Kurma AvataraSamudra ManthanaDharma

Purva Bhaga

The First Part

プールヴァ・バーガ(Purva Bhaga)は『リンガ・プラーナ』の第一部であり、宇宙創成の次第、リンガの起源、そしてシヴァ(Śiva)への聖なる祭式と作法を基礎から説き明かす。世界がいかに顕現し、存在の原理がいかに整えられるかを語りつつ、シヴァこそが生成・維持・融解の根源であることを示す。 リンガの由来に関しては、リンガを形や言葉を超えたシヴァの至高の実在を指し示す聖標として顕す。ゆえにリンガ礼拝は物体への執着ではなく、万有に遍在しつつ万有を超越する真理へと心を向ける行であると教える。 また本部は、アビシェーカ(abhiṣeka、灌頂・灌水供養)、水・花・香・灯火の供物、ならびにマントラの誦持など、礼拝儀礼の要点を述べる。身心の清浄、戒め、そして誠の帰依を重んじ、儀礼をバクティ(信愛)と内なる智慧へ導く道として位置づける。 総じてプールヴァ・バーガは、シヴァ教的世界観と実践の土台を据える。宇宙をシヴァの力の顕現として観じ、リンガへの礼拝を恩寵に近づく方便として修することにより、読者は後続のより深い教説へと導かれる。

Adhyayas in Purva Bhaga

Adhyaya 1

नैमिषारण्ये सूतागमनम् — लिङ्गमाहात्म्यभूमिका तथा शब्दब्रह्म-ओङ्कार-लिङ्गतत्त्वम्

本章は、ナーラダが諸々の聖地でリンガを礼拝したのち、ナイミシャーラニヤの森へ来訪することを語る。ナイミシャの仙人たちはナーラダを敬って迎え、ついでヴィヤーサの弟子スータ・ローマハルシャナを見て、リンガの大威徳(マーハートミャ)を具えたプラーナ・サンヒターを説くよう請う。スータは三神とヴィヤーサに礼拝し、リンガ・タットヴァの哲学的基盤を示す――「シャブダ・ブラフマン」はオームカーラを本質とし、ヴェーダーンガを具え、プラダーナとプルシャを超越する。三グナの働きにおいてサットヴァはヴィシュヌ、ラジャスはヒラニヤガルバ、タマスはカーラ・ルドラとして現れ、ニルグナの位においてはマヘーシュヴァラであると宣明する。この序説は、後章のリンガ出現譚、創造と滅尽のリーラー、ならびにリンガ礼拝の作法へと流れを確かなものにする。

24 verses

Adhyaya 2

ईशानकल्पवृत्तान्तः तथा लैङ्गपुराणस्य संक्षेप-सूची

スータは『リンガ・プラーナ』を「ウッタマ(最上)」のマハープラーナとして紹介し、もとはブラフマーがイーシャーナ・カルパに関わって構想し、のちにヴィヤーサが人間へ伝えるために要約したと述べる。本文の規模を示したうえで、主題の総覧を掲げる――創造の諸類(プラーダーニカ/プラークリタ/ヴァイクṛタ)、宇宙卵とその被覆、グナに基づく神々の機能、プラジャーパティ・サルガ、大地の持ち上げ、ブラフマーの昼夜と寿命の算定、ユガ=カルパの尺度、そしてダルマの枠組み。続いてシヴァ派の柱として、繰り返し語られるリンゴードバヴァ、リンガ・ムールティの殊勝、ヴァーラーナシー等の聖地、パーシュパタ・ヨーガ、パンチャークシャラ真言、さらに儀礼と倫理(シュラーダ、ダーナ、プラーヤシュチッタ、食の規範)を強調する。ダクシャ、ヴリトラ、ダディーチ、ジャーランダラ、クリシュナの一族滅亡などの神話は、宇宙秩序と神の恩寵の実例として位置づけられる。章末はファラシュルティで結ばれ、この要約(サンクシェーパ)を知り教えることが浄化と高界への上昇をもたらし、後続章の詳細な物語と修行へ読者を備えさせると説く。

56 verses

Adhyaya 3

अलिङ्ग-लिङ्ग-निरूपणं तथा प्राकृत-सृष्टिवर्णनम्

スータは至上を「シヴァ・アリンガ(無相)」—未顕現・無属性・不壊—と定め、名と形の世界はマーヤーによって無相から現れるシヴァの「リンガ(顕現の徴)」であると説く。続いて原初の展開を述べる。シヴァの一瞥がシャイヴィー・プラクリティを作動させ、そこからマハット、アハンカーラ、タンマートラ、そして五大(アーカーシャ、ヴァーユ、アグニ、アーパḥ、プリティヴィー)とそれぞれの感覚的性質が生じる。知覚器官・行為器官と意(マナス)が起こり、ついに層々の被覆に包まれた宇宙卵(アンダ)が成立する。かかる宇宙卵は無数にあり、各々にブラフマー、ヴィシュヌ、バヴァが働くが、三グナを通じて創造・維持・融解を成す究極の能動者はマヘーシュヴァラただ一者である。本章は後のシャイヴァ教説への序として、リンガ信仰と神学を統一的宇宙論に根づかせる—多はシヴァの顕現であり、一はシヴァの超越である。

39 verses

Adhyaya 4

Adhyaya 4: अहोरात्र-युग-मन्वन्तर-कल्पमान तथा प्रलयान्ते सृष्ट्युपक्रमः

スータは、創造主の「昼」は顕現の時、「夜」は融解(解体)の時を指し、これは文字通りの昼夜ではなく慣用の表現であると説く。ついで時間の階梯を示し、人間の単位(ニメーシャ nimeṣa からムフールタ muhūrta)、祖霊ピトリ pitṛ の時間(彼らの昼夜と年)、神々の時間(アヤナ ayana を昼夜とみなす)を経て、四ユガ—クリタ kṛta、トレーター tretā、ドヴァーパラ dvāpara、カリ kali—とその移行部サンディヤ sandhyā、総計チャトゥルユガ caturyuga、さらにマンヴァンタラ manvantara とカルパ kalpa(千のチャトゥルユガ)へと至らせる。あらゆる変化(vikāra)はシヴァ Śiva の命により収められ、グナ guṇa が均衡に帰すればプララヤ pralaya が起こり、均衡が崩れれば創造が進む—究極因はシヴァであると強調する。宇宙的計算から、滅尽と再生の光景へ移り、ブラフマー Brahmā は水中に眠り、目覚めて再創造を準備する。大地はヴァラーハ Varāha のモチーフで回復され、循環宇宙の中での世界秩序・衆生・シヴァ教義の意味を後章で説くための序となる。

63 verses

Adhyaya 5

अविद्या-पञ्चक, नवसर्ग-क्रमः, प्रजापति-प्रसवः (Vibhaga 1, Adhyaya 5)

スータは語る。自生者スヴァヤンブー(梵天ブラフマー)が創造を志すと、五重の無明(アヴィディヤー)の覆い—タマス、モーハ、マハーモーハ、ターミスラ、アンダ—が起こり、最初の創造は「原初」でありながら霊的果報を結ばないものとなった。ついで本章は、サルガ(創造)の段階体系(プラクリタ/ヴァイクリタ)を、元素と感官の展開から、神々・人間・クマーラの創造に至るまで列挙し、意識がいかに身体化するかを示す。この宇宙的枠組みの上で、ブラフマーはクマーラと主要なプラジャーパティを生み、物語は系譜へ移る—シャタルーパーの子ら、アークーティとプラスーティの婚姻、そしてダクシャの娘たちがダルマや諸リシに嫁ぐこと。サティーはシヴァに結びつく意生の娘として示され、ブラフマーはダクシャに彼女をルドラへ与えるよう命じ、ルドラの多様な相と、女相/男相(strī-liṅga/puṁ-liṅga)の象徴を導入して後のリンガ神学を予告する。章末はダルマの子孫と諸聖仙の後裔を述べ、次章以降のルドラ、誓戒、解脱志向の礼拝へと連なりを整える。

50 verses

Adhyaya 6

अग्नित्रय-पितृवंश-रुद्रसृष्टि-वैराग्योपदेशः

スータは、アグニの三つの主要な顕現—パヴァマーナ(Pavamāna)、パーヴァカ(Pāvaka)、シュチ(Śuci)—の分類と子孫を説き、ヤジュニャ(yajña)における供犠儀礼での働きを強調する。続いてピトリ(Pitṛs、祖霊)について、アグニシュヴァッタ(Agniṣvātta)やバルヒシャド(Barhiṣad)などの群を区別し、メナー(Menā)とその子らを含む著名な系譜を辿って、宇宙と人間の連続性を儀礼的血統に結びつける。物語は次にシヴァ派の核心へ移り、サティー(Satī)はパールヴァティー(Pārvatī)となり、ルドラ(Rudra、ニーラローヒタ Nīlalohita)は多くのルドラを放って十四界の宇宙に遍満させる。ブラフマー(Brahmā)は不死で清浄なルドラたちを讃え、死すべき存在の創造を願うが、シヴァ(Śiva)はそのような創造の相を取らないと告げ、ブラフマーが老死(jarā-maraṇa)に縛られた世界を造る。章末は教説として、シヴァはスサーヌ(sthāṇu、不動・静止)として住し、解脱はヨーガの智(yoga-vidyā)と段階的な離欲(vairāgya)によって生じると説く。シャンカラ(Śaṅkara)への帰依は罪人さえ地獄(naraka)から救い、次章の「誰がいかなる業で地獄に堕ちるのか」という問いを導く。

31 verses

Adhyaya 7

प्रसाद-ज्ञान-योग-मोक्षक्रमः तथा व्यास-रुद्रावतार-मन्वन्तर-परम्परा

スータは、シャンカラ(Śaṅkara)の原初の偉大さに関する「秘義(rahasya)」を明かす。ヨーギンがプラーナーヤーマ等の八種の修習(aṣṭa-sādhana)や慈悲などの徳を備えていても、業(カルマ)の行為はなお天界(svarga)または地獄(naraka)へと導きうる。決定的なのは「恩寵(prasāda)→ 智(jñāna)→ ヨーガ(yoga)→ 解脱(mokṣa)」という次第であり、解脱の原動力がシヴァ(Śiva)の恩寵であることが示される。仙人たちは、無念(cintā-rahita)のシヴァがいかにして恩寵を授け、それがヨーガの道のどの段階で生起するのかを問う。ローマハルシャナ(Romaharṣaṇa)は、系譜と宇宙的時間を枠組みに答え、連続するドヴァーパラ期におけるヴィヤーサ(Vyāsa)の化身、カリ期におけるヨーガ師(yogācārya)としてのルドラ(Rudra)の化身、さらに「すべての循環」(sarvāvarteṣu)にわたる弟子たちを列挙する。加えてヴァラーハ・カルパ(Varāha Kalpa)内のマヌヴァンタラを数え、万有を「パシュ(paśu)」、シヴァをパシュパティ(Paśupati)と定義して、ルドラが顕したパーシュパタ・ヨーガ(Pāśupata Yoga)を、上位・下位の力と究竟の解脱に至る道として確立し、後続章で恩寵の機制、灌頂、シヴァ派ヨーガの規律を詳説するための基盤を整える。

56 verses

Adhyaya 8

Adhyaya 8: Yogasthanas, Ashtanga Yoga, Pranayama-Siddhi, and Shiva-Dhyana leading to Samadhi

スータは、身体内のヨーガの座(とくに臍の周辺・喉・眉間)を説き、ヨーガとは一点集中によって自己知(アートマンの知)を得ることであり、究極にはシヴァのプラサーダ(恩寵)に依ると定義する。さらに「ヨーガ」をマヘーシュヴァラの涅槃の境地と同一視し、罪はジュニャーナ(智)と感官活動の制御によって焼き尽くされると述べる。続いて八支(アシュターンガ)—ヤマ、ニヤマ、アーサナ、プラーナーヤーマ、プラティヤーハーラ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ—を教授し、ヤマ/ニヤマ(アヒンサー、サティヤ、アステーヤ、ブラフマチャリヤ、アパリグラハ;シャウチャ、タパス、ダーナ、スヴァーディヤーヤ、誓戒、断食、沈黙、沐浴など)を詳説する。章の大半はプラーナーヤーマに充てられ、マートラーの数え方、段階、徴相、そしてヴァーユとブッディの鎮静(プラサーダ)が説かれ、śānti–praśānti–dīpti–prasādaへと至る。結びはシヴァ派の瞑想であり、Oṃを炎のような清浄として観じ、蓮華やマンダラを観想し、心臓・臍・眉間にシヴァを安置し、最後に無相(ニルグナ)で言語を超え、生まれなきブラフマンとしてのシヴァを観ずる。これにより、堅固なシヴァ実現のための倫理・生理・観想の前提が整えられる。

116 verses

Adhyaya 9

योगान्तरायाः, औपसर्गिकसिद्धयः, परवैराग्येन शैवप्रसादः

スータは、瑜伽行者を道から逸らす十のヨーガ障碍(yoga-antarāya)—怠惰に始まり感官への渇愛に至るまで—を説き、その内的機構として、知への疑い、心の不安定、サーダナへの信の喪失、迷妄の認識、そして生得の三種の苦(ādhyātmika・ādhibhautika・ādhidaivika)を明らかにする。続いて、障碍が鎮まった後に現れる随障(upasarga)として、段階的なシッディ体験—pratibhā(直観知)、śravaṇa(超常の聴聞)、darśana(幻視・霊視)、āsvāda/vedanā(微細な味覚・触覚の認知)、神聖な香りの覚知—を挙げ、さらに諸界にわたる元素的アイシュヴァリヤ(pārthiva、āpya、taijasa、vāyavya、ākāśa、mānasa、ahaṅkāra、梵的認識)へと展開する。これらの成就は究竟ではなく、梵天界に至るまで、制御と最高の離欲(vairāgya)によって捨て去るべきだと宣言される。権能への魅惑を離れ心を静止させるとき、マハーデーヴァの恩寵(prasāda)が現れ、ダルマ、ジュニャーナ、アイシュヴァリヤ、ヴァイラーギャ、アパヴァルガを授け、後続のパーシュパタ・ヨーガの堅固さへと導く。

67 verses

Adhyaya 10

आचार्य-धर्मलक्षण-श्रद्धाभक्तिप्राधान्यं तथा लिङ्गे ध्यान-पूजाविधानसंकेतः (Adhyaya 10)

本章はシヴァ教の教示を継ぎ、スータは成就したドヴィジャとサードゥの徳—自制、真実、不貪、そしてシュルティ–スムリティへの通暁—を列挙し、シュラウタとスマールタの義務が相反しないところでマヘーシュヴァラが歓喜すると説く。さらに、行為とその果の理によってダルマ/アダルマを定義し、アーチャーリヤを、行いを体現して教え、シャーストラの意義を汲み取る者として示す。四住期(アーシュラマ)におけるサードゥ性も、それぞれの修行—ブラフマチャリヤ、家住の行(グリハスタ・クリヤー)、林住の苦行(ヴァーナプラスタ・タパス)、遊行者のヨーガ(ヤティ・ヨーガ)—として配される。アヒンサー、慈悲(ダヤー)、布施(ダーナ)、寂静(シャマ)、離欲(ヴァイラーギャ)、出離(サンニャーサ)、智慧(ジュニャーナ)は浄化の規範とされるが、頂点は「シュラッダーに根ざすバクティは、広大な贖罪や苦行をも超える」という断言である。物語はヴァーラーナシー(アヴィムクタ)へ移り、デーヴィーがマハーデーヴァをいかに喜ばせ礼拝するかを問う。シヴァはブラフマーの先の問いを想起し、信(シュラッダー)によって自らは「ヴァシュヤ」となり、リンガにおいて観想され、五面相(パンチャーシャ)として供養されるべきだと答える。これにより、信に導かれるリンガ礼拝(リンガ・ウパーサナー)を解脱(モークシャ)への中核として、次章以降のより明確な礼拝神学へと道が開かれる。

53 verses

Adhyaya 11

Brahmā’s Yogic Vision of Sadyōjāta in the Śvetalohita Kalpa

聖仙たちは、ブラフマーがマヘーシュヴァラをサディヨージャータとして、またヴァーマデーヴァ、アゴーラ、イーシャーナとしていかに観得したのかを問う。スータは舞台をシュヴェータローヒタ・カルパと示し、ブラフマーが最上の瞑想(parama-dhyāna)に没入して、髻(śikhā)を戴く光輝の顕現—シュヴェータローヒタ・クマーラ—を見たと説く。ブラフマーはその幻視を「梵相の自在主」(Brahma-rūpi Īśvara)として内に収め、dhyāna-yoga をさらに深め、ついにサディヨージャータを恭敬して礼拝する。ブラフマーの側からは白色の随従と弟子—スナンダ、ナンダナ、ヴィシュヴァナンダ、ウパナンダナ—が現れ、シャイヴァの眷属と伝承の興起を示す。大牟尼シュヴェータが出現し、彼よりハラが生まれる/顕れると語られて、清められた意識を通じたシヴァの自己顕現という主題が強調される。集うムニたちは激しいバクティをもって帰依し、永遠のブラフマンをマヘーシュヴァラとして讃嘆する。章末は救済の約束で結ばれる。ヴィシュヴェーシュヴァラに帰依し、プラーナーヤーマを修し、心をブラフマンに定める二度生まれ(dvija)は罪垢を離れて光明を得、ヴィシュヌローカを超えてルドラローカへ進み、次章の持続するシャイヴァ信愛とその形而上の到達処の説示へとつながる。

11 verses

Adhyaya 12

रक्तकल्पे वामदेवदर्शनं चतुर्कुमारोत्पत्तिः

スータは「ラクタ・カルパ」を語る。子を望むブラフマーは深い瞑想に入り、赤に荘厳された光輝くクマーラを見、勝義の観想によってそれがマハーデーヴァ(ヴァーマデーヴァ)であると悟る。ブラフマーがシヴァを讃嘆し礼拝すると、シヴァはこの見神はバクティとディヤーナの力より生じると告げ、諸カルパにわたり繰り返し精進すれば、シヴァこそ真の世界の保持者であるとブラフマーが体得すると約束する。このシャイヴァの邂逅から、ブラフマーに似た清浄なる四クマーラ—ヴィラジャ、ヴィバーフ、ヴィショーカ、ヴィシュヴァバーヴァナ—が現れ、赤衣と聖なる塗布を帯び、ブラフマ性とヴァーマデーヴァの原理に帰依する。千年の後、彼らは世界と弟子の利益のために円満なるダルマを説き、ついにルドラへと還入して不壊への回帰としての解脱を示す。章末は、ヴァーマデーヴァに結びつき、信敬をもってマハーデーヴァを観ずる二度生まれの求道者は、罪なきブラフマチャーリンとなり、帰還困難なルドラローカに至ると保証し、次章の持続的シャイヴァ修行とその宇宙的・霊的果報へと導く。

15 verses

Adhyaya 13

पीतवासा-कल्पः, माहेश्वरी-दर्शनम्, रौद्री-गायत्री, महायोगेन अपुनर्भवः

スータは第三十一のカルパ「ピータヴァーサ」を語る。子孫を望むブラフマーは瞑想し、黄に飾られた光輝く神聖な若者を見た。ついで内観して宇宙の主に帰依し、マヘーシュヴァラより現れる至上のマヘーシュヴァリーをダーラシャナする。女神は四足・四面・四臂・四乳などの多相の威容として示され、全体性と四方への力を象徴する。マハーデーヴァは彼女をmati・smriti・buddhi(心・記憶・知性)として讃え、ヨーガによって宇宙に遍満し世界を霊的秩序に収めよと命じ、ブラーフマナとダルマの安寧のためルドラーニーとなると宣言する。ブラフマーは女神を受け、シヴァの導きでヴェーダのラウドリー・ガーヤトリーを観想し、ジャパと帰投により神的ヨーガ、知、主宰、離欲を得る。ブラフマーの脇から光明のクマーラたちが現れ、ブラーフマナのためにマハーヨーガを教え、ついにマヘーシュヴァラへ帰入する。同様に戒律ある修行者は罪を捨て清浄となり、再生を超えたルドラへ入ってゆき、以後のシヴァ派サーダナと宇宙統御の物語へとつながる。

21 verses

Adhyaya 14

अघोरस्य प्रादुर्भावः कुमारकचतुष्टयं च योगमार्गः

スータは先のカルパを語る。黄の光を帯びたスヴァヤンブーが去った後、新たなカルパが始まる。エーカールナヴァにおいて、衆生を創造せんとするブラフマーは不安に沈み、観想に入る。そのディヤーナより、幼子のごとく黒く燃え立つ顕現が生ずる。黒衣をまとい、自生のテージャスを放つアゴーラ/マヘーシュヴァラである。ブラフマーは礼拝し、プラーナーヤーマと心の没入によってマヘーシュヴァラを胸中に安置し、幻視の背後にあるブラフマ・ルーパの真理を求める。アゴーラは再びダルシャナを授け、その脇より四人のクマーラカが現れる。彼らもまた黒く光輝く。至上主へのヨーガ的ウパーサナーを千天年修したのち、彼らは弟子たちにマハーヨーガを伝授する。ヨーガにより成就者は心のみでシヴァに入一し、宇宙の主と同一なる清浄・ニルグナの位に至る。章末は、賢き求道者がこのヨーガによってマハーデーヴァを観想すれば、不滅のルドラへ進むと約し、次章でシヴァ・ウパーサナーと悟りの方法をさらに説くことを予告する。

13 verses

Adhyaya 15

Aghora-Mantra Japa: Graded Expiations, Pañcagavya Purification, and Homa for Mahāpātaka-Nivṛtti

スータは、恐ろしく暗色のカルパにおいてブラフマーがシヴァを讃嘆し、シヴァがアヌグラハ(恩寵)をもって応え、「この姿においてこそ疑いなく罪を溶かし去る」と宣言したと語る。ついでシヴァは、マハーパータカ、ウパパータカ、さらに意・語・身の過失、相続的または偶発的な不浄に至るまで罪障を分類し、その対治としてアゴーラ・マントラのジャパを定め、意図と誦し方(マーナサ=心誦、ヴァーチカ=声誦、ウパーンシュ=微声誦)に応じて回数を比例配分する。ブラフマハティヤー、ヴィーラハティヤー、ブルーナハティヤー、マートリハティヤー、ゴー・ハティヤー、クリタグナター、女性への加害、スラーパーナ、スヴァルナ・ステーヤなどの罪、また交際によって負う罪についても具体的な尺度が示される。さらに儀礼次第として、ルドラ・ガーヤトリーの用法、パンチャガヴヤ(牛尿・牛糞・乳・ダディ・ギー)の採取、規定の器にクショーダカを整え、ギー、チャル、サミド、ティラ、ヤヴァ、ヴリーヒをもってホーマを修することが説かれる。のち沐浴し、シヴァの御前でその混合物を飲み、ブラフマ・ジャパを行う。結語では、極重罪人でさえ清浄となり—長いカルマの履歴があっても時に即時に—普遍の浄化のため日々のジャパを勧め、非常時の処方にとどまらぬ持続的なシヴァ派の規律を正道として説く後段への導入となる。

32 verses

Adhyaya 16

ब्रह्मकृत-ईशानस्तवः तथा विश्वरूपदेवी-प्रकृतिरहस्योपदेशः

スータは驚異のヴィシュヴァルーパ・カルパを語り起こす。大壊滅の後、梵天は子孫を求めて禅定し、創造は再び始まる。サラスヴァティーに似たヴィシュヴァルーパの顕現が描かれ、梵天は内に向かってイーシャーナ—シヴァ—を長大なストートラで礼拝し、オームカーラの御体として讃え、サディヨージャータ、ヴァーマデーヴァ、ルドラ、カーラの諸相を称揚する。経はその功徳(パラ)を説き、一度の誦持、あるいはシュラッダの折の誦持によってもブラフマローカ/最高の帰趣に至ると示す。喜んだシヴァは梵天に恩寵を与え、梵天は四面四足・多眼多臂の不可思議なヴィシュヴァルーパ女神について、名・系譜・力・役割を問う。シヴァは「すべてのマントラの秘奥」として答え、このカルパの本体を明かし、女神をプラクリティ、ジャガッドヨーニ、宇宙のガウとガーヤトリー、またガウリー、マーाया、ヴィディヤー、ハイマヴァティーとも呼ばれ、三十二の徳/三十二音節の枠組みに結びつくと示す。章末はさらなる流出と、規律あるヨーガ的礼拝がルドラへの合一に至ることを述べ、次章の宇宙生成とシヴァ派の解脱論へとつなぐ。

39 verses

Adhyaya 17

Adhyaya 17: लिङ्गोद्भव—ब्रह्मविष्ण्वहङ्कार-शमनं, ओंकार-प्रादुर्भावः, मन्त्र-तत्त्वं च

スータは先の宇宙叙述を、聴聞・誦読の功徳を讃えて結ぶ。ついで仙人たちはシヴァ教の核心の秘義――リンガとは何か、リンギン(リンガの主)とは誰か、なぜシヴァはリンガとして礼拝されるのか――を問う。ブラフマーは、太初のプラダーナが「リンガ」と呼ばれ、至上主が「リンギン」であると説き、万有が呑み尽くされ暗黒の大海に宇宙の実在のみが残るプララヤの相を語る。創造の主をめぐりブラフマーとヴィシュヌが争うと、測り知れぬ灼熱のリンガが現れて争いを鎮め、我慢を砕き、正智を目覚めさせる。ブラフマーはハンサとなって頂を求め、ヴィシュヌはヴァラーハとなって底を探すが、いずれも到達できず、へりくだって帰還する。リンガからは音声の啓示オーム――A・U・M、ナーダ、そして超越のトゥリーヤ――が顕れ、ヴェーダとマントラ、さらに宇宙生成(ビージャ=ヨーニ、黄金の卵、諸世界の出現)を結びつける。言(ヴァーチ)によって成るシヴァの身体は音素とマントラに配当され、リグ・ヤジュス・サーマン・アタルヴァの流れと儀礼・治癒の働きが示される。最後にヴィシュヌとブラフマーはマヘーシュヴァラを讃嘆し、リンガの無限が自我を正し、マントラと洞察による礼拝が解脱への道であることを明らかにする。

92 verses

Adhyaya 18

विष्णुरुवाच—एकाक्षर-प्रणव-लिङ्ग-व्याप्ति-शिवस्तोत्रम्

本章は、ヴィシュヌがルドラ=シヴァに語りかける連続ストートラであり、エーカークシャラ・プラナヴァ(A-U-M)から始まる。Aはルドラ/アートマルーパ、Uはアーディ・デーヴァ/ヴィディヤー・デーハ、Mは第三の原理—シヴァ/パラマートマン—で、太陽・火・ソーマ(Sūrya-Agni-Soma)のように輝くと説く。続いてシヴァは、諸ルドラの主、パンチャブラフマの諸面(Sadyojāta、Vāmadeva、Aghora、Īśāna)として、また上昇し超越するリンガ(ūrdhva)であり印を担う者(liṅgin)として普遍化される。さらに宇宙的列挙が続き、シヴァは火・風・水・地・空、そしてタンマートラ(音・触・味・香)に遍満しつつ、形を超えて—無相(arūpa)でありながら妙相(surūpa)でもあると讃えられる。結びは果報の宣言(phalaśruti)で、誦持またはヴェーダに通じたブラーフマナへ教授すれば罪が滅し、信者はブラフマ・ローカへと高められると述べ、次章で讃嘆から実践と教義の明確化へ進む布石となる。

42 verses

Adhyaya 19

Mahādeva’s Boon: Unwavering Bhakti, Tri-functional Cosmos, and the Supratiṣṭhā of Liṅga-Arcā

スータは、ブラフマーとヴィシュヌの前におけるマハーデーヴァの慈悲深い顕現を語る。御姿を拝するだけで恐怖は消え、宇宙の秩序は回復する。シヴァは、ブラフマーとヴィシュヌが自らの身体の両脇から生じたと示し、派生でありながら不可欠の役割を担うことを確証する。満悦したシヴァが恩寵を申し出ると、ヴィシュヌは支配ではなく、常住で背かぬバクティ(nitya, avyabhicāriṇī bhakti)を願う。シヴァは両者に揺るがぬ信愛を授け、さらに創造(sarga)・維持/護持(sthiti/rakṣā)・融解(laya)という宇宙の三機能を明かしつつ、自身がグナを超えた至上主パラメーシュヴァラであると宣言して争いを鎮める。ヴィシュヌには迷妄を捨ててブラフマーを守るよう命じ、パドマ・カルパにおける将来の認識を予告する。シヴァが姿を消すと、物語は神顕から制度へ移り、リンガ礼拝(Liṅga-arcā)が諸世界に堅固に स्थापितされる。リンガの壇(Liṅga-vedī)はデーヴィーと同一視され、リンガそのものが直接シヴァであると説かれる。章末は救済の約束で結ばれ、リンガの御前でこのリンガ物語を誦する者はシヴァ性(śivatā)に至ると示し、象徴であり救済の拠り所としてのリンガへの次章の強調へ橋渡しする。

17 verses

Adhyaya 20

एकार्णव-सृष्टिक्रमः, ब्रह्म-विष्णु-परस्परप्रवेशः, शिवस्य आगमनं च

スータは、創造以前の一海(エーカールナヴァ)を語る。ナーラーヤナはアナンタの上に安住し、その臍から巨大な蓮華が生じ、蓮生のブラフマー(パドマヨーニ)が現れる。ブラフマーがヴィシュヌに問いただすと、マーヤーにより微妙な競い合いが起こる。ヴィシュヌはブラフマーの口中に入り、その内にある諸世界を見渡し、のちにブラフマーはヴィシュヌの腹中に入り尽きるところを見いだせず、臍の道と蓮の繊維を通って脱する。やがて大海は震え、シヴァが来臨する—畏るべく遍満し、あらゆる因に先立つ者—そして揺れは自らの歩みと息吹によると説く。ブラフマーの慢心は抑えられ、ヴィシュヌは敬礼を勧め、シヴァを太古の原因、種子の種子と讃える。章末ではシャイヴァの形而上学が明示される。シヴァはニシュカラでありサカラでもあり、原初のリンガ・ビージャがヨーニと結び金胎(ヒラニヤガルバ)の卵となり、そこからブラフマーが生まれる。続いてサナカーディらが現れ、マーヤーが諸カルパにわたり働く。以後の教えをストートラ、プラナヴァ、そして宇宙的役割を超えるシヴァ至上の正知として位置づける章である。

97 verses

Adhyaya 21

ब्रह्मनारायणस्तवः — शिवस्य प्रभवत्व-प्रतिपादनम्

スータは語る。ヴィシュヌはブラフマーを前に立て、ヴェーダの名号とタットヴァを示す称号によってシヴァを讃嘆する。讃歌の中心は「プラバヴェ・ナマḥ(根源なる御方に礼拝)」であり、シヴァをヴェーダとスムリティ、ヨーガとサーンキヤ、創造とマンヴァンタラ、時間の量(刹那・ラヴァ・季・月)、さらにプラクリティの諸要素(大陸・海・山・川・薬草)の根本原因と説く。続いてルドラの相として、猛と静、有相と無相、粗と微、可視と不可視、種々の色と姿が述べられ、武器、ガナの主宰、パシュパティとしての威徳、マハーカーラが墓所(シュマシャーナ)に示す聖なる戯れも示唆される。結びに、シヴァ・タットヴァを知って禅定の衰えを超え「アムリティユ(死を超える境地)」に入る道と、清浄な業によって天上の享楽を得る道の二つが示される。果報章は、聴聞・キールタン・ジャパがアシュヴァメーダに等しい功徳とブラフマローカ到達の手段であると説き、後続のシヴァ信仰の章への序となる。

92 verses

Adhyaya 22

Adhyaya 22 — शिवानुग्रहः, ब्रह्मतपः, एकादशरुद्राः तथा प्राणतत्त्वम्

スータは語る。恐るべき宇宙の大洪水のただ中で、シヴァ(ウマーパティ、三眼者)は真実の讃嘆と謙虚さに喜び、蓮華より生まれ蓮華の眼をもつ二神—ブラフマーとヴィシュヌ—に戯れの問いを投げかけた。彼らの内なる志向を見抜いたシヴァは恩寵を申し出、ヴィシュヌはただシヴァへの堅固なバクティのみを願い、シヴァはこれを授けてヴィシュヌの位を認めつつ、至上はシヴァの恩寵に依ると示す。ついでシヴァはブラフマーを祝福し、触れて姿を消す。力を得たブラフマーは衆生創造のため激しいタパスを行うが、果が現れず怒りが起こり、涙が落ち、その涙から強大な蛇のような存在が生じる—クロー ダ(憤怒)により歪む創造の徴である。怒りに呑まれ失神して死したかのようになると、その身から十一のルドラが現れ、泣き叫ぶゆえにルドラと名づけられる。経文はルドラを、あらゆる存在に宿るプラーナ(生命気息)と同一視する。シヴァ(ニーラローヒタ、三叉戟を持つ者)はブラフマーのプラーナを回復させ、ブラフマーは遍満の主を見てシヴァの原初の本性を問い、より深い神統譜とシャイヴァの存在論へと導かれる。

28 verses

Adhyaya 23

Adhyaya 23: श्वेत-लोहित-पीत-कृष्ण-विश्व-कल्पेषु रुद्रस्वरूप-गायत्री-तत्त्ववर्णनम्

スータは、微笑みつつブラフマーに教示するシヴァを語る。連なるカルパごとにシヴァは、シュヴェータ(白)、ローヒタ(赤)、ピータ(黄)、クリシュナ(黒)という色相の姿を現し、サーヴィトリー/ガーヤトリーもまたブラフマ・サンジュニターとして対応する相を示す。ブラフマーのタパスとヨーガ的認識により、シヴァはまずサディヨージャータとして知られ、次いで「左の原理」と色の反転によってヴァーマデーヴァとして、さらにタトプルシャとして悟られる。シヴァはまたゴーラの相を顕し、真に知る者にアゴーラ・シャーンティを約し、最後にヴィシュヴァルーパへと至る。ここでガーヤトリーはヴィシュヴァルーパー、サルヴァルーパーとなる。章は四重の宇宙図式—四ユガ、ダルマの四脚、四アーシュラマ、ヴェーダ/ヴェーディヤの四分—を示し、ブール界より上の諸ローカを列挙して、ヴィシュヌローカとルドラローカを、我慢・欲・怒りを離れた規律あるドヴィジャにのみ得られる稀有で不還の到達処として強調する。ブラフマーは礼拝して、ガーヤトリーを通じてマヘーシュヴァラを知る者の最高位を願い、シヴァはこれを許し、その知がブラフマ・サーユジュヤへ導くと結ぶ。

51 verses

Adhyaya 24

ध्यानयोगेन रुद्रदर्शनम् — रुद्रावतार-परिवर्तक्रमः, लकुली (कायावतार), पाशुपतयोगः, लिङ्गार्चन-निष्ठा

スータは、ブラフマーがルドラに恭しく問うたことを語る。二度生まれの者(dvijāti)は、いつ、いかなる修行(sādhana)によって、マハーデーヴァの多様で尊崇される御身(tanavaḥ)を直接に拝観できるのか。シヴァは否定によって答え、苦行(tapas)、誓戒(vrata)、布施(dāna)、聖地の果報(tīrtha-phala)、施資を伴う祭式(kratu with dakṣiṇā)、財、さらにはヴェーダ学習さえも直観のダルシャナには足りず、決定的手段は瞑想(dhyāna)であると断言する。続いて、転変期(parivarta)やユガ終末ごとに現れる長大な予言的出現の連鎖を示し、「我は…として生まれる」と繰り返し述べ、随伴する弟子たちの名を挙げる。彼らはマハーイーシュヴァラ・ヨーガと瞑想によりルドラローカに至り、再来は稀である。物語は名高いラクリー/カーヤーヴァターラの章に至り、ヨーガマーヤーによって死体に入り、ブラーフマナの利益のために働くことが語られ、パーシュパタの成就者とその徴—聖灰(bhasma)、リンガ礼拝(liṅgārcana)、感官制御(jitendriya)、瞑想への堅住—が示される。シヴァはパーシュパタ・ヨーガを輪廻の束縛を断つための智(jñāna)を照らす道として説き、五字真言(pañcākṣarī)の不可欠性を強調する。章末でブラフマーがヴィシュヌについて神学的に問うと、シヴァは神々と聖仙がリンガ崇拝によって位を得ること、リンガ礼拝なくして堅固さはないことを述べ、姿を消す。ブラフマーは創造を再開し、この教えは後続のシヴァ派の儀礼・哲学の語りへとつながっていく。

150 verses

Adhyaya 25

लिङ्गार्चनपूर्वकं स्नानाचमनविधिः (Snana–Achamana as Preparation for Linga-Archana)

リシたちはスータ・ローマハルシャナに、マハーデーヴァをリンガ・ムールティとしていかに礼拝すべきかを問う。スータは、カイラーサにおけるシヴァのデーヴィへの教示が、ナンディを経てサナトクマーラ、さらにヴィヤーサへと伝わった系譜を示し、儀礼の権威を確立する。続いて本章は、シヴァ・プージャーに先立つ罪滅ぼしの前提としてスナーナ(沐浴)を説き、ヴァルナ・スナーナ、アーグネーヤ・スナーナ、マントラ・スナーナの三種を挙げる。さらに、加持された水によるアビシェーカと、ルドラに関わる真言、ならびにパンチャブラフマ/パヴィトラカの要素を含む誦唱を定める。要点として、決定的なのは内なる清浄(バーヴァ)であり、それがなければ聖なる沐浴さえ成就しないと示される。最後に、真言を伴うアーチャマナ(含嗽・啜水)と、ヒンサーとパーパを鎮めるためのプラダクシナーを行い、次のリンガ・アルチャナーへ進む準備を整える。

29 verses

Adhyaya 26

स्नानविधिः — गायत्र्यावाहन, सूर्यवन्दन, तर्पण, पञ्चमहायज्ञ, भस्मस्नान, मन्त्रस्नान

ナンディーは、シヴァを中心とする礼拝に入るための、日々の浄化次第を完備して説く。まずガーヤトリー(Veda-mātā)を招請し、pādya・ācamanīya・arghyaを供え、ついでpraṇavaを伴う調息(prāṇāyāma)と念誦(japa)を段階的な回数で行い、恭しく送る。次に、ヴェーダのsūktaを誦して周行しつつSūrya-vandanaを修し、さらに諸神・聖仙(ṛṣi)・祖霊(pitṛ)へと順次tarpanaを行う。供物は花/水、kuśa水、tila水を用い、upavītaの位置と指のmudrāの規定を正しく守る。続いて五大祭(pañca-mahāyajña:brahma・deva・bhūta・mānuṣya・pitṛ)を示し、brahma-yajñaを最上と讃え、怠れば功徳を失うと戒める。brahma-yajña-ācamanamと、ヴェーダ・プラーナ(Purāṇa)・イティハーサ(Itihāsa)・カルパ(Kalpa)を敬う象徴的な触礼も説かれる。最後に外洗、正しく修されたhomaの灰によるbhasma-snana、pañcabrahma-mantraによる肢体の加持、Āpo-hiṣṭhāおよびṛk/yajus/sāmanの諸真言によるmantra-snanaを定め、簡略であっても至誠の実践は最高境へ導き、儀礼的清浄からより深いシヴァ派のsādhanaへ橋を架けると結ぶ。

41 verses

Adhyaya 27

लिङ्गार्चनविधिक्रमः—शुद्धि, न्यास, आसनकल्पना, अभिषेक, स्तोत्र-प्रदक्षिणा (Adhyaya 27)

Śailādi は、リンガ礼拝の簡潔な作法次第を示す。沐浴の後、修行者(sādhaka)は礼拝所に入り、三度のプラーナーヤーマを行い、五面(pañcavaktra)に荘厳されたトリヤンバカを観想する。ついでシヴァ派の身体観を受け、身の浄化(deha-śuddhi)とマントラのニャーサ(mantra-nyāsa)を行い、プラナヴァとパンチャークシャリー(pañcākṣarī)を中心に据える。さらに供養の場(arcanā-sthāna)と器(prokṣaṇī・arghya・pādya・ācamanīya)を整え加持し、冷ました水に白檀、uśīra、樟脳、花、穀粒、聖灰 bhasma を定法どおり調える。蓮華座(padma-āsana)を観想し、花弁をシッディと宇宙的配置に配当して Śiva-pīṭhikā に至らせ、pañcabrahma などの真言(Rudra-gāyatrī を含む)で神を招き安住させる。香水、pañcagavya、ギー、蜂蜜、甘蔗汁によるアビシェーカを、浄めた器(黄金/銀/銅、法螺貝、土器)で行う。リンガ沐浴に霊験あるヴェーダおよびシヴァ系スークタが列挙され、続いて布、聖紐 upavīta、香 gandha、薫香 dhūpa、灯明 dīpa、供物 naivedya を捧げ、右繞(pradakṣiṇā)と礼拝を行う。章末は、次の教えで外的(bāhya)礼拝から内的(ābhyantara)リンガ礼拝へ移り、儀礼の精確さから無相のシヴァ(nishkala Śiva)の内証へ進むことを告げる。

54 verses

Adhyaya 28

आभ्यन्तरध्यान-तत्त्वगणना-चतुर्व्यूहयोगः (Adhyaya 28)

先のリンガ供養(liṅgārcana)の規定に続き、教説は内面へと向かう。Śailādi は bimba・諸 guṇa・自己の層をたどる瞑想の序列を示し、マハーデーヴァを無相(niṣkala)と有相(sakala)の両面として礼拝する道を説く。さらにサーンキヤに似たタットヴァの体系—avyakta とその展開(mahat、ahaṅkāra、tanmātra、indriya、manas、bhūta)—を掲げ、Śiva を第26原理、宇宙秩序の真の能作者と宣言する。Sanatkumāra が「無為で清浄な主がいかにして行為するのか」と問うと、Śailādi は kāla(時)と心の誤認によって説明し、世界を Śiva の mūrty-aṣṭaka(諸元素・天の光明体・yajamāna)として示す。教えは caturvyūha の観想へと結実し、Rudra/Indra/Soma/Nārāyaṇa の視座を統合して、不二の情態「saivāham/so’ham」を安定させる。章末では内なる礼拝者(ābhyantara-arcaka)を正当と認め、誹りを戒め、以後のシヴァ派実践と解脱志向の教導へつながる倫理的基調を定める。

33 verses

Adhyaya 29

दारुवनलीला—नीललोहितपरीक्षा, ब्रह्मोपदेशः, अतिथिधर्मः, संन्यासक्रमः

サナトクマーラは、ダールヴァナで起こったことを聞きたいと願う。スータの語りにより、シャイラーディは、仙人たちがルドラのために厳しいタパスを修していたが、シヴァ(ニーラローヒタ)がディガンバラとして、あえて「異様」な姿で神林に入り、彼らのプラヴリッティとニヴリッティの理解を試したと説く。女たちは魅了される一方、仙人たちは荒い言葉で応じ、マハーデーヴァを見抜けず、そのタパスの力は抑えられ、慢心と誤断の危うさが示される。仙人たちがブラフマーに訴えると、ブラフマーは叱責し、彼らが非難した者こそパラメーシュヴァラ自身であると明かし、アティティ(客)は美醜にかかわらず決して侮ってはならぬと教える。さらにブラフマーは、客を礼拝することで死神ムリティユさえ克したスダルシャナの譬えを語り、もてなしはシヴァ礼拝であると確立する。最後に、ヴェーダ学習、家住者の務め、ヤジュニャ、林住の規律、儀礼的放棄、苦行へと進む段階的サンニャーサ・クラマを示し、シヴァ・サーユジュヤに至ること、そして堅固なバクティが即時の解脱をも与え得ることを確認する。本章はリーラーと実践ダルマ、モークシャ志向の出離を結び、後続のシャイヴァ救済論と儀礼倫理の統合へ備える。

83 verses

Adhyaya 30

श्वेतमुनिना कालस्य निग्रहः (मृत्युञ्जय-भक्ति-प्रसादः)

シャイラーディは、ブラフマーの語りとして、聖者シュヴェータの神聖な物語を仙人たちに伝える。リンガ礼拝とルドラ誦念に没入する老仙のもとへカーラが来て、「ラウッドラ」の儀礼の効験を問い、ヤマローカへ引きずる権能を主張する。シュヴェータは揺るがぬシヴァ信仰をもって答える――ルドラはリンガに現存し、諸神の根源であるゆえ、カーラは退くべきだ。怒ったカーラは投げ縄で彼を縛り、リンガ内の神が「不動」であるかのように嘲る。その瞬間、サダーシヴァがアンビカー、ナンディン、ガナたちとともに速やかに顕現し、ただ一瞥でアンタカを制圧して滅し、信者を守護する。続いて教義が説かれる。現世の成就(bhukti)と解脱(mukti)のためにムリティユンジャヤ・シャンカラを礼拝せよ。論争に終始せず、バヴァに身を委ね、専一のバクティで崇敬して憂いを離れよ。さらにブラフマーは、シヴァ・バクティは布施、苦行、祭祀、ヴェーダ、ヨーガの制御だけでは得られず、何よりシヴァの恩寵(prasāda)によって成ると教える。パーシュパタのバクティは四つの目的を授け、死に勝つことを可能にし、ダディーチ、ブラフマー、シュヴェータがその証となり、後章で恩寵とリンガ修習(Liṅga-upāsanā)の至上性が深められていく。

37 verses

Adhyaya 31

देवदारुवनौकसां प्रति ब्रह्मोपदेशः—लिङ्गलक्षण-प्रतिष्ठा-विधिः, शिवमायारूपदर्शनं, स्तुतिः

サナトクマーラは、デーヴァダールヴァナの仙人たちがいかにしてシヴァの恩寵により帰依の拠り所を得たのかを問う。物語はブラフマーの教示として答え、マハーデーヴァこそ唯一の至上主であり、神々・リシ・祖霊(ピトリ)を統べ、プララヤの時にはカーラ(時)となって衆生を収め、みずからのテージャスによって再創造すると説く。続いて実践の規定が示され、資格ある礼拝者は正しい相と寸法に従ってシヴァ・リンガを作り(円形・方形・八角・十六角)、均整の取れたヴェーディカーを設け、ゴームキーの排水口と周囲のパッティカーを整え、吉祥の材を選び、正しく安置し、中央にカラシャを置いて、プラティシュター、アビシェーカおよび清浄物による灑浄を行うべきことが説かれる。仙人たちは一年間タパスと礼拝を修し、春にシヴァは意図的に驚かせる姿—灰をまとい、裸形で、松明を携え、逆説的に振る舞う—で現れ、主のヨーガマーヤーを示す。仙人たちは家族とともに礼拝し、身・口・意の過ちを告白して、ルドラの宇宙的諸相と主権を讃嘆する。満悦したシヴァは天眼を授け、三つ目の真の御姿を拝見させ、謙虚さと正しいウパーサナーの後にダルシャナが訪れることを示して次章へと導く。

46 verses

Adhyaya 32

ऋषिकृत-रुद्रस्तुतिः तथा संहाराग्नि-प्रश्नः (Kāma–Krodha–Lobha and the Fire of Dissolution)

聖仙たちは激しいルドラ讃歌(Rudra-stuti)で章を開き、シヴァをdigvāsa、triśūlinとして礼拝し、恐るべくも吉祥なる主、同時にarūpa・surūpa・viśvarūpaであると讃える。さらに、山々の中のメル(Meru)、星々の中のチャンドラ(Candra)、リシの中のヴァシシュタ(Vasiṣṭha)、ヴェーダの中のオームカーラ(Oṁkāra)という宇宙的至高の譬えを挙げ、過去と未来のあらゆる相が究極的には彼のうちに見出されると断言する。讃嘆から問いへと移り、心を縛る内なる力—kāma、krodha、lobha、viṣāda、mada—を理解したいと願う。続いて大壊滅(pralaya)の時を想起し、シヴァが額から火を生じさせ、諸世界が炎に囲まれ、歪んだ火が数多く現れるさまを語る。動くものも動かぬものもシヴァ生まれの火に焼かれるため、聖仙たちは守護と導きを懇願する。章は帰依の言葉で結ばれ、無数の存在と顕現にわたる彼の形相の尽きるところを知り得ないことを認め、次章で破壊のエネルギーの意味・統御・超越がシヴァの命令と恩寵によって説かれることへの序となる。

16 verses

Adhyaya 33

Adhyaya 33: Pashupata Conduct, Bhasma-Vrata, and Shiva’s Boon to the Sages

ナンディーは語る。賢仙たちの讃歌(スタヴァ)を聞いて歓喜したマヘーシュヴァラは、そのスタヴァを誦し、聴聞し、教授する功徳を宣示し、相応しい者にガナパティヤに等しい成就を授ける。ついでシヴァは、創造の教理を、女相ストリーリンガ(プラクリティ)と男相プンリンガ(プルシャ)という対の原理によって説き、両者がいずれも自らの存在から生起することを示して、性の象徴の下に不二のシャイヴァ形而上学を確立する。さらに倫理の戒めとして、幼子や狂者のように見えてもシヴァに帰依しブラフマンを語るディグヴァーサス(裸形の苦行者)を嘲笑・誹謗してはならないと命じる。バスマを帯び、規律と禅定を守り、言葉・心・身を制し、マハーデーヴァを礼拝してルドラ界に至り再び戻らぬブラーフマナを讃嘆する。学識ある者はバスマ誓戒者やムンダの行者を犯し侮ってはならず、彼らを敬うことはシャンカラを敬うことであり、非難することはマハーデーヴァを非難することだという。恐れと迷妄を離れた仙たちは、清浄な水とクシャ草と花でアビシェーカを行い、秘呪とフーンカーラを唱え、アルダナーリーシュヴァラをも讃える。喜悦したシヴァが恩寵を求めよと促すと、リシたちは、バスマ浴、裸形、ヴァーマトヴァ(左性)、プラティローマター(逆行)および奉仕すべきもの・避けるべきものの意味を問い、次の教説への端緒となる。

24 verses

Adhyaya 34

Adhyaya 34: भस्ममहात्म्यं—अग्नीषोमात्मक-शिवतत्त्वं तथा पाशुपतव्रतप्रशंसा

本章でシヴァは、アグニ(火)とソーマの本性として自己を示し、バスマ(聖灰)の起源と浄化の働きを説く。世界は火によって焼かれ灰となり、その最も清浄なるものを吉祥の念で「バスマ」と観ずれば、あらゆる罪を滅するとされる。バスマは「わが威力」と呼ばれ、シヴァ=シャクティの象徴として語られ、家々や産室における護りのための用法も世俗の慣行として示される。バスマで沐浴する者は心が清まり、怒りと諸根を制し、シヴァに近づいて再生に戻らず、解脱へ向かう。続いてパーシュパタの誓戒とヨーガは、先に定められた無上の道として讃えられ、外衣よりも内なる覆い—赦し、堅忍、不殺生(アヒンサー)、離欲、誉れと辱めへの平等心—が勝ると教える。三時のバスマ沐浴は罪を焼き、シヴァのガナとの結びつきを得て、成就(シッディ)や不死の道を開く。結びに、結髪者・剃髪者・裸形者・汚れた姿の者であっても、シヴァに帰依する苦行者は非難すべきでなく、シヴァのごとく礼拝すべきだと結論づける。

31 verses

Adhyaya 35

Adhyaya 35 — दधीचि-क्षुप-युद्धम्, भार्गवोपदेशः, मृतसंजीवनी (त्र्यम्बक) मन्त्रः

サナトクマーラの問いに答えてシャイラーディは語る。梵天の子である王「クシュパ」は、ダディーチの友でありながら、「クシャトリヤの優越」か「ヴィプラ(婆羅門)の優越」かという論争により敵対者となった。クシュパは自らを八ローカパーラの姿とみなし侮辱を禁じるが、怒ったダディーチが打ちかかると、クシュパは「ヴァジュラ」で彼を打ち倒す。嘆くダディーチはバールガヴァ(シュクラ)を念じ、シュクラはヨーガの力で来臨して身体をつなぎ直し、シヴァ(トリヤンバカ/ウマーパティ)礼拝により得られる「ムリタサンジーヴァニー」—トリヤンバカの真言「tryambakaṃ yajāmahe… sugandhiṃ puṣṭivardhanam…」を授け、真実・スヴァーディヤーヤ・ヨーガ・瞑想によって死の縄を断つことを祈れと教える。リンガの御前で、誦持(ジャパ)・護摩(ホーマ)・加持水の作法と飲用を行えば、死の恐れが消え、「ヴァジュラの堅固さ/不殺の身」を得る。再戦ではクシュパのヴァジュラはダディーチを滅ぼせず、彼の威徳を見たクシュパはハリ(ムクンダ)への帰依へと心を向け、神々の力の相互依存とシヴァ派・ヴィシュヌ派の関係へ続く物語が開かれる。

31 verses

Adhyaya 36

क्षुपस्य विष्णुदर्शनं, वैष्णवस्तोत्रं, दधीचविवादः, स्थानेश्वरतीर्थमाहात्म्यं

ナンディーシャは物語を進める。クシュパ王は供養によって、ガルダ旗を掲げるヴィシュヌを、シュリー・ブーミーとともに直に拝見する。王は神をヴィシュヴァムールティ(宇宙の御姿)として讃え、創造の原理(マハーン、タンマートラ、インドリヤ)と主の宇宙身の観想を述べ、このヴァイシュナヴァ讃歌は果報の説示とともに「一切の罪を滅する」と宣言される。ついで王は、ブラフマリシ・ダディーチャが不殺であることを訴え、戦勝を願うが、ヴィシュヌはルドラの信奉者は無畏(アバヤトヴァ)であると語り、王の気勢を鎮めつつも努力を促す。ヴィシュヌはバラモンの姿でダディーチャのアーシュラマに赴き願いを求めるが、全知のダディーチャは来訪を見抜き、恐れなき境地を示す。スダルシャナ・チャクラはダディーチャの威力で鈍り、他の武器や神々の助力、ヴィシュヌの多身の化現も功を奏さない。ダディーチャはヴィシュヴァルーパの幻相への執着を捨てよと教え、自身の身中に無数のデーヴァとルドラを顕す。ブラフマーがヴィシュヌを制し、ヴィシュヌは仙人に礼拝して退く。クシュパ王は赦しを乞い、ダディーチャはバラモンの力を宣示し、ダクシャの祭祀破壊を示唆する呪詛を与える。最後にスターネーシュヴァラのティールタの功徳—シヴァとの合一(サーユジュヤ)、非時の死の克服、ブラフマローカ到達—が説かれる。

80 verses

Adhyaya 37

क्षुपदधीचिसंवादः — शिलादतपः, वरसीमा, मेघवाहनकल्पे त्रिदेवसमागमः

サナトクマーラはシャイラーディに、「いかにしてマハーデーヴァ—ウマーの主にまみえ、その御名を聞くに至ったのか」と問う。シャイラーディは、父シラーダが子を願って苛烈な苦行(タパス)を修したことを語る。インドラは満悦して恩寵を授けようとするが、シラーダは「ヨーニより生まれず、死を免れた子」を求める。インドラは、神々でさえ絶対の不死はなく、ブラフマーも時(カーラ)を超えず、シヴァでさえ時の法により寿命が定められると説く。シラーダは卵生・蓮生・マヘーシュヴァラの身より生ずる等の諸伝承を挙げ、その理由を問う。そこでインドラは「メーガヴァーハナ・カルパ」の因縁を語る—ナーラーヤナが雲の姿となってマハーデーヴァを運び、シヴァは歓喜してブラフマーと共に創造のため万事を授ける。ブラフマーは乳海にてヨーガ睡眠に入るヴィシュヌを見て「我を呑み給え」と祈り、創造が再び起こる。ついでルドラが猛威の相で現れ、ブラフマーとヴィシュヌの讃嘆を受けて姿を隠す。物語はシラーダの子授けの縁起へと進み、シヴァの恩寵を中心とするシャイヴァの創造真理をいよいよ確かなものとする。

40 verses

Adhyaya 38

ब्रह्मणो वरप्रदानम् — शिवस्य परत्वप्रतिपादनम् तथा वराहेण भूमेः पुनःस्थापनम्

マヘーシュヴァラが去った後、ジャナールダナ(ヴィシュヌ)はシヴァの至上性を讃え、マハーデーヴァを宇宙の主、万有の帰依処として、ブラフマーとヴィシュヌ自身さえもその庇護にあると述べる。さらにヴィシュヌは神学的対応を説き、自らはシヴァの左の相、ブラフマーは右の相であるとし、賢仙たちはプラクリティ/アヴィヤクタをヴィシュヌに、プルシャをブラフマーに結び付けるが、両者は共通原因たるマハーデーヴァに従属すると明かす。神命によりブラフマーは、恩寵を授ける者としてルドラを礼拝する。続いて宇宙の復興が語られ、ヴィシュヌはヴァラーハ(猪神)となって水没した大地を持ち上げて安定させ、河川・海洋・地形を整え、諸世界を再建する。ブラフマーはヨーガの力により四クマーラ(サナカ、サナンダナ、サナータナ、サナトクマーラ)と主要なリシたちを生み、さらにダルマとアダルマを顕して倫理と宇宙秩序を定め、後のシヴァ派の礼拝と解脱の教えの枠組みを整える。

16 verses

Adhyaya 39

युगधर्मवर्णनम् — चतुर्युग, गुण, धर्मपाद, तथा वार्तोत्पत्ति

先の教えを釈迦羅(インドラ)より聞いた後、シラーダは、梵天がいかにしてユガ・ダルマを定めたのかを改めて問う。釈迦羅は四ユガ—クリタ、トレーター、ドヴァーパラ、カリ—を説き、グナとの対応を示し、各時代の主要な修行を定める。すなわち、クリタは禅定(ディヤーナ)、トレーターは祭祀ヤジュニャ、ドヴァーパラは清浄な帰依の礼拝・バジャナ、カリは布施(ダーナ)である。クリタ・ユガは、労せずして満ち足り、争いが少なく、ヴァルナ・アーシュラマが安定する時代とされる。トレーターの到来により、豊穣は雨・河川・草木を介し、やがて農耕へと移り、欲望と所有心が生じて争論や飢え、境界と護りの必要が起こる。ゆえに梵天はクシャトリヤを立て、ヴァルナ・アーシュラマを強め、ヤジュニャを制度化する(暴力とアヒンサーをめぐる論議も語られる)。ドヴァーパラでは混迷が増し、ヴェーダの分派が増大し、プラーナ伝承も多様化し、リンガ・プラーナ自体の本文分岐さえ生じる。苦は離欲と探究を促し、ジュニャーナ(智)の興起をもたらす。章末は、ダルマが次第に衰え、カリにおいてほとんど失われることを述べ、シヴァにかなう、実践しやすい帰依中心の道への依拠が強まる前提を示す。

70 verses

Adhyaya 40

Adhyaya 40: Kali-yuga Lakshana, Yuga-sandhyamsha, and the Re-emergence of Dharma

シャクラ(インドラ)は、カリ・ユガの崩壊相—病、飢饉、旱魃、śrutiへの不信、ヴェーダ学習とyajñaの衰微、varṇāśramaの役割の転倒、支配者の搾取、偽善・盗み・暴力の増大—を語る。続いて教説はシヴァ派の救いへ転じ、カリにおいてマハーデーヴァ Śaṅkara Nīlalohita がダルマの「pratiṣṭhā(確立)」のために顕現し、彼に帰依する者はkali-doṣaを超えて至上の境地に至ると説く。さらにユガの継ぎ目(yuga-sandhi)の仕組みとして、末期の混乱が浄化へと収束し、懲罰の力(ここではPromitiに結び付けられる)が現れ、わずかな残存共同体(kaliśiṣṭa)が生き残ることが述べられる。彼らは森や辺境に退き、苦行的な生活を送り、nirveda(厭離・離欲)を育て、新たなクリタ・ユガの生命の種となる。七仙(Saptarṣis)はśrauta-smārta dharmaとvarṇāśramaの行法を再興し、マヌ期(manvantara)を貫く循環的連続性を示す。かくして本章は社会の診断と形而上の確信を結び、シヴァ中心のダルマが宇宙的転換を越えて存続し、mokṣaへの道を支えることを保証する。

100 verses

Adhyaya 41

प्रलय-तत्त्वलयः, नीललोहित-रुद्रः, अष्टमूर्तिस्तवः, एवं ब्रह्मणो वैराग्यम्

インドラは、計り知れぬ宇宙の大循環を語る。無量の時を経て、諸元素と微細原理は収斂し、地は水に遍満され、水は火と風へと帰入する。感官とタンマートラはアハンカーラに沈み、さらにマハト、最後にアヴィヤクターへと融け込む。やがてシヴァ=プルシャより再び創造が起こるが、ブラフマーの心生の子らは増えず、ブラフマーはイーシャに向けて厳しいタパスを修する。シヴァは啓示的な姿で応え、アルダナーリーシュヴァラの範型を示し、ブラフマーとハリ(ヴィシュヌ)をシヴァの主権のもとに再確立する。ブラフマーはサマーディに入り、心蓮にシヴァを安置して不滅者を礼拝する。その内面化からニीललोहित(ニーラローヒタ、カーラの相)が現れ、ブラフマーはアシュタムールティ讃歌により、ルドラを宇宙の八相として讃える。恩寵により創造は進むが、ブラフマーは再び挫折と憤怒に遭い、ブータやプレータが生じる。ルドラは顕現して十一に分かれ、シャクティとともに多くの女神を生み出す。シヴァはブラフマーのプラーナを回復し、自らをパラマートマン、そしてマーヤーの主と宣言し、不死のアヨーニジャの稀有という主題へと移り、神恩と解脱の後続譚へ橋を架ける。

64 verses

Adhyaya 42

Indra’s Account: Shilada’s Tapas and Shiva’s Manifestation as Nandi

スータは、マハーデーヴァへのシラーダの不屈の帰依を中心とするシヴァ派の範例を語る。長きにわたる苛烈なタパスにより、身は痩せ衰え虫に覆われても、彼はなおシヴァに没入していた。満悦したシャンカラは、ウマーとガナたちを伴って顕現し、その苦行の目的を問うて、シャーストラの義を究める全知の子という恩寵を申し出る。シラーダは、胎によらず生まれ(アヨーニジャ)、死なぬ子を願う。シヴァは、過去の礼拝と宇宙の意志により、みずからがシラーダの子としてナンディの名で生まれ、シラーダは「諸世界の父」の父となると宣言して許す。ナンディはヤジュニャの場に、畏るべくも光輝く相(三眼・四臂・武器)で現れ、神々・リシたち・神力に讃嘆される。シラーダのストゥティはナンディを守護者にしてジャガドグル(世界の師)と確証し、集う賢者にその福徳を見届けよと招く—集中した礼拝と儀礼の清浄に応じてシヴァの恩寵が現れるという、後続のシヴァ物語への信仰の橋となる。

38 verses

Adhyaya 43

नन्दिकेश्वरोत्पत्तिः — Nandikesvara’s Origin, Shiva’s Boons, and the Rise of Sacred Rivers

ナンディケーシュヴァラは、マヘーシュヴァラを礼拝して父シーラダと庵へ戻ったところ、自らの神性が人身によって覆われ、天界の記憶も失われていたと語る。シーラダは愛情深く諸儀礼を行い、多くのヴェーダ諸学派(śākhā)と補助学を授けた。七歳の時、シヴァの命により聖仙ミトラとヴァルナが来訪し、ナンディンはシャーストラに通暁しても寿命が短いと予告し、シーラダは悲嘆に沈む。死の影を見たナンディンはプラダクシナーとルドラ・ジャパを修し、心蓮にトリヤンバカを観想する。するとシヴァが顕現して恐れを除き、ナンディンの過去の神聖な礼拝を明かす。シヴァは触れて祝福し、老朽と憂いから解放して、ヨーガの力を具えた愛しきガナ(gaṇa)の統領に任じた。さらにシヴァは自らのジャターの水(Jaṭodakā)からティールタを生み名づけ、三流の河トリスロータス、ヴリシャドヴァニ、黄金の河(Svarṇodakā/Jambūnadī)を起こし、ジャピェーシュヴァラ近くのパンチャナダに至らせる。そこでの沐浴(snāna)とプージャーはシヴァ・サーユジュヤを約束する。章末は、ウマーがナンディンのアビシェーカに関わり、シヴァのガナの中で正式に昇格させる展開へと移り、次章以降の灌頂の主題を準備する。

53 verses

Adhyaya 44

Adhyaya 44: Nandikesvara’s Manifestation and Abhisheka; The Rule of Namaskara in Shiva-Nama

シャイラーディは、ルドラを想起するだけで無数のガナが顕現すると語る。彼らは光輝き、三つ目を備え、武器を執り、音楽と舞踊、天の乗り物とともに来臨して、まもなく下される神命を告げる徴となる。ガナたちはシヴァとデーヴィーに礼拝し、いかなる務めを果たすべきかを問うて、海を干上がらせる、インドラを縛る、ヤマに対峙する、ダイティヤを屈服させるなど宇宙的な働きさえ申し出る。シヴァは、彼らを世の安寧のために召したのであり、わが子のごとき主にして定められた導き手ナンディーシュヴァラを、ガナのセーナーニー(総帥)として安置せよと告げる。ガナたちは壮麗なアビシェーカの場を整える。宝玉のマンダパ、メール山に似た黄金の座と足台、対のカラシャ、あらゆるティールタの水を満たした幾千の器、さらに衣・香・装身具・傘・扇・王権の標章を天工が調える。まずブラフマーが灌頂を行い、続いてヴィシュヌ、インドラ、ローカパーラが執行し、仙人と神々は新たに灌頂されたガネーシュヴァラを讃嘆する。ブラフマーの定めによる儀礼的婚姻にも触れられる。章末は教義と倫理の戒めとして、ナマスカーラなくしてシヴァの御名を唱えてはならず、礼拝に始まりバクティに終わる作法こそ安全で解脱をもたらす道であると説き、後続のシヴァ派儀礼規範への備えとする。

49 verses

Adhyaya 45

Adhyaya 45: Rudra as Sarvatma—Seven Lokas, Seven Talas, and the Cosmic Body of Shiva

プールヴァ・バ―ガの説示を続け、リシたちはスータに、シャンカラのサルヴァートマ・バーヴァ(遍一切我)と、常の知覚を超えたルドラの真のスヴァルーパを語るよう求める。スータは、ブール、ブーヴァル、スヴァル、マハス、ジャナ、タパス、サティヤの七ローカに、パーターラおよび地獄界を加えて宇宙の階梯を列挙し、さらにグラハ(天体)、ナクシャトラに類する指示、ドゥルヴァ、サプタリシ、ヴィマーニカの存在など、あらゆる天界の座はシヴァのプラサーダ(恩寵)によって存立すると述べる。シヴァは常にサマシュティ・ルーパのサルヴァートマンとして確立しているが、マーヤーに惑う者はそれを認めない。教義の要点は明白で、三界はルドラの身体であるゆえ、宇宙について真のニルナヤ(決定・定説)に至るには、まずシヴァへの礼拝が先立つ。続いてスータは、七つのタラ(マハータラ、ラサータラ、タラータラ、スータラ、ヴィタラ、アタラ等)の壮麗さと住民(ナーガ、ダイティヤ/アスラ、古の王たち)を説き、最後にアンバー、スカンダ、ナンディン、ガナたちと共にパラメーシュヴァラがそれらの領域に遍満することを示して、次章の地上上方の層構造とシヴァ中心の宇宙秩序へと導く。

23 verses

Adhyaya 46

सप्तद्वीप-सप्तसमुद्र-वर्णनम् तथा प्रियव्रतवंश-राज्यविभागः

スータ・ローマハルシャナは、地上が七つのドヴィーパ(ジャンブー、プラクシャ、シャールマリ、クシャ、クラウンチャ、シャーカ、プシュカラ)から成り、その周囲に七つの海(塩の海、甘蔗汁の海、スラーの海、ギーの海、ダディ〈凝乳〉の海、乳の海、甘水の海)が順に広がることを説く。この聖なる地理叙述の中心にはシヴァが在し、「水の姿のバヴァ」として諸海に戯れ、宇宙の支えであることを示す。乳海の段では、ハリ(ヴィシュヌ)がシヴァ智に照らされてヨーガ・ニドラーに臥し、その覚醒と睡眠が世界の覚醒と睡眠に譬えられ、創造・維持・融解はデーヴァデーヴァの恩寵に依ると結論づけられる。続いてプリヤヴラタは子ら(アグニードラ等)を各ドヴィーパの主とし、ドヴィーパ・地方・ヴァルシャの名を定め、シャーカドヴィーパ、クラウンチャ、クシャ、シャールマリ、プラクシャ等で子ごとに国土を分配する。さらに本章は、複数のドヴィーパにおけるヴァルナ・アーシュラマ法の共通性、ルドラ礼拝への専心、プラジャーパティとルドラの関係による衆生創出を示し、後章の詳細な地理およびパーターラ世界の叙述への基盤を整える。

49 verses

Adhyaya 47

जम्बूद्वीपस्य नववर्षविभागः रुद्रस्य अष्टक्षेत्रसन्निधिः नाभि-ऋषभ-भरतकथा

スータはbhūvanakośa(世界構造)の叙述を続け、プリヤヴラタがアグニードラをジャンブードヴィーパの王として灌頂し、アグニードラの九人の子を説く。各子には別々のvarṣaが配される:ナービ(ヘーマ)、キンプロシャ(ヘーマクータ)、ハリ(ナイシャダ)、イラーヴリタ(メール山を中心)、ラミヤカ(ニーラに依る)、ヒランマン(北方シュヴェータ)、クル(シュリンガヴァーン)、バドラ―シュヴァ(マーリヤヴァト)、ケトゥマーラ(ガンダマーダナ)。続いて、イラーヴリタを除く八つの吉祥の地が、自然に成就(siddha)し、ユガの条件に縛られず、身分差別もなく、老死の恐れもないと讃えられる。これはルドラが「アシュタ・クシェートラ」を स्थापितし、信者に対して常にサンニディヤ(近接臨在)として留まるためである。地理から系譜へ転じ、ナービの子リシャバ、リシャバによるバラタの即位、そしてリシャバがjñāna-vairāgya(智と離欲)に基づきパラマートマンへ内的に没入して出家し、シヴァの最高境地(Śaiva parama-pada)に到達することが語られ、以後バラタと人界バ―ラタヴァルシャを中心とするダルマ史への展開が準備される。

25 verses

Adhyaya 48

मेरुवर्णनम्—प्रमाण, दिग्विभाग, देवपुरी-विमान-निवासाः

スータは、ジャンブードヴィーパの中央にそびえる大山メル(須弥山)を、高さ・広がり・周囲などの尺度と、鉢のような形状として説き、さらにマヘーシャ(シヴァ)の吉祥なる御身の触れにより黄金に輝くようになったと語る。メルの諸方位には種々の宝石の光が現れ、アマラーヴァティーなどの天界の都が、宮殿・楼門(ゴープラ)・トーラナ・長い池や水槽に富むさまが述べられる。山頂には清浄な水晶に似たヴィマーナが立ち、そこにシャルヴァ(シヴァ)の宝座があり、ハリ(ヴィシュヌ)や蓮生のパドマジャ(ブラフマー)らの住処、またインドラ・ヤマ・ヴァルナ・ニルリティ・アグニ・ヴァーユ等の都も示される。北東のイーシュヴァラの聖域では、常住の礼拝の制度、シッデーシュヴァラ、サナトクマーラら、さらにガネーシュヴァラの群とシャṇムカ(スカンダ)の眷属が語られる。続いてジャンブー河、ジャンブー樹、イラーヴリタ・ヴァルシャ、そしてジャンブードヴィーパ九ヴァルシャの構成が示され、後に国土・河川・山岳の次第が詳説される。

35 verses

Adhyaya 49

Adhyaya 49: जम्बूद्वीप-मेर्वादि-वर्षपर्वत-वन-सरः-रुद्रक्षेत्र-वर्णनम्

スータは、ジャンブードヴィーパの規模、七つのドヴィーパとの関係、そしてローカーローカの外郭を説き、メール山(メル)を中土の中心として定める。続いて、ニール、シュヴェータ、シュリンギー、ヒマヴァーン、ヘーマクータ、ニシャダ、マーリヤヴァーン、ガンダマーダナ等のヴァルシャ境界の山々について、方角に応じた位置・広がり・寸法を述べ、さらにバーラタ、キンプロシャ、ハリヴァルシャ、イラーヴリタ、ラミヤカ、ヒランマヤ、クルという諸ヴァルシャ名を順に挙げる。メール山麓の四方には山の柱と、カダンバ、ジャンブー、アシュヴァッタ、ニャグローダの大樹があり、「ドヴィーパケートゥ」の象徴として示される。四方の天上の森、イーシュヴァラ・クシェートラの徴、そしてアルノーダ、マーナサ、シトーダ、マハーバドラ等の聖なる湖も描写される。山・林苑・湖沼の地には神々、リシ、シッダ、ナーガ、ヴィディヤーダラが住み、至る所に「ルドラ・クシェートラ」が स्थापितされていると説いて、シヴァ派の聖地観を確かなものとし、後のティールタ・ダルマ・礼拝の教えへと結びつける。

69 verses

Adhyaya 50

Adhyaya 50 — देवपुर्यः, पुराणि, आयतनानि च; श्रीकण्ठाधिपत्य-प्रतिपादनम्

スータの宇宙論的叙述を継いで、本章は聖なる山頂と、それに結びつくプラ(城邑・住処)を、ダイティヤ、ダーナヴァ、ラークシャサ、ヤクシャ、キンナラ、ガンダルヴァ、ヴィディヤーダラ、ナーガといった諸類の存在ごとに列挙し、さらにガルダ、ニーラローヒタ、クベーラ、グハ、サプタリシ(七仙)など特定の神聖な住者を示す。叙述は名目の列挙から神学へ移り、これらのアーヤタナは境界の山 maryādā-parvata にも存するが、究極的にはすべて「Śrīkaṇṭha-adhiṣṭhita」—シュリーカンṭハの主権のもとに स्थापितされたもの—であると説く。さらに宇宙の管理者 aṇḍa-pālakāḥ を転輪王(cakravartin)になぞらえて提示し、より高次の統御原理としてヴィディエーシュヴァラを指し示す。結びに、動くものと動かぬものを含む全宇宙は、カラ―グニ・シヴァに至るまでシュリーカンṭハの統治に安住すると断言し、次章で境界山とシヴァの遍満する宇宙支配をさらに展開する伏線とする。

21 verses

Adhyaya 51

Bhūtavana–Kailāsa–Mandākinī–Rudrapurī: Śiva’s Jeweled Abodes and Perpetual Worship

スータは、黄金と宝玉に輝く壮麗なマハークータの中にあるデーヴァクータを語り、天上の樹々と花を湛えた滝が繁るさまを描く。その中心にブータヴァナがあり、無数のブータ・ガナの住処として、マハーデーヴァのアーヤタナが水晶の門、宝石の玉座、華麗なマンダパを備えて燦然と立つ。そこではシヴァが、プラマタ、シッダ、リシ、デーヴァ、ガンダルヴァ、さらにはブラフマーに至るまで、儀礼の音楽と轟く詠唱の中で常に礼拝され、聖域の尽きぬ祭式生活が示される。続いて物語はクベーラの領域カイラーサへ広がり、金の蓮と宝石の階をもつマンダーキニーが紹介され、アプサラスやヤクシャ=ガンダルヴァの女たちが仕える。マンダーキニーの岸辺にはさらにシヴァの住処が現れ、ルドラプリーではシヴァが自らを多身に現じ、アンバーと戯れる。章末は、シヴァのアーヤタナが無量であり、あらゆるドヴィーパ、山、森、河岸に遍在することを総括し、次章の聖地列挙と信愛の機能へと導く。

31 verses

Adhyaya 52

Adhyaya 52: सोमाधारः, पुण्योदानदी, मेरुप्रदक्षिणा, जम्बूद्वीपनववर्षवर्णनम्

プールヴァ・バーガのシヴァ中心の宇宙論を継いで、スータは、無数の吉祥なる河川が諸湖から生じ、定められた方角へ流れるさまを語る。ついで「ソーマ」を、空中に広がる海であり、衆生と神々を養う甘露アムリタの源として示す。ソーマからは天上の河プニョーダーが現れ、天空を流れて星宿に寄り添い、ソーマのごとく絶えず循環する。その河はメール山を周回し、そこではシヴァ(シュリーカンタ/シャルヴァ)がガナたちと戯れる。シヴァの命により水は分かれ、メール山内側の稜線を伝って降下し、ついに大海へ注ぎ、諸島・諸山・諸ヴァルシャにわたり幾百幾千の河川を生み出す。さらにジャンブー・ドヴィーパの九つのヴァルシャを概観し、住民の肌の色、寿命、食、気質を述べ、神々に近い地域と、業に従いヴァルナ=アーシュラマの務めを果たし、ダルマ・アルタ・カーマを修して最終的にスヴァルガとアパヴァルガを目指すバーラタ・ヴァルシャとを対比する。結びに主要な山岳領域を名指しし、あらゆる地に遍満するシヴァの臨在を宣言して、万界がシヴァの統御に根ざすことを確立し、次章の宇宙地理とティールタの枠組みへとつなげる。

51 verses

Adhyaya 53

भुवनकोशस्वभाववर्णनम् — सप्तद्वीप-पर्वत-लोकविन्यासः तथा यक्ष-उमा-प्रकाशः

スータはブヴァナ・コーシャの説を続け、七つのドヴィーパとそのクーラ・パルヴァタ—プラクシャ、シャールマリー、クシャ、クラウンチャ、シャーカ、プシュカラ—を列挙し、マンダラ山をシヴァの住処として讃える。さらにプシュカラのマナソッタラ山と、光が尽き闇が始まるローカーローカの境界を説く。次いで宇宙の層を上へ辿り、七つの風、太陽、月、ナクシャトラ、グラハ、七仙(リシ)とドゥルヴァを述べ、上位の諸界(マハルローカ、ジャナローカ、タポローカ、ブラフマローカ)と下位のタラ/ナラカにも及ぶ。無数のアンダ(卵宇宙)があり、それぞれ十四世界を含み、すべてはマヘーシュヴァラにより生起すると断言される。教義を確証するため、ヤクシャの逸話がデーヴァたちをへりくだらせ、ウマー・ハイマヴァティーの出現によって初めて、あらゆる力の背後に潜む主を悟る。こうして本章は宇宙論的列挙をシヴァ・タットヴァへ結び、シヴァへの信愛と知が真の主権と解脱の鍵であることを示す。

62 verses

Adhyaya 54

भुवनकोशविन्यासनिर्णयः (ज्योतिर्गति-वृष्टिचक्र-वर्णनम्)

スータはナイミシャーラニヤの聖仙たちに、宇宙卵内における「光明の群」の運行を要約して語る。方角ごとに神々の聖域・都を挙げ、太陽の南行(ダクシナーヤナ)は放たれた矢のように速く、北行(ウッタラーヤナ)は陶工の車輪の軸のごとく緩やかであると説く。さらに昼夜のムフールタの尺度、ナクシャトラの周回、そしてウッターナパーダの子ドゥルヴァが得た「不動の恩寵」により惑星の輪が安定することを示す。続いて太陽の水の摂取、月の次第による水の変化、煙・火・風の和合による雲の生成、ならびに降雨の種類—利益をもたらす雨と、アビチャーラの煙から生じる不吉な雨—を論じる。章末ではシヴァを「水の主」とし、世界利益のため運行の法を定める者と宣言して、自然の働きをシャイヴァの真理に安立し、後段の創造維持の規則と礼拝・ダルマの果報の教えへの基盤とする。

68 verses

Adhyaya 55

सूर्यरथ-रचना, ध्रुव-प्रेरणा, मास-गणाः च (Jyotish-chakra: Surya’s Motion and Monthly Retinues)

スータは簡潔な宇宙論の語り口で、太陽が一輪の戦車によって天を巡行するさまを説く。車輪の構造と定められた寸法、そしてヴェーダの韻律(チャンダス)から成る七頭の馬が述べられる。運行は宇宙の枢軸たるドゥルヴァ(Dhruva)によって調整され、光線と綱が軛を結び戦車の周回を可能にし、見かけの内路・外路の移り変わりは季節の転換(ウッタラーヤナ/ダクシナーヤナ)に対応するとされる。さらに物理的説明から聖なる統治へと広がり、十二か月の循環は交替する諸集団—アーディティヤ/デーヴァ、リシ、ガンダルヴァ、アプサラス、ナーガ、グラーマニー/ヤクシャ、ヤートゥダーナ—によって保たれ、月ごとに礼拝し、歌い、舞い、光の束を集め、太陽原理を担い守って、バースカラ(Bhāskara)のテージャスを増大させる。章末では、これらの宿駅の神々が諸マヌヴァンタラにわたり反復して現れること、そして淡い緑色の馬と一輪の車を伴う太陽が七つのドヴィーパと海の上を天翔けることを再確認し、時間循環と宇宙統治、さらにイーシュヴァラのもとでのシャイヴァ的テージャス解釈へと接続する。

82 verses

Adhyaya 56

सूर्यरथनिर्णयः (चन्द्रस्य पक्षवृद्धिक्षयविधानम्)

スータはヴェーダ・プラーナの伝承に従い、チャンドラ(月神)の車の姿、馬や車輪などの相相を述べ、さらに太陽の光威によってソーマが増養し、また減衰してゆく次第を明らかにする。白分(シュクラ・パクシャ)には、太陽光線(とりわけスシュムナー・ナーディの形として)が月のカラー(分相)を順次満たし、満月には円満の月輪が現れる。続く黒分(クリシュナ・パクシャ)では、神々・祖霊(ピトリ)・聖仙(リシ)が水性のソーマを蜜・スダー・アムリタのごとく飲み、カラーは日ごとに減り、アマーヴァーシャーには残余のカラーによって祖霊衆が満足すると説かれる。本章は、半月の増減を「ショーダシー」に記憶すべしと結び、ティティ(暦日)の法の基礎を立て、後の祭儀・シュラーダ・誓戒がシヴァの法と調和することを示唆する。

18 verses

Adhyaya 57

सोमवर्णनम् (Graha–Ratha–Aśva Varṇana, Dhruva-Nibaddha Gati, Maṇḍala-Pramāṇa, Graha-Arcana)

スータは、諸グラハ(惑星神)の車(ラタ)の構造と馬の数・色を説き、ソーマ(月)、シュクラ、バウマ、ジーヴァ(ブリハスパティ)、マンダ(シャニ)、スヴァルバーヌ(ラーフ)等の乗り物の相違を述べる。ついで、すべてのグラハと星々はドゥルヴァに結び付けられ、風の綱によって火輪のように回転するという、宇宙運行の次第が示される。日輪・月輪の大きさ(直径/広がり)、ラーフの闇の住処、また諸グラハ相互の比率差が指示される。さらに、ウッタラーヤナとダクシナーヤナ、満月と新月、分点の時などにおける太陽・月の見え方や暗黒の巡りが語られる。最後に、上下一切の界の順序(太陽→月→ナクシャトラ→ブダ→シュクラ→マンガラ/逆行/ブリハスパティ→シャナイシュチャラ→サプタリシ→その上のドゥルヴァ)を示し、ブラフマーが授けたグラハ支配のディークシャと、グラハの障りを鎮めるため火中でグラハ供養を行うべきことを結語として、シヴァの行(リンガ礼拝/シャーンティ)の規範を確かなものとする。

39 verses

Adhyaya 58

ग्रहाद्यधिपत्याभिषेकः (Cosmic Consecrations of Lords of Planets and Domains)

仙人たちはスータに問う――創造の時、ブラフマー・プラジャーパティはどのようにアビシェーカ(灌頂)を行い、神々とダイティヤの首領たちを諸領域の「主宰」として任じたのか。スータは宇宙の統治者を列挙して答える。太陽神は惑星の主、月神ソーマは星宿と薬草の主、ヴァルナは水界の主、最勝のヤクシャは財宝の主、ヴィシュヌはアーディティヤの主、パーヴァカ(アグニ)はヴァスの主、ダクシャはプラジャーパティの主、シャクラ(インドラ)はマルトの主、プラフラーダはダイティヤ=ダーナヴァの主、ダルマは祖霊(ピトリ)の主、ニルリティは肉食の者の主、ルドラは獣とブータの主、ナンディはガナの長、ヴィーラバドラは勇士の主、チャームンダーはマートリの主、ニーラローヒタはルドラ群の主、ヴィナーヤカは障碍の主、ウマーは女人の主、サラスヴァティーは言葉の主、ヒマヴァーンは山々の主、ジャーフナヴィーは河川の主、海は水の宝蔵、アシュヴァッタとプラクシャは樹木の中の勝れたもの、チトララタはガンダルヴァらの主、ヴァースキとタクシャカはナーガと蛇の主、アイラーヴァタは方象の主、ガルダは飛ぶ者の主、ウッチャイシュラヴァスは馬王、獅子は獣の王、牡牛は牛族の主、シャラバは獣王たちを凌ぐ者、グハは軍の統帥、ラクリーシャはシュルティとスムリティの主である。結びに、地上のプリトゥをも含め、すべての灌頂の秩序はシヴァの恩寵に依り、四相において全知なるマヘーシュヴァラ・シャンカラ(牡牛旗の主)が万有の最高の依止処であると示し、「シヴァこそ一切の総主宰」という結論の基盤を明らかにする。

17 verses

Adhyaya 59

Adhyaya 59 — सूर्याद्यभिषेककथनम् (Surya and Related Abhisheka/ Cosmological Determinations)

前段を聞き終えたのち、仙人たちは新たな疑念を抱いてスータ・ローマハルシャナに近づき、天の光体(jyotiṣa)、とりわけ太陽と月の運行と働きについて、より広く精密な決定(vinirṇaya)を求める。スータは儀礼的な題目から宇宙論的因果へと話を移し、アグニの起源と三分—ソーラ(soura:神的・太陽の火)、パールティヴァ(pārthiva:地の火)、ヴァーリガルバ/ヴァイディユタ(vārigarbha/vaidyuta:水性・大気の火)—を説き、これらの火が互いに入り合い養い合うことを明かす。太陽は光線によって水を「飲む」と描かれ、昼夜の転変と季節の作用(熱・雨・寒)を司る。本章は光線の脈道(nāḍī)、光線の類別とその産出(雨、露/霜、熱)を示し、さらに月ごとの太陽の名号・主宰者を対応させ、各月の光線数を列挙する。結びに、月・諸惑星・ナクシャトラが太陽に由来することを根拠づけ、日月を主(シヴァ)の「両眼」として掲げ、宇宙の働きをシャイヴァの聖なる秩序とアビシェーカ(灌頂・沐浴供養)の儀礼理へ結びつける次章への備えとする。

45 verses

Adhyaya 60

सूर्यरश्मिस्वरूपकथनम् (Surya-Rashmi Svarupa Kathana)

スータは五つのグラハ(惑星)の神格的本質を簡潔に示し、グラハとナクシャトラ(宿)の体系がアーディダイヴィカ(神的次元)の基盤に立つことを説く(アグニ=アーディティヤ、ウダカ=チャンドラ、スカンダ=マンガラ、ナーラーヤナ=ブダ等)。ついでアーディティヤ(太陽)を、刹那・ムフールタから日・季節・ユガに至るあらゆる時間計算の根本と定め、万事が太陽に依存すると明言する。太陽なきときは、ニヤマやディークシャ、日々の儀礼、季節の区分、花・果実・穀物の生成、さらには世間の営みさえ成り立たないと、哲理と実際の論拠で確証する。太陽は「ルドラの姿」また「十二の自己をもつプラジャーパティ」と称され、光の原理におけるシヴァの統御が確立される。後半では「千光の太陽」の七つの最勝の光線—スシュムナー、ハリケーシャ、ヴィシュヴァカルマー、ヴィシュヴァヴャチャー、サンナッダ、サルヴァーヴァス、スヴァラート—が惑星の胎(起源)として示され、ブダ、シュクラ、マンガラ、ブリハスパティ、シャナイシュチャラ等を養い増大させると語られる。本章は太陽=シヴァの光明原理によって神的世界秩序を堅固にし、より詳細なジョーティシャ/アーディダイヴィカ論への地盤を整える。

26 verses

Adhyaya 61

Adhyaya 61 — ग्रह-नक्षत्र-स्थाननिर्णयः (Cosmic Abodes of Luminaries and the Shaiva Order of Time)

スータは、太陽・月・諸惑星・星辰が、諸マヌヴァンタラにわたり神的臨在の「住処/位処」(gṛha/sthāna)として機能し、カल्पの初めにスヴァヤンブーによって創造され、宇宙の溶解(プララヤ)に至るまで存続すると説く。本章は(Savitṛ などの)語源解釈を示し、日輪・月輪の天球が光明性と水性の要素から成ることを述べ、さらに諸グラハの居所—太陽(sauram)、月(saumyam)、金星(śaukrum)、木星(Bṛhaspati)、火星(lohita)、土星(Śanaiścara)、水星(baudha)、およびスヴァルバーヌ/ラーフ(Svarbhānu/Rāhu)—を、色彩・光線の性質・ヨージャナによる相対尺度とともに列挙する。また、各グラハに関わるナクシャトラの起源を挙げ、ラーフの暗黒の位処と日月に対する運行を、日食・月食を思わせる神話的かつ技術的な言葉で説明する。結語では、全てのジョーティシャの配列はマハーデーヴァが世間の秩序と賢者の識別のために構築したものであり、シャーストラ・知覚・推理・規律ある検証によって確証されるとするシヴァ派の主張を掲げ、宇宙秩序がダルマとシヴァ志向の解脱を支えるという後続教説への導入となる。

63 verses

Adhyaya 62

ग्रहसंख्यावर्णनम् — ध्रुवस्य तपोबलात् ध्रुवस्थानप्राप्तिः

仙人たちはスータに問う――ヴィシュヌの恩寵により、ドゥルヴァはいかにして「惑星の杭」(星辰の不動の枢・ドゥルヴァ中心)となったのか。スータはマールカンデーヤの物語を語り起こす。ウッターナパーダ王と二人の妃からドゥルヴァが生まれ、スルチーに侮られて悲嘆し、母スニーティの教えを聞いて森へ入る。ヴィシュヴァーミトラの指導に従い、プラナヴァを伴う「ナモー’ストゥ ヴァースデーヴァーヤ」の真言を唱え、葉・根・果のみを食して一年の苦行を行うが、ラークシャサやヴェーターラなどの障りも揺るがせない。やがてガルダに乗ったヴィシュヌが来臨し、法螺貝(シャンク)で触れて智を授ける。ドゥルヴァは讃嘆して願いを申し、ヴィシュヌは「ドゥルヴァの座(ドゥルヴァスターナ)」を与える。神々・ガンダルヴァ・シッダらとともに、母と共にその位に安置される。功徳として、ヴァースデーヴァへの礼拝により同界(サーローキヤ)/ドゥルヴァの如き不動の位を得る。

42 verses

Adhyaya 63

Adhyaya 63: Daksha’s Progeny, Kashyapa’s Offspring, and the Rishi-Vamshas that Sustain the Worlds

賢仙たちの求めに応じてスータは、創造の次第を説き、ダクシャ以後は衆生の増広が主としてマイトゥニー(男女の交合)によって進むことを強調する。ナーラダの諫言により、ダクシャの最初の二組の息子(ハリヤシュヴァとシャバラ)は散って帰らず、ダクシャは六十人の娘を生み、ダルマ、カश्यパ、ソーマ、アリシュタネーミ、ブリグの子、クリシャーシュヴァ、アンギラスに嫁がせる。これらの結びつきから、ヴィシュヴェデーヴァ、サーディヤ、マルット、八ヴァス(名を挙げる)と十一ルドラ(名を挙げる)が現れる。続いてカश्यパの諸妃とその子孫—アーディティヤ、ダイティヤ(ヒラニヤカシプ/ヒラニヤークシャ)、ダーナヴァ、鳥獣、ガルダ/アルナ、著名な首長をもつナーガ、ラークシャサ、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アプサラス、草木—が語られる。さらに物語は大いなるリシの系譜へ移り、プララスティヤからヴィシュラヴァスとラークシャサ王統、アトリの系(ソーマ、ダッタートレーヤ、ドゥルヴァーサー)、ヴァシシュタの系(パラーシャラ、ヴィヤーサ、シュカ)を述べ、これら広大な家系が太陽の光線のように三界に遍満し、後のダルマの教えとシヴァに帰向する解脱の道の継承を整えると結ぶ。

95 verses

Adhyaya 64

देवादिसृष्टिकथनम् (वसिष्ठशोकः, पराशरजन्म, एकलिङ्गपूजा, रुद्रदर्शनम्)

仙人たちはスータに問う――ヴァシシュタの子シャクティは、いかにして羅刹に食われたのか。スータは語る。ヴィシュヴァーミトラの唆しにより、血を啜る羅刹がカルマーシャパーダの物語においてヴァシシュタの一族を苦しめ、シャクティは兄弟たちとともに喰われたという。これを聞いたヴァシシュタとアルンダティーは悲嘆に沈み命を絶とうとするが、嫁アドリシュヤンティーが胎内の子に会うため身を保つよう願う。胎内のパラーシャラはリグの聖なる言葉を顕し、ヴィシュヌが現れてヴァシシュタに憂いを捨てよと諭す――「この胎児はルドラの信奉者、家を救う者である」。十月目にパラーシャラが誕生し、アドリシュヤンティーはシャクティを偲んで嘆く。パラーシャラは土塵で「エーカ・リンガ」を作り、ルドラ・スークタ、トゥヴァリタ・ルドラ、ニーラ・ルドラ、パンチャ・ブラフマ、リンガ・スークタ、アタルヴァシラス等の法によりシヴァを礼拝する。シヴァはウマーとガナたちを伴いダルシャナを授け、父の姿を見せる。のちパラーシャラは羅刹族を焼き尽くそうとするが、ヴァシシュタが赦しのダルマを説いて祭儀を止める。プラスタヤの来訪により、パラーシャラはプラーナ編纂者となる恩寵を得、後章でダルマとプラーナの伝承の流れを確立してゆく。

123 verses

Adhyaya 65

वासिष्ठकथनम् (आदित्य–सोमवंशवर्णनम् तथा रुद्रसहस्रनाम-प्रशंसा)

ナイミシャーラニヤにて仙人たちは、スータ・ローマハルシャナに太陽王統(アーディティヤ)と月王統(ソーマ)を要約して語るよう求める。スータはカश्यパとアディティから説き起こし、アーディティヤ(スーリヤ)の系譜と、妃三人サンジュニャー・チャーヤー・プラバーの物語を述べる。チャーヤーが自らの子に偏ったため、ヤマは怒って彼女を打ち、チャーヤーの呪いによりヤマの足は変形する。のちゴーカルナでヤマはマハーデーヴァを礼拝して呪いを解かれ、ローカパーラの位と祖霊(ピトリ)を統べる権能を得て、シヴァの恩寵がダルマの秩序を立てることが示される。さらに、サンジュニャーが牝馬の姿となってアシュヴィニー双子が生まれる因縁、またトヴァシュトリがスダルシャナ・チャクラを造る話がルドラの加護と結びつけて語られる。続いてヴァイヴァスヴァタ・マヌの子孫、イラー/スディユムナの男女転変、ブダとアイラ・プルーラヴァスを通じたソーマ王統の繁栄が示され、イクシュヴァーク族のマーンダータやプルクッツァらの系譜も述べられる。章末ではタンディンの縁起により「ルドラ千名(Rudra-sahasranāma)」の称名が讃えられ、ガナパティヤの位を得、千回の馬祭(アシュヴァメーダ)に等しい功徳となり、大罪を滅することが説かれ、後続のシヴァ讃歌・誓戒(ヴラタ)中心の叙述への橋渡しとなる。

175 verses

Adhyaya 66

अध्याय 66: इक्ष्वाकुवंश-ऐलवंशप्रवाहः (त्रिशङ्कु-राम-ययात्यादि-प्रकरणम्)

スータはトリダンヴァの因縁から語り起こし、サティヤヴラタ(トリシャンク)の没落と再興を述べる――父を捨てたこと、ヴァシシュタの怒り、ヴィシュヴァーミトラによる王位灌頂、そして肉身のまま天界へ昇ったこと。次いで、イクシュヴァーク王統の長い系譜(ハリシュチャンドラ、サガラ、バギーラタ、ダシャラタ、ラーマ、クシャとラヴァ等)を簡潔に示し、彼らがパーシュパタの智を学び、シヴァを礼拝し、規定どおりに祭祀(ヤジュニャ)を修して天界に至ったという、シヴァ派の法の果報を結び付ける。さらにアイラ王統へ移り、プルーラヴァス、ナフシャ、ヤヤーティ、デーヴァヤーニーとシャルミシュターの子孫の分配、またジャナメージャヤがガルガの呪いで車を失い、贖罪とアシュヴァメーダによって清浄を得たことなど、業果・贖罪・王法の流れを説く。後半はプルの灌頂をめぐるヴァルナの法理論で締めくくられ、以後の王法と裁断の論議の基盤を整える。

83 verses

Adhyaya 67

ययातिना पूरौ राज्याभिषेकः, दिक्प्रदानं, तृष्णा-वैराग्योपदेशः, वनप्रवेशः च

本章では、ヤヤーティが集まったヴァルナの人々と長老たちに向かい、長子ヤドゥは不従順で反抗的な気質ゆえ王位にふさわしくないと宣し、親への義務を守る従順なプルを称える。従う子が王国を担うというシュクラの恩寵を引き、ヤヤーティは衆人の同意のもとプルを即位させる。さらに大地を征服し分配したのち、方角に従って領土を授ける—トゥルヴァスを南東、ヤドゥを南、ドルヒュとアヌを西/北へ。物語は政の秩序から霊的教誨へ移り、ヤヤーティのガーターにより、欲望は享楽で尽きず、ギーを注がれた火のように増大すると説かれる。彼はブラフマン到達の徴として、思い・言葉・行いにおける不害、憎しみと恐れの離脱を挙げ、老いる身体と老いぬ渇愛を対比する。結びに、ヤヤーティは王妃とともに森へ入り、ブリグトゥンガで苦行(タパス)を修して天界に至る。さらにこの物語を誦し聞く功徳により清められ、シヴァ・ローカで高められると示し、後のシヴァ派の教えへと信愛と倫理の橋を架ける。

28 verses

Adhyaya 68

यदुवंश-प्रवचनम्: हैहय-क्रोष्टु-वंशविस्तारः (कृतवीर्यार्जुनादि, ज्यामघ-विदर्भ-शात्वत-पर्यन्तम्)

スータは、ヤヤーティの文脈からヤドゥ族の系譜の説示へ移ることを告げ、簡潔ながら順序立ったヴァンシャーヴァリー(系譜)を示す。ハイハヤの流れは、サハスラジト → シャタジト → ハイハヤと後継者を経て、千の腕と覇権で名高いカールタヴィーリヤ・アルジュナに至る。続いて、主要な子孫と関連氏族(ヴィーティホートラ、ボージャ、アヴァンティー、シューラセーナ、ターラ・ジャングハ)を列挙し、部族・国名が祖先名から生じることを明らかにする。さらにクロシュトゥ支流を導入し、後にヴィシュヌがヴリシュニ・クーラの誉れとしてこの系統に生まれると結び、王統の記憶を未来のアヴァターラ史へ連ねる。別の長い系譜はシャシャビンドゥを経て、アシュヴァメーダや広大なダーナ(布施)により祭祀の卓越を示し、ついでジャヤーマガが追放されナर्मダー河畔へ移住すること、妻シャイビヤーが晩年に子を得てヴィダルバの系が開かれることを語る。章末ではサットヴァ/サートヴァタを通じてサトヴァタ・クーラへ接続し、果報(パラシュルティ)として、ジャヤーマガの系譜を読む・聞く者はスヴァルガ、繁栄、安寧を得ると説いて、後段のダルマと信愛の成熟へと備える。

51 verses

Adhyaya 69

वंशानुवर्णनम् — सात्वतवंशः, स्यमन्तक-प्रसङ्गः, कृष्णावतारः, शिवप्रसादः (पाशुपतयोगः)

スータは「スータ曰く」より始め、サートヴァタ族の四子(バジャナ、ブラージャマーナ、デーヴァーヴリダ、アンダカ)に連なる系譜を詳述する。デーヴァーヴリダの名声とバブリュの讃嘆を述べ、ついでヴリシュニ、シニ、シュヴァファルカ、アクルーラらの系統を列挙し、サトラージト、太陽神、シヤマンタカ宝珠、プラセーナ、狩猟の因縁を示す。さらにアーフカ、ウグラセーナ、デーヴァカ、ヴァスデーヴァ、デーヴァキー、ローヒニーへと続き、ラーマとクリシュナの降誕、カンサの恐怖、ヨーガニドラー=カウシキー、ヴァスデーヴァの嬰児交換、カンサ討伐、クリシュナの子孫、ルクミニーとジャンバヴァティーとの縁が語られる。章のシャイヴァ的中心は、ジャンバヴァティーの子を願ってクリシュナが苦行し、ヴィヤーグラパーダのアーシュラマに赴き、パーシュパタ・ヨーガのディークシャーを受け、ルドラの恩寵によりサーンバを得ることにある。末尾ではヴリシュニ族の滅亡、プラバーサでの出来事、狩人ジャラーの策によるクリシュナの捨身、そして読誦聴聞の功徳としてヴァイシュナヴァの世界に至ると説く。こうして系譜の旧譚を結び、解脱へ向かう後続の物語の地盤を整える。

94 verses

Adhyaya 70

Adhyaya 70: आदिसर्गः—महत्-अहङ्कार-तन्मात्रा-भूतसृष्टिः, ब्रह्माण्डावरणम्, प्रजासर्गः, त्रिमूर्ति-शैवाधिष्ठानम्

諸リシの求めにより、スータは先に「十分には明かされなかった」アーディ・サルガ(原初創造)を詳説する。まずマハーデーヴァ(シヴァ)がプラクリティとプルシャを超越することを確立し、アヴィヤクタからマハト(マナス/マティ/ブッディ/サンヴィド等とも呼ばれる)への顕現を、その働きと名称解釈とともに辿る。ラジャスに染まるアハンカーラから三重の創造流が生じ、ターマサはタンマートラと五大を虚空ākāśa→風vāyu→火光tejas→水āpas→地pṛthivīの順に生み、サットヴァ(ヴァイカーリカ)は諸根(インドリヤ)と心を生む。諸元素の相互浸透、宇宙卵ブラフマーンダの形成と重層の被覆が説かれ、各層にシヴァの諸相が配される。さらにトリムールティはマハーデーヴァからの流出として統合され、カルパ/マンヴァンタラの時、ヴァラーハによる大地の引き上げ、そしてブラフマーのプラジャー・サルガとして、神々・アスラ・祖霊(ピトリ)・人間・ヤクシャ=ラークシャサ・ナーガ(蛇)・ガンダルヴァ・動物・祭式の制度が語られる。結びはルドラ創造、シヴァの不動の堅住(スターヌ)、アルダナーリーシュヴァラ、そしてデーヴィーの名を唱えて護りと功徳を得る誦名に至り、宇宙論をシヴァ信仰の実益と解脱の約束へと収斂させる。

348 verses

Adhyaya 71

Adhyaya 71: पुरत्रयवृत्तान्तः—ब्रह्मवरदानम्, मयकृतत्रिपुर-निर्माणम्, विष्णुमाया-धर्मविघ्नः, शिवस्तुति, त्रिपुरदाहोपक्रमः

リシたちはスータにトリプラの焼却について尋ねます。タラカスラの息子たちはブラフマーから恩恵を受け、三つの都市が一直線に並んだ時、ただ一本の矢によってのみ殺されることになりました。マヤは金、銀、鉄の都市を建設しました。悪魔たちはシヴァへの献身ゆえに無敵でした。ヴィシュヌは幻影を作り出し、彼らをダルマから遠ざけました。彼らがシヴァ崇拝を放棄すると、神々はマハデーヴァを称え、シヴァは都市を破壊するための戦車の準備を始めました。

163 verses

Adhyaya 72

Adhyaya 72 — Puradāha: Rudra’s Cosmic Chariot, Pāśupata-Vrata, and Brahmā’s Shiva-Stuti

スータは語る。トリプラ滅尽のため、ヴィシュヴァカルマンは神聖なる戦車を造り、その各部を宇宙の実在に同定する—太陽と月を車輪、季節と時間単位を部材、山々と大海を支え—ラタは象徴的宇宙となる。シヴァは仙人・天女(アプサラス)・ガナたちの讃嘆の中で乗車するが、ガネーシャはまず障碍を起こし、ヴィナーヤカ供養(vināyaka-pūjā)を受けて鎮まり、大儀の前にヴィナーヤカを礼拝すべきことが確立される。神々はルドラの「パシュトヴァ」宣言を恐れるが、シヴァはパーシュパタの誓戒(Pāśupata-vrata)が衆生の束縛を解き放つと諭す。シヴァは一瞥でトリプラを灰にできるのに、弓とパーシュパタ武器によってリーラーとして成就する。続いてブラフマーが、オーンカーラ、パンチャブラフマの諸相、プラティヤーハーラからサマーディに至るヨーガ、そしてリンガ/アリンガの形而上を統合した長大な讃歌を捧げる。満悦したシヴァは恩寵を授け、ブラフマーを御者、ヴィシュヌを乗り物とし、章末の果報説(phalaśruti)は聴聞者に浄化・勝利・繁栄を約し、後続のシヴァ派教説—信愛、誓戒の実践、解脱へ導く讃嘆—へと橋渡しする。

184 verses

Adhyaya 73

Adhyaya 73 — त्रिपुरदाहे ब्रह्मस्तवः (Brahmā’s Hymn in the Context of Tripura’s Burning)

スータは語る。マハーデーヴァが一瞬にしてトリプラを焼き尽くした後、ブラフマーはインドラと集まった諸デーヴァに告げる。ターラカークシャ、カマラークシャ、ヴィデュンマーリーらダイティヤが滅んだのは、リンガの御姿(Liṅga-mūrti)としてのシヴァへの帰依を捨て、マーヤーに頼ったためである。ブラフマーは、リンガ供養(Liṅga-pūjā)は永遠の義務であり、世界はリンガに遍満され、万有はそこに安立すると宣言する。さらに、デーヴァ、アスラ、ヤクシャ、シッダ、ピトリ、ムニ、ラークシャサなど諸界の存在がリンガ礼拝(Liṅgārcana)によって成就することを列挙する。続いて修行(サーダナ)として、‘パシュ’の状態とパーシュパタ(Pāśupata)の規律による超克、プラナヴァに基づくプラーナーヤーマによる浄化、タットヴァ浄化(グナ、アハンカーラ、タンマートラ、ブータ、インドリヤ)、および聖灰の保持(バスマ・ダーラナ)を説く。ブラフマーは、常なる念持と礼拝は罪(pāpa)から守り、世俗の享楽と神的位階の双方を授けると結び、のちにシャクラと諸デーヴァは身に灰を塗り、パーシュパタとしてシヴァを礼拝する。

29 verses

Adhyaya 74

Vibhaga 1, Adhyaya 74 — ब्रह्मप्रोक्तलिङ्गार्चनविधिः (Materials, Classes, and Fruits of Linga-Worship)

スータの対話伝承の中で本章は、リンガ礼拝法の特別な要素を明かす。ヴィシュヴァカルマンはブラフマーの命により、諸神の権分に応じて種々の材からリンガを造り授けた――ヴィシュヌにはインドラニーラのリンガ、インドラにはパドマラーガ、ヴァルナには水晶(スファーティカ)、ソーマには真珠(マウクティカ)、ダイティヤらには鉄、マートリには砂、ルドラには灰、ムニにはクシャ草の穂先などである。続いて「六種のリンガ」(石・宝石・金属・木・土・仮設)を分類し、それぞれの功徳果報を説く。リンガの真理の観想として、根にブラフマー、中にヴィシュヌ、上にルドラ、その上にプラナヴァとしてのサダーシヴァを置き、またヴェーディー(台座)を三グナのマハーデーヴィーと調和させる。リンガ建立の大果(諸界への昇進、テージャスの増大)を讃え、最後にサカラ/ニシュカラを区別して、修行者は有相の身を礼拝し、ヨーギーは無相のシヴァを観ずると結ぶ。

30 verses

Adhyaya 75

Adhyaya 75: Nishkala–Sakala Shiva, Twofold Linga, and the Supremacy of Dhyana-Yajna

永遠に無分なるシヴァ(ニシュカラ)が、いかにして有分(サカラ)として現れるのか――このリシたちの問いに答えて、スータは知(ジュニャーナ)に関する諸説が異なりつつも一点に収斂することを語る。ある者はプラナヴァ(オーム)を中心とする実現を真知とし、ある者は誤りなき認識を知とし、またある者は師(グル)の光に照らされた、依り所なきニルヴィカルパの清浄を究極と説く。解脱(モークシャ)はジュニャーナに結び、プラサーダ(恩寵)により円満となり、ヨーガによって安住する。さらに本章はシヴァの宇宙身の対応(虚空を頭、日月火を眼、方位を耳等)を示し、形而上の一味を信愛の観想へ結びつける。修行は段階的に、カルマ・ヤジュニャ<タポ・ヤジュニャ<ジャパ・ヤジュニャ<ディヤーナ・ヤジュニャと説かれ、瞑想の祭がシヴァの近さを顕す。儀礼者のための外の粗大なリンガと、ジュニャーニンに直現する内の微細なリンガを区別し、内証なき外相への執着を戒める。最後に一と多を融通し、見られる一切はシヴァであり差別は現れにすぎないと明かす。讃えられる「三重の身」(ニシュカラ、サカラ=ニシュカラ、サカラ)は、形ある礼拝から観照の不二へ導き、次章の礼拝形態とヤントラ幾何におけるヨーガ的視観の説示へ備える。

39 verses

Adhyaya 76

स्वेच्छाविग्रहसंभव-प्रतिष्ठाफलवर्णनम् (विविधशिवमूर्तिप्रतिष्ठा, लोक-फल, शिवसायुज्य)

スータはプールヴァ・バーガのシヴァ中心の説示を継ぎ、教理から実践的な儀礼哲学へと移して、信愛(bhakti)と規定(vidhi)によりシヴァの自現の諸形を正しく安置(pratiṣṭhā)する功徳(phala)を語る。まずスカンダ=ウマー同伴相(Skanda–Umā-sahita)の安置から、天界のヴィマーナ、諸ローカでの享楽、そして最終の解脱が約束される。続いて、シヴァの身体をタットヴァと元素の母体と観ずる宇宙的瞑想が示され、プラクリティ、ブッディ、アハンカーラ、タンマートラ、インドリヤ、五大(pañca-bhūta)がシヴァのリーラーとして展開する創造が描かれる。章はさらに、ナンディン同伴相、白く裸形でカパーラを持つ相、猛威の護持相、アルダナーリーシュヴァラ、師としてのラクリーシュヴァラ、灰を塗り髑髏を携える相など、諸像の規定を順に説き、特に「oṁ namo nīlakaṇṭhāya」の真言を修行の要とする。結びに、ジャーランダラーンタカとトリプラーンタカという大いなる神話的・儀礼的形相、ならびにブラフマーとヴィシュヌの配置を伴うリンガ中心の宇宙図が語られ、正しい安置がシヴァ・ローカとシヴァ・サーユジュヤへ導くと確言して、後章のシャイヴァ行法と儀礼・図像の教示へとつなげる。

64 verses

Adhyaya 77

Shivamurti–Pratishtha Phala: Shivalaya-Nirmana, Kshetra-Mahatmya, Tirtha-Snana, and Mandala-Vidhi

仙人たちはスータに、リンガの安置(Liṅga-pratiṣṭhā)の功徳(puṇya/phala)と、土から宝玉に至るまでの素材でシヴァの住処(寺院)を建立する果報を説くよう請う。スータは、物質的な規模よりもバクティ(信愛)が勝ると示し、粗末な祠と素朴な礼拝でさえルドラローカへ至る一方、カイラーサ/マンダラ/メールを模した壮麗なプラーサーダはより高い天上の享楽を与え、ついにはジュニャーナ・ヨーガとガナおよびシヴァへの親近へ導くと答える。本章はナーガラ、ドラーヴィダ、ケーサラ等の寺院様式を讃え、損壊した建造物の修復や聖域での奉仕作業に特別の功徳があると説く。続いてシヴァ・クシェートラの条件を定め、そこで死すれば解脱を得る著名な聖地を列挙し、ダールシャナ(拝観)、スパルシャナ(触礼)、プラダクシナー(繞行)、さらに力を増す沐浴・灌頂(snāna/abhisheka)の功徳を段階的に示す。最後に蓮華と六角(ṣaḍ-asra)の曼荼羅供養を説き、プラクリティ、グナ、ブータ、インドリヤ、そして内的原理(アハンカーラ、ブッディ、アートマン)を儀礼幾何に織り込み、顕現・非顕現のシヴァを礼拝することこそ最高の解脱修行であり、次章以降の「一切の願望と目的を成就する」(sarva-kāmārtha-sādhana)儀礼へと自然に連なると結ぶ。

106 verses

Adhyaya 78

उपलेपनादिकथनम् (Vastraputa-jala, Ahimsa, and Conduct in Shiva Worship)

スータは説く。シヴァの聖域において、塗布(ウパレーパナ)、散水(アビュクシャナ)、沐浴/アビシェーカ等の行は、必ず「ヴァストラプータ・ジャラ」すなわち布で濾した水によってのみ行うべきで、さもなくば成就(シッディ)は得られない。濾さぬ水には微細な生類が触れ、無意の害によって罪を招きうるため、神聖な作法は浄水で修すべしと示される。家住の生活でも、掃除・切断・粉砕・水の採取などに害(ヒンサー)の可能性があることを挙げ、「アヒンサーこそ最高のダルマ」と普遍の法を立てる。非害の果報は、ヴェーダ通暁の功徳をも千万倍に超えると讃えられ、慈悲と衆生利益が称揚される。シヴァ礼拝では、シヴァのための花の採取という「花への害」は許容される例外として述べられるが、禁じられた害は避けるべきで、とりわけ出家者やブラフマン論者に厳しく示される。さらにパーシャンディン(ヴェーダ外の行者)との区別に触れ、結びはバクティを重んじ、サットサンガに触れマヘーシュヴァラを礼拝するだけでもルドラ界に至ると説く。本章は清浄な行儀に基づくリンガ崇拝を確立し、後章の信愛規範の展開への序となる。

26 verses

Adhyaya 79

Adhyaya 79 — Bhakti-Mahima and Linga-Archana-Vidhi (Condensed Ritual Sequence)

仙人たちは、寿命短く力も限られた人間が、長きタパスによってさえ諸天が拝し難いマハーデーヴァをいかに礼拝できるのかと問う。スータは、その懸念はもっともだが、シヴァはシュラッダー(敬虔なる信)によって近づかれ、さらには「見られる」のであり、礼拝者の内なる心の状態に応じて果報を授けると答える。本文は、不浄または誤った意図の礼拝が低い結果を招くことを示したのち、建設的な要点として、リンガ礼拝(liṅga-pūjā)の段階的次第を説く—リンガと座の浄化、神の招請、アルギャおよび諸ウパチャーラの供献、聖なる液によるアビシェーカ、白檀と花(とりわけビルヴァ)による荘厳、ドゥーパと多様なナイヴェーディヤの供え、プラダクシナーと反復のナマスカーラ、そしてシヴァの五梵相パンチャブラフマ(イーシャーナ、タットプルシャ/プルシャ、アゴーラ、ヴァーマデーヴァ、サディヨージャータ)への真言中心の礼拝で結ぶ。さらに、見ること・聞くこと・随喜して認めること、あるいはギーの灯明を供えること—特にカールッティカ月—だけでも高きローカを得て、ついにはシヴァ・サーユジュヤ(合一)に至ると説く。本章はバクティの教理から日々繰り返し行える儀礼実践へ橋渡しし、後続のシヴァ中心の教示への備えとなる。

37 verses

Adhyaya 80

शिवार्चनविधिः — देवतानां पाशुपतव्रतप्राप्तिः तथा पशुपाशविमोक्षणम् (अध्याय ८०)

仙人たちはスータに問う――神々はどのようにしてパシュパティ(Pashupati)を拝し、「獣性」(paśutva)を捨て、パシュパーシャ(paśupāśa)の縛りから解放されたのか。スータは答える。昔、神々はブラフマーとハリ(ガルダに乗る)と共にメル山—カイラーサの地へ赴いた。メル山とシヴァの神都を詳述したのち、宝石の城郭、ヴィマーナ、アプサラスの歌舞、ガナの住処、ガネーシャの殿舎、池や井戸に飾られたシヴァ・ダーマへ入る。至上主のヴィマーナの門で、彼らはナンディン(シラーダの子)を見て礼拝し、パシュパーシャ解脱のためマヘーシュヴァラのダルシャナを願う。ナンディンはパーシュパタ誓戒(Pāśupata-vrata)の秘義を説く――この誓戒を修すれば獣性は存せず、十二日/月/年の修行により縛りは断たれる。ナンディンに導かれて神々はシャンブーの御前に至り、マヘーシュヴァラは彼らの獣性を浄め、自らパーシュパタ誓戒を授ける。バヴァはアンバーと共に恩寵を垂れ、神々をパーシュパタとし、十二年ののち彼らは束縛を離れて本来の座へ帰る。本章はシヴァ礼拝・ディークシャー・プラサーダの次第を定め、後続のシャイヴァの誓戒と修法において、誓戒がモークシャへの手段であることを確立する。

60 verses

Adhyaya 81

Pāśupata-vrata Māhātmya: Dvādaśa-Liṅga Mahāvrata, Month-wise Dravya, and Pūjā-krama

仙人たちは、衆生を束縛から解き放つと説かれる古来のパーシュパタ・リンガ誓戒(Pāśupata Liṅga-vrata)の詳細を求める。スータは、サナトクマーラへの先の啓示に根ざすナンディの簡潔な教えを伝え、この誓戒が大いなるヴェーダ祭祀に勝り、世俗の安寧と解脱(mokṣa)の双方に効験があると讃える。続いて実践の供養次第を示す。小さなリンガを整え沐浴させ、蓮華座(理想は宝石を嵌めた黄金)に安置し、ビルヴァ葉・蓮華・諸花をガーヤトリーとともに捧げ、香(gandha)・薫香(dhūpa)・灯明(dīpa)・ニラージャナ(nīrājana)を行う。方位の供物はシヴァの五面真言(Īśāna、Tatpuruṣa/Puruṣa、Aghora、Vāmadeva、Sadyojāta)に配当され、乳粥(pāyasa)やマハーチャル(mahācaru)などのナイヴェーディヤと、正しい随供(upahāra)が続く。月ごとにリンガの材質(vajra、marakata、mauktika、nīla、padmarāga、gomeda、pravāla、vaidūrya、puṣparāga、sūryakānta、sphāṭika)を定め、銀・銅/鉄・石・木・粘土などの代用も許す。戒めと満月/新月(Paurṇimā/Amāvāsyā)の斎戒、年末の施与(go-dāna、vṛṣotsarga)、そして礼拝したリンガの建立または布施によって誓戒は成就する。結びに、シヴァ界(Śivaloka)と所願成就を約し、後続のシャイヴァ讃歌と儀礼・神学の展開へとつなげる。

58 verses

Adhyaya 82

अध्याय ८२ — व्यपोहनस्तवः (पापव्यपोहन-स्तोत्रम्)

ナイミシャーラニヤの伝承において、スータは諸仙に「ヴ்யポーハナ・スタヴァ(罪を除く讃歌)」の相承の権威を示す。すなわち、クマーラがナンディンの口から聞き、ヴィヤーサに語り、スータがそれを再説する。讃歌の冒頭では、シヴァを至上我(パラマートマン)として、五面・五梵(Pañcavaktra–Pañcabrahma)の相、遍満し寂静で智慧を本質とする御姿として観想し、罪滅を祈願する。続いて、女神の多様な名相(ダークシャーヤニー、ウマー、ガウリー、カウシキー等)と、シヴァの眷属(ナンディー、ブリンギー、スカンダ、ヴィーラバドラ、マートリガナ)を含む広大な「シヴァ भक्तのマンダラ」を宣言する。さらに、アーディティヤ、風のタットヴァ、シッダ、ヤクシャ、ナーガ、ヴィディヤーダラ、リシ、祖霊(ピトリ)、アプサラス、惑星・星座・宿(graha–rāśi–nakṣatra)、ブータやプラマタ等、あらゆる存在がシヴァ礼拝に専心すると説き、シヴァへのバクティを世界・原理・神々を包む護身の鎧(カヴァチャ)として確立する。結びには、毎月の読誦/聴聞の規定と功徳が示され、所願成就、病と恐れの消滅、非時の死の回避、そして大罪人さえ清浄となることが説かれ、後段のシヴァ礼拝実践の基盤となる。

120 verses

Adhyaya 83

व्यपोहनस्तवनिरूपण-प्रसङ्गे नक्तभोजन-शिवव्रतविधिः (वार्षिक-प्रतिमास-क्रमः)

功徳あるヴャポーハナ・スタヴァ(Vyapohana-stava)を聞いたリシたちが、リンガ施与(liṅga-dāna)に結びつくヴラタを求めたのに応えて、スータは、ナンディンに帰せられヴャーサを通じて伝えられたシヴァ・ヴラタ(Śiva-vrata)の教えを実践的に説き起こす。中核はナクタボージャナ(naktabhojana)—常に夜のみ食する行—であり、月の両半(明・暗)のアシュタミー(aṣṭamī)とチャトゥルダシー(caturdaśī)に礼拝し、年の終わりにブラーフマナ(brāhmaṇa)へ施食して成就する。本文は生活様式(bhikṣā・ayācita・naktam)を序列化し、夜食を「ウッタマ(uttama)」として讃え、地に臥す(bhū-śayyā)、火の作法(agni-kārya)、沐浴(snāna)、ハヴィス(havis)型の清浄食などの苦行を補助として挙げる。さらにプシュヤ(Puṣya)からマールガシールシャ(Mārgśīrṣa)までの月次ヴラタ循環を示し、アンナ料理・ギー(ghṛta)・乳(kṣīra)などの供物、満月(pūrṇimā)のアビシェーカ(abhiṣeka)、そして布施(dāna)—とりわけ色の異なる牛の一対(go-mithuna)—を定め、それぞれをアグニ、ヤマ、チャンドラ、ニルリティ、ヴァルナ、ヴァーユ、ヤクシャ、イーシャーナ、スーリヤ、ソーマ等のローカ果(loka-phala)に結びつける。章末では倫理的誓戒を総括し、この年次の次第を順行または逆行で修すれば、シヴァ・サーユジュヤ(Śiva-sāyujya)とジュニャーナ・ヨーガ(jñāna-yoga)に至ると確言して、後続のヴラタ/プージャー詳説へとつなげる。

55 verses

Adhyaya 84

Adhyaya 84: शिवव्रतकथनम् (Uma–Maheshvara Vrata, Shula-dana, and Month-wise Ekabhakta Vrata)

スータは賢者たちに向かい、万有の安寧のためにイーシュヴァラが説いたヴラタ(誓戒)を告げる。本章はまず、プールニマー(満月)、アマーヴァーシャー(新月)、アシュタミー、チャトゥルダシーにおける要の行法—夜食または断食、ハヴィシュヤの摂取、そしてバヴァ(Bhava)への礼拝—を示す。年の終わりには、資力に応じて金・銀・銅で荘厳なウマー=マヘーシュヴァラ像を作り安置し、ブラーフマナを供養してダクシナーを施し、ルドララヤにて王者の礼(チャトラ、チャーマラ)をもって誓願を奉献する。女性にはブラフマチャリヤと節度ある斎戒が説かれ、バヴァーニー/シヴァとのサールーピヤ(同形)とサーユジュヤ(合一)の果が約束される。男性もまたルドラ・サーユジュヤを得る。さらに重要な段として、シュラ・ダーナ—トリシューラ(三叉戟)の調製と奉納、蓮華供養、ブラーフマナへの布施—が強力な贖罪として説かれる。最後に、マールガシールシャからカールティカまで月ごとの次第が示され、牡牛、シュラ、車、諸像、カイラーサ模型、ブラフマーとヴィシュヌの標識を備えたリンガ・ムールティ、家の施与、穀物や胡麻の「山」などの象徴供物を重ね、精緻な像法配置を伴う大マハーメール・ヴラタに至り、シヴァの解脱の誓いを再確認して結ぶ。

72 verses

Adhyaya 85

उमामहेश्वरव्रतं—पञ्चाक्षरमन्त्रस्य माहात्म्यं, न्यासः, जपविधिः, सदाचारः, विनियोगः

スータは、あらゆるヴラタの中で、五字真言(パンチャークシャラ)「ナマハ・シヴァーヤ」によってウマーの主ウマーパティ(ウマー=マヘーシュヴァラ)を礼拝することが最勝であり、ジャパ(持誦)がヴラタ成就の確実な手段であると宣言する。仙人たちが真言の威力と方法を問うと、スータはシヴァがパールヴァティーに説いた教えを語る。すなわち、プララヤにおいて万物は融解するが、ヴェーダとシャーストラは五字真言の内に守られて存続する。シヴァは「能指—所指」の理を明かし、この真言を「少字にして大義」、ヴェーダの精髄、解脱(モークシャ)を授けるものとして讃える。続いて、リシ・チャンダス・デーヴァター・ビージャ/シャクティなどの真言支分、各音節の声調・字母・発声部位の対応、さらに生—住—滅(ウットパッティ—スティティ—サンハーラ)に基づく手・身・支分の精緻なニャーサ、方位結界(ディグバンダナ)と六支ニャーサが示される。また、師への近づき方、ダクシナー、ディークシャの作法、プーラシュチャラナの回数、プラーナーヤーマ、持誦の場所と功徳の増倍、マーラー、そして声誦・微声誦・意誦(ヴァーチカ/ウパーンシュ/マーナサ)の三様式が規定される。最後に、正しい行い(サダーチャーラ)、食と清浄の規則、師への帰依、健康・長寿・シャーンティ・惑星障害(グラハ・ピーḍā)除去など目的別のヴィニヨーガを強調し、この法を聞き伝えることが最高境地へ導くと結ぶ。

231 verses

Adhyaya 86

ध्यानयज्ञः, संसार-विष-निरूपणम्, पाशुपतयोगः, परा-अपरा विद्या, चतुर्वस्था-विचारः (अध्यायः ८६)

聖仙(Ṛṣi)たちの求めに応じて、スータはシヴァの教えを伝える。真の「毒」とは無明・欲望・業による受生に支えられた輪廻(saṃsāra)である。本章は苦(duḥkha)の普遍性を、胎内の生、人の諸段階、動物の境涯、政治的抗争、天界(deva-loka)の競争、さらには天福(svarga)の無常にまで見て、離欲(vairāgya)を確立する。続いて解脱への道として、五義智(pañcārtha-jñāna)に支えられたパーシュパタの誓戒(Pāśupata-vrata)とヨーガを説き、智(jñāna)こそが罪を焼き、業を断つと示す。さらに勝義/世俗の学(parā/aparā vidyā)を掲げ、心蓮、脈(nāḍī)と気(prāṇa)、四状態(覚醒 jāgrat・夢 svapna・熟睡 suṣupti・第四 turīya)を内観し、シヴァを第四を超える者(turīyātīta)・内なる統御者(antar-yāmin)として結ぶ。瞑想は、不殺(ahiṃsā)・真実(satya)・梵行(brahmacarya)・不貪(aparigraha)の戒と、諸大要素と神格の観想(bhūta-tattva をシヴァの諸相に配当)とともに詳述される。結語は、智と禅定(jñāna-dhyāna)こそ輪廻の唯一の薬であり、この教えを学び聞く者に梵との合一(brahma-sāyujya)を約して、後続のシヴァ派実践と五字真言(Pañcākṣara)に基づく観想へと導く。

157 verses

Adhyaya 87

Adhyaya 87 — Saṃsāra-viṣa-kathana: Ājñā-śakti, Māyā-bandha, and Mokṣa by Prasāda

スータは語る。先の教えを聞いた仙人たちは、畏れを抱きつつも篤い帰依をもって、ピナーキンなるシヴァに礼拝した。マハーデーヴァがヒマヴァティーといかに「戯れる」のかと問われると、シヴァは微妙なる教説を示す。すなわち、身を受けたジーヴァにとっては、束縛と解脱はマーヤーとカルマのもとで経験されるが、真実の自己は本来いかなる束縛も受けない。知の原理—ヴィディヤー、シュルティ・スムリティ、そして不動の力—は自らに根ざすと明かし、さらに「アージュニャー」を、永遠にして五面(パンチャヴァクトラー)を具え、万有に多様に遍満し、モークシャへ向かう動きを開く神聖なシャクティとして説く。ついでバヴァーニーがマーヤーを取り除き、見者たちを解放する姿が示され、ウマーとシャンカラは究極の実在において不二であると確証される。解脱は主の恩寵(プラサーダ)により即時に得られ、年齢や生類を問わず一切の存在に開かれている。なぜなら、束縛と解放の双方を成就する宇宙の主はただシヴァのみだからである。章末ではシッダたちがルドラを多相の宇宙として讃え、アンビカーの恩寵によってサーユジュヤを得て、シヴァ派の救済論と信愛のさらなる展開へと導かれる。

25 verses

Adhyaya 88

मुनिमोहशमनम् (Pāśupata-yoga, Siddhis, Puruṣa-darśana, Saṃsāra, and Prāṇa-Rudra Pañcāhutī)

仙人たちはスータに、ヨーギーがアニマー等の力をいかに得るかを問う。スータは稀有なる五種のパーシュパタ・ヨーガを説く—心の安定、蓮華座の観想、そしてシャクティ/ルドラの諸配置とともにウマーパティを観ずる瞑想—これにより無上の知が開かれる。さらに八つのシッディを列挙し、それらは無数の祭式のみからではなく、ヨーガによって生起すると明かす。続いて章は力から最高目的—アパヴァルガとシヴァ・サーユジュヤ—へ移り、プルシャを微細にして遍満し、感官の属性を超え、ヨーガの洞察によって悟られるものとして述べる。長い倫理・業報の段では、受胎、胎内の成長、出生、諸地獄、段階的な再生を説き、輪廻の恐れへの対治としてディヤーナを勧める。教えは内なる供養に結実し、プラーナ・アパーナ・ヴャーナ・ウダーナ・サマーナへの五つのアーフティを捧げ、ルドラをプラーナおよび心中の火(ヴァイシュヴァーナラ)と同一視する。結びの偈は、灰を帯びるシヴァ派の行と読誦・聴聞を至上の境地への道として讃え、このヨーガの教示を後続のシヴァ派サーダナの主題へと橋渡しする。

93 verses

Adhyaya 89

Adhyaya 89: शौचाचारलक्षणम् — सदाचार, भैक्ष्यचर्या, प्रायश्चित्त, द्रव्यशुद्धि, आशौच-निर्णय

スータはプラーナの教えを続け、śauca(清浄)とsadācāra(正しい行い)を、ヨーガおよびシヴァ派の生の根本として定義する。本章は、名誉と恥辱に対する平等心、yama-niyama、真実と心の清らかさといった内的規律から始まり、比丘行(bhikṣā-caryā:托鉢)や、成就(siddhi)と安定を支える推奨の食へと進む。次に師への礼拝(guru-vandanā)と師の近くでの禁戒を定め、deva-droha・guru-drohaなどの過失に対して、特にpraṇavaのjapaを中心とする段階的な贖罪(prāyaścitta)を説く。続いてdravya-śuddhiの詳説として、水・布・金属・器・家庭/儀礼の諸具の浄化法、さらに飲食・睡眠・唾吐き・不浄との接触後の再浄化規則を示す。後半ではaśauca(sūtaka/preta)の不浄期間を親族関係とvarṇaにより規定し、月経に関する行動規範・忌避・浄化、ならびに日数による受胎観を広く述べる。結びに、sadācāraを聞き教える功徳がブラフマローカへ導くと讃え、シヴァ的清浄を断続的儀礼ではなく継続するダルマ・ヨーガの道として位置づける。

122 verses

Adhyaya 90

यतिप्रायश्चित्तविधानम् (Ascetic Atonements and Discipline)

スータは、シヴァがヤティ(遁世者)のために宣説した贖罪法(prāyaścitta)を導入し、罪(pāpa)は言葉・心・身体から生じる三種で、世俗の生を絶えず絡め取ると説く。本章は、目覚めた求道者にとってヨーガこそ至上の力であり、賢者はそれによって無明(avidyā)を克服し最高位に至ると讃える。続いて比丘(bhikṣu)の具体的な戒規として、誓戒(vrata)と随誓(upavrata)、および各違犯に応じた段階的な償いが示される。欲に駆られた性的接近には、調息(prāṇāyāma)を伴うサーンタパナ(sāntapana)の後にクリッチュラ(kṛcchra)を課し、反復の浄化と規律あるアーシュラマ生活への復帰を強調する。虚言を戒め、盗みは財が生命の息と結びつくゆえ暴力に等しい重いアダルマとして断罪される。重大な堕落には長期のチャンドラーイヤナ(cāndrāyaṇa)が処方される。身・口・意における不殺生(ahiṃsā)が中心で、微小な生類を過失で害した場合はクリッチュラーティクリッチュラ(kṛcchrātikṛcchra)またはチャンドラーイヤナを行う。夜と昼の遺精には別々の調息と断食の規定があり、禁食も列挙され、破ればプラージャーパティヤ・クリッチュラ(prājāpatya-kṛcchra)が勧められる。結びに、浄められたヤティは土塊と黄金を等しく見て一切衆生の利益に没入し、再生を超えた永遠の住処に至ると述べ、より高い悟りの基盤としてのシヴァ派の規律へ物語をつなぐ。

24 verses

Adhyaya 91

अध्याय 91: अरिष्ट-लक्षण, मृत्यु-संस्कार, पाशुपत-धारणा तथा ओङ्कार-उपासना

スータは、今「アリシュタ」(ariṣṭa)—ヨーギーが死の近さを見分けるための特別な徴—を説くと言う。まず天象・視覚の凶兆(アルンダティーとドゥルヴァが見えない、昼に星が見える、雲なき稲妻)、影の異変、身体の臭い、諸根の衰え、急な肥痩、さらに夢の徴(南へ連れ去られる、不吉な女の姿、穴へ落ちる、武器を持つ黒い男)によって寿命の減退する期間が示される。次に教えは「方途」へ移り、時が来たなら賢者は悲嘆を捨てて清め、静かで平らな独坐の地に坐し、マヘーシュヴァラに礼拝し、無風の灯火のように堅固に感官を制し、清浄なる白の瞑想(śukla-dhyāna)を修すべきだと説く。続いてオーンカーラ・ヨーガが説示され、三つのマートラーA・U・M、引き伸ばしのマートラー(pluta)、そして無マートラーとしての「シヴァの位」(Śiva-pada)が本義として明かされる。プラナヴァは弓、アートマンは矢、的はブラフマン/シヴァの位である。章末はシャイヴァの観想へ導き、臨終にプラナヴァを念じ、ルドラに礼し、アヴィムクタやシュリーパルヴァタ等の聖地に結ぶ解脱の道によって、シヴァとの合一(śiva-sāyujya)が約束される。

76 verses

Adhyaya 92

अविमुक्तक्षेत्रमाहात्म्य — काशी-वाराणसी में मोक्ष, लिङ्ग-तीर्थ-मानचित्र, और उपासना-विधि

仙人たちはスータに、聖地アヴィムクタ(カーシー=ヴァーラーナシー)の偉大さを説くよう求める。スータは、シヴァがパールヴァティーとともに来臨し、アヴィムクテーシュヴァラが顕現したことを語り、続いて神苑と清浄なる霊気を詩的に詳述する。シヴァはパールヴァティーにクシェートラの秘義を授け、アヴィムクタは自らの永遠の都であり、他の大ティールタに勝るのは、ここでは境内で命終する者が、世俗的であれダルマを怠る者であれ、必ずモークシャを得るからだと説く。さらに巡礼の目録として、主要なリンガとティールタ(Goprekshaka、Hiranyagarbha、Swarlineshvara、Sangameshvara、Madhyameshvara、Shukreshvara、Vyaghreshvara、Jambukeshvara、Shaileshvara)とその救済の功徳が列挙される。シヴァはまた、アビシェーカ(「マハースナーナ」を含む)、ビルヴァ葉と花の供養、ナイヴェーディヤ、ジャーガラナ、プラダクシナ、そしてルドラ・ビージャとパンチャークシャラのジャパを定め、シヴァとの合一(Shiva-sayujya)を約束する。章末ではパールヴァティーが礼拝し、スータがファラ・シュルティを述べ、クシェートラ中心のシャイヴァ実践と功徳へと教えをつないでいく。

190 verses

Adhyaya 93

अन्धकानुग्रहः—शूलारोपणं, रुद्रस्मरण-फलम्, तथा गाणपत्य-प्रदानम् (अध्याय 93)

仙人たちは、マンダラ山の美しい洞窟で制伏されたアンダカが、いかにしてマヘーシュヴァラより「ガーナパティヤ(ガナの主の位)」を得たのかを問う。スータはその来歴を語る。ブラフマーの恩寵によりほとんど不死となったアンダカは三界を征し、インドラを恐れさせた。ナーラーヤナに導かれた神々はマンダラに避難し、シヴァに救いを請う。シヴァはガナたちとともに進み、アスラの群を灰とし、シュूल(トリシューラ)でアンダカを貫く。槍先に掲げられたとき、アンダカの内にサットヴァの心が目覚め、ルドラを憶念する功徳を悟ってシヴァを讃嘆する。慈悲深きニーラローヒタは望む恩寵を問うと、アンダカは「得難いシュラッダー(信)」を願う。シヴァは信と「ガーナパティヤ」の位を授け、神々はその叙任の証人となる。この章は、征伐以上にシヴァの恩寵が帰依者を変容させることを示し、後の讃仰伝統におけるバクティの道を確証する。

26 verses

Adhyaya 94

अन्धक-हिरण्याक्ष-प्रसङ्गः, वराहावतारः, दंष्ट्राभूषणं च

仙人たちは三つの連関する点を問う。すなわち、ヒラニヤークシャがアンダカの父であること、彼がヴィシュヌの手で滅ぼされたこと、そしてヴァラーハの牙がいかにしてマハーデーヴァ(シヴァ)の胸の装身具となったのかである。スータは語る。ヒラニヤークシャはヒラニヤカシプの兄弟としてデーヴァを征服し、大地女神ブー・デーヴィーを縛してラサータラへ引きずり下ろした。苦しむ神々がヴィシュヌに帰依して請うと、ヴィシュヌはヤジュニャ=ヴァラーハとして顕現し(リンゴードバヴァに通じる神顕の型を示し)、牙の先でダイティヤを討ち、ブー・デーヴィーを持ち上げて宇宙の秩序を回復する。ブラフマーと神々は長い讃歌(ストゥティ)を捧げ、ヴァラーハを世界の支え・守護者として讃える。ヴィシュヌが去った後、大地は牙の重みに押されてそれを残し、シヴァ(バヴァ)が偶然見つけて取り、胸にブーシャナとして佩く。章末は、この「アṅガ=ヴィバーガ」と神聖な装飾が単なる神話の細部ではなく、至上主の解脱をもたらすリーラーであることを示し、次章のシヴァの徴と象徴がヴィプラの解脱とバクティに重要であるという論へ導く。

32 verses

Adhyaya 95

Varaha-Pradurbhava Context: Prahlada’s Bhakti, Narasimha’s Ugra-Form, and Shiva’s Sharabha Intervention

リシたちはスータにヒラニヤカシプの死について尋ねます。スータはプラフラーダのヴィシュヌへの献身を語り、それが悪魔を激怒させました。ヴィシュヌはナラシンハとして現れヒラニヤカシプを殺しますが、その激怒は宇宙を揺るがしました。ブラフマーと神々はシヴァに助けを求めました。シヴァはシャラバの姿をとってナラシンハを鎮め、秩序を回復しました。これを唱えることはルドラローカへと導きます。

63 verses

Adhyaya 96

अध्याय ९६: शरभ-प्रादुर्भावः, नृसिंह-दर्पशमनम्, विष्णोः शिवस्तुतिः, फलश्रुति

聖仙たちはスータに問う――マハーデーヴァはなぜ「シャラバ(Śarabha)」という極めて恐ろしい異形を取られたのか。スータは語る。諸天の祈請により、シヴァはナラシンハの燃え盛る威光を鎮めるためヴィーラバドラを遣わし、さらにバイラヴァの相をも顕す。ヴィーラバドラは化身(アヴァターラ)の系譜を想起させてナラシンハを慰撫するが、ナラシンハは我慢(アハンカーラ)ゆえに滅尽の誓いを立てる。そこでシヴァのテージャスがシャラバとして現れ、翼の一撃などによりナラシンハの力を砕く。ヴィシュヌは従属し、シヴァを百八名の趣で讃嘆し、「無知が我慢に汚されるとき鎮め給え」と祈願する。諸天もまたサダーシヴァを至上の実在として讃える。結びに、読誦・聴聞の大果――障難の滅、病の鎮静、安寧、シヴァ智の光明――が説かれ、後続のシヴァ崇拝と秘義への基盤が整えられる。

128 verses

Adhyaya 97

शरभप्रादुर्भावो नाम षण्णवतितमोऽध्यायः (जलन्धरविमर्दनम्)

ナイミシャーラニヤにて仙人たちはスータに問う。「結髪の頂(ジャターマウリ)を戴き、バガの眼を奪ったハラは、いかにしてジャランダラを討ったのか」。スータは語る。水の輪より生じたジャランダラは苦行(タパス)の力で大威力を得て、神々・ガンダルヴァ・ヤクシャ・ラークシャサ、さらにはブラフマーをも征し、ついにヴィシュヌと戦った。長き戦いの末にヴィシュヌさえ退け、シャンカラを「不敗の者」と呼んで挑戦する。シヴァはブラフマーの言葉を守り、世界を護るため、ナンディとガナたちと共に戦いを受ける。ジャランダラは傲慢にも、インドラの制圧、ガンガーの遮断、ガルダの拘束、女人の略奪などを誇示する。シヴァは眼の火でその戦車を焼き、さらに大海より足の親指で輪(チャクラ)を作ってダイティヤを呼び出す。ジャランダラがスダルシャナに似たそのチャクラを掴もうとした瞬間、同じチャクラにより二つに断たれて倒れる。流れた血はルドラの命により肉のように変じ、「ラクタクンダ」のごとく見えた。神々は勝利を讃える。果報として、この「ジャランダラ・ヴィマルダナ」を読誦し、聞き、また聞かせる者は、シヴァのガナに関わる成就と恩寵を得ると説かれ、悪魔の力の限界と、決定的なのはシヴァの恩寵であることが確立される。

43 verses

Adhyaya 98

देवैर्विष्णोः शरणागमनम्—शिवलिङ्गस्थापनं, शिवसहस्रनामस्तवः, सुदर्शनचक्रप्रदानं च

仙人たちはスータに、ヴィシュヌがいかにしてマヘーシュヴァラ(シヴァ)よりスダルシャナ・チャクラを得たのかを問う。スータは、ダイティヤが衆生を蹂躙し、敗れたデーヴァたちが唯一の守護者としてヴィシュヌに帰依して讃嘆した危機を語る。ヴィシュヌは、ジャランダラ討滅にはトリプラーリ(シヴァ)が鍛えた恐るべきラターンガが必要であるとして、マハーデーヴァに近づく決意をする。聖なるヒマラヤの峰で、ヴィシュヌはヴィシュヴァカルマン作の壮麗なシヴァ・リンガを建立し、香と供物でアビシェーカを行い、バヴァーディヤの名によってアグニホートラを修し、長大なシヴァ・サハスラナーマを誦する。シヴァは蓮華を一輪隠して試みるが、完全供養の誓いを破らぬため、ヴィシュヌは欠けた花の代わりに自らの眼を抜き、「パドマーークシャ(蓮眼)」の名を得る。やがてシヴァは炎のごとき畏怖の相で顕現し、神意を鎮め、太陽のように輝くスダルシャナ・チャクラを授け、戦場における不安(aśānti)と不適切な赦し(kṣamā)がダルマを損なうと教える。さらに恩寵を与え、神々とアスラの間でのヴィシュヌの栄誉、そしてウマー/ハイマヴァティーによる関係の和合を予告する。章末の果報説(phalaśruti)は、この千名讃を聞き誦し礼拝すれば大祭(yajña)に等しい功徳を得て最高の帰趣(paramā gati)に至ると説き、次章のジャランダラ討伐へとつなげる。

195 verses

Adhyaya 99

विष्णुचक्रलाभो नाम (अर्धनारीश्वर-तत्त्वं, सती-पार्वती-सम्भवः, दक्षयज्ञविनाशः)

仙人たちはスータに、女神の起源と揺るがぬ貞節を語るよう求める。すなわち、いかにして彼女がサティとなり、ダクシャのヤジュニャ(祭祀)がいかに破滅し、そして彼女がシャンブー(シヴァ)に与えられたかである。スータは伝承の系譜(ブラフマー→ダンディン→ヴィヤーサ→スータ)を示し、宇宙論の前提を述べる。リンガはバガヴァーンであり、タマスを超える光明ジュヨーティスとして安立し、ヴェーディ(祭壇)と結ぶとアルダナーリーシュヴァラ—シヴァとシャクティが一つの実在として顕現する。この合一からブラフマーが生じ、ルドラが彼にジュニャーナ(智)を授け、創造がシヴァの主権的意識のもとに進むことを示す。続いて倫理・神学的危機として、ダクシャの驕慢とウマー・パティへの侮蔑、サティのヨーガによる自己火葬、タパス(苦行)によるパールヴァティとしての再生、そしてシヴァの憤怒がダクシャ祭祀の急激な破壊へ至るさまが語られる。本章は形而上の起源(リンガ/アルダナーリーシュヴァラ)から空虚な祭祀批判へと移り、神への不敬の帰結、秩序の回復、そして儀礼のみよりもバクティとジュニャーナの至上性を説く次章への準備となる。

20 verses

Adhyaya 100

दक्षयज्ञध्वंसः—वीरभद्रप्रेषणं, देवविष्ण्वोः पराजयः, पुनरनुग्रहः

聖仙たちはスータに問う――ダディーチャの言(前段の示唆)によれば、マヘーシュヴァラがヴィシュヌと共に「勝利」した後、いかにしてヤジュニャに関わり行為したのか。スータはダクシャの祭祀の顛末を語る。ルドラは神々とムニの群を焼き尽くし、ついでパラメーシュティン(梵天)の意によりヴィーラバドラが遣わされる。ヴィーラバドラはローマジャガナらを率いてカナカラの祭場に入り、ユーパなどを破壊し、神々の肢体を損なう(バガの眼を抉り、プーシャンの歯を折る等)とともに、インドラ・アグニ・ヤマらを打ち破る。さらにヴィシュヌとの凄絶な戦が起こり、ヴィシュヌのヨーガ力より現れた多くの天身も鎮められ、チャクラも止められる。ヤジュニャは鹿の姿で逃れ、ダクシャは斬首され火中で焼かれる。のち梵天が怒りの鎮静を祈願すると、シヴァは牛旗を掲げガナを伴い虚空に顕現し、倒れた神々に旧来の身体を与え、ダクシャの首を戻して恩寵を授ける。ダクシャは讃嘆してガナの位を得る。本章は、祭祀法の浄化、神々の再建、そしてシヴァの恩寵を中心とするシャイヴァの道へと橋を架ける。

51 verses

Adhyaya 101

अध्याय १०१: हैमवती-तपः, तारकवंश-उत्पातः, स्कन्द-प्रत्याशा, मदनदहनम्

仙人たちはサティー女神の再生を問う。いかにして彼女は雪山王ヒマヴァットの娘ハイマヴァティー(ウマー/パールヴァティー)となり、いかにしてシヴァを夫として得たのか。スータは語る。女神は自らの意志でメーナーの身に宿りハイマヴァティーとして誕生し、山王は諸サンスカーラ(通過儀礼)を行った。十二歳にして女神は妹たちとともに苦行(タパス)を始め、アパルナー、エーカパルナー、エーカパータラー等の名と姿は誓戒の多様な形を示し、一途なバクティによりシヴァの恩寵が得やすいことを明かす。時にアスラのターラカはタパスとブラフマーの恩寵で力を得てヴィシュヌさえ打ち負かし、神々は恐れてブリハスパティに嘆願する。ブラフマーは、ウマーとシヴァの合一からスカンダが生まれ、彼がターラカを討つと告げる。神々の事業成就のためインドラはカーマ神に合一を促させるが、マダナはラティーと春(ヴァサンタ)を伴いシヴァの庵に赴くも、三眼の主は第三の眼の火で彼を焼き尽くす。ラティーの悲嘆を見たシヴァは慈悲を垂れ、カーマは無形として存し、後にヴィシュヌ(ヴァースデーヴァ)に関わる呪いの因縁の中で子として再び生を得ると授記する。本章はパールヴァティーの苦行、スカンダ出現、ターラカ討伐へ続く流れの序を立て、カーマ焼却を通してシヴァの離欲と自在の威徳を示す。

46 verses

Adhyaya 102

मदनदाहः — पार्वतीतपः, स्वयंवरलीला, देवस्तम्भनं, दिव्यचक्षुर्दानम्

スータは、パールヴァティーのタパス(苦行)がシヴァを歓喜させたと語る。ブラフマーは彼女の庵に赴き、世界を灼くほどの苦行をやめるよう勧め、シヴァ自らが彼女を選ぶと断言する。やがてシヴァはドヴィジャの姿に身を隠して現れ、パールヴァティーを慰め、スヴァヤンヴァラには柔和な姿で臨むと約束する。ヒマーラヤがスヴァヤンヴァラを宣言すると、神々、リシ、ガンダルヴァ、ヤクシャ、ナーガ、そして宇宙の諸原理が集う。飾り立てて座すパールヴァティーの膝に、シヴァは幼子となって横たわり、神々は疑って攻撃する。インドラ、アグニ、ヤマ、ヴァルナ、ヴァーユ、ソーマ、クベーラ、イーシャーナ、ルドラ群、アーディティヤ群、ヴァス群、さらにはチャクラを持つヴィシュヌまでもが、シヴァの戯れ一つで「スタンビタ」(硬直)させられ、プーシャンは一瞥で歯を失う。ブラフマーは真相を悟り、シヴァをブッディ/アハンカーラの根源、ブラフマー=ヴィシュヌとプラクリティ/デーヴィーの起源として讃え、迷妄の神々への慈悲を請う。シヴァは彼らを解放し、驚異の神姿を顕し、拝観できるようディヴィヤ・チャクシュス(霊視)を授け、花・太鼓・讃歌・パールヴァティーの花輪によって礼拝を受け、聖なる合一へと物語を進めつつ、あらゆる宇宙秩序に勝るシヴァの至上性を改めて示す。

62 verses

Adhyaya 103

उमास्वयंवरः / भवोद्वाहः, गणसमागमः, अविमुक्तक्षेत्रमाहात्म्यम्, तथा विनायक-उत्पत्तिसूचना

スータは語る。ブラフマーは合掌してマハーデーヴァに婚礼(ウドヴァーハ)開始を請い、シヴァはこれを許す。ブラフマーはただちに宝玉に飾られた神都を儀礼の場として造り出す。そこへ、神々の母たちと妃たち、ナーガ、ガルダ、ヤクシャ、ガンダルヴァ、キンナラ、海・山・雲、月と年、ヴェーダ、マントラ、ヤジュニャ、そして無数のアプサラスが大行列となって集い、この結婚が私的儀式ではなく宇宙的慶事であることを示す。数え切れぬガネーシュヴァラと名あるガナが集結し、ジャター、三日月、三眼、青い喉(ニーラカンタ)などシャイヴァの相を帯びて描かれる。ヴィシュヌは装いを整えたギリジャーを都へ導き、ルドラの両脇からブラフマーとヴィシュヌが生じ、世界はルドラの諸相によって成り立つと神学的系譜を述べてシヴァに告げる。ブラフマーが司祭としてアグニを立て、ヴェーダの真言を唱え、周行と供物を成就して、神なる夫婦を儀礼により結び合わせる。のち、シヴァはガナとナンディンを伴い、神聖なるヴァーラーナシー(アヴィムクタ)へ向かう。パールヴァティーがその功徳を問うと、シヴァはアヴィムクタの解脱力を説き、罪は除かれ、死者は不還の境地に至ると言う。さらに、魔を妨げ神々の目的を無碍に成就させるため、象面のヴィナーヤカ—ガネーシャ(ガジャヴァクトラ・ヴィナーヤカ)が顕現する聖園をほのめかし、カーシー讃徳とヴィナーヤカのダルマにおける役割へと話をつなぐ。

81 verses

Adhyaya 104

Vighneshvara-Prashna and Deva-Krita Shiva-Stava (Adhyaya 104)

リシたちはスータに、象面のガネーシュヴァラ(ヴィナー ヤカ)がいかに誕生し、なぜ障碍に対する力がかくも大いなるのかを問う。スータは、インドラとウペーンドラらのデーヴァが、ダイティヤに率いられた攪乱を鎮めてダルマを確立しようとする宇宙的転機を語り起こす。ここで「ヴィグナ(障碍)」は単なる不運ではなく、カルマの果報を調整する原理として示され、デーヴァがアヴィグナ(無障碍)であり、人々がプトラ(子)とカルマ・シッディ(事業成就)を得るためには、シヴァを讃え、ガナパ/ヴィグネーシャを顕現させるべきだと説かれる。続いてデーヴァは、シヴァをカーラ、カーラーグニ・ルドラ、オームカーラ、ヴェーダ、パンチャークシャラ、そしてグナを超越する者と同定する広大な讃歌を捧げ、マントラの存在論と信愛の讃嘆を結び合わせる。章末のファラシュルティは、この神々の讃歌をバクティをもって誦し教える者が最高の境地に至ると告げ、次章でヴィグネーシュヴァラの出現と役割が詳述されることを予告する。

29 verses

Adhyaya 105

Devas Praise Śiva; Gaṇeśa Manifests as Vighneśvara and Receives the Primacy of Worship

スータは語る。諸天はシヴァ(ピナーカを執る者ピナーカドリク、マヘーシュヴァラ)に近づき礼拝し、その慈悲のまなざしと加護を受けた。自らの事業を守るため、諸天を害し聖なる行為を乱す者どもが妨げられるよう恩寵を願う。するとシヴァはガネーシュヴァラ/ヴィナーヤカの姿となり、諸天とガナの群れは花を降らせ、武具と吉祥相を備えた象面の主を讃える讃歌を捧げる。光り輝く幼子の姿のガネーシャが現れ、シヴァとアンビカーにより尊崇される。シヴァは彼に宇宙的役割を授ける――不義(アダルマ)の行い、ことに欠陥あるヤジュニャ、不適切な教えと学び、ダルマから堕した者を阻み、あらゆる年齢の帰依者を守護せよ、と。章はガネーシャのヴィグナ(障碍)への普遍的支配と礼拝の第一位を確立し、彼を礼拝せずしてはシュラウタ・スマールタおよび世俗の行為は成就せず、先に礼拝すれば成功と名誉が伴うと宣言する。これにより、リンガ礼拝が実を結ぶための正しい前行としてのシャイヴァ儀礼の筋道が示される。

30 verses

Adhyaya 106

विनायकोत्पत्तिः / ताण्डव-प्रसङ्गः (दारुक-वधः, काली-उत्पत्तिः, क्षेत्रपालोत्पत्तिः)

仙人たちは、シャンブ(シヴァ)が舞を起こした理由を問い、またスカンダの兄に関わる因縁譚を聞きたいと願う。スータは、苦行によって武威を得た阿修羅ダールカが、神々とバラモンを苦しめたことを語る。ブラフマーらはウマーパティに帰依し、ダールカ討伐を請う。シヴァがギリジャーに祈ると、女神は主の御身に入り、猛きシャクティとして顕れる。シヴァは第三の眼よりカーリー(カーラカンティー)を生み、カーリーはダールカを斃すが、怒火は世界を騒がせる。そこでシヴァは墓所(シュマシャーナ)に泣く幼子として現れ、女神が乳を与えてその憤怒を鎮める。幼子は聖域の守護者クシェートラパーラとなり、八相(アシュタムールティ)も示される。終わりに、黄昏(サンディヤー)の時、マハーデーヴァはプレータの群れとともにタाण्डヴァを舞い、女神は「舞の甘露」を味わって歓喜する。神々はカーリーとパールヴァティーに礼拝し、この物語は後のヴィナーヤカの教義と護法神の系譜を説く端緒となる。

28 verses

Adhyaya 107

Upamanyu’s Tapas, Shiva’s Indra-Form Test, and the Bestowal of Kshiroda and Gaṇapatya

仙人たちはスータに、ウパマニュがいかにしてガṇパティヤの成就と乳海の恩寵を得たのかを問う。スータは語る。幼いウパマニュは乳を切望し、母は、繁栄は過去のマハーデーヴァ礼拝と今まさに注がれる御慈悲に依ると告げた。決意したウパマニュはヒマラヤで苛烈なタパスを行い、諸世界を震わせる。原因を知ったヴィシュヌがシヴァに近づくと、シヴァは少年を祝福する前に、まずインドラの姿で試みる。インドラ形のシヴァは恩恵を示しつつルドラを捨てよと誘うが、ウパマニュはパンチャークシャリーを誦し、試験を見抜いて、シヴァを誹るシヴァ・ニンダーは重罪であると宣言する。彼がアタルヴァ系のアストラの力で報復しようとしたとき、シヴァはこれを制し、真の御姿を現して、広大な乳の海と種々の食物を顕現させる。シヴァとパールヴァティーは親の慈愛で彼を子として迎え、不死、永続するガṇパティヤ、ヨーガの自在力(ヨーガイーシュヴァリヤ)、そしてブラフマ・ヴィディヤーを授ける。章末、揺るがぬ信と常なる神の臨在を願う帰依者の求めを満たしたのち、シヴァは姿を隠し、バクティが智慧と解脱へ熟す道を示す。

64 verses

Adhyaya 108

उपमन्युना कृष्णाय पाशुपतज्ञान-प्रदानम् तथा दानविधि-फलश्रुतिः

聖仙たちはスータに、無労の働きで名高いクリシュナが、いかにして神授のパーシュパタ(Pāśupata)の智とパーシュパタの誓戒を得たのかを問う。スータは語る。ヴァースデーヴァは自らの意志で降臨しつつも、人のように身を浄め、ダウミヤの長老ウパマニュ仙のもとへ敬虔に赴き、礼拝し周回した。仙の一瞥だけで、クリシュナの身と業の穢れは滅し、光輝き聖灰を塗ったウパマニュは諸元素の力と一体となって、歓喜して「天なるパーシュパタ智」(divya Pāśupata-jñāna)を授ける。さらに一年のタパスの後、クリシュナはガナたちを伴うマヘーシュヴァラを拝し、子サーンバを得る恩寵を受け、以後パーシュパタの聖者たちは彼と霊的に相応し続ける。続いて解脱を志す布施法(dāna-vidhi)が説かれ、力に応じて金の帯、支え杖、扇、筆記具、剃刀・鋏、器物や金属を、聖灰を塗るパーシュパタのヨーギーに施すべしとされる。その果は罪滅、家系の興隆、ルドラの位(Rudra-pada)への到達であり、読誦・聴聞はヴィシュヌ界(Viṣṇu-loka)をもたらすと説いて、シヴァ派の修行をプラーナ的救済へと橋渡しする。

19 verses