मार्कण्डेयपुराण
The Purana of Sage Markandeya
Home of the sacred Devi Mahatmya — the supreme glorification of the Goddess. Encompassing Shakti theology, Manvantara cosmology, and the eternal triumph of dharma over adharma.
Start ReadingThe Markandeya Purana is one of the eighteen Mahapuranas, narrated by the ancient sage Markandeya to his disciple Kraustuki. Among all the Puranas, it holds a unique distinction as the home of the Devi Mahatmya (also known as Durga Saptashati or Chandi), the foundational text of Shakta philosophy and Goddess worship. The Purana weaves together cosmology, dharmic instruction, the Manvantara cycles, and the supreme glory of the Divine Feminine.
The Markandeya Purana is structured into 91 Adhyayas (chapters), with the celebrated Devi Mahatmya spanning chapters 81-93.
91 chapters covering cosmology, dharma, and Devi worship
Verses read one by one
This edition of the Markandeya Purana on Vedapath includes:
The Markandeya Purana spans 91 Adhyayas.
Each Adhyaya explores cosmology, dharma, or the glory of the Goddess.

Invocatory Introduction
本章は吉祥なる開端の讃嘆であり、ナーラーヤナ、サラスヴァティー、そしてヴィヤーサに礼拝し、その加護を請い願う。聖なるプラーナの言葉が清らかに滞りなく語られ、聞く者に信愛と智慧、心の安らぎが授けられるよう祈る。

Jaimini's Questions
ヴィヤーサの弟子ジャイミニは、『マハーバーラタ』に関して深い疑問を抱く。なぜダルマが苦難に遭い、アダルマが勝つかのように見えるのか、そしてシュリー・クリシュナの御意とカルマの法則をいかに理解すべきか。ヴィヤーサは、ヴェーダに通じ不思議な由来をもつ賢鳥たちのもとへ行き、その教えを聴くよう導く。かくして、業の微妙な報いと神聖なる秩序の正しさを明かす「鳥の物語」が敬虔な求道の情とともに始まる。

The Wise Birds
本章は、スパルナ(Suparṇa)/ガルダ(Garuḍa)の系譜を述べ、ダルマの教えとしてのウパーキャーナ(譬話)を示す。賢き鳥カンカとカンダラの誕生が語られ、戒と誠実、聖なるものへの敬意が讃えられる。正法に従うことが功徳と守護、安らぎをもたらすと明かされる。

Birth of the Birds
第3章は、ダルマに帰依する鳥たちダルマパクシ(Dharmapakṣis)が、前世の呪いによって鳥として生を受けた因縁を語る。彼らは鳥の身でありながら智慧と清らかな志を保ち、業(カルマ)とサティヤ(真実)の尊さを示す。さらにインドラが変装して彼らの誠実さを試し、真実と法が最上の守護であることを明らかにする。

Draupadi and Her Husbands
ジャイミニはダルマの真意を求めて、ヴィンディヤ山中の洞窟へ入る。そこで彼は、法を語る智慧の鳥「ダルマパクシ(Dharmapakshi)」に出会い、『マハーバーラタ』の出来事に関する四つの疑問を問いかける。この対話はナーラーヤナの教えの端緒となり、ヴィシュヌ/ナーラーヤナこそがダルマの根本であり解脱の道であることを示し、迷いを敬虔な明晰さへと導く。

Balarama's Pilgrimage
本章は、トヴァシュトリ(Tvaṣṭā)が悲憤のあまり怒りを発し、誓願の力によってヴリトラ(Vṛtra)を生じさせ、インドラ(Indra)の大敵としたこと、そして天神とアスラ勢力の激しい抗争を語る。業と聖なる言葉の威力、世界秩序を護ろうとする決意が描かれる。さらに諸神はダルマ回復のため人界に降り、パーンダヴァ(Pāṇḍava)として化生する。

Vasu's Story
本章は、バララーマがティールタ(聖地)巡礼を開始するにあたり、義務と迷いの間で心が揺れるさまを語る。レーヴァタの林苑では酒に酔って彷徨い、怒りとバクティ(信愛)の情が交錯して現れる。やがて不敬で不相応な振る舞いをしたスータを討ち、ダルマと儀礼の秩序、聖なるものへの敬意を守ることを示す。

Fall of Vasu
本章は、聖仙ヴィシュヴァーミトラによって王ハリシュチャンドラがダルマと真実への堅固さを試される物語である。王は聖なる誓いを守るため、王国と財宝を布施(ダーナ)として捧げ、深い苦難を受けても正道から退かない。さらに、パーンダヴァに関わる呪いの由来が後日譚として示され、後の展開の背景となる。

Vasu's Redemption
本章は、ハリシュチャンドラ王の「真実(サティヤ)」の試練を語る。サティヤとダルマを守るため、王は王位を捨て、王妃と王子を売り、ついには火葬場でチャンダーラの下僕として縛られる。深い悲嘆と忍耐、そして真理への揺るがぬ信が、荘厳に描かれる。

Lineage of Manus
本章は、偉大な聖仙ヴァシシュタ(Vasiṣṭha)とヴィシュヴァーミトラ(Viśvāmitra)が、驕りと怒りにより互いに呪詛を放ち、怨みが増大していくさまを語る。そこからアーディ(Āḍi)とバカ(Baka)の凄絶な戦いが起こり、諸世界を揺るがし衆生を恐れさせる。最後に梵天ブラフマー(Brahmā)が降臨して和解を導き、怒りを鎮め、戦を止めてダルマと安寧を回復させる。

Svayambhuva Manvantara
第10章では、ジャイミニが誕生・死・カルマ、そして身体に宿るジーヴァの旅路について問いを発する。魂がいかに胎内へ入り、身体がどのように形づくられ、出生に伴う苦がいかなるものか、さらに死後に何が起こるのかを探究する。業の果報、再生、そして聖なる教えに照らした解脱への希望が静かに示される。

Svarochisha Manvantara
このアドヒャーヤでは、胎内の子が胚の成立、月ごとの成長、母胎での苦しみ、そして出産の激痛を説き明かす。生まれ落ちた後、衆生はダルマと内なる誓いを忘れ、業に導かれてサンサーラの輪に再び回転する。語りは厭離と覚醒を促し、神聖を憶念して解脱を求めよと勧める。

Auttami and Tamasa
このアドヒャーヤでは、子が罪業をなす者への戒めとして諸々のナラカ(地獄)を語る。Mahāraurava、Tamas、Nikṛntana、Apratiṣṭha、Asipatravana、Taptakumbhaを挙げ、霊が自らの業に応じて苛烈な苦報を受ける場として描写する。その語りは畏れと覚醒を呼び、ダルマに立ち返り善を修めるよう促す。

Raivata and Chakshusha
このアディヤーヤでは、息子が地獄の諸相と、罪業によって受ける苛烈な責め苦を語る。さらに「見えざる罪」—人目に触れぬ隠れた過ち—について問い、たとえ知られずとも業の果報は必ず現れると諭す。

Vaivasvata Manvantara
このアディヤーヤでは、ヤマ(閻魔)の使者が業(カルマ)の報いと、ナラカ(地獄)における責め苦の原因を説き明かす。欺き、暴力、盗み、ダルマの破壊、聖なるものへの不敬といった罪は、それぞれに相応する罰となって魂に返ると語られる。厳粛で戒めに満ちた叙述は、罪への畏れを呼び起こし、正しい行いによって地獄の苦患を免れるよう促す。

Future Manvantaras
本章は、閻魔の使者ヤマキンカラ(Yamakiṅkara)と、ナラカ(地獄)で罰を受ける魂との対話を語る。衆生は業(カルマ)に従って報いを受け、刑罰の後には善悪の行いに応じて再び生を受ける。地獄の苦患を目の当たりにした王は深い慈悲に動かされ、業の法の厳正さを悟り、ダルマに帰依し悔い改めて善を積むことを諭す。

Surya's Dynasty
本章は、父と子の対話を通して出離と執着の放下を説く。子は、欲・怒り・我慢を離れ、アートマンの静けさに心を定めて解脱へ向かうよう諭す。続いてアナスーヤーとマンダヴィヤの説話が語られ、貞婦の誓行(パティヴラター)の威力が顕される。真実と清浄なる夫婦の誓願によって、アナスーヤーは夫を守るために日の出を一時止め得たとされ、ダルマの力が自然の理をも超えうることを讃える。

Harishchandra
本章は、聖仙アトリと貞淑なるアヌスーヤーが成就した崇高な苦行(タパス)を語る。三神一体(トリムールティ)—ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ(ルドラ)—は歓喜して恩寵を授け、三人の子が誕生する。すなわちソーマ(チャンドラ、月神)、ダッタートレーヤ、ドゥルヴァーサである。三者は霊威と徳を顕し、ダルマを護り世を益するために現れる。

Alarka's Story
本章では、アルジュナが謙虚さと罪を恐れる心から王位を辞退し、権勢を求めないことが語られる。聖仙ガルガは彼に、ダッタートレーヤを礼拝し、ラクシュミーの住処とその在り処を省察するよう導く。ダッタートレーヤの清浄なる霊視とラクシュミーの移動・働きによって、神々はダイティヤ族を打ち破り、法と繁栄が世に回復する。

Dama's Teaching
この章では、カルタヴィーリヤ・アルジュナが敬虔な心でダッタートレーヤのアーシュラマを訪れ、奉仕と礼拝を捧げる。聖仙の恩寵により、彼はダルマを守護するための威力、王権、武勇、富貴の加護を授かる。さらにヴィシュヌへの讃嘆が語られ、ヴァイシュナヴァのバクティが聖なる成就の道として称揚される。

Duties of Life Stages
本章は、リタドヴァジャが真実とダルマを守ることによってナーガの王子たちと深い友誼を結ぶさまを語る。さらに、その交わりを通して、馬の宝「クヴァラヤー」(Kuvalayā)の起源譚が明かされる。クヴァラヤーは護りの力を備え、旅路を助け、名誉を保つ霊妙な名馬である。物語には敬虔さと感謝、善き縁の祝福が満ちている。

Householder's Dharma
このアドヒャーヤでは、クヴァラヤーシュヴァ王がマダーラサーの誘拐を阻むため、パーターラ(地下界)へと降りてゆく。冥府の危難とアスラの勢力に立ち向かい、勇気とダルマを拠り所として策謀を打ち砕き、マダーラサーを救い出して無事に連れ帰り、王統の名誉と聖なる秩序を守り抜く。

Dharma of Giving
本章は、王クヴァラヤーシュヴァ(Kuvalayāśva)がダイティヤ/アスラの欺きの策により死へ追い込まれるさまを語る。王妃マダーラサー(Madalasā)は深い悲嘆に沈み、夫への聖なる貞節と献身ゆえに火葬の火に身を投じて自らを焼き、夫に随う。

The Brahmin and His Wife
本章は、アシュヴァタラがマダーラサを得るために誓願を立て、厳しい苦行(タパス)を修するさまを語る。彼は女神サラスヴァティーを讃歌によって敬虔に讃嘆し、慈悲と導きを乞う。サラスヴァティーはこれを喜び、加護を授けるとともに、音(スヴァラ)・拍(ターラ)およびガンダルヴァの音楽学(ガンダルヴァ・ヴィディヤー)という聖なる楽の智を与え、心を清め調和させて、マダーラサとの尊い縁にふさわしい者とする。

The Fowler's Discourse
このアドヒャーヤでは、王クヴァラヤーシュヴァがダルマに堅く立ち、贈り物や称賛を執着なく退ける。ついで王は、王妃マダーラサーの示す「マーヤー(幻力)」の光景を目の当たりにし、世の無常と迷いを悟って、識別と離欲、そして心の静けさへと導かれる。

Madalasa's Teaching I
このアディヤーヤでは、マダーラサーが王宮へ帰還し、王位継承の次第が整えられる。王は王子ヴィクラーンタに統治の責務を担わせ、後継として立てる。マダーラサーは聖なる教えを授け、アートマンの真理と世の無常を説き、ヴィクラーンタがダルマに則って治め、勇毅と慈悲を保ちながらも権勢や快楽に執着しないよう導く。

Madalasa's Teaching II
この章では、聖なる母マダーラサが命名の儀を行い、王子に「アラルカ(Alarka)」の名を授ける。世を厭い離れようとする心を見て、彼女はダルマの教えによって彼をクシャトリヤの本分へと導き直し、王としての責務、民の守護、正義の確立、法の秩序の維持を担うべきことを諭す。

Madalasa's Teaching III
本章では、マダーラサがアラルカ王に、王の聖なる務めであるラージャダルマ(王法)と治国の要諦を説く。まず自己に勝ち、欲望・怒り・慢心を制してこそ、公正な統治が成り立つと教える。王は民を守り、賢者を敬い、刑罰は節度をもって慈悲と智慧により行い、ダルマを護って国の安寧と繁栄を確立すべきだと示される。

Madalasa's Teaching IV
この章でアラルカは母マダラサに、ヴァルナとアーシュラマのダルマについて問いかける。マダラサは慈愛をもって、四つの身分に応じた務めと、四住期—梵行期(ブラフマチャリヤ)、家住期(グリハスタ)、林住期(ヴァーナプラスタ)、遊行期(サンニャーサ)—の規範を説き、正しい義務の遂行が心を清め、世の調和を保ち、解脱へ導くことを示す。

Dama and Moksha
王アラルカは母マダーラサーに、家住者の法(ガールハスティヤ・ダルマ)を問い求める。彼女は、清浄と正直をもって家を治め、日々ヴァイシュヴァデーヴァ(Vaiśvadeva)の供養を行い、食を神々・祖霊・あらゆる生きものへ分かち施すべきことを説く。さらに、アティティ(Atithi、客人)を神の来臨として敬い、丁重に迎え、食を与え、心を慰めよと諭す。布施と慈悲と自制により、家庭はダルマに仕える聖なる場となり功徳を積む。

Dattatreya's Story
第30章では、マダーラサーが家住者のダルマを説く。夫・父母・客人を敬い、住まいを清浄に保ち、正しく布施(ダーナ)し、財を公正に治めるべきことが語られる。さらに、特定の機会と時に行う祖霊供養の儀礼ナイミッティカ・シュラーダ(Naimittika–Śrāddha)の作法を示し、信(シュラッダー)と清浄、儀礼の秩序をもって聖なる義務を果たすよう諭す。

Yoga Philosophy
第31章は、因縁に基づくナイミッティカのシュラーダ(Śrāddha)と関連儀礼を説き、とりわけサピンディーカラナ(Sapiṇḍīkaraṇa)によって亡き者を祖霊(pitṛ)の列へ結び入れる法を明らかにする。施行者の資格、適切な時期とティティ(tithi)、そして婆羅門の招請、ピンダ(piṇḍa)・灌水・供食の次第など、正法に則った手順を示し、祖先への敬虔と鎮安を成就させる。

Sankhya Philosophy
本章は、祖霊ピトリ(Pitṛ)に捧げる定期の供養儀礼「パールヴァナ・シュラーダ(Pārvaṇa Śrāddha)」の作法を説く。祖先が喜ぶ供物・食物を挙げ、避けるべき品々も示して、儀礼の清浄と功徳の成就、孝敬の心の円満を導く。

Nature of the Self
第33章では、マダーラサーが、月日(ティティ)とナクシャトラ(宿)に応じて祖霊(ピトリ)に捧げるシュラーダ(Śrāddha)の果報を定めて説く。適切なティティと宿を選び、食物の供養・布施・儀礼を敬虔に行えば功徳が増し、祖霊は安らぎを得て、行者にも吉祥と加護がもたらされると示される。

Duties of Women
このアディヤーヤでは、マダーラサーが家住者のサダーチャーラ(正しい生活規範)を説く。身心の清浄、沐浴と清掃、日々の務めの整え、聖火と神々への敬礼、サンディヤー・ヴァンダナ、ジャパ、毎日の供養と礼拝が示される。真実・慈悲・節度・客人への敬意を重んじ、家に安寧と功徳が満ち、ダルマが護られるよう導く。

Sins and Their Remedies
本章では、マダーラサーが王アラルカに、サダーチャーラ(正しい作法)に基づく śauca(清浄)と aśauca(不浄)を説き示す。出生と死、穢れたものへの接触、不適切な飲食や行為が不浄を招くことを明らかにし、沐浴・洗浄、住まいの清掃、言葉と心の制御、聖火への敬意と儀礼の遵守による浄化法を教える。さらに、親族関係や身分に応じた不浄期間を定め、過失を正し罪を償う prāyaścitta(贖罪・是正の儀礼)によってダルマの秩序と家国の安寧を回復する道を示す。

Hell Realms
本章では、マダラーサーがリタードヴァジャ王に最後の教誨を授け、人生の無常と王権のはかなさを諭す。彼女は執着を離れ、ダルマに則って統治し、心を神聖なるものへ向けることを説く。王は静かにその言葉を受け入れ、王位を捨ててサンニャーサ(出家)の道に入り、モークシャ(解脱)を求める決意を固める。

Cycle of Rebirth
本章は、王アラルカ(Alarka)が欲望と執着に心を乱され、王としての務めと私欲の間で揺れる危機を語る。そこで彼は、母マダーラサ(Madālasa)が授けたヴァイラーギャ(離欲・無執着)の教えを想起し、楽苦・栄辱・権勢はいずれも無常であり、心を縛るべきではないと観ずる。聖なる教訓を味わうことで、アラルカは我慢と貪りを鎮め、自制と静けさを得て、ダルマの道へと向かう。

Shraddha Rites
この章で聖者ダッタートレーヤは、「これは私のもの」という執着であるママターを捨て、身体・財産・縁に自己を同一視しない道を説く。アートマンの悟り、離欲(ヴァイラーギャ)、禅定と内なる覚醒によって、求道者は苦しみを超え、解脱(モークシャ)へと進む。

Funeral Rites
本章はヨーガの修行法を説く。アーサナ(坐法・姿勢)、プラーナーヤーマ(呼吸の制御)、プラティヤーハーラ(感官を対象から引き戻すこと)、そして成就の徴を示し、清浄で静かな不断の実践によって心を浄め、サマーディへ至る道を明らかにする。

Creation of the World
本章は、ヨーギーが三昧に入る際に遭う障碍(ウパサルガ)、心の微細な集中の段階、そして修行者を惑わせ得る徴を説く。誘惑や恐怖、散乱、さらには不思議な力さえも、戒と覚醒と神聖への帰依によって乗り越えるべきことが示される。終わりに八つの成就(アシュタ・シッディ)を挙げ、我慢や神通への欲が解脱の道を損なうと戒める。

Secondary Creation
第41章「ヨーガシッディ」は、ヨーギーの正しい行いと、成就(シッディ)へ導く清浄な規律を説く。諸感官の制御、心の静寂、忍耐、真実への堅固な執持を重んじ、サマーディによって心が神聖と合一し、修行の果報と定から生じる力を得ることを示す。

Origin of Species
第42章では、ダッタートレーヤが「オーム」(プラナヴァ)のヨーガ的意義を説く。A‑U‑Mの三つのマー トラーと、音の後に現れる沈黙(アマートラー)を、諸世界に対応する観想の段階として示し、解脱への道を明らかにする。プラナヴァに三昧して瞑想すれば、心は清められ、我執は薄れ、モークシャへと近づく。

The Sun's Course
本章は、死の前兆である ariṣṭa-lakṣaṇas(アリシュタの徴)を、身体の変化、夢、天象・自然の兆しとして説く。ヨーギンはサマーディと真言の誦持、離欲によって恐れを超え、解脱へと心を定める。アラルカ王(Alarka)は権勢の無常を悟り、王位を捨ててダルマに帰依し、モークシャを求める。

Planetary System
第44章では、スバーフーがカーシー王に、ダルマにかなう統治—正義、節制、そして慢心の放棄—を諭す。続いてアラルカは世の栄華と快楽の無常を悟り、離欲の心を起こして王位を捨て、ヨーガとヴァイラーギャによって内なる静けさと解脱を求める。

Mount Meru
ジャイミニは聖仙マールカンデーヤに、宇宙の成り立ちとプラークリタ・サルガ(原初の創造)について問いかける。大いなる溶解(プララヤ)の後、プラクリティ、時、根本原理がいかに展開するのか。マールカンデーヤは荘厳に語り始め、静寂から世界生成へと秩序立てて導く。

The Continents
本章は、宇宙の大滅(プララヤ)ののち、根源の状態からブラフマーが顕現して再び創造を起こすさまを説く。さらに、ユガ(Yuga)、マンヴァンタラ(Manvantara)、そしてブラフマーの一日という聖なる時間尺度を定め、世界が生起・存続・融解を繰り返す輪廻的秩序を明らかにする。

Bharata-varsha
本章は、ブラフマーがヨーガ・ニドラーの眠りから目覚め、九種の創造体系(サルガ・ナヴァカ)に従って創造を開始するさまを語る。微細で未顕の状態から諸元素・衆生・世界秩序が次第に現れる過程を示し、聖なる威力と宇宙の時の法を讃える。

The Netherworlds
本章は、梵天ブラフマーより衆生が流出して生じるさまを、夜・昼・薄明(サンディヤー)の聖なる循環とともに説く。さらに、プラークリタ(本源的・自然)からヴァイクリタ(派生・変化)に至る創造の秩序を示し、宇宙の法に従って諸種の存在が現れる過程を述べる。

Cosmic Dissolution
第49章は、太初における人類の創造と、欲望(カーマ)の興起を語り、それが人々を集住へと導き住処を築かせたことを述べる。さらに、集落の起源、村と都市の整え方、秩序を保つための度量衡など測定の規範が定められた由来を示す。あわせて、農耕の始まり—播種・耕作・収穫の貯蔵—が説かれ、世の生活を支え、ダルマが保たれる道筋が明らかにされる。

The Pitris
本章は、ブラフマーによる心生(マーナサ)創造と、思念から生まれた子孫、そしてスヴァヤンブーヴァ・マヌの系譜の継承を語る。続いてブラフマーは、アラクシュミーの眷属であるドゥフサハに勅令を下し、彼らの住処と振る舞いの限界を定め、ダルマと世の安寧を乱さぬよう戒める。

Jaimini Returns
本章はヤクシャに関する教誡と規定を説き、子どもに取り憑くグラハ(災厄の霊)や、家庭生活と祭式を乱す女性の霊による障りから、家と聖なる儀礼を守る方法を示す。不吉の徴や乱れの兆候を挙げ、浄め、供物、真言の誦持、ダルマの遵守によって障碍を退け、安寧と清浄なる家門を回復することを教える。

Markandeya's Powers
本章は、ニीललोहित(ルドラ)が烈しい神威の光とともに顕現するさまを語り、ついでブラフマーがその多くの名号、住処、方位、聖なる座を定め配分することを述べる。さらに、ルドラの妃たるシャクティ、子ら、そしてそこから生じる諸系譜・家系を列挙し、宇宙の秩序と主ルドラへの帰依礼拝の尊さを示す。

The Great Flood
本章はルドラサルガ(Rudrasarga)すなわちルドラの顕現を語り、マンヴァンタラ(Manvantara)の期間とその尺度を示す。さらにスヴァヤンブーヴァ・マヌ(Svayambhuva Manu)、プリヤヴラタ(Priyavrata)の系譜、そして世界を成す七つのドヴィーパ(Dvipas)の区分を、秩序立てて荘厳に説き明かす。

Surya the Sustainer
本章はジャンブード्वीパの宇宙地理を説く。諸大陸とそれを囲む諸海、ヴァルシャ(地域)としての区分と諸国土の名、そして世界の中心にそびえる聖なる軸・メール山(須弥山)を述べ、ダルマにかなう宇宙の秩序を明らかにする。

Surya's Chariot
本章は『ブヴァナコーシャ』におけるジャンブードヴィーパの地理を、須弥山メル(Meru)を世界の中心として説く。須弥山の四方をめぐる四つの森、霊なる湖沼と水域、さらに諸国土を囲み分かつ多くの山脈が順に述べられる。結びに、バーラタ・ヴァルシャはカルマ・ブーミ(業の地)であり、衆生が行為を積み、その果報を受けつつダルマを修して究竟を目指す場であると示される。

Seasons and Time
本章は、聖なるガンガーが天界より降下し、シヴァがその御髪に受けとめて勢いを鎮め、四方へ四つの流れとして放って世界を浄める次第を語る。続いてジャンブードヴィーパと諸ヴァルシャ(地域)を列挙し、各地の暮らしの条件、ダルマのあり方、そして衆生の業の果報の差異を述べる。

Clouds and Rain
本章は、バーラタヴァルシャ(Bhāratavarṣa)を九つの区分として説き、大いなる山々、聖なる河川、そして各地に住まう諸民族を順に列挙する。境界・方位・土地の特徴を百科的に示し、バーラタの大地の秩序と神聖さを際立たせる。

The Solar Attendants
本章は、ナーラーヤナがクールマ(亀)の姿をとることを拠り所として、バーラタの地を体系的に描き出す。ナクシャトラ(宿)、方位、諸地域を順に挙げ、惑星の影響や凶作用が各地とどのように結びつき、安楽または災厄をもたらすかを説く。荘厳で百科的な語り口により、宇宙の秩序とダルマを示す。

Markandeya and Vishnu
本章はプラーナの伝統に基づき、宇宙の地理を説く。すなわち、バドラ―シュヴァ(Bhadrāśva)、ケートゥマーラ(Ketumāla)、北方のクル(ウッタラ・クル/Uttara-Kuru)などのヴァルシャ(varṣa)の配置と特色を述べる。さらに、ユガ(Yuga)の次第と時の法、業(カルマ)が衆生の果報を定め、時代ごとにダルマが興隆し衰微するさまを、敬虔な調べで示す。

Surya Worship
本章は、須弥山(メール)を中心とする聖なる諸ヴァルシャ――キンプルシャ・ヴァルシャ、ハリ・ヴァルシャ、イラーヴリタ(メール・ヴァルシャ)、ラーミャカ、ヒラニヤマヤ――の姿を説く。山岳・河川・方位などの地勢と、そこに住まう存在や神々のあり方を簡潔に述べ、ハリ/ヴィシュヌへのバクティを讃えて、荘厳な畏敬の情を呼び起こす。

Avanti Narrative
本章は第二のマンヴァンタラ、すなわちスヴァーローチシャ・マンヴァンタラの開始を告げる。あるバラモンの聖仙はダルマを守るため、迅速にヒマヴァット山へ赴き、苦行と誓願を貫こうとする。そこへヴァルーティニーが現れ、欲望と策をもって彼を誘惑し修行を乱そうとするが、聖者はタパスと戒を堅持し、諸感官を制して清浄と自制の霊威を示す。

Sumati's Tale
第62章では、火神アグニ(Agni)が聖なる務めを果たすため、若きバラモンの身体に入り込む。ヴァルーティニーは恋の病に沈み、焦がれる思いと胸の痛みに苦しむ。そこへカーリー(Kālī)が姿を変えて偽装し、迷いを起こしてダルマを試し、欲望と信仰、義務のせめぎ合いを描き出す。

Sumati's Dharma
本章は、スヴァローチス(Svarocis)の誕生と、マノーラマー(Manoramā)が呪いから救い出される経緯を語る。リシ(ṛṣi)たちの慈悲と聖なる武器の真言の力により、呪縛は解かれ苦難は癒やされる。さらに、アストラの核心である「アストラ・フリダヤ」(Astra-hṛdaya)が授けられ、神聖な武器を統御し呪いの余波を鎮める法が示される。

Creation Narrative
『マールカンデーヤ・プラーナ』第64章では、カラーヴァティ(ヴィバーヴァリー)が篤いバクティと決意によってスヴァローチシャに自らを捧げ、秘奥の聖なる教え「パドミニー・ヴィディヤ(Padminī Vidyā)」を授ける。愛と献身、自己犠牲のラサが描かれ、ダルマを守る清らかな心に加護と恩寵がもたらされることを示す。

The Divine Plan
この章では、スヴァローチシュ・マヌが山に遊び、清らかな自然の美の中で享楽の時を過ごす。続いて、カラハṃスīとチャクラヴァーキーの対話が語られ、夫婦の貞節と欲望の引力について論じつつ、ダルマと情欲のせめぎ合いを示し、静かな感動と戒めをもって教えを授ける。

Prelude to Devi Mahatmya
第69章は、王が怠慢ゆえに妃を顧みず、ついには捨てたことで国のダルマ(法)が衰えたことを語る。聖仙たちは妻を棄てる罪の重さを示し、プラーヤシュチッタ(贖罪・浄化)の作法と自己の改めを説いて、家と国に正法・名誉・安寧を回復させる道を明かす。

Meditation on Devi
第70章では、王が一人のバラモンに苦難を与える凶悪な羅刹(ラクシャサ)に立ち向かう。王はダルマへの信をもって勇敢にこれを討ち、バラモンの妻を救い出し、国土に安寧と秩序を回復する。

Madhu-Kaitabha
本章は、王が王妃を失ったのちに抱く深い悔恨と悲嘆を語る。王は王妃の徳、支え、貞節を思い起こし、自らの過ちを省みる。聖仙は、妻とはサハダルミニー(法を共に行ずる伴侶)であり、家の礎であり、王道を支える存在で、ダルマ・アルタ・カーマという人生の三目的を調和させると説く。伴侶を欠けば心は空しく乱れやすい。ゆえに聖仙は、王に正法へ立ち返り、心を鎮め、妻の位を敬い、法にかなって統治するよう諭す。

Mahishasura's Rise
本章は、争いを鎮め和合を回復するための和解の祭儀「マイトリー・イシュティ」を説き、続いて女神サラスヴァティーを讃える「サーラスヴァティー・イシュティ」を行い、智慧と清らかな言葉の恩寵を祈願する。ヤジュニャの威力と神々の加護によりウッタマ・マヌが誕生し、アウッタマ・マンヴァンタラへの序章となる。

Birth of the Goddess
本章はウッタマ・マンヴァンタラを説き、諸天(デーヴァ)の階級と天界の諸集会を聖なる秩序に従って述べる。その時代の天帝(インドラ)としてスシャーンティが立てられることが語られ、さらにダルマに基づいて世を治め継いだ王たちの王統・系譜が示される。時代の循環と、正法が世界を護る荘厳な力が響く。

Battle with Mahishasura
本章は、王スヴァラーシュトラと鹿の女王の呪いを語り、その呪力によって災厄が起こり、王の運命が大きく転じるさまを描く。業(カルマ)の法とダルマの威力が示され、王は悲嘆と悔悟を経て内なる目覚めへ向かう。さらに、ターマサ・マヌ(Tāmasa Manu)の出現とターマサ・マンヴァンタラの開始を告げる序章となる。

Slaying of Mahishasura
本章は、レーヴァティー星宿(Revatī Nakṣatra)がダルマに背く行いとカルマの結果によって失墜し、その光と位を損なうさまを語る。ついで、神々の恩寵とリシ(ṛṣi)の教え、清浄な祭儀の力により、レーヴァティーが本来の座へと回復され、慈悲と贖いが顕れる。さらに、ライヴァタ・マヌの誕生とライヴァタ・マンヴァンタラの開始が提示され、ダルマが尊ばれるとき宇宙秩序が再び確立することが示される。

Hymn to the Goddess
本章は、チャークシュシャ・マヌ(Cākṣuṣa Manu)の治める第六のマンヴァンタラを説く。そこでは、その時代におけるデーヴァとリシたちの秩序と役割が述べられ、さらに幼子をさらう者の物語が語られて、家々に悲嘆をもたらし、親族関係と義務の問題を浮き彫りにする。真実を求めダルマに依ることで、血縁と責務が正され、慈悲と安寧が回復していく。

Shumbha and Nishumbha
本章は、サンジュニャー(Saṃjñā)がスーリヤ(Sūrya)の灼熱の光輝に耐えられず、苦行のために身を退き、代わりに「チャーヤー」(Chhāyā、影身)を残したことを語る。スーリヤからヤマ(Yama)とヤムナー(Yamunā)が生まれ、やがて真実が明らかとなり、悲しみと義務、そしてダルマにかなう家族の和合へと至る。

Dhumralochana
本章は太陽神スーリヤ(Surya)への聖なる讃歌を掲げ、そのテージャス(霊的光輝)と生命を養う威徳を称える。太陽が光と熱を諸神(デーヴァ)と諸世界に分かち与え、ダルマと宇宙秩序を保つさまが語られる。続いて、ヴァイヴァスヴァタ(Vaivasvata)の系譜と、チャーヤー(Chaya)から生じた子孫の系統が述べられ、後裔たちの継承が簡潔に示される。

Chanda and Munda
本章はヴァイヴァスヴァタ・マンヴァンタラを説き、デーヴァ(神々)の階級と諸集団、そしてこの時代のインドラを挙げて、天界の聖なる秩序を示す。さらに、ダルマを護持する七大聖仙サプタリシ(七仙)について述べる。続いて、ヴァイヴァスヴァタ・マヌとその九人の息子を語り、そこから王統と人類の諸系譜が展開し、宇宙が法により運行することを荘厳に明かす。

Raktabija
本章はヴァイヴァスヴァタ・マンヴァンタラを讃え、諸マヌを順に列挙し、第八のマヌであるサーヴァルニ(Sāvarṇi)の系譜・統治・ダルマ護持の功徳を述べて、時代の聖なる秩序を明らかにする。

Death of Nishumbha
王スラタとサマーディは、王権と財を失った苦悩により、聖仙メーダスのもとを訪れて教えを乞う。仙人は、衆生の心を幻力で縛る大いなる女神マハーマーヤーの威徳を説き、マドゥとカイタバの起源譚へと導入する。

Death of Shumbha
本章は、マヒシャースラが勢力を増し、諸天を打ち破って天界の支配を奪うさまを語る。嘆きに沈む神々は集い、それぞれのテージャス(神威の光)を放って一つの大いなる光輝とし、その光より聖母デーヴィーが顕現する。女神は世界を護り、ダルマを回復するため、アスラとの戦いの端緒を開く。

Narayani Stuti
女神チャンディカー(Caṇḍikā)は諸天を率い、聖なる武器と神威によってマヒシャースラの軍勢を打ち滅ぼす。激戦ののち、マヒシャースラは幾度も姿を変えて抗うが、ついに女神に制圧され討たれ、邪は断たれてダルマが回復する。

Devi's Promise
女神がマヒシャースラを討ち滅ぼしたのち、諸神は敬虔と歓喜をもって聖なる讃歌(ストゥティ)を捧げ、その威徳と慈悲を称える。女神はその賛嘆を受け入れ、恩寵の御誓いを授ける――世を守護し、アスラが再び乱を起こすたびに、神々を救済するため必ず現れると。

Suratha's Devotion
第85章では、神々が集い、聖なる讃歌によって大女神を讃え、阿修羅に対する守護と勝利を祈願する。するとウマーの身より清浄なる光があふれ出て、「カウシキー」と名づけられる新たな女神の姿として顕現し、アダルマを滅する力を示す。彼女の名声を聞いたシュンバは使者を遣わし、言葉をもって迫りつつ、傲慢に己の権勢を誇示する。

Devi's Grace
第86章では、女神は山に鎮まり、シュンバは使者ドゥームラローチャナを遣わして女神を力ずくで連れ来させようとする。彼は傲慢と脅しをもって迫るが、女神は静かに拒む。女神が聖なる「フーム(Hūṃ)」の音、あるいは神威の息を放つと、ドゥームラローチャナはたちまち灰と化す。怒りに燃えたシュンバは、チャンダとムンダを大軍とともに送り、女神を捕らえさせようとする。

After the Mahatmya
『マールカンデーヤ・プラーナ』第87章では、女神カウシキーが自らの光輝より、畏るべくも聖なるカーリーを顕現させ、アスラを討滅する。シュンバとニシュンバは女神を捕らえさせるためドゥームラローチャナを遣わすが、彼は女神の威力と御言葉、そしてカーリーの力によって滅ぼされる。続いてチャンダとムンダが襲来するも、カーリーはこれを斬り伏せ、その首級を女神に捧げる。女神はその功によりカーリーに「チャームンダー」の名を授け、シャクティの勝利とダルマの護持を宣言する。

Surya's Progeny
第88章では、女神デーヴィーが諸神の力より生じた母神たるマートリカー(Mātrikā)を顕現させ、アスラ軍を鎮めるために戦いに加わらせる。アスラのラクタビージャ(Raktabīja)は、血の一滴が地に落ちれば新たなアスラが生まれるという恐るべき加護を得ており、戦場は激化する。そこでマートリカーたちは彼の血を飲み尽くし、地に滴らせぬことで増殖の因を断つ。かくしてラクタビージャは討たれ、魔軍は潰走し、女神の聖なる勝利が威光とともに輝き渡る。

The Pious King
『マールカンデーヤ・プラーナ』第89章は、女神デーヴィーとシュンバ、ニシュンバの戦いが頂点に達する場面を語る。阿修羅軍が崩れ去るのを見てシュンバは激怒し、ニシュンバは驕りを抱いて前に出て決戦を挑む。デーヴィーは聖なるテージャス(威光)を顕し、敵陣を粉砕して決定的な一撃を加え、ついにニシュンバは倒れて討たれる。本章はダルマがアダルマに勝利することを示し、護りの母なる女神への帰依を深める。

Dharma Teachings
この章では、アンビカー(女神ドゥルガー)が、ニシュンバが討たれた後、シュンバと決戦する。女神は、カーリーやチャームンダーをはじめとする諸シャクティは自らの唯一の力の顕現にすぎないと示し、すべてをアンビカーのうちへと再び融け合わせて回収する。ついにシュンバは聖なる母により滅ぼされ、ダルマが回復し、諸世界に安寧が戻る。

Cosmic Recapitulation
本章では、諸神が深いバクティをもって女神カーッティヤーヤニー(Kātyāyanī)に讃歌(ストゥティ)を捧げ、崇敬の念を尽くして称える。女神はその賛嘆を受け入れ、未来における自らのさまざまな顕現について予言し、ダルマを護り、アスラを滅し、真実の信奉者に加護と恩寵を授けると告げる。全体に畏敬と慰め、救済への確信が満ちている。

Blessings of Knowledge
本章は、女神が「デーヴィー・マーハートミャム」を信心をもって聴聞し、読誦し、唱える者を必ず守護すると誓われることを述べる。女神は恐れ、災厄、病、障碍を払い、勝利、安寧、福徳、財、繁栄を授ける。また、誦持の功徳(パラシュルティ)と、相応しい時に行う読誦、清らかな心での礼拝供養の尊さが説かれる。

Conclusion
『デーヴィー・マーハートミャ』の結語において、女神は顕現し、スラタ王と商人に「デーヴィーの御言葉(Devīvākya)」を告げる。女神は恩寵を授け、スラタには王国の回復と、未来にマヌ(サーヴァルニ)として生まれることを予告し、商人には智慧と離欲、そして解脱へ導くダルマの道を与える。さらに女神は、真実のバクティをもって讃え想念する者を守護し、願いに応えると誓う。章は感謝と安堵、聖なる母への帰依の情に満ちて締めくくられる。
Rather than posing a narrative question, this adhyāya establishes the ethical and soteriological premise: Purāṇic discourse is framed as a purifier of kalmaṣa (moral impurity) and a support for yogic clarity that overcomes bhava-bhaya (existential fear).
It does not yet enter Manvantara chronology; it prepares the reader for later analytical sections by sanctifying the text and grounding authority in the Nārāyaṇa–Vyāsa transmission line.
Direct Devi Māhātmya content is not present here; the only Shākta-adjacent element is the conventional invocation of Devī Sarasvatī as the presiding deity of speech and learning, authorizing the forthcoming discourse.
The chapter foregrounds hermeneutic and ethical doubts raised by Jaimini about the Mahābhārata’s narrative logic—especially divine incarnation, contested marital norms, expiation for grave sin, and seemingly undeserved deaths—while asserting the Bhārata’s status as an all-encompassing puruṣārtha-śāstra.
This Adhyāya does not yet enter a Manvantara catalogue; instead it establishes the Purāṇa’s pedagogical architecture (Mārkaṇḍeya → birds) that will later be used to transmit long-range cosmological and genealogical materials, including Manvantara-related discourse.
Adhyāya 1 is prior to the Devī Māhātmya (Adhyāyas 81–93) and contains no direct Śākta stuti or Devī-centered battle narrative; its relevance is structural, setting the multi-layered frame narrative through which later high-authority Śākta sections are delivered.
The chapter interrogates possessiveness and violence (mamatā and adharmic aggression) and then broadens into a reflection on death’s inevitability: fear and flight do not determine longevity, while effort (puruṣakāra) remains ethically mandated even under the sovereignty of time (kāla/daiva).
This Adhyaya is not a Manvantara-chronology unit; instead, it builds the text’s instructional frame by establishing a Suparṇa genealogy and the origin-context for extraordinary birds whose later speech and counsel function as a vehicle for analytic dharma exposition.
It does not belong to the Devi Mahatmyam sequence (Adhyayas 81–93). Its relevance is genealogical and didactic: it traces the Suparṇa line (Garuḍa → descendants → Kaṅka/Kandhara → Tārkṣī) and introduces a karma-focused ethical discourse through Śamīka’s rescue and instruction.
The chapter centers on a dharma-conflict between satya-vākya (keeping a pledged word) and the moral limits of fulfilling that pledge through हिंसा/self-destruction. The birds argue that a son is not obliged to “pay debts” by surrendering his body for another’s promise, while Indra frames the episode as a test that clarifies the hierarchy and intent of dharmic action.