Opening the text

युद्धकाण्ड
『ユッダ・カーンダ』(Yuddhakāṇḍa)は、ヴァールミーキの『アーディカーヴィヤ』における武と神学の頂点であり、シーター奪還とラーヴァナ滅亡へと至るランカー遠征を語る。巻頭では、ハヌマーンの吉報がもたらされ、ラーマとスグリーヴァのもとでヴァーナラ軍が戦略的に結集・整備される。やがて舞台は大海の境へ移り、ラーマがサーガラ(海神)に儀礼をもって祈請し、宇宙的な動揺が起こり、ついにセートゥ(橋)が築かれる。軍勢は海を渡り、堅固で華麗でありながら不吉さを帯びるランカーの城郭都市へと踏み入っていく。 本巻の特色は、「策(mantra)と戦(yuddha)」が持続的に交互する点にある。ラーヴァナ宮廷での論議、ヴィビーシャナのダルマに基づく諫言と離反、英雄や陣形の列挙が、次第に激化する戦闘場面と並置される。強敵は波のように次々と現れ—ドゥームラークシャ、ヴァジュラダンシュトラ、プラハスタ、クンバカルナ、インドラジット—その都度の敗北は、アダルマが戦略の盲目と孤立を生むという道徳的因果を深めてゆく。詩は凶兆や嵐、血の河、劫末の譬えへと宇宙規模に拡大しつつ、シーターの嘆きやラーマの脆さに宿るショーカ(悲哀)の親密な響きを失わない。 二万四千偈から成る叙事詩の構造において、ユッダ・カーンダはラージャダルマ(王の法・王道)の決定的な試練の場である。規律ある武力は、真実、節制、同盟の倫理、無辜の保護に統御されるときにのみ正当とされ、戦争は征服欲ではなくダルマ回復の聖なる行為として描かれる。 本概説は IIT Kanpur による南方系伝承(Southern Recension)に拠り、通行の付加偈を保持し、いくつかの戦闘描写や宮廷審議を批判的再構成よりも豊かに敷衍する。儀礼と戦略、慈悲と剛毅が一つに結ばれる『ラーマーヤナ』の聖なる精神が、ここにいよいよ鮮明となる。
प्रथमः सर्गः · Rama Praises Hanuman; Anxiety over Crossing the Ocean
このサルガは、ラーマがハヌマーンの報告を聞き、目に見える慈愛と儀礼的な賛辞をもって応えるところから始まる。ラーマは、大海を渡り、厳重に守られたランカーの都へ入り込んだその功を、ほとんど比類なき偉業として称え、理想の臣の道(bhṛtya-dharma)の範として示す。さらに臣の徳の段階を説き、最上の者は難事をも信愛をもって成し遂げ、中ほどの者は王の愛するところを先んじて察せず、卑しき者は託された務めさえ果たせないと述べる。 ラーマは、ヴァイデーヒーの所在が確かめられたことでラグ族の系統が守られたと認めつつも、その喜ばしい言葉と奉仕にふさわしく報いることができないと痛切に語り、その時に与え得るすべてとして抱擁を授ける。 やがて語りは祝福から策へと移る。情報は得られたものの、集ったヴァーナラたちとともに、渡りがたく広大な海をいかに越えるかという現実的かつ根源的な難題に、ラーマの心は揺れ動く。章末、悲しみに触れながらも決意を固めたラーマは、ハヌマーンと迫り来る渡海の問題を中心に、思索と協議へと向かう。
युद्धकाण्डे द्वितीयः सर्गः · Sugriva’s Counsel: From Grief to Strategy (Bridge to Lanka)
このサルガは、悲嘆に沈むラーマに対するスグリーヴァの継続的な教誨(upadeśa)として構成される。彼はラーマを戒め、過度の悲しみはクシャトリヤの指導者にふさわしくないと言う。憂いは勇武(śaurya)を蝕み、行いの果を滅する力となるからである。ゆえに、落胆を捨て、断固たる気力を取り戻し、必要ならば節度ある正しい憤りをもって心を奮い立たせよと勧める。 ついで彼は作戦の理へと導く。シーターの所在はすでに知られ、ランカーはトリクータ(Trikūṭa)の頂にあると定まった以上、立ちすくむ道理はない。さらに同盟の力を強調し、ヴァーナラ(Vānara)の諸将は有能で志も高く、ラーマのためなら火中に入ることさえ辞さぬと述べる。 章の要は兵站の断言である。恐るべき大海—ヴァルナ(Varuṇa)の住処—を越えるため、まずセートゥ(setu)すなわち橋を築かねばランカーは屈しない。橋が成り、軍が渡り終えたなら、勝利はほとんど確実と見なしてよい、と彼は繰り返す。結びには吉兆(nimitta)が示され、ラーマが弓を執るとき三界に敵なしとの確信が語られる。
लङ्कादुर्गवर्णनम् (Description of Lanka’s Fortifications and Forces)
第3章は、対話形式で整然とまとめられた偵察報告である。スグリーヴァの理にかなった進言を聞いた後、ラーマはハヌマーンに向かい、敵軍の規模、侵入困難な城門の数と性質、防護の備え、そして羅刹たちの住処について、正確な報告を求める。巧みな語り手の第一と讃えられるハヌマーンは、城塞の仕組みを順序立てて述べることを約する。 ハヌマーンは、ランカーを富みつつ軍備に怠りない都として描く。戦車、発情して荒ぶる象、数知れぬ羅刹。城門は高く広く、扉は金属で固められ、鉄の閂で閉ざされる。防衛の機械は矢や石を放ち、守衛は棘ある投擲武器(śataghnī)を備えて待ち構える。都は宝石をちりばめた黄金の高壁と、冷たい水を湛え魚と鰐の棲む深い濠に囲まれ、可動の橋は機構によって引き上げられ、侵入を拒む。 さらに彼は、ラーヴァナの絶えざる警戒と、門ごとの守備兵の配置を述べ、戦略的結論として「海を渡りさえすれば、ランカーの陥落は必定」と示す。章末、ハヌマーンは吉時を選び、速やかな動員を促して締めくくられる。
समुद्रतट-प्रयाणम् तथा वेलावन-निवेशः (March to the Seacoast and Encampment at the Shore)
第4章は、ハヌマーンのランカー報告を受けたラーマの言葉から始まる。ラーマはただちに羅刹の要塞を滅ぼし、シーターを取り戻す決意を宣言する。星宿の配列と吉兆を挙げて出発を瑞祥と定め、連合軍の規律を示す作戦命令を下す。すなわち、ニーラを前衛の将に任じ、水・果実・根菜に富む道を確保し、羅刹による糧秣の破壊を防がせる。また、ヴァーナラたちには低地・林中の砦・潜伏地点など険阻の地を偵察するよう命じる。 ヴァーナラ軍は巨大でありながら整然とした隊列で進み、名ある将が左右の翼と後衛を守る。ラクシュマナは天の徴を勝利の前兆として読み解く。軍はサヒヤ山脈とマラヤ山脈を越え、マヘーンドラに至り、ついにヴァルナの住処たる大海へ到着する。 空と見分けがたいほど広大で、マカラや大蛇、ティミンギラの魚が棲むと詠われる危険な海を前に、ラーマは海辺に陣を敷くよう命じ、渡海の方策を諮るために評議を招集する。ここに、海という障壁を越えるための工策と交渉へ向かう前の、戦略的な停留が刻まれる。
सेनानिवेशः रामविलापश्च (Encampment on the Northern Shore; Rama’s Lament and Sandhyā)
第5章は、軍の整然たる布陣から始まる。ニーラは慣例に従い、海の北岸にヴァーナラ軍を規律正しく宿営させ、マインダとドヴィヴィダは四方を巡察して陣営の安全を固める。 軍が落ち着くと、ラーマはラクシュマナに向かい、離別の嘆き(vipralambha)を長く語る。世の常の悲しみは時とともに薄れるというが、シーターをいまだ目にできぬゆえに、自らの憂いは増すばかりだと述べる。彼の言葉には法(ダルマ)への不安が満ちる――シーターの若さが過ぎゆき、羅刹の中で無防備に置かれていること。彼は、彼女が生きているという報せによってのみ命をつなぐといい、それを、隣の灌漑された田からの水でようやく潤う乾いた畑にたとえる。また、羅刹の群れからシーターが現れるさまを、秋の雲間から三日月が姿を現すようだと詩的に譬える。 日が暮れるとラクシュマナが慰め、ラーマは悲嘆を抱きつつも節度を保って夕べの礼拝(sandhyā-upāsanā)を行い、シーターを念じながら、羅刹王を討って必ず取り戻す決意を新たにする。
रावणस्य मन्त्रविचारः · Ravana’s Council on Strategy
このサルガは、ハヌマーンがランカーで成した行為――侵入、破壊、要なる羅刹たちの討伐、そしてシーターへの拝謁――がもたらした恐るべき帰結を、ラーヴァナが見定めるところから始まる。羅刹王は稀なる羞恥を覚え、頭を垂れて、勝利は「マントラ・ムーラ(策議を根とする)」であると明言し、衆臣との合議へと向かう。 彼は人の行いと助言の質を、ウッタマ(最上)、マディヤマ(中)、アダマ(下)の三種に分け、力量を「相談の規律」と、ダイヴァ(より高き道徳的秩序への信頼)への依りどころに結びつける。最上の者は有能な大臣や同盟者と議し、信をもって進む。中の者は独りで事を行い、下の者は功罪を顧みず、我執により「我が為す」と言ってダイヴァを顧みない。 さらに政道として、策議そのものを序列づける。シャーストラに照らされた全会一致が最善であり、異論を経て一致に至るものは中位、派閥的で頑なな言説が統一を欠くものは非とされる。結びに、戦略上の急報が示される――幾千の勇猛なるヴァーナラに囲まれたラーマがランカー包囲へ迫っており、ラーヴァナは都と軍の双方に益する策を求める。
राक्षसपरिषद्वाक्यम् · Counsel of the Rakshasa Court to Ravana
本章では、羅刹たちの長老と武人が合掌してラーヴァナの前に進み出、宮廷的な慰撫と武勇の誇示によって王の決意を揺るぎないものにしようとする。彼らは脅威は「ありふれた」敵から来るにすぎず、王の御心を煩わせるには及ばぬと言い立てるが、その見立てには敵情を量る繊細な政治的知見の欠如も露わとなる。 演説はラーヴァナの往昔の征服の列挙となる。すなわち、ラサータラにおけるナーガ族(ヴァースキ、タクシャカら)の屈服、クベーラを辱めてカイラーサよりプシュパカ・ヴィマーナを奪ったこと、そして畏怖による同盟として、ダーナヴァのマヤの娘マンドーダリーを妃に迎えたこと。さらに、マドゥをはじめとするダーナヴァへの勝利が讃えられ、「ヤマ・ローカの海」へ沈み入るかのごとき死に等しい危難の戦いの比喩によって、ラーヴァナが究極の脅威をも乗り越える名声を強調する。 そして結論として、策が示される。すなわち、供犠によってマヘーシュヴァラから稀有の恩寵を得、かつてインドラを捕らえて彼を伴いランカーへ凱旋したとされるインドラジットを出陣させ、ヴァーナラ軍、さらにはラーマさえも滅ぼすべきだ、というのである。
युद्धकाण्डे अष्टमः सर्गः · राक्षससभा-युद्धपरामर्शः (War-Council Boasts and Stratagems)
第八章は、ハヌマーンが先に引き起こした攪乱の後、ランカー王廷で開かれる軍議を描く。諸々の羅刹の将たちは脅威の捉え方と対策を競い合い、雲のように黒いと形容され合掌して語るプラハスタは、ハヌマーンを侮りつつ、勝利は虚勢ではなくupāya(機略)と警戒によって得られると説く。すなわち、姿を自在に変えるkāmarūpaの羅刹を幾千も人間の姿でラーマに近づけ、欺きの言葉でラーマとラクシュマナの心を乱すべきだという。 しかし議論はやがて、単身での殺戮を誓う誇示へと激化する。ドゥルムカはこの屈辱は赦し難いと断じ、ヴァジュラダンシュトラは血に染まった鉄の棍棒を握り、ヴァジュラハヌらはスグリーヴァ、アンガダ、ハヌマーンといったヴァーナラの将を食らう、あるいは討つと豪語し、さらにラーマとラクシュマナさえ倒すと言い放つ。加えて「バラタが軍勢を率いて来る」と偽って混乱を撒く策も語られる。かくして本章は、策謀としての欺きが示されながらも、しばしば見せかけの武勇の傲慢に覆い隠される宮廷の心理を記し、ダルマに立つ決意とアダルマの操作との倫理的対照を浮かび上がらせる。
विभीषणोपदेशः · Vibhishana’s Counsel to Ravana
このサルガは、まるで名簿を読み上げるかのような動員から始まる。インドラジットをはじめとする名だたる羅刹(ラークシャサ)の将たちが憤怒して立ち上がり、parigha(鉄の棍棒)、paṭṭiśa、prāsa、śakti、śūla、paraśu、さらに弓矢と鋭い剣を携え、ラーマ、ラクシュマナ、スグリーヴァ、ハヌマーンを討つと叫ぶ。 そこへヴィビーシャナが介入し、武装した集会を制止して、整然としたニーティ(政道・処世)の教えを説く。三つの外交手段—sāma(和言)、dāna(贈与)、bheda(離間)—で成し得ない事は、十分に熟慮したうえで、最後に勇力によって行うべきであり、勝敗は軽率な侮りではなく周到な見立てにかかっているという。 さらに彼は、この争いを倫理と戦略の両面から言い換える。敵を侮るな、ハヌマーンが大海を渡ったこと自体が並外れた力の証である、と警告し、そもそもラーヴァナの罪—シーターの略奪—は正義にかなうのかと問いただす。怒りを捨て、ダルマにかなう不動のラーマと無益な怨みを結ぶな、マイティリー/シーターを返してランカーと羅刹たちの滅亡を避けよ、と諫める。ラーヴァナはこれを聞いて会衆を解散させ宮殿へ退くが、忠告は形だけに終わり、心には受け入れられない。
विभीषणोपदेशः · Vibhishana’s Counsel to Ravana and the Catalogue of Omens
夜明けに、ヴィビーシャナはラーヴァナの堅固な宮殿へ赴く。そこは金で飾られた座、ヴェーダの誦唱、祭儀の準備など、荘厳な宮廷と建築の描写によって彩られている。彼は礼法を尽くして入場し、王者の威光に座すラーヴァナに拝礼し、諸大臣の前でありながらも慎み深く、内々の趣で言上する。 ヴィビーシャナは自らの言葉を「ヒタ(hita)」—福祉を願う忠告—として、時と場にかなう実際的な治国の理に基づくものだと述べる。そして、ヴァイデーヒー(シーター)がランカーに来て以来見られる「アシュバ・ニミッタ(aśubha-nimitta、不吉の兆し)」を列挙する。すなわち、供犠の火が弱く煙と火花を上げること、祭場や供物に蛇や蟻が現れること、家畜や戦の獣が怯え異常を示すこと、烏の荒い鳴き声、都の上に群れる鷲、そして門に響く肉食獣の雷鳴のような咆哮である。 これらの兆しから彼は政治的・倫理的な処方を導く。ふさわしい「贖い」とは、ヴァイデーヒーをラ―ガヴァ(ラーマ)に返すことだ、と。さらに自分の動機は迷妄でも貪欲でもなく、諸大臣が恐れから沈黙しているのだと明かす。だがラーヴァナは怒りに駆られ、不死身を誇って忠告を退け、ヴィビーシャナを退ける。理の言葉が拒まれ、戦が避けがたくなる重大な転機である。
रावणस्य सभाप्रवेशः (Ravana Enters the Royal Assembly and Summons Counsel)
第11章は、宮廷の華やぎから軍議へと移る場面を描く。ラーヴァナは、マイティリー(シーター)への欲情により衰え、また罪業がもたらす世間的な帰結を思い、過ぎ去った時の切迫を悟って、戦の相談が急務であると定める。彼は壮麗に飾られた戦車に乗り、楽器の轟きと法螺貝(śaṅkha)の響きの中、装束も武器もさまざまな武装ラークシャサたちに護られてサバー(議殿)へ向かう。 道中は儀礼の壮観となる。王道、天蓋、チャーマラ(cāmara)の払子、礼拝と讃嘆が続き、ついにヴィシュヴァカルマン(Viśvakarmā)の造った常に輝く सभा堂へ入る。そこは金銀の柱が立ち、内は水晶のように澄み、黄金の絹の覆いが垂れ、厳重な守りが置かれている。宝石を嵌めた玉座に座したラーヴァナは、俊足の使者に命じ、ランカー全土のラークシャサを敵に対する大事のため召集させる。 召集により都は満ち、将たちは戦車・馬・象・徒歩で来集し、乗り物を留めて、山の洞へ入る獅子のごとく殿内へ進み、席次と沈黙の作法を守る。大臣と武人が集い、最後にヴィビーシャナも到来する。白檀と香の薫りが堂に満ち、武装の英雄たちの中でラーヴァナは、ヴァス神群の中のインドラのように輝く—その政治的光彩は、道徳の脆さと対照をなす。
युद्धकाण्डे द्वादशः सर्गः · रावणस्य परिषद्-सम्बोधनं कुम्भकर्णस्य नीत्युपदेशश्च (Ravana’s Council Address and Kumbhakarna’s Counsel)
『ユद्धカाण्ड』第12章は、ランカー宮廷における軍議を描く。ラーヴァナは羅刹の全会衆を見渡し、軍の長プラハスタに命じて、城壁の内外に四軍(歩・騎・車・象)を配して防備をいよいよ厳重にせよと指示する。プラハスタが準備万端を奏上すると、ラーヴァナは近臣に向かい、自らの事業は常に助言に導かれ決して失敗しないと誇り、クンバカルナが長い眠りのため事情を知らなかったのだと述べる。 続いてラーヴァナは、ダンダカ林からシーターを奪ったことを理屈づけ、彼女の拒絶に対する欲望と焦燥を吐露する。そこには、kāma(欲)が判断を曇らせる統治の危機が露わとなる。海を越えられたことへの不安を口にしつつも、人間には不死身だと言い張り、しかしラーマとラクシュマナがスグリーヴァおよびヴァーナラ軍とともに岸に到着し、シーター奪還のため来たことを認める。 この情欲に満ちた嘆きを聞いたクンバカルナは、事前の熟慮が欠けていたと叱責し、nīti(政道・処世の理)を説く。すなわち、正しい手段と順序を欠く行いは成就せず、軽率な決断は敵の力を見誤るという。それでも彼は武力で事態を正すと申し出て、ラーマとラクシュマナを討ち、ヴァーナラの将たちを粉砕すると誓い、ラーヴァナには自信と享楽を取り戻し、自分が戦を遂行すると促す。
महापार्श्वस्य परामर्शः · Mahāpārśva’s Counsel and Rāvaṇa’s Confession of Brahmā’s Curse
本章(サルガ)では、マハーパールシュヴァがラーヴァナに対し、外交的手段を捨てて「ダンダ(武力)」に頼るよう強硬な助言を行います。彼はクンバカルナやインドラジットならばインドラ神さえも撃退できると主張し、ラーヴァナにシーターを力ずくで我が物にするよう促します。ラーヴァナはこの助言を喜びつつも、自身が抱える神聖な呪いによる制約を打ち明けます。 ラーヴァナはかつて、ブラフマー神の住処へ向かう途中で天女プンジカスターを見初め、彼女を犯してブラフマーの怒りを買ったことを告白します。ブラフマーの呪い(シャーパ)により、もし彼が再び女性に無理強いをすれば、その頭は百個に砕け散ると定められているのです。章の最後でラーヴァナは、自身の速さを風や海に例え、昇る太陽が星々を消し去るようにラーマの軍勢を蹴散らすと豪語します。
विभीषणोपदेशः (Vibhīṣaṇa’s Counsel to Rāvaṇa and the Rākṣasa Court)
第14章は、ランカーの王廷における論争として構成され、滅亡に近い軍事的危機を前に、実現可能性・倫理・国政の道が問われる。ラーヴァナの主張とクンバカルナの咆哮を聞いたのち、ヴィビーシャナはニーティ(政道)の理に基づき諫言する。ラーマに敵対する企ては成就し得ず、アダルマの意図からはスヴァルガのごとき勝利は生まれない。泳げぬ者は海を渡れないという譬えや戦力比較を通して、ダルマに根ざすラーマの威力と戦場での優越を示す。 ヴィビーシャナは、雷霆の矢によってランカーの首脳が斬り落とされる前に、ただちにシーターをラーマへ返すべきだと繰り返し迫る。プラハスタは豪語して、神々にもいかなる存在にも恐れはないと言い返すが、ヴィビーシャナはさらに鋭い警告で応じ、ラ―ガヴァに抗し得ぬ羅刹の勇将たちを挙げる。やがて議論は政治の病理へ移り、ラーヴァナは欲と悪習に駆られ衝動的で、「千の頭を持つ蛇に絡め取られた」かのように、自ら作った束縛に囚われていると描かれる。章末は大臣の箴言で結ばれ、賢明な助言とは敵の強さ・自軍の力量・国の盛衰を量り、ただ王の安寧のみを目的とすべきだと説く。
विभीषण-इन्द्रजित् संवादः (Vibhishana and Indrajit: Counsel, Boast, and Rebuttal)
第15章では、羅刹軍の将インドラジット(メーガナーダ)と、ブリハスパティにも比せられる知慧の忠言をもつヴィビーシャナとの間で、鋭い論争が繰り広げられる。インドラジットは、ヴィビーシャナの警告を臆病でみっともないものとして退け、同族の中で武勇に欠けると嘲り、ラーマとラクシュマナという人間の王子など、並の羅刹でも討てると豪語する。 さらに彼は武勲を誇示し、かつてインドラを打ち倒し、アイラーヴァタを屈服させたと語って、自らの威勢を高め、ラーマ兄弟を「ただの人間」と位置づける。これに対しヴィビーシャナは、ニーティ(正しい政道・処世)の立場から諫め、インドラジットは判断が未熟で、言葉は自らを滅ぼし、滅亡の兆しを聞きながらもラーヴァナの道を是として迷妄に陥っていると指摘する。 論争は、偽りの友誼と害ある助言という道徳的糾弾へと高まり、最後に現実的な提案へ収束する。すなわち、悲嘆を終わらせ滅亡を避けるため、財宝と装身具を添えてシーターをラーマに引き渡すべきだ、というのである。本章は、驕れる武力の誇りと、倫理に根ざす国政の知恵、そして冷静な危険評価とを対照させている。
विभीषणोपदेशे रावणस्य परुषवाक्यम् (Ravana’s Harsh Reply to Vibhishana’s Counsel)
第16章は、諫言の倫理をめぐって王廷に亀裂が走る場面を描く。ヴィビーシャナはラーヴァナの安寧を願い、hit(善意にして益ある忠告)を捧げるが、kāla-codita(運命/死に駆り立てられた)と明言されるラーヴァナは、parūṣa-vākya(苛烈な言葉)で応じる。 ラーヴァナの反駁は、anārya(不徳で正しからぬ者)との友情の無益さを示す教訓的譬喩の連鎖として語られる。蓮の葉に水は留まらず、蜜を味わった蜂は恩を知らず、象は沐浴の後に自らを汚し、秋の雲は鳴り響いても潤いを与えない——徳なきところでは善が実を結ばぬことを示すのである。さらに彼はヴィビーシャナを脅し、他者なら即座に罰したであろうとほのめかす。 これに対し、nyāya-vādī(正理を語る者)たるヴィビーシャナは、棍棒を執り四人の羅刹を伴って立ち上がり、虚空へ昇ってラーヴァナを諫める。兄として敬われるべき身でありながら、あなたはdharma(法)から逸れた、と。彼は政治と倫理の要諦を述べる――耳に快い言葉を語る者は多いが、耳に痛くとも益ある真実を語り、また聴く者は稀である。ラーヴァナは死の縄に縛られ、ラーマの燃える矢に撃たれるであろう、強者といえどもkālaに掴まれれば倒れるのだと警告する。 終わりに彼は礼を尽くして暇乞いし、年長者の幸いを願う者として語った非礼を許してほしいと述べ、ラーヴァナに自らとランカーを守るよう促して去る。語り手は、死期の近い者は友の善き忠告を受け入れない、と総括する。
विभीषणागमनम् (Vibhīṣaṇa’s Arrival and the Debate on Refuge)
第十七章は、評議を軸に、庇護を与える倫理と欺きの危険を描き出す。ラーヴァナを諫めてシーター返還を勧めた後、ヴィビーシャナは四人の伴を連れてランカーを去り、ラーマの近くに到着して北岸の上空に留まる。彼は自らをラーヴァナの弟と名乗り、シーターの誘拐と幽閉の次第を語り、保護を求めて来た者としてラグハヴァに取り次ぐよう願う。 しかしスグリーヴァは国政の知恵から警告する。変幻自在のラクシャサは間者であり得るとして、処刑に及ぶ厳しい措置さえ主張し、会議・陣形・偵察のすべてに警戒を促す。ラーマはその理を認め、ヴァーナラの重臣たちに意見を求める。アンガダ、シャラバ、ジャーンバヴァーン、マインダは、疑いを抱きつつ監視し、慎重に尋問すべきだと述べる。 これにハヌマーンは、人の心は即座に見抜けないとし、ヴィビーシャナの言葉遣い、態度、沈着さには悪意の兆しがないと論じる。声の調子や身のこなしは隠れた意図を露わにしやすいからである。かくして本章は、政治的慎重さの実際的教訓であると同時に、いついかにして庇護を与えるべきかというダルマの問いを深める。
शरणागति-धर्मनिर्णयः (Decision on Refuge and Dharma) / Rama’s Vow of Protection and the Acceptance of Vibhishana
第18章は、ヴィビーシャナの来訪と同盟軍陣営の動揺という決定的局面における、政(まつりごと)と倫理(ダルマ)をめぐる対話である。ハヌマーンの報告を聞いて喜んだラーマは、ヴィビーシャナについて語ると宣し、味方の善意ある者たちに聴聞を促す。 スグリーヴァは疑念を示し、ヴィビーシャナをラーヴァナの差し向けた間者かもしれぬとして、慎重策、あるいは拘束を勧める。これに対しラーマは自らの不敗・不侵を述べたうえで、ダルマの規範へと論を移す。すなわち、敵にさえももてなしを尽くす鳩の譬え、そして聖仙カンドゥに帰せられるダルマの偈を引き、合掌して救いを乞う者を害してはならぬと確立する。 やがて教えは厳粛な誓願となる。たとえ一度でも帰依(śaraṇāgati)を求める者には—ヴィビーシャナであれ、スグリーヴァであれ、たとえラーヴァナであっても—ラーマは無畏(abhaya)を授ける、と。スグリーヴァはこのダルマの宣言に心を動かされ、またヴィビーシャナの清らかさを内に量って受け入れを認め、直ちに友誼を結ぶべきだと勧める。章末、ラーマはヴィビーシャナに会いに進み、この出来事が王者の行いにおける帰依の教義的支柱として据えられる。
विभीषणाभिषेकः · The Consecration of Vibhishana and Counsel on Crossing the Ocean
このサルガは、決定的な同盟が公の場で儀礼として執り行われ、政治的正統性を帯びるさまを描く。ラーマがアバヤ(abhaya―確かな庇護)を授けると、ヴィビーシャナは降り立って伏して礼拝し、正式に帰依(シャラナ―ガティ)を願い出て、ランカーへの旧縁を断ち、命も王権もラーマに委ねる。ラーマは沈着に彼を慰め、羅刹の強みと弱みについての情報を求める。 ヴィビーシャナは主要な脅威を挙げる。恩寵によってほとんど不壊となったラーヴァナ、戦闘力に優れるクンバカルナ、かつてマニバドラを破ったプラハスタ、火の祭式によって不可視となるインドラジット、その他の将たち、そしてランカー軍の規模と猛威である。ラーマはここで拘束力ある約束を立て、ラーヴァナ討滅の後、ヴィビーシャナを王として据えると宣言する。 その誓いは直ちに灌頂(アビシェーカ)として実現される。ラクシュマナが海水を携え、ヴァーナラの首領たちの前でヴィビーシャナを羅刹王(ラークシャサ・ラージャ)として塗油し、歓呼が湧き起こる。章末、ハヌマーンとスグリーヴァが動じぬ大海をいかに渡るかを問うと、ヴィビーシャナは海神サーガラに帰依して助けを請うべきだと説き、サガラ王家との縁を引く。スグリーヴァが奏上し、ラーマはこれを許して岸辺のクシャ草に坐し、ランカーへ向かう次なる儀礼と戦略の一歩に備える。
दूत-नीति, शुक-प्रसङ्गः (Envoy-Ethics and the Episode of Śuka)
第20章は、偵察・外交の伝言・そして戦時の倫理(ダルマ)を公然と試す出来事を簡潔に描く。羅刹の密偵シャールドゥーラはスグリーヴァの陣営に潜入し、旗幟ひるがえる軍勢を見定め、ヴァーナラと熊の大軍が第二の測り知れぬ大海のごとくランカーへ迫ること、また海辺にラーマとラクシュマナが陣し、兵力が広く展開していることをラーヴァナに報告する。 ラーヴァナは続いてシュカを使者として遣わし、スグリーヴァの家柄と武威を讃えつつ、己の非を軽く見せ、ランカー不落を誇示する周到な言葉で、威嚇と同盟分断を狙う。シュカは鳥に変じて空から語るが、怒れるヴァーナラに襲われる。彼は「使者は殺してはならぬ」という掟を持ち出し、忠実に伝える者と、許されぬ私語を付け加える者とを区別して訴える。 ラーマは使者の法(ドゥータ・ダルマ)を守るため介入し、シュカの解放を命じる。安全を得たシュカが言葉を続けると、スグリーヴァはラーヴァナへ伝えるべき断固たる返答を示す――敗北は必定で、隠遁も神々の庇護も逃れの道とはならず、さらにシーター略奪とジャターユ殺害の罪を道義として糾弾する。アンガダはシュカを軍勢を見定めた間者と疑い捕縛を勧めるが、本章は警戒と節度を併せ示し、使者保護を戦場の教訓として際立たせる。
सागरप्रतीक्षा-क्रोधप्रादुर्भावः (Rama’s Vigil at the Ocean and the Rise of Wrath)
海辺にて、ラーマは節度ある「求め」の行をなす。クシャ草を敷き、東に面し、海に向かって合掌(añjali)して礼拝し、誓願に結ばれた徹夜の待機として身を横たえた。三夜が過ぎても、「諸河の主」サーガラは応答する「姿」を現さず、正しく敬われながらも海は沈黙したままであった。 この不応は、克己を義憤へと転じさせる。ラーマは、静けさ・忍耐・率直さ・柔らかな言葉は、「無属性」(nirguṇa)なる者や驕る者の前では弱さと誤解され得る、と政治倫理の観点から語る。名声と勝利は宥和のみでは得られぬとラクシュマナに告げ、ヴァーナラ軍が徒歩で渡れるよう、蛇のごとき矢で海を干し、あるいは責め苦しめる決意を固める。 恐るべき弓を引き絞ると、宇宙的な余波が強調される。燃えさかる矢が水に突き立ち、波は山のようにうねり、法螺や貝は渦巻き、煙が立ちのぼり、地下界のナーガやダーナヴァは苦悶する。そこへサウミトリーが制し、弓を取り押さえて「もう十分だ」と諫めた。
सागरप्रशमनम् / The Pacification of the Ocean and the Building of Nala’s Bridge
第22章は、行き詰まりから、工によって道が開かれる転換を描く。海が行く手を阻むことに憤ったラーマは、ブラフマー・アストラの力を帯びた威力で海を地下界に至るまで干上がらせると誓い、風・雲・稲妻・闇が渦巻く宇宙的動揺が起こり、見える者も見えぬ者も恐怖に震える。 すると海の主サーガラ/ヴァルナの住処(Sāgara/Varuṇālaya)が王者の神現として現れ、五大元素の自性(svabhāva)は侵し得ないと説く。そして法にかなう代案として、橋による堅固な渡海を示し、ラーマの外れぬ矢をドゥルマクーリヤの罪深い略奪者の懲罰へ向け替えるよう願う。ラーマがその地へ放つと、名高い砂漠マルカーンターラが生じ、「ヴラナ」と呼ばれる塩気を帯びた湧き上がりの井戸が現れ、さらに恩寵によって吉祥の新たな道が開かれる。 海はまた、ヴィシュヴァカルマンの子ナラを、神より才を授かった建築者として指し示し、ナラは任を受ける。ヴァーナラ軍は樹木・巨石・山々を集め、橋は幾日も続けて速やかに築かれ、神々と聖仙(ṛṣi)はこれを讃えてラーマを祝福する。本章は、怒りの制御という倫理、五大の自性という宇宙論、そして公共の建設を、ダルマのための器として結び合わせる。
निमित्तदर्शनम् (Portents Before the March to Laṅkā)
第23章は、命令と前兆(ニミッタ)をめぐる説示として構成される。前兆を見通す者として描かれる聖ラーマは、サウミトリ(ラクシュマナ)を抱きしめ、軍務の指示を下す。すなわち、森に安全な宿営地を設け、冷たい水と果実を備え、部隊を分け、戦陣(ヴュー ハ)を整えて常に警戒せよ、というのである。 続いてラーマは、終末めいた凶兆の連なりを解釈する。塵を含む風、地と山々の震動、倒れる樹木、肉色の雲が血のような滴を降らせること、恐るべき黄昏、太陽から火の塊が落ちるかのように見えること、獣たちが苦しみ太陽に向かって叫ぶこと、そして月と太陽が異様な色と光輪を帯びること。これらは恐怖で足を止めさせるためではなく、熊族・ヴァーナラ・ラクシャサに大きな死傷が出ること、そして決定的な暴力が目前であることを告げる警めとして示される。 章末では直ちに進軍が始まる。ヴァーナラ軍はラーヴァナの都へ向きを変え、ラーマは弓を手に先頭を進む。スグリーヴァとヴィビーシャナは咆哮して進み、ヴァーナラの戦士たちはラーマを励ますために歓喜の振る舞いを見せ、士気の鼓舞をダルマにかなう戦の決意へと結びつける。
लङ्कानिरीक्षणं व्यूहविन्यासश्च (Survey of Lanka and Deployment of the Battle Formation)
第24章は、いよいよ公然たる戦いへ踏み出す直前の緊迫を描く。ラーマの命によりヴァーナラ軍は静かに陣を整え、瑞兆の星々に囲まれた秋の満月にたとえられる。やがて彼らは大海のごとき勢いで進撃し、大地を震わせる。ランカーからは恐るべき太鼓の轟きが響き、ヴァーナラはさらに大きな咆哮で応え、羅刹たちは不安に揺れる。 シーターを思って悲しむラーマは、天を抱くかのようにそびえるランカーの楼閣と、園林の華やぎを示す。白雲のようなヴィマーナ、チャイトララタに比すべき林苑、鳥やカッコウや蜂に満ちた樹々がそこにある。続いて彼はシャーストラにかなう軍の分列、戦陣(ヴューハ)を命じる。中央にアンガダとニーラ、南翼にリシャバ、右翼にガンダマーダナ、先頭にラーマとラクシュマナ。ジャーンバヴァーンとスシェーナは熊族の首長たちとともに「腹」を守り、スグリーヴァが後陣を護る。整然たる軍勢は天の雲塊のように輝き、ヴァーナラは山の峰や樹木を武器としてランカーを粉砕せんとする。 陣形が整うと、使者シュカは解放され、恐怖に震えつつラーヴァナのもとへ戻る。彼はヴァーナラの憤怒、橋を架けて来臨したラーマの到着を告げ、ただちに決断せよと迫る――シーターを返すか、戦に備えるか。だがラーヴァナは怒りに目を赤くし、神々を相手にしてもシーターは渡さぬと豪語し、己の矢の「火」が抗しがたいと宣言して、衝突の必然を決定づける。
शुकसारण-चारप्रवेशः (Suka and Sāraṇa’s Espionage and Release)
羅波那は、ダシャラタの子ラーマがヴァーナラ軍を率いて大海を渡り、海上の橋が成就したと聞くや、気勢を奮い起こし、重臣にして密偵のシュカとサーラナに、敵陣へ人知れず潜入するよう命じた。彼らの任務は、兵力の見積もり、主要なヴァーナラの首領と有能な指揮官の特定、橋の築造の査察、山・洞窟・海辺・森・園林にまたがる陣営の所在の把握、そしてラーマとラクシュマナの決意・武勇・武器の力量を見定めることであった。 二人はヴァーナラに変装して軍中に入り込むが、数え尽くせぬほどの大軍勢と、耳をつんざく戦の鬨の声に圧倒される。ヴィビーシャナは潜む密偵を見抜き、捕らえてラーマの前に差し出した。死を覚悟する二人に、ラーマは泰然として、しかも正法(ダルマ)にかなう節度をもって告げる――偵察はすでに果たしたのだから自由に帰れ、なお見残しがあるならヴィビーシャナが全軍の威容を示そう。さらにラーマは、使者と無武装の者は殺してはならぬという戦の掟を明言し、釈放を命じた。 そしてラーヴァナへの言葉として、シーターを奪ったときの力を示してみよ、夜明けにはランカーの守りと羅刹の威勢が打ち砕かれるさまを目の当たりにせよ、と伝えさせる。ランカーへ戻ったシュカとサーラナは、ラーマの義と徳を証しし、ラーマ、ラクシュマナ、ヴィビーシャナ、スグリーヴァという四人の指導者の恐るべき力量を語って、和睦しマイティリー(シーター)を返すことこそ賢明であると諫めた。
वानरमुख्य-परिचयः (Catalogue of Principal Vānara Leaders)
第26章は、ランカー城内における偵察から情報共有へと至る場面を描く。サーラナ(Sāraṇa)が率直で益ある諫言を述べたのち、ラーヴァナ(Rāvaṇa)は宇宙的な反対に遭おうともシーター(Sītā)を引き渡さぬと、傲然と拒絶する。 自ら状況を見定めようと、ラーヴァナは密偵シュカ(Śuka)とサーラナを伴い、雪のように白い高殿に登って、海辺の地に広がるヴァーナラ(Vānara)の大軍を望む。数え切れぬ軍勢を前に、彼はサーラナに問う――誰が最も卓越したヴァーナラか、スグリーヴァ(Sugrīva)の重臣は誰か、そして恐るべき将は誰か。 サーラナは整然たる目録として、主要な将と武勇の相を挙げる。スグリーヴァ軍の先鋒に立つニーラ(Nīla)、ヴァーリ(Vāli)の子で戴冠の後継者アンガダ(Aṅgada)の正面からの挑戦、セートゥ(setu、海の橋)の事業に結びつくナラ(Nala)。さらにシュヴェータ(Śveta)、クムダ(Kumuda)、ランバ(Rambha)、シャラバ(Śarabha)、パナサ(Panasa)、ヴィナタ(Vinata)、クローダナ(Krodhana)、ガヴァヤ(Gavaya)らの隊長たちを、容貌・ゆかりの山や住処・兵数・ランカーへの猛き意志によって描写する。本章は敵軍の「戦闘序列」として、叙事詩の詩情と政道にかなう脅威評価とを併せ持つ。
वानर-ऋक्ष-सेना-प्रशंसा (Cataloguing the Vanara and Bear Forces)
本章は、戦陣の目録であり、眼前の情景を示す報告でもある。語り手は羅刹の王を「rājan(王よ)」と呼び、ラ―ガヴァ(Rāghava)の大義のために集結した猿族(vanara)と熊族(ṛkṣa)の同盟軍が、命を賭して奮い立っていること(rāghavārthe parākrāntāḥ)を告げる。鮮やかな譬えと系譜の言及を交え、名だたる将と兵の姿が列挙される。 ハラ(Hara)は多彩に輝く尾で際立ち、猛き熊たちは暗い嵐雲に喩えられる。彼らの主ドゥームラ(Dhūmra)はṚkṣavānに住み、ナルマダー(Narmadā)の水を飲むという。山のごときジャーンバヴァーン(Jāmbavān)は諸将の中で最も勝れ、神々と阿修羅の戦いでインドラ(Indra)を助け、恩寵を受けたことで名高い。さらに、インドラのように従者に囲まれる恐るべきharīśvaraダンバ(Dhamba)、猿族の「祖父」と称され巨体で、かつてインドラと戦って敗れなかったサンナダナ(Sannadana)、クベーラ(Kubera)のジャンブー樹の近く、カイラーサ(Kailāsa)に住むクローダナ/クラタナ(Krōdhana/Krathana)、砂塵を巻き上げる迅速な軍を率いるプラマティ(Pramathi)、橋を見てのちGolāṅgūlaの兵に囲まれるガヴァークシャ(Gavākṣa)、黄金の山で尽きぬ果実と蜜に憩うケーサリン(Kesarin)、太陽を礼拝しラṅカー(Laṅkā)粉砕を志すシャタバリー(Śatabalī)が語られる。 結びに、同盟軍の数は量り知れず、その力は大地の山々さえ変じ得ると強調される。これは敵を威圧し、正しき陣営の士気を高めるための、叙事詩的な言辞である。
शुकवाक्यं (Śuka’s Report on the Vānara Host) / Śuka Describes the Allied Forces to Rāvaṇa
サーラナの報告の後、シュカはラーヴァナに対し、整然とした諜報の報告を続ける。迫り来るヴァーナラ連合は、変幻自在で神々にも比すべき力を備え、ダルマに根ざした、抗し難い軍勢であると述べた。 彼は主だった将を挙げる。マインダとドヴィヴィダはほとんど不死身の戦士、そしてハヌマーンは風の子で、海を跳び越え姿を変える者であり、かつてランカーに潜入した折—尾を燃やした出来事を含め—その威力はすでに証明されている。続いて人間の主役として、ラーマをイークシュヴァーク族のアティラタ(atiratha)と称し、ダルマに揺るがず、ブラフマー・アストラ(Brahmā-astra)と弓術は世界をも貫くと語る。ラクシュマナはラーマに欠かせぬ「右腕」で、政道と戦の術に通じる。ラーマの左には、灌頂を受けた王ヴィビーシャナが立ち、ラーヴァナに敵対している。 さらにシュカは、śaṅkhu、mahāśaṅkhu、bṛnda、padma、kharva、samudra、ogha、mahaugha といった数の語彙で軍勢の規模を誇張して示す。結びに、この「燃えさかる惑星のごとき」大軍を見て、敗北を免れるにはラーヴァナが至高の努力を尽くすべきだと警告する。
शुकसारणनिग्रहः / Ravana Rebukes Suka and Sārana; Spies Reconnoiter Rama’s Camp
第29章は、用間の道(cāra-nīti)にかなう「宮廷から陣営へ」の情報循環を描く。羅刹王ラーヴァナは、シュカの報告によって、集結したヴァーナラ軍とラーマの主たる同盟者—ラーマの「右腕」と称されるラクシュマナ、さらにスグリーヴァ、アンガダ、ハヌマーン、ジャンバヴァーンら諸将—の勢いを知る。内心は動揺しながらも外には激怒を示し、戦前に敵を讃えたとしてシュカとサーラナを叱責し、これは王道政略(rājanīti)と臣の忠誠に背く失態だと断ずる。処罰をほのめかすが、過去の功を思い起こして思いとどまり、処刑せずに退ける。 ついでラーヴァナは作戦に移り、マホーダラに命じて熟練の密偵を集めさせ、ラーマの意図・日常の動き・近臣の実情を探らせる。シャールドゥーラ率いる密偵たちは変装してスヴェーラ方面へ赴くが、正しきヴィビーシャナに見破られ、シャールドゥーラは捕らえられる。ヴァーナラたちが侵入者を討とうとするところへ、ラーマの慈悲が介入し、シャールドゥーラらは解き放たれる。恐怖に駆られ追い立てられた密偵たちはランカーへ戻り、スヴェーラ近くに陣取る強大な軍勢をダシャグリーヴァに報告して、本章は戦略的な見立てで結ばれる。
शार्दूलचरवृत्तान्तः (Saardula’s Spy-Report on Rama’s Camp and the Vanara Host)
このサルガは、偵察の報告がそのまま進言へとつながる構成である。ランカーの密偵たちは、ラ―ガヴァ(ラーマ)がスヴェーラ山に「揺るがぬ」大軍を率いて陣を敷いたと告げる。ラーヴァナは一瞬動揺し、使者シャールドゥーラを問いただすが、恐れの色を帯びたその態度自体が、ヴァーナラ軍の警備の厳重さを物語る。シャールドゥーラは、即座に見破られ、打たれ、民衆の前で引き回され、最後には解放された経緯を語り、ラーマ陣営の規律と守りの堅さを示す。 さらに彼は、岩石をもって海を埋め(橋の事業はすでに成就し)、ラーマがランカーの門前に布陣していること、そしてヴァーナラたちの戦列がガルダ・ヴューハを思わせる形で整えられていることを報告する。シャールドゥーラは、ラーマが城壁に迫る前に、シーターを返すか、戦を受けるかの二択を迫る。 しかしラーヴァナは断固として拒み、神々の連合を相手にしてもシーターを渡さぬと言い切り、ヴァーナラの力・系譜・数の情報目録を求める。シャールドゥーラは、スグリーヴァ、ジャンバヴァーン、ハヌマーン、ニーラ、アンガダ、マインダ、ドヴィヴィダらの名を挙げ、多くが神聖な血統に連なることを示し、軍勢が十クロールに及ぶと強調しつつ、残余の詳細は報告し尽くせぬと結ぶ。かくして本章は、戦術的な台帳であると同時に、規律ある同盟と頑迷な王権という心理道徳の対照を描く。
मायाशिरोप्रदर्शनम् (The Display of the Illusory Head of Rāma)
第31章は、ランカーの密偵がラーヴァナに報告する場面から始まる。ラーマの「揺るがぬ」軍勢がスヴェーラに布陣し、今にも攻めかからんとしているという。動揺したラーヴァナは評議を開くが、正面衝突ではなく、心を折る策を選ぶ。幻力(マーヤー)に通じた羅刹ヴィディユッジフヴァを召し、ラグハヴァ(ラーマ)の偽りの首と、その弓を作り出すよう命じる。 ラーヴァナはシーターの決意を砕くためアショーカ園へ赴く。そこには、羅刹女たちに囲まれ、地に座して頭を垂れ、夫を思い念じるシーターの姿があった。ラーヴァナは威圧的な言葉で、プラハスタ率いる夜襲によりラーマと主だった猿軍が討たれたと偽り、さらに偽造の首を彼女の前に置かせ、続いて名高い弓を示して「証拠」とする。本章は、脅迫・虚報・演出された「証拠」による宣伝工作を戦の武器として描きつつ、シーターの姿勢と一途な貞節が示す不動の堅忍と対照させている。
सीताविलापः (Sītā’s Lament over the Illusory Head and Bow)
本章は二つの語りを交錯させる。(1)仕組まれた光景に対するシーター(Sītā)の鋭い悲嘆、(2)ラーヴァナ(Rāvaṇa)が政務と戦議へと転じる場面である。アショーカ園(Aśoka-vatikā)にて、シーターはラーマ(Rāma)の斬り落とされた首と名高い弓と思しきものを見せられる。彼女は眼差し、肌の色、髪の巻きなどの徴を見分け、吉祥なる宝珠 cūḍāmaṇi との結びつきも思い起こして倒れ伏し、やがて長い嘆きの言葉を吐露する。 その嘆きは、非難(とりわけカイケーイー Kaikeyī への責め)、自責、そして kāla(時/時運)が智慧と守護者をも溶かし去るという形而上的省察へと巡る。彼女は、政道と災厄回避に通じたラーマがなお死に呑まれたという、ダルマの逆説を語る。ラクシュマナ(Lakṣmaṇa)だけが帰還したときのカウサリヤー(Kausalyā)の崩れ落ちる悲しみを思い、英雄の身体が屍肉を漁る者に委ねられ、正しい saṃskāra(葬送の浄礼)を欠くことの社会的・宗教的断絶を嘆く。結びには、ラーヴァナに対し、死において夫と一つにしてほしいと懇願する。 ラーヴァナが大臣たちに会うため去ると、首と弓は忽然と消え、これは幻術による威迫の企てであったことが明らかとなる。場面は政務へ移り、衛兵がプラハスタ(Prahasta)の到来を告げる。ラーヴァナは大臣を召集し、理由を明かさぬまま太鼓の合図で軍勢を集めさせ、ラーマに対する行動を正式に審議し始める。
सरमा-सीता संवादः (Saramā Consoles Sītā; Preparations in Laṅkā)
第33章は、アショーカ林にも似た幽閉の場で交わされる慰めと情報の対話を描く。羅刹女サラマー(Saramā)は、ヴァイデーヒー(Vaidehī)に情け深く友好的であるとされ、悲嘆に沈み気を失いかけたシーターのもとへ近づいて慰める。サラマーは、シーターとラーヴァナ(Rāvaṇa)の応酬を聞き及んだと告げ、ラーヴァナが動揺する理由を説く――ラーマ(Rāma)は眠りを衝く密襲では討てず、その死はあり得ないと見なされているのだ。 さらにサラマーは戦術上の現実を語る。樹木を振るって戦うヴァーナラ(Vānara)の戦士たちは、ラーマに「守護されている」ゆえに討ち難く、それはインドラ(Indra)に守られるデーヴァ(deva)に譬えられる。章は繰り返し、正義に立ち名高く、弓を携え、広い胸を持ち、征服されぬラーマの威容を、ラクシュマナ(Lakṣmaṇa)を共なる護り手として讃える。 続いてサラマーは情勢を伝える。ラーマは海を渡り、軍勢とともに南岸に陣し、斥候がその報をランカー(Laṅkā)へもたらし、ラーヴァナは大臣たちと評議している。場面は、太鼓や鈴、戦車、馬、象、武器と鎧が鳴り響くランカーの動員の音景へと至り、迫る合戦を感覚的に示す。結びに、儀礼と倫理の勧めとして、シーターは太陽(ディヴァーサカラ、Divasakara)に帰依し、衆生の運命を調える宇宙の統御者として仰ぐよう促される。
सरमायाḥ सीतासान्त्वनम् तथा रावणनिश्चयश्रवणम् (Saarana Consoles Sita and Reports Ravana’s Resolve)
このサルガは、戦の巻のただ中にあって、牧歌的で倫理的な間奏として置かれ、親密な対話によって政治の意図を明らかにし、シーターの内なる決意を安定させる。時を知り、微笑みをたたえて語るサーラナーは、シーターを慰め、その悲しみは雨に潤う旱土のように次第に退いてゆく。 シーターは不安を語り、確かな情報を求める。ラーヴァナの幻力(māyā)、繰り返される脅し、そしてアショーカ園(Aśoka-vāṭikā)での羅刹女たちの強圧的な監視を恐れ、ラーヴァナの固い決断が何であるかを確かめてほしいとサーラナーに頼む。サーラナーは使命を受け、ラーヴァナのもとへ赴き、臣下たちとの評議を聞いて、すぐに戻る。 シーターは彼女を抱きしめ、座を勧め、真実を告げるよう促す。サーラナーは、ラーヴァナの母カイカシーと老臣アヴィッダが、マイティリー(シーター)を名誉をもって解放すべきだと諫め、ラーマの力の証としてジャナスターナの滅亡と、ハヌマーンの大海横断およびその武勲を挙げたと報告する。だがラーヴァナは、宝に執着する吝嗇家のように、戦場で死に追い詰められぬ限り解放を拒む。章末には、太鼓・法螺貝・ヴァーナラの鬨の声が大地を揺るがし、羅刹の従者たちを沈ませ、王の過失による戦略的崩壊の迫り来ることを告げる。
माल्यवानुपदेशः · Malyavan’s Counsel, Portents in Laṅkā, and the Proposal of Alliance
第35章は、ラーマが軍勢を進め、法螺貝と太鼓の響きが戦陣を満たす場面から始まる。直ちに舞台はランカーの王廷へ移り、凶兆めいた轟きを聞いたラーヴァナは大臣たちに諮る。彼は、勇名を誇りながら沈黙する彼らを叱責し、悪しきニミッタ(前兆)が列挙される――不自然な混交、家内祭儀の乱れ、恐ろしい夢、鳥獣の敵意ある叫び、そして血の雨。これらは国の秩序が崩れゆく徴である。 その中で老臣マーリヤヴァーン(ラーヴァナの母方の祖父)が進み出て、整然としたニーティ(政道)の教えを説く。学識と正義に立つ王は王権を保つが、勢いが衰える時、賢王は侮りのヴィグラハ(敵対)ではなく、サンディ(和睦・同盟)を求めるべきだと。彼は戦の原因であるシーターを返すよう勧め、宇宙の力はラーマに味方し、ラーマは人の姿を取ったヴィシュヌであると断じる。その証として大海に架けられた驚異の橋を挙げる。章末、マーリヤヴァーンはラーヴァナの拒絶を見て沈黙し、退けられた忠言という悲劇が際立つ。
माल्यवानुपदेशः · रावणक्रोधः तथा लङ्काद्वाररक्षा-व्यवस्था (Malyavan’s Counsel, Ravana’s Anger, and the Fortification of Lanka)
第36章は、政治と倫理の緊迫した一幕を描く。ラーヴァナは、すでにカーラ(死・時運)の支配に入ったかのように、マーリヤヴァーンの有益な諫言を容れない。眉をひそめ目をぎょろつかせて怒りを露わにし、敵方への偏り、あるいは誰かの唆しによって辛辣な言葉を吐くのだと非難する。 ラーヴァナは自らの侵しがたい矜持を誇示し、屈するより折れることを選ぶと言い、頑固さを生来の性で克服し難いものとして語る。さらに橋の建造を偶然の出来事に過ぎぬと侮り、ヴァーナラたちと渡った後、ラーマは生きて戻れぬと断じる。 その激怒を悟ったマーリヤヴァーンは反論せず、慣例の祝福を述べて退く。続いて章は言辞から軍備の整えへ移り、ラーヴァナは群臣と協議してランカーの「比類なき」守りを定める—東門にプラハスタ、南門にマハーパールシュヴァとマホーダラ、西門にインドラジット(およびマハーマーヤー)、北門にシュカとサーラナを配し、ヴィルーパークシャを都の中央に強力な予備として置く。防備を命じ終えると、運命に駆られたラーヴァナは事が済んだと感じ、祝福する臣下を退けて内宮へ入る。
लङ्काद्वारव्यूहवर्णनम् / Disposition at the Gates of Lanka
第37章は、攻撃直前のラṅカーの戦術配置を描き出す。ヴァーナラ軍と同盟の首領たち—スグリーヴァ、ハヌマーン、ジャーンバヴァーン、アンガダ、ナラら—は敵都に迫り、作戦成功のために協議する。 ヴィビーシャナは偵察の報告を述べる。彼の使者たちは鳥の姿に変じてラṅカーへ潜入し、ラーヴァナの城塞と軍勢の編成を見届け、整然とした情報を持ち帰った。羅刹の守りは各所に配され、東門にプラハスタ、南門にマハーパールシュヴァとマホーダラ、西門に多様な武器を携える者を従えたインドラジット、北門には動揺しつつも厳重に護られたラーヴァナ自身、そしてヴィルーパークシャが都の中央に据えられている。さらに象軍・戦車・騎兵・膨大な歩兵の数が語られ、戦いの規模が示される。 ついで聖なるラーマは任務を定める。東はニーラがプラハスタに当たり、南はアンガダが諸将と戦い、西はハヌマーンが圧迫し、北はラーマがラクシュマナとともにラーヴァナの立つ門を突破する。スグリーヴァ、ジャーンバヴァーン、ヴィビーシャナは中央を固める。また識別の取り決めとして、ヴァーナラは人の姿を取らず、ラーマとラクシュマナ、そしてヴィビーシャナら選ばれた者を含む七名のみが人の姿で戦うと宣言される。最後にラーマはスヴェーラ山に登り、軍を率いてラṅカーへ進撃する決意を示す。
सुवेलारोहणम् (The Ascent of Suvela and the First Full View of Laṅkā)
第38章では、ラーマはスヴェーラ山に登り、夜はそこで宿して、羅刹たちの堅固な都ランカーを観察しようと定める。スグリーヴァに語りかけ、ヴィビーシャナをダルマに通じ(dharma-jña)、策に明るく(mantra-jña)、作法と手順を知る者(vidhi-jña)として認める。ラーマはこの遠征を、シーター誘拐への正法(ダルマ)にかなう応答、そしてラーヴァナの道徳的転倒を正す行いとして位置づける。彼の怒りは理にかなった義憤であり、「rākṣasādhama」の名に触れて燃え上がり、さらに「一人の悪が一族全体を危うくする」との政治的・倫理的警告を述べる。 登攀は統率ある行軍として進む。弓矢を携えたラクシュマナが従い、スグリーヴァと大臣たち、ヴィビーシャナが同行する。ハヌマーン、アンガダ、ニーラ、マインダ、ドヴィヴィダ、ジャーンバヴァーン、スシェーナ、リシャバらのヴァーナラの将たちは、数百の軍勢を率い、風のごとき速さで山を登る。頂からは、ランカーが天に懸かるかのように見え、壮麗な門と城壁、そして黒き羅刹の列が、第二の生ける城壁のように立ち並ぶ。 戦を望むヴァーナラ軍は、ラーマの御前でさまざまな鬨の声を上げる。夕陽が沈み月明かりの夜となると、ラーマはスヴェーラの稜線に憩い、ヴィビーシャナの儀礼の奉敬を受け、ラクシュマナと集ったユータパ(部隊長)に囲まれて過ごす。こうして本章は、偵察と同盟、そして正法の意志に支えられた、決戦前の静けさで結ばれる。
लङ्कादर्शनम् (Viewing Laṅkā and its Forest-Gardens)
第39章は、スヴェーラ山での警戒から、ランカーを直接に望み見る場面へと物語を移す。夜を徹して見張ったヴァーナラの首領たちは、ランカーの森と園林を目にする。そこは、カッコウや鶴、孔雀の声、蜂の羽音が響き、花の香を含む風が感官を満たす。変身自在のヴァーナラたちは歓喜して木立へ分け入り、また他の隊長たちはスグリーヴァの許しを得て、旗で飾られた都へと押し寄せ、その咆哮は鳥や大獣を驚かせ、砂塵を巻き上げる。 やがて視線は、花に覆われ光り輝き、ほとんど到達し難いトリクータの峰へと高められる。その頂にランカーは据えられ、都の広さと長さも語られる。高大なゴープラ、金銀の城郭、雲塊のような宮殿が都の姿を形づくり、中心の一棟はヴァイシュナヴァの聖なる住処に比せられる。さらに、百の羅刹に守られた千柱の宮殿が、ランカーの飾りとして特に挙げられる。最後に、シュリー・ラーマはラクシュマナとヴァーナラ軍とともに、宝石に彩られ巧みに築かれた門を備える繁栄の都を眺め、その壮麗さに驚嘆しつつ、物語は包囲と戦いへ備えてゆく。
सुवेलारोहणं रावण-सुग्रीव-नियुद्धम् (Ascent of Suvela and the Ravana-Sugriva Duel)
第40章では、ラーマはスグリーヴァおよびヴァーナラたちとともにスヴェーラー山の峰に登り、戦略的な高みからトリクータに聳えるランカーを望む。その都はヴィシュヴァカルマンの巧みな造営と伝えられる。ラーマは高い楼門(ゴープラ)の上に立つラーヴァナを見、白いチャーマラ、勝利の天蓋、赤檀の塗香、宝飾、さらにアイラーヴァタに結びつく傷痕といった王者の徴により、羅刹王が威厳ある君主であると同時に恐るべき標的であることを悟る。 その姿に触れてスグリーヴァは怒りを抑えつつ立ち上がり、ラーヴァナに向かって「世界の主」ラーマへの忠誠と奉仕を宣言し、直ちに突撃する。そしてラーヴァナの冠を奪い取り地に投げ捨て、王権の誇りを象徴的に辱める。 続いて近接の組討ちが展開する。投げと返し、抱え込みの組み、円を描く足運び、虚実の駆け引き、そして「戦の道」(yuddha-mārga)の数々が示され、武芸の精妙さと勇壮の情趣(vīra-rasa)が高まる。ラーヴァナは必殺の報復を脅し、さらにマーヤー(幻惑の術)で形勢を変えようとするが、スグリーヴァはそれを見越し、相手を疲弊させてから離脱し、ヴァーナラの間を抜けてラーマのもとへ帰還する。これによりラーマの戦意と味方の士気はいっそう昂まり、スヴェーラー/ランカーの地勢、奉仕と節度の倫理、そして落ちた冠という王権の徴が、争われる力の物語として結び合わされる。
युद्धलक्षण-निमित्तदर्शनं तथा लङ्काद्वारव्यूहः (War Omens and the Encirclement of Lanka’s Gates)
第41章は、待機から公然たる包囲へと移る。ラーマは戦の不吉な兆しを見てスグリーヴァを抱き、ラクシュマナに、冷たい水と実り豊かな森を備えた補給に富む地を確保し、軍を分けて整然と陣形を敷くよう命じる。続いて、烈風、地と山々の震動、血の混じる雨、獣鳥の凶なる鳴き声、天体の暗化といった終末めいた徴が列挙され、戦が単なる政争ではなく宇宙的・道徳的危機として描かれる。 ヴァーナラ軍は疾く進み、ランカーへ迫る。都の美と堅固な城塞が語られ、その難攻不落ぶりが強調される。ラーマは北門を封じ、ニーラが東、アンガダが南、ハヌマーンが西を守り、スグリーヴァが中央を固める。ラクシュマナはヴィビーシャナとともに、無数の兵を配置する。 やがて外交も策となる。ラーマは使者としてアンガダを召し、ダルマに基づく厳しい言葉をダシャグリーヴァへ伝えさせる――ヴァイデーヒーを返せ、さもなくば正当な滅びを受け、ヴィビーシャナが正しく王位に就くであろう。アンガダは使命を果たすが、力を試すため捕らえられ、足で宮殿の一部を砕いて帰還する。それはラーヴァナの怒りを燃え上がらせ、包囲の流れがもはや戻らぬことを示す。
लङ्काप्राकारारोहणम् / Assault on Lanka’s Ramparts and the Opening Clash
このサルガは、包囲の構えから正面決戦へ移る転機を描く。羅刹の斥候は、ラーマとヴァーナラ軍がランカーの要路と近づき口を実質的に押さえたとラーヴァナに報告し、ラーヴァナは激怒して直ちに全軍の武装と出動を命じる。シーターの苦難を思って胸を痛めるラーマは、敵軍への迅速な攻撃を命令し、ヴァーナラたちは獅子の咆哮のごとく叫び、樹木・岩石・山の峰を即席の攻城具として手に取る。 戦術行動が続く。城壁や城門をよじ登り、水を湛えた濠を土砂・木材・瓦礫で埋め、黄金のトーラナや、カイラーサ山にも譬えられる高大なゴープラを破って突入する。さらに城門前の布陣が整えられ、東にクムダ、南にシャタバリー、西にスシェーナ、北にラーマがラクシュマナとスグリーヴァを伴って陣取る。ガヴァークシャ、ドゥームラ、そして大臣たちを率いるヴィビーシャナは、援護と守護のために配置される。 ラーヴァナは総出撃を命じ、太鼓と法螺貝が轟き、その響きは山々・大地・天空・大海へと広がる。章の結びは凄惨な乱戦である。羅刹は棍棒・投槍・三叉戟・剣・ビンディパーラで打ちかかり、ヴァーナラは樹木と岩、さらに爪と牙で応戦し、血肉の泥濘が広がるほどの、驚くべき規模の激闘となる。
द्वन्द्वयुद्धप्रवृत्तिः (Dvandva-Yuddha: The Onset of Single Combats)
第43章では、ランカーの戦場がいよいよ激化し、ヴァーナラとラクシャサが次々に組み合う一騎討ち(dvandva-yuddha)の形をとる。ヴァーナラ軍の進撃に、ラクシャサたちは耐えがたい憤怒に燃え、勝利を求めるラーヴァナの軍勢が咆哮して出撃する。戦車と馬、武具の響きが四方に轟く。 名指しの対決が続く。スグリーヴァはプラグハサ/プラグハナと相まみえ、ラクシュマナはヴィルーパークシャに立ち向かう。ラーマはアグニケートゥ、ラシュミケートゥ、スプタグナ/ミトラグナ、ヤジュニャコーパに襲われるが、燃えさかる鋭い矢でその首級を断ち、ただちに報いる。ハヌマーンはジャンブマーリーの戦車の神兵(ratha-śakti)に胸を貫かれるも、決然として戦車に乗り込み、掌の一撃で彼を討ち取る。 ナラはプラターパナと決闘してその両眼をえぐり、マインダは拳でヴァジュラムシュティを打ち倒す。ドゥヴィヴィダは稲妻のごとき矢に傷つきながらも、サーラ樹をもってアシャニプラバーを斃す。ニーラはニクンバの矢の雨に耐え、戦車の車輪で彼と御者を討ち、スシェーナは棍棒の一撃を受けたのち巨岩でヴィディユンマーリーを粉砕する。章末には、折れた武器、砕けた戦車、倒れた象馬、断たれた身体、血の流れ、そしてジャッカルがうごめくという陰惨な戦場の相が描かれ、この戦いが神々と阿修羅の戦争にも比すべき規模と道義の緊迫を帯びることが示される。
चतुश्चत्वारिंशः सर्गः (Sarga 44): निशायुद्धम्, धूलिरुधिरप्रवाहः, इन्द्रजितो मायायुद्धम्
ヴァーナラとラクシャサが激突すると、日没が致命の夜戦を招き、戦いは闇の中の錯綜した乱戦となる。馬と戦車の車輪が巻き上げる塵は視界と聴覚を奪い、戦場は血の泥のごとく描かれる。太鼓・法螺貝・笛・咆哮、そしてトリクータの洞窟にこだまする反響が恐るべき音景を成し、暗闇では誤認が増して、味方を敵と見誤り互いに打ち合う者さえ出る。 ラーマの矢は方角を照らす光のように放たれ、迫り来るラクシャサを討ち滅ぼす。名の挙がる幾人かのラクシャサも射られて、命を辛うじて保ったまま退く。さらにアンガダは決然としてインドラジットの戦車を崩し、馬と御者を討ってその勢いを断ち、味方と天の衆から称賛を受ける。 しかし怒りに燃えるインドラジットは、正面の戦から秘匿の戦へと移り、姿を消して蛇のごとき矢を放ち、ラーマとラクシュマナを傷つけ、ついには矢の網で兄弟を縛り上げる。こうして戦いは、露わな武勇の争いから、マーヤー(māyā)によって心を揺さぶり惑わせる策へと一段と激化する。
इन्द्रजितः अन्तर्धानयुद्धं · Indrajit’s Concealed Assault and the Fall of Rama and Lakshmana
本章は、インドラジットが姿を隠す術(antardhāna)を用い、矢を雨のごとく浴びせることで戦局が一転するさまを描く。ラーマはその所在を求め、十人のヴァーナラの将を四方へ偵察に遣わす。ヴァーナラたちは引き抜いた樹木を即席の武器として携え天空へ躍り出るが、インドラジットの迅速で巧みな矢に阻まれる。闇と隠蔽のため敵影は見えず、雲に覆われた太陽のように、その姿は捉えられない。 姿なきままインドラジットはラーマとラクシュマナに語りかけ、戦場では帝釈天インドラでさえ自分を見分けられぬと誇り、二人を閻魔ヤマの住処へ送ると宣言する。続いて多様な鏃の矢、蛇のごとき飛矢を絶え間なく放ち、急所(marma)を射抜いて兄弟を縛り、疲弊させ、反撃の暇を与えない。まずラーマが倒れ、ラクシュマナは兄の倒れるのを見て悲嘆に崩れ落ちる。 ヴァーナラたちは倒れた王子たちの周りに集い、共に嘆き悲しむ。経文は、身体が傷で埋め尽くされ、指一本の幅ほどの無傷の場所すら残らぬと強調し、脆さと忍耐、そして欺きに依る戦いの倫理的重みを厳しく照らし出す。
शरबन्धनम् (The Binding by Arrows) / Indrajit’s Illusory Assault and the Vanaras’ Consolation
第46章は、ランカーの戦いにおける重大な逆転を描く。ヴァーナラの諸将は空と地を探し回り、ラーマとラクシュマナが動かぬまま横たわり、身体が無数の矢の網(śara-bandha)に貫かれ縛られているのを見出す。軍勢は一斉に嘆き、戦況への衝撃に包まれる。 マーヤーによって姿を隠すインドラジットは誰の目にも映らないが、恩寵により洞察を得たヴィビーシャナだけがその存在を見抜く。インドラジットは勝ち誇り、カーラとドゥーシャナを討った兄弟が射倒され、賢仙や神々の集いをもってしても救い得ぬと豪語する。さらにニーラ、マインダ、ドゥヴィヴィダ、ジャンバヴァーン、ハヌマーン、ガヴァークシャ、シャラバ、アンガダら主だったヴァーナラを傷つけ、矢に縛られた王子たちを見よとラクシャサたちに公然と呼びかける。ラーマが死んだとの誤解のもと、歓声が轟く。 インドラジットがランカーへ退いた後、スグリーヴァは恐れに呑まれる。ヴィビーシャナは聖水を用いて鎮めの所作を行い、気弱さを戒め、ラーマは死すべき定めではないと断言して、軍の士気を保つよう促す。章末、インドラジットは「勝利」をラーヴァナに報告し、ラーヴァナは彼を抱きしめ、矢の網の下で王子たちの光彩が失われたと語る報告を聞く。
पुष्पकविमानेन सीताया युद्धभूमिदर्शनम् (Sita Shown the Battlefield in the Pushpaka)
本章は、インドラジットの見かけの成功の後、ラーヴァナが仕掛ける心理的・情報的な策を描く。インドラジットが「任を果たした」としてランカーへ帰還すると、ヴァーナラの将たちはラ―ガヴァの周囲に厳重な護りの輪を作り、わずかな動きさえ羅刹の侵入の兆しとして警戒する。 歓喜したラーヴァナは、トリジャターを含むシーター付きの羅刹女たちに命じ、プシュパカ・ヴィマーナでシーターをアショーカ園から連れ出させる。目的は、ラーマとラクシュマナが討たれたかのように見せ、彼女の貞節と決意を砕くことにあった。ランカーは飾り立てられ、兄弟が戦死したとの布告がなされる。 トリジャターに伴われたシーターは、倒れ伏すヴァーナラ軍と、勝ち誇って祝う羅刹たちの様子を見、さらに「矢の床」に横たわるラーマとラクシュマナの失神した姿、砕けた鎧と弓を目にする。死と受け取ったシーターは激しい嘆きに崩れ落ち、悲痛と不安を言葉にする。本章は、欺きの凱歌と不動の忠誠を対比し、囚われ人の希望を弄ぶことの倫理的な代償を示す。
सीताविलापः · त्रिजटासान्त्वनं च (Sita’s Lament and Trijata’s Consolation)
第48章では、インドラジットの幻力(māyā)によってラーマとラクシュマナが倒れたかのように見える場面を、シーターが見せられる。彼女は崩れ落ち、嘆きに沈みつつ自らの運命を厳しく省みる。これを寡婦となる兆しと受け取り、婆羅門や占星家、祭式の達人たちが「繁栄・母となること・夫とともに王位の灌頂を受ける」と告げた予言は虚しかったと訴える。さらに女性の吉相(strī-lakṣaṇa)として、足裏の蓮華の印、宝玉のような肌の輝き、均整の取れた肢体などを列挙し、かかる瑞相が災厄と並び立つはずがないと嘆いて、兆しの学と現実の苦しみの緊張を際立たせる。 やがて悲しみは自分から、義母カウシャリヤーへの憂いへと移る。苦行のように慎ましく生き、再会を待ち望む母の思いを想うほど、シーターの道義的な痛みは深まる。そこへ、シーターに同情する羅刹女トリジャターが、観察にもとづく理で絶望を退ける。兄弟の顔と身体の光彩は死相ではなく、軍勢の振る舞いにも主将喪失後の崩れが見えず、また吉祥なるプシュパカ飛車(Puṣpaka-vimāna)が、もし真に二人が亡いのならシーターを運ぶはずがない、と。トリジャターは真実を語ると誓い、迷妄(moha)と憂悲(śoka)を捨てよと諭す。 章末、シーターはプシュパカによりランカーへ戻され、再びアショーカ林に入る。しかし「王の御子」たるラーマとラクシュマナを思い返すと、慰めの中にあっても深い悲嘆が再び呼び覚まされる。
शरबन्धनविलापः (The Lament under the Net of Arrows)
この章は、恐るべき神箭の一撃の後を描く。ラーマとラクシュマナは戦場に倒れ、恐怖の「矢の網」シャラバンダ(śarabandha)に縛られ、血を流し、蛇のように喘いでいる。スグリーヴァとヴァーナラたちは悲嘆のうちに二人を取り囲む。 不屈の心と自制によってラーマは意識を取り戻すが、ラクシュマナの容体を見て長い嘆きに沈む。弟を失っては生の価値も、シーター奪還さえも空しいと問い、さらにカウサリヤー、カイケーイー、スミトラーに告げねばならぬ苦しみを思う。ラーマは自らを卑しく罪深い者と責め、挑発されても変わらぬラクシュマナの温和さを讃え、その武勇をカルタヴィールヤや、さらにはインドラの武器にまで誇張して比べる。 ラーマはスグリーヴァに、軍を率いて海を渡り退くよう命じ、先頭にはアンガダ、ニーラ、ナラを立てよと言う。これは人の力では覆せぬダイヴァ(天命)であり、同盟者はすでに義務を果たしたのだと述べる。嘆きを聞いたヴァーナラたちは泣き崩れる。そこへ棍棒を手にしたヴィビーシャナが到来し、ヴァーナラたちは一瞬インドラジットと誤認して動揺する。戦の混乱と士気の脆さが示される。
सुपर्णागमनम् (Garuda’s Arrival and the Release from the Serpent-Arrow Bond)
第50章は、戦場の危機が、助言と医薬の知恵、そして神聖なる介入によって解かれるさまを描く。スグリーヴァはヴァーナラ軍の動揺を見て理由を問う。アンガダは、インドラジットのマーヤーが蛇となって現れ、ラーマとラクシュマナを縛り、「矢の床」に横たえさせているのだと告げる。そこへヴィビーシャナが来るが、当初は疑われ、しかし傷ついた二王子を見て嘆き、ラーヴァナ側の欺きの策を責め、自らの苦悩を吐露する。 スグリーヴァはヴィビーシャナを慰め、ラーヴァナの敗北は必定と語り、スシェーナに相談する。スシェーナはデーヴァとアスラの戦いでの治療を想起し、乳海(クシーローダ)近辺のチャンドラ山・ドローナ山から稀なる霊薬サンジーヴァカラニーとヴィシャリヤカラニーを得るべきだと述べ、その役にハヌマーンを推す。 だが計画が動く前に、大気が乱れ島の樹々が倒れ、ガルダの来臨が示される。蛇は逃げ去り、ガルダが二王子に触れて清めると、傷はたちまち癒え、光輝・力・記憶・士気が回復する。ガルダは自らをラーマの友と名乗り、戦においてラークシャサを信じるなと戒め、勝利とシーター奪還を予告し、周回礼拝して去る。ヴァーナラ軍は獅子の咆哮のごとく歓呼し、太鼓と法螺を鳴らして、再びランカーの城門へ進軍する。
धूम्राक्षप्रेषणम् (The Dispatch of Dhūmrākṣa)
第51章は、ランカーの指揮における戦略と心理の転換を語る。ラーヴァナはヴァーナラたちの騒然たる歓呼の咆哮を聞き、事態が思いがけず反転したことを悟る。彼は偵察を命じ、動揺したラクシャサたちが城壁に登って、スグリーヴァの軍勢が堅く守られているのを見届ける。そして決定的な報せを得る――かつてインドラジットの恐るべき矢の縛めに囚われていたラーマとラクシュマナが、今や明らかに解き放たれ、縄を断つ象のように立っているという。 使者たちは恐怖に震えながらも言葉を抑えて奏上し、その報告はラーヴァナの胸に不安を伴う怒りと、軍の安泰および武器の効力への疑念を燃え立たせる。そこで彼はドゥームラークシャを召し、直ちに出撃してラーマとヴァーナラ軍を討てと命じる。軍勢は武器、戦車、馬、象を整えて集結し、ドゥームラークシャは金で飾られた、驢馬に曳かせる戦車に乗り、西門へ向かう。そこにはハヌマーンが控えていた。 道中、禍を告げる兆し――禿鷲、血の影、逆風、闇、地の震え――が相次いで現れ、迫る破局を示す。それでも出撃は進み、ついにドゥームラークシャは、ラグハヴァに守られた広大なヴァーナラの大軍を目の当たりにする。
धूम्राक्षवधः (The Slaying of Dhumrākṣa)
第52章は、戦場の一局面を凝縮して描く。羅刹軍の将ドゥームラークシャ(Dhumrākṣa)が再び前線に現れると、猿族ヴァーナラ(vānaras)は鬨の声を上げ、白兵の激突と飛び道具の乱射が入り混じる凄烈な戦いが始まる。羅刹の武器—矢、三叉戟、棍棒、鉄の棒、鉾槌—と、ヴァーナラが自然から取り上げる武具—樹木、岩塊、山の破片、さらに拳・足・歯・爪—とが交互に語られる。 戦場の響きさえも詩として昇華される。弓弦の鳴り、馬のいななき、象の叫びは「戦のガンダルヴァ」(battle-gāndharva)に喩えられ、混沌が叙事の楽章へと変わる。ドゥームラークシャは矢の雨でヴァーナラを散らし一時優勢となるが、味方が苦しめられるのを見たハヌマーンが断固として介入する。 ハヌマーンは巨大な岩を投げてドゥームラークシャの戦車を打ち、羅刹を跳び降りさせ、戦車を粉砕する。決闘はさらに鋭くなり、ドゥームラークシャは棘のある鉾槌でハヌマーンを打つが、風神の子は揺るがず、山の峰をその頭上に落として討ち取る。生き残った羅刹たちは恐れてランカー(Laṅkā)へ退き、ヴァーナラはハヌマーンを讃える。これは大戦の流れの中で、士気と指揮の転換を示す章である。
युद्धकाण्डे त्रिपञ्चाशः सर्गः · धूम्राक्षवधश्रवणं, वज्रदंष्ट्रप्रेषणं, अङ्गद-राक्षसयुद्धम् (Ravana Dispatches Vajradamshtra; Portents and Angada’s Assault)
このサルガは、報告から動員へと物語が転じる。ドゥームラークシャ(Dhūmrākṣa)の死を聞いたラーヴァナは、蛇のように嘶き、熱く長い息を吐くと譬えられるほど憤怒し、羅刹の勇将ヴァジュラダンシュトラ(Vajradaṃṣṭra)に、ラーマとスグリーヴァ、ならびにヴァーナラ軍を討てと直々に命じる。 続いて戦の支度と壮観が描かれる。羅刹の首領たちは華麗な装いで現れ、兵は象や諸々の乗り物に乗り、完全武装の隊列が、アンガダ(Aṅgada)の布陣する南門から出陣する。その途上、凶兆が割り込む。流星が落ち、山犬が鳴き、猛獣が羅刹の死を告げるかのように騒ぎ、彼らの自信に対して天の警めが対照をなす。 それでもヴァジュラダンシュトラは勇気を奮い起こして戦場へ入る。ヴァーナラたちは十方に響く勝鬨で応え、戦いはたちまち白兵へと激化し、樹木や岩、拳や膝が武器となる。ヴァジュラダンシュトラの矢はヴァーナラの陣を震え上がらせるが、怒りに燃えるアンガダが木を引き抜いて羅刹の隊形を蹂躙し、戦場には屍と装身具と武器が散り、動揺した羅刹軍は風に打たれる雨雲に喩えられる。
वज्रदंष्ट्रवधः · The Slaying of Vajradaṃṣṭra (Angada’s Duel)
『ユッダ・カाण्ड』(戦闘篇)第54章は、ランカー戦争の中でも凝縮された激戦を描く。羅刹ヴァジュラダンシュトラ(Vajradaṃṣṭra)は、自軍の壊滅とアンガダ(Aṅgada)の戦果に憤激し、狙い澄ました矢を雨のごとく放ってヴァーナラ(Vānara)の陣を乱す。戦場は、断たれた四肢、首なき躯、潰走する兵といった峻烈な描写で示され、戦の代償と士気の崩壊が浮き彫りとなる。 恐れたヴァーナラたちがアンガダのもとへ退き守りを求めると、ヴァーリ(Vāli)の子は将として立ち、ヴァジュラダンシュトラに正面から対峙する。決闘は段階を追って激化し、矢の応酬、樹木や岩峰を投げ合う即席の投射、戦車の破壊を経て、ついには棍棒の一撃と拳の打ち合いによる近接戦へと至る。 頂点において、アンガダは疲労を振り払い素早く起ち上がり、剣の一閃でヴァジュラダンシュトラの首を斬り落とす。勇将の死を目の当たりにした羅刹たちは恐怖と恥のうちにランカーへ逃れ、アンガダはヴァーナラ軍の中で称えられる。本章は、苛烈な戦場にあって衆を護る勇気と、決断の中に節度を保つ指導者の姿を示す。
अकम्पन-प्रेषणम् तथा कपि-राक्षस-रणवर्णनम् (Akampana Dispatched; The Vanara-Rakshasa Battle and Omens)
ヴァーリの子アンガダ(Aṅgada)によってヴァジュラダムシュトラ(Vajradaṃṣṭra)が討たれたと聞くや、ラーヴァナは軍の長に語り、ただちにアカンパナ(Akampana)を出陣させよと命じる。彼を、規律ある指揮官にして守護者、戦を愛する策士、あらゆる武器に通じた者として称賛した。命を受けた羅刹軍は一斉に駆け出し、アカンパナは黄金で飾られた戦車に乗って進む。その姿は雲と雷の譬えで描かれ、戦場の気配をいよいよ凄烈にする。 彼が突進すると、ウトパータ(utpāta)という凶兆が現れる。晴れていたはずの空が曇り、荒い風が起こり、鳥や獣が恐ろしい声で鳴き立てる。しかしアカンパナはそれらを顧みず、戦場へ踏み入った。戦いは轟音となって激化し、塵が赤く舞い上がって空を覆い、旗印も武器も馬も、戦士の姿さえ見えなくなる。その混乱の中で味方も敵も区別なく打ち合い、血が塵を湿らせ、大地は屍と断たれた肢で満ちていく。 やがて戦は密着した乱戦となり、木々や岩、棍棒、投げ槍、鉄の棒のような腕力が振るわれる。アカンパナは羅刹たちを鼓舞するが、ヴァーナラの将クムダ(Kumuda)、ナラ(Nala)、マインダ(Mainda)が反撃して突入し、敵陣を粉砕する。
अकम्पनवधः · The Slaying of Akampana (Hanuman’s rout of the Rakshasa host)
この章では、戦場の潮目が一気に変わるさまが描かれる。ヴァーナラ軍の「大いなる功績」を見たアカンパナは激怒し、御者に命じて、羅刹たちが討たれている最前線へ戦車を走らせる。疾走する戦車から彼は矢の網を濃密に浴びせ、ヴァーナラたちは多くが倒れ、恐れ乱れて退く。 同族と味方が圧倒され死地に迫るのを見たハヌマーンは、揺るがぬ支えとして前に進み出る。ヴァーナラの将たちは彼の周りに集い、その導きのもとに「依り処」(āśraya)を得て力を取り戻す。こうして一騎打ちの形となり、アカンパナは矢を降らせ、ハヌマーンはそれを耐え忍びつつ、ただ一つ—アカンパナを滅する—ことに心を定める。 武器を持たぬハヌマーンは山を引き抜き、さらにアシュヴァカルナの樹をも引き抜いて即席の武器とするが、アカンパナは半月形の矢で空中の山頂を断ち、ハヌマーンの憤怒をいよいよ燃え立たせる。ハヌマーンは突撃して敵陣を破り、引き抜いた樹でアカンパナの頭を打ち砕いて討ち取る。羅刹軍は恐慌して武器を捨て、ランカーへ逃げ込む。ヴァーナラたちはハヌマーンを讃え、その称賛はラーマ、ラクシュマナ、スグリーヴァ、ヴィビーシャナにまで及び、守護の怒りが救いへ転じること、そして一人の勇者が軍の心を支えることを示す。
प्रहस्तनिर्याणम् · Prahasta’s Departure and the Muster of the Rakshasa Host
第57章は、アカンパナの死に対する衝撃から、羅刹たちの正式な反攻へと転じる。憤怒しつつも蒼白なラーヴァナは、重臣と協議し、ランカーの防備の要所を巡視したのち、戦の達人プラハスタに語りかけ、急に圧迫された都を救う役目を託す。危機は断乎たる戦場指揮によってのみ解けるとし、代わりに重荷を担いうる者として自ら、クンバカルナ、インドラジット、ニクンバを挙げながらも、ただちに動員せよとプラハスタに命じる。 プラハスタは諫言を交えて答える。先の評議を想起し、シーターを返すことこそ益ある道であり、拒めば戦は避けられぬと言う。それでも忠誠を固くし、賜った恩寵と栄誉に報い、命を戦に捧げると誓う。彼は諸将に大軍の招集を命じ、ランカーは重武装で象のごとき勇士に満ち、火供、婆羅門への敬礼、加持された花鬘などの儀礼が相次いで行われる。 プラハスタは、蛇の旗印と金の網飾りを備え、雷鳴のように轟く壮麗な戦車に乗り、副将らとともに出陣する。太鼓と法螺貝、恐るべき叫びが響き渡る一方で、凶兆が群がる—逆回りに舞う屍鳥、流星、烈風、山犬の声、血の雨、旗にとまる禿鷲、御者の鞭の滑落—外の華やぎに反して破滅を告げる。ヴァーナラ軍は樹木と岩を手に備え、互いの挑戦が高まり、プラハスタは火に入る蛾のように勝利を求めて猿軍へ突入し、驕りと凶兆の攻勢、そして戦の悲劇的な奔流という教訓を刻む。
प्रहस्तवधः (The Slaying of Prahasta)
第58章は、聖なるラーマが、強大な羅刹の将プラハスタが大軍を率いて進み来るのを見て、落ち着いた確信をもってヴィビーシャナにその者の名を問うところから始まる。ヴィビーシャナは、プラハスタこそラーヴァナのセーナーパティ(総大将)であり、武勇と武器の達人として名高く、ランカー軍の大きな一部を指揮する者だと答える。 やがて大乱戦となり、双方は岩石と矢の雨を浴びせ合って激突する。戦場には剣・槍・長槍・棍棒・鉄の棒などの武器が散り、死傷者が重なる。叙述はさらに厳しく、戦地を血と屍と折れた腕が流れる「川」にたとえて、戦の代償の重さをありありと示す。 プラハスタは自ら前に出て矢の嵐でヴァーナラ軍を蹂躙するが、ニーラがこれに立ち向かう。多くの矢に貫かれながらも、ニーラは根こそぎ引き抜いた樹木で反撃し、プラハスタの弓を折って、重い槌による近接戦へと追い込む。最後にニーラは巨大な岩をプラハスタの頭上に落とし、砕き殺す。 将を失った羅刹の軍勢は意気を失い、嘆きに言葉もなくランカーへ退く。ラーマとラクシュマナはニーラを称え、ヴァーナラたちはこの戦略的勝利を喜び合う。
युद्धकाण्डे एकोनषष्टितमः सर्गः · Rāvaṇa’s Assault on Nīla and Lakṣmaṇa; Hanumān Bears Rāma
第59章では、戦の重心が総力戦から王者同士の直接対決へと移る。ニ―ラが羅刹軍の総大将を討ったとの報が伝わると、ラーヴァナはランカーより出陣し、樹木や岩を手に雲海のごとく群れ集うヴァーナラ軍を見渡す。攻防は機略を伴って展開し、山頂のように猛るスグリーヴァの突撃は封じられ、幾人ものヴァーナラの将は押し戻されてラーマのもとへ庇護を求める。 ラーヴァナは次にニ―ラへ矛先を集中する。ニ―ラが敵の弓の上にまで乗るほどの敏捷さは一瞬王の応手を揺るがすが、ラーヴァナは火を帯びた矢を放ち、命は奪わずにニ―ラを撃ち倒す。続いて物語はラーヴァナとラクシュマナの危急の一騎討ちへ転じる。矢の雨は断ち切られ、ラーヴァナはブラフマーより授かった矢でラクシュマナを傷つけ、ついには恐るべきシャクティ(投げ槍)を投じてその胸を貫く。 ラクシュマナが崩れかけると、ラーヴァナは捕らえようとするが持ち上げられない。そこへハヌマーンが雷霆の拳で介入し、ラクシュマナを救い出してラーマのもとへ運び、自らの背を乗り物として捧げる。ラーマはこれを受け、ハヌマーンに乗って進み、ラーヴァナの戦車と冠を打ち砕く。しかし「敵は疲弊している」と宣してとどめは刺さず、休んで再び来るよう命じる。本章は猛威と自制を対置し、戦のダルマ、同盟者の護り、そして力を制御して用いることを際立たせる。
कुम्भकर्णविबोधनम् (The Awakening of Kumbhakarna)
第60章では、ラーマの矢により辱めを受けたラーヴァナがランカーへ戻り、危機を過去の呪詛と予言によって読み解く。ヴェーダヴァティーへの凌辱、ウマー、ナンディーシュヴァラ、ランバー、そしてヴァルナの娘にまつわる呪い、さらに「災いは人間より起こる」とするブラフマーの警告を思い起こし、城門の守りをいっそう固めるよう命じる。同時に、ブラフマーの呪いゆえに長い眠りに沈むとされるクンバカルナを急ぎ起こし、その武名を最後の切り札として呼び起こす。 多数の羅刹たちは、供物の食と香、法螺貝と太鼓の轟き、棍棒や樹木での打擲、水を浴びせ、縛って叩き、ついには象を踏ませるなど、次第に激しい手段で彼を覚まそうとする。やがて飢えと衝撃が昏睡を破り、クンバカルナは冥界のごとき口、燃える星辰のような眼という終末的な相をもって目覚める。彼は膨大な肉・血・脂・酒を貪り、何ゆえの非常かと問う。 大臣ユーパークシャは、脅威は神々ではなく人間—ラーマとヴァーナラ軍—であり、すでにランカーが受けた損害とラーヴァナが辛くも逃れたことを告げる。クンバカルナはただちに征服を誓い、地を揺るがして出陣する。その出現はヴァーナラの将たちを震え上がらせ、多くが逃走するかラーマのもとへ庇護を求め、次なる戦局へ向かう前の心理的転機となる。
कुम्भकर्णदर्शनम् · The Appearance of Kumbhakarna and the Account of His Might
本章は、ラーマが弓を取り、冠を戴き山のごとき巨体のクンバカルナを見上げる場面から始まる。その途方もない威容に、ヴァーナラたちは恐怖に包まれる。ラーマがヴィビーシャナにこの前代未聞の者は何者かと問うと、彼はヴィシュラヴァスの子であり、かつてインドラを打ち破り、ヤマの軍勢さえ退けた者、恩寵に頼る他の羅刹王たちを凌ぐ生得の剛力を備える者だと告げる。 さらにヴィビーシャナは過去を語る。クンバカルナは生まれながらに破滅的な飢えを持ち、衆生を食らい、人々を震え上がらせたため、インドラの雷撃を招いた。だが彼はアイラーヴァタの牙でインドラを打ち据えた。諸天と諸々の存在は梵天に訴え、彼の暴虐—吞食、諸天への襲撃、アーシュラマの破壊、他人の妻の略奪—を告げる。梵天は彼に死したるがごとき眠りを呪いとして与え、ラーヴァナは血統と公平を理由に抗議するが、梵天は折衷として「六か月の眠りと一日の覚醒」を定める。しかしその一日は、世界を脅かす飢えとして描かれる。 戦場の現在に戻り、ヴィビーシャナは軍の士気を整えるよう促す。ラーマはニーラに命じ、軍勢を展開してランカーの門・道・渡り場を押さえさせ、ヴァーナラに樹木や岩、山の峰を武器として持たせる。こうして軍は、雲塊のように密なる戦陣を成す。
कुम्भकर्णस्य प्रबोधनम् · The Awakening and Commissioning of Kumbhakarna
第62章は、ランカー内部におけるクンバカルナの覚醒と出陣を、政治的・心理的な場面として描く。眠気と酩酊を帯びながらも、彼は羅刹の「虎」と称される猛者として、壮麗な王道を進む。幾千の従者に護られ、花の雨をもって敬われつつ、金の格子が輝き日光のように明るい羅刹王の宮殿へ入る。その歩みは力強く、大地さえ揺れるかのようである。 プシュパカの座にあり不安を隠せぬラーヴァナは、兄を見て喜び立ち、抱擁して上座に据える。クンバカルナは怒りに燃え、血走った眼で、なぜ自分を起こしたのか、ラーヴァナは誰を恐れているのかと問いただす。ラーヴァナはラーマへの恐れを告白し、ラーマとスグリーヴァが大軍を率いて海を渡ったこと、ランカーの林苑が荒らされ羅刹が多く倒れたこと、しかもヴァーナラ軍は戦でなお折れぬことを嘆く。 疲弊し、子どもと老人ばかりが残る都を守ってほしいとラーヴァナは懇願する。そして、かつてデーヴァやアスラを打ち破ったクンバカルナの武勲を讃え、敵軍を風が雨雲を散らすように打ち散らせと命じる。
कुम्भकर्णोपदेशः · Kumbhakarna’s Counsel and War-Boast to Ravana
第63章は、ランカー城内での重要な諫言の場面を描く。ラーヴァナの嘆きを聞いたクンバカルナは、まず嘲るように笑うが、やがて厳粛なニーティ(王道・政道)の説へと転じ、王は諸策の中から最善を見極め、臣下とともに、時(kāla)と結果をわきまえて行動すべきだと説く。 彼は、和解・懐柔(sāntva)、贈与(dāna)、離間(bheda)、そして勇力による武(vikrama)という古典の方策を挙げ、時宜に応じて単独または組み合わせて用いるべきだと述べる。また、ダルマ(dharma)・アルタ(artha)・カーマ(kāma)を秩序ある均衡のうちに追求せよとし、無学で不遜な助言者や、敵と通じる大臣を戒め、評議の場では言動と品行を見極めよと強調する。 諫めに刺されたラーヴァナは過去の省察を退け、ただちに実行できる策を求める。クンバカルナは口調を和らげ、ラーヴァナを守ると約し、自らを戦の決定的な器として差し出し、誇張された武の誓いを立てる――ラーマ、ラクシュマナ、スグリーヴァ、ハヌマーンを滅ぼし、さらには神々にも挑むと。かくして本章は、冷静な治国の知と、戦前の誇示的な豪語とを並置し、助言が出陣の動員の言葉へ変貌するさまを示す。
महोदर-वाक्यं कुम्भकर्ण-प्रतिषेधः (Mahodara’s Counsel and the Critique of Kumbhakarna’s Solo Assault)
『ユद्ध(戦闘)篇』第64章は、ランカーの王廷評議における論争として構成される。クンバカルナの主張を聞いたのち、マホーダラは鋭く叱責し、単独で出陣するという理屈は浅慮であると断ずる。彼は、かつてラーマがジャナスターナで羅刹たちを滅ぼした先例を挙げ、ラーマの力がすでに証明され、今なお恐れを呼び起こしていることを示す。さらに、ラーマを憤怒の獅子に、また起こしてはならぬ眠れる蛇に喩え、正面から挑発することの非合理を説く。 続いてマホーダラは、具体的だが道義的に曖昧な策へと話を移す。すなわち、マホーダラ、ドヴィジフヴァ、サムフラーディ、クンバカルナ、ヴィタルダナの五勇士が出撃してラーマに当たり、勝敗にかかわらず都には「ラーマとラクシュマナは喰らわれた」との触れを流して心理的衝撃を与えるというのである。その噂に乗じて、ラーヴァナは密かにシーターに近づき、慰めつつ財宝・穀物・宝玉で誘い、恐怖と悲嘆と孤立によって屈服を迫れと勧められる。本章は、危険・兵力・時機を量るニーティ的思考と、情報を操る策謀とを並置し、技巧の冴えと同時にダルマからの逸脱を浮き彫りにする。
कुम्भकर्णप्रस्थानम् · Kumbhakarna’s Departure for Battle
第65章は、クンバカルナの動員が宮廷の評議から、儀礼を帯びた武装と出陣へと移るさまを描く。彼はマホーダラの萎縮した言葉を叱り、武人の法(ダルマ)を宣言する――勇は自賛ではなく行いによって証される、と。そして、これまでの集団的な戦略の過誤を正すため、自ら戦場へ赴くと述べる。 ラーヴァナは説得と慰撫で応じ、マホーダラのラーマへの恐れを見抜き、クンバカルナの比類なき力と善意を称えて、ヴァーナラ軍と二人の王子を滅ぼすよう促す。クンバカルナはラーマを討ってラーヴァナの恐怖を取り除くと誓い、軍は留めて自分一人で先行すると提案するが、ラーヴァナは独りよがりの慢心を戒め、護衛を伴う進軍を命じる。 続いて盛大な叙任の儀が行われ、花鬘、腕輪、指輪、装身具、冠、耳飾り、帯、鎧が授けられる。彼の威容は火・月、そしてナーラーヤナ/トリヴィクラマに譬えられる。太鼓と法螺貝の響き、戦車や戦象、さまざまな乗り物の中で出立するが、黒雲と稲妻、山犬、旋回する鳥、武器に止まる禿鷲、流星、翳る太陽、止む風といった凶兆が現れる。それでも彼は宿命に促され進み、城壁を越えるや咆哮でヴァーナラの陣を震え上がらせ、散乱と崩れを招く。かくして本章は、王者の華麗と雄弁の自信に、凶兆と迫る死の重みが対置される。
कुम्भकर्णप्रस्थानम् तथा अङ्गदप्रेरणा (Kumbhakarna’s sortie and Angada’s rallying of the Vanaras)
第66章は、軍の士気が崩れかけ、再び立ち直るさまを描く。山の峰にも譬えられる巨躯のクンバカルナは、たちまちランカーの境を越えて進み出で、海さえ反響するほど咆哮して、恐怖による威圧を示す。ヴァーナラ軍は、彼を「大いなる神々にも攻め難い」と見て戦慄し、四散する。振り返らずに跳び退く者、海へ落ちる者、洞窟・山・樹上に身を隠す者、死んだように倒れ伏す者もあった。 そこへヴァーリの子アンガダが戦場の指揮者として立ち、帰陣を命じる。武器を捨てて逃げれば恥辱を招くと諭し、ダルマにかなう戦いで死ぬことこそ勝ると説く――勝てば名誉、討たれてもブラフマローカに至る、と。さらに、先の自賛が今の狼狽によって覆されたことを戒める。敗走した者たちは、クンバカルナの破壊があまりに凄まじく命が惜しいと訴えるが、アンガダの激励に、ハヌマーンの説得と譬えが加わり、軍は再び結束を取り戻す。 リシャバ、シャラバ、マインダ、ドゥームラ、ニーラ、クムダ、スシェーナ、ガヴァークシャ、ランバ、ターラー、ドゥヴィヴィダ、パナサ、そしてハヌマーンらの将たちは隊を整え、速やかに रण(戦場)へ進む。岩や花咲く樹をクンバカルナに投げつけても、その肢に当たって砕け散り、彼の恐るべき堅牢さを示しつつ、戦いは再開される。
कुम्भकर्णवधः · The Slaying of Kumbhakarna
第67章では、ランカーの戦場はクンバカルナの圧倒的で、ほとんど宇宙的とも言える暴威によっていっそう激化する。ヴァーナラ軍の士気が揺らぐと、アンガダが力強く諭して奮い立たせ、再び戦列へと戻らせる。アンガダ、スグリーヴァ、ハヌマーン、ニーラ、リシャバ、シャラバ、ガヴァークシャ、ガンダマーダナらの勇将が、樹木や岩塊、山の峰を投げ打って挑むが、多くは効かず、羅刹のほとんど不壊の身と力の非対称が際立つ。 クンバカルナは戦士を呑み込み、陣形を散らし、侮蔑と誇りに満ちた挑戦を浴びせて、まるで死そのものとの勝負であるかのように戦いを描き替える。ここでラーマが自ら介入し、ヴァーナラたちを慰撫して弓矢を携え進み、神聖なる武器—とりわけヴァーヤヴィヤの矢、さらにインドラの威力を帯びた矢—を放つ。 転機はラーマがクンバカルナの腕を斬り落とす場面である。山頂にも喩えられる断たれた腕はヴァーナラの陣へ落ち、味方にも死傷をもたらす。これは、正義(ダルマ)の側にも及ぶ戦の悲劇的な余波を示す。なおも襲いかかるクンバカルナに対し、ラーマは段階的に肢を断って戦闘力を奪い、最後には光輝く一矢で首を落として討ち果たす。大地と山々は震え、天の衆は歓喜し、ヴァーナラ軍は自信を取り戻す—その死は戦局の戦略的・道義的な大きな節目となる。
कुम्भकर्णवधश्रवणेन रावणविलापः (Ravana’s Lament on Hearing of Kumbhakarna’s Slaying)
このサルガは、戦場の勝敗から宮廷における心の帰結へと軸を移す。羅刹の使者たちは、クンバカルナが短いながらも凄烈な猛攻でヴァーナラたちを散らし、数多を喰らったにもかかわらず、ついに光輝あるラ―ガヴァ(ラーマ)によって討たれたと報告する。さらにその屍の恐るべき巨像が語られる。山のごとき身体はラーマの矢によって無残な胴へと裂かれ、血を噴き、ランカーの一つの門を塞ぐほどであり、武の敗北が都の凶兆へと変わる。 この報を聞いたラーヴァナは昏倒し、やがて目覚めると長い哀哭(vilāpa)に沈む。彼はクンバカルナを「我が右腕」と呼び、デーヴァとダーナヴァの驕りを砕いた者がいかにしてラーマに倒れ得たのかと嘆き、そこに武勇を超えて働く kāla(時・宿命)の支配を見る。天上ではデーヴァとリシたちが歓喜するだろうと想い、またヴァーナラが勢いづいてランカーの守りをよじ登るという戦略上の危機を予感する。 嘆きはやがて内へ向かい、政治的な自己糾弾となる。ラーヴァナはこの災いを、かつての adharma の vipāka(熟した報い)と認め、とりわけ正しきヴィビーシャナを追放し、その忠告を退けたことを悔いる。ラ―ガヴァを討てぬなら命に価値はないと決し、悲嘆のあまり再び身を崩す。ここに、英雄的抵抗から、宿命の影に覆われた必死の決意への転換が示される。
त्रिशिरा-प्रबोधनम् तथा नरान्तक-वधः (Trisira’s Counsel and the Slaying of Naranthaka)
第69章は、宮廷の嘆きから戦場の激闘へと転じる。トリシラー(Triśirā)は、クンバカルナ(Kumbhakarṇa)を失って嘆くラーヴァナ(Rāvaṇa)を戒め、王たる者は節度と沈着を保つべきこと、また自らの授かった恩寵と武具を思い起こさせる。その諫言により気を取り直したラーヴァナは、トリシラー、アティカーヤ(Atikāya)、デーヴァーンタカ(Devāntaka)、ナーラーンタカ(Narāntaka)、マホーダラ(Mahodara)、マハーパールシュヴァ(Mahāpārśva)の六将を、儀礼の塗油を施し、象・戦車・馬と重武器で壮麗に整えて出陣させる。 戦場では、羅刹軍の進撃は嵐雲にたとえられ、ヴァーナラ(Vānara)の将たちは咆哮し、木を引き抜き、山を持ち上げて応じる。乱戦のただ中でナーラーンタカが最大の脅威となり、燃え立つ槍でヴァーナラの隊列を切り裂く。動揺を見たスグリーヴァ(Sugrīva)は、騎乗の敵を止めよとアンガダ(Aṅgada)に命じる。 アンガダは武器を持たず、爪と牙を天賦の武器としてナーラーンタカに対峙し、雷霆のごとき槍を投げよと挑む。砕け散るほどの衝撃に耐え、掌打で敵の馬を倒すと、報復の拳も受け止める。ついに渾身の一撃で胸を裂き、ナーラーンタカを討ち取った。天はデーヴァ(神々)とヴァーナラの讃嘆に響き、アンガダの戦功は大戦の中で士気を立て直す難勝として称えられる。
त्रिशिरा-देवान्तक-महोदर-मत्त (महापार्श्व) वधः | Slaying of Trisira, Devantaka, Mahodara, and Matta (Mahaparsva)
第七十章では、戦場において羅刹の主だった勇将たちが次々と倒れてゆくさまが語られる。ナラ―ンタカ、デーヴァーンタカ、三つの頭をもつトリシラー(トリムールダ)、マホーダラらの戦死を見て、羅刹たちは嘆き悲しむ。雲のごとき巨象に乗るマホーダラはアンガダに突進し、デーヴァーンタカは鉄の棍棒(パリガ)で打ちかかる。三将が同時に襲いかかってもアンガダは怯まず、巨象を掌で打ってその眼を落とし、さらに牙を引き抜いてデーヴァーンタカを打つ。 アンガダが包囲されたと知り、ハヌマーンとニーラが駆けつける。ニーラは山の峰を投げてトリシラーを撃ち、デーヴァーンタカはハヌマーンに棍棒で迫るが、ハヌマーンは金剛のごとき拳でその頭を打ち砕き討ち取る。トリシラーは矢の雨をニーラの胸に浴びせ、マホーダラも象上から矢で押さえ込むが、ニーラは意識を取り戻し、樹々を伴う山を引き抜いてマホーダラの頭上に叩きつけ、象もろとも倒す。最後にハヌマーンは激闘の末、剣でトリシラーの三つの首を斬り落とし、その偉業はインドラがヴィシュヴァルーパを討った譬えに比せられる。 後半では、マッタ/マッターニーカ(マハーパールシュヴァ)がトリシラー、マホーダラ、デーヴァーンタカ、ナラ―ンタカの死を見て憤激し、黄金の帯で飾られた恐るべきガダー(棍棒)を取り、猿軍を蹴散らす。そこへリシャバが立ちはだかり胸で一撃を受け、やがてその棍棒を奪い返して幾度も打ち据え、マハーパールシュヴァを眼も裂けるほどに傷つけ地に倒す。羅刹軍は武器を捨て命惜しさに逃げ去り、戦の気勢が転じ、正法の戦いにおいて将の討伐が決定的であることが示される。
अतिकायवधः (The Slaying of Atikāya)
第71章は、ラーヴァナの子アティカー ヤ(Atikāya)を描く。山のごとき巨躯をもち、梵天(Brahmā)の恩寵により守護された彼は、羅刹の軍勢と親族が討たれるのを見て憤激し、戦場へ躍り出る。遠くから巨大な戦車の武者を見とめたラーマはヴィビーシャナに問い、ヴィビーシャナは、彼がダーニャマーリニー(Dhānyamālinī)の子であり、アストラヴィディヤー(astravidyā)に通じ、加護と甲冑によって常の武器ではほとんど傷つかぬことを語る。 アティカー ヤはヴァーナラの陣を脅かし、相応の敵との決闘を求める。ラクシュマナがこれに応じ、誇りとダルマをめぐる言葉の応酬は、勇は言ではなく行いによって示されると際立たせる。やがて戦いは、アグニ、スーリヤ、インドラ、ヴァーユ、ヤマ、トヴァシュトリ/イシーカ等のアストラが次々と放たれる激闘となり、矢は天空で衝突しつつも、アティカー ヤの貫けぬ鎧(kavaca)には通じない。ラクシュマナは蛇のような矢に一瞬よろめくが、すぐに立て直し、馬・御者・轅など戦車の要を打ち砕く。 そのとき風神ヴァーユは、加護に守られた鎧を破れるのは梵天の武器、すなわちブラーフマ・アストラのみであると告げる。ラクシュマナがブラーフマ・アストラを招来すると、充填の瞬間に宇宙は震え、対抗の術を超えた一撃が冠ある首を断つ。生き残った羅刹は恐慌してランカーへ逃れ、ヴァーナラ軍はラクシュマナを讃え、彼は速やかにラーマのもとへ戻る。
अतिकायवधश्रवणं रावणस्य लङ्कारक्षाविधानम् (Ravana’s Reaction to Atikaya’s Death and the Fortification Orders for Lanka)
このサルガは、精気みなぎるラクシュマナによってアティカーヤが討たれたとラーヴァナが聞くところから始まる。その報は彼を目に見えて動揺させ、深い悲嘆と燃え立つ怒りが胸を満たす。彼は省みて、ランカーの精鋭が累々と失われてきたことを数え上げる。先の将や名だたる勇士たちがラーマとヴァーナラ軍に倒れ、羅刹の不敗という神話は揺らぎ始めていた。 さらに彼は、かつてインドラジットが神威を帯びた矢で兄弟を縛り上げたことを思い出し、神々や天界の者にも解けぬとされた束縛が解かれた事実に驚嘆する。これは、ラーマ方の力が自らの理解を超えているという、苦い認めでもあった。 嘆きはやがて統治の命令へと転じる。ラーヴァナは都全域の厳重な警戒を命じ、シーターが守られるアショーカ林をも名指しして防備を固め、出入口・通路・兵の配置を繰り返し点検せよと命ずる。夜の巡察者には、黄昏・真夜中・黎明のいずれにもヴァーナラの動きを監視し、軍が静止していようと進軍していようと、常に備えを切らすなと諭す。 結びに、羅刹の軍勢は命を受けて動き出し、ラーヴァナは「怒りの棘」を抱いたまま宮殿へ退く。彼は幾度も溜息をつき、子を失ったという私的な破局を胸中で反芻し続ける。
इन्द्रजितः ब्रह्मास्त्र-यागः तथा वानरसेनाविध्वंसः (Indrajit’s Brahmastra Rite and the Crushing of the Vanara Host)
サルガ73は、生き残った羅刹たちがラーヴァナに、デーヴァンタカ、トリシラス、アティカーヤといった主将の戦死を報告するところから始まる。悲嘆と戦略上の不安に沈むラーヴァナをインドラジットが慰め、ラーマとラクシュマナを必ず討ち倒すと誓う。インドラジットは法螺貝や太鼓、天蓋、儀礼の扇に送られ、王者にして武人の威容を示しつつ出陣する。 戦場に至ると、彼は守護の結界を設け、火供(ホーマ)を修する。そこでは武器が供物や儀具の役を担うという、戦の相を帯びた祭式が行われる。火は煙なく燃え上がり、勝利の瑞相が現れ、火神は供物を受け取る。ついでインドラジットはブラフマーストラを招来し、戦車と弓にその力を満たし、星辰と惑星が震えるかのような兆しを起こす。 マーヤーに身を隠した彼は、矢と武器の網の雨を降らせ、猿軍を蹂躙し、ハヌマーン、スグリーヴァ、アンガダ、ジャーンバヴァーン、ナラらの将を傷つける。ラーマはそれがブラフマーストラの威力であると見抜き、ラクシュマナに平静をもってその降り注ぎに耐えるよう諭す。ラーマとラクシュマナが打たれ、軍勢が意気を失ったのを見たインドラジットは勝ち鬨を上げ、ランカーへ帰って父に戦果を報告する。
औषधिपर्वताहरणम् / The Retrieval of the Herb-Bearing Mountain
第74章は、インドラジットの放ったブラフマーアストラ(Brahmāstra)の網によって、ラーマとラクシュマナが昏倒し、ヴァーナラ軍が甚大な損害を受ける大危機を記す。指揮系統は混乱に陥るが、賢者の中でも第一の策士であるヴィビーシャナは、創造主より授けられた武器を敬うがゆえに避けがたい結果であると説き、諸将を落ち着かせる。彼はハヌマーンとともに負傷者と戦死者を見回り、矢に貫かれた老ジャーンバヴァーンを見いだす。 短くも鋭い対話の中で、視力を失ったジャーンバヴァーンは声でヴィビーシャナを識別し、助かる望みはハヌマーンの生存と働きにかかっていると断言する。ハヌマーンは礼を尽くして近づき、ジャーンバヴァーンの気力を奮い立たせる。そこでジャーンバヴァーンは明確な作戦命令を下す――海を越えてヒマヴァト(Himavat)へ飛び、リシャバ(Ṛṣabha)とカイラーサ(Kailāsa)の間にある薬草の山を探し、四つの霊薬、Mṛtasañjīvanī・Viśalyakaraṇī・Suvarṇakaraṇī・Sandhānakaraṇīを持ち帰れ、と。 ハヌマーンの飛翔は宇宙的な迫力で描かれ、大地と海は震え、山々は押し砕かれる。ヒマラヤに至ると薬草は姿を隠したため、彼は峰そのものを引き抜いて戻る。その香気により王子たちは蘇り、ヴァーナラの戦士たちも瞬時に癒やされ、聖なる連合軍の戦力は再び整えられる。
लङ्कादाह-प्रचोदनं तथा वानर-राक्षस-समरारम्भः (The Burning of Lanka and the Outbreak of Battle)
このサルガにおいてスグリーヴァは、ハヌマーンならびにヴァーナラの勇士たちに任務遂行の要を告げる。クンバカルナが討たれ、主だった戦士も滅んだ今、ラーヴァナの再度の防備は弱まったというのである。日没とともにヴァーナラ軍は燃える松明を掲げてランカーへ進み、城門・通路・楼門・宮殿に火を放つ。 火は無数の財宝を焼き尽くす。アグルの香木と芳しい白檀、麻布と絹の衣、真珠・宝玉・金剛石・珊瑚、馬や象、戦車と器具、革の鎧と武器の集積。家々は雷に打たれた山頂のように崩れ、トーラナは稲妻のごとく輝き、夜のランカーはキンシュカの花が咲き満ちたかのように見える。女たちの嘆きは煙とともに遠くまで響き、放たれた馬と象によって都は荒れ狂う海のように騒然となる。 その間、傷の癒えたラーマとラクシュマナは弓を執り、ラーマの弦音はヴァーナラとラクシャサの叫びを凌駕する。ラーマの矢によりランカーの城門楼は砕かれて崩れ落ちる。ラクシャサの諸王は武装し、怒れるラーヴァナはクンバカルナの子クンバとニクンバ、さらにユーパークシャ、ショーニタークシャ、プラジャングハ、カンパナらを出陣させる。 両軍の装身具の光は月と星のように天空を照らし、やがてヴァーナラとラクシャサの恐るべき合戦が始まる。樹木・岩・拳で打ち合い、剣・槍・棍棒・プラーサ・トーマラが交錯し、互いに鬨の声を上げる。双方の損得・戦果は「十と七」の比として語られる。
युद्धे अङ्गद-मैन्द-द्विविद-राक्षसयुद्धम्; कुम्भस्य प्रादुर्भावः तथा सुग्रीवेण पराभवः (Sarga 76: Angada and the Vanara chiefs battle Kampana, Prajaṅgha, Yūpākṣa, Śoṇitākṣa; Kumbha enters and is checked by Sugrīva)
第76章では、大軍の乱戦のただ中で、一騎討ちが連なって戦局が激しく高まる。英雄たちの「滅び」の渦中で戦を求めるアṅガダはカンパナに挑み、打たれてよろめきながらも心を立て直し、山の峰のごとき一撃でカンパナを討ち取る。 ついでショーニタークシャがプラジャṅガ、ユーパークシャとともに攻勢を強める。アṅガダの母方の叔父であるマインダとドゥヴィヴィダが盾となって守り、三対三の激闘が勃発する。木々や岩を即席の武器として投げ打ち、近接では奪い合い・武器落としが続く。プラジャṅガは倒れ、ユーパークシャは捕らえられてついにマインダに討たれ、ドゥヴィヴィダはショーニタークシャを痛撃する。 やがてクンバ(クンバカルナの子)が出陣し、羅刹軍の士気を立て直して弓矢に転じ、アṅガダを射てラーマに援軍(ジャーンバヴァーン、スシェーナ、ヴェーガダルシー)を命じさせる。クンバの矢の雨はヴァーナラ軍の進撃を止めるが、スグリーヴァが自ら立って対峙し、クンバの弓を折り、計られた称賛で挑発し、象王のような抱え込みで組み伏せる。海へ投げるかの劇的な投擲と反撃ののち、スグリーヴァの雷鳴の拳がクンバを打ち倒し、大地を震わせて羅刹の陣に恐怖を深める。本章は、危機における統率の道—味方を守り、士気を修復し、言葉と力を分量よく戦場の器として用いる—を示している。
निकुम्भवधः · The Slaying of Nikumbha (Hanuman’s Duel)
第77章では、スグリーヴァによって兄が討たれたのを見たニクンバが憤怒し、恐るべき武具と華麗な武装の威容をもって、猿軍の首領たちに挑みかかる。彼は吉祥なるパリガ(鉄の棍棒)を取り、マヘーンドラ山の峰にも譬えられるそれを咆哮しつつ振り回し、あまりの勢いに「天さえ回転する」と描かれる。両軍は一瞬、恐怖に凍りつき、戦における士気の重みが際立つ。 しかしハヌマーンのみは微動だにせず、胸を差し出す。ニクンバの棍棒は打ちつけた途端に粉々に砕け、ハヌマーンの超人的な不動と、鍛えられた力の前では蛮力が空しいことが示される。ハヌマーンは決定的な拳打で応じ、さらに掴まれて運ばれながらも拘束のまま再び打つ。自由を取り戻すと、ニクンバを地に投げ伏せ、その胸に跳び乗り、力強く捻って首を折り、決闘を終わらせた。 猿軍は歓喜し、羅刹軍には恐れが広がる。将の死ののち、物語はさらに激化する戦局へ移り、ラーマと羅刹の勇士マカラとの対決が示され、戦いの一層の高まりが告げられる。
मकराक्षस्य निर्गमनम् · The Deployment of Makaraksha and Ravana’s Fury
第78章では、羅刹軍の大きな損耗ののち、戦局がいっそう激化する。ニクンバとクンバの戦死を聞いたラーヴァナは、怒りと悲嘆に燃え、カラの子で大きな眼をもつマカラークシャを召し出す。そしてラーマ、ラクシュマナ、ならびにヴァーナラ軍を討てと直々に命じる。 マカラークシャは武人の自信をもってこれを受け、礼拝して恭順を示し、プラダクシナー(右繞)を行う。戦車と兵を整えさせて乗り込み、羅刹たちに自らの前を進んで先陣を切り、戦えと命令する。軍勢は変幻自在で恐るべく、象の群れのように密集して大地を揺るがし、太鼓・法螺貝・手拍子が戦の響きを満たす。 出陣の折には凶兆(ニミッタ)が現れる。御者の鞭が落ち、旗印が倒れ、馬は気力を失って涙し、塵を含む荒い風が吹きすさぶ。それでも戦士たちは兆しを顧みず、ラーマとラクシュマナへと進軍し、迫る敗北が暗示される。
मकराक्षवधः (The Slaying of Makarākṣa)
第79章では、ランカーの大戦のただ中で、凝縮された一騎討ちが描かれる。カラの子とされるマカラークシャが現れると、ヴァーナラの将たちは奮い立って陣を整え、樹木や岩を投げ、武器の雨を交わすヴァーナラとラークシャサの大乱戦が起こる。 マカラークシャは聖なるラーマに正面からの決闘を挑み、ダンダカラニヤ以来の遺恨を持ち出して、ラーマをヤマの国へ送ると脅す。ラーマは言葉での勝利を退け、かつてカラの軍勢を滅ぼしたことを想起して、証は行いによって示されると告げる。 やがて矢の激しい応酬が続き、轟く音が天を満たし、天上の衆生も見守る。ラーマはマカラークシャの戦車を砕いて徒歩戦に追い込み、ラークシャサはルドラより授かった恐るべき炎のシュ―ラ(槍)を取り、宇宙的破壊の武器のごとく、神々さえ慄かせる。ラーマは飛来するシュ―ラを三本の矢で断ち割り、空の衆に讃えられ、続いてパーヴァカ・アストラを定めてマカラークシャを射抜く。心を裂かれて倒れた将の姿を見て、ラークシャサ軍はラーマの矢を恐れ、ランカーへと退却する。
इन्द्रजितो यज्ञानुष्ठानं अन्तर्धानं च (Indrajit’s Rite and the Invisible Assault)
第80章は、マカラークシャの戦死を聞いたラーヴァナの反応から始まる。幾多の戦に勝ち抜いてきた老練の王は激怒し、歯ぎしりしつつ即時の反撃を思案し、子のインドラジット(ラーヴァニ)に出陣を命じる。 インドラジットはまず、羅刹に特有の火供(ヤジュニャ/ホーマ)を修する。儀具と代用の供物が語られ、武器が供犠の付属物のように扱われ、赤衣をまとい、鉄の杓子が用いられる。さらに黒い山羊が供物として捕らえられる。供物を受ける火が煙なく黄金のように燃え上がるのは勝利の瑞相とされ、デーヴァ、ダーナヴァ、羅刹衆を満足させたのち、彼は精妙に飾られた戦車に乗る。 やがてインドラジットはアンタルダーナ(姿を隠す術)によって不可視となり、ラーマ、ラクシュマナ、そしてヴァーナラたちを討って父に勝利をもたらすと豪語する。彼は天空より見えぬまま攻撃し、煙と霧の闇を起こして方角を失わせ、音も形も覆い隠す。ヴァーナラは幾百と倒れ、ラーマとラクシュマナは神授のアストラで応じるが、見えぬ敵に届かない。 ラクシュマナはブラフマー・アストラを広く放つことを提案するが、ラーマは戦のダルマにより制止する。ひとりのために多くを滅ぼしてはならず、非戦闘者、隠れている者、降伏する者、逃げる者、油断している者を討ってはならない。そこでラーマは、幻術の使い手(マーヤーヴィン)インドラジットに狙いを定めて正確に武器を向け、速やかな討滅の方策を思い定める。ヴァーナラ軍もまた、備えを整えて待ち受ける。
इन्द्रजितो मायासीतावधः · Indrajit’s Illusory Sita Episode and Hanuman’s Rebuke
第81章は、インドラジットが仕掛けた心理的・倫理的な危機を描く。ラ―ガヴァ(ラーマ)の意図を見抜いた彼はランカーへ退き、倒れた羅刹たちを思って憤激し、西門から出て来る。ラーマとラクシュマナが戦支度を整えているのを見るや、彼はマーヤー(幻術)を用い、羅刹の護衛に囲まれた戦車に“幻のシーター”を乗せ、猿軍(ヴァーナラ軍)を惑わすために進み出る。 ヴァーナラたちは突撃し、先頭には山の峰を武器として担うハヌマーンが立つ。戦車の女は、苦行者のような質素な姿、一本の編み髪、塵にまみれた四肢を示し、ハヌマーンはそれをマイティリー(シーター)と見て愕然とする。インドラジットは芝居がかった所作で彼女の髪をつかみ、打ち据え、「敵を苦しめるためなら女を害してもよい」と言い立てる。 ハヌマーンはそれを卑劣で不名誉な行いとして厳しく糾弾し、インドラジットの近い死と死後の汚名を予告する。やがてインドラジットは衆目の前で剣を振るい、“幻のシーター”を『殺した』と示して、ヴァーナラの努力は無益だと叫ぶ。猿軍の陣は一時、悲嘆と逃走に崩れ、インドラジットは歓喜して咆哮する—このマーヤーが戦場の必然ではなく、士気を折るための武器であることが明らかとなる。
इन्द्रजित्-हनूमद्-युद्धं तथा निकुम्भिलायां होमः (Indrajit vs Hanuman; Indrajit’s Nikumbhila rite)
第82章は戦場の動揺から始まる。インドラジットに結びつけられる雷鳴のような咆哮を聞き、ヴァーナラの諸将は恐れて散り散りとなる。ハヌマーン(マールタートマジャ、風神の子)は潰走を食い止め、yuddhotsāha(戦の気概・闘志)を失ったことを叱責し、前線へ戻れと命じて隊列を立て直す。 奮い立ったヴァーナラたちは樹木や山頂のような巨岩を手に取り、吼えながら突進する。ハヌマーンは火のごとく羅刹軍を貫き、大きな損害を与える。さらに彼は巨大な岩をラーヴァニの戦車へ投げつけるが、御者がかわしてインドラジットには当たらず、岩は落下地点で大地を裂き、周囲の兵を押し潰す。 戦いは激化し、ヴァーナラは木や石を雨のように投げ、インドラジット一党は矢の斉射と近接武器—三叉戟、剣、槍、棍棒—で応じる。敵勢を抑えたのち、ハヌマーンは大義を優先して戦略的退却を命じる。第一はラーマの目的であり、「シーターが殺された」という重大な申し立てを報告し、ラーマとスグリーヴァの裁断を待つべきだと説く。 ハヌマーンがラーマのもとへ向かうのを見たインドラジットは、ニクンビラーへ赴き、血の供物を伴うホーマ(火供)を修する。祭火は太陽のように燃え上がり、儀礼に通じた羅刹たちが供献を見届ける—戦と祭儀の力が交差するところで本章は閉じられる。
त्र्यशीतितमः सर्गः (Sarga 83): Hanumān Reports Sītā’s ‘Slaying’; Rāma Collapses; Lakṣmaṇa’s Counter-Discourse on Dharma and Artha
この章は、羅摩(ラーマ)が羅刹と猿軍(ヴァーナラ)との激しい戦の轟き――saṅgrāma-nirghoṣa――を聞き、熊王ジャーンバヴァーン(Jāmbavān、ṛkṣapati)に西門へ赴いてハヌマーンを援護するよう命じるところから始まる。やがてハヌマーンは戦いで傷ついたヴァーナラたちを伴って戻り、痛ましい報せを告げる。すなわち、羅波那(ラーヴァナ)の子インドラジットが、泣き伏すシーターを衆目の前で討ち倒したというのである。 その言葉により羅摩は心を砕かれ、śoka(悲嘆)に呑まれて、根を断たれた樹のように倒れ伏す。ヴァーナラの首領たちは駆け寄って彼を抱き起こし、蓮と睡蓮の香を含む芳水をそそいで、消えぬ火が突如燃え上がるのを鎮めるかのように慰める。 続いてラクシュマナは嘆きの羅摩を抱き、鋭い理をもって語る。これはdharma-sankat――ダルマの危機――である、と。徳高く自制する者が苦しみ、不義の者が栄えるなら、ダルマは無力に見えてしまう。彼は、ダルマに目に見える報いがあるのか、行為よりも運命が道徳的残滓を担うのではないか、そして「真実を語る」ことをダルマとする教えが常に王者の振る舞いと両立するのか、と疑問を投げかける。 やがて論はアルタ・シャーストラ的な現実へと転じる。繁栄は社会の結びつきと行動を支え、徳さえも育むが、富を捨てれば事業は途絶え、過ちを招きうる。ラクシュマナは、インドラジットがもたらした悲しみを断固たる行動で打ち消す決意を示し、羅摩に自らのmahātmanとしての偉大さを思い起こすよう促す。かくして本章は、戦場の報告、悲嘆の鎮め、そしてダルマとアルタ、実効ある王道をめぐる哲学的論争を並置する。
निकुम्भिला-यज्ञविघ्नोपदेशः (Counsel to Disrupt the Nikumbhilā Rite)
第84章は、戦場の心の危機が、正しい見識ある助言によって立て直されるさまを描く。軍の布陣を整えた後にヴィビーシャナが到着すると、ラーマはラクシュマナの膝に横たわり、深い悲嘆に沈んでいた。ハヌマーンの報告が、インドラジットによるシーターの死と誤って受け取られたためであり、その迷妄の理由をラクシュマナが語る。 ヴィビーシャナはさらなる動揺を抑え、事の筋を正す。ラーヴァナがシーターを殺すはずはなく、これはヴァーナラ軍をそらすための「マーヤー」(māyā)という欺きの策であるという。さらに戦術の要点として、インドラジットがニクンビーラーの聖所へ赴き、「ホーマ」(homa)の火供を行っていることを明かす。これが成就すれば、彼は戦場で諸天(デーヴァ)にさえ「見えぬ」かのように、きわめて討ち難い存在となる。 ゆえにヴィビーシャナは、儀礼が終わる前に軍を動かし、虚しい悲嘆を捨て、ラクシュマナを決定的な担い手として遣わしてヤジュニャ(yajña)を破り、インドラジットを死にうる身へと戻すべきだと促す。本章は、識別(ヴィヴェーカ)と時機を争う戦略とを結び、悲しみからダルマにかなう行動へ至る橋としての助言を示している。
निकुम्भिला-यज्ञविघ्नः · Vibhishana’s Counsel and Lakshmana’s March to Nikumbhila
第85章では、ラーマは深い悲しみにより一時ヴィビーシャナの言葉を受け止めきれず、心を整えて改めて明確に述べるよう求める。ヴィビーシャナは、ヴァーナラ軍が正しく分隊され各所に布陣したことを告げ、弱らせる不安は敵の士気を高めるゆえ捨てよと諭し、シーター奪還と羅刹滅尽のために力を新たにせよと促す。 続いて彼は緊急の軍情を伝える。インドラジット(ラーヴァニ)はニクンビラーへ赴き、供犠(ヤジュニャ)を修しているが、これが成就すれば同盟軍はほとんど破滅に定まる。恩寵に付された条件により、時を失って儀礼を妨げねばラーマは討たれ得るという。ゆえに、ラクシュマナを派遣し、ハヌマーン率いる全ヴァーナラ軍が援護し、ジャンバヴァーンが守護し、さらに幻力(マーヤー)に通じたヴィビーシャナが後随して支えるべきだと進言する。 ラーマはインドラジットのブラフマー・アストラと幻術の巧みさを認め、出陣を命じる。ラクシュマナは武具を整え、ラーマに恭しく礼拝して即時の行動を誓い、ニクンビラーの聖域へ疾走し、羅刹の恐るべき戦陣へ「闇の帳のごとく」踏み入っていく。
इन्द्रजितः कर्माननुष्ठानात् उत्थाय हनूमन्तं प्रति प्रस्थानम् / Indrajit Abandons the Unfinished Rite and Moves Against Hanuman
第86章は、助言から一転して激戦へと移る。ラーヴァナの弟ヴィビーシャナはラクシュマナに、雲のように黒い羅刹の大軍を速やかに打ち崩し、ラーヴァナの子インドラジットを姿に現させ、彼が祭儀の行を成し終える前に討ち傷つけよと、務めに即した策を授ける。やがて凄烈な乱戦となり、矢のみならず樹木や山の峰までも投げ交わされ、空は武器で覆われたかのようである。熊軍とヴァナラたちもまた、自然の武器をもって猛攻を加える。 味方の窮状を聞いたインドラジットは、屈し難き者として、祭儀を完遂せぬまま立ち上がる。森の闇より現れ、用意された戦車に乗り、嵐雲の光を帯び赤き眼を燃やして、死神のごとき相を示す。羅刹がラクシュマナを取り囲むと、ハヌマーンはさらに戦いを激化させ、巨木を振るって敵陣を劫火のように焼き裂く。 幾千の羅刹が、三叉戟・剣・投槍・鉄棒・斧・槌・ビンディパーラなどあらゆる武器を携えてハヌマーンに殺到する。インドラジットは御者に命じてヴァナラの勇将へ戦車を向けさせ、飛び道具を雨のごとく降らせる。ハヌマーンはその攻撃を受けて正面から挑み、ヴィビーシャナはインドラジットの狙いをラクシュマナに告げ、ただちに必殺の反撃を促す。ラクシュマナは戦車上のインドラジットを見定め、矢の雨で応戦し始める。
न्यग्रोध-प्रवेश-निवारणम् (Preventing Indrajit’s Banyan-Tree Rite) / Indrajit Confronts Vibhishana
このサルガは、戦の只中における戦術の指示と道義の論争、そしてダルマに基づく反駁を描く。ヴィビーシャナはラクシュマナに教えを授けたのち、森の一角へ導き、黒雲のように見える恐ろしいニャグローダ(バニヤン樹)を指し示す。インドラジットは供物を捧げる儀礼の後、姿を消して致命的な優位を得るゆえ、ラクシュマナは彼がニャグローダの下へ入る前に先制し、燃え立つ矢で戦車・馬・御者を打ち砕くべきだと説く。 ラクシュマナはこれを受け入れ、弓弦を鳴らして待ち構える。やがてインドラジットが輝く戦車で現れ、正面からの戦いを挑まれる。すると場面は激しい言葉の応酬へ移り、インドラジットはヴィビーシャナが一族を捨て「他者」に庇護を求めたと非難し、たとえ欠けがあっても自陣への忠義を守るべきだと主張する。 ヴィビーシャナはダルマを軸に自らを語る。羅刹に生まれながら残虐を捨て、アダルマとの交わりを拒むのは、毒蛇を振り払うように、燃える家から逃れるようなものだと言う。そして盗み、他人の妻を犯すこと、友への不信、聖仙の殺害、神々への敵意、驕り、怒り、怨みといった破滅の दोषが、雨雲が山を覆うようにラーヴァナの行く末を曇らせ、ランカーの滅亡が迫ると予告する。章末で彼は、インドラジットはすでに死の縄に縛られており、ラクシュマナの矢に対して生きて帰れぬと警告する。
इन्द्रजित्-लक्ष्मण संवादः तथा युद्धप्रवृत्तिः (Indrajit and Lakshmana: War-Boasts, Rebuke, and the Clash)
第88章では、言葉の応酬がただちに弓矢の戦いへと硬化する。ヴィビーシャナの諫言を聞いたインドラジット(ラーヴァニ)は怒りに惑わされ、黒馬に曳かれた華麗な戦車に乗り、戦場に死のごとき気配を帯びて現れる。彼は夜戦での戦果を誇ってラクシュマナを嘲り、ヤマの住処へ送ると脅し、屍に屍肉を漁る者どもが群がると予告して、威嚇を武器とする。 ラクシュマナは恐れず憤りつつ、クシャトリヤの倫理に則って答える。勝利は行いによって証され、vāg-bala(言葉の力)ではない。さらに、戦いで姿を隠すのは武人の道ではなく盗人の道だと断じ、矢の届く間合いで誇る力を示せと挑む。 インドラジットは蛇のように唸り鳴く矢を放ち、ラクシュマナを貫くが、それでもラクシュマナは「煙なき火」のように輝く。インドラジットが再び殺意を宣言すると、ラクシュマナは誇示なく必ず討つと、抑えた決意で応じる。やがて矢の雨が交わり、ラクシュマナは五矢をインドラジットの胸に打ち込み、インドラジットもまた三矢を的確に返す。章末は、天体や神話の宿敵に譬えられる、ほとんど征し難い二人の勇士の恐るべき拮抗した争いを描き、tejasの均衡と、虚勢の脅しと規律ある行為との対照を際立たせる。
इन्द्रजित्-लक्ष्मणयोर् घोरः शरयुद्धः (Indrajit and Lakshmana’s Fierce Exchange of Arrows)
第89章では、ラクシュマナとインドラジットの一騎討ちがいよいよ激化し、言葉の戦い(vāk-yuddha)と矢の戦い(śara-yuddha)が交互に展開される。ラクシュマナは怒りを制しつつも精確に放ち、弓弦の轟きは羅刹の将インドラジットの心を揺さぶる。ヴィビーシャナは、その顔色の変化に心理的な綻びを読み取る。 インドラジットは挑発の言葉で応じ、かつて戦場で相手が一時力を失ったことを持ち出して記憶を試し、「ヤマの住処」へ誘うと豪語する。やがて矢の雨が相互に降り注ぎ、ラクシュマナは連射で圧し、インドラジットはラクシュマナのみならずハヌマーンとヴィビーシャナをも射抜き、盾や旗印は砕け散る。天空は矢の格子となり、劫末の雲にたとえられる。 血は滝のごとく流れ、身体は花咲く樹のように輝くという、苛烈でありながら典雅な描写の中で、両雄は退かず疲れも見せない。ここに示される武の要は、沈着、命中、そして心の優位を譲らぬ不屈である。章末、ヴィビーシャナが無敵のラクシュマナを助けに進み、盟友の務めと戦場の護りが明らかにされる。
इन्द्रजित्-लक्ष्मणयुद्धम् तथा वानरप्रोत्साहनम् (Indrajit-Lakshmana Battle and the Rallying of the Vanaras)
第90章は、ランカー戦争の決定的局面を二つの連動する動きとして描く。すなわち、ヴィビーシャナがヴァーナラの首領たちを戦略的に鼓舞すること、そしてラクシュマナとインドラジット(ラーヴァニ)との一騎討ちがいよいよ激化することである。章頭、両者は勝利を求めて譲らず、闘う象に喩えられる。ヴィビーシャナは前線に立ち、戦いを見届けつつ指揮を整える。 ヴィビーシャナは既に討たれた羅刹の名将たちを挙げ、戦いの焦点を絞る。ラーヴァナを最後の例外として、インドラジットこそ残る抵抗の柱であると示す。また彼は、ラーマの大義のために兄の子を討つというダルマの葛藤を語り、同盟と親族相討つ戦の道義的代償を明らかにする。ヴァーナラの首領たちは武の歓喜で応える。戦闘はさらに苛烈となり、ジャンバヴァーンと軍勢は武器を執る羅刹と激突し、ハヌマーンはラクシュマナを降ろして、根こそぎ引き抜いたサーラ樹で敵陣を薙ぎ払う。 ラクシュマナとインドラジットの攻防はあまりに迅速で、弓を引く手の動きさえ見えぬほどとなる。天空は矢で網のように覆われ、闇と凶兆が増し、戦場の轟きは神々と阿修羅の古戦を思わせる。やがて戦術の転機が訪れ、サウミトリはインドラジットの四頭の馬を射抜き、御者はバッラの矢で首を断たれる。インドラジットは一時みずから御者の役を担うが、ヴァーナラの首領たちが跳びかかって馬を討ち、彼を徒歩戦へと追い込む。ラクシュマナは密なる矢の雨でこれを制し、インドラジットの落胆が見えるとヴァーナラ軍の士気は高まる。章末、徒歩で迫るインドラジットに対し、ラクシュマナが再び降り注ぐ矢を阻み、インドラジット滅亡へ向かう勢いが固められる。
इन्द्रजित्-वधः (The Slaying of Indrajit)
第91章は、ラクシュマナ(サウミトリー)とインドラジット(ラーヴァニ)との決定的な一騎討ちを描き、戦場の激闘の中でアストラ(神武)の威力が次第に高まり、ダルマに基づく不屈の決意が貫かれる。インドラジットは黄金で飾った戦車を整えて再び出陣し、ラクシュマナとヴィビーシャナに襲いかかる。彼は巨大な矢の雨を放ち、lāghava(武の敏捷)を示してヴァーナラの将たちを打ち倒す。 ラクシュマナはこれに応じてインドラジットの弓を断ち、幾度も傷を負わせ、さらに御者をも含め戦車の指揮を崩して、馬を制御不能にする。ヴィビーシャナも正面から戦い、インドラジットは怒りと宿命に駆られて、より恐るべき武器を放つ。まず火のアストラ、続いて阿修羅のアストラが万般の武器の雨となって降り注ぐが、ラクシュマナはスーリヤとマーヘーシュヴァラの対抗アストラでこれを退け、天界の者たちは見守りつつ彼を護る。 ついにラクシュマナは無敗のアインドラ・アストラをつがえ、その効験を真実の言葉によって成就させて放つ。矢はインドラジットの首を断ち、諸世界を震え上がらせた恐怖は終わる。宇宙の讃嘆が響き、花雨が降り、ラークシャサ軍は潰走する。
युद्धकाण्डे द्विनवतितमः सर्गः · Indrajit’s Fall, Rama’s Embrace, and Sushena’s Battlefield Healing
第92章は、インドラジットの死の直後を記し、それを戦略上の大転機であると同時に、ラクシュマナの奉仕が法(ダルマ)にかなったものであることの道徳的・儀礼的な証しとして描く。血にまみれ傷ついたラクシュマナは、インドラジットを討ち果たした凄絶な戦いを報告し、ヴィビーシャナは羅刹の王子の首が断たれたことを確証する。 ラーマの応答は二つである。ひとつは公の称賛によってキールティ(名声)を高めること、もうひとつは兄としての親密な慈しみである。ラーマはラクシュマナを膝に抱き寄せ、矢に苦しめられた身体を幾度も確かめ、言葉をもって慰める。さらにラーマは、これによりラーヴァナの戦力が決定的に弱まったと見て、嘆きに沈む羅刹王が大軍を率いて出て来ると予告し、決着をつける覚悟を宣言する。 続いて物語は戦場の治療と同盟軍の安寧へ移る。ラーマはスシェーナを召し、矢を抜き、ラクシュマナとヴィビーシャナのみならず、傷ついた熊族とヴァーナラの戦士たちも治療するよう命じる。スシェーナは鼻から吸入させる最上の薬を施し、ラクシュマナはただちにヴィシャリヤ(矢のない身)となって痛みが消え、力が回復する。諸将は歓喜し、本章はこのほとんど不可能な偉業と、それが軍の士気を高めたことを讃えて結ばれる。
Sarga 93: Rāvaṇa’s Grief and Fury after Indrajit’s Fall; Move to Slay Vaidehī and Ministerial Restraint
このサルガは、パウラステャ(ラーヴァナ)の大臣たちが、インドラジット/メーガナーダが、ヴィビーシャナの助けを得たラクシュマナによって討たれたという痛ましい報告をもたらすところから始まる。ラーヴァナはそれを聞いて気絶し、ついで嘆き、やがて悲嘆は怒りへと転じて増幅する。眉は劫末の海のごとくうねり、口から火と煙が噴き、涙は燃える灯火の油のように滴る、と宇宙的な譬えで描かれる。彼は、ブラフマーより授かった破れぬ甲(カヴァチャ)と恐るべき弓など、加護と神武の確かさを言い立て、羅刹たちの戦意を奮い立たせ、ラーマとラクシュマナへの再攻勢を宣言する。 しかしその悲しみは誤った報復へと逸れ、彼はヴァイデーヒー(シーター)を滅ぼすと決し、剣を抜いてアショーカ林へ駆け出す。羅刹たちは彼の不敗を信じて歓呼する。場面はシーターの側へ移り、恐れと、かつてハヌマーンの救出を退けたことへの悔い、そしてラーマとカウサリヤーへの案じが語られる。そこへ正しき大臣スパルシュヴァが現れ、女を殺すのはダルマに背く、怒りは戦場へ向けるべきでシーターに向けてはならぬ、とラーヴァナを制止する。ラーヴァナは諫言を受け入れて引き返し、再び सभा(集会)へ向かい、私怨の復讐から公の戦の規範へと一時的に立ち戻る。
रावणस्य सभाप्रवेशः · रामस्य शरवृष्ट्या राक्षससेनाविनाशः (Ravana Enters Council; Rama’s Arrow-Storm Destroys the Rakshasa Host)
第94章は、ラーヴァナが悲嘆と憤怒をあらわにして議場へ入り、合掌して将たちに語りかけるところから始まる。彼は攻勢を一点に集中し、ただ一人――ラーマを狙えと命じ、象軍・騎兵・戦車隊・歩兵の総力出動を布告する。 日の出とともに恐るべき激戦が起こり、矢や投擲物、棍棒、剣、斧が飛び交い、さらには樹木や岩までも投げ合われる。戦場は塵と血に覆われ、血の川が流れ、屍は流木のように横たわり、戦具は岸や林のごとく見える。傷ついたヴァーナラたちはラーマのもとへ退き、庇護を求める。 そこでラーマは羅刹軍中へ踏み入り、圧倒的な矢の雨を放つ。その神速と、ガンダルヴァに結びつく至上のアストラの威により、羅刹たちの眼は惑わされ、幾人ものラーマが見えるかのように錯覚し、彼を直に捉えられず、誤った怒りで互いを打ち合う。わずかな時のうちに羅刹の大軍は甚大な損耗を被り、生き残りはランカーへ退却する。天の衆はラーマを讃え、ラーマはスグリーヴァ、ヴィビーシャナ、ハヌマーン、ジャーンバヴァーン、マインダ、ドゥヴィヴィダに、かかる神威のアストラの力は自分とトリヤンバカ(シヴァ)にのみ属すると語る。
युद्धकाण्डे पञ्चनवतितमः सर्गः (Sarga 95: Lamentation in Laṅkā and the Causal Chain of Enmity)
この章は、戦の荒廃を点検するかのように描き、その因縁を省察する。冒頭では、ラーヴァナが繰り出した軍勢—炎の色の馬、旗と黄金の飾りを備えた戦車、鉄の棒を振るう戦士、姿を変える羅刹たち—が、ラーマの鋭く輝き金で飾られた矢によってことごとく倒され、彼の疲れを知らぬ働き(akliṣṭa-karman)が強調される。 続いて物語は嘆きと解釈へ移る。羅刹女たちと生き残りが集い、夫や子や一族を哭し、怨みの連鎖がどこから始まったのかを問う—それはシュールパナカーがラーマに抱いた不吉な欲情と、咎められるべき襲撃に端を発し、カラとドゥーシャナの滅亡を招き、ついにはシーター誘拐へ至ったのだと。さらにラーマの武威の「十分な証」として、ヴィラーダの討伐、ジャナスターナの戦い、カラ・ドゥーシャナ・トリシラスの死、カバンダとヴァーリの最期、そしてスグリーヴァの復位が挙げられる。 また、ヴィビーシャナのダルマにかなう諫言がラーヴァナに退けられたことも語られる。恐怖は一層深まり、ランカーは火葬場のように思われ、凶兆が立ち、ラーマはルドラ、ヴィシュヌ、インドラ、さらにはアンタカ(死)にも比せられる。ブラフマーから授かった恩寵—神々・ダーナヴァ・羅刹からは害されぬが、人間からは免れぬ—が想起され、人として生まれたラーマこそが没落の器となる所以が示される。章末、女たちは互いに抱き合い絶望の叫びを上げ、戦が軍事的敗北であると同時に、ダルマの前での道義的清算であることが刻まれる。
युद्धाय रावणस्य निर्याणं तथा उत्पातदर्शनम् (Ravana’s Mobilization for War and the ظهور of Fatal Portents)
第96章では、ラーヴァナがランカーの至る所に嘆きの声が満ちるのを聞き、民の苦悩と戦の家国への重い代償を悟るところから始まる。彼は一瞬立ち止まるが、やがて恐るべき憤怒の相となり、マホーダラ、マハーパールシュヴァ、ヴィルーパークシャに命じて、残る夜行の羅刹たちを急ぎ動員させる。 ラーヴァナは誇り高い武の誓いを重ね、ラ―ガヴァとラクシュマナを閻魔の住処へ送ると宣し、カラ、クンバカルナ、プラハスタ、インドラジットの戦死を必ず雪ぐと誓う。さらに雲のごとき矢の雨でヴァーナラの軍勢を滅ぼすと豪語する。羅刹軍は多様な武器を整え、戦車に乗って咆哮しつつ出陣する。 ラーヴァナが光を放ち弓を掲げて進むと、天と身に凶兆が噴き出す。太陽は翳り、四方は暗く、流星が落ち、血の雨が降り、獣は不吉に鳴き、彼の左眼と左腕が痙攣する。それでも彼は歩みを止めず、激しい乱戦が始まり、金の羽を持つ彼の矢がヴァーナラの隊列に深い傷を与える。
सप्तनवतितमः सर्गः (Yuddha Kāṇḍa 97): Sugrīva’s Onslaught and the Fall of Virūpākṣa
本章は、ラーヴァナの圧倒的な矢の雨から、スグリーヴァの反撃と名ある勇士同士の決闘へと、戦局が鋭く転じるさまを描く。冒頭、燃え立つ矢の豪雨にヴァーナラ軍は耐えきれず散り散りとなり、戦場には断たれた屍が横たわる。森の戦士たちを蹂躙したのち、ラーヴァナはラグハヴァ(ラーマ)へ迫り、戦の狙いが移ることを示す。 総大将としてスグリーヴァは、潰走するヴァーナラを見てスシェーナに陣形の立て直しと護りを命じ、自らは樹を武器として進軍する。岩や樹木を携えた諸将もこれに従い、スグリーヴァは雲から降る雹のように岩を浴びせてラクシャサ軍の列を打ち砕く。 ラクシャサが動揺すると、勇将ヴィルーパークシャが名乗りを上げ、発情して荒ぶる象に乗って士気を奮い立たせ、矢でスグリーヴァとヴァーナラ前衛を攻め立てる。戦いは、樹の一撃、岩の投擲、剣の斬撃、拳と掌の打撃へと形を変えつつ激化し、双方のヴィーリヤ(武勇)と戦技の冴えを示す。 ついにスグリーヴァの雷霆のごとき掌打がヴィルーパークシャを倒し、血は滝のように流れる。ここに心勢は反転し、ヴァーナラは歓喜して奮い立ち、ラクシャサ軍は驚愕して乱れ崩れる。
महोदरवधः (The Slaying of Mahodara)
『ユद्ध・カाण्ड(戦争の巻)』第98章は、消耗戦のただ中に置かれた決定的な一騎討ちを描く。軍勢の崩れとヴィルーパークシャの討死に憤るラーヴァナは、マホーダラを今の「勝利の望み」と定め、王の恩顧に報いるべく模範の武勇を示せと命じる。 マホーダラは火に飛び込む蛾のごとくヴァーナラの陣へ突入し、多くを討って隊列を散らす。これにスグリーヴァが応じ、戦いは武器を替えつつ激化する。岩石、サーラ樹を棍棒として振るい、鉄のパリガ(鉄棒)、棍棒、そしてついには剣と盾の近接戦へと至る。軍勢の疲弊と個の対決の昂まりは、盛夏に干上がる湖のような軍、稲妻を孕む雷雲のような両雄という譬えで際立たされる。 頂点では、刺さり込んだ剣を引き抜こうとするマホーダラの隙を衝き、スグリーヴァがその首を斬り落とす。羅刹軍は恐慌して退き、ヴァーナラは歓呼し、ラーヴァナの怒りはいよいよ深まる。この章は戦局の転機であると同時に、危急における統率の徳を示す一段である。
Mahāpārśva-vadhaḥ: The Slaying of Mahāpārśva (Angada’s Counterstrike)
このサルガでは、スグリーヴァがマホーダラを討ち取ったのち、マハーパールシュヴァの憤怒が燃え上がる。彼は苛烈な矢の雨を放ってアンガダの軍勢を乱し、多くのヴァーナラを斬り傷つけ、前線の士気を一時くじく。 アンガダはその動揺を見て奮起し、鉄の棍棒・鉄棒(パリガ)をマハーパールシュヴァへ投げつけ、戦車から叩き落とす。同時にジャンバヴァーンは巨大な岩をもって羅刹の戦車隊を襲い、馬を打ち、車を破壊する。 やがて意識を取り戻したマハーパールシュヴァは再び攻め、アンガダを射、ジャンバヴァーンとガヴァークシャをも貫く。そこでアンガダは恐るべきパリガを取り、振り回して打ち据え、さらに近づいて掌打を加える。羅刹は戦斧を投げて応じるが、アンガダはこれをかわし、胸—心臓のあたり—へ狙い澄ました決定的な拳打を放って心臓を砕き、マハーパールシュヴァは倒れて息絶える。ヴァーナラたちは勝利の咆哮を上げ、ランカーの建物は震え、騒然たる響きを聞いたラーヴァナは戦いへと心を向け直し、戦局と心理の緊迫が一段と高まる。
रावण-रामयुद्धप्रारम्भः (The Intensification of the Rama-Ravana Duel)
第100章では、ラーマとラーヴァナの主たる一騎討ちがいよいよ激化し、戦場の損耗が王の心理と神武器(アストラ)の儀礼的威力と結びつけて描かれる。マホーダラ、マハーパールシュヴァ、そして猛将ヴィルーパークシャが討たれると、ラーヴァナは怒りを極め、御者に戦車を進めよと促す。その進撃は天地を揺るがすかのようで、梵天より授かった闇に属する「ターマサ・アストラ」を放ち、ヴァーナラ軍を焼き散らして塵を地に巻き上げる。 ラーマは潰走するヴァーナラと迫り来るラーヴァナを見て、ラクシュマナとともに揺るぎなく立つ。二人はヴィシュヌとインドラにも比され、弓は天を「擦る」ほどと讃えられる。やがて矢の雨の応酬が続き、空中での迎撃、巧みな手さばき、円環の機動が示され、宇宙の滅びを思わせる比喩(ラーフが日月に迫るさま、稲妻走る嵐のように曇る空)が重ねられる。 ラーヴァナはナーラーチャの連射でラーマの額を狙うが、ラーマは少しも動じず、ラウドラ・アストラを喚起して反撃する。しかしその威力はラーヴァナの鎧に受け止められる。続いてラーヴァナは羅刹に主宰される幻惑の武庫を放ち、獣面の矢や五つの頭をもつ蛇のごとき矢を繰り出す。ラーマは火神アグニに主宰される日・月・彗星・惑星・稲妻の形をなす神矢で応じ、敵の矢を幾千もの破片へと砕き散らす。ヴァーナラの将たちは凶なるアストラが無力化されたことを喜び、章はスグリーヴァがダシャラタの子の疲れ知らずの戦いぶりを高らかに讃えて結ばれる。
शक्तिप्रहारः (Ravana’s Shakti Javelin and Lakshmana’s Wounding)
第101章では、ラーマとラーヴァナの一騎討ちはアストラ(神呪の武器)の競い合いとして激化する。ラーヴァナの放つ飛翔の武器はことごとくラーマに鎮められ、怒りを倍加させたラーヴァナは、輪のような投擲物や眩い光の射など、さらに恐るべき武器を繰り出す。ラーヴァナは密集した矢の連射でラーマの心を揺さぶろうとするが、ラーマはその攻勢を退け続ける。 やがて焦点は味方の防衛へ移る。ラクシュマナはラーヴァナの戦車の標章を砕き、御者を討ち、弓を折る。ヴィビーシャナは棍棒でラーヴァナの馬を打ち倒す。報復としてラーヴァナは燃えさかるシャクティ(投げ槍)をヴィビーシャナに投じるが、ラクシュマナがこれを空中で受け止めて折り、ヴァーナラたちは歓呼する。 しかしラーヴァナは、マーヤの作とされ八つの鈴を備えた、さらに強大なシャクティを取り、直截に脅しを告げてラクシュマナへ投げ放つ。槍はラクシュマナの胸を貫き、彼は倒れる。ラーマの悲嘆は一瞬にして決意へと変わり、刺さったシャクティを引き抜いて折り、ハヌマーンとスグリーヴァにラクシュマナの護衛を命じ、まもなく世界はラーヴァナを失うか、さもなくばラーマを失うと公然と誓う。章は再び荒れ狂う矢の応酬で閉じ、甚大な傷のただ中にあってもダルマに根ざす不屈が描かれる。
लक्ष्मण-प्राणरक्षा: (Lakshmana’s Revival by the Herb-Mountain)
このサルガは、戦場における救命の危機と、その倫理的な余韻を描く。ラーマは、ラーヴァナのśakti(投げ槍)に貫かれ血に濡れたラクシュマナを見て、平静を失い深い悲嘆に沈む。弟を失えば勝利も命も、さらには戦の目的さえ空しいのではないかと嘆く。そこへスシェーナが来て、医者としての見立てをもって慰める――ラクシュマナの顔にはなお光があり、心臓と四肢にも生の徴がある、ゆえに絶望を捨てよと。 スシェーナはハヌマーンに、アウシャディ・パルヴァタ(薬草の山)へ赴き、四つの大霊薬――Savarṇakaraṇī、Sāvarṇyakaraṇī、Sañjīvakaraṇī、Sandhānī――を持ち帰るよう命じる。だが薬草を見分けられぬハヌマーンは、南の峰そのものを運ぶと決し、山頂を引き抜いて疾風のごとく戦場へ届ける。スシェーナは薬草を採り砕き、鼻からラクシュマナに施すと、ラクシュマナは刺さった武器と痛みから解き放たれて起き上がる。 ヴァーナラの将たちは歓喜し、ラーマは涙ながらにラクシュマナを抱きしめる。しかしラクシュマナは、誓願を守りラーヴァナ討滅を成し遂げよとラーマを諭し、私的な悲しみを、約束を守り公の正義を立てるダルマの中へと位置づけ直す。
ऐन्द्ररथप्रदानम् · Indra’s Chariot Offered to Rāma; The Duel Intensifies
第103章は、決闘の公平さへの批判を描く。ラーマは大地に立って戦うのに対し、ラーヴァナは戦車から戦うため、デーヴァや天界の衆は「これでは対等ではない」と声を上げる。これらの「甘露(アムリタ)のごとき」言葉を聞いたインドラは、御者マータリに命じ、神の戦車を戦場へ運び、ラーマに乗車を勧めさせる。 マータリは黄金で飾られ、緑の馬に曳かれる壮麗な戦車で到来し、インドラの武具—強弓、火のように輝く鎧、太陽のごとき矢、そして吉祥にして無垢のśakti—を携える。彼は礼を尽くしてラーマに拝礼し、勝利のためのインドラの贈り物であると告げ、自らをサーラティ(御者)として差し出す。ラーマは敬虔に周回して礼を示し、戦車に乗り、威光を放つ。 戦いはさらに激化する。ラーヴァナは恐るべき羅刹のアストラを放ち、矢は毒蛇となって四方を満たすが、ラーマはガルダの武器で応じ、蛇の矢を黄金のスパルナへと変じて脅威を滅する。ラーヴァナは密な矢の雨で反撃し、マータリを打ち、戦車の旗標を断ち、インドラの馬を傷つけ、神々・聖仙(ṛṣi)・ヴァーナラの将たちに不安が広がる。章末は、惑星の会合、翳る太陽、荒れ狂う海の比喩といった凶兆の詩趣で閉じられ、ラーマとラーヴァナの対決が宇宙的な賭けであることを映し出す。
रावणशूलप्रक्षेपः · Ravana Hurls the Trident; Rama Counters with Indra’s Javelin
第104章では、凶兆と武器の詩的描写の中で決闘がいよいよ激化する。憤怒に燃えるラーマの面貌を見て、衆生は震え、山々は揺れ、海は逆巻き、天には不吉な雲が輪を描いて巡る。空中にはデーヴァ、ガンダルヴァ、ナーガ、聖仙、ダイティヤ、そして空行の者たちが集い、この戦いを世界の壊滅にも比すべきものとして見守る。勝利の叫びも相対して起こり、アスラはダシャグリーヴァ(ラーヴァナ)を、デーヴァはラーマを讃える。 赤い眼で咆哮するラーヴァナは、雷霆のごとく堅く、山頂のような穂先を持つ恐るべき三叉戟を掴む。ラーマ(およびその弟)を討つと宣言して投げ放つと、武器は稲妻の花環をまとって燃え、鐘のような轟きを響かせる。ラーマは矢の雨で迎え撃つが、三叉戟はそれらを火に飛び込む蛾のように焼き尽くし、ラーマの抑えられた怒りをさらに引き締める。 そこでラーマは、マータリが携え、インドラに尊ばれる天授のシャクティ(投げ槍)を取る。その光輝は終末の流星のように天を照らす。シャクティは命中してラーヴァナの三叉戟を砕き、武器は輝きを失って地に落ちる。続いてラーマは迅速で真っ直ぐな矢を放ち、ラーヴァナの馬を打ち砕き、胸と額を貫く。血を多く流すラーヴァナは、花咲くアショーカ樹のように見え—悲しげな相を帯びながらも、群臣の中で激しい憤怒に燃える。
रावणक्रोधः · रामस्य परुषवाक्यम् (Ravana’s Fury and Rama’s Harsh Admonition)
第105章は、決闘のただ中における心理的転機を描く。戦場の驕りで名高いラーヴァナは、カクッツタ(ラーマ)の矢に痛めつけられて激怒し、濃密な矢の雨を降らせて一時は戦場を暗くする。だがラーマは不動の山のごとく揺るがず、矢の網を受け止め、太陽が自らの光線を耐え忍ぶようにそれを耐える。血がラーマの身を彩ると、その姿は咲き誇るキンシュカ樹に喩えられ、敗北ではなく忍耐と堅忍が強調される。 やがてラーマの怒りは道徳的糾弾へと結晶する。シーターが無力の折に「盗人のように」奪われたこと、そしてその行いがマリヤーダ(守るべき規範)と認められたチャーリトラ(品行)に背くことを挙げ、ラーヴァナを真の「vīryavān(勇者)」とは認めない。さらに言葉は、断たれた首、禿鷲、引き裂かれた臓腑といった予兆的戦場像へ高まり、心理戦であると同時にダルマの裁きとして響く。 ラーマの武威は倍加すると語られ、自己の知と吉祥の徴によってアストラ(神武器)が彼に「現れ」、攻勢はいよいよ激しくなる。ラーマの矢の豪雨と、ヴァーナラたちの石礫の一斉投擲に圧され、ラーヴァナは心が乱れて有効に応じられず、御者が彼を戦場から退かせる。そこには、士気と主導権の一時的な崩れが示されている。
रावण-सारथि-संवादः (Ravana and the Charioteer: Counsel, Omens, and Battlefield Conduct)
第106章は、戦場での戦術的退却のただ中における、ラーヴァナとそのサーラティ(御者)との緊迫した対話を描く。運命に押し流され迷妄に沈むラーヴァナは、怒りで眼を赤くし、敵の前で戦車を引き返した御者を叱責して、臆病・無能、さらには敵方との内通まで疑う。 御者はニーティ(処世・政道の理)に基づき、穏やかで和らげる言葉で応じる。恐れも裏切りも否定し、王の安寧と利益のための奉仕として行動したのだと述べる。御者の務めは、時機と地勢、徴(しるし)と凶兆、武人の状態、そして双方の勢力の強弱を見極めることにあるという。疲弊した馬と不吉な前兆を実際の理由として挙げ、いったん退いて陣を整えることはダルマにも戦略にもかなう場合があると説く。 ラーヴァナはこれに納得し、御者を称えて吉祥の手飾りを与え、ただちにラグハヴァ(ラーマ)へ進軍するよう命じる。章末では戦車が疾走してラーマの戦車の前に至り、直接対決が再び結ばれるとともに、憤怒に駆られた命令と慎重な諫言との緊張が際立つ。
आदित्यहृदयम् (Aditya Hridayam Upadeśa: Agastya’s Instruction to Rāma)
第107章では、ラーマは戦場に立ち、戦いの激しさに一瞬心を重くしつつも、目前にはラーヴァナが決戦の構えで待ち受けている。そこへ聖仙アガスティヤが現れ、決定的な一戦を見届けるために集った神々とともに、ラーマに「永遠の秘奥」(guhyaṃ sanātanam)として《アーディティヤ・フリダヤ》(Āditya-hṛdaya)の讃歌を授ける。 教えは、スーリヤ/アーディティヤを宇宙の統御者、そして神々・衆生・祭祀の秩序を内より支える根本原理として説く。彼は創造と破壊を司り、闇と寒冷を払い、諸光明の主であり、ヴェーダの祭式の源でありその果でもある。アガスティヤは、心を集中して礼拝し、一日に三度この讃歌を誦することで、悲嘆を溶かし、不安を除き、勝利を確かなものとすると告げる。 ラーマはアーチャマナ(ācamana)を行い、アーディティヤを観想して讃歌を唱えると、明晰さと歓喜を取り戻す。弓を取り、ラーヴァナを討つべく新たな決意で進み出る。章末では、太陽神の嘉納と急き立てる徴が示され、戦の勝利が間近いことが告げられる。
रावणरथवैभव-निमित्तदर्शन-राममातलिसंवादः (Ravana’s Chariot, Portents, and Rama-Matali Instructions)
この章は、羅刹王ラーヴァナの戦車の華麗で躍動的な描写から始まる。ガンダルヴァの都のごとき姿に、旗幟と標が重なり、金の鎖で飾られた馬に曳かれ、戦場に畏怖を起こすために造られている。戦いが激しさを増す中、ラーマは敵車の猛進を見て、インドラの御者マータリに告げる――ラーヴァナの逆走めいた無謀な動きは、自滅の兆しであると。 ラーマはさらに、実戦の要として厳密な指示を与える。油断なく、敵へ真っ直ぐ進み、心を乱さず、確かな眼で手綱を制すること――戦場における節度ある行いの教えである。マータリは喜び、巧みに操って車輪の砂塵を巻き上げ、ラーヴァナを揺さぶる。 ラーヴァナは矢でラーマを射るが、ラーマはインドラにも比すべき強弓を取り、応戦する。二人は獅子のように向かい合い、互いの死を期して対峙し、天上の衆生がその決闘を見届けようと集まる。 やがて凶兆はラーヴァナの周りに集中する。血の雨、渦巻く風、禿鷲と山犬、塵に暗む方角、流星、雲なき雷電。一方ラーマには勝利の瑞相が現れる。これらのニミッタ(兆し)を読み取ったラーマは勝利を確信し、いよいよ威力を高めて進み、敵の終焉を成就しようとする。
राघव-रावणयोः घोर-द्वैरथ-युद्धम् (The Fierce Chariot-Duel of Rama and Ravana)
第109章は、ラーマとラーヴァナの戦車同士の一騎討ち(dvairatha-yuddha)が、世を震え上がらせるほどの凄絶さで激化してゆくさまを描く。両軍はしばし互いの戦いを止め、武器を掲げたまま動かず、驚嘆して見守る。こうしてこの決闘が、物語と法(ダルマ)の帰趨を定める中心として際立てられる。 憤怒したラーヴァナはラーマの戦車の旗印を狙うが、矢は徽章を断てず、車体をかすめて落ちる。ラーマは怒りを制しつつ、ラーヴァナの旗竿(dhvaja/ketu)を射てこれを断ち、旗竿は地に倒れ、ラーヴァナの怒りはいよいよ燃え上がる。 ラーヴァナは矢の雨で報い、さらに幻力(māyā)によって広大な「武器の雨」(śastra-varṣa)を現す。棍棒、鉄の棒、円盤、こん棒、山の峰、樹木、三叉戟、斧などが降り注ぎ、双方の矢は空を密に覆って第二の天蓋のようになる。放たれたものは無駄にならず、的に当たるか、空中で衝突して落ちる。打ち合いは馬にまで及び、短いながらも戦慄すべき激動の局面へと至り、旗を失ったラーヴァナの憤怒はさらに高まっていく。
रामरावणयोर्युद्धवैषम्यं तथा रावणशिरश्छेदनम् (Rama-Ravana Duel Intensifies; Ravana’s Heads Severed and Reappear)
第110章は、ラーマとラーヴァナの一騎討ちがいよいよ激化し、あらゆる存在が見守る大いなる光景となるさまを描く。天上の衆は驚嘆と不安のうちに観戦し、戦車は円を描き、突進し、退きつつ疾走して、御者の妙技と、打てば打ち返す報復の均衡を示す。 ラーヴァナは雷鳴のごとき矢でラーマの御者マータリ(Mātali)を狙うが、マータリは微動だにしない。ラーマの怒りは、己の痛みではなく盟友への侮辱に向けられた、ダルマにかなう義憤として語られる。矢と重武器—棍棒、槌、鉄の棒—が乱れ交うと宇宙は騒然となり、海は逆巻き、地底の者は苦しみ、大地は震え、日輪は翳り、風は止む。 デーヴァとリシ(ṛṣi)は牛とブラーフマナ(brāhmaṇa)への吉祥の祝福を唱え、ラーマの勝利を祈念して、この戦いのダルマ的な地平を明らかにする。ラーマがラーヴァナの首を一つ斬り落としても、ただちに別の首が生じ、幾度の断首も羅刹王を倒しきれない。あらゆるアストラに通じるラーマは、かつて決定的であった矢がなぜ今は効かぬように見えるのかと思案する。章末では戦いが途切れず続き、マータリが語り出そうとするところで閉じられ、ラーヴァナの命の力と決着の正しい手段に関する要訣が示されることを予感させる。
रावणवधः · The Slaying of Ravana (Brahmāstra Discharge)
第111章は、決定的な一撃を厳粛に整えられた段取りで描く。御者にして助言者であるマータリ(Mātali)は、ラーヴァナ(Rāvaṇa)滅亡の定められた時に、ブラフマー(Brahmā)より授かったパイターマハ/ブラフマーストラ(Brahmāstra)を用いるようラーマ(Rāma)を促す。ラーマはかつてアガスティヤ(Agastya)を通じて伝えられた大いなる矢を取り、風・火・太陽・山々・天空という宇宙の原理を宿す構造が語られ、武器が単なる暴力ではなく、儀礼と倫理に支えられた聖なる技法として示される。 ヴェーダに説かれた作法に従い、ラーマは意識して力を充填し矢をつがえる。大地は震え、生きとし生けるものは畏怖し、行為が世界的意義をもつことが徴される。抑えた憤怒のうちに放たれた矢は、インドラ(Indra)の雷霆のごとくラーヴァナの胸を貫き、生命の中枢を裂き、息を奪い、使命を果たすと静かに箙へと戻る。 王の弓は落ち、羅刹たちは潰走し、ヴァーナラ(vānaras)は勝利に沸く。天は太鼓を鳴らし、花を降らせ、香風を送って「サードゥ(sādhu)」と称賛する。宇宙は均衡を回復し—地は鎮まり、方角は明るみ、太陽は安定し—味方は近づいてラーマを敬い、彼は神々の中のインドラのように輝く。
रावणवधोत्तरं विभीषणशोकः · क्षत्रधर्मोपदेशः (Vibhishana’s Lament after Ravana’s Fall; Instruction on Kshatriya-Dharma)
第112章は、ラーヴァナ(Rāvaṇa)討死の直後を描く。戦場に横たわる兄の亡骸を見たヴィビーシャナ(Vibhīṣaṇa)は嘆きに沈み、倒れた王を崇高な比喩で語る――「ラークシャサ王の大樹」が「ラ―ガヴァ(Rāghava)の嵐」に砕かれ、発情の象がイクシュヴァーク(Ikṣvāku)の獅子に倒され、「ラークシャサの火」がラーマ(Rāma)の雨雲に消し止められた、と。さらに彼は、ラーヴァナが民に体現していた秩序と活力の崩壊を、太陽が落ち、月が暗み、火が消えるという宇宙の転倒として嘆く。 ラーマは静かな倫理の説示で応える。刹帝利(kṣatriya)の務めに従い戦場に斃れた武人は嘆くべきではなく、戦に絶対の勝利はなく、三界に恐れられる者といえども時(時の力)には従うほかない。これを受けてヴィビーシャナは葬送の儀を行う許しを請い、ラーヴァナの祭儀上の資格を述べ、怨みは死とともに終わると明言する。ラーマはこれを許し、戦闘からサンスカーラ(saṃskāra、最後の儀礼)へと移り、政治と祭儀の秩序を整えるよう導く。
रावणवधदर्शनम् · Lament of the Rākṣasa Women upon Seeing Rāvaṇa Slain
本章は、ラーヴァナ(Rāvaṇa)討死の直後に、都と宮中で起こる余波を描く。嘆きに沈む羅刹女たちは内宮(antaḥpura)から駆け出し、血にぬかるむ戦場へ入り、断たれた胴や倒れ伏す屍の間で夫や親族を捜し求める。やがて、黒き山の堆のごとき巨大なラーヴァナの屍を見て、その四肢に取りすがり崩れ落ちる。抱きしめ、足や首に縋り、地に転げ、気を失い、蓮に露が宿るように涙でその顔を濡らす――哀悼の所作が次々と語られる。 その慟哭は省察と教訓へと転じる。かつてはインドラ(Indra)、ヤマ(Yama)、ガンダルヴァ(Gandharva)、リシ(Ṛṣi)、スラ(Sura)さえ恐れた威勢が、今は一人の人間の戦士に討たれて無力となったことを嘆くのである。彼女たちは因果を明言する――善意の諫言、とりわけヴィビーシャナ(Vibhīṣaṇa)の言葉に耳を貸さず、シーター(Sītā)を掠め取り幽閉したことが、共同体を「根こそぎにする破滅」(mūlahara)を招いた、と。さらに、富も意志も武勇も王命も覆せぬ天命(daiva)の不可避を語り、章はクラウンチャやクラーリーに喩えられる鳥のような哀号で結ばれ、戦の書の中に厳粛な挽歌の調べを保つ。
रावणस्य अन्त्येष्टिः · Ravana’s Funeral Rites and the Ethics of Post-War Conduct
第114章は戦闘から戦後の余韻へと物語を移す。冒頭、羅刹女たちの嘆きが響き、マンドーダリーと正妃が深い悲嘆の中心となる。彼女たちは、ハヌマーンが「入り難き」ランカーへ踏み入ったこと、ヴァーナラが大海に橋を架けたことといった先の兆しを回想し、ラーマが常人を超える存在であると悟る。ラーヴァナの滅亡は、特にシーター誘拐というアダルマの報いであり、業果(カルマ・パラ)の成就として語られる。 続いて重要な倫理の転換が示される。ラーマは「死後に怨みを残してはならぬ」と諭し、倒れた王に相応の葬送を命じる。ヴィビーシャナは命に従いランカーに入り、祭司を集め、祭火を整え、白檀や香料を備え、飾り立てた輿にて葬列を組織する。羅刹たちはヴェーダに則る形で終儀—ピトリメーダの次第、祭壇の設置、供物、火葬—を行い、のちヴィビーシャナは寡婦たちを慰め、恭順の姿でラーマのもとへ戻る。 章末ではラーマの心の移ろいが描かれる。敵を鎮め、天授の武具を収めたのち、怒りを捨てて柔和へ帰り、勝利の中にもマリヤーダー(節度と正しい規範)を守ることが強調される。
विभीषणाभिषेकः (Vibhīṣaṇa’s Consecration) and Hanumān’s Commission to Sītā
ラーヴァナが倒れると、天上の者たち—デーヴァ、ガンダルヴァ、ダーナヴァ—はそれぞれのヴィマーナに乗って去り、吉祥なる勝利と顕れた徳を語り伝える。すなわち、ラーマの威力、ヴァーナラ軍の戦い、スグリーヴァの助言、ラクシュマナの献身と武勇、シーターの貞節、そしてハヌマーンの英雄ぶりである。ラーマはインドラの御者マータリを正式に解放し、マータリは神の戦車とともに天界へ帰る。ラーマはスグリーヴァを抱擁して陣へ戻る。 ついでラーマは、信愛(バクティ)と忠誠、先の奉仕を理由に、ラクシュマナに命じてランカーにてヴィビーシャナを灌頂し王位に就けさせる。ラクシュマナは黄金の器を整え、俊敏なヴァーナラの首領たちが海水を運び、ヴィビーシャナは優れた玉座に座して、ラクシャサたちの前で、マントラに導かれシャーストラの作法に則る儀礼により、明確に「ラーマの命により」塗油灌頂を受け、正統の主権が確立される。ラクシャサもヴァーナラも歓喜し、ラーマに礼拝する。 ヴィビーシャナは民を慰め、吉祥の供物(凝乳、アクシャタ、菓子、炒り穀、花)を受けてラーマとラクシュマナに捧げ、ラーマはその真心を尊んで受納する。最後にラーマは、ヴィビーシャナの許しを得たうえで、ハヌマーンにランカーへ入り、ヴァイデーヒー(シーター)へ吉報を伝え、彼女の言葉を携えて戻るよう命じる。
सीतासान्त्वनम् / Hanuman Consoles Sita with the News of Victory
第116章は、戦後の勝報を、正法(ダルマ)にかなう慰めへと結び直す章である。新たな秩序のもとで命を受け、ランカーで丁重に迎えられたハヌマーンは、礼を尽くして都に入り、シーターに会うためアショーカ園(Aśoka-vāṭikā)へ向かう。そこには、身も心も衰え、喜びを失ったシーターが、なお羅刹女(ラークシャシー)の番人たちに囲まれている。ハヌマーンはラーマの言葉を伝える――ラーヴァナは討たれ、ランカーはヴィビーシャナのもとに安んじ、もはや幽閉の状況は解けたゆえ恐れることはない、と。 シーターは喜びに胸塞がり言葉を失い、やがて深い感謝を述べる。使者にふさわしい贈り物を求めつつも、吉祥の報せに勝る財宝はないと言明する。ここで倫理の転回が起こる。ハヌマーンが、脅しを重ねた羅刹女たちへの報復を提案すると、シーターは復讐を退け、苦難は宿命と先の因縁によるものだとし、命令に従って悪をなす者に対しても、克己と慈悲を保つべきだというダルマの格言を示す。 ハヌマーンはその道徳的権威を受け入れ、ラーマへの返答を乞う。シーターは夫に会いたいと願いを述べる。章の結びでは、ハヌマーンが迅速に帰還し、シーターの言葉を順序どおり寸分違わずラグハヴァに伝え、言葉と意志の伝達が清浄に保たれることが示される。
सीतासमीपगमनम् / Sītā Brought Near to Rāma (Public Witness and Protocol)
この章は、戦の勝利から道徳的裁断へと物語を移す、厳密に統御された対面を描く。博学と称されるハヌマーンはラーマに報告し、全軍の遠征が彼女のために行われたのだとして、悲嘆に沈むマイティリー(シーター)に会うよう強く勧める。ラーマは涙しつつ沈思し、ついにヴィビーシャナに、シーターを沐浴させ、香油を塗り、飾り立てて相応の作法で連れて来るよう命じる。 シーターは沐浴せずにラーマに会いたいと願うが、ヴィビーシャナはラーマの命令遵守を譲らず、彼女も承諾する。シーターは光り輝く輿に乗せられ、多くのラクシャサに護られて運ばれる。到着を聞いたラーマの胸には、歓喜・憤り・怒りが同時に湧き起こり、私的な再会と公的な正当性との緊張が示される。 ラーマはシーターを近くへと求める。群衆を退けようとするヴィビーシャナをラーマは止め、「彼らは我が民である」と言い、危急・戦乱・儀礼の場において女性が公に姿を現すことは本質的に咎ではなく、シーターが近づくことにも罪はないと規範を述べる。さらに輿を退け、シーターが徒歩で進み、ヴァーナラたちの目に明らかとなるようにして、共同体の証人性を強める。 ラクシュマナ、スグリーヴァ、ハヌマーンは、ラーマの厳しい態度に心を痛め、シーターへの不快があるのではと案じる。シーターは慎ましく近づき、ラーマの顔を仰ぎ見て、長く抱えた悲しみが晴れてゆく。章は情の解放をもって閉じられつつ、後に続く厳正な倫理的吟味を予告する。
सीताप्रत्याख्यानम् / Rama’s Post-Victory Address to Sītā (Public Opinion and Royal Duty)
第118章では、戦後、傍らに立つシーターを見たラーマが、胸中に秘めてきた怒りと不安を、公の場であえて語り出す。彼はまず、この遠征を人としての義務の成就として位置づける。ラーヴァナを討って辱めは雪がれ、誓願は果たされ、味方の働き—ハヌマーンの大海跳躍とランカーの破壊、スグリーヴァの助言と軍の労、そしてヴィビーシャナの帰順—はいずれも成功に結実したと述べる。 やがて話は王道(rājanīti)と名誉へと移り、ラーマは戦いの労苦は「シーターのため」ではなく、醜聞や誹りから自らの家系の正しい行いと名声を守るためであったと言明する。彼は私情と、世の評判(janavāda)への恐れとの間で心が二つに裂けていることを吐露する。 さらに厳しい理屈として、他人の家に住み、欲の眼差しにさらされた妻を受け入れるのは不適切だとし、シーターは望むところへ行ってよいと告げ、別の庇護者の名まで挙げる。シーターは涙にむせび震え、象に打たれた蔓草のように崩れる—救出の後に加えられる公然たる拒絶が、心に与える痛みを示している。
सीताया अग्निप्रवेशः (Sita’s Ordeal by Fire / Agni-Pariksha)
本章は、ラーマが衆会の前で社会的な規範を帯びた厳しい言葉を放ち、ヴァイデーヒー(シーター)を深く傷つけるところから始まる、公的・倫理的危機を描く。シーターは理を尽くして自己を弁明し、「卑しい女たち」の振る舞いで自分を量ることを拒み、囚われの身で身体が強いられたことと、心(意志・思念)の清らかさとを峻別する。そして夫婦の長い親愛と信頼に訴え、もし疑いが決定的なら、救出そのものも味方の労苦も無意味になると述べる。 やがて彼女は言葉から聖なる証明へ移り、ラクシュマナに薪の火を備えるよう求める。公衆の面前で退けられた今、火中に入ることこそ残された唯一の尊厳の道だというのである。ラクシュマナは憤りつつも、ラーマの無言の合図に従って火を整え、死のごとく固い決意のラーマに誰も諫めることができない。シーターはプラダクシナーを行い、神々とバラモンに礼拝し、宇宙の神々と火神アグニを証人として、行い・言葉・思いにおける揺るぎない貞節を誓う。彼女は恐れなく炎の中へ入り、人々、ヴァーナラ、ラークシャサ、そして天界の衆は驚嘆し、嘆き、称賛しつつ見守り、共同の目撃そのものが本章の裁定の仕組みとなる。
रामस्तवः · ब्रह्मणा रामस्य नारायणत्वप्रकाशनम् (Rama-Stava: Brahma Reveals Rama’s Nārāyaṇa Identity)
第120章は、戦後の人間的な悲嘆から、神学的な顕示へと物語を転じる。民の嘆きを聞いたラーマは、涙に曇る眼で立ち止まり、民情への配慮と王としての責務が強く示される。 ランカーには、太陽のごとく輝くヴィマーナに乗って諸神が来集する。クベーラ(ヴァイシュラヴァナ)、ヤマと祖霊(ピトリ)たち、インドラ、ヴァルナ、六眼で牛旗を掲げるマヘーシュヴァラ、そしてブラフマーである。神々は、創造者にして主と称されるラーマが、なぜシーターの火中の試練を黙認したかのように見えるのかと問い、神の全知と人としての振る舞いとの緊張が浮かび上がる。 ラーマは自らをダシャラタの人の子と理解していると述べ、出自の真相をブラフマーに明かすよう求める。ブラフマーは長大な讃歌(スタヴァ)を唱え、ラーマこそナーラーヤナ/ヴィシュヌであり、祭祀とオーム(オーンカーラ)、始まりと終わり、あらゆる存在と方角に遍在する維持の原理であり、バリを縛したトリヴィクラマ/ヴァーマナであると宣言する。章末では、ラーヴァナの死が化身の目的を成就したこと、またこの古き讃歌の誦持が成功と不名誉からの守護をもたらすことが語られ、本章は物語の決着であると同時に、礼拝的テクストとしての根拠ともなる。
अग्निपरीक्षासाक्ष्यं (Agni’s Testimony and Sītā’s Revalidation)
このサルガは、目撃された証言によって戦の物語を法と神学の両面から締めくくる。ブラフマーの言葉の後、火神アグニ(Vibhāvasu/Havyavāhana/Pāvaka)は「loka-sākṣī(世の証人)」として火中より立ち現れ、ヴァイデーヒー(シーター)を抱いて、光輝に満ち変わらぬ姿のままラーマに返す。 アグニは、シーターの罪なきことと貞節を、言葉・心・知性、さらには眼差しに至るまで正式に宣言する。羅刹女たちの監視下での幽閉、誘惑や脅しの数々にもかかわらず、彼女がラーマへの帰依から一度も逸れなかったことを語る。 続いてラーマは、公的な信認という倫理の理を述べる。三界においてシーターの清浄は知られているが、ラーヴァナの内奥の居所に長くあったことは世の疑いを招き得る。ゆえに三界の確信(loka-pratyaya)のために入火を許したのであり、私心の疑念からではないと明かす。彼はシーターの不可侵を、悪しき者が思念においてすら近づけぬ炎に譬え、名誉や自己を捨てられぬように彼女を捨てられないと断言する。章末、ラーマは助言を受け入れ称賛され、妻と再会して正当な幸福を享受する。
दशरथदर्शनम् · Dasharatha’s Epiphany and Benedictions (Sarga 122)
戦が収まりし後、マヘーシュヴァラはラ―ガヴァの吉祥なる言葉に応え、同じく吉祥の教示を授ける。すなわち、ラーマはアヨーディヤーへ帰還し、バラタと王妃たち—カウシャリヤー、カイケーイー、スミトラー—を慰め、イクシュヴァーク王統を安定させ、アシュヴァメーダを含む王者の祭儀を修め、ブラーフマナたちへダーナ(布施)を行うべし。ここに戦場のダルマは、治国安民のダルマへと結実する。 ついでマヘーシュヴァラは、ヴィマーナに坐すダシャラタを顕現させる。ラーマとラクシュマナは礼拝し、光輝くダシャラタはラーマを抱き、膝に座らせて父として語る。ラーマなき天界の栄誉は喜びに乏しく、今日、流謫が満ち、敵が討たれたのを見てこそ心は満たされた、と。カイケーイーの追放要求の痛みを認めつつも、バラタとカイケーイーへの慈悲を勧め、ラーマは恐るべき呪いが彼らに及ばぬよう祈願する。 ダシャラタは献身の奉仕を尽くしたラクシュマナを祝福し、シーターには忍耐と夫婦のダルマをやさしく諭し、ラーマを至上の依り処として示す。最後にダシャラタはヴィマーナにてインドラの世界へ去り、父子の断絶を儀礼的に閉じて、物語はアヨーディヤー再興へと向かう。
इन्द्रवरदानम् / Indra Grants Boons: Restoration of the Vanara Host
サルガ123は、戦後の鎮まりと再建を、神々の対話として描く。合掌して立つラーマに、インドラ(マヘーンドラ/パーカシャーサナ/サハスラークシャ)が語りかけ、望みを述べよと促す。ラーマの願いは私的ではなく、共同体への回復である。すなわち、彼のために戦いヤマの住処に至ったヴァーナラとリクシャが命を取り戻し、傷を離れ、親族と再会すること。また、ヴァーナラの住む地が季節外れの花と実で栄え、川々が清らかに満ちて流れることである。 インドラはその大いなる恩寵の確かさを告げて許可し、ただちに奇瑞が現れる。倒れた者も傷ついた者も、眠りから覚めるように起き上がり、力を回復して驚嘆する。 デーヴァたちはラーマとラクシュマナを讃え、アヨーディヤーへの帰還を勧める。ヴァーナラを解き放ち、マイティリー(シーター)を慰め、バラタとシャトルグナに会い、母たちに拝し、王位の灌頂を受けよ、と。インドラは太陽のごとく輝くヴィマーナで神々と去り、ラーマはヴァーナラに休息を命じ、軍勢は甦った光彩に照り映える。
पुष्पकविमान-प्रस्थानम् (The Pushpaka Vimāna Offered and the Return Prepared)
一夜の休息の後、ヴィビーシャナ(Vibhīṣaṇa)はラーマ(Rāma)のもとに礼拝して進み出て、勝利の成り行きを問う。さらに、沐浴・香油・衣服・装身具・白檀・花鬘といった儀礼のもてなしを、装いに巧みな侍者たちに整えさせ、ラーマとヴァーナラ(Vānara)の諸将に清めと慰労の作法を受けるよう勧める。 しかしラーマは、抑えた切迫の心をもって答える。彼の胸はバラタ(Bharata)に会うことを急ぎ、かつてチトラクータ(Citrakūṭa)での帰還の嘆願を受け入れなかったこと、また王妃たちと民の願いを思うのである。そこでヴィビーシャナはプシュパカ・ヴィマーナ(Puṣpaka Vimāna)を献じる。太陽のごとく輝き雲のごとく軽やかで、意のままに進む(kāmaga)、侵しがたく、思念のように速いと説かれ、もとはクベーラ(Kubera)の乗り物で、戦いでラーヴァナ(Rāvaṇa)に奪われたが、今はラーマのために守り置かれていたという。 ラーマは長居を丁重に辞し、出立の許しを求め、ヴィマーナの準備を命じる。ヴィビーシャナが運ばせると、経文はその荘厳を描く—黄金の輝き、宝石の祭壇、旗幟、鈴、真珠を嵌めた開口部、そしてヴィシュヴァカルマン(Viśvakarmā)の作とされるメール山(Meru)のごとき規模。ついにラーマとラクシュマナ(Lakṣmaṇa)はその座に就き、その大いなる姿に驚嘆し、物語は戦の終結から帰途の旅へと移ってゆく。
पुष्पकारोहणम् (Boarding the Puṣpaka; Honoring the Allies and Departure for Ayodhyā)
このサルガは、征服から和解、そして出立へと移る儀礼的な場面を描く。ヴィビーシャナは花で飾られたプシュパカをラーマに献じ、敬意を保って距離を置きつつ、指示を仰ぐ。ラーマは熟慮し、ラクシュマナが聞き入る中、統治の方針ともいうべき言葉を告げる――戦の重荷を担った森を駆ける同盟者、すなわちヴァーナラらには、財宝と宝玉をもって厚く報いよ。感謝は王権の正当性を支え、徳なき君主を軍勢が見限るような道徳の頽廃を防ぐからである。 ヴィビーシャナは命に従い宝を分け与える。軍勢が讃えられたのを見届けたラーマは、すぐれた空中車に乗り込む。シーターは集う軍の前で慎み深く、ラーマの抱擁に迎えられて同じく搭乗する。ついでラーマは、ヴァーナラたち――とりわけスグリーヴァ――に軍を率いてキシュキンダへ帰る許しを与え、ヴィビーシャナにはランカーでの安泰な統治を祝福する。 同盟者たちは、アヨーディヤーでのラーマの灌頂(即位)を見届け、カウシャリヤーに拝謁するため同行したいと願い、ラーマはこれを許す。こうして一同が乗り込むと、ラーマの許しのもと、クベーラの所有するプシュパカは天空へ舞い上がり、ラーマはクベーラのごとく輝く――戦後に現れた、正しく光明ある王威の象徴である。
पुष्पकविमानयात्रा · सेतुबन्धादि-दर्शनम् (Pushpaka Aerial Journey and Survey of Sacred Landmarks)
第126章は、戦後のプシュパカ・ヴィマーナによる空中行程を、ラーマがシーターに語り導く回想として描く。ラーマの許しのもと、白鳥のように優美で響き澄んだプシュパカは天へ昇り、移ろう展望台となって、戦いと記憶の地が次々と示される。ラーマは血に染まった戦場を指し、倒れた主要な羅刹たちとそれを討った者の名を挙げ、戦の終結と責めの所在を明らかにする厳粛な記録とする。 やがて語りは聖地の地図へと移る。渡海の浜、ナラの架けた橋(ナラセートゥ)、ヴァルナの住まいとして轟く大海、ハヌマーンの行路に結びつく休息の山、そして三界に崇められ罪を滅すると讃えられるセートゥバンダのティールタ。さらに飛行は、キシュキンダとリシャムーカ、パンパとシャバリーの地、ジャナスターナとジャターユの落下の地、仙林の地域(カラ—ドゥーシャナ—トリシラスの章)、ゴーダーヴァリーとアガスティヤのアーシュラマ、スティクシュナとシャラバンガのアーシュラマ、アトリの住処、ヴィラーダの地、チトラクータ、ヤムナーとバラドヴァージャのアーシュラマ、ガンガー、シュリンギベーラ(グハ)、サラユーを経て、ついにアヨーディヤーへ—アマラーヴァティーのごとく見え、シーターは敬虔に礼拝する。 同時にシーターは、ターラーらヴァーナリーの女たちもアヨーディヤーへ同行させてほしいと願い、ラーマはこれを許す。スグリーヴァは家々を整え、女たちはシーターを拝見せんと胸を躍らせてヴィマーナに乗り込む。
भरद्वाजाश्रम-समागमः / Meeting Bharadvaja at the Hermitage (Homeward Blessings)
追放の期限が満ち(正確な月の暦日が示される)、ラーマとラクシュマナはバラドヴァージャ仙のアーシュラマに到り、恭しく礼拝して挨拶を捧げる。ラーマはアヨーディヤーの様子――民の繁栄、バラタの統治、王妃たちの安寧――を問い、物語が戦の目的から王都への帰還と社会秩序の回復へ移ることを明らかにする。 仙人は温かく答える。バラタは苦行者の姿でラーマを待ち、パードゥカー(木の履物)を自らの前に置いている。それは委ねられた王権と揺るがぬ忠誠のしるしである。さらにバラドヴァージャは、タパスの力と弟子たちの報告によって、ラーマの歩みのすべて――苦行者とブラーフマナを守る中でのシーター誘拐、出会いと同盟(マーリーチャ、カバンダ、パンパー、スグリーヴァ)、ヴァーリの死、ハヌマーンによるシーター発見とランカー焼討、ナラの架橋、ラーヴァナの滅亡、そして神々の授与――を知っていると告げる。 仙人はアルギャ(arghya)を供え、願いを許す。ラーマは、アヨーディヤーへの道が季節外れの甘果と、アムリタの香りを放つ花で満ちるよう願う。仙人がうなずくと、幾由旬にもわたり景色は一変し、枯れ木は実を結び、葉なき木は緑を取り戻し、蜜のような豊穣が現れる――帰還に伴う、秩序回復の吉兆となった。
अयोध्याप्रत्यागमन-सन्देशः (Hanuman Sent Ahead to Ayodhya)
プシュパカ・ヴィマーナよりアヨーディヤーを望み、聖ラーマは帰還の要所—海への到達、海神の顕現、橋の建立、ラーヴァナの死、そして天より授かった恩寵—を思い起こす。ついで彼は、迅速な使者としてハヌマーンを先遣する。 ラーマは、王国の豊饒がたとえ徳ある者をも惑わし得るゆえ、バラタの真意を外徴—顔色、眼差し、言葉—によって見極めよと命じ、繊細な継承に先立つ慎重な確認の作法を示す。ハヌマーンは人の姿で疾走し、ガンガーとヤムナーの合流点を越えてシュリンガベーラプラに至り、グハに挨拶してラーマの安泰と行程を伝える。 さらにナンディグラーマへ向かう途上、彼はバラタの清貧なる摂政を目にする。やせ衰え、苦行者の装いで、ラーマのパードゥカー(御履)を王権の象徴として政を執り、傍らには大臣・祭司・軍の長が控えていた。ハヌマーンがラーマの勝利とシーターの奪還、そして再会の近さを告げると、バラタは歓喜に倒れ、ハヌマーンを抱きしめ、吉報への厚い贈り物を捧げて、忠誠とダルマにかなう統治を改めて誓う。
After Hanumān confirms Sītā’s survival, Rāma advances with the vānaras to the seashore, compels Sāgara to yield a passage, and crosses to Laṅkā. Vibhīṣaṇa defects from Rāvaṇa and becomes Rāma’s strategic ally. The siege intensifies through successive battles in which leading rākṣasas fall. Indrajit’s māyā and ritual power temporarily disable Rāma and Lakṣmaṇa and demoralize the vānaras, but counsel and renewed resolve restore the campaign. The conflict escalates with Kumbhakarṇa’s awakening and death and culminates in the decisive confrontation that leads to the collapse of Rāvaṇa’s regime and the recovery of Sītā.
Yuddhakāṇḍa frames war as a dharmic necessity rather than a celebration of violence: force becomes legitimate only when subordinated to truth, restraint, and the protection of the wronged. The narrative repeatedly contrasts Rāma’s disciplined adherence to counsel, alliance-ethics, and vows with Rāvaṇa’s pride-driven rejection of wise advice. Vibhīṣaṇa’s defection and Rāma’s granting of asylum further establish rājadharma as the capacity to recognize virtue even in an enemy camp. The book thus presents adharma not merely as “sin” but as strategic blindness that collapses sovereignty from within.
Key episodes include: Hanumān’s report and the march to the sea; Rāma’s observance and confrontation with Sāgara; construction and crossing of the setu; reconnaissance and the siege of Laṅkā; Vibhīṣaṇa’s counsel, rejection, and asylum; successive gate-battles and the fall of leading commanders (e.g., Dhumrākṣa, Vajradaṃṣṭra, Prahasta); Indrajit’s māyā that temporarily disables Rāma and Lakṣmaṇa and the counter-operation against his ritual power (Nikumbhilā); Kumbhakarṇa’s awakening, rampage, and death; and the tightening of the campaign toward the final confrontation with Rāvaṇa and the recovery of Sītā.
The central figures are Rāma and Lakṣmaṇa (leaders of the righteous campaign), Sītā (the moral and emotional center), Hanumān and Sugrīva (vānaras coalition leadership), and Vibhīṣaṇa (insider counselor who joins Rāma). The principal antagonists are Rāvaṇa (king of Laṅkā), Indrajit/Meghanāda (ritual and illusion warfare specialist), and Kumbhakarṇa (colossal champion). Aṅgada and Jāmbavān function as prominent vānaras leaders who stabilize morale and lead assaults.
Yuddhakāṇḍa is the epic’s decisive resolution-phase: it transforms the quest and alliance-building of earlier books into direct confrontation, adjudicating the moral claims established in Araṇya and Kiṣkindhā and operationalized in Sundara through Hanumān’s mission. It also prepares the ethical aftermath addressed in the concluding book (Uttarakāṇḍa), where questions of kingship, public scrutiny, and the costs of restoring order are explored. Structurally, it is the hinge where private suffering (Sītā’s captivity, Rāma’s grief) becomes a public test of sovereignty and dharma.
The book teaches that (1) power without counsel and humility becomes self-destructive; (2) perseverance and clarity can be restored even after catastrophic reversals; (3) righteous leadership includes ethical alliance-making and protection of those who seek refuge; (4) grief is real and voiced, yet duty demands action guided by principle; and (5) adharma ultimately erodes both personal judgment and political stability, leading to downfall despite material strength.
Read Valmiki Ramayana in the Vedapath app
Scan the QR code to open this directly in the app, with word-by-word meanings, Sanskrit recitation where available, and more.