Adhyaya 166
Avanti KhandaReva KhandaAdhyaya 166

Adhyaya 166

マールカンデーヤは、女神が「シッデーシュヴァリー」また「ヴァイシュナヴィー」として顕れ、罪垢と道徳的汚れを滅する者(pāpa-nāśinī)と讃えられる聖なるティールタを説く。ここでのダルシャナ(吉祥なる拝観)と儀礼の実践は、大いなる功徳をもたらすとされる。 本章は実際的な作法の順序を示す。すなわち、ティールタで沐浴し、祖霊と諸神(pitṛ-devatāḥ)に向けた儀礼を含む供養・礼拝を行い、信愛をもってデーヴィーに近づくこと。果報として、信心の拝観者は罪より解放され、子を失った女性や不妊の女性は子宝を回復し、合流点サンガマ(saṅgama)で沐浴する男女には息子と財が授けられると説かれる。 さらに女神の守護が強調され、ゴートラ(氏族)を護り(gotra-rakṣā)、正しく礼拝されるなら子孫と共同体を常に守るという。アシュタミーとチャトゥルダシーの日の修行が指示され、ナヴァミーには沐浴・斎戒(upavāsaを含意)・信(śraddhā)により清められた意図での礼拝という別の規定が示される。結びには、神々でさえ到達し難い最上の境地に至ると約束し、この聖地が儀礼倫理と解脱の双方に関わることを明らかにする。

Shlokas

Verse 1

मार्कण्डेय उवाच । ततः सिद्धेश्वरी देवी वैष्णवी पापनाशिनी । आनन्दं परमं प्राप्ता दृष्ट्वा स्थानं सुशोभनम्

マールカンデーヤは言った。すると、成就自在の女神シッデーシュヴァリー――ヴァイシュナヴィー、罪を滅する者――は、その麗しく輝く聖地を見て、無上の歓喜を得た。

Verse 2

तत्र तीर्थे नरः स्नात्वा पूजयेत्पितृदेवताः । देवीं पश्यति यो भक्त्या मुच्यते सर्वपातकैः

そのティールタにおいて、人は沐浴してから祖霊神ピトリを供養すべきである。信心をもってそこで女神を拝する者は、あらゆる罪と堕落から解き放たれる。

Verse 3

मृतवत्सा तु या नारी वन्ध्या स्त्रीजननी तथा । पुत्रं सा लभते नारी शीलवन्तं गुणान्वितम्

子を失った女、子を授からぬ女、また娘ばかりを産む女も、(女神の恩寵により)子を得る。戒め正しく、徳と善き資質に満ちた男子である。

Verse 4

तत्र तीर्थे तु यः स्नात्वा पश्येद्देवीं सुभक्तितः । अष्टम्यां वा चतुर्दश्यां सर्वकालेऽथवा नृप

大王よ、そのティールタにて沐浴し、真実の信愛をもって女神を拝観する者は、月の八日であれ十四日であれ、またいかなる時であれ、(称えられる功徳の果を得る)。

Verse 5

सङ्गमे तु ततः स्नाता नारी वा पुरुषोऽपि वा । पुत्रं धनं तथा देवी ददाति परितोषिता

聖なる合流の地で沐浴を終えれば、女であれ男であれ、女神は満悦して子宝と財宝とを授け給う。

Verse 6

गोत्ररक्षां प्रकुरुते दृष्टा देवी सुपूजिता । प्रजां च पाति सततं पूज्यमाना न संशयः

女神を拝し、正しく供養すれば、御身は一族を守護し給う。さらに礼拝されるほどに、子孫を常に護り給う—疑いはない。

Verse 7

नवम्यां च महाराज स्नात्वा देवीमुपोषितः । पूजयेत्परया भक्त्या श्रद्धापूतेन चेतसा

また第九の月日には、大王よ、沐浴し斎戒して、信により清められた心をもって、至上の帰依にて女神を礼拝すべきである。

Verse 8

स गच्छेत्परमं लोकं यः सुरैरपि दुर्लभः

その人は、神々でさえ得がたい至上の世界に到達する。

Verse 166

। अध्याय

「章」—書写者の奥書の印で、章の区切りを示す。