、祭儀の近くへ招き寄せる。彼らを全知の主権者として讃え、礼拝者のdhiḥ(洞察・霊感)が広がり、揺るぎなく定まるようにと願う。結びでは明確にソーマへ招き、神聖な二神が近づいて飲み、内なる秩序と歓喜を打ち立てるよう祈る。
Sukta 5.72
この短いトリシュトゥブ(Triṣṭubh)讃歌は、アトリ(Ātreya)—本文で明示される「アトリのごとく」(atrivat)—の先例に倣い、ミトラとヴァルナを招いて「バルヒス(barhis、供犠の敷草)に坐し」、祭儀においてソーマを享受するよう請い願う。誓戒(vrata、拘束する規定)とダルマ(dharma、正法・秩序)による揺るぎない統治を讃え、平安を確立し、攪乱の力を抑え、祭主の選び求める善(iṣṭi)にかなうよう、ヤジュニャ(yajña、供犠)を喜び受け取って加護することを祈る。
Sukta 5.73
この讃歌は、アシュヴィン双神(ナーサティヤー)に、いま住まういかなる界からでも――遠くからも、近くからも、あるいは中空からも――急ぎ来臨し、礼拝者に迅速で豊かな救援を施すよう切迫して招く。霊感ある聖仙(とりわけアトリ)および「ガルマ」(温かく光り輝く供物)との親密な結びつきを想起し、戦車のごとき速やかな到来と癒やしの恩恵を讃える。結びの詩句は、この讃歌そのものを丹念に作り上げられた言葉として位置づけ、平安と増大をもたらすために捧げられる、広がりゆく敬礼として示す。
Sukta 5.74
この讃歌は、アトリが暁に切迫してアシュヴィン双神(ナーサティヤー)を招く呼びかけである。俊速の双子の癒し手に呼声を聞き届け、護りの助けと繁栄を携えて来臨するよう求める。彼らの揺るぎなく常に備わる臨在、讃歌への即応、そして招きに応じて受け入れるとき、力・享受・支えといった恩恵を具体的に「注ぎ出す」ことが強調される。
Sukta 5.75
この讃歌は暁の時刻にアシュヴィナウ(ナーサティヤー)を招く祈請であり、愛され宝を運ぶその戦車を祭儀へと呼び寄せ、詩人の「蜜のように甘い」呼び声を聞き入れるよう願う。チャヴァーナなどの名高い救済と回復を想起しつつ、アシュヴィン双神を迅速な癒やし手・救い手として描き、初光とともに来臨して、祭主に力・繁栄・正しい秩序(リタ)を新たに授けると語る。
Sukta 5.76
この短いアシュヴィン讃歌は、曙光に照らされてアグニが現れ、霊感に満ちて神々へ向かう言葉が立ち上がるところから始まる。ついで、用意されたgharmá(温められ、活力を与える飲料)へと戦車を向けるよう、アシュヴィンに切迫して招請する。双子の癒し手が、朝・正午・昼と夜というあらゆる結節の時に来臨し、喜びを与える飲み物とその守護が決して途切れぬよう求める。結びでは、彼らの「常に新しい」助けと調和して進み、富と英雄の力、そして尽きぬ吉祥を受け取ることを祈願する。
Sukta 5.77
この短いアシュヴィン讃歌は暁の招請であり、祭主たちに、夜明けの最初に双騎の神をまず呼びかけるよう促す。そうすれば彼らは速やかに来臨し、敵対する「貪欲な」力が祭儀を妨げる前にソーマを飲むことができる。讃歌は彼らの輝く車と、心の速さに等しく風のように駆けつける救援を讃え、それが信奉者を苦難の彼方へ運び去ると述べる。結びに、つねに新たな守護、繁栄の富(rayi)、英雄的な力、そして尽きぬ幸運を祈願する。
Sukta 5.78
この讃歌は、迅速なる神々の医師アシュヴィン双神(ナーサティヤ)に、ソーマ供犠へ速やかに来臨し、背を向けて去らぬよう切迫して呼びかける。主題は守護と安産であり、時至って子宮が開き、母子が生きて無傷のまま現れることを祈願する。さらに、サプタヴァドリ救出の想起というモチーフによって、アシュヴィンの治癒・救済の力が強調される。
Sukta 5.79
この讃歌は、ウシャス(暁)への直接で親密な呼びかけであり、祭儀を行う者たちを目覚めさせ、彼らを豊穣(rāyī)と力、そして正しい働きへと導くよう願う。暁はつねに新たに甦り、その輝きが尽きることなく、歌い手と施主に英雄的な名声、迅速な活力、霊感に満ちた言葉を授けるものとして讃えられる。
Sukta 5.80
RV 5.80は黎明讃歌であり、アトリ系の聖見者たちはウシャス(曙光)を、広大で深紅に輝く力として讃え、ṛta(宇宙秩序)に従って世界を顕現させる者として描く。讃歌は、光を秩序正しく開示する働き、「方角を乱さない」導き、そして繰り返し帰来して生命・労働・霊的希求を新たにするその循環を祝福する。
Sukta 5.81
この短いサヴィトリ(Savitṛ)讃歌は、神なる「衝き動かす者」を讃える。彼は聖見者たちの心と思索(洞見)を「軛につなぎ」、祭儀の諸力を正しく整え、すべての神々を自らの前進する運行に従って動かす。サヴィトリは諸世界の測り手であり、あらゆる生成に遍在する主権者として称えられ、行為の内的・外的な発起者として生きものを安全に導く。結びでは、サヴィトリこそがプラサヴァ(prasava、衝動・発動)の唯一の主であり、その歩みにおいては導き養う者プーシャン(Pūṣan)として、ストーマ(stoma、讃歌)を受け取るよう招かれると同定される。
Sukta 5.82
この讃歌は、神聖なる衝き動かす者サヴィトリ(Savitṛ)に、最上の養い、正しい歩み、吉祥なる運命を授けるよう祈るものであり、バガ(Bhaga)はサヴィトリの分配と福楽の力として招かれる。あらゆる誤りの道・災い(duritāni)が追い払われ、真に善きもの(bhadram)が祭祀者たちへと衝き動かされて来ることを願う。さらに本讃歌は、万有と諸々の誕生を顕現へと導き、霊感に満ちた言葉によってそれらを「聞かしめる」宇宙的力としてサヴィトリを讃える。
Sukta 5.83
この讃歌は、ヴェーダの雨の力パルジャニヤに熱烈に呼びかけ、雷鳴を轟かせて水を解き放ち、大地を孕ませ、薬草と食物を生じさせよと願う。雨は草木と土に置かれる生命の種として描かれ、守護と豊穣、そして旱魃と不毛を越えて安全に渡ることが祈り求められる。
Sukta 5.84
この短いアトリの讃歌は、素早く遍歴する力に呼びかける。夜の詠唱によって讃えられ、それは嘶く軍馬のように、充溢と力を駆り立てて押し出すものとして称揚される。この詩句は喚請の言葉として機能し、動く輝き/嵐のエネルギー(名または異名として「アルジュニー」)を招き、祭主に活力・推進力・勝利の豊穣を顕現させる。
Sukta 5.85
この讃歌は、ṛta(宇宙的・道徳的秩序)を支える主権者としてのヴァルナを讃える。彼は天と地を測り定め、太陽の通い路を स्थापितする。詩は、秩序を実現する有効な力としてのヴァルナの広大な「māyā」への畏敬から、悔い改めの祈りへと移り、見える罪も見えない罪も、弛んだ縛めのように解き放たれて、礼拝者が神の恩寵へ立ち帰ることを願う。
Sukta 5.86
この簡潔なインドラ=アグニ讃歌は、力の競いと正しい行為において人間を支える一対の力として、インドラとアグニをともに招請する。内外の障碍を打ち砕き、進行の「戦車」を導き、正しく捧げられた供物によって、歌い手たちに広い名声と富、そして命を支える養いを確立してほしいと願う。
Sukta 5.87
この讃歌は、山々より生まれた嵐の群れマルトたちを、規律ある、祭祀にふさわしい一団として招請する。彼らの轟く力は輝きと守護、そして勝利の進撃をもたらす。さらにその躍動する威力を、ヴィシュヌの広大で前へと踏み出す力と結び、マルトたちに呼びかけを聞き、祭儀を守り、敵対する否定と妨害に対して祭主を不落・不可侵とするよう願う。
Mandala 5 belongs to the family-book layer (Mandalas 2–7) and is traditionally attributed to Atri and his descendants (Atrides), whose school preserved and transmitted these hymns.
It is often noted for an archaic register: conservative vocabulary, inherited formulae, and compact, dense poetic constructions typical of early Rigvedic family collections.
Agni and Indra dominate as in much of the Rigveda, but Mandala 5 is especially remembered for a strong presence of Ashvin hymns, alongside notable praises to Uṣas, the Maruts, and the Ādityas.
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