Rudra Samhita55 Adhyayas2692 Shlokas

Parvati Khanda

Parvatikhanda

Adhyayas in Parvati Khanda

Adhyaya 1

हिमाचलविवाहवर्णनम् — Description of Himācala’s (context for) Marriage / The Himālaya-Marriage Narrative (Chapter Opening)

本章は、ナーラダがブラフマーに、父ダクシャの供犠(yajña)において身を捨てたサティーが、いかなる理(ことわり)と仕組みによって再びギリスーター(山の娘)およびジャガダンビカー(世界の母)として現れるのかを問うところから始まる。ブラフマーはこれを、シヴァの聖なる物語として人を清める説話であると位置づける。語りはついで、サティーがハラとともにヒマーチャラに在して神妙に戯れるさまを示し、ヒマーチャラの愛妃メナーが女神の定められた母性を悟ることを述べる。ダクシャのyajñaでの侮辱と放逐の後、メナーはシヴァローカにおいて篤い信愛(bhakti)で女神を供養し、鎮め祈る。サティーは内に決してメナーの娘として生まれんとし、身を捨てつつも再顕現の意志(saṅkalpa)を保ち続ける。時至り、諸神に讃えられてサティーはメナーの娘として誕生し、後のパールヴァティーの苦行(tapas)と、シヴァを夫として再び得る物語の基礎が据えられる。

32 verses

Adhyaya 2

पूर्वगतिवर्णनम् (Pūrvagati-varṇana) — “Description of the Prior Course / Earlier Lineage Account”

第2章は疑いを晴らすための対話として語られる。ナーラダはブラフマーに、メナーの起源(menotpatti)と、関わる呪い(śāpa)があるならそれも明かして、疑念を断ってほしいと請う。ブラフマーは、ダクシャとその子孫、さらにカश्यパなどの聖仙との婚姻関係から始まる古い創造の系譜の中に物語を位置づけて答える。その系譜においてスヴァダーは祖霊(Pitṛ)に与えられ、スヴァダーから三人の娘—長女メナー、次女ダンニャー、末女カラーヴァティー—が生じる。彼女たちは心より生まれた者(mānasa-udbhava)であり、通説では胎から生まれぬ者(ayonijāḥ)とされる。本章は、これら吉祥なる名を聞き、唱える功徳を強調し、障碍を除く(vighna-hara)とともに大いなる吉祥を授ける(mahā-maṅgala-dā)と讃える。さらに三女は世に崇敬され、諸世界の母であり、ヨーギニーとして三界を巡る至上の智慧の蔵と描かれ、系譜の叙述が信愛と形而上の響きを帯びて高められる。

42 verses

Adhyaya 3

देवस्तुतिः (Deva-stuti) — “Hymn of the Devas / Divine Praise”

第3章はナーラダとブラフマーの対話として語られる。ナーラダは、メーナーの吉祥なる先の語りと婚姻の取り決めの後を続けてほしいと願い、パールヴァティー(ジャガダンビカー)がいかに誕生し、厳しいタパスののちにシヴァ(ハラ)を夫として得たのかを問う。ブラフマーは、シャンカラの吉祥なる名声を聴聞することの救済力を強調し、梵殺(brahmahatyā)のような重罪さえ浄め、願いを成就させると説いて、本章を物語であると同時に儀礼・倫理の教えとして位置づける。続いて舞台は婚後の家庭へ移り、ギリラージャ/ヒマーチャラが帰宅すると三界に大いなる祝祭が起こる。ヒマーチャラは二度生まれの者(dvija)と親族を厚くもてなし、彼らは祝福を授けてそれぞれの住処へ帰る。こうしてヒマラヤの家は、パールヴァティーの顕現と、その来臨と宿命を縁取る神々の讃歌(デーヴァ・ストゥティ)に向けた、ダルマと吉祥の拠点として整えられる。

40 verses

Adhyaya 4

देवसान्त्वनम् (Devasāntvana) — “Consolation/Reassurance of the Gods”

第4章は、神々の讃歌(stuti)に応えて女神(ドゥルガー/ジャガダンバー)が顕現するさまを語る。ブラフマーは、宝玉で飾られた天の戦車に坐し、自らのテージャス(霊光)に包まれて、無数の太陽をも凌ぐ輝きで現れたと述べる。章の神学的描写は、女神をマハーマーヤー、サダーシヴァ・ヴィラーシニー、三グナを具しつつもニルグナ、常住(ニティヤ)でシヴァローカに住する者として示し、内在と超越の両面を確立する。ヴィシュヌらに率いられた神々はその恩寵によりダルシャナを得て、共なるアーナンダに満たされ、幾度も礼拝して、シヴァー、シャルヴァーニー、カリヤーニー、ジャガダンバー、マヘーシュヴァリー、チャンディー、サルヴァールティ・ナーシニーと称えて新たな讃歌を捧げ、守護と苦患の除去者としての女神を仰ぐ。

50 verses

Adhyaya 5

मेनावरलाभवर्णनम् — Description of Menā’s Attainment of Boons (and the worship leading to Umā’s advent)

第5章はナーラダとブラフマーの対話として語られる。ナーラダは、デーヴィー・ドゥルガーが姿を隠し、神々がそれぞれの住処へ帰った後に何が起こり、ヒマラヤとメーナーがいかにタパス(苦行)と礼拝を行って娘を得たのかを問う。ブラフマーはシャンカラ(Śaṅkara)を念じて、夫妻の厳正な信愛行を述べる。すなわち、シヴァとシヴァー(女神)への絶え間ない観想、バクティをもって続ける安定したプージャー、デーヴィーへの敬意、そして女神を喜ばせるためのブラーフマナへの布施である。メーナーの長期の誓戒(vrata)は、チャイトラ月に始まり多年に及び、アシュタミーの日の断食とナヴァミーの日の供養として示される。さらに、モーダカ、バリ/ピシュタの供物、パーヤサ、香、花などの具体的なウパチャーラ、そしてガンガー近くで土製のウマー像を作って多様な供物でプージャーすることが説かれる。こうして「タパス→神の歓喜→恩寵と子宝」という因果と儀礼の細目が結び合わされ、メーナーの礼拝が霊験ある信愛の模範として示される。

50 verses

Adhyaya 6

पार्वतीजन्मवर्णनम् / Description of Pārvatī’s Birth

第6章は、女神(Devī)がヒマラヤの家に降臨する因縁とその仕組みを説く。ブラフマーは、神聖なる夫婦ヒマヴァトとメナーが、子を授かり天の御用(devakārya)を成就するため、バヴァーンビカーをバクティ(bhakti)をもって念じ礼拝したと語る。これに応えて、かつて身を捨てたチャンディカーは、再び受肉することを自ら望む。マハーデーヴィーは、以前の真実の言葉を成就し吉祥の目的を授けるため、完全なる分(pūrṇāṃśa)としてメナーの心に入る。懐妊は光輝に満ちて稀有であり、メナーは光輪(tejomaṇḍala)に包まれ、吉兆の欲求と徴(dauhṛda-lakṣaṇa)が現れて神聖な胎内を示す。ここでは受胎と誕生は通常の生理ではなく、聖なる降下として描かれ、時至ってシヴァの分が定まり、女神の恩寵が胎を満たす近因となる。かくして、信愛、真実の言葉(satya-vacana)、そして宇宙的必然が、間近に迫るパールヴァティー誕生へと結び付けられる。

54 verses

Adhyaya 7

पार्वतीबाल्यलीलावर्णनम् — Description of Pārvatī’s Childhood/Birth Festivities

第七章は、ヒマラヤ王とメナーの御殿におけるパールヴァティー誕生の直後の情景と、それに対する社会的・儀礼的な応答を描く。ブラフマーは、出産後に涙するメナーの世間に現れた母の情を語り、夜の宮廷が光を変えて輝くさまを、吉祥な境目の時として示す。産声を聞くと家の女たちは愛情と喜びに満ちて集い、侍女たちは王に、これは瑞祥の誕生であり、歓喜をもたらし、神々の御業を成就する運命(devakāryakara)であると急ぎ奏上する。ヒマラヤ王はプーロヒタと学識あるブラーフマナたちを伴って来臨し、青蓮華の花弁の色に喩えられるほど光り輝く姫の比類なき美に歓喜する。やがて町を挙げて祝賀となり、男女の民は喜び、楽器が鳴り響き、吉祥の歌舞が行われる。王はジャータカルマ(jātakarma)の儀を修し、ドヴィジャに布施(dāna)を施す。こうして本章は、パールヴァティーの来臨を家庭の出来事であると同時に、宇宙的な聖なる徴として位置づける。

25 verses

Adhyaya 8

नारद–हिमालयसंवादवर्णनम् (Nārada and Himālaya: Discourse on Pārvatī’s Signs and Destiny)

第8章はブラフマーが語り伝える枠物語の対話として構成される。シヴァの促しにより、シヴァ智(śivajñānī)を具えシヴァのリーラー(līlā)に通じた聖仙ナーラダがヒマーラヤの住まいを訪れる。ヒマーラヤは儀礼をもって恭しく迎え、娘パールヴァティーをナーラダの御足のもとに置き、敬意を示すとともに権威ある鑑定を願う。彼は「ジャータカ」式に、娘の徳と過(guṇa–doṣa)を見極め、ことに未来の夫が誰でその福運はいかなるものかを問うて、婚姻が単なる世俗の取り決めではなく、ダルマにかなう天意の制度であることを示す。ナーラダは身体の徴(lakṣaṇa)を観察し、特に手の相を詳しく見て、吉祥の予言を告げる。パールヴァティーは満ちゆく月に比せられるほど卓越し、「ādya kalā」「sarvalakṣaṇaśālinī」と称され、両親に喜びと名声を、夫に幸福をもたらすという。本章は物語の要として、パールヴァティーの非凡さを公に確証し、シヴァの宇宙的意志に沿う宿命の結合への期待を整える。

56 verses

Adhyaya 9

स्वप्नवर्णनपूर्वकं संक्षेपशिवचरितवर्णनम् / Dream-Portents and a Concise Account of Śiva’s Career

第9章は、ナーラダとブラフマーによる枠物語の対話として進む。先にブラフマーからシヴァ信仰の物語を聞いたナーラダは、その後に何が起こったのかを問う。ブラフマーは、メーナーがヒマーラヤに恭しく近づき、ギリジャーの婚姻を世間の慣例に従って整えてほしいと願い出たことを語る。すなわち、容姿端麗で良家の出で、吉祥の相を備え、娘の幸福を確かなものとする花婿を求めたのである。メーナーの訴えは母の情と「nārīsvabhāva(女性的な情緒の立場)」を物語の装置として際立たせる。これに対しヒマーラヤは、聖仙ムニの言葉は決して虚妄ではないのだから疑いを捨てよ、と誤解を正す。本章は夢兆・瑞相の記述を権威づけの方法として用い、結びにシヴァの要なる御姿と御事績(śivacarita)を簡潔に回顧して、予告されたシヴァとパールヴァティーの結縁が世俗の基準を超えることを示す。家庭内の交渉から神学的な明確化へと橋渡しする章である。

35 verses

Adhyaya 10

सतीविरहानन्तरं शम्भोश्चरितम् / Śiva’s Conduct After Satī’s Separation

第10章は問答の伝承として語られる。ナーラダはブラフマー(ヴィディ)に、サティーが去った後のシヴァのリーラーと行状—別離をいかに耐え、以後何をなし、いつ何ゆえにタパス(苦行)のためヒマヴァト地方へ向かったのか、そしてパールヴァティーがシヴァを得るための因縁条件がいかに整えられたのか—を説くよう請う。ブラフマーは、バクティを増大させるための吉祥で浄化的な物語として答える。要旨では、シヴァが悲嘆のうちにサティーを想起し、出離へ転じ(ディガンバラとして家住を捨て)、諸世界を遍歴し、ときにダルシャナを授け、ついには山岳の地へ帰還することが示される。本章は物語の要となり、神の悲しみをヨーガ的離欲として解し、パールヴァティーのタパス、カーマの主題の消滅(カーマクシャヤ)、そして再会・合一の神学へと舞台を整える。

26 verses

Adhyaya 11

शिवस्य तपोऽनुष्ठानम् — Śiva’s Austerity and Meditation at Himavat (Gaṅgā-Region)

第11章は、梵天が、ヒマラヤの娘であり諸世界に崇敬されるシャクティが早く成長し、父の館で八歳に達したと語るところから始まる。サティとの別離になお苦しむシヴァは、この誕生を知って内奥で歓喜し、再会へ向かう神聖な計画が再び動き出したことを示す。シャンブは心を安定させタパス(苦行)を行うため、世間的な歩み(laukikī gati)をとる。ナンディンやブリンギンを含む静謐なガナたちを伴い、ガンガー降下に結びつくヒマヴァトの勝地へ赴くが、そこは至上の浄化と積罪滅除の地として讃えられる。そこでシヴァは苦行を開始し、自己(アートマン)への一点集中の観照に入る。ガナたちはその禅定の規律に倣い、他の者は沈黙の門衛として仕え、儀礼の秩序とヨーガ的制御を際立たせる。章の教義的核心は、意識/アートマンを、知から生じ、永遠で、光明に満ち、無病で、宇宙に遍満し、至福で、不二で、依りどころなきものとして説き、シヴァのタパスを不二一元のシヴァ教(Advaita-Śaiva)形而上学の実践として位置づける。抜粋の結びでは、シヴァ来臨を聞いたヒマヴァトが、薬草に富むシャンカラの山腹へ近づき、次の対話とパールヴァティーの宿命へ向かう展開を準備する。

41 verses

Adhyaya 12

काली-परिचयः / Himagiri Presents Kālī (Pārvatī) to Śiva

本章は、山王ヒマギリが吉祥の花果を携えて三界の主シヴァに近づき、娘をも伴って差し出す物語である。ここで娘はカーリー(パールヴァティー)と呼ばれ、シヴァを礼拝し奉仕(セーヴァ)したいという願いに動かされている。ブラフマーが筋立てを示し、ヒマギリはシヴァに五体投地して娘のために嘆願する。彼は、娘が侍女たちと共にシャンカラに常住の奉仕(ārādhana/sevā)を行えるよう許可を求め、それにはシヴァの同意と恩寵が不可欠であると強調する。ついでシヴァは青春の入口に立つ乙女を御覧になり、本文は華麗な容姿描写(rūpa-varṇana)へ移る。蓮華のような肌、月のような顔、広い眼、しなやかな肢体、比類なき魅力が語られ、そのダールシャナは禅定に鍛えられた心さえ揺るがし得るとされる。かくして本章は、信愛の志(ārādhana/sevā)と美と神学的顕現を結び、女神の姿を美味(rasa)と形而上の力(śakti)の座として示し、パールヴァティー物語の後続展開への条件を整える。

35 verses

Adhyaya 13

प्रकृतितत्त्व-विचारः / Inquiry into Prakṛti (Nature/Śakti) and Śiva’s Transcendence

第13章は整然とした対話として展開する。バヴァーニー(パールヴァティー)は、先にヨーガの苦行者がギリラージャ(ヒマーラヤ)に語った内容の再説明を求め、さらにプラクリティ/シャクティについて厳密な説明を迫る。本章はタパス(苦行・修持)を至上の手段として讃え、プラクリティをあらゆる行為の背後にある微細な力として示し、それによって宇宙が創成され、維持され、そして融解すると説く。パールヴァティーの問いは核心を突く。シヴァが礼拝に値しリンガの姿として顕れるなら、いかにしてプラクリティなしにシヴァを思惟できるのか、またそのプラクリティの存在論的地位はいかなるものか。ブラフマーは語り手として、発言者の交替と情趣(微笑み、満悦)を示す。マヘーシュヴァラは、真実において自らはプラクリティを超越すると答え、善き人々(sadbhis)にはプラクリティへの執着を離れるよう勧め、ニルヴィカーラター(変化なきこと)と世俗的慣行からの距離を強調する。続いてカーリーが異議を唱え、もしプラクリティが「あるべきでない」なら、シヴァはいかにしてそれを超えるのかと問うて、章の残りの偈における教義的解決へと導く。

60 verses

Adhyaya 14

तारकासुर-पूर्ववृत्त-प्रश्नः (Questions on Tārakāsura and Śivā’s tapas) / “Inquiry into Tārakāsura’s origin and Śivā–Śiva narrative”

第14章は教示的対話で始まる。ナーラダはブラフマーに、(1)ターラカースラとは何者で、いかにして神々(デーヴァ)を圧迫したのか、(2)シャンカラが愛神カーマ(スマラ)をいかに灰燼に帰したのか、(3)原初の世界力アーディシャクティであるにもかかわらず、シヴァー女神がいかなる厳しいタパス(苦行)によってシャンブーを夫として得たのか――を正確かつ詳しく語るよう求める。ブラフマーは系譜と宇宙史の中に位置づけ、マリーチ → カश्यパとその妻たち(とりわけディティ)からヒラニヤカシプとヒラニヤークシャが生まれたことを述べる。ヴィシュヌはナラシンハとヴァラーハの姿で彼らを滅し、天界の安寧を回復するが、これは新たなアスラの脅威ターラカ出現への前奏であり、「系譜―圧迫―神聖な応答」という因果の鎖を示して、シヴァ—シヴァーの救済的介入によるダルマ再興へと導く。

43 verses

Adhyaya 15

वराङ्ग्याः सुतजन्म-उत्पातवर्णनम् | Birth of Varāṅgī’s Son and the Description of Portents (Utpātas)

第15章は梵天ブラフマーの語りで始まる。ヴァラーンギーは懐妊し、満期に至って、巨躯にして熾烈なテージャスを放ち、十方を照らすかのような男児を出産する。すると直ちに宇宙は、恐怖と混乱を告げるウットパータ(凶兆)によってその出来事を刻印する。本章は、天界・地上・中間界の三領域にわたり、迫り来る災厄を示す徴として凶兆を分類し列挙する。流星や雷霆の戦慄すべき轟音、悲しみを運ぶかのように立ち上る彗星、地震と山々の震動、方角が燃え立つような光景、河川ととりわけ大海の激しいうねり、塵を旗のように巻き上げ巨木を根こそぎ倒す暴風が語られる。さらに、太陽の暈が繰り返し現れて大いなる恐れと安寧の失墜を示し、山の洞窟の爆ぜる音が戦車の咆哮のごとく響き、村々にはジャッカルや梟の不吉な声、異様な遠吠えが起こり、口から火を吐くという不穏な像も添えられる。かくしてウットパータの目録は、この非凡な誕生を生物的出来事にとどめず、世界秩序に影響し得る宇宙的重大事として示す。

56 verses

Adhyaya 16

तारकपीडितदेवशरणागतिḥ — The Devas Seek Refuge from Tāraka

第16章は、ブラフマーが大いなる危機を語るところから始まる。恩寵(ブーン)によって勢いづいたアスラのターラカが、デーヴァ(不死の神々・ニルジャラ)を激しく圧迫していた。彼らはプラジャーパティ/ロケーシャのもとに赴き、真心の讃嘆(アマラーナウティ)を捧げて庇護を求める。ブラフマーはそれを喜んで受け取り、用向きを述べよと促す。頭を垂れて嘆くデーヴァたちは、ターラカが自分たちを職分の座から力ずくで追い落とし、昼夜絶えず悩ませること、逃れても至る所で彼に遭うことを訴える。苦難は体系的であり、アグニ、ヤマ、ヴァルナ、ニルリティ、ヴァーユなどの大いなる神々や、方位を守護するディクパーラたちまでもがターラカの支配下に置かれている。章の構成は、讃歌→神聖なる承認→苦難の陳述→影響を受けた宇宙的職掌の列挙という正式な請願の形をとり、ローカ・ダルマと宇宙統治の乱れを示す。これにより、恩寵に守られたアスラの暴虐に対し、通常の神々の力には限界があることを明らかにし、シヴァを中心とする解決(パールヴァティー篇の文脈ではシャクティと定められた誕生の不可欠性)への必然を準備する。

45 verses

Adhyaya 17

काम-शक्र-संवादः / Dialogue of Kāma and Śakra (Indra)

第17章は、梵天が危機の状況を語るところから始まる。強大で不徳な阿修羅タ―ラカに圧迫された神々は退き、帝釈天(シャクラ/インドラ)は武力ではなく、非戦の手段としてカーマ(スマラ/マンマタ)に頼ろうとする。想起された瞬間、カーマは従者(とりわけヴァサンタ)とラティを伴い、勝ち誇り自信に満ちた姿でただちに来臨する。カーマは礼拝して目的を問う。インドラは讃嘆しつつ策を示し、この使命は共同の務めであり、インドラの仕事はカーマの仕事でもあるとして、カーマを他の助力者以上に重んじる。さらに勝利の二つの道具—自らの金剛杵(ヴァジュラ)とカーマの力—を対比し、ヴァジュラは失敗し得るが、カーマの効力は決して外れないと断言する。福祉を生むものこそ最も愛すべきだという実利の倫理に基づき、最良の友であるカーマが必要な業を成し遂げよと請うのである。本章は、欲(カーマ)を宇宙的な梃子として用い、ほとんど無敵の阿修羅の脅威に対抗する神々の戦略を準備し、同時に蛮力の限界とダルマの目的に奉仕するカーマの道具的役割を示唆する。

43 verses

Adhyaya 18

वसन्त-प्रभावः तथा काम-उद्दीपन-वर्णनम् | Spring’s Influence and the Arousal of Kāma

第18章は、ブラフマーが、シヴァのマーヤーによる迷妄の力のもとで、カーマ(スマラ)が特定の地に到来したと語るところから始まる。続いて本章は、春(ヴァサンタ)を宇宙的な気分を増幅させる力として長く描写し、ヴァサンタ・ダルマが四方に遍満して、マハーデーヴァの苦行の地(アウシャディプラスタ)にまで及び、自然が異様なほど花開き、感覚が鋭く高まるさまを示す。マンゴーやアショーカの林、カイラヴァの花、蜜蜂、カッコウの声、月光、柔らかな風は、衆生の欲を呼び起こす「カーマ・ウッディーパナ」(欲情を煽る刺激)として連動して語られる。経文は、宇宙の条件が整うと、心の注意が薄い者でさえ欲に縛られると明言する。自然の比喩は装飾にとどまらず、グナの動揺と情動の伝播を説明する地図として働き、後にカーマの企てがシヴァの苦行の静止に挑む神話的展開、そして欲望とダルマの倫理的緊張へとつながる舞台を整える。

44 verses

Adhyaya 19

कामप्रहारः — The Subduing of Kāma (Desire) / Kāma’s Assault and Its Futility

第19章は対話として展開し、ナーラダがブラフマーに「次に何が起こったのか」を問う。ブラフマーは、シヴァが至高のタパスに入っていた折の重大な出来事を語る。シヴァは心の静けさに乱れを感じ、その原因を問いただし、他人の妻に心が引かれることはダルマに反し(dharma-virodha)、シュルティの定める限界(śruti-sīmā)を越えると内省する。するとその内的診断は直ちに外へ現れ、シヴァが四方を見渡すと、左側にカーマが弓を引き絞り、驕りと迷妄のうちに矢を放とうとしているのが見える。カーマは「必ず当たる」と称する武器(amogha-astra)をシャンカラに放つが、至上の自己に触れるや無効(mogha)となり、シヴァの怒りが起こるとともにその威力は消え去る。本章は、欲望は侵入する力であってもパラメーシュヴァラを縛れないこと、また心のわずかな動揺でさえダルマとヨーガの自己知によって吟味され、最後は神的主権によって鎮められることを教える。

52 verses

Adhyaya 20

तृतीयनेत्राग्निनिवृत्तिः / Quelling the Fire of the Third Eye (Vāḍava Fire Placed in the Ocean)

第20章は対話として語られる。ナーラダはブラフマーに、シヴァの第三の眼(tṛtīya-nayana)から放たれた灼熱の火の力がいかなる帰結を得たのか、またその出来事の深意は何かと問う。ブラフマーは、愛神カーマが第三眼の火により灰となったとき、三界に恐怖が広がり、諸神(デーヴァ)と聖仙(ṛṣi)が庇護を求めて自分のもとへ来たと述べる。ブラフマーはシヴァを念じ、宇宙護持のための原因と方途を求めて現場へ赴き、シヴァの恩寵によって得た威力で、世界を脅かす猛火を鎮めて安定させる。さらに彼は、海へ向かうべき凶猛な火の相(vāḍava/vaḍavāの火)を取り、ローカヒタ(諸世界の福利)のために大海へ納める。大海(サーガラ/シンドゥ)は人格を帯びて現れ、敬意をもってブラフマーを迎え、丁重に語りかける。本章の要旨は、破壊的な苦行のエネルギーの統御である。神聖な憤火であっても、儀礼と宇宙秩序のうちに適所へ移し、封じて機能させ、災厄とならぬようにすることが説かれる。

23 verses

Adhyaya 21

कामदाहोत्तरवृत्तान्तः / Aftermath of Kāma’s Burning (Pārvatī’s Fear and Himavān’s Consolation)

本章は、ナーラダとブラフマーによる問答の形で語られる。ナーラダは、シヴァの第三の眼の火によってスマラ(カーマ)が灰となり海へ入った後に何が起こったのか、またパールヴァティーがその後どうし、侍女の友(サキー)たちとどこへ行き、事態がいかに展開したのかを問う。ブラフマーは、カーマが焼かれた瞬間、驚くべき巨大な響きが天空に満ち、それがシヴァの烈火にして人智を超えた働きの、即時の宇宙的徴となったと説く。その出来事と音を目の当たりにしたパールヴァティーは恐れ動揺し、サキーたちとともに急いで家へ戻る。同じ音に山王ヒマヴァーンも驚き、娘を思って心配し、彼女を探しに出る。シャンブ(シヴァ)からの離別、あるいは隔たりを感じて泣き崩れるパールヴァティーを見て、ヒマヴァーンは慰め、涙をぬぐい、恐れるなと諭し、膝に抱いて宮殿へ連れ帰り、その心の乱れを鎮める。本章はさらに、カーマダーハナ後の余波—感情の反響、家族の仲介、そしてダルマの枠内でパールヴァティーの誓願を安定させ、やがてのシヴァとの合一へ導く—を語り進める。

41 verses

Adhyaya 22

गिरिजाया तपोऽनुज्ञा (Permission for Girijā’s Austerities)

第22章は、パールヴァティーのタパス(苦行)の歩みを、内なる決意から家族的・社会的な許可へと進めて描く。ブラフマーは、デーヴァ・ムニが去った後、パールヴァティーが歓喜し、タパスによってハラ(シヴァ)を得ることに心を定めたと語る。侍女のジャヤーとヴィジャヤーは仲介役となり、まずヒマヴァーンに恭しく赴いて彼女の志を伝え、シヴァを「成就」する手段としてのタパスこそが一族の宿命を全うすると説く。ヒマヴァーンは賛同しつつ、母メナーの同意が重要であると述べ、その結末が家系にとって必ず吉祥であると断言する。二人は続いて母のもとへ行き、許しを得ようとする。本章はこのように、森での苦行計画を衝動的な逃避ではなく、ダルマにかなった公認のサーダナとして確立し、準備と許可の整えを経て、やがてシヴァの受容へ至る森の修行へと移行していく。

71 verses

Adhyaya 23

पार्वत्याः तपः—हिमालयादिभिः उपदेशः / Pārvatī’s Austerity and Counsel from Himālaya and Others

本章は、ブラフマーが、シヴァを得るためにパールヴァティーが長きにわたり行じたタパス(苦行)を語るところから始まる。時が過ぎてもシヴァは目に見えて現れないが、パールヴァティーは侍女・同伴者に囲まれつつ、最高の目的(パラマールタ)に向けた堅固な決意によって、いよいよ苦行を厳しくしていく。そこへヒマーラヤが家族を伴って来て、過酷な修行で身を損なうなと諭し、ルドラは姿を見せず、離欲して近づき難いのだとほのめかす。彼は身体の衰えを案じて帰宅を勧め、さらにシヴァがかつてカーマを焼いたことを引き合いに出して、その到達し難さを説く。説得には「天の月のように、シヴァは掴み取れない」という譬えも用いられる。ブラフマーはまた、メーナーや、サヒヤードリ、メール、マンダラ、マイナーカ、さらにクラウンチャなど多くの山王たちも、さまざまな理でギリジャーを思いとどまらせようとしたと述べる。本章の要は、世俗の忠告と揺るがぬ霊的志向との対決であり、後の神的応答への条件を整える。

48 verses

Adhyaya 24

देवस्तुतिः—नन्दिकेश्वरविज्ञप्तिः—शम्भोः समाधेः उत्थानम् (Devas’ Hymn, Nandikeśvara’s Petition, and Śiva’s Rising from Samādhi)

第24章は、諸天がルドラ/シヴァに凝縮された讃歌(ストゥティ)を捧げ、三眼(トリネートラ)やマダナを滅する者(マダナーンタカ)など、御姿と神話的働きを示す尊号を唱えるところから始まる。讃嘆は、シヴァを宇宙の父母にして至高の帰依処と仰ぎ、苦を除き得る唯一の主であることを明らかにする。続いて、慈悲に動かされたナンディケーシュヴァラが正当な仲介者として、アスラに辱められ圧倒された諸天の窮状を奏上し、シヴァを「貧しき者の友」(ディーナ・バンドゥ)、「信者を慈しむ者」(バクタ・ヴァツァラ)として懇願する。深い禅定/三昧に没入していたシヴァは、ゆるやかに眼を開き、集う神々に来訪の理由を問う。本章は、(1)招請と讃嘆、(2)権威ある仲介による請願、(3)神の傾聴と応答という儀礼・神学の順序を示し、宇宙的苦難から回復へと転ずる要として恩寵を際立たせる。

76 verses

Adhyaya 25

गिरिजातपः-परीक्षा तथा सप्तर्षि-आह्वानम् (Girijā’s Austerity-Test and the Summoning of the Seven Sages)

第25章は問答形式で語られる。ナーラダは、ブラフマーやヴィシュヌを含む神々と集まった聖仙たちが去った後に何が起こり、シャンブ(シヴァ)がいかにして、どのような時の流れの中で恩寵(ヴァラ)を授けようとしたのかを問う。ブラフマーは、神々がそれぞれの住処へ帰ったのち、バヴァ(シヴァ)が苦行(タパス)を試し量るためにサマーディに入ったと答え、シヴァが自性において自足し、至上をも超え、妨げなき存在でありながら、なおイーシュヴァラ、ヴリシャバドヴァジャ、ハラとして顕現することを示す。続いて、ギリジャーの激しい苦行が、ルドラさえ驚かせるほどであると強調される。シヴァは定中にありつつも「バクターディーナ」—信愛に応じる御方—として描かれる。彼が心により七聖仙(サプタルシ、ヴァシシュタら)を招くと、彼らは即座に来臨し、マヘーシャーナを感涙の信愛で讃え、想起されたことへの感謝を述べる。章の後半は、(1)タパスへのシヴァの審査、(2)聖仙による儀礼・法(ダルマ)の仲介、(3)恩寵授与とその条件へ向かう手順の展開へと導く。

72 verses

Adhyaya 26

पार्वत्याः तपः-परीक्षा (Śiva Tests Pārvatī’s Austerity)

賢者たちが去った後、本章はデーヴィー・パールヴァティーのタパス(苦行)に対する正式なパリークシャー(試験)を開始する。シャンカラは自ら、彼女の出離の誓願の質と堅固さを確かめようと決意し、チャドマン(変装)によって、杖と傘を携えた老いた光輝くブラーフマナ/ジャティラの修行者として現れ、その姿は森を照らす。彼は苦行の場にいるパールヴァティーに近づく。彼女は浄められてヴェーディー(祭壇の台座)に坐し、侍女たちに囲まれ、月の一片のように静謐で輝いている。パールヴァティーは来訪者を最大の敬意で迎え、儀礼的なもてなしを捧げ、丁重に問いかける。対話が始まり、彼女が身元と来歴を問うと、変装したシヴァは世の利益のために遍歴するタパスヴィーだと答える。さらに彼は、彼女の家系とこの苛烈な苦行の目的を問い、権威ある修行者の言葉に挑まれても、彼女の意図・識別・バクティ(信愛)が揺るがぬかを試すための緊張を整える。

44 verses

Adhyaya 27

सत्यप्रतिज्ञा-तपःसंवादः (Pārvatī’s Vow of Truth and the Dialogue on Her Tapas)

第27章は、パールヴァティーがドヴィジャ/ジャティラ(苦行するバラモンの姿の者)に語りかけ、自らの全ての経緯を真実のまま、少しも逸らさずに述べると誓うところから始まる。彼女は心・言葉・行いの三つの領域におけるサティヤ(真実)を強調し、成就の困難を知りつつも、シャンカラへの揺るぎない決意を宣言する。ブラフマーの語りの枠組みの中で、彼女の話を聞いたバラモンは、女神が苛烈なタパスによって何を求めているのかを問い、当初は立ち去ろうとするが、パールヴァティーは留まって益ある言葉を語るよう願う。ドヴィジャは、彼女がバクティ(信愛)をもって聴く用意があるなら、タットヴァ(根本の真理)を明かすと約する。本章はこのように、パールヴァティーの真実性・決断・規律ある修行という霊的資質を確立し、志願の本質と、導きの教えによって理解(ヴァユナ)が生起する道へと話を移す要となる。

39 verses

Adhyaya 28

पार्वतीवाक्यं—शिवस्य परब्रह्मत्व-निरूपणम् (Pārvatī’s Discourse: Establishing Śiva as Parabrahman)

第28章は、異様な来訪者/変装した者の出現に応じて、パールヴァティーがシヴァの真実の本性を断固として明らかにする形で語られる。彼女は状況を完全に見抜いたと述べ、矛盾した言辞や詭弁によって惑わされることを拒む。続いて章は簡潔な神学的論証へ移り、シヴァは本質においてニルグナのブラフマンであるが、因縁と作用の結びつきによりサグナとして顕現するため、誕生・年齢・制限といった通常の範疇は当てはまらないと説く。パールヴァティーはサダーシヴァをあらゆるヴィディヤーの常住の基盤と認め、シヴァが「学びを要する」という観念を不合理として退ける。さらにヴェーダの至高性を、創造の初めに授けられたシヴァ自身の「息」として宣言し、太初の存在を時間尺度で測ろうとする試みを否定する。結びに、シャクティの主としてシャンカラを礼拝する者は、しばしば三つのシャクティとして語られる永続の加持と力を得ると述べ、信愛が単なる知的同意ではなく神的威力への参与をもたらすことを示す。

50 verses

Adhyaya 29

पार्वतीप्रार्थना—हिमवत्पार्श्वे भिक्षुरूपेण याचनम् | Pārvatī’s Request: Śiva to Seek Her in Beggar-Form at Himālaya’s Court

第29章はナーラダとブラフマーの対話を続ける。次に何が起こったのかというナーラダの問いに促され、ブラフマーはパールヴァティーがシヴァに語った直後の成り行きを述べる。ハラ(シヴァ)は内心よろこび満ち、彼女の愛情深くも指示を含む言葉を受け入れる。パールヴァティーはシヴァを主君・夫として仰ぎ、ダクシャの供犠とその激しい破壊という宇宙的出来事を想起させ、さらにターラカによって苦しむデーヴァたちの状況に照らして、今生の誕生と使命を位置づける。彼女は慈悲をもって自分を妻として受け入れるよう願うが、同時に、世間と儀礼において公然たる正しい手続きを求める。すなわち父の家へ戻る許しを請い、ヒマヴァトのもとへ来て正式に求婚し、意図的なリーラーとして比丘(托鉢の修行者)の姿を取るようシヴァに願うのである。本章は、ダルマによる正当化、世間の名声(ヤシャス)、そして苦行者の在り方と家住の正式な婚姻との調和を強調し、神聖な結合の公的承認とその宇宙的目的への序章となる。

42 verses

Adhyaya 30

पार्वत्याः पितृगृहगमनं तथा मङ्गलस्वागतम् | Pārvatī’s Return to Her Father’s House and the Auspicious Welcome

第30章は、ハリが自らの住処へ去った直後の出来事を、ナーラダとブラフマーの対話として語る。ナーラダは、「一切の吉祥を具える者」(sarva-maṅgalā)と讃えられるパールヴァティーが次に何をし、どこへ向かったのかを詳しく問う。ブラフマーは、歌と舞の魅惑的な演技が集会の人々(メナーを含む)を圧倒したのち、パールヴァティーが侍女たちとともに自らの姿と意図を「成就し円満ならしめ」、マハーデーヴァを念じて父の館へ赴いたと述べる。到来を聞いたメナーとヒマーチャラは歓喜に満ち、天の乗り物で迎えに出る。祭司、町の人々、友人、親族が集まり、マイナーカに率いられた兄弟たちも勝利の叫びを上げて進み来る。章は公的で儀礼的な歓迎を強調し、王道は飾られ、吉祥瓶(maṅgala-ghaṭa)が据えられ、白檀・沈香(agaru)・麝香(kastūrī)などの高価な香料や果実・枝葉が整えられ、ブラーフマナ、ムニ、女性、舞姫が参加して、家の領域と神聖界のあいだを行き来するパールヴァティーを包む、吉兆の宗教都市的光景が描かれる。

52 verses

Adhyaya 31

देवगुरुप्रेषणम् (Himālaya Mission of the Gods’ Preceptor / The Gods Send Their Guru)

第31章は、ブラフマーがナーラダに告げるところから始まる。すなわち、シャクラ/インドラに率いられた諸天は、ヒマーラヤとその娘パールヴァティーがシヴァに捧げる、揺るがず逸れない最高の信愛(avyabhicāriṇī parā bhakti)を認めたという。諸天は現実的に協議し、ヒマーラヤが一心のバクティによって娘をシヴァに嫁がせるなら、直ちに吉祥の果—神格化、シヴァの界への到達、そして究竟の解脱(mokṣa)—を得ると見る。さらに、無量の宝を支える者たるヒマーラヤが去れば、大地が「ラトナガルバー(宝胎)」としての名を失いかねないと修辞的に述べ、彼の宇宙的重みを強調する。結論として、ヒマーラヤは不動の性(sthāvaratva)を捨てて神の姿を受け、三叉戟を執る御方に乙女を奉じ、マハーデーヴァと同形同相(sārūpya)を得て、恩寵を享受したのち最終の解脱に至ると定める。決議後、諸天は敬意と利害を携えて自らの師に近づき、目的達成のためヒマーラヤの住処へ赴くよう請う。策は言葉による対抗であり、師にシヴァ(śūlin/pinākin)を批判・貶めさせ、反発心によってヒマーラヤが速やかに婚姻を承諾するよう—たとえ不本意でも—仕向けるのである。なぜならドゥルガーはシヴァ以外の花婿を受け入れないからだ。本章は、助言と説得、統御された修辞によって婚姻の帰結を動かそうとする政治神学的な働きを描きつつ、パールヴァティーの選択の唯一の帰趣がシヴァであることを確証する。

53 verses

Adhyaya 32

मेना-हिमालयसंवादः (Menā’s Counsel to Himālaya; Response to Slander of Śiva)

第32章は、宗派的な誹謗によって起こる家庭の危機を描く。ヴァイシュナヴァのバラモンがシャンブ(シヴァ)を貶め、これを聞いたメナーは激しく嘆き、固く決意する。彼女はヒマーラヤに、権威あるシャイヴァの聖仙に相談して真偽を確かめるよう促す一方、その否定的な評判に基づくなら娘をルドラに嫁がせないと宣言する。さらに彼女の言葉は誓願のように高まり、死・毒を飲む・溺れる・森へ退くなど自害をほのめかして、婚姻交渉における噂と名誉の重さを際立たせる。やがてメナーは泣きながら退き、地に伏して悲憤を体現する。並行して、離別の苦(ヴィラハ)に悩むシャンブは七人のリシを想起し、彼らは願いを叶える樹のように即座に来臨し、アルンダティーもまたシッディのごとく現れる。光り輝く聖仙を見て、ハラは私的なジャパを止め、孤独な苦行から助言と集会へと移り、シヴァへの正しい理解と和解への次の展開を準備する。

65 verses

Adhyaya 33

शिवशिवयोर्जगत्पितृमातृत्व-प्रतिपादनं तथा मेनायाः विमोहः (Śiva–Śivā as Cosmic Father and Mother; Menā’s Delusion and the Sages’ Intervention)

第33章は、聖仙たちがヒマーラヤに娘をシャンカラに嫁がせるよう勧めるところから始まる。根拠は宇宙的真理であり、シヴァは世界の父(jagatpitā)、シヴァー(女神)は世界の母(jaganmātā)であるゆえ、この婚姻は世俗の縁組にとどまらず存在論的な結合である、と説く。聖仙たちは、この行いによってヒマーラヤの生は「サールタカ(sārthaka)」として成就し、その位も高められると約束する。ブラフマーはヒマーラヤの返答を語る。彼はすでにギリーシャの御意に沿って同意していたが、ヴィシュヌ派に傾くバラモンがシヴァについて「逆なる言葉(viparīta)」を述べ、認識の転倒を起こしたという。その結果、メーナーは知の失墜(jñānabhraṣṭā)に陥り、托鉢の瑜伽行者(bhikṣu-yogin)として現れたルドラとの婚姻を拒み、怒りの間「コーパーガーラ(kopāgāra)」に退いて頑なに固執する。ヒマーラヤ自身も迷妄を告白し、マヘーシャの「乞者の姿」に娘を捧げることをためらって、聖仙たちの前で沈黙する。そこで七聖仙は、この混乱を生じさせる働きとしてシヴァのマーヤーを讃え、智慧と貞節で名高いアルンダティーに、夫の指示を携えてメーナーとパールヴァティーのもとへ急行し、正しい理解を回復して定められた合一へと事態を戻すよう託す。

63 verses

Adhyaya 34

अनरण्य-वंशवर्णनम् तथा पिप्पलादस्य कामोत्पत्तिः (Genealogy of King Anaraṇya and Pippalāda’s arousal of desire)

ヴァシシュタは、マヌに始まる王統を語り起こし、七大陸(サプタドヴィーパ)を治め、シャンブ(シヴァ)への帰依において模範となるアナラニヤ王を中心に述べる。王はブリグを祭司(プーローヒタ)として多くのヤジュニャを修するが、授けられようとしたインドラの位さえ辞して、天界の権勢よりも離欲(ヴァイラーギャ)とシヴァ・バクティを重んじる。続いて王家の内情として、多くの王子と、ひときわ寵愛される王女(スンダリー/パドマー)、さらに福徳ある王妃たちが語られる。王女が年頃に達すると、書状/使いが送られ、後の展開への伏線となる。場面は仙人ピッパラーダへ移り、アーシュラマへ戻る途中、女性たちと艶なる戯れに耽り、カーマ・シャーストラに通じたガンダルヴァを目にする。その光景が苦行者の心にカーマ(欲)を呼び起こし、タパスの最中でありながら、結婚と家住生活(ダーラ・サングラハ)への思いが芽生える。本章は、感官の遭遇が修行の専念を揺るがし、生の選択を転じ得るという道徳・心理の転機を示し、残りの偈でその帰結が語られる。

39 verses

Adhyaya 35

अनरण्यसुता–पिप्पलादचरितम् / The Episode of Anaraṇya’s Daughter and Sage Pippalāda

本章は入れ子状の対話によって進む。ナーラダはブラフマーに、アナラニヤの物語――娘を嫁がせた出来事――の後日譚を問う。ブラフマーは、山の主ギリヴァラ/シャイレーシャが、聖仙ヴァシシュタにその不思議な結末を恭しく尋ね、とりわけ「アナラニヤの娘は、ピッパラーダを夫として得た後、いかに振る舞ったのか」と問うたと語る。ヴァシシュタは、ピッパラーダを老いて戒律に堅い苦行者で、欲に染まらず、森のアーシュラマで彼女と満ち足りて暮らす者として描写する。妻は身・意・語の三業において模範的な帰依をもって仕え、ラクシュミーがナーラーヤナに仕える姿に譬えられる。続いてダルマの試験が始まる。彼女がスヴァルナディー川へ沐浴に向かう途中、ダルマがマーヤーによって、華麗に飾られ若々しく輝く牡牛の姿で現れ、仙妻の内なるバーヴァ(心のあり方)を見極めようとする。以後の偈は、この試験の道徳的・神学的帰結を展開する構えである。

62 verses

Adhyaya 36

हिमालयस्य निर्णयः — शिवाय पार्वत्याः प्रदाने (Himālaya’s Resolution to Give Pārvatī to Śiva)

第36章は、ヴァシシュタの教示の後、ヒマーラヤの領域で開かれた熟議の評議会を描く。ブラフマーは、驚いたヒマーラヤが山々の主たち(メール、サヒヤ、ガンダマーダナ、マンダラ、マイナー カ、ヴィンディヤ等)を集め、ヴァシシュタの言葉を踏まえていかに行うべきかを問うたと語る。山々は断固として答える――もはや逡巡は不要であり、この事は高次の目的によって既に定められている。すなわち、パールヴァティー(ギリジャー)は神々の務め(devakārya)のために現れ、シヴァの意志を担い遂行するシヴァに捧げられるべきだ、と。彼らの助言は、決断が家の都合ではなく、ダルマと宇宙秩序により必然であることを示す。これを聞いてヒマーラヤは深く歓喜し、ギリジャーの心にも内なる喜びが満ちる。続いてアルンダティーが、種々の論拠と古伝(itihāsa)の譬えをもってメーナーを諭し、疑いを除いて家を聖仙たちの裁定に一致させる。心が澄んだメーナーはアルンダティーと客人を敬ってもてなし、神聖な婚姻へ向かう次の儀礼的・社会的段階への備えを受け入れる。

35 verses

Adhyaya 37

निमन्त्रण-पत्रिका-प्रेषणम् (Dispatch of the Invitation Letter) / Himālaya Sends the Wedding Invitation to Śiva

第37章は、正式な書状と作法の段を通して婚礼準備をさらに進める。サプタリシたちが去った後、ヒマヴァーンが何をしたかをナーラダがブラフマーに問う。ブラフマーは、喜びに満ち心広いヒマヴァーンが、メール山をはじめ諸山(パルヴァタ)という山々の親族を招集して協議し、一族として結束して動き出したと語る。教えに従い愛情をもって、ヒマヴァーンは祭司(プーロヒタ)ガルガに、吉時(ラグナ)を定める文書であり招待状でもあるラグナ・パトリカーを作成させ、シヴァに宛てて送る。使者たちは吉祥の品々と諸準備を携えてカイラーサに到着し、シヴァの御前に進み、ティラカを施して礼を尽くしつつ書状を奉呈する。主は彼らを特別に厚遇し、その成功はヒマーラヤに大いなる歓喜をもたらす。続いてヒマーラヤは各地の親族や善意の人々を広く招き、来たる神聖な婚礼の社会的・儀礼的な広がりを整える。本章は、もてなしの礼(サトカーラ)、吉時(ラグナ)、そして招待の聖なる段取りがダルマの儀礼秩序に属することを示す。

48 verses

Adhyaya 38

हिमवतः सुमङ्गलोत्सव-नगररचना (Himavān’s Auspicious Festival Preparations and City Adornment)

第38章は、山の主(śaileśvara)にして第一の牟尼と称されるヒマヴァーンが、娘のために自らの都で比類なき大吉祥の祝祭を歓喜して整えるさまを描く。内容は建築と儀礼美に重きが置かれ、正門はナンディー(Nandī)が守護し、対となる人工の門も据えられる。両門は水晶のごとく輝き、入口の対称性と清浄なる聖性を際立たせる。道は灑水して浄め整えられ、各門は吉祥の品々と装飾で飾られる。中庭にはバナナ/ランバーの柱(rambhāstambha)、布糸の結び、瑞々しい葉が配され、さらにマーラティー(mālatī)の花鬘と光るトーラナが掲げられ、四方には吉祥物(maṅgala-dravya)が置かれる。続いてヒマヴァーンはヴィシュヴァカルマン(Viśvakarmā)を招き、美しい祭壇台(vedikā)を備えた広大なマンダパ(maṇḍapa)を建立させる。その規模は誇張されるほど壮大で、造作された「不動」のものが「動く」生きものに競い、またその逆も起こるという驚異(camatkāra)と聖なる円満が演出される。全体として本章は、浄められた道、守られた門閾、方位に応じた吉祥配置、そしてガルガ(Garga)の指導のもと正式儀礼にふさわしい中央の会亭という、儀礼空間の設計図として機能している。

39 verses

Adhyaya 39

मङ्गलपत्रिकाग्रहणम् — Reception of the Auspicious Marriage Invitation

第39章は対話形式である。ナーラダがブラフマーに、シヴァ(シャシマウリ/シャンカラ)が「マンガラパトリカー」—婚礼受諾を正式に示す吉祥なる婚書・招請状—を受け取ったとき何をなしたかを語るよう請う。ブラフマーは、シヴァが喜悦してこれを受け、嬉々として微笑み、使者を厚くもてなし、神聖でありながら世間の作法(laukikācāra)にもかなう振る舞いを示したと述べる。さらに文書を正しく読誦させ、定められた手順(vidhānataḥ)に従って厳粛に受諾し、儀礼の正確さと公的な確認を強調する。シヴァは使者に任務の成就を告げ、婚礼への参列を命じ、自ら婚姻を受け入れたことを明言する。使者たちは礼拝し、周繞してから歓喜のうちに退出し、使命の成功を宣言する。冒頭では、この物語を聞くことが吉祥で罪を滅すると説かれ、シヴァのリーラーが超越と社会秩序を調和させることが示される。以後の偈は婚礼準備へと進み、マンガラの霊力と、儀礼・社会の場におけるシヴァの慈悲深い主権を顕す。

62 verses

Adhyaya 40

गणसमागमः (Śiva Summons the Gaṇas for the Great Festival)

本章では、ブラフマーが動員の場面を語る。シヴァはナンディンと集まったガナ(gaṇa)たちを召集し、大祭(mahotsava)を意図して、ヒマーラヤの山の都へ向かうよう命じる。シヴァは従者に随行を促す一方、統治・管理のために一部隊を後方に残し、ガナが秩序と階層を備えた宇宙的随伴であることを示す。続いて経文は、著名なガナの指揮者(gaṇeśvara/gaṇanāyaka)と、その軍勢の莫大な数(koṭi、daśakoṭi、sahasrakoṭi、koṭikoṭi)を列挙し、規模、序列、そして儀礼の響きに満ちた大祝祭の気配を強調する。Śaṅkhakarṇa、Kekarākṣa、Vikṛta、Viśākha、Pārijāta、Sarvāntaka、Vikṛtānana、Kapālākhya、Sandāraka、Kanduka、Kuṇḍaka、Viṣṭambha、Pippala、Saṃnādakaらが大部隊の将として登場する。本章の狙いは、シヴァの主権を壮大に顕し、パールヴァティーに関わる祝祭の文脈で迫り来る吉祥の出来事への宇宙的参与を、行列・列挙・号令という信愛の光景として示すことである。

57 verses

Adhyaya 41

हिमालयगृहे नारदस्य आगमनम् तथा विश्वकर्मनिर्मितवैभववर्णनम् — Nārada’s Arrival at Himālaya’s Palace and the Description of Viśvakarman’s Marvels

本章は、梵天(ブラフマー)の語りとして、来たるシヴァ—パールヴァティーの婚礼に結びつく使者・儀礼の次第を描く。協議ののち、シャンカーリーの同意を得たハリ(ヴィシュヌ)は、まず聖仙ナーラダを山の住処(クダラーラヤ/ヒマーラヤの宮)へ遣わす。ナーラダは至上主に礼拝してヒマーチャラの邸に到り、ヴィシュヴァカルマンが意図して造り上げた驚嘆の建築美を目にする。宝石を嵌めたヒマードリの楼閣、黄金の頂飾りと天界の荘厳、千本の柱に支えられ、見事な祭壇(ヴェーディカー)を備えていた。圧倒されたナーラダは「山々の主」ヒマヴァーンに、ヴィシュヌに率いられた神々、聖仙、シッダたちなどが到着したか、また牡牛に乗りガナに囲まれたマハーデーヴァが婚礼のために来臨したかを問う。ヒマヴァーンは事実を述べて答え、物語は準備・来訪・作法へと続いていく。

54 verses

Adhyaya 42

ईश्वरागमनं हिमवदादि-समागमश्च / The Arrival of Īśvara and the Assembly of Himālaya, Devas, and Mountains

第42章は、イーシュヴァラ(シヴァ)がヒマーラヤの近辺へと近づき、続いて荘厳な会集が起こるさまを描く。ブラフマーは、シヴァ来臨の報を聞いたヒマーラヤが歓喜し、諸山とバラモンたちを先に遣わして拝謁の場を整え、自らも信愛(バクティ)をもって急ぎ出迎えたと語る。デーヴァたちと山々の群れは、軍勢のように広大で整然とした隊列で集まり、互いに驚嘆しつつ共なる至福を味わう。その集いは東西の大海の邂逅に喩えられる。イーシュヴァラが眼前に現れると、ヒマーラヤが先導して礼拝し、すべての山々とバラモンがサダーシヴァに伏して敬礼する。続いて章はシヴァの相好を濃密に描写する。ヴリシャバに坐し、静謐な御顔、宝飾に荘厳され、神なる肢体は光り輝き、妙なる衣をまとい、宝冠を戴き、清らかな微笑みと光明に満ちる—この「ダルシャナ(聖容拝観)」こそが信愛と謙虚さを呼び起こし、宇宙の調和を成就させることを示す。

32 verses

Adhyaya 43

मेना-शिवदर्शन-प्रस्थानम् | Menā’s Quest to Behold Śiva (Departure for Śiva’s Darśana)

第43章は、メーナーがギリジャーの主であるシヴァを自らの眼で拝し、いかなるシヴァの御姿が至高の苦行(tapas)に値するのかを知りたいと述べるところから始まる。ブラフマーは、限られた見立てと無明に促され、彼女が対話する聖仙を伴ってただちにチャンドラサーラー(Candrasālā)へ赴き、シヴァのダルシャナ(darśana)を求めたと語る。シヴァは内なる我慢(ahaṃkāra)を見抜き、妙なるリーラー(līlā)を起こしてヴィシュヌに語りかけ、ブラフマーもまた光輝をもって来臨する。シヴァは二神に、山門(giridvāra)へそれぞれ別々に向かい、自らは後から続くよう命じる。これを聞いたヴィシュヌは諸天(deva)を招集し、神々は喜び勇んで出立の支度を整える。続いてメーナーには、上の間(śirogṛha)に心を揺さぶるために整えられた光景が示され、外見の価値判断を戒める教化の緊張が示唆される。時が来ると、彼女は吉祥にして壮麗な軍勢/随従の列を見て、その「ありふれた」華やかさに歓喜する。行列は美装のガンダルヴァたちから始まり、さまざまな乗り物、楽器、旗幟、アプサラスの群れが続いて、天界の絢爛とシヴァの超越的真実が後に反転して顕れるための舞台を整える。

64 verses

Adhyaya 44

मेनायाः क्रोध-विलापः — Menā’s Lament and Reproach (to the Sage)

第44章は、梵天がメーナー(ヒマヴァットの妃、パールヴァティーの母)について語るところから始まる。彼女は一度は心を取り戻すが、たちまち激しく動揺し、嘆き悲しんだのち、助言を与えた聖仙に向かって鋭い叱責を浴びせる。メーナーは、パールヴァティーがシヴァと結ばれるという先の保証の結末を非難し、その後の出来事を欺き、あるいは結果の逆転として受け取る。娘の苛烈なタパス(苦行)は痛みの「果」を結んだのだとし、家の名誉と安定の喪失、頼るべき拠り所の不確かさ、そして裏切られたという思いからの怒りを吐露する。言葉はさらに辛辣となり、金をガラスに替える、白檀を捨てて泥を取る、白鳥を逃して烏を捕える—といった苦い譬えで、誤った判断と価値の転倒、悲劇的な選択を示す。章全体としては、母の悲嘆と世俗の不安を、シヴァ—パールヴァティー結合という神聖な目的と対置し、人の見方が宇宙的意図によって正されてゆく解決へと備える。

102 verses

Adhyaya 45

शिवरूपदर्शनम् (Menā’s Vision of Śiva’s Divine Form)

第45章は、梵天の報告とナーラダの直接の言葉により、説得とダルシャナ(darśana)の連なりを語る。ヴィシュヌに促され神々の御用(devakārya)を助けるため、ナーラダはシャンブ(シヴァ)に近づき、さまざまな讃歌(ストートラ)で礼讃する。ナーラダの賛嘆に満足したシヴァは、慈悲を本質とする、比類なき至高の神的御姿を顕現する。その御姿は愛神マンマタをも凌ぐ美とされ、ナーラダは歓喜してメナーのもとへ戻り、シヴァの無上の御姿を拝するよう勧める。驚いたメナーは証言を受け、やがて自ら主の光輝と吉祥の美を直観する――無数の太陽のような輝き、完全な肢体、妙なる衣、数多の装身具、静かな微笑、光り澄む御肌、そして髪を飾る三日月。章は、神聖な使命→讃嘆→恩寵の顕現→メナーへの伝達→救済と美を裏づける相好の描写へと展開する。

46 verses

Adhyaya 46

महेश्वरागमनं तथा नीराजन-सत्कारवर्णनम् / The Arrival of Maheśvara and the Rite of Welcome (Nīrājana)

第46章は、シヴァ(マヘーシュヴァラ)がヒマーチャラの住まいへ吉祥に到来するさまを語る。ガナたち、諸天(デーヴァ)、さらに天界の随伴者や聖仙が従い、万人の目に触れる喜びの行列となる。家の尊き女主人でヒマーチャラに愛されるメーナーは立ち上がり、内へ入って正しい迎えの支度を整える。ついでサティー/パールヴァティーが門口に進み、ニ―ラージャナ(nīrājana:灯火を巡らせて守護と吉祥を祈る儀礼)のための灯明の器を携え、リシたちと女性の群れが伴って、共同の聖なる歓迎が強調される。メーナーはマヘーシャーナ/シャンカラを拝し、一面三眼、やわらかな微笑、輝く肌、宝冠と宝飾、花鬘、麗しい衣、白檀・沈香(アガル)・麝香・クンクマの薫りと塗香、光る眼として讃えられる。章の中心は、ダルシャナとサトカーラという儀礼化された邂逅であり、美と光明と瑞相によって神の臨在を認め、神学を家庭の礼拝と公の祝祭へ結び合わせる。

37 verses

Adhyaya 47

दुर्गोपवीत-रचना तथा शिवामलङ्कारोत्सवः | The Making of the Durgopavīta and Pārvatī’s Auspicious Adornment Festival

第47章は、吉祥なる儀礼と祝祭の中でパールヴァティー(シヴァー)をめぐる準備の次第を説く。ブラフマーは、山の主ヒマーラヤが歓喜して「ドゥルゴーパヴィータ」(聖なる糸/護符的な儀礼具)を作らせ、ヴェーダのマントラとシヴァのマントラを併誦して、ヴェーダ正統の作法とシャイヴァの典礼が融け合うことを示すと語る。ヒマーラヤの要請により、ヴィシュヌをはじめ諸神と聖仙たちが内殿に入り、証人として儀礼の場を整える。シュルティとバーヴァ・アーチャーラに則る所作の後、パールヴァティーはシヴァより授けられたとされる装身具で荘厳され、神聖な承認と正当性が明らかとなる。沐浴し、飾り立てられ、侍女やバラモンの婦人たちによってニラージャナ(灯明のアーラティー)が捧げられ、さらに未使用の上質な衣と宝飾(カンチュキー、首飾り、金の腕輪)を身にまとう。外なる華やぎの中でも、彼女の内心はシヴァへのディヤーナに安住し、内なる信愛と外なる儀礼の合一が強調される。祝祭は共同の歓びへと広がり、バラモンらへの豊かな布施(ダーナ)と歌舞音曲(ギータ・ヴァーディヤ)がウツァヴァを彩り、「浄化→荘厳→アーラティー→観想」という微細な次第が社会的な吉祥の祭へと結び付けられる。

55 verses

Adhyaya 48

गोत्र-प्रवर-प्रश्नः तथा तिथ्यादि-कीर्तनं (Gotra–Pravara Inquiry and Proclamation of Auspicious Time)

第48章は婚礼の進行中に設けられた、厳粛で儀礼化された一場面を描く。ガルガがācāryaとして促すと、ヒマヴァーンとメーナーは娘を嫁がせる準備に入り、歓待と諸前儀を開始する。メーナーは華やかに装い金の器を携えて現れ、山王ヒマヴァーンと家付きの祭司たちは迎礼(pādya等の供物)を行い、花婿を衣服・白檀・装身具で敬う。続いてヒマヴァーンは、暦法に通じた学識あるブラーフマナたちに、当日のtithi(ティティ)と関連する吉兆を宣言するよう求め、彼らは喜んで応じる。やがて物語は神学的緊張へ転じる。内なるシャンブの促しにより、ヒマーチャラは婚姻の作法に従い、シヴァにgotra・pravara・家系・名・ヴェーダ・śākhāを述べるよう問う。しかし、かかる分類を超越する本性ゆえに、シヴァは沈黙し「言葉を失った」かのようで、神々や聖仙、随伴の者たちは驚愕する。この沈黙が合図となり、ブラフマン智に通じヴィーナーを奏するナーラダが介入して、社会的・儀礼的な難題を、シヴァの超系譜的地位を示す啓示の機会へと転じつつ、婚礼の物語を正統な手続きの枠内に保つ。

56 verses

Adhyaya 49

अध्याय ४९ — विवाहानुष्ठाने ब्रह्मणः काममोहः (Brahmā’s Enchantment by Desire during the Wedding Rites)

シヴァとパールヴァティーの婚礼儀礼のさなか、ブラフマーは儀式の次第と、その後に起こる危機を語る。ブラフマーの指示により祭司たちは聖火を स्थापितし、シヴァはリグ・ヤジュス・サーマンの真言によってホーマを修し、さらにマイナーカ(カーリーの兄とされる)が慣例のラージャーンジャリ(lājāñjali)を供える。ついでシヴァとカーリー/パールヴァティーは規定と世俗の作法(vahnipradakṣiṇā; lokācāra)に従い、火の周りを巡行する。すると異変が起こる。シヴァのマーヤーに惑わされたブラフマーは、女神の足先/足爪に三日月のように魅惑的な美を見て、欲(kāma)に呑まれる。幾度も凝視するうちに平静を失い、精が地に落ち、恥じて足で擦り、踏み覆って隠そうとする。マハーデーヴァがこの過失を知ると激怒し、ブラフマーを罰しようとして、諸存在に恐慌と畏れが広がる。本章は整然たるヴェーダ婚礼儀礼から、欲望の危険、マーヤーの及ぶ力、そして神聖な婚姻の場における宇宙の規律者としてのシヴァの威厳を示す神学的攪乱へと展開する。

47 verses

Adhyaya 50

वैवाहिकानुष्ठानसमापनं दानप्रशंसा च / Completion of Wedding Rites and Praise of Gifts (Dāna)

本章は、シヴァとパールヴァティーの婚礼後に続く儀礼の次第を述べる。ブラフマーはナーラダに、シヴァの命により仙聖の集会の中で、残る作法—頭部灌頂(śiro’bhiṣeka)、吉祥の拝観(darśana)、心を支え力づける儀(hṛdayālambhana)、ならびに祝福の誦読(svastipāṭha)—が大祭(mahotsava)として成就したと語る。二度生まれの司祭の指示に従い、シヴァはシヴァーの頭にシンドゥーラを施し、パールヴァティーは驚くほど光輝き、ギリジャー(Girijā)と称される。さらに二尊は一つの座に並び坐し、夫婦一体と公の吉祥を象徴する。所に戻って歓喜のうちに結びの食儀(saṃsrava-prāśana)を行う。婚礼のヤジュニャが正しく終わると、シヴァは諸世界の安寧のためブラフマーに満器(pūrṇapātra)を授け、ついで師(ācārya)とバラモンたちに牛施(godāna)をはじめ、黄金・宝玉・諸々の貴重品という大いなる吉祥の布施を与える。最後に神々と衆生は等しく歓喜し、勝利の声(jayadhvani)が響き渡って、この儀礼が宇宙的に承認されたことを示す。

46 verses

Adhyaya 51

कामभस्म-प्रार्थना: रत्याः शङ्करं प्रति विनयः / Rati’s Supplication to Śaṅkara regarding Kāma’s Ashes

第51章は、シヴァとパールヴァティーの婚礼祝賀という吉祥の場を背景に、嘆願と恩寵の場面として語られる。ブラフマーが「今こそ好機」と示したのち、ラティはシャンカラ(シヴァ)の御前に進み、礼を尽くした嘆きと神学的な理をもって訴える。彼女は(1)自己のダルマと生存の道(jīvayātrā)、(2)世界が歓喜に満ちる中で自分だけが孤独に悲しむ不相応、(3)三界に遍く及ぶシヴァの無上の力を根拠として、灰と化した夫カーマの復活を願う。物語は慈悲(dayā/karuṇā)と神の言葉の真実(svokta satya)を前面に置き、シヴァの先の宣言と宇宙の倫理が憐れみある結末を要すると示唆する。冒頭は、ラティが「カーマの灰」を捧げて涙する場面で結ばれ、その灰が後の蘇生と、欲望をダルマの秩序へ再統合するための儀礼的象徴として据えられる。

44 verses

Adhyaya 52

भोजन-आह्वान-प्रकरणम् — The Episode of Invitation and the Divine Feast

第52章は、山々の主ヒマヴァーンが、正式な饗宴のために優雅な食事の中庭を整えるさまを描く。清めと塗り固めを命じ、香りと種々の吉祥物で場を荘厳し、諸天および他の神聖なる存在に「それぞれの主とともに」招請を送る。招きを聞くと、主(例ではアチュタと同一視される)が、神々と従者を伴い歓喜して来臨する。ヒマヴァーンは作法どおり(yathāvidhi)に迎え、邸内の相応しい座に着かせ、さまざまな食物を供する。ついで食事開始の正式な宣言・許可がなされ、集う神々はサダーシヴァを最上の尊位として先に敬いながら食する。本章は、列をなして秩序正しく共食すること、和やかな語らい、そしてナンディン、ブリンギン、ヴィーラバドラらシヴァのガナや、インドラを伴うローカパーラの特別な参与を通して、もてなし・先位・共食によって宇宙の階序が示されることを強調する。

40 verses

Adhyaya 53

गिरिराजस्य शिवनिमन्त्रणम् / The Mountain-King Invites Śiva (Hospitality to Śiva and the Devas)

第53章は移行の場面を描く。ヴィシュヌらに率いられた集会のデーヴァと聖仙たちは、定められた儀礼を終えて山へ向かう。山王(ヒマーラヤ/ギリラージャ)は沐浴して清め(スナーナ)、信奉する神を礼拝し、町人や親族を集め、歓喜して住処へ赴き神々の一行をもてなす。シャンブー/マヘーシャーナを敬礼したのち、シヴァに、諸神とともに数日わが家に留まってくださるよう願い出る。彼はシヴァのダルシャナがもたらす変容の力を讃え、デーヴァを伴っての来臨により主人が祝福されたと宣言する。デーヴァとリシたちはこれを是認し、山王の功徳と名声を称え、三界に比肩する者なしと言う。なぜならマヘーシャーナ—至上梵(パラブラフマン)にして善人の帰依処—が、信者への慈悲ゆえにその門口へ来られたからである。さらに、心地よい住まい、多様な敬意の捧げもの、比類なき食の供応を讃え、デーヴィー・シヴァーンビカーの臨在するところ欠乏はなく、供物は豊かに円満となることを示唆する。本章は、もてなしを儀礼化されたバクティとして位置づけ、シヴァ—シャクティの臨在によって家庭空間を聖なる場へと高める。

37 verses

Adhyaya 54

पार्वत्याः यात्रासंस्कारः तथा पातिव्रत्योपदेशः / Preparations for Girijā’s Auspicious Journey and the Teaching on Pātivratya

第54章は、ブラフマーが語るところから始まる。七仙(サプタルシ)はヒマギリ(ヒマラヤ)に、娘である女神ギリジャーのために、ふさわしい旅立ち/儀礼的な外出の準備を整えるよう勧める。ヒマギリは離別の苦(ヴィラハ)の激しさを悟り、深い愛情に動かれてしばし沈むが、やがて心を取り戻して承諾する。彼はメナーに使いを送り、メナーは喜びと悲しみの入り混じる思いで応じ、準備に取りかかる。メナーはシュルティと家系の慣習に従って諸々の祝祭と儀礼を整え、ギリジャーを麗しい衣と宝玉、王者の威儀にかなう一揃いの装身具で飾り立てる。メナーの意を察した徳ある婆羅門の妻(ドヴィジャ・パトニー)がギリジャーの教導を担い、最高の誓戒であるパーティヴラティヤ(貞節の誓い)を授ける。彼女はダルマを中心とする説示を行い、今生と来世の喜びをもたらしダルマを増大させる言葉を、愛敬をもって聴くよう勧める。さらに、パーティヴラターの女性は特に礼拝に値し、諸世界を浄め、罪の集積を滅すると讃える。また、夫を至上主パラメーシュヴァラとして愛をもって仕える妻は、世俗の繁栄を得、ついには夫とともにシヴァの境地に到達すると説く。本章全体(第84偈まで)は、この教誨と儀礼準備の流れを結び合わせ、迫り来る婚姻と神聖なる宿命を、ダルマと規律ある信愛のうちに位置づけている。

83 verses

Adhyaya 55

प्रस्थान-विरह-विलापः (Departure and Lament in Separation)

第55章は、教示・旅立ち・離別の嘆きが重なり合う、情感に満ちた転換を描く。ブラフマーは、あるバラモンの婦人がまずデーヴィーに特定のヴラタ(誓戒)を授け、その後メナーに言葉をかけて、デーヴィーのヤートラー(旅立ち)を整え開始させたと語る。人々は溢れる愛情とともに同意し、別離は激しい涙と、幾度も抱き合う姿を引き起こす。パールヴァティー自身の嘆きが強調され、すすり泣きの中から慈悲の言葉がこぼれる。悲しみは伝染するように広がり、シャイラプリヤー/シヴァーや他のデーヴァパトニーたちは悲嘆で気を失い、女たちは皆泣き、さらにはヨーギーシャ(シヴァ)さえも去りゆく途上で涙すると描かれ、この瞬間の宇宙的重みが示される。ヒマーラヤは子ら・大臣・高名なドヴィジャたちを伴って急ぎ来たり、彼もまた迷いの悲しみに崩れ、パールヴァティーを胸に抱いて「どこへ行くのか」と繰り返し問い、空虚を味わう。やがて博識で慈悲深いプーローヒタが、アディヤートマ・ヴィディヤー(霊的教え)によって人々を目覚めさせ慰め、集いに落ち着きを取り戻させる。パールヴァティーは母・父・グルにバクティをもって礼拝するが、同時にマハーマーヤーとして枠づけられ、世間の作法(バヴァーチャーラ)に従って幾度も涙する姿が示される。これは、神の化身を超越的でありながら社会的にも理解可能に示すプラーナの表現である。

39 verses