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Tiladhenumāhātmya
Ritual-Manual (Dāna and Dīkṣā) with Embedded Ethical-Discourse (Food-giving and Social Welfare)
大地女神プリティヴィー(Pṛthivī)との対話において、ヴァラーハは重罪を除き繁栄を回復させる救済の儀礼体系を説き、マンダラ(maṇḍala)においてナーラーヤナ(Nārāyaṇa)を拝観し礼拝するという、整然たるヴァイシュナヴァの行法を示す。とりわけカールッティカ月(Kārttika)の白分第十二日(Śukla Dvādaśī)に重きを置き、サンクラーンティ(saṅkrānti)や日月食の時にも修すべきことが述べられる。章は、師弟(guru–śiṣya)の一年にわたる試験、ディークシャー(dīkṣā)の前行、マンダラの構築、方位守護神(dikpāla)と四顕現ヴューは(Vyūha:ヴァースデーヴァ、サンカルシャナ/バラ、プラデュムナ、アニルッダ)の安置と供養、マントラ・ホーマ(mantra-homa)、さらに九つのクンバ(kumbha)による段階的沐浴を説き、鎮静(śānti)、罪滅(pāpanāśa)、智(jñāna)、財福を目的別に示す。譬えとして、施食(anna-dāna)を怠ったため死後に飢えた王シュヴェータ(Śveta)の物語が語られ、ティラデーヌ(tiladhenu:胡麻の牝牛)の作成と布施が教えられる。儀礼の功徳は社会倫理と結ばれ、食と資源の分かち合いが地上の秩序と人々の安寧を支えると示される。
Verse 1
अथ तिलधेनुमाहात्म्यम् ॥ धरन्युवाच ॥ या सा माया शरीरात्तु ब्रह्मणोऽव्यक्तजन्मनः ॥ गायत्र्यष्टभुजा भूत्वा चैव त्रासुरमयोदधयत्
ここにティラデーヌ(Tiladhenu)の偉大さの説話が始まる。大地は言った。「梵天の身体より生じ、その起源が未顕であるそのマーヤーは、八臂のガーヤトリーとなり、アスラのトラースラ(Trāsura)と戦った。」
Verse 2
सैव नन्दा भवेद्देवी देवकार्यचिकीर्षया ॥ महिषाख्यासुरवधं कुर्वती ब्रह्मणेरिता
その同じ(力)は女神ナンダー(Nandā)となり、神々の務めを成し遂げようとした。梵天に促され、彼女はマヒシャ(Mahiṣa)と名づけられたアスラを討ち滅ぼした。
Verse 3
वैष्णव्याख्या ततो देव कथमेतद्धि शंस मे ॥ श्रीवराह उवाच ॥ द्वयं जगद्धिता देवी गङ्गा शङ्कर सुप्रिया ॥
そこで彼女は言った。「主よ、ヴァイシュナヴィー(Vaiṣṇavī)に関するこの説話を、いかに理解すべきかを余すところなくお説きください。」シュリー・ヴァラーハは言った。「女神よ、世の安寧のために二つがある。すなわち、シャンカラ(Śaṅkara)に愛される女神(devī)ガンガー(Gaṅgā)である。」
Verse 4
क्वचित्किंचिद्भवेद्दत्तं स्वपदं वेद सर्ववित् ॥ स्वायम्भुवे हतो दैत्यो वैष्णव्या मन्दरे गिरौ ॥
ある場合には何かが授けられることもある。全知者は自らの位を知っている。スヴァーヤンブヴァ(Svāyambhuva)・マンヴァンタラにおいて、マンダラ山で一体の魔がヴァイシュナヴィー(Vaiṣṇavī)によって討たれた。
Verse 5
महिषाख्यः परः पश्चात्स वै चैत्रासुरो हतः ॥ नन्दया निहतो विन्ध्ये महाबलपराक्रमः ॥
その後、マヒシャ(Mahiṣa)と名づけられた別の者が討たれた。まさしくそのチャイトラースラ(Caitrāsura)は滅ぼされたのである。大いなる力と武勇を備えた彼は、ヴィンディヤ地方でナンダー(Nandā)によって討たれた。
Verse 6
अथवा ज्ञानशक्तिः सा महिषोऽज्ञानमूर्त्तिमान् ॥ अज्ञानं ज्ञानसाध्यं तु भवतीति न संशयः ॥
あるいは、彼女は知の力であり、「水牛」は無知の化身である。無知はまさしく知によって克服される—これに疑いはない。
Verse 7
मूर्त्तिपक्षे चेतिहासममूर्ते चैवगद्धृदि ॥ ख्याप्यते वेदवाक्यैश्च इह सा वेदवादिभिः ॥
形ある側面からは、それは「イティハーサ」(itihāsa)として語られ、形なき側面からは、心中に保持される。ここでは、ヴェーダに則って語る者たちが、ヴェーダの聖句によってそれを明らかにする。
Verse 8
इदानीं शृणु मे देवि पञ्चपातकनाशनम् ॥ यजनं देवदेवस्य विष्णोः पुत्रवसुप्रदम् ॥
今、女神よ、五大罪を滅するものについて我が言を聞け。すなわち、神々の神ヴィシュヌへの供養・儀礼であり、子と富を授ける。
Verse 9
इह जन्मनि दारिद्र्यव्याधिकुष्ठादिपीडितः ॥ अलक्ष्मीवानपुत्रस्तु यो भवेत्पुरुषो भुवि ॥
この現世においても、地上の男は貧困や病、癩などに苦しめられ、福運を失い、子なき者となり得る。
Verse 10
नारायणं परं देवं यः पश्यति विधानतः ॥ आचार्यदर्शितं देवि मन्त्रमूर्तिमयोनिजम् ॥
正しい作法に従い、師の示すところにより、マントラの姿としての不生の至上主ナーラーヤナを観ずる者は、女神よ——
Verse 11
कार्तिके मासि शुक्लायां द्वादश्यां तु विशेषतः ॥ सर्वासु वा यजेद्देवं द्वादशीषु विधानतः ॥
カールティカ月には、とりわけ白分のドヴァーダシーに、またはすべてのドヴァーダシーの日に、定められた作法により主を礼拝すべきである。
Verse 12
ब्राह्मणक्षत्रियविशां भक्तानां तु परीक्षनम् ॥ संवत्सरं गुरुः कुर्याज्जातिशौचक्रियादिभिः ॥
ブラーフマナ、クシャトリヤ、ヴァイシャに属する帰依者の審査については、師は一年にわたり、出生の身分、清浄の戒行、その他の関連する作法によってこれを行うべきである。
Verse 13
संक्रान्त्यां वा महाभागं चन्द्रसूर्यग्रहे तथा ॥ यः पश्यति हरिं देवि पूजितं गुरुणा शुभे ॥
吉祥なるデーヴィよ。サンクラーンティの時、あるいは月食・日食の折に、師(グル)によって正しく供養されたハリ(Hari)を拝する者は、殊勝の果報を得る。
Verse 14
तस्य सद्यो भवेत् तुष्टिः पापध्वंसश्च जायते ॥ सामान्यदेवतानां च भवतीति न संशयः ॥
その人にはただちに満足が生じ、罪の滅尽が起こる。また、一般の神々に関する功徳も得られる—疑いはない。
Verse 15
उपासन्नं ततो ज्ञात्वा हृदयेनावधारयेत् ॥ तेऽपि भक्तिमतो ज्ञात्वा त्वात्मानं परमेश्वरम् ॥
(神が)正しく奉仕されていると知ったなら、それを心に堅く保つべきである。彼らもまた、信者を見分けて、汝—すなわち自己そのもの—を至上主として悟る。
Verse 16
संवत्सरं गुरोर्भक्तिं कुर्युर् विष्णोरिवाचलाम् ॥ संवत्सरे ततः पूर्णे गुरुं चैव प्रसादयेत् ॥
一年のあいだ、ヴィシュヌへの信愛のごとく揺るがぬ信愛を師(グル)に対して修すべきである。しかる後、年が満ちたなら、師をもまた如法に歓喜させよ。
Verse 17
भगवंस्त्वत्प्रसादेन संसारार्णवतारणम् ॥ इच्छामस्त्वैहिकीं लक्ष्मीं विशेषेण तपोधन ॥
尊き御方よ、あなたの恩寵によって輪廻(サンサーラ)の大海を渡り越えたい。また現世の繁栄をも願う、ことさらに、苦行の宝なる御方よ。
Verse 18
एवमभ्यर्च्य मेधावी गुरुं विष्णुमिवाग्रतः ॥ अभ्यर्चितस्तैः सोऽप्याशु दशम्यां कार्त्तिकस्य तु ॥
このように礼拝を終えたのち、賢者は目前において師を、まるでヴィシュヌであるかのように敬拝する。彼らに礼拝されると、師もまた速やかに——カールッティカ月の第十日には——……
Verse 19
स्वप्नान्दृष्ट्वा गुरोरग्रे श्रावयेत विचक्षणः ॥ ततः शुभाशुभे तत्र लक्षयेत्परमो गुरुः ॥
夢を見たなら、識別ある者はそれを師の前で唱え述べ(報告し)なさい。ついで、その中の吉凶について、最上の師が徴(しるし)を判定すべきである。
Verse 20
एकादश्यामुपोष्यैवं स्नात्वा देवालयं व्रजेत् ॥ गुरुश्च मण्डलं भूमौ कल्पितायां तु वर्त्तयेत् ॥
このようにエーカーダシーに断食し、沐浴してから、神殿へ赴くべきである。師は整えられた地面の上にマンダラを設ける。
Verse 21
लक्षणैर्विविधैर्भूमिं लक्षयित्वा विधानतः ॥ षोडशारं लिखेच्चक्रं सर्वतोभद्रमेव च ॥
種々の相によって地面を規定どおりに標し、十六条の輻をもつ輪を描き、さらにサルヴァトーバドラ(全方位に吉祥なる)図も描くべきである。
Verse 22
अथवा अष्टपत्रं च लिखित्वा दर्शयेद्बुधः ॥ नेत्रबन्धं तु कुर्वीत सितवस्त्रेण यत्नतः ॥
あるいは、八弁の図を描いて賢者はそれを示すべきである。次いで、白い布を用いて注意深く目隠しを作りなさい。
Verse 23
वर्णानुक्रमतः शिष्यान्पुष्पहस्तान्प्रवेशयेत्॥ नवनाभं यदा कुर्यान्मण्डलं वर्णकैर्बुधः॥
音節(または文字類)の順序に従い、手に花を持つ弟子たちを入場させるべきである。賢者が色粉(顔料)によって九輻の曼荼羅を作るとき、儀礼はそのとおりに進められる。
Verse 24
तदानिं पूर्वतो देवमिन्द्रपूर्वं तु पूजयेत्॥ लोकपालैः समं पूज्य अग्निं सम्पूजयेत्छुभे॥
次に東方において神を礼拝すべきであり、まずインドラを先とする。世界の守護者(ローカパーラ)とともに供養したのち、吉祥なる者よ、アグニをも正しく供養すべきである。
Verse 25
स्वदिक्षु तद्वद्याम्यायां नैर्ऋत्यां निरृतिं न्यसेत्॥ वरुणं वारुणायां च वायुम् वायव्यतो न्यसेत्॥
それぞれの方角においても同様に諸神を安置すべきである。南方に、また南西にはニルリティを据える。西方にはヴァルナを、北西にはヴァーユを置く。
Verse 26
धनदं चोत्तरे न्यस्य रुद्रमीशानगोचरे। पूज्यैवं तु विधानॆन दिक्षेत्रेषु व्यवस्थिताम्॥
北方にダナダ(クベーラ)を安置し、イーシャーナ(北東)の領域にルドラを据える。かくして定められた作法により供養すれば、諸方の領域に住する神々が確立される。
Verse 27
पद्ममध्ये तथा विष्णुमर्च्चयेत्परमेश्वरम्॥ पूर्वपत्रे बलं पूज्य प्रद्युम्नं दक्षिणे तथा॥
次に蓮華の中央において、至上主たるヴィシュヌを礼拝すべきである。東の花弁にはバラを供養し、同様に南の花弁にはプラデュムナを供養する。
Verse 28
ऐशान्यां विन्यसेच्छङ्खमाग्नेय्यां चक्रमेव तु॥ याम्यायां तु गदां पूज्य वायव्यां पद्ममेव च॥
北東の方角にはシャṅカ(法螺貝)を安置し、南東にはチャクラ(円盤)を置く。南にはガダー(棍棒)を礼拝し、北西にはパドマ(蓮華)をも安置する。
Verse 29
ऐशान्यां मुसलं पूज्य दक्षिणे गरुडं न्यसेत्॥ वामतो विन्यसेल्लक्ष्मीं देवदेवस्य बुद्धिमान्॥
北東にはムサラ(杵・棍棒)を礼拝し、南にはガルダを安置する。左側には、賢者は神々の神に属するラクシュミーを配するべきである。
Verse 30
वैष्णवं कलशं चैव नवमं तत्र कल्पयेत्॥ स्नापयेन्मुक्तिकामं तु वैष्णवेन घटेन ह॥
またそこに、ヴァイシュナヴァのカラシャ(灌頂の壺)を第九のものとして整えるべきである。まことに、そのヴァイシュナヴァの壺によって解脱を求める者を沐浴させよ。
Verse 31
धनुश्चैव तु खड्गं तु देवस्य पुरतो न्यसेत्। श्रीवत्सं कौस्तुभं चैव नवमं तत्र कल्पयेत्॥
また、弓と剣とを神の御前に安置する。さらにその場に、シュリーヴァツァとカウストゥバ(聖なる標章)をも第九のものとして整えるべきである。
Verse 32
एवं पूज्य यथान्यायं देवदेवं जनार्द्दनम्॥ दलॆषु दिक्षु विन्यस्य अष्टौ कुम्भान्विधानतः॥
このように、規定に従って神々の神ジャナールダナを礼拝し、花弁と諸方位に配してから、定められた作法により八つのクンバ(儀礼の壺)を設置すべきである。
Verse 33
श्रीकामं स्नापयेत् तद्वद् ऐन्द्रेण तु घटेन ह ॥ प्राज्यप्रतापकामं च आग्नेयेन तु स्नापयेत् ॥
繁栄を願う者は、同じ作法によりインドラに奉献された水壺で沐浴すべきである。さらに、豊かな光輝と活力を願う者は、アグニに奉献された水壺で沐浴すべきである。
Verse 34
मृत्युञ्जयविधानाय याम्येन स्नपनं तथा ॥ दुष्टप्रध्वंसनायालं नैऋतेन विधीयते ॥
「死に打ち勝つ」(ムリティユンジャヤ)の儀礼を行うためには、ヤマに属するものによって同様に沐浴をなすべきである。また、敵対し害をなす力を十分に滅するためには、ニルリティに属するものが定められる。
Verse 35
शान्तये वारुणेनाशु पापनाशाय वायवे ॥ द्रव्यसम्पत्तिकामस्य कौबेरेण विधीयते ॥
鎮静のためには、速やかにヴァルナに属するものによって沐浴を行うべきである。罪を滅するためにはヴァーユに属するものによって行い、財宝の成就を願う者にはクベーラに属するものが定められる。
Verse 36
रौद्रेण ज्ञानहेतोश्च लोकपालपदाप्तये ॥ एकैकेन नरः स्नातः सर्वपापविवर्जितः ॥
ルドラに属するものによっては、知識を得るため、また世界の守護者(ローカパーラ)の位を得るためである。人がそれぞれを順に用いて沐浴すれば、あらゆる罪過を離れる。
Verse 37
जायते विष्णुसदृशः सद्यो राजाथवा भवेत् ॥ अथवा दिक्षु सर्वासु यथासंख्येन लोकपान् ॥ पूजयीता स्वशास्त्रोक्तविधानेन विधानवित् ॥
彼はヴィシュヌに等しき者となり、あるいは直ちに王となることもある。あるいはまた、作法を知る者は、あらゆる方角において、自己の権威ある伝承に説かれた方法に従い、順序どおりに世界の守護者(ローカパーラ)を礼拝すべきである。
Verse 38
एवं सम्पूज्य देवान्श्च लोकपालान् प्रसन्नधीः ॥ पश्चात्प्रदक्षिणान् शिष्यान् बद्धनेत्रान् प्रवेशयेत् ॥ आग्नेयी वारुणी दग्धा वायुना विधिना ततः ॥
このように、心を静めて神々と世界の守護者たちを十分に供養したのち、弟子たちに右繞(プラダクシナー)を行わせ、目隠しをして入場させるべきである。ついで、アグニとヴァルナに関わるものは、定められた作法に従い、ヴァーユによって「焼かれ」すなわち浄化され整えられる。
Verse 39
सौमेनाप्यायिता पश्चाच्छ्रावयेत्समयान्बुधः ॥ अनिन्द्यान्ब्राह्मणान्वेदान्विष्णुं ब्रह्माणमेव च ॥
ソーマに属するものによって彼らが潤され整えられたのち、賢明な祭主は、サマヤ(規律・誓約)を聞かせるべきである――非難なきブラーフマナ、ヴェーダ、そしてヴィシュヌ、さらにブラフマーに関するものを。
Verse 40
रुद्रमादित्यमग्निं च लोकपालग्रहांस्ततः ॥ गुरूंश्च वैष्णवांश्चापि पुरुषः पूर्वदीक्षितः ॥
次に(礼拝すべきは)ルドラ、アーディティヤ、アグニであり、その後に世界の守護者たちと惑星の力である。さらに師たちとヴァイシュナヴァたちをも(礼すべきである)。これは先にディークシャ(灌頂・入門)を受けた者が行う。
Verse 41
एवं तु समयं ख्याप्य पश्चाद्धोमं तु कारयेत् ॥ ॐ नमो भगवते सर्वरूपिणे हुं फट् स्वाहा ॥
このようにサマヤ(遵守すべき規定)を告げたのち、次にホーマ(火供)を行わせるべきである。真言は次のとおりである。「Oṃ namo bhagavate sarvarūpiṇe huṃ phaṭ svāhā」。
Verse 42
षोडशाक्षरमन्त्रेण होमयेज्ज्वलिताग्नये ॥ गर्भाधानादिकाश्चैव क्रियाः समवघारयेत् ॥
十六音節の真言によって、燃え盛る火に供物を投じて供養すべきである。また、ガルバーダーナ(受胎の儀)に始まる諸作法およびその他の儀礼を、正しく理解し取り入れるべきである。
Verse 43
त्रिभिराहुतिभिश्चापि देवदेवस्य सन्निधौ ॥ होमान्ते दीक्षितः पश्चाद्दद्याच्च गुरुदक्षिणाम्
また三つの供物(供献)をもって、神々の神の御前において;ホーマの終わりに、灌頂を受けた者(dīkṣita)は師への供養であるグル・ダクシナー(guru-dakṣiṇā)を捧げるべきである。
Verse 44
हस्त्यश्वकटाकादीनि हेमग्रामादिकं नृपः ॥ दद्याच्च गुरवे प्राज्ञो मध्यमे मध्यमं तथा
王は賢明であるなら、師に対して象・馬・車などの品々、また「グラーマ(grāma)」の量に当たる黄金や同類の財宝を施すべきである。境遇が中ほどであるなら、それに応じて中ほどの供物を同様に捧げよ。
Verse 45
एवं कृते तु यत्पुण्यं माहात्म्यं जायते धरे ॥ तत्र शक्यं तु गदितुमपि वर्षशतैरपि
このように行われるとき、大地において生じる功徳(puṇya)と崇高なる霊験は、たとえ百年を重ねて語ろうとも、なお尽くして述べることはできない。
Verse 46
जप्ताः स्युः पुष्करे तीर्थे प्रयागे सिन्धुसङ्गमे ॥ देवागारे कुरुक्षेत्रे वाराणस्यां विशेषतः
これらは、プシュカラのティールタ(Puṣkara tīrtha)、プラヤーガ(Prayāga)、シンドゥの合流地、神殿、クルクシェートラ(Kurukṣetra)、そしてとりわけヴァーラーナシー(Vārāṇasī)において、ジャパ(japa)として誦すべきである。
Verse 47
ग्रहणे विषुवे चैव यत्फलं जपतां भवेत् ॥ तत्फलं द्विगुणं तस्य दीक्षितो यः शृणोति च
日食・月食の時、あるいはヴィシュヴァ(viṣuva)の時にジャパ(japa)を行う者に得られるいかなる果報も、それをさらに聴聞する灌頂者(dīkṣita)には、その果報が二倍となる。
Verse 48
देवा अपि तपः कृत्वा ध्यायंति च वदंति च ॥ कदा नो भारते वर्षे जन्म स्याद्भूतधारिणि
デーヴァたちでさえ、苦行(タパス)を修して瞑想し、こう語る。「おお衆生を担う者よ、われらはいつバーラタ・ヴァルシャに生を受けるのか。」
Verse 49
दीक्षिताश्च भविष्यामो वराहं शृणुमः कथम् ॥ वराहं षोडशात्मानं त्यक्त्वा देहं कदा वयम्
「そしてわれらはディークシャ(灌頂)を受けた者となる——いかにしてヴァラーハを聴聞できようか。いつ身を捨て、十六相の本性をもつヴァラーハに到達できるのか。」
Verse 50
यास्यामः परमं स्थानं यद्गत्वा न पुनर्भवेत् ॥ एवं जल्पन्ति विबुधा मनसा चिन्तयन्ति च
「われらは至上の住処へ赴く。そこに至れば、もはや再び生まれることはない。」このように賢き天人は語り、また心において思惟する。
Verse 51
अत्राप्युदाहरन्तीममितिहासं पुरातनम् ॥ वसिष्ठस्य च संवादं श्वेतस्य च महात्मनः
ここでもまた、古のイティハーサ(伝承)を引く。すなわち、ヴァシシュタと大魂のシュヴェータとの対話である。
Verse 52
स्वर्गवासे स्थितो ह्यासिच्छ्वेतो राजा महायशाः ॥ आसीदिलावृते वर्षे श्वेतो राजा बृहत्तपाः
シュヴェータは大いなる名声をもつ王で、天界に住していた。さらに、深き苦行を備えた王シュヴェータは、イラーヴリタ・ヴァルシャにも在った。
Verse 53
स महीṃ सकलां देवी सपल्लववनद्रुमाम् ॥ दातुमिच्छन्स चोवाच वसिष्ठं तपसां निधिम् ॥
大地のすべてを、女神よ――芽生え、森、樹々をも含めて――施与しようと望み、彼は苦行の宝庫ヴァシシュタ(Vasiṣṭha)に語りかけた。
Verse 54
भगवन् दातुमिच्छामि ब्राह्मणेभ्यो वसुन्धराम् ॥ देह्यनुज्ञां स चोवाच वसिष्ठो राजसत्तमम् ॥
彼は言った。「尊き御方よ、私は大地をブラーフマナたちに施したい。どうかご許可を賜れ。」こうしてヴァシシュタは最上の王に語った。
Verse 55
सर्वेषामेव दानानामन्नदानं विशिष्यते ॥ अन्नाद्भवन्ति भूतानि अन्नेनैव च वर्धते ॥
あらゆる布施のうち、食の施しは最も勝れている。食より衆生は生じ、食によってのみ成長し栄える。
Verse 56
तस्मात्सर्वप्रयत्नेन अन्नदानं ददस्व भोः ॥ वसिष्ठस्य वचः श्रुत्वा स राजा न तथाकरॊत् ॥
「ゆえに、あらゆる努力をもって食を施しなさい、御方よ。」ヴァシシュタの言葉を聞きながら、その王はそのとおりには行わなかった。
Verse 57
रत्नवस्त्रमलङ्कारान् श्रीमन्ति नगराणि च ॥ यत्किञ्चित्कोषजातं स द्विजानाहूय तद्ददौ ॥
彼は二度生まれの者たち(ドヴィジャ)を招き、宝石、衣、装身具、繁栄する町々、そして庫に蓄えられたあらゆる財を与えた。
Verse 58
प्रदत्तं ब्राह्मणस्याथ कुञ्जरानजिनानि च ॥ स कदाचिन्नृपः पृथ्वीं जित्वा परमधर्मवित् ॥
彼はまた、バラモンに象と皮革を施した。別の時、その王は—最高のダルマを知る者として—大地を征服し…
Verse 59
पुरोहितमुवाचेदं वसिष्ठं जपतां वरम् ॥ भगवन्नश्वमेधानां सहस्रं कर्तुमुत्सहे ॥
彼は家付きの祭司ヴァシシュタ、ジャパを誦する者の中で最勝の者に言った。「尊き御方よ、私は千のアシュヴァメーダ祭を執り行うことができます。」
Verse 60
सुवर्णरौप्यताम्राणि यागं कृत्वा द्विजातिषु ॥ दत्तानि तेन राज्ञा वै नान्नं दत्तं तथा जलम् ॥
二度生まれの者たちのために祭祀を行い、その王はまことに金・銀・銅を施した。だが食物は施さず、水もまた施さなかった。
Verse 61
वस्तु स्वल्पमिति ज्ञात्वा प्रभुः सोऽन्नं तु नाददत् ॥ एवं विभवयुक्तस्य तस्य राज्ञो महात्मनः ॥
「物が少ない」と知って、その権勢ある者は食物を施さなかった。資財に恵まれながらも、その大いなる魂の王はこのようであった。
Verse 62
कालधर्मवशाद्देवि मृत्युḥ समभवत्तदा ॥ परलोके वर्तमानः स च राजा महामनाः ॥
時の法の力によって、女神よ、その時死が訪れた。そしてその高貴なる心の王は、彼岸の世に住することとなった。
Verse 63
क्षुधया पीडितो ह्यासीत् तृषया च विशेषतः ॥ अनिनायाप्सरोभागं गत्वा श्वेताख्यपर्वतम्
彼は飢えに苦しみ、とりわけ渇きに悩まされていた。『シュヴェータ』と呼ばれる山へ赴き、アプサラスに属する分け前をそこへ携えて行った。
Verse 64
पुनर्विमानमारुह्य दिवमाचक्रमे नृपः ॥ अथ कालेन महता स राजा संशितव्रतः
それから王は再びヴィマーナに乗り、天界へと進んだ。長い時を経ても、その王は—誓戒の修行に堅固で—なおそのままであった。
Verse 65
तान्यस्थीनि लिहन्दृष्टो वसिष्ठेन महात्मना ॥ उक्तश्च तेन किंच त्वं स्वास्थि भुङ्क्षे नराधिप
大いなる聖仙ヴァシシュタは、彼がそれらの骨を舐めているのを見て言った。「なぜ汝は、人々の主よ、自らの骨を食らうのか。」
Verse 66
एवमुक्तस्तदा राजा वसिष्ठेन महात्मना ॥ उवाच वचनं चेदं श्वेतो राजा मुनिं तदा
大いなるヴァシシュタにそのように告げられると、シュヴェータ王はその時、聖者に次の言葉を述べた。
Verse 67
भगन् क्षुधितश्चास्मि अन्नपानं पुरा मया ॥ न दत्तं मुनिशार्दूल तेन मां बाधते क्षुधा
「尊き御方よ、私は飢えております。かつて私は食と飲み物を施しませんでした、賢者の中の虎よ。ゆえに飢えが私を責め立てるのです。」
Verse 68
किं ते करोमि राजेन्द्र क्षुधितस्य विशेषतः ॥ अदत्तं नोपतिष्ठेत कस्यचित्किंचिदुत्तमम्
(ヴァシシュタは言った。)「王の中の最勝よ、ことに汝が飢えているとき、我に何ができようか。与えられぬままの勝れたものは、功徳の果として誰にも到来しない。」
Verse 69
रत्नहेमप्रदानेन भोगवान् जायते नरः ॥ अन्नपानप्रदानेन सर्वकामैस्तु तर्पितः
宝玉と黄金を施せば、人は享楽を得る者となる。だが食と飲を施せば、あらゆる願いによって満たされる。
Verse 70
तन्न दत्तं त्वया राजन् स्तोकं मत्वा नराधिप ॥ श्वेत उवाच ॥ अदत्तस्य च सम्प्राप्तिस्तन्ममाचक्ष्व पृच्छतः
(ヴァシシュタは言った。)「王よ、汝はそれを些事と思い、人々の主として施さなかった。」シュヴェータは言った。「我が問うゆえに告げよ。施さぬ者にどのような結果が及ぶのか。」
Verse 71
एवमुक्तस्ततो राज्ञा वसिष्ठो मुनिपुङ्गवः ॥ उवाच च मुनिर्भूयः श्वेतं वाक्यं महानृपम्
王にこのように問われて、仙人の中の第一なるヴァシシュタは、偉大なる王シュヴェータに再び言葉を語った。
Verse 72
शिरसा भक्तियुक्तेन याचितोऽसि महामुने ॥ वसिष्ठ उवाच ॥ अस्त्येकं कारणं येन जायते तन्न संशयः
「大いなる牟尼よ、汝は頭を垂れた信敬をもって請われた。」(ヴァシシュタは言った。)「これが生ずるにはただ一つの因がある。疑いはない。」
Verse 73
स सर्वमेधमारॆभे स्वयं क्रतुवरं नृपः ॥ यजतानेन विप्रेभ्यो दत्ता गावो द्विपा वसु ॥
その王はみずから、すぐれた王者の大祭サルヴァメーダ(Sarvamedha)を開始し、祭儀のさなかに婆羅門たちへ牛と象と財宝を施した。
Verse 74
नान्नं तेन तदा दत्तं स्वल्पं मत्वा यथा त्वया ॥ ततः कालेन महता मृतोऽसौ जाह्नवीजले ॥
しかしその時、彼は食物を「些細なもの」と見なして施さなかった――かつて汝がしたように。やがて長い時を経て、彼はジャーフナヴィー(ガンガー)の水中で没した。
Verse 75
कृत्वा पुण्यं विनीताś्वः सार्वभौमो नृपोत्तमः ॥ स्वर्गं च गतवान्सोऽपि यथा राजन् भवान् प्रभो ॥
功徳を成し遂げたのち、ヴィニータ―シュヴァ(Vinītāśva)――世界の覇者にして最上の王――もまた天界へ赴いた。王よ、主よ、汝がそうであるように。
Verse 76
असावपि क्षुधाविष्ट एवमेव गतो नृपः ॥ मर्त्यलोके नदीतीरे गङ्गायां नीलपवर्तम् ॥
その王もまた飢えに苦しみ、同じようにして人界へ赴いた。すなわちガンガーの河岸、ニーラパヴァルタ(Nīlapavarta)と呼ばれる地へ。
Verse 77
विमानेनार्कवर्णेन भास्वता देववन्नृपः ॥ ददर्श च तदा राजा क्षुधितः स्वं कलेवरम् ॥
太陽の色に輝く光明のヴィマーナ(vimāna)に乗り、神のごとき王は、その時、飢えに責められつつも自らの身体を見た。
Verse 78
पुरोहितं ददर्शाथ होतारं जाह्नवीतटे ॥ तद्दृष्ट्वाऽसावपि नृपः पप्रच्छ मुनिसत्तमम् ॥
その後、彼はジャーフナヴィーの岸辺で王の祭司――ホートリ(Hotṛ)――を見た。彼を見て、その王もまた最上の聖仙に問いかけた。
Verse 79
क्षुधायाः कारणं किं मे स होता तमुवाच ह ॥ तिलधेनुं भवान्राजञ् जलधेनुं च सत्तम ॥
王は「我が飢えの原因は何か」と問うた。ホートリは答えた。「王よ、すぐれた御方よ、(施与として)ティラデーヌ(胡麻の牝牛)とジャラデーヌ(水の牝牛)を捧げなさい。」
Verse 80
घृतधेनुं च धेनुं च रसधेनुं च पार्थिव ॥ देहि शीघ्रं येन भवान्क्षुधया वर्ज्जितो भवेत् ॥
「さらに、ギーの牝牛(ghṛtadhenu)、一頭の牝牛、そして精髄・甘露の牝牛(rasadhenu)をも、王よ、施しなさい。速やかに与えれば、飢えから離れるであろう。」
Verse 81
तपते यावदादित्यस्तपते वापि चन्द्रमाः ॥ एवमुक्तस्ततो राजा तं पुनः पृष्टवानिदम् ॥
「太陽が輝くかぎり――そして月もまた輝くかぎり(その果報は存続する)」。そう告げられて、王はさらに次のように重ねて問うた。
Verse 82
होतोवाच ॥ विधानं तिलधेनोश्च त्वं शृणुष्व नराधिप ॥ चतुर्भिः कुडवैश्चैव प्रस्थ एकः प्रकीर्तितः ॥
ホートリは言った。「人々の主よ、ティラデーヌ(胡麻の牝牛)の作法を聞きなさい。四つのクダヴァ(kuḍava)が一つのプラスタ(prastha)であると説かれる。」
Verse 83
पुच्छे प्रकल्पनीया सा घण्टाभरणाभूषिता ॥ ईदृशीं कल्पयित्वा तु स्वर्णशृङ्गीं तु कारयेत् ॥
尾には鈴の飾りを整えて荘厳すべし。かくのごとく形作りて、金の角を備えしめよ。
Verse 84
कांस्यदोहां रौप्यखुरां पूर्वधेनुविधानतः ॥ कृत्वा तां ब्राह्मणायाशु दद्याच्चैव नराधिप ॥
鐘銅の搾乳器と銀の蹄とを備え、先に説かれた「牛施」の作法に従ってこれを作り、速やかに婆羅門に施せよ、王よ。
Verse 85
सा तु षोडशभिः कार्या चतुर्भिर् वत्सको भवेत् ॥ नासा गन्धमयी तस्या जिह्वा गुडमयी शुभा ॥
その(牛の像)は十六の部分で作るべく、子牛は四つの部分で作るべし。鼻は香料より成し、吉祥なる舌はジャガリー(粗糖)より成すべし。
Verse 86
सर्वौषधिसमायुक्तां मन्त्रपूतां तु दापयेत् ॥ अन्नं मे जायतामन्यत् पानं सर्वरसास्तथा ॥
一切の薬草を具え、真言により清められたものとして施与せしめよ。『我に別の食が生じ、また一切の味を具する飲が生じますように。』
Verse 87
सर्वं सम्पादयास्माकं तिलधेनो द्विजार्पिता ॥ गृह्णामि देवि त्वां भक्त्या कुटुम्बार्थं विशेषतः ॥
『我らのために一切を成就せよ、二度生まれ(婆羅門)に捧げられしティラデーヌ(胡麻の牝牛)よ。女神よ、我は汝を信敬もって受け取る—とりわけ家族と家の安寧のために。』
Verse 88
भजस्व कामान्मां देवि तिलधेनो नमोऽस्तु ते ॥ एवंविधां ततो दद्यात्तिलधेनुं नृपोत्तम ॥
「我が願いをかなえたまえ、女神ティラデーヌ(胡麻の牝牛)よ。汝に敬礼す。」そののち、王の中の最勝者よ、そのような胡麻の牝牛を施すべきである。
Verse 89
कृष्णाजिनं धेनुवासो नन्दितां कल्पितां शुभाम् ॥ सूत्रेण सूत्रितां कृत्वा सर्वरत्नसमन्विताम् ॥
黒羚羊の皮を牝牛の覆いとして備え、吉祥にして麗しく作り整え、糸で結び、あらゆる宝玉を具えて荘厳すべきである。
Verse 90
सर्वकामसमावाप्तिं कुरुते नात्र संशयः ॥ यश्चेदं शृणुयाद्भक्त्या कुर्यात्कारयतेऽपि वा ॥
これは一切の願いの成就をもたらす—疑いはない。これを信心をもって聞く者は、自ら行っても、また行わせても、(説かれた功徳を得る)。
Verse 91
तस्य सद्यो भवेल्लक्ष्मीरायुर् वित्तं सुतः सुखम् ॥ दृष्ट्वा तु मण्डलगतं देवं देव्याः समन्वितम् ॥
その者には直ちにラクシュミー(福徳)が現れる—長寿、財、男子の子、そして安楽。さらに、女神を伴いマンダラの中に坐す神を拝見するなら、(いっそうの功徳が説かれる)。
Verse 92
सर्वपापविनिर्मुक्तो विष्णुलोकं च गच्छति ॥ गोमये मण्डले कृत्वा गोचर्म्म तदनन्तरम् ॥
一切の罪過を離れて、彼はヴィシュヌの世界へ赴く。牛糞でマンダラを作り、その後に牛皮を(置く)。
Verse 93
क्षीरवृक्षसमुद्भूतं दन्तकाष्ठं समन्त्रकम् ॥ भक्षयित्वा स्वपे्युर्हि देवदेवस्य सन्निधौ
乳液を出す樹より得たダンタカーシュタ(歯木)を、マントラ誦唱を伴って噛み用いたのち、神々の神の御前にて眠るべし。
Verse 94
अनिरुद्धं तथा पूज्य पश्चिमे चोत्तरे तथा ॥ पूजयेद्वासुदेवं तु सर्वपातकशान्तिदम्
また、西方においてアニルッダを礼拝し、北方においても同様に礼拝すべし。さらに、あらゆる罪を鎮めると説かれるヴァースデーヴァを礼拝すべし。
Verse 95
भवेदव्याहतं ज्ञानं श्रीमान्विप्रो विचक्षणः ॥ किं पुनर्नवभिः स्नातो नरः पातकवर्जितः
知は妨げなく現れ、バラモンは福徳に満ち、識見ある者となる—ましてや九つ(の儀礼的沐浴)により沐浴した人は、罪過を離れるであろう。
Verse 96
दीक्षितात्मा पुनर्भूत्वा वराहं शृणुयाद्यदि ॥ तेन वेदपुराणानि सर्वे मन्त्राः ससंग्रहाः
もし心においてディークシャ(灌頂)を受けた者がヴァラーハの教えを聴聞するなら、ヴェーダとプラーナ、さらに諸マントラとその集成は、あたかもそこに総括される。
Verse 97
अन्नं देहि सदा राजन् सर्वकालसुखावहम् ॥ अन्नेन चैव दत्तेन किं न दत्तं महीतले
常に食を施せ、王よ。それはあらゆる時に安楽をもたらす。食が施されたなら、この地上で施されぬものがあろうか。
Verse 98
तत्र प्राग्जन्ममूर्त्तिश्च पुरा दग्धा महात्मनः ॥ तत्रास्थीनि स सङ्गृह्य लिहन्नास्ते स पार्थिवः
そこでは、その大いなる魂の者の前生の身体の形はすでに昔に焼かれていた。王はそこで骨を集め、なお留まり、それらを舐めていた。
Verse 99
तच्छृणुष्व नरव्याघ्र कथ्यमानं मयाऽनघ ॥ आसीद्राजा पुराकल्पे विनीताश्वातिविश्रुतः
聞け、人中の虎よ、咎なき者よ—私が語ることを。昔の劫に、きわめて名高い王がいて、その名をヴィニータ―シュヴァ(Vinītāśva)といった。
Verse 100
विनीताश्व उवाच ॥ कथं सा दीयते ब्रह्मंस्तिलधेनुर्जिगीषुभिः ॥ भुङ्क्ते स्वर्गं च विप्रेन्द्र तन्ममाचक्ष्व पृच्छतः
ヴィニータ―シュヴァは言った。「ブラフマンよ、勝利を求める者たちは、いかにしてティラデーヌ(tiladhenu)—『胡麻の牝牛』—を施すべきか。さらに、それによっていかに天界を享受するのか、婆羅門の中の最勝者よ。問うゆえに、私に説き明かしてほしい。」
Varāha, in dialogue with Pṛthivī, introduces a salvific Vaiṣṇava ritual program meant to remove grave sins, restore prosperity, and stabilize earthly order, emphasizing Nārāyaṇa-darśana and worship through a properly constructed maṇḍala, especially on auspicious calendrical nodes (Kārttika, Dvādaśī, saṅkrānti, eclipses).
A structured manual unfolds: year-long guru–śiṣya testing and initiation preliminaries; maṇḍala/cakra construction (sarvatobhadra/aṣṭapatra/ṣoḍaśāra patterns); installation and worship of dikpālas and the Vaiṣṇava Vyūhas (Vāsudeva, Saṅkarṣaṇa/Bala, Pradyumna, Aniruddha); mantra-homa; and navakumbha-snāna with differentiated aims (śānti, pāpanāśa, jñāna, wealth).
An embedded exemplum provides the ethical ‘proof’: King Śveta suffers post-mortem hunger because he neglected anna-dāna; Vasiṣṭha instructs the corrective rite—crafting and donating a tiladhenu—thereby resolving the king’s condition and demonstrating that ritual efficacy is inseparable from sustaining-life charity (food/water distribution).
A phala framework is implied rather than a single closing verse: proper Dvādaśī/Kārttika observance, maṇḍala-worship, homa, navakumbha bathing, and tiladhenu/anna-dāna yield pāpa-kṣaya, śānti, prosperity, knowledge, and post-mortem well-being; neglect of food-giving yields enduring deprivation.
Puṣkara-tīrtha; Prayāga; Sindhu-saṅgama; Devāgāra; Kurukṣetra; Vārāṇasī; Vindhya; Mandara-giri; Gaṅgā (Jāhnavī) and its riverbank setting; Nīlapa-parvata (as read in the manuscript); Śvetākhyaparvata; Bhārata-varṣa; Ilāvṛta-varṣa.
The chapter’s central ethical claim is that anna-dāna (the giving of food) is foundational to social welfare and the maintenance of life on Earth: beings arise and thrive through food, so withholding basic sustenance creates harm that persists beyond death. This ethic is reinforced through an itihāsa in which royal generosity focused on valuables and sacrifices is portrayed as incomplete when food and water are neglected. The ritual instructions are thus framed as not only expiatory technique but also as a discipline aligning prosperity with responsible distribution of essential resources.
The text highlights Kārttika-māsa, especially Śukla Dvādaśī, as a prime occasion for worship and darśana of Nārāyaṇa according to procedure. It also mentions performing or attending the rite on saṅkrānti (solar ingress) and during candrasūrya-grahaṇa (lunar and solar eclipses), and more generally on Dvādaśī days. A specific sequencing includes fasting on Ekādaśī, bathing, and entering the temple/ritual space for maṇḍala worship, followed by homa and concluding gifts.
Through the Pṛthivī–Varāha instructional frame, the chapter treats terrestrial well-being as dependent on orderly human conduct: correct ritualized offerings, regulated initiation ethics, and especially the circulation of food and resources. By elevating anna-dāna as the most vital gift—because it enables the flourishing of living beings—the narrative implicitly links human economic choices to Earth’s stability (Pṛthivī as the sustaining ground for life). The maṇḍala and dikpāla arrangements further symbolize spatial order and stewardship across directions and regions.
The chapter references Vasiṣṭha as the authoritative sage interlocutor within the embedded exemplum, and presents two royal figures—King Śveta and the earlier King Vinītāśva—as didactic models for evaluating kingship, charity, and ritual priorities. It also invokes standard cosmological-administrative figures such as the dikpālas (Indra, Agni, Yama, Nirṛti, Varuṇa, Vāyu, Kubera/Dhanada, Rudra/Īśāna) and Vaiṣṇava Vyūha deities (Vāsudeva, Saṅkarṣaṇa/Bala, Pradyumna, Aniruddha) as part of the ritual hierarchy.
Answers come straight from the texts, with the shlokas they draw on. Ask in your own words.
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